2011年1月16日日曜日

もう一人の被害者

一九九二年、六月六日。午後二時ごろ雨が降り出してきた。三日連続で降っている。根本恒久(つねひさ)は車のワイパーがキ―キ―鳴る音にいらいらしながら気が焦っていた。豊公橋が事故のため片側通行で渋滞し、橋の手前の信号が青になっても進むことができなかった。
 家を出てから約二十分後、ようやく名古屋第一赤十字病院に着き、病室に急いだ。廊下が長く感じられた。病室のドアを開けた。排泄物と消毒液が混ざったような臭いが鼻につく。叔父の根本重則(しげのり)がベッドの向こう側に座り、父親の定則(さだのり)が酸素マスクをして、ぜいぜい呼吸している。二本の点滴管が天井からぶら下がり、窓際の心電図モニターに心拍波が、か細く映っている。
 恒久は重則に目で挨拶をし、父親の顔を覗いて、「お父さん」と小声で言った。父親は目を見開いて恒久を見つめ、重則の方に眼球をかすかに動かし、再び恒久を見て、目配せしながら何か言った。酸素マスクで声がぼやけ、はっきり聞き取れなかった。
「叔父さん、電話をどうも」
「あぁ、間に合ってよかった。たまたま今日見舞いに来とってな。この前見舞いに来た時は、元気良かったのに」
「はぁ、今朝も元気だったんですが。で、叔父さん、遠いところからでお疲れでしょう。どうぞ、あとはわたしが」
 重則は養老から名古屋まで見舞いに来ていた。養老からは近鉄線で大垣へ出て、JRに乗り換え、一時間半はかかる。
「そうか。じゃあ、ひとまずお暇させてもらおうか。ほんとは、こんな時だから、ここにおった方がええと思うんやけど、何しろ年だからな」
 重則は定則より三歳年下の七十歳で、六十歳の定年まで高校の物理の先生をしていた。逆三角形顔で眼鏡をかけている。垂れ下がった眉毛も数年前に真っ白になった。
 重則は、「兄(にい)さま、また来るからな」と定則に言って椅子から立ち上がり、ドアの方に歩いて行って立ち止まった。次に向きを変え、恒久のところに戻って来た。恒久は叔父が何か忘れ物でもしたのかと思った。重則は背中をベッドに向け、恒久の耳元に、
「恒久、ちょっと話があるんやけど」
「えっ、何ですか」
「いや、今じゃなくてね、今は話せないんだが、兄さまが、その、何て言うか……。その、亡くなってから話すよ」
「亡くなってから?」
「うん、亡くなってから」
 重則はちらりと定則の顔を見て、また向きを変え、病室から出て行った。
 どうして今言えないんだろう。どうして親父が死んでからなんだろう、と恒久は思った。
 四十分後、恒久の妻、明子が娘の直美を連れて病院に駆けつけた。恒久が家を出る時に書いておいたメモを読み、あわててやって来たのだった。
 翌日、六月七日も朝から雨だった。午前九時三九分、定則は他界した。この数年間、心臓を患っており、入退院を繰り返していた。
 通夜は甚目寺町(じもくじちょう)の自宅で行われた。読経が終わり、明子が十五人ほどの親戚の人に茶菓子をすすめ、談話が始まった。恒久は重則のところへ行き、父親が亡くなったら話すと言っていたのは何だったか尋ねた。重則は人ごとのように、
「ああ、そうだったな。そんな話をしたなぁ。しかし、まあいいや。もう話すのはよすよ。大した話じゃないんだ。悪かったな、気をもませて」
恒久はあっけにとられて、
「でも、あの時、叔父さん、真剣な顔してましたよ。大事なことじゃないんですか」
「いや、いや、ま、大したことじゃないよ。済まん、済まん、もう忘れてまった方がええよ」
 叔父は何か重大なことを隠しているようだった。
 翌日、葬儀が終わって親戚の人が帰りだしたが、重則は最後まで残っていた。全員が帰ってしまうと仏壇の前には恒久と重則だけになった。重則が思いつめた様に、
「恒久、きのう、あれから考えとったんやけど、やっぱり話すことにしたよ。きのうは済まんかった」
「そうですか。何だったんです」
「実はな、その、実は……。わたしは、お前の父親だよ」
「えっ、父親って?」
 気が変になったのか、何ということを言うのだ、と恒久は思った。
「そう、わたしはお前の父親だよ」
「叔父さんが、まさか、冗談を」
 と、言ってみたものの、冗談にしてはきつすぎる。叔父の目は冗談を言っている目ではない。
「冗談じゃない。ほんとなんだよ」
「そんな、馬鹿な」
「信じられないだろうが、ほんとなんだ」
 叔父は真剣な顔をしている。
 恒久は、叔父の言葉を信用すべきかどうか迷った。父親は、恒久が幼稚園の頃から口癖のように、重則を信用するな、と言っていた。小学生の頃、台所の雑巾がけをさぼったり、友達と遊んでいて夕食の時間になっても家に帰らなかったりすると、父親はすぐ重則のことを引き合いに出して、「重則がやるようなことをするな。重則のように嘘つきになるぞ」と言っていた。
 恒久は頭が混乱したまま、
「でも、急に、びっくりするじゃないですか。で、なぜ、叔父さんがわたしの父親なんですか」
うわべでは冷静に言いながら、恒久は足が地にしっかり着いていなくて自分が他人のように感じた。仏壇、柱、障子が宙に浮いているようで、別世界にいるように思われた。
「済まん、済まん、驚いただろうが、ほんとなんだよ。わたしはお前の父親なんだよ。お前が生まれてから今日まで、このことをいつかは言おう、言おうと思っとってな、えっと、お前、三十九だろ、言いそびれて、そのまんま三十九年も経ってまったんだよ」
 恒久は、そんな前置きより、なぜ自分が叔父の子であるのか早く聞きたかった。いら立ってきて、
「じゃあ、わたしが赤ん坊の時、叔父さんはわたしを養子に出したと言うわけですか」
「いや、そうじゃないんだ。お前は、初枝さんから生まれたんだ。が、その、なんと言うか、その、精子がわたしのだったんだ。……おっと、誤解しちゃいけないよ。初枝さんとわたしは変な関係じゃなかったんだから。実を言うとな、実は、わたしの精子を兄さまにあげたんだよ」
 どこまで叔父を信用していいのだろう。何か訳があるんだろうか。
 恒久の母親、初枝は七年前、急性白血病で亡くなっていた。
「えっ、まさか。本当ですか。どうして、そんなことが」
「ある日、兄さまから頼まれてね、わたしの精子が欲しいって。兄さま夫婦は結婚して五年たっても子供が生まれなくってね。それで、人工授精をすることにしたんだよ。だが、医者によると、兄さまの精子が弱くて授精しないらしいんだ。精子の数も通常より少なかったそうだ。それで、ある日電話で、わたしのを欲しいと言って来てね。翌日、朝八時ごろ兄さまが家に来て、それで、わたしのをあげたんだ。兄さまは礼を言って急いで帰っていったよ。帰りがけに、自分のも混ぜると言っとたけど」
 恒久は、精子が名古屋まで運搬される内に死んでしまわないのかと思って、叔父に聞くと、
「わたしも同じことを尋ねたんだ。すると兄さまは、体温で四時間は持つ、と答えたよ」
では、精子は死なずにうまく授精できたということか。でも、親父が自分のを混ぜると言っていたのだから、親父の子である可能性もある訳だ。しかし、叔父は俺が叔父の子だと決めてかかっている。恒久は疑問を投げかけるように、
「親父が自分のを混ぜると言ってたんなら、確率はフィフティ、フィフティで、叔父さんの子ではないこともあるんじゃないですか」
叔父は落ち着いて、
「分かるよ、その気持ち。三十九年間、父親やと思とった人が父親じゃないなんてこたぁショックやろう。しかしな、恒久、わしの立場になって考えてもみてくれ。きのうの通夜の時にな、わしが親父やと名乗るのは、お前が余りにも気を動転するやろで、やはり止めといた方がええと思ったんや……。が、一方で、兄貴が亡くなった今がチャンスや、このチャンスを逃すと、ますます言いにくくなると思ったんや。だから、今こうして思い切って話しとるんや。わしの気持ちも察してくれや」  
「………」
恒久はわざと返事をしなかった。返事をしないことが叔父への抵抗だった。恒久は重雄の顔を見るのを避けて目を畳に落とした。重雄は視線を恒久から祭壇の遺影へ移した。
定則の遺影は大黒様のようにふくよかな顔立ちをし、にっこり笑っている。恒久は顔をあげて叔父を見た。目と目が会った。恒久は心の内をぶちまけた。
「叔父さん、ひどいじゃないですか。わしの気持ちも察してくれとは勝手過ぎませんか。なぜ黙っていてくれないんですか。今日の今日まで黙っていて、今になってわしはお前の親父だとよくも言えますね。それじゃあわたしはどうなるんですか。わたしの気持ちはどうでもいいんですか。わたしがそんなこと言われて『はいそうですか、わたしは叔父さんの子ですか』とすんなり受け入れられるとでも思ってたんですか。叔父さん、学校の先生だったんでしょ? よくもまあそれで先生が務まりましたね。生徒の気持ちをちゃんと理解してやってたんですか。教師としては落第ですよ」
 恒久は叔父に不満をぶつけることによって、降って湧いたような話を打ち消そうとしていた。
「だから、通夜の晩は一度は思い留まったんや。そりゃわしが棺桶まで黙っとったら、万事うまくいく事ぐらい分かっとるわ。お前もショックを受けんですむし……。しかしな、人間、年を取ってくると、そう理屈通りにいかへんのや。お前も七十になると分かるがな。一人でも多く自分の子孫がこの世に残るちゅうことは嬉しいことやで」
「だから、何もわざわざそのことをわたしに言う必要はないと言っているんです。叔父さんが自分で恒久はわしの子だと思っていればそれですむことじゃないですか」
「そりゃそうや。しかし、わしはそれではすまんのや。勝手やと思ってまってもええが、どうしても本当のことを言っておきたかったんや。別にわしがお前の父親やったとしても、お前はお前だ、何の不都合もあらへんやないか」
「何言ってるんですか。都合とか不都合とかいう問題じゃないですよ。それに、本当のことと言ったって親父の精子と叔父さんのを混ぜたんでしょ。だったらまだわたしが叔父さんの子だとは決まってないじゃないですか」
 恒久はこれ以上叔父と言い合っても無駄だと思った。腹の中では怒りがこみ上げていた。拳骨で頭を一発思いっきり殴ってやりたかった。
――何という勝手な男だ。親父が言っていたように、叔父はどうしようもない奴だ……。
「それが決っとるんや。ええか。確率が、五十パーセントやのに、なぜお前がわしの子やちゅうとな、お前が生まれてから、ずうっとお前のことを観察しとって確信しとったんや……」
恒久は馬鹿らしくて重雄の話をいい加減に聞いていた。
叔父は勢い込んで、
「兄貴とわしの違いはなんやと思う? 兄貴は酒屋で商売人や。外向的でスポーツマンや。細かいことにこだわらへんし、度量も大きい。それに比べ、わしはどっちかっちゅうと内向的や。几帳面やし、スポーツは得意やない。みんなでガヤガヤ騒ぐより、一人でおる方が性に合っとるんや」
恒久は母親に聞いていたことを思い出した。叔父は中学生のとき数学が得意でいつも満点だったそうだ。なんでも中学生なのにもう大学受験の数学の問題を解いていたとか。それに比べて親父は数学が全く駄目だったようだ。
「それでな、恒久、お前の性格はどうや。似とるのはどっちやと思う。わしか、兄貴か? お前は商売人と言うより学究肌や。お前が酒屋を継ぐのを嫌がって、大学の先生になったことを見れば分かることや。専門も電子工学やし。だいたいお前もわしに似て几帳面で内向的や。それに数学が得意で……。初枝さんから聞いたんやが、高一の時、東大の数学の入試問題を解いて、満点を取ったそうやないか。それを聞いて、お前がわしの子やと確信したんや」
「でも、叔父さん、世間では同じ親から生まれても性格も才能も全然違う兄弟がいるじゃないですか。単に性格が似ているとか、数学ができるとか言うことだけでわたしが叔父さんの子だと言うことにはならないですよ」
「そりゃそうや、お前の言う通りや。しかしな、お前の顔つきだって兄貴みたいに丸顔やない。どっちかちゅうとわしに似て逆三角形やないか。ええか、わしの直感がお前はわしの子やちゅうとるんや。それに、初枝さん、五年間も妊娠してなかったやろ。間違いないわ」
叔父は俺のことを自分の子だと信じ切ってしまっている。恒久は反論しようがないと思いながら、
「叔父さんがそう思うのは自由ですがわたしはそう思いませんから」
 と、ぴしゃりと言った。
「ああ、それでええんや。なにも、わしがお前の親父だと、親父を押し売りしとる訳やないんや。わしが三十九年間ずうっと思うとったことを、お前が分かってくれりゃー、わしゃ、ええんや。こんで、胸のつかえがいっぺんに下りたわ。変なこと言うて、勝手やと思うかも知れんがな、わしは、お前がほんとにわしの子や思うとるんや」

          三

その夜、恒久は布団に入ってからなかなか寝つかれなかった。重雄との今日のやり取りが頭の中を駆け巡った。「わしはお前の親父なんや」という言葉が頭から離れない。悶々としている内に子供時代のことを思い出していた。 
――俺がもの心ついた頃から、叔父は毎年かかさず俺に誕生日祝いを送ってくれていた。小学校のときは鉛筆セットやクレパスなどの学用品だった。中学のときは確か二千円分の図書券だった。高校になってからは三千円分になっていた。
親父は図書券を見て忌々しそうに、
「重雄が、またこんなもん送ってきよったか。送らんでもええと言っとるのに」
と、余り喜んだ顔をしていなかった。
あの当時、親父はお返しをしなくてはならない煩わしさからそう言っていたと思っていたがそうではなかったのか。親父には迷惑だったのか。母も迷惑そうな顔をしていたような気がする……。
叔父は純粋に俺のことを自分の息子と思って誕生日祝いを送っていたのかも知れない。それに、俺が結婚した時には十万円も祝儀袋を包んでくれた。
明美が生まれた時もまるで自分の孫が生まれたかのように喜んでいた。赤ん坊の明美を連れて明子と養老に行った時など「抱かせてくれ、抱かせてくれ」と執拗に言われた。いったん抱っこするとなかなか手放さなかった。明美の写真も一杯取った。八ミリカメラで明美を追っかけまわした。
親父の口癖が聞こえてきた。「重雄の言うことを信じてはいけない。あいつは嘘つきだ」
――親父はこのことを見越して言っていたのか……。
母も、今から思い出すと、叔父が家に来るときは外出していることが多く、俺がお茶を出していた。そうか、母は俺が叔父の子かもしれないと思っていたのかもしれない。だから叔父が来るときに限って母は外出していたのか……。親戚の結婚式などで叔父と顔を合わせなければならないときなどは、母は叔父の前で何かしら緊張しているようだった。言葉使いも何かつっけんどんで、全く赤の他人に話しているようなところがあった。自分の身体に叔父の精子が入ったという嫌悪感がそうしていたのか……。叔父だけの精子を体内に入れるのには抵抗があり、親父の精子を混ぜるように勧めたのは母だったのかもしれない……。
――叔父は普段は真面目だが、二重人格のようなところがある。酒癖が悪く、飲むと額に青筋が立ち、目が座り、蛇のよう絡んでくる。現役教師の頃は、日ごろ抑えていたストレスを発散するかのように大声で人の悪口を言っていた。校長をこき下ろす。父兄の悪口を言う。教育委員会をぼろ糞に言う。
ふだんは研究熱心で、天文学の話になると目を輝かせて宇宙の神秘について延々と話す。養老の星がきれいだと言う。皆既日食を追って世界中を飛び回る。
どちらが本当の叔父なのか。一見、教育熱心で真面目そうだが一皮むくとそうでもない……。
恒久はその日以来、ひょっとすると自分の父親は叔父かもしれないと思うようになった。なんといっても確率はフィフティー、フィフティーなのだ。全面的に叔父が父親であることを否定できなかった。
大学でも授業中は講義に集中しているが研究室に戻り、ふとした時にこの事が気になり、研究書を読むのを一時中断するようになった。
明子と話をしていても急に思い出したりして明子の話が分からなくなることがあった。最近、明子が「あなた、聞いてんの?」と言うようになった。公園で父と子が楽しそうにボールで遊んでいる光景を見るとまた思い出した。
定則が亡くなって一週間後の夕食の時、とうとう明子が言った。
「あなた、最近何か考え事でもしてんの? 何かおかしいわよ。ボーっと考え込んじゃって」
 九歳の明美も箸の動きを止め、恒久の顔を見て言った。
「そうよ、なんかおかしいわ。いつものお父さんじゃないみたい」
 恒久は、そうだ、その通りだ。お父さんは今までのお父さんではなくなったのだと思いながら、
「いや、別に何もないよ。今度の学会の準備に追われてるからだろう」
と取りつくろった。
三日後の土曜日、明美はソフトボールクラブの練習があると言って朝早く学校に出かけた。朝食後、恒久が朝刊を読んでいると明子がいぶかしがるように、
「あなた、きのう寝言を言ってたわよ。明け方近くに大きな声で、『嘘だ、嘘だ』と言ってたわ。わたし気持ち悪くなっちゃって。何か心配事あるんじゃない? 『嘘だ』って、何のことなの? 何が嘘なの? 自分で分からない? 最近、ぼーっとしてるし。なんか、おかしいのよ、何かあるんでしょ」
恒久はここまで明子に言われては隠していても仕方がないと思い、重雄が言ったことを話した。黙って聞いていた明子は驚いたように、
「そうだったの? そんなこと叔父さん言ってたの? 罪な叔父さんねぇ……。でも、どうしてもっと早くわたしに言わないの?」
「毎日、今日は言おう、今日は言おうと思ってはいたんだが、その、何と言うか、ついついね」
恒久は明子に話しても問題が解決する訳ではないし、また明子は、あっけらかんの性格で、
「そんなこと、もうお父さんが亡くなったんだから、どちらでもいいんじゃないの。馬鹿ねぇ」
と言われるのは分かっていて言いそびれていた。
「実は、それ以来どうもおかしいんだよ。自分を統率していた糸が切れたと言うか、頭の中が他人に置き換わったみたいで、きちんと物事を今までどおり考えられないんだ。自律神経失調症だろな……。お前には話してなかったけど、親父は俺が子供の時、『重雄の言うことを信用してはいけない。あいつは嘘つきだから』と何度も俺に言ってたんだ。だから、叔父さんが言ったことが嘘であってほしいという願望があって寝言で嘘だ、嘘だと言ったんだろう。今から思うと親父はこのことを言ってたんかと思うけど」
 明子は納得したように、
「それで分かったわ。わたしもお父さんから、叔父さんが嘘つきだっていうこと、一度聞いたことがあったわ。冗談かと思って聞き流しておいたけど」
「そうか、お前も聞いてたんか。多分、今回のことを見越して言ってたのかも知れないなぁ。まあ、父親がどちらだろうと俺は俺だから関係ないと言えばそれまでだが。しかし、父親が誰かということは、女には分からないかもしれないが男にとっては大問題だ。俺の身体が生理的にそう反応してるんだ。自分が自分でないような気になるんだ」
「それは、女性だって同じことよ。わたしの父親が誰だか分からないのは、根なし草みたいなものだから。でも、そんなこと、どうしようもないんじゃないの。いまさらお父さんに聞くわけにもいかないし。余りくよくよしない方が、あなた、身体に悪いわよ」
「そりゃ、理屈では分かってるよ。でも、気になりだすと。あの重雄さんが俺の親父かもしれないんだよ、あの酒癖の悪い。今までは、何ていい叔父さんだと思ってたのに……。それに明美もなついているし。今度のことで、叔父さんが俺を可愛がってくれてた訳が分かっていっぺんに目が覚めたよ。なんだ、だからだったのかと思うと水をぶっかけられたようだ。お前は身体に悪いから気にするなと言うけど、気にしない方がおかしいよ」
「でも、もう寝言はいやだわ。大声で、びっくりしたわよ。もしそんなに気になるんならDNA鑑定をしてもらったら? この前、新聞に載ってたわ、親子鑑定のこと」
「それも考えたよ。でも、鑑定の結果、叔父さんが本当のことを言っていて俺の親父だったらと思うと自分は一体何なのかと思うよ。親父は一体俺の何だったのか。このまま鑑定をしないで今まで通り俺は親父の子でありたいんだよ。わざわざ寝てる子を覚ますこともないだろうに。どうして叔父さんは黙っててくれなかったんだ。ひどい叔父さんだ。怒れてくるよ」
 と言いながら恒久は自分が明子に泣きついていることに気がついた。それを察してか、明子は子供を諭すように、はっきりした声で、
「あなたの気持ち分からないこともないけど、あなたね、そうやって毎日、毎日あれこれ考えてると身体も心も蝕まれてしまいますよ。そのまま、不確かのまま一生送るつもりなら、それも結構ですよ。鑑定をして、どちらかはっきり切りをつけて生きていくのも一生。悩んで生きるのも一生。どちらがいいか、よく考えたら? 現実に直面するのを避けてるんじゃない? 叔父さんの子だろうが、お父さんの子だろうが、あなたは、あなたなんだから。しっかりしてよ」
――その通りだ。俺は一生、中途半端で悶々として生きていけないだろう……。
明子がこうも冷静にあっさり考えられるのは第三者だからか。いや、それもあるが明子が物事にこだわらない性格だからだ。俺が明子と結婚したのも、俺にはない明子のあっけらかんとした、さっぱりした性格に惚れたからだ。明子は明子で、自分にはない俺の粘着性、慎重さに惚れたからだと思う。現に、いつだったか、結婚前のデートで明治村に行ってお土産店でマグネットをあれこれ見ていたとき、
「私達って磁石のNとSみたいね。性格がまるっきり違うから」
と、にっこり笑って言ったことがあった。その笑顔が艶っぽかった。二人が磁石のようにくっついたのは二人の性格が全然似てないからだろう。
――現実に直面するのを避けてるんじゃない? か……。
恒久は暫らく考えてから、
「そうだな、お前の言うとおりだ。DNA鑑定をやってみようか」 
 恒久は電話帳で鑑定会社を調べたが、指紋や筆跡の鑑定をする興信所はあっても、DNA鑑定をする会社は掲載されていなかった。
     
          四

六月二十日、恒久は愛知県図書館に行ってDNA鑑定に関する本を探した。書名目録カードをめくっていくと、『DNA鑑定入門』と『親子鑑定の話』という二冊があった。 
『DNA鑑定入門』の方には最後のページに鑑定会社が二社紹介されていた。一つは「日本DNAソリューション」という会社だった。アメリカのDNA鑑定会社の日本ブランチで一九八八年に創立されていた。もう一方は昨年の一九九一年に創立されたばかりであった。
恒久は実績が長いということもあり、「日本DNAソリューション」に鑑定を依頼することにした。
二日後、電話で問い合わせたところ、DNA鑑定は唾液、爪、血痕、皮膚、毛髪等を、会社から送るサンプル封筒に入れて返送すれば良いと言う。ただし、父子鑑定の場合は、毛髪はDNAを抽出しにくいので根元の肉質部分がついた毛根が望ましいが、毛根がない場合は爪でも良いとのことであった。
ただ、鑑定結果が届くのには三週間はかかると言う。一旦、アメリカの本社にサンプルを送るからだ。
恒久は父子鑑定を依頼した。
四日後、日本DNAソリューションからサンプル返送用封筒が送られてきた。
恒久は仏壇の前に座り、おりんを鳴らして、手を合わせて定則の位牌を拝み目を閉じた。拝んでいると幼稚園の時、父に東山公園に連れて行ってもらったことを思い出した。古代池にある巨大なコンクリート製の恐竜に登る時に尻を押してもらったのだ。あの時の父の声が聞こえてくるようだった。                 
「そら、もう少しだ、それ 」
仏壇のおりんの余韻が消えると、恒久は目を開けて引き出しを引き、木箱の中から包み紙を取り出した。中から死化粧の時に形見として残しておいた遺髪を五本と爪を三つ取り出し、ビニールの採取袋に入れた。残った形見は引き出しに戻した。     
サンプルを送ってしまうと踏ん切りがついたようで前ほど悩まなくなった。叔父の子だと判定されるのには強い抵抗があったが、そういう結果が出るのならば仕方がないことだと覚悟した。

          五

約三週間後、七月十七日、名古屋大学から帰ると明子が日本DNAソリューションから送られてきた封筒を恒久に渡した。恒久は、はやる気を抑えて封筒を開ける前に大きく息を吸った。
――叔父さんの言っていたことが嘘でありますように……。
と強く念じつつ、定規を封筒の端に平行にあてがい、カッターを定規に当てて封筒を切った。
報告書には次のように書いてあった。
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DNA鑑定結果報告書(父性報告)

報告書作成日 一九九二年七月十二日

マルチローカス法による父子鑑定検査の結果。父親と思われる者(サンプルA=根本定則)は、子供(サンプルB=根本恒久)の生物学的父親から排除される。上記リストに記載された遺伝子座のDNA分析により、父権肯定確率は0.002以下である。従って、サンプルAはサンプルBの父親ではないと判定する。
___________

恒久は最後の文を、目を釘付けにするようにしてもう一度読んだ。
「父権肯定確率は0.002以下である。従って、サンプルAはサンプルBの父親ではないと判定する」
親父は父親ではなかったのか。俺の父親は叔父さんだったのか……。 
恒久は愕然とした。世の中が百八十度ひっくり返ったように感じた。報告書を明子に渡しつつ、
「叔父さんの言う通りだった。親父は父親ではなかった……」
明子はざっと報告書を見て、
「あなた、あまり気にしないでね。結果は結果だけど、あなたは、あなたに変わりないんですから。現実を受け止めなきゃ……」
他人事みたいにドライに言う明子を忌々しく思った。現実を受け止めよと簡単に言うけれど、三十九年間の俺のバックボーンが急にがらがらと崩れ落ちたのだ。気持ちを急に変えられるわけがない。頭ではわかっても血や肉がそれを認めないのだ。

          六

七月二十六日、定則の四十九日法要が根本家で執り行われた。
恒久は久しぶりに叔父に会うだろうと思っていたが、当日は叔父の代わりに息子の保雄が来た。
保雄は養老町役場に勤めており、色白で手の指が長く、眼鏡をかけ細身の体つきをしている。叔父は一週間前から腰を痛めているということだった。
法事が滞りなくすみ、親族はマイクロバスに乗り、懐石料理店「魚吉」で精進落としをした。座敷に料理が運ばれ、ビールや酒がふるまわれ、皆それぞれに談笑しだした。
恒久は親族一人ひとりに挨拶をしながらビールをついで回り、保雄のところに来て膳を挟んで差し向かいに座った。
――保雄は叔父と自分の父子関係の事を知っているのだろうか……。
恒久はビールを保雄のコップに注ぎ、無難な話題を選んで、
「叔父さん、腰を痛めたそうで、どんな具合なんです」
「うん、元気は元気やけど、伯父さんが亡くなってから急に老けこんでまってね。運悪く一週間前やったか、敷居につまずいて転んで腰を痛めてまってね」
保雄はビールを一気に飲み干して空のコップを恒久に渡した。いつもの飲み方とは違う。保雄は下戸で一気にビールを飲むことはめったにないのに。
――どうしたのだろう……。
保雄はコップを空にすると、恒久に渡してビール瓶を膳から取って注ぎながら、
「何しろ親父は年やで。今日も無理すりゃ出て来れたんやけど、まあ、大事を取ってね」
「無理は禁物だ。お身体大事にしてもらわなくっちゃ。でも敷居でつまずくって、年を取るとそうなるのかなぁ」
と言いながら保雄の顔を見た。ほんのりと頬が赤く染まってきている。恒久は、保雄が叔父と自分の父子関係のことを知っているのかどうか気になっていた。ビールを飲み干して保雄に返し、また保雄のコップに注いだ。
「うん、年取るとね。この前、お袋が畳の縁につまずいて転んだことがあったよ」
「えっ、畳の縁で。怪我しなかったかい」
「怪我はせなんたが、腰を打って暫らく起き上がれへやんだらしい」
恒久は、なかなか話の核心に迫らないことにイラついてきた。
――ひょっとして、保雄は叔父と俺との関係を全く知らないのかもしれない。しかし、どうせ分かることだ……。
恒久は自分の方から話を切り出そうかと思った。
保雄はまたビールを一気に飲み、空のコップを膳の上に置いた。顔が赤くなり目が据わってきた。叔父の酔った目つきだ。
――そうか、保雄は知っているのだ……。
言いづらいことを酒の勢いで言おうとしている。そんなこと酒の勢いで言うようなことでもないのに。相変わらず神経質な男だ……。
保雄は急に姿勢を正して恒久の顔をにらんだ。目がつりあがり緊張している。膝を乗り出して小さな声だが力強く、
「恒(つね)さん、さっきから言おう、言おうと思っとったんやけど」
恒久は保雄の目を見た。酔ってはいるが重大なことを秘めているような目だ。
「ああ、あれね。叔父さんと俺の関係だろ?」
一瞬、保雄は緊張がほぐれたような顔になり、大きくうなずき、
「そうや」と言った。
――目の前の男は俺の弟ということになる。考えられない……。
いつ保雄はこのことを知ったのだろうと思って、
「親父の葬式が終わってから、叔父さんが保(やっ)ちゃんに言ったんだろ」
「いや、もっとずっと前や」
まさか、そんなわけがないと思って、
「もっと前って、何時のことや?」
「子供の時や。確か、中一の時や」
――中一って、十三歳だ……。
保雄は俺より三つ年下だから、今三十六歳だ。そうすると……二十三年間も黙ってたのか。
「中一からって、じゃあ、ずっと隠してたんか」
「隠しとったんやないけど……。始め、親父が冗談を言ったんかと思ったんや。酒飲んどったから。でも、秘密を言ってから急に顔色を変え、このことを知っとるのは兄貴とわしだけや。絶対に人に言ってはいかんぞ、ちゃんと約束せよと、きつく釘を刺されたんや。ところが、伯父さんの葬式が終わって、親父が恒(つね)さんの父親やと言うてきたと言うんや。それで、わたしはもう秘密を守る必要はないと思ったんや。……今日来る時も、このことを恒さんに言おうか言うまいか迷っとってね、道々どうやって話したらええか考えとったんや」
――そうか。保雄は俺のことをずっと兄として見てたのか。親父も叔父も保雄も、みんな知ってたのか……。
恒久は煮魚を口に入れ、ビールを一口飲んで、
「実は、叔父さんに聞かれたら言おうと思ってたんだけど、DNA鑑定をしてもらったよ」
「やっぱり」
保雄の目に好奇心が広がった。
「ほんで?」
「結果は叔父さんの言うとおりでね。親父が生物学的父親である確率は0.002以下だそうだ」
「ほんなら、恒さんとわたしは、やはり……」
「そう、兄弟だよ。ほぼ、百パーセントね」
恒久は、重雄の子であることを認めたくないという天の邪鬼が働いて「ほぼ」と、ことさらに言った。
一瞬、保雄は眉をひそめて恒久の心を汲み取るように、
「ほぼ、ねぇ……。分かる気がするで、その気持ち」
わかってたまるか。叔父が俺の父親ではない確率は、ちゃんと0.002あるんだ。
しかし、0.002など無いにも等しい数値で、恒久は重雄の息子であることを認めざるを得なかった。

          七

 その年の秋、恒久のところに重雄から手紙が来た。紅葉狩りを兼ねて家族で養老に遊びに来ないか、親子の盃を酌み交わしたいと書いてある。恒久は明美を連れていくことをためらった。酔った勢いで叔父は何を言い出すか分からないからだ。
明子に、明美を連れて行くことは心配だと話すと、明子はきっぱりと言った。
「何言ってるの。全然心配ないわよ。明美はまだ子供だし、人口授精がどうとか、DNAがどうとか、分かる訳ないじゃないの。それに明美を家に一人で残していけるとでも思ってるの? そっちの方こそ心配よ。理系人間の考えることって、どうしてそう先々のことまで突き詰めて考えるのよ。大丈夫よ。第一、叔父さんが酔って言うことなど、明美がまともに受け取るとでも思ってるの?」
明子に言われて、なるほどその通りだと思った。明美は母親似でさっぱりしている。俺みたいにあれこれ悩まない。叔父が変なことを言っても大丈夫だろう。この母にして、この娘ありか……と思った。
 恒久は明美の事を心配するのは取り越し苦労かもしれないと思い直して養老に行くことにした。 
十一月二十八日、晩秋の青空のもと、恒久は明子と明美を連れて養老に出かけた。
滝から流れる渓流にかかった朱色の渡月橋に立ち、上流を眺めると、川を覆うように両岸から赤く染まった紅葉の枝が競いあうように伸び、紅葉がひらひらと川に散って透き通る川面を流れてくる。 
渓流沿いの緑の坂道を登りながら時々直径八十センチもある紅葉の幹の下に立ち梢を下から見上げた。陽の光を浴びた真っ赤な葉が花火のように空一面に燃え広がっている。
万代橋を通り過ぎて滝道を登っていくと、おい茂った杉、松、樫の常緑樹が陽光をさえぎり、木蔭の空気がひんやり身体を包む。
さらに十五分ほど登って行くと、どうどうと轟音が聞こえ滝が視界に入ってきた。滝まで登ると、恒久は滝壺の淵に立ち、飛沫を浴びながら滝を見上げた。
水の塊が絶え間なく落ちてくる。胸に溜まったわだかまりが滝と共に流れて欲しいと願った。
明美が靴を脱いで滝壺の水に足を浸けた。恒久も浸けた。
冷たい。
頭の中がすっきりする。
午後三時半頃、太陽がそそり立った養老の山に早々と隠れ、辺り一面が影に包まれた。
三人は滝道を十五分ぐらい下り、渡月橋の近くにある「菊水」という岩清水のところまで下りて来た。菊水は日本名水百選に入っており、五、六人の人が泉を囲み柄杓で水を飲んでいた。水筒に菊水を入れている人もいる。
恒久も水を手に受けて飲んだ。
うまい。
天然の水だ。心の垢が洗い流される。
恒久達は不動橋近くの茶店で休憩し、午後五時ごろ重雄の家に着いた。武家屋敷のような門構えを入ると中庭になっていた。重雄は妻の君江、保雄と妻の孝子、小学生の二人の孫と暮らしている。
座敷に入ると、二つのテーブルがくっつけて並べられ、鍋物の準備がされていた。山水画の掛軸が掛かった床の間を背にして恒久と明子が座り、重雄と保雄がその対面に座った。他方のテーブルには、明美、孝子、君江と二人の子供が座った。
重雄の前には菊水で醸造した養老の地酒、醴(れい)泉(せん)が置いてある。
全員が座ると、重雄は顔をほころばせ恒久の顔を見ながら、
「これは地酒コンテストで金賞を取っとるんや。息子のお前とこうやって差しで飲めるなんて、嬉しいこったわ。これは常温で飲むのが一番うまいんや」
と言って、重雄は醴泉の封を切り、恒久の盃に注いだ。
次に明子の盃にも注ごうとしたが明子は「車を運転しますから」と、断った。重雄は「まあ、まあ、形だけや」と言って明子の盃にも注いだ。
醴泉が大人全員に注がれると、重雄は盃を持ち上げてやや上気したように、
「それじゃあ、恒久がわしの息子であることを祝してぇ、乾杯!」
恒久は盃の中の酒を見つめた。叔父にとっては祝い酒でも自分にとってはそうではないと思いながら飲んだ。
重雄が上機嫌で、
「恒久、保雄から聞いたけど、DNA鑑定をやったそうやないか」
「はあ、明子が鑑定をやってみたらって勧めましたので」
「そりゃ、賢明や」
と言いながら明子を一瞥した。明子は鑑定をしたことで、重雄が気分を害しているのではないかと思いながら、
「主人が、あまりショックを受けていて、信じられない、信じられないと繰り返すものですから、叔父さまには悪かったけど鑑定を勧めたんです」
「そうか。ま、ショックを受けるのは当然だろうな。ほんで、鑑定の結果がわしが言っとった通りでほっとしたわ。九十九パーセント自信があったんやけど、実は、ひょっとしたら、わしの子じゃないかも知れんと思っとったんや。今度の鑑定ではっきりして良かったわ。これで息子が二人正式にできたわけや。めでたいねぇ」
 と重雄は言って、盃を一気に飲み干した。
恒久は明美を見た。
明美は保雄の子供たちと何やら夢中で話しており、叔父の話は聞こえなかったようだった。
重雄は自分の盃を恒久に渡し、酒を注ぎながら、
「でも、恒久、急な話やし、わしのことをお父さんと無理に呼ばんでもええわ。今まで通り叔父さんで構わへん。まあ、気が向いたらお父さんと呼んでくれたらええんやで」
 と言って笑った。
恒久は叔父の顔を冷ややかに見ながら、叔父と百パーセント父子関係があることを数値で確かめたいと思っていた。「叔父さんのDNAサンプルをもらえませんか」という言葉が喉元まで出かかっていた。しかし、どうしても言うことができなかった。不本意ながら叔父の子になってしまった瞬間、呪文がかけられたのか、牙が抜かれたのか、以前ほど叔父に対して強く出られなくなった自分を情けないと思った。心の一方では叔父に対して強い反発があったが、一方では叔父が俺の親父か、親父と言い争ってもどうにもならないという諦めがあった。葬式のときあれほど叔父に言い返したのに、あの覇気はどこにいってしまったのだろうと思った。
「はあ、急なことで、頭の切り替えができませんが、その内に、そう呼ばせてもらいます」
 と恒久は言いながら、こんな従順な言葉が出る自分が腹立たしかった。これではまるで首に輪をかけられた犬と変わらないではないかと思った。酒が急にまずくなった。
「おお、そうか。じゃ、気長に待っとるわ」
重雄は笑って鍋を突っついて豆腐とネギを小鉢に移した。それから手酌で酒を盃に注ぎ、ぐいぐい飲みながら子どもの頃の思い出話を始めた。
「そうそう、小学校のときやった。兄貴と相撲を取っとって、わしの右腕が外れてしもうてな、泣いてまったんや。わしは相撲取りたくない、取りたくない、ちゅうとるのに兄貴は相撲が大好きでな、無理やり取らされて腕が、ぶーら、ぶら、になってまったんや」
と言って椅子から腰を浮かせ、右腕を左右に大げさに揺らした。
「ほんで、親父に自転車に乗せてもらって、左手でこうやって右腕を支えて」
と、左手で右腕の肘を抱えて痛そうに顔をしかめ、
「ほねつぎ道場へ行ったんや。ほんなら、先生が、腕をぐっとやったら、ぐっと治ってまったんや。ぐっとな」
と言って笑った。
重雄は酒の勢いもあり、すこぶる上機嫌でどんどん舌が回った。
「夏休みのことや、長良川で溺れそうになってまってな、もうあかん、お陀仏や、土左衛門さんやぁ、と思ってあっぷあっぷしとったら、天の助けだ、兄ちゃんが助けに来てくれたんや。溺れとるときにな、川の水をたーらふく飲んでまったんや。鵜飼の鵜には悪いが、鮎を二、三匹飲み込んでまったかもしれんなぁ」
と言って首を鵜のように長く伸ばし、目をむいて手を羽根のようにバタつかせ、ゲーゲーと声をたてて鵜を喉から出す真似をした。大笑いとなった。
酒を飲むと重雄は暫らくは機嫌がいいが、その内に豹変することを恒久は知っていた。豹変が今か今かと思って叔父の馬鹿話を聞いていた。
重雄の顔がほんのり赤くなって来て額に青筋が浮き上がり、目が尖り据わってきた。
重雄は明美の方を見て急に大きな声を出した。
「明美ちゃん、明美ちゃん!」
恒久は、ドキッとした。
重雄は粘りつくような声で、
「明美、いいこと教えてやろう……。あのな、明美はな、わしの孫や。分かるかぁ、ま、ご、だよ。まーご」
 恒久は遠慮がちに、
「叔父さん、止めてください」と言った。
重雄は取り合わない。
恒久は困ったように、
「明美は何も分からないんですから」
「なにぃ、分からんなんてことが、あるもんかぁ」
重雄は恒久を怒鳴りつけ、明美の方を向いて、
「明美、お前は、わしの孫だわ」
明美が重雄の顔を見て訊いた。
「孫って、どういうこと?」
「お前はわしの孫なんや。実はな、お前のお父さんはな、わしの子なんやよ」
 恒久は、
「叔父さん」
と、語気を強めて言った。
重雄は、盃を飲み干し恒久に眼をすえて、
「なんや、恒久、お前、うるさいぞ。叔父さん、叔父さんって。叔父さんじゃねーだろ。お父さんと言え、お父さんと」
恒久は仕方なく、
「……お父さん、止めてください」
「そうや、そうや、お父さんや。よう言うたな。お前、聞き分けのある子や。明美、分かったやろ。明美のお父さんは、わしの子や。だから明美はわしの孫なんや」
 と言って重雄は愉快そうに笑った。
 明子は冷静な顔をして聞いていたが恒久は気が気でなかった。明子が心配ないと言ったが土壇場になるとうろたえた。自分だけでも苦しんでいるのに明美まで巻き添えを食うことになる。
恒久はもう一度言った。
「もういい加減にして下さいよ」
「何だとぉ。何でこんな大事なこと、いい加減にしなあかんのや。お前、わしを信用してねーのか。ちゃあんと、鑑定が出たんだろう、鑑定が。鑑定は嘘っぱちかぁ。ホントのこと言って、どこが悪いんや。ええん? おめえこそ、いい加減にしたらどうやのや」
 保雄が、
「お父さん、止めてください」
と、か細い声で中に入った。
「何? 保雄、おめえも、恒久の肩持つんかぁ。どいつもこいつも、ええぃ、情けねぇ奴ばっかや」
と声を荒げ、また酒を注いで一気に飲み、空の盃を割れるかと思うぐらい勢いよくテーブルに叩き付けた。重雄の身体がふらついて右手が自分の小鉢をひっくり返し、貝柱や白菜が汁とともにテーブルにこぼれた。
 保雄があわてて孝子の前から布巾を取り、汁を拭った。
重雄は小鉢をひっくり返したことには無頓着で目を細め、猫なで声で、
「明美ちゃん、明美ちゃんはいい子や。今、わしが話しとったことは、ぜーぇんぶ、ほんまのことや。明美が、もっと大きくなったら、分かることやでな。はよ、大きくなれや。大きくなぁれ、大きくなぁれ、一寸法――」
 明美は、キッと重雄をにらみ、かん高い声ではっきり言った。
「わたし、酔っぱらい、大嫌い! お父さん、もう帰ろう」
 と言って椅子から立ちあがった。
恒久は明美の態度を立派だと思った。俺にはできないことだ。内心帰りたいと思ったが、
「明美、失礼なこと言うもんじゃない」
と叱ると、明子が、
「あなた、帰りましょ」
と静かに言って椅子を引き、すっと立って、右手で恒久の背中を軽く叩いた。恒久は中腰になって立ち上がりかけた。
重雄も、ふらふらっと腰を浮かせ、
「おっとっとっと、まだ、まだ。まーだだよ……まだ帰るの、早いよ」
と言って恒久の方に手を伸ばした。次の瞬間、そのまま恒久の足もとに崩れるように倒れた。倒れるとき額をテーブルの角にぶつけ、額から血が滲んできた。
恒久は血を見て、
「明子、ティッシュ、ティッシュ。叔父さん、額から血が……」
明子はハンドバックからティッシュの束をつかみ、恒久に渡した。恒久は重雄の額に束をあてがった。孝子が消毒液と絆創膏を持ってきた。
保雄は申し訳なさそうに、
「すいません、すいません」
と何度も頭を下げて謝った。

二十分後、恒久は明子の運転する車の後部座席に明美と並んで座っていた。三人とも無言だった。聞こえるのはエンジンの音だけだ。ヘッドライトがどこまでも真っすぐ伸びている夜道を遠くまで照らしていた。恒久は窓から闇に流れ去っていく黒々とした田圃を見ながら動かしがたい運命を呪っていた。
――どうして俺はあんな叔父の子なんだ……。

          八

翌日、恒久は大学で講義をしながら、いつものように右手でチョークを持ち、左手をズボンのポケットに突っ込んでいた。これが恒久の講義のスタイルだ。講義が始まって三分もたたないうちにポケットの中のティッシュに気がついた。
――これは?
そうだ、きのう、叔父さんの血を止めたときのだ。あのとき、ティッシュをごみ箱に捨てようとしたが、ごみ箱が見当たらず、ポケットに突っ込んだままになっていたのだ……。
そう考えながら、講義を続けていくうちに、ハッと気がついた。大発見だ。
――叔父のDNAサンプルだ……。
 その日の講義は、次のように締めくくった。
「諸君、ここで若い諸君に、アドバイスをしておこう。人生、何がきっかけで、道が開けるやも知れない。果敢に何事にもぶつかり、間口を広く開けておきたまえ。特に電子工学では、こんな無駄なこと、こんな馬鹿らしいことと思うことが、後から、とんでもなく役に立つことがある。多くの科学上の発見は無駄や失敗から発見されている。私もつい先日大発見をしたばかりだ」

          九

翌日、恒久は日本DNAソリューションにサンプル返送用封筒を依頼した。三日後、封筒が送られてきて、叔父の血のついたティッシュと自分の毛根と爪を送った。鑑定料金は六万六千円と馬鹿にならなかったが、それだけの価値はあると思った。
明子は、
「まだ考えているの、お父さんの子でないんなら、叔父さんの子に決まってるじゃないの。お金の無駄使いよ、また鑑定するなんて……」
と反対したが、恒久はどうしても鑑定したいと説いて再び鑑定を依頼したのだった。
勿論、恒久は分かっていた。定則の子でない確率が、0.002以下なら、重雄の子に決まっている。しかし、理系人間の業か、百パーセント重雄の子であると言う数値が欲しかった。
三週間後、十二月二十三日、鑑定報告書が送られてきた。定則との父子関係結果の封筒を開けるような胸の高鳴りはなかった。
恒久はロボットのようカッターで封筒を開け、ロボットのように結果を読み始めた。淡々とお決まりの文章を読んで結論の行に目が移った。どうせ叔父との生物学的父子関係は百パーセントであると書いてあるのだろうと予想していた。
報告書の結論が次のように書いてあった。
―――――――――――――
以上の検査を総合判断すると、父親と思われる者(サンプルA=根本重雄)と、子どもと思われる者(サンプルB=根本恒久) が生物学的父子関係である確率は0.00である。
―――――――――――――
目を疑った。何度読んでも「父子関係である確率は0.00である」と書いてある。間違いではないのか。
恒久はもう一度最初から読み直した。心臓が押しつぶされそうで気ばかり焦った。丁寧に一字一句を読もうと思っても文字が踊ってしまう。
結論の数行上のところに次のように書いてあった。
「六種類の検査をしたところ、六種類ともサンプルAとサンプルBは合致しなかった」
さらによく読むと、精密かつ厳密なる結果を得るために、六種類の検査は一種類につき二回ずつ行われるとある。
六種類の合致検査を各々二回ずつ行って出た結果であるから、総合判断は間違いがないと言うことだ。従って、叔父は俺の父親ではないのだ。
――一体これはどういうことだ。親父も叔父も俺の父親ではないのか。俺は本当に根なし草だ。父親は一体誰なんだ……。
恒久は期待はずれで全身の力が抜けていくようだった。
暫らくして憤りを感じてきた。親父でもなく叔父でもない誰かが俺の父親ということになる。どこでどう間違ったのか。人工授精の時に医師が第三者の精液と取り違えたのだろうか。医師がそんな間違いをするのだろうか。いや、医師だって人間だ。間違いをすることはありうると思った。
明子は結果に驚いたようだが、
「あなた、もうこうなった以上、父親が誰でもいいじゃないの。あの酒癖の悪い叔父さんの子でなくて返って良かったじゃない」
「それはそうだ。あんな叔父の血が俺の身体に流れていなくてせいせいしたよ。でも、一体俺の父親は――」
「まだ言ってんの。何故そんなに父親にこだわるの? いい加減、父親探しは止めたら?」
と、明子はあきれた様に言った。
明子にどう言われようとも、恒久は父親が誰なのかどうしても知りたいと思った。自分がどこの馬の骨とも分からないなどという中途半端なことは耐えられなかった。親父も叔父も父親ではないと鑑定された今、それ以上探しようがないことは分かっていた。しかし、何か方法があるはずだ、どうしても父親が誰か知りたいと思った。自分でも何故こんなにこだわるのか分からなかった。

       十ああああ

翌年、五月二十三日、定則の一周忌法要が執り行われた。恒久は読経が終わってから叔父に鑑定結果のことを話そうと思っていた。叔父に会うのは家族で養老に行って以来だった。
午前九時半過ぎに叔父がやって来た。叔父は仏壇の前に座り手を合わせてお参りをしてから、恒久の方に向き直り香典袋を両手で差しだした。恒久が頭を下げて受け取ると叔父はバツの悪そうな顔をして、
「この前は、とんだ迷惑をかけてまって、すまんことやったな。保雄に聞いたんやが、ひどいこと言ったそうで面目ないわ」
「何を言ったか覚えてないんですか」
「うん、その、明美に話しかけた辺りまでは覚えとるんやが……」
「それ以後のこと覚えてないんですか」
「なんか、怒鳴っとたような気がするんやが。すまなんだな……。酒癖が悪いの、治そう治そうと思うとるんやけどな」
 重雄は酒屋の次男に生まれた。酒屋のあとを継いだ長男の定則は、酒はたしなむ程度に飲んだが、重雄は子供の頃から親に隠れて飲んでいた。
重雄が子供の頃、父親が酒樽を指の関節でコンコンと叩いて栓を回すときに鳴るキキーという音が気に入ってしまった。
父親がいないとき重雄は内緒でキキーと回して遊んでいた。そのときちょろちょろと出てしまう酒を、左手に持った一合升に受けて飲んでいる内に酒の味を覚えたのだ。
重雄が中学二年のとき店番をしていて、満タンの酒樽の栓を回しているときに、栓が急に抜けて土間に落ちてしまい酒が勢いよくほとばしり出た。
重雄はあわてて酒樽の穴を右手でおさえ、その上に左手をあてがって、ほとばしり出そうな酒を一生懸命押さえた。栓を拾うこともできないし、その場を動くこともできない。
「お母さん、お母さん!」
と大声で叫んだ。
そこへ父親が配達から帰って来て、こっぴどく叱られたことがあった。
また、現役の教員のとき、退職する先生の送別会で酒を浴びるほど飲み、同僚の先生が重雄をタクシーに乗せて家まで送ってくれたことがあった。
重雄はタクシーの中で、
「校長はー、俺をー、馬鹿にしとるー」
と大声でわめき、騒ぎ、暴れた。タクシーの運転手は車を止めて、
「お客さん、静かにしてもらえませんか。運転できないすよ」と注意した。同僚の先生が平謝りに謝って何とか家まで重雄を送り届けたのだが、翌日、重雄はタクシーに乗ったことさえ覚えていなかった。
 恒久は叔父を諭すように、
「叔父さん、酒飲むのはいいけどほどほどにしておかなくっちゃ。身体に悪いですよ」
「いや、ほんま、面目ない。いつも、いつも、反省しとるんや。自分ながら情けねーと思っとるんや。今日は、そのことを謝りに来たんや。すまん事やった。ほんとすまんと思うとる」
 と、両手を合わせて拝むように、恒久に謝った。重雄は恒久にとっては、ただ一人の叔父であった。初枝には兄が二人いたが、一人は中国で、もう一人はニューギニアで戦死していた。恒久は白髪頭を何度も深く下げている叔父が小さく見え哀れに思えて来た。
「そんなに、謝ってもらわなくてもいいけど、本当に金輪際にして下さいよ、わたしのお父さんなんですから」
「……お父さんと呼んでくれるか……。すまん、こんな親父で……」
 と、重則は恐縮するように言った。
恒久は「わたしのお父さんなんですから」という言葉が、しゃあしゃあと出てくる自分にあきれた。鑑定結果を言おうと思っていたのに全く逆のことを言っている。しかし、たまには年老いた叔父を「お父さん」と呼んでも良いような気がした。

     十二

一周忌の法事から一ヶ月半後の七月十一日、恒久は、アメリカのある医師が自らの精液を使用し数十人の女性に人工授精を施して検挙されたという新聞記事を読んで驚愕した。
まさか、まさかそんな事はないと否定したが、日が経つにつれて恒久の人口授精を行った医師が精液を間違えたか、医師自らのを使ったのではないかと思うようになった。
恒久は自分の人口授精を行った産婦人科医院に行けば何らかの手掛かりがつかめるかも知れないと思った。
しかし、恒久はその年、四十歳になっており、四十年も前の医院がまだ開業しているかどうか、また、開業していても当時の医師が生きているかどうか分からなかった。
七月十六日、恒久は駄目でもともとと思い医院を訪ねることにした。医院は名古屋駅から徒歩十五分ぐらいのところにある北川産婦人科医院だった。
恒久が子供の頃住んでいた家はこの医院の近くにあった。よく母親に連れられて医院の前を通る毎に、母親が「お前が生まれたのはこの病院だよ」と言っていた。 

夏の太陽が照りつけるなか、ハンカチで汗をぬぐいながら記憶を頼りに歩いていくと、子供時代の街並みが見えてきた。しかし、風景がすっかり変わっており、父親に連れられてよく行った銭湯がなくなっていた。風呂あがりに夜空を見上げると、高い煙突から火の粉が赤く飛び散っていたことを思い出した。その煙突も跡形もなく消えており、代わりに五階建てのビルが建っていた。
小学生の時に友達の徹也と毎日のように遊んだ長勝寺が見えてきて、境内にある石燈籠で大けがをしたことを思い出した。
あの時、恒久は自分の背丈より高い石燈籠の周りで徹也とかくれんぼをして遊んでいた。
恒久が燈籠の基礎に登ろうとして中台に手をかけ足で地面を蹴ったところ、燈籠もろとも横倒しになり左腕が笠石の下敷きになってしまった。腕を抜くこともできず、倒れたまま顔と腕から血を流し、うんうん唸っている恒久を見て徹也が笠石をどけようとしたが動かせなかった。
「恒(つね)ちゃん、待つてて、おじさん呼んでくるから」
と言って駆け出して行き、定則を連れて戻ってきた。定則は酒屋の屋号が白く染め抜かれた前垂れをはためかせて走って来た。すぐに笠石をどけ、恒久をおんぶして病院に駆け込んだ。腕は打撲だけで骨は折れていなかった。 
恒久はおんぶされながら定則の背中で何度も上下に揺れたことを思い出した。 
寺の正面まで行って門柱から中を覗いたが、石燈籠のあったところは駐車場に変わっていた。
暫らく歩くと、「北川医院」という看板が三階建てのビルの屋上に見えてきた。昔は確か木造の平屋だったが……。立派になったものだと思いながら、まだ医院があることに一安心した。
医院に着き中に入って驚いた。多くのお年寄りが診察を待っていた。以前は「北川産婦人科医院」であったが、現在は内科の病院に変わっていた。
恒久は受付で事情を話した。
「あの、私、四十年前、こちらの病院で生まれた根本というものですが、その当時の院長先生はまだご健在でしょうか」
とっぴな質問に受付の中年女性はいぶかしげに、
「えっ、四十年前ですか……。そうすると、先代の先生ですね。今は隠居されてますが、どういう御用件でしょうか」
恒久は、まだ先生がご健在とは運がいいと思いながら、
「変な話で、申しわけないんですが、私の出生についてちょっとお聞きしたいことがあるんです。先生にお会いすることはできませんでしょうか」
「出生って、あの、四十年前のですか」
「はあ、是非お伺いしたいことがありまして、何とか先生にお会いできませんか」
女性は、困ったような顔をして、
「一度先生に聞いてみますが。暫らくお待ちください。お名前は確か――」
「根本です」
恒久は診察の前に並べられている長椅子に座った。患者は十五人ぐらいいたが、ほとんどが年配者だった。隣の二人の老婦人が大きな声で腰痛の話をしていた。
暫らくして名前が呼ばれた。
「先生が会って下さるそうです。こちらへどうぞ」
根本は廊下を通って応接室に案内された。中に入ると真っ白な壁に金色の額で縁取られた赤富士の額が飾ってあった。クーラーがよく効いている。
ノックがして白髪の老人が現れた。街で見かけるごく普通の老人だ。しかし、血色のいい丸顔で、口髭を生やし姿勢が良くかくしゃくとしている。
恒久は立ちあがって礼をし、老医師が座ってから自分も座り、さっそくこれまでの経緯を話した。
問題が核心に近づいた時、やや緊張気味に、
「そこで先生、人工授精の場合、何らかの間違いで他人の精子が使われる場合がありますか」
と言いながら、恒久は北川医師の顔色をうかがった。不愉快な顔をされるのではと思ったが穏やかに、
「それは間違いではなく、始めから第三者の精子を使う場合ですよ。人工授精でも精子の数が少ないとか、運動率が悪い場合は、うまく授精しないんですね。そんな場合、非配偶者間人工授精と言って、不妊夫婦の同意を得たうえで第三者の精子を使うことがありますが」
「第三者の精子と言いますと……」
「主に、医学部のインターン生が提供する精子です」
恒久は北川医師の話を聞きながら、あなたが間違えてインターンの精子か自分のを使ったのではないかと失礼にならないようにどのように聞いたらいいか考えていた。
北川は一通り話を終えると恒久に真正面に向き直り、
「それで、根本さんでしたね。恐らくあなたは、わたしが精子をとり間違えたのではないかとお疑いなんでしょう」
 恒久は図星に驚いて、
「はあ……。実は、そうなんです」
「そうならそうと、始めからはっきりおっしゃればいいものを」
「それはそうですが、言いづらくて……」
「そりゃそうでしょうな。でも、精子を取り違えるなんてことはありません。最近では、忙しい病院ですと取り違えて裁判沙汰になることも稀にあるようですがね。しかし、根本さん、あなたの場合は四十年も前のことでしょう。日本で人口授精が始まったのはあなたが生まれる五年ぐらい前ですよ。だから、当時は人口授精を希望する人はごく少なくて精子を取り違えようがないじゃないですか」
「はあ……。でも、あの、素人考えで恐縮ですが、万が一、万が一受精する時に注入器を落として割ってしまったとかいう場合はどうなりますか。インターンの精液を使うのですか」
北川はあきれた顔をして、
「そんな馬鹿なことはしませんよ。ご夫婦の同意を得てないのにそんなことできる訳がないでしょう。それに、注入量は一CCと少量ですから、シリンジをうっかり割ってしまったとしても、別のシリンジで精液を吸いなおすだけです。勿論、精液がなくなれば、次の排卵日まで待ってもらえばいいのですから」
 恒久はここまで言われれば、もう北川医院で精子が入れ替わったのではないと思わざるを得なかった。
しかし、現に自分のDNAが父親と叔父のDNAと合致していないのだから、この病院で何かがあったとしか考えられない。アメリカの医師の例もある。
恒久は失礼になると分かっていたが覚悟を決めて、
「分かりました。でも……誠に言いにくいのですが、あの、この前、新聞で読んだのですが、アメリカの医師が、自分の……」
言葉が詰まってしまった。北川は助け船を出すように、
「ああ、わたしも読みましたよ。あの医者は自分のDNAを残しておきたいという異常な願望があったんでしょうなぁ。で、あなた、わたしを疑ってるんでしょう。その気持ち分からないこともないですが。なんなら、わたしのDNAサンプルをあげますから鑑定をして下さって結構ですよ。それであなたの気がすむんでしたら」   
と言って立ちあがりかけ、
「これはわたしの意見ですが、おそらくDNA鑑定会社が、あなたが送ったサンプルを取り間違えたのだと思いますがね」
 恒久はどう返事をしていいか困った。
 北川は「待ってて下さい」と言って応接室を出て行った。
恒久は北川の寛大な心に感心した。自分の精子を使ったのではないかと疑いをかけられたら、当然、憤慨するところを、わざわざサンプルをあげましょうと言ってくれた。人間がよくできている。年の甲だと思った。
暫らくして北川は手に綿棒を三本持って戻ってきた。恒久に綿棒を見せて、  
「DNA鑑定は、唾液がサンプルとしては適しているんですよ」
と言って口の中を綿棒でかき回し、ビニール袋に入れて恒久に渡した。恒久は恐縮して受け取り、礼を言って北川病院を出た。
外に出ると、空がいつの間にか真っ暗に曇り、ひと雨来そうだった。
帰り道、恒久は北川と話したことを反芻していた。
――そうか、全くだ。先生が言っていた通りだ。落としてしまったら、もう一度精液を持って来てもらえばそれで済むことだ。何もわざわざ自分やインターン生の精液を使うことはないのだ……。
 家に帰って明子に北川医院であったことを話した。明子は全然取りあわず、
「だから言ったでしょ。綿棒なんかもらってきて。北川先生が父親じゃないと言う証拠じゃない。骨折り損のくたびれ儲けって、あなたのことね」
「そうだなぁ。諦めるしかないのか」
と言って、ため息をつき、
「でもなぁ、父親が誰か気になるよ……」
「そりゃ、気になることは分かるけど、仕方ないんじゃない……。やることは全部やったんだし。もう、調べようがないんだから、誰だっていいじゃないの。あなたは、あなたなんだから」
 恒久はそれはそうかもしれない、俺は俺なんだからと思った。しかし同時に、こんな馬鹿なことがあるのだろうか。一体、誰が俺の父親なんだ。どこでどう間違ったのだというどうしようもない怒りもあった。生まれた時から父親が分からないのならそれなりに諦めもつくだろう。しかし、三十九歳まで父親と思っていた人が父親ではなく、父親だと名乗った人も父親ではなかった。第三者の精子が間違って使われた可能性もゼロだ。
――やはり、明子の言うように父親を探すのは、これで止めにするのが賢明かもしれない。北川先生の綿棒を鑑定にかけるのは全く無駄だろう……。
しかし、せっかく綿棒をもらってきた。万が一ということもある。老医師のことだ、四十年も昔ことを忘れてしまっていることもありうる……。
この前、俺の講義で「こんな馬鹿らしいこと、と思うことが、後からとんでもなく役に立つことがある」と、学生に語ったことがあった……。
綿棒を鑑定にかけるのは、それこそ馬鹿らしいことだ。しかし、そこから何か出てくるかもしれない。たとえ出てこなくても自分のこの手で結果を実感として、数値として確認したい……。鑑定をするか、しないか迷っているのは鑑定代が高いからだ。それだけのことだ。鑑定をして誰が損をすると言うのか。カネは何とかなる。綿棒を捨てたら終りだ。親父も叔父も父親でないなら、残るは北川病院しかないではないか……。
恒久は鑑定をすることにした。
翌日、明子に言った。
「最後の鑑定だ。どうしても北川先生の鑑定をしたい」
明子は、恒久がDNA鑑定の権化に取りつかれていると思うようになっていた。「何もそこまでする必要はないじゃないの」と言おうとしたが、恒久の性格を考えれば、反対しても無駄だと分かっており「仕方がないわねぇ」と言ってしぶしぶ同意した。
早速、恒久は北川との父子鑑定を日本DNAソリューションに依頼した。
恒久の心の奥底には、定則も重雄も自分の父親ではないと分かった以上、北川の血が自分の身体に流れているかもしれないと言うほのかな期待があった。これで身元が明確になるかも知れないという思いがあった。
三週間後、八月三日、鑑定結果が送られてきた。
―――――――――――――――
以上の検査を総合判断すると、父親と思われる者(サンプルA=北川秀夫)と子どもと思われる者(サンプルB=根本恒久) が生物学的父子関係である確率は0.00である
――――――――――――――――
予想通りとはいえ、恒久は最後の望みの糸がぷっつり切れたような気になり、茫然とした。
――やはり北川先生が言っていた通りだ。自分の精子を使うわけがないのだ。馬鹿なことに金と時間を使ってしまった……。
でも、やるべきことは全部やった。俺は、この二年間なぜ執拗に父親を探し求めたのだろう。分からない。父親が誰かということが人間にとってそんなに大事なことなのだろうか……。父親とは何なのだ……。DNAとは一体何なのだ……。
恒久は紙切れ一枚に振り回されてきた自分が哀れに思えて来た。しかし、すべきことは全部した今、これで良いのだ、これ以上どうしようもないと自分を納得させるしかなかった。

       十三
 
それから三年後、一九九六年二月、明美は十三歳の誕生日を迎えた。
夕食後、家族三人でバースデーケーキを食べているとき明美が恒久に聞いた。
「お父さん、変なこと訊くようだけどね、わたしが確か小学校三年生のころ、家族で養老のおじさんの家に行ったことがあったわね」
恒久はティーカップの隅を唇につけたまま明子の顔を見た。明子の目と合った。とうとう明美は何か感づいたのかと思った。
「あの時、おじさんが言ってたこと、ずっと気になってたんだけど、あれってホントのことなの? わたしが孫だって言うこと。酔っぱらって言ったとは思えないんだけど」
「………」
 恒久は答に窮した。いつかは話さなければならない時が来るとは思ってはいたのだが、こう面と向かって聞かれると狼狽した。
「黙ってるとこみると、ホントなのね」
 明子が、
「あなた、話したら?」と言った。
恒久は、自分が人口授精で生まれたことや、三回行った父子鑑定の経緯を話した。
明美は話を聞き終えると、
「そうだったの……。道理でおじさん、あんなこと言ったのね。分かったわ。でも、お父さんって、意外としつこいのね、北川先生の鑑定までするんだから」
「しつこいのがお父さんの取り柄だよ」
「そうね、研究論文はしつこくなければ書けないもんね……。でも、良かったわ」
「良かったって?」
「わたしが、根なし草でなく、お父さんの子だっていうことよ」
「でも、お前は、おじいさんと血がつながってないんだよ」
「そんなこと、別にかまわないわ。余計なおせっかいよ。どうしてお父さんは、そんなことにこだわるの? 血がつながっていようが、いまいが、わたしのおじいさんは、定則おじいさんなんだから……。お父さん、もう誰の子か分からないんだから、諦めた方がいいわよ、ねぇ、母さん」
 と、明子の同意を求めた。明子は、
「お父さんて、そう簡単に諦める人じゃないのよ」
「えっ、じゃあ、まだ考えてるの、お父さん」
 恒久は、明美に小馬鹿にされたようで、ムッとした。
「そりゃ考えてるさ、父親が誰かということは、おじいさんが誰かということより深刻だからな」
 とは言ったものの、父親を探すすべは全くなかった。

さらに六年後、二〇〇二年六月、重雄が肝硬変で他界した。八十一歳だった。
逝く一か月前、恒久は養老病院に見舞いに行っていた。
病室のドアを開けると個室部屋になっており保雄がベッドの脇に座っていた。恒久は軽く頭を下げて保雄に挨拶をした。保雄は立ちあがりかけたが恒久が手で制した。
重雄は眠っていた。顔が黄色っぽく、むくんでいる。点滴の管がスタンドから二本垂れ下がっていた。
「お父さん、どんな具合だ?」
「うん、いよいよや……。最近な、親父の言うことが、時々つじつまが合わへんのや……」
「つじつまが合わへんて、どういうこと?」
「実は、親父は、恒久、恒久とわたしに言うことがあるんや。わたしのことを兄さんと間違えとるんやよ」
「………」
「肝硬変からくる認知症らしいんや」
 保雄の話声を聞いてか、重雄が目を開けた。白目が黄色い。
 恒久は重雄の顔を覗き込むようにして、「おとうさん、恒久だよ。分かる?」
「おう、おう、恒久か……。お前、どこへ行っとったんや」
と、かすれ声で言って辺りを見回し、
「おい、君江。君江はおるか。恒久にお茶を出してやれ」
君江は昨年亡くなっていた。
恒久はあわてて、
「あっ、構わんで下さい。すぐ帰りますので」
「帰るって、ここがお前の家やないか」
「はぁ……、あの、用事が終わったら、すぐ帰って来ますので……」
「そうか……すぐに戻ってこいよ。わしゃ、お前と差しで酒を飲みたいんやから……」
と言いながら、重雄はうつろな目で天井をぼんやり眺め、再び恒久の顔を見て寝ぼけるような声で、
「おお、お前、恒久、恒久やないか……実はな、わしはな……お前の親父なんだよ……」
と言いながら重雄は目を閉じて、いびきをかきだした。
 恒久は叔父の寝顔を見た。
 叔父とは血がつながっていないが、親父の後を追うように叔父もまた逝ってしまうのかと思うと、情けないと同時に懐かしさがこみあげて来た。
子供の頃から今の「君江、お茶を出してやれ」という言葉まで、叔父は俺のことを本当に息子と思っていてくれたのだ。せめてもの叔父孝行に嘘の息子を演じてきて正解だったと思った。
 
重雄の葬儀が終わって、親族が帰った後、恒久は重雄との父子鑑定結果を初めて保雄に明かした。
保雄は報告書を読んで不意打ちを食らったように驚いたが気を取り直して、
「そうやったんか。親子やなかったんか……。でも、よく黙っとってくれた。お陰さんで、親父、ショックを受けずにあの世に行けたわ」
「叔父さんには小さいときから可愛がってもらってたからな。せめてものお返しだよ」
 保雄は戸惑ったように、
「そうすると……。兄さんとわたしは……血がつながっとらへんのやなぁ」
 恒久は、保雄の寂しそうな顔を見て答えた。
「そういうことになるなぁ。でも、血がつながってなくても、お前は俺の弟だと思ってるよ」
「………」
 保雄はどう返事をしていいか分からなかった。
保雄は四十六歳になっていた。十三歳の頃から今日まで三十三年間もの間、恒久を実の兄と思って生きて来た。その兄が突然、赤の他人となってしまったのだ。
 恒久は保雄がショックを受けることは十分承知していた。報告書を見せるのは酷かもしれないと思っていた。しかし、これ以上兄弟の関係を続けるわけにはいかなかった。
――俺は保雄に「兄さん」と呼ばれるのは意にそぐわない。「兄さん」をこれからも演じ続けることはできない。保雄と年老いた叔父とは違うのだ……。

その後、歳月が流れるに従って、恒久は「父親は誰か」と言う問題に悩まされることは少なくなっていった。しかし、明子の言う通り、諦めきれずに心の奥底にはこの疑問が依然として澱のように残っていた。
恒久は、出来る限りのことはし尽くした今、こうなった自分の運命を受け入れるしか仕方がなかった。

さらに七年が経過した。

十四

二〇〇九年、六月五日。
恒久は五十六歳になっていた。出勤前に朝刊を読んでいて「DNA再鑑定。菅家さん無罪に」という見出しが目に飛び込んできた。
足利事件で、菅家利和さんのDNAと被害者の下着についていた精液のDNAの型が一致したという理由で、菅家さんは無期懲役の判決を受けていた。しかし、DNA再鑑定の結果、DNAの型が一致しなかった、と言う記事であった。
さらに詳しく読んでいくと、次のようなことが書いてあった。
一九九〇年当時はDNA鑑定機材が黎明期で、出現確率は千人に1.2人もあった。すなわち、被害者の衣服についていた精子と同じDNAの型を持っている人は千人中1.2人で、当時の足利市の人口から計算すると同型保持者は九百人にもなる。
その後、鑑定機材の著しい進歩により最新のDNA鑑定では出現確率は四兆七千億人に一人になった。
そこまで読んで恒久はハッと気がついた。菅家さんの場合、一九九〇年に同型と鑑定されたが、十九年後の二〇〇九年には同型ではないと鑑定された。では、その逆もありうるかも知れない。一九九二年の鑑定結果も当てにならないかも知れないと恒久は思った。 
明子に再鑑定のことを話すと、明子も「菅谷さん無罪」の記事を読んでいて、恒久が「もう一度鑑定をしたい」と言ってくると予想していた。
最初に鑑定を恒久に勧めたのは明子だったが、明子は今では恒久がDNA鑑定を信奉しDNA鑑定で事を決めようとする恒久の態度を疑問に思っていた。しかし一旦言い出したら後に引かない恒久のしぶとさも分かっていた。
明子の同意を得ると、恒久は定則の爪と自分の唾液を別の鑑定会社「ジェネティカ・ジャパン」に送った。インターネットで調べたところ最新式機材を使用し結果も二週間で通知されるとあったからだ。
二週間が待ち遠しかった。
――逆転はあるのか、ないのか……。
恒久は鑑定結果が待ちきれず、インターネットでDNA鑑定に関するサイトを片っ端から検索した。鑑定会社の懇切丁寧な宣伝サイトや遺伝子関係の学術論文や研究報告サイトがあり、内容を理解するのには遺伝子学に関する高度な知識が必要だと痛感した。遺伝子科学研究所の論文を、分からない部分は飛ばしながら読んでいくと、一旦父子関係がないと判定された場合、逆転はないと書いてあった。
――本当にないのだろうか……。
 恒久は遺伝子学の専門家に尋ねるのが一番と思い、名古屋大学の同僚のつてで、遺伝子工学を研究している宮下教授を紹介してもらった。恒久は教授に電話をかけ、遺伝子に関する質問があり是非お会いたいと伝えた。教授は快諾してくれた。
六月十七日、恒久は宮下教授の研究室を訪ね、逆転のことを尋ねた。宮下は、
「それは、Y染色体短鎖DNAハプロタイプ型が関連すると思われますが。少し待ってください。今調べますので」
 と言って立ち上がり、研究室の本棚にぎっしり並んでいる遺伝子関係の専門書をなぞっていって、『DNA鑑定 その能力と限界』という本を引き抜いた。索引から目当てのページを探し、そのページを三分ほど読み、本を裏返して机の上に置き、さらに本棚から『続・犯罪と科学捜査―DNA鑑定の歩みー』を取り出して暫らく読み、おもむろに恒久の顔を見て、
「現在は昔と違って、新短鎖DNA型法で鑑定していますから、父子関係確率が0.002あったのなら、逆転はあり得ますね」
 と答えた。
――逆転はありうるのか……。
 一週間後、六月二十三日、鑑定報告書が送られてきた。恒久は封を切るのももどかしく、指で乱雑に封筒を破り、報告書を引っぱりだして最後のページを読んだ。
―――――――――――――
「根本定則様と根本恒久様が生物学的父子関係である確率は、99.999パーセント以上です」
―――――――――――――
恒久は「99.999パーセント以上です」という箇所を、二度、三度と読みなおした。全身から緊張のタガが外れ、報告書を持っている手から力が抜けた。思わず、
「お父さん……」
と、小さな声で言った。
十七年前、親父の臨終のときの光景がよみがえってきた。あの時も俺は小さな声で「お父さん」と言った。それに応えて親父は目配せしながら何か言ったが酸素マスクではっきり聞こえなかった。しかし、考えて見れば当然ながら「重雄の言うこと信ずるな」と言ったのだ。
恒久は叔父の言葉に迷ってしまった自分が腹立たしかった。始めから親父が父親だったのだ。遺伝子で親子関係を決めようとしていた自分の浅はかさが分かった。真の親子関係は遺伝子では決まらないのだ。この十七年間、DNA鑑定という得体の知れない物に振り回されていた自分が情けなくなった。 
ふと、菅家さんの事を思った。菅家さんの場合は十九年間だ。旧式なDNA鑑定技術により無期懲役と判決されたのだ。言わば、彼はDNA鑑定の被害者だ。俺の場合は菅家さんの場合と内容的には比べられないかもしれないが、俺も、言ってみれば、DNA鑑定の被害者だ。保雄も間接的ではあるが被害者だ。他にも四人目、五人目の被害者がいるかもしれない。
保雄の笑顔が見えてきた。
明美の声も聞こえてきた。
「血がつながっていようといまいと、わたしのおじいさんは定則おじいさんよ」

   

                 完

(四百字詰め原稿用紙換算九十五枚枚)

 地下鉄で溺れて

 二〇一一年、九月十三日。台風十三号が九州方面に接近し停滞前線が刺激され、東海地方に大雨注意報が出ていた。
水島進一は折り畳み式傘を鞄に入れて家を出た。空はどんより曇っていたが、朝から暑かった。十分後、新瑞小橋を渡るとき、いつものように橋の中ほどで立ち止まり、欄干から橋の下を流れている山崎川を覗いた。鯉や亀がのんびり泳いでいる。水島は一息つき、急いで地下鉄新瑞橋駅に向かった。三十八年間勤めた教員生活も今年度で最後だった。
 その日、水島は体調を崩していた。夏風邪が抜けきらず、身体がだるかった。それでも午前三クラス、午後一クラスの授業をどうにか終えることができた。授業を終えると、疲れがどっと出て、五時前に早々と学校を出た。
 地下鉄星ケ丘駅から本山駅までは座ることができたが、本山駅で名城線に乗り換えたところ、座席が全部ふさがっており、出入口付近に数名の乗客が立っていた。水島は奥に入り、革鞄を床の上に置いて両足で挟んで立った。鞄には夏休み明けの実力考査の答案が二百枚入っている。鞄を荷棚に置き忘れたら大変なことになる。
電車は名古屋大学駅に着いた。学生が七八人乗ってきた。電車のドアが閉まり、発車した。「次は、八事日赤、八事日赤」と、アナウンスが流れた。水島は立っていることが精一杯で、誰か席を替わってくれないかと思いながら、辺りを見回した。目の前には三十歳ぐらいの男が本を読んでいる。左隣りは二人の女子高生で、話に夢中だ。右隣には五歳ぐらいの女の子が退屈そうに座っている。女の子の隣りには母親らしい女性が携帯電話をいじっている。
 水島は急に目まいがして、その場にしゃがみこんだ。
 しゃがんで、床を見ると床が濡れている。周りを見た。床一面が濡れている。濡れていると言うより水浸しになっていると言った方が良かった。水島は座っている人の顔を見上げた。誰も水に気がついていない。幻覚かもしれないと思った。その内に水かさが増し、一センチほどになった。水は電車が揺れるたびに左に右に床を流れた。どこから水が入ってくるのかと思ってドアを見た。ドアは閉まっている。連結部を見て驚いた。連結部から泥水が流れ込んでいる。水島はあわてて鞄を持って立ちあがり、思い切って言った。
「みなさん、床が水浸しです」
 声が小さかったのか、誰も気がつかない。水かさが増して二三センチになっている。もう一度言った。
「みなさん、水です。床が水浸しですよ」
 水島の声は電車が走る騒音にかき消されて誰にも聞こえないようだ。水島は焦った。目の前の男の本を取り上げて言った。
「床を見て下さい」
 男は「何すんですか!」とにらんで本を取り返した。
 女の子が言った。
「お母さん、電車に水が入ってきたよ」
 母親は「馬鹿なこと言わないで」と言うだけで携帯から目を離さない。
 女の子が、水が入ってきたよと言ってるんだから幻覚ではないと水島は思った。水かさは五センチほどになり、靴は水びたしで、足踏みをするとバシャバシャ音を立てた。冷たい。確かに水だ。夢ではない。水かさは増し、電車が揺れるに連れて前に後ろに波打つようになった。水島は教室で生徒を叱りつけるぐらいの大声で怒鳴った。
「みんな、何してんだ! 水が見えないんか!」
 やっと乗客は水に気がついた。何人かの人が驚いて座席から立ちあがった。
「水だ! 泥水だ!」
「どうしたんだ!」
「雨だ。大雨注意報が出ていた」
「地上は大雨だ」
「集中豪雨だ!」
「川が決壊したのかも」
「そんな馬鹿な」
 後ろの座席に座っていた男子高校生三人が床に置いてあったスポーツバッグを荷棚に上げた。バッグから水が滴った。携帯をいじっていた母親は女の子を座席の上に立たせた。水は十センチぐらいの深さになった。ドアの隙間からも水が浸み込んできた。電車は減速して八事日赤駅に着いた。ドアが開いた。途端にホームの泥水が車内に入り込んできた。ドアの前に立っていた男が、水に足をすくわれ転倒しそうになった。十人ぐらいの人が、流れ込んでくる水に逆らって、じゃぶじゃぶとホームに降りた。誰も乗ってこなかった。車内は三十人ほどになった。ドアが閉まり、電車は走り出した。水は座席の高さまで来た。子供達はみんな座席の上に立ち、つり革につかまった。つり革につかまることができない子は、親が両手で身体を支えた。車内は泥水のプールだ。電車の細かい振動につれて、水面が震えている。泥水が水島の膝の上まであがって来た。持っている鞄が重くなり、荷棚の上に置いた。鞄を絶対に水につけてはいけないと思った。数人の大人も座席の上に立った。連結部から水がゴボゴボと泥水を噴き上げ、天井の換気孔から水が滴り落ち、乗客の身体が水滴でぐしょ濡れになっている。水島は答案が心配になり、荷棚から鞄を降ろして、鞄のチャックを一杯に閉めなおし、また荷棚の上に置いた。身体が冷えて来た。乗客の騒ぐ声や子供の悲鳴が、ばく進する電車の轟音に混じって響いている。悪臭が車内に立ちこめている。車内アナウンスが流れた。
「お客様に申し上げます。ただいま交通局から入りました連絡によりますと、集中豪雨のため矢田川が決壊し、名古屋市北東部一帯が、床上浸水などの被害にあっているそうです。水は名古屋ドーム矢田駅や砂田橋駅から地下鉄に流れ込み、猛烈な勢いで線路伝いに八事方面に向かっているそうです。もし追いつかれると電車は洪水に飲み込まれてしまいます。従って、この電車はドアを閉じたまま新瑞橋駅まで全速力で突進します。その先は運行しません。お客様は新瑞橋駅で全員降りて下さい。新瑞橋は水の被害が今のところないそうです。お客様にはご迷惑をおかけしますが、ご協力をお願い致します」
 放送が流れている内にも水かさは増し、床から一メートルほどの深さになった。あと、五十センチも増えれば、首まで水が来る。溺れるかも…。二人の男性が泣き叫ぶ幼児を荷棚の上にのせた。母親が幼児を両手で支えながら立った。電車が揺れるたびに大きな波が起き、カーブを曲がるときは、水が一方に片寄り、水面が荷棚まであと五十センチ程になった。紙袋や帽子やペットボトルが泥水に浮いている。車内の電気が消えたりついたりしだした。線路沿いの照明灯がパッ、パッと猛烈な勢いで流れ去りながら、車内を照らしている。水島は電気が消えるかも知れないと思った。窓の外が急に明るくなり、どこかのプラットホームを全速力で通過している。車内の電光掲示板に「総合リハビリセンター」と表示された。水島は窓から流れ去るホームを見た。ホームが二十センチほど水につかっている。八事日赤のホームの水深より十センチ減っている。電車はフルスピードで車内の水を外に流しながら走っている。すぐに車内の水は床から八十センチぐらいになった。突然、電気が消えた。線路沿いの照明灯も消えた。真っ暗になった。
「キャー!」
「怖いよー! お母さん!」
「高雄! 高雄! どこにいるの!」
「佳代、しっかりお母さんの手を握ってるんだよ」
「お前、いるか!」
「あなた!」
 電車の轟音は悲鳴をかき消しながら突進している。真っ暗闇を突進している。また急に明るくなった。瑞穂運動場東駅だ。車内がホームの明かりで照らされた。水島はホームを見た。水深は十センチぐらいだ。すぐ暗くなった。「あと二分だ。あと二分だけ真っ暗闇を我慢すれば新瑞橋駅に着く。もう少しだ」と思った。しかし、電車はなかなか新瑞橋につかない。このまま永遠に暗闇を走り続けるように思えた。水島は荷棚の上に置いた鞄を手探りで捜した。鞄に手が触れ、しっかりつかんだ。先ほどまで聞こえていた悲鳴が沈黙に変わった。「もうすぐ新瑞橋だからね」と母親が言っている。水は膝の高さまで減ってきた。電車のスピードが落ちてくると、暗闇で車内の泥水の流れを感じた。水が一斉に進行方向に流れだした。遠くから新瑞橋のプラットホームの明かりが車内を照らしてきた。次第に明るくなってきた。ほっとした。電車が減速し、プラットホームに滑り込んだ。まぶしい。電車がブレーキをかけた。泥水がペットボトルを浮かせたまま一斉に連結部の方に波打って流れた。電車が止まった。今度は泥水が連結部から逆流してきた。水島は鞄を抱えた。ドアが開いた。車内の水がホームにあふれ出た。水島は人と水に押されてホームに出た。助かった!プラットホームの水は五センチぐらいしかない。早く地上に出ないと矢田川の洪水が新瑞橋まで来てしまう。水島は右手の階段の方に急いだ。たった五センチの深さの水でも足をとられる。鞄をしっかり抱えてじゃぶじゃぶ歩いた。足が思うように動かない。階段から二メートルぐらいのところまで来た。水がちょろちょろ階段を伝って流れ落ちてきている。階段の右側に並列しているエスカレーターは止まっていた。アナウンスが流れた。
「緊急連絡致します。至急地上に避難してください。十五分前、天白川が決壊し、川の水が野並駅や鶴里駅から地下鉄に流れ込んだそうです。―今また連絡が入りました。山崎川も決壊したそうです。あっ、駅に水が流れ込んできました。皆さん! 至急地上に避難してください! 繰り返します、ああっ! 水が、水が…」
アナウンスが切れた。
 水島は焦った。急いで階段までたどり着き、階段を登り始めた。階段を五六段上がったとき、ザザザーと言う激しい水音が頭上から聞こえて来た。上を見た。階段一杯に濁流が狂ったように水飛沫をあげ、滝の如く流れて落ちて来る。瞬く間に水島の足もとに達した。水島は左手で鞄を持ち、右手で手すりにつかまろうとしたが、濁流に足を取られ転倒し、そのまま階段を転げ落ち、ホームに押し流された。ガボガボと泥水を飲んでしまった。激しく咳こんだ。咽が痛い。起き上がろうとしても、階段から猛烈な勢いで流れてくる泥水に足を取られて起き上がれない。目の前の鞄がどんどん奥へ流されていく。水島は濁流に押し流されながら、四つん這いになり、やっと立ち上がった。鞄がホームに設置してあるベンチの端にぶつかり、そこで沈みかけている。水かさはホームから二十センチぐらいの高さになった。水島は泥水に押し流されながら、やっと鞄に追いついた。鞄に手を伸ばした。その瞬間、電気が消えた。真っ暗になった。ホームのあちこちから悲鳴が聞こえ、階段から流れ落ちる滝の音と反響しあった。真っ暗で何も見えない。鞄を見失った。水島は茫然と暗闇の中に立った。泥水がどんどん足にぶつかって来る。仕方がない。答案よりも自分の命の方が大事だと思った。ホームにある三つの階段から泥水が流れ込み、柱に当たった水が渦を巻いている。階段を流れ落ちる濁流の勢いは衰えていない。水島が登ろうとした階段とは反対方向から急に力強い流れが水島を襲った。水深が膝までぐらいだったのが、急に水かさを増し、ホームから一メートルぐらいの深さになった。矢田川の洪水が新瑞橋で、天白川と山崎川の洪水と合流し、どんどん水かさが増していった。一メートル十センチ、二十センチ…。聞こえるのは水が流れる音と、波の音、かすかな人の声。真っ暗闇だ。水島は「間違った方向に歩くとプラットホームから線路に落ちてしまう。落ちると水深は二メートル以上なる」と思った。ゆっくり足でホームをまさぐりながら暗闇を進んだ。どちらに進んでいるのか分からないが、兎に角、一定方向に向かって歩けば、階段にぶつかるはずだと思った。身体が冷えてきた。手足がしびれてきた。暗闇で何かにぶつかった。手で触った。丸い柱だ。そうか、柱があると言うことは、このどちらかが線路だと思った。人の声がだんだん消えていき、聞こえるのは水の音だけになった。「あっ!」水島はホームから足を滑らせ、線路に落ちた。必死で水を蹴った。顔が水面から出た。蹴りながら足先でホームを探した。蹴っても、蹴っても水を蹴るだけで、ホームに足が触れない。このまま蹴り続ける力はないと思った。水島は身体の向きを変えて蹴った。三分ほど必死で水を蹴っているとホームに足がついた。立ちあがった。水は胸のあたりまで来ている。また泥水を飲んでしまった。水島は「そうだ、ホームの端には盲人者用の黄色い誘導プレートがある。伝っていけば、階段までたどり着くはずだ」と思った。真っ暗な中を進んで行くと、また円柱にぶつかった。片手で円柱に触り、その周りを回りながら足を思い切り伸ばしプレートを探した。靴がプレートらしき物に触れた。よし、これを伝っていけば階段に出る。そろそろと暗闇の中を誘導板に沿って歩いた。靴の底では誘導板のでこぼこが足にじかに感じられない。水島は靴を脱いで裸足になった。誘導板を足の裏でつかみながら進んだ。水かさが増えてきていた。猛烈な勢いで三本の川の濁流が流れ込んでいる。こんな暗闇の泥水の中で死ねないと思った。慎重に足でプレートをまさぐりながら進んだ。階段の濁流の音が聞こえなくなった。水かさも胸のところで止まり、それ以上増えなくなった。「地下鉄の入口で洪水が流れ込むのを防いだのだろう。水かさが増えるのが止まれば、あとは階段を探せば何とか助かる」と思った。しかし真っ暗で、階段は見えなかった。天井から落ちる水滴の音が聞こえる。悪臭がする。人の声は全く聞こえない。みんなどこに行ったのだろう。もう歩けない、と思ったとき、プレートが直進方向と左折の二つに分かれているのに気がついた。水島は左に曲がれば階段があると思い、左折して進んだ。暗闇の中で足の指が硬いものにぶつかった。階段だ。辺りがうすぼんやりと見えるようになった。階段の上部からかすかな光が差し込んでいる。水は階段を流れ落ちていなかった。水島は手すりにつかまりながら階段を登った。一段登るごとに明るくなっていった。六段登ったところで身体がやっと水から出た。周りは明るかった。下を見た。泥水がすぐ足もとまで来ている。よく見ると何か丸い黒いものが浮いていた。小さな亀だ。泥水の中では死んでしまうと思って、亀を拾い上げ、ズボンのポケットに入れた。残りの階段をずぶ濡れでゆっくり上った。上の方の階段は乾いていて、先ほどまで濁流が流れ込んでいたとは思えなかった。階段を登り切り、ひと息ついて、改札口にたどり着いた。改札口を出ていく乗客が何人かいた。彼等は自分と同じように真っ暗闇の中を生死の境目で戦い抜いた戦友だと思った。改札口の上にかかっている時計を見た。六時二十分だ。星が丘駅で地下鉄に乗ったのは五時過ぎだったから、一時間以上地下鉄の中で洪水に翻弄されていたのかと思った。自動改札機のところに来た。まさかこんな緊急時でも切符を機械に通すのかと思いながら、尻ポケットを触った。ポケットは濡れていたが、財布が無事に入っていた。財布から敬老パスを抜き取って投入口に入れた。ポーンと鳴って改札機の通路が遮断板でふさがれた。えっ、水に濡れたからパスがおかしくなったのかと思って立っていると、駅員が来た。駅員はパスを改札機の取出口から抜き取って、
「お客さん、これ、テレフォンカードですよ」
 と言った。水島はうろたえた。
「あっ、すいません。敬老パスと間違えました。何しろ、今の地下鉄の洪水で気が
動転していまして」
「洪水って、何のことですか」
「何言ってんですか。天白川が決壊して、地下鉄に水が流れ込んだでしょう」
「天白川が決壊ですって?」
「そう、矢田川も決壊したでしょう。あなた知らないんですか。わたしは地下鉄で溺れそうになったんですよ」
「冗談はよしてください。天白川も矢田川も決壊してませんよ」
「冗談じゃないよ、わたしゃ死にかけたんだよ」
 と言いながら、水島は改札口から人が次から次へと入って来ているのに気がついた。おかしい。地下鉄が洪水なら電車は運休しているはずだ。駅員は水島を小馬鹿にしたようにして言った。
「そうですか。それは大変でしたね。今度は間違えずに敬老パスを入れてくださいよ」
と言って去って行った。いやに「敬老」と言う言葉を強く言ったように聞こえた。
 水島は改札口を出て、六十段ぐらいの長い階段を息を切らしながら登り、バスターミナルに出た。空は曇っていた。景色はいつもと同じで、とても洪水が襲ったような様子ではなかった。狐につままれた様に思いながら新瑞小橋まで歩いた。橋の真ん中で立ち止まり、欄干から山崎川を覗いた。川は濁っていない。いつものように穏やかに流れ、鯉や亀がのんびり泳いでいる。橋の南側に立っている三本の街路灯が周りを明るく照らしている。
水島は「変だ。夢を見たのか。しかし、泥水を飲んだし、それから、鞄をなくしてしまったし。一体どうしたのだろう」と思った。
 ズボンのポケットで何かがうごめいた。手をポケットに突っ込んだ。何かに触った。亀だ。あのとき拾った亀だ、と思ってズボンから亀を引きだした。泥が甲羅についている。
「こうして俺は亀を持ってるんだから、洪水があったと言う何よりの証拠だ」
と思った。水島は首をひっこめている亀を見た。亀が頭を半分出してきた。
「ああ、そうだ。この亀を助けてやらねば」
と思い、欄干から亀を川に放り投げた。亀は小さな水飛沫をあげて川に沈み、それからすぐに足をばたつかせて浮き上がってきた。気持ち良さそうに泳ぎだした。良かった。しかし、地下鉄が洪水になったのか、ならなかったのか、水島は分からなくなった。欄干からもう一度鯉やら亀を見た。川の流れをじっと見ていると橋が後ろへ後ろへ下がって行くように感じた。疲れがどっと出て目まいがしてきた。

 地下鉄の電車の走る音が聞こえてきた。
 車内アナウンスが聞こえる。
「まもなく、八事日赤、八事日赤。お出口は左側です」

                        完

2010年1月12日火曜日

ニューカレドニアの名ガイド (旅行記)


 この夏ニューカレドニアに行ってすばらしいガイドに会った。
 ガイドはフランス人のムッシュ・フランソワ。四十歳ぐらいのやさ男。ユーモアがあって博識多才。日本語が上手で料理がうまい。
 午前八時十九分、フランソワさんはホテルのロビーに私達を迎えに来た。これからリビエルブルー州立公園ツアーに出発だ。
「フランソワ、デス。ドウゾヨロシク。少シ遅レマシタ。スミマセン」と言ってツアーに参加する四人(私と妻、二十代の女性二人)と握手をして、私達はマイクロバスに乗りこむ。途中、二つのホテルで二組のカップルと青年をピックアップ。
フランソワさんは全員がそろうと「アン、ドウ、トロワ、カートル……」とフランス語で数えて、「オールトゥゲザー、テン、インクルーディング、ミイ。全部デ、私モイレテ、十人デス」と英語と日本語で言って、いよいよ出発。ガイドはフランス語、英語、日本語のチャンポンでなされた。
 目的地まで約四時間のドライブだ。フランソワさんは、首都ヌメア市の博物館、教会、図書館などを説明しながら、子供時代の話をした。ココティエ広場公園を通過するとき、「私ガ子供ノ時、コノ辺リハ、海岸デシタ。泳ギマシタ。デモ、今ハ埋メ立テマシタ」と説明してくれた。
 フランソワさんによるとココティエ広場公園はニッケルや鉄鉱石を掘り出した時に出た土や廃棄物で埋め立てて作ったと言う。ニューカレドニアは世界有数のニッケル産出国だそうだ。
バスはヌメア市を離れ、山道にさしかかる。道の両側がうっそうと茂った樹木に変わる。赤茶けた、なだらかな山が木の葉を通して遠くに見える。
周りの景色が木ばかりとなると、説明するものがない。「右に見えますのは木です。左に見えますのも木です」では話にならない。普通のガイドならこうなると、ダンマリを決め込み運転一筋になるだろう。しかし、フランソワさんは違っていた。それからの約一時間、説明に次ぐ説明だった。
 一体何の説明? 驚くなかれ、ニューカレドニアの誕生から説明をしだした。ジュラ紀か白亜紀かなんだか分からないが、二億年か二千万年前の話から始まった。その頃はオーストラリアとニューカレドニアが陸続きになっていて、地球のマグマか地殻変動かでオーストラリアの東側、すなわちニューカレドニア側の陸地の一部が沈没し、ニューカレドニアはかろうじて海に沈まず、島として残ったらしい。地学の講義を受けているようだった。
 今まで私は二十カ国ほど海外旅行をしているが、恐竜時代からその国の成り立ちを説明するものは皆無であった。
 説明も熱がこもっていて、左手でハンドルを握り、右手を空中に挙げ、激しく動かしながら説明する。時には、左手もハンドルから離し、両手を頭上に挙げ、左手はオーストラリア大陸、右手はニューカレドニア島のつもりで「ココガ海ニ沈ミ、ニューカレドニア島ガ出来タ」と説明する。危なくてヒヤヒヤだった。
マイクロバスは、山の奥へ奥へと入っていった。フランソワさんは相変わらず、両手をハンドルから離したりして熱烈な説明を続ける。道は広い直線道路ではない。対向車が来たらすれ違いが出来るか出来ないぐらいの狭い道で、曲がりくねっている。それを猛スピードでキキキーと曲がってしまう。私は遠心力で窓から何度も飛ばされそうになった。
説明は続く。今度はニューカレドニアの住民についてだ。なんでも千八百七十何年かに三千人のフランスの政治犯がニューカレドニアに島流しになり、七年後に彼らは「フリーチケット、タダチケットデ、フランスニ帰リマシタ」そうだ。
次に、南太平洋に浮かぶ島々の説明になった。すなわち、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアの違いとそれぞれに属する島の名前を次から次へと説明しだした。ソロモン諸島とナントカ島はナントカネシアに属し、マリアナ諸島とナントカ島はナントカネシアに属するとか。左手にハンドル、右手で空中に南太平洋の島の位置を示しながらの説明。ああ、地図があればなあと思った。
ガイド氏は次にニューカレドニアの名前の由来を話しだした。キャプテン・クックが千七百何十何年かにこの島を望遠鏡で発見し、よく島を見たらスコットランドの山の形をしていたから、スコットランドの別名であるカレドニアにちなみ、ニューカレドニアと命名したと言う。スコットランドはイギリスがローマ帝国に支配されていた当時、カレドニアと呼ばれていたそうだ。
フランソワさんの説明は尽きることがなかった。ニューカレドニアだけに育つ花とか木とか鳥の話、ラテン語由来の地名や動物の話、ニューカレドニアの宗教や民族の話など、どんどん話してくれた。
景色の良いところではバスを止め、写真を撮る機会を与えてくれた。「ワタシ、運転手、ガイド、カメラマン、コック、何デモシマス。二人ノ写真トリマス」と言って私達夫婦の写真を取ってくれた。
ヌメアから一時間ドライブして森林博物館に到着。トイレ休憩とジュースだ。ほっと一息しているとフランソワさんがダンボール箱を両脇に抱えて登場。私達九人は彼を囲んで館内のフロアーに座った。
彼は一つの段ボール箱から約十種類の杉の実の標本を、もう一つの箱からは十個ぐらいの鉱物のサンプルを取りだして私達の前に並べた。植物学と地質学の講義の始まりだ。
講義内容はほとんど忘れてしまったが、取り出した杉は何でもニューカレドニアにしかない杉で、その種子はインドネシアやブラジルから鳥や海流によって運ばれたものだそうだ。赤茶けた杉を手に取って「コノ杉ノ葉ニハ、トゲガナイ。何故デスカ。野生ノ動物カラ種子ヲ守ラナクテモ良イカラ」と言って、松カサのような形の杉の実を空中にかざして私達に見せ、葉を一枚一枚はがして飛ばした。
次は鉱物の講義。「ニューカレドニアハ、マグマガ隆起シテデキタ。ダカラ、珍シイ鉱物ガ沢山アル」と言って、鉄鉱石とかニッケルの原石とかナントカ石とかを見せ、一つ一つの石の説明をして、私達に石を持たせてくれた。鉄鉱石は重かった。
次に森林博物館の回りに生えている草花を指差して、「コノ島ノ土ハ鉄分ガ多イ。酸性土壌デス。普通、酸性土壌ニハ植物ガ育タナイ。何故ココデハ育ツノデスカ? 不思議デス。土壌ノ中ノ、バクテリアノ、オカゲ」などと、かなり専門的な講義をしてくれた。
講義が終わって再出発。三十分ほど山道をさらに奥地に走ると、やっとリビエールブルー州立公園に到着。まず目につくのがヤテ湖。川をダムでせき止めてできた人造湖だ。上高地の大正池のように、湖の中にひょろ長い木が林立していて風情がある。湖を囲む山並は穏やかな曲線を描いている。森林の中のオアシスだ。
「ココデ二十分、休ミマス。トイレハ、アソコノ小屋デス。シカシ、女性ダケ使エマス。男ノ人ハ森ノ中デス」と冗談。
時間は十一時頃だ。昼飯は湖の対岸のキャンプ地でバーベギューだそうだ。元気が出る。休憩後、湖にかかっている橋を渡ることになる。幅の狭い木の橋で欄干がない。車は通れないので、ここで全員が下車する。歩いて渡るのだ。
「今カラ、橋ヲ渡リマス。コノ橋ハ女ノ人ハ禁止デス。ダカラ、女ノ人ハ、泳イデ下サイ」とまた冗談。
橋は板張りで丁度スノコのようになっており、板と板の隙間から湖が足の真下に見えておっかない。
橋を渡ると対岸に待たせてあった車に乗るのだが、車が小さい。運転手の座席をいれて九席しかない。フランソワさんは二人の若い女性に「アナタ達ハ車ノ、ナービゲーターデス。スミマセン、助手席に二人乗リマス」とお願いする。二人は助手席に詰めて乗る。全員乗り込んで、出発するときにフランソワさんは助手席の二人に「ナービゲーターサン、マッスグ行ケバ良イデスカ」と尋ねる。窮屈そうな二人も「はい、まっすぐです」と答える。
ヤテ湖から二十分ぐらい走ると熱帯雨林の真っ只中に入り込む。クククク、グヮグヮグヮ、コーコーと、鳥の声がいっぱい聞こえる。ジャングルだ。今からニューカレドニアの国鳥カグーを見るのだ。このあたりに五羽生息しているらしい。カグーはニューカレドニアにしか生息していない。
「クワクワッ、ククー、クワクワッ、クククー」とフランソワさんが鳥の鳴き声をだした。両手の指をほら貝のように丸めて、唇に当てている。この鳴き声を聞いて、カグーが出てくるらしい。しかし五分たっても十分たっても出てこない。そこで、車に装備してあるテープレコーダーを再生して鳥の鳴き声をボリュームいっぱいに上げて森に響かせる。すると、木の茂みから可愛いカグーが一羽、道に出てきた。大きさは鶏より一回り大きめ。羽根は全体が白。くちばしと目と脚が赤。頭はトサカがなく、ツルンと丸い。目がくりくりっと丸い。後頭部に十センチほどの羽根が垂れ下がっている。愛嬌があって人懐っこい。カメラをすぐそばに向けても全然動じない。人間を信用している。そのうちに親鳥と思われるカグーが二羽登場。さらに道の反対側の木立からも、もう一羽現れて合計四羽が私達のそば寄ってくる。ここぞとばかりシャッターを押した。カグーはしばらく私達のそばにいて、それから森に帰っていった。
その後、車を十五分ぐらい走らせ、広場に到着して下車。そこから細い道を奥に向かって一〇分ぐらい歩くと、ニューカレドニアにしか生えてないというカオリの巨木に着いた。「樹齢千年。幹の直径三メートル。高さ四十メートル」と立札に書いてある。幹は白く、触ると湿っていて苔が生えている。巨木の梢を見ようとしても、周りの木の葉が邪魔になって見えない。首が痛い。
「ココカラ、散歩デス。三十分グライ、コノ山道を歩クト、キャンプ場デス。私ハ先ニ行キマス。バーベキューノ準備シマス」とフランソワさんは言って、先に車でキャンプ場に向かった。
山道は傾斜がゆるやかで赤茶色だった。フランソワさんによると、山や道が赤いのは鉄分を多く含んでいるからだそうだ。道の両側からトンネルのように覆いかぶさった青緑の葉がキラキラ輝いていた。
キャンプ場に着いた。昼飯だ。清流のそばに長い木製のテーブルがあり、その両側のベンチに五人ずつ座って、地元の「ナンバーワン」という銘柄のビールで乾杯! 料理は全部フランソワさんのお手製(奥さんが前の晩に手伝ったかも)。サラダ、パン、エビ、ジュース、ソーセージ、レモンなど。メインは鹿肉。先ほどフランソワさんがうちわでバタバタ扇いでジュージュー焼いていた。ビールと鹿肉と鳥の声。最高! 最後はデザートにパイを食べ、コーヒーも出てすばらしい昼飯だった。  
昼食後は自由時間。みんな思い思いに清流に行って河原で遊ぶ。水が澄み切っていて冷たい。
私はフランソワさんに「どうしてあなたはそんなにいろいろなことを知っているのですか」と尋ねた。答に感心した。「オ客様ガ、私ノ説明デ、喜ブノハ、ウレシイデス。単ナル、ガイドナラ、誰デモデキマス」。フランソワさんはガイドをするなら徹底的にやろうと思ったそうだ。それで、彼はスペイン語、イタリア語、英語、日本語、ラテン語を勉強したと言う。日本語は独習だそうだ。それからイギリスの大学とフランスの大学で観光学科に入学して観光学を勉強したそうだ。「日本人ガ、ニューカレドニアニ沢山来ルカラ、日本ノ勉強モシマシタ。日本ニ行ッタコトアリマス。奈良ニ行キマシタ。京都ハ、マダ」とのこと。
私は日本の大学で最近観光学科が設置されてきたことを知っていたが、フランソワさんのように自国の太古からの地勢、歴史、文化、産業を調べ、動植物の研究をし、さらに観光に来る相手の国々について勉強しているガイドには会ったことがなかった。
話題がラテン語のことになり、いろいろと教えてもらった。例えば、ヌメア市にある競馬場は「ヒポドローム」と言う。ラテン語で「ヒポ」は「馬」のことで、「ドローム」は「走路」のことだ。だから「ヒポドローム」は「馬の走路」という意味になる。また、「河馬」のことを「ヒポポタマス」と言うが、「ポタマス」は「川」のことだから「ヒポポタマス」は「川の馬」の意味となる。さらに、古代文明発祥の地メソポタミアの「メソ」は「真ん中」という意味で、「ポタミア」は「川」だから「メソポタミア」は「川の真ん中」すなわち、チグリス川とユーフラテス川の間という意味になる。
「うーん」私はうなってしまった。私の高校時代の世界史の先生が「メソポタミア」を教えるのに、このように言葉を分解して教えていたら、もっとメソポタミアに愛着を持っただろうと思った。
一時間ぐらい川遊びをしている間にフランソワさんはあと片付けを完了。帰路についた。帰りはバス内にニューカレドニアの音楽が流れた。キャンプ地を後にし、ヤテ湖の木橋を再び渡り、二十分休憩。車を乗り換えて約一時間走り、「湧き水の泉」に寄って休憩。それから半時間走って赤い夕陽がアンスバタの海に沈む頃ホテルに着いた。
ホテルの玄関でフランソワさんは若い二人の女性に「アナタ達ハ、素晴ラシイナービゲーターデシタ。アリガトウ」とお礼を言った。
 旅行が楽しくなるのも不愉快になるのも、旅行先で会った人がどういう人であったかで決まることが多い。いくら美しい景色を見てもガイドが不親切であったら気分を害する。平凡な景色でもガイドの説明一つで楽しいものとなる。もちろん同行の旅行者の人柄も関係はしてくるが、ガイドの役割は大きい。今回の旅が素晴らしかったのは景色とガイドの両方が良かったからだ。
 現地の観光案内の人が「フランソワさんは、あちこちの観光業者から引っ張りだこだ」と言っていたが納得した。もしニューカレドニアに行かれるのなら、ガイドはムッシュ・フランソワがお勧めだ。
                                     (2008年夏)

閉ざされた窓

 真夜中なのに蝉がけたたましく鳴いた。靖雄は目を覚ました。胸が苦しい。体が動かない。ベッドに縛られているようだ。水が飲みたいと思ったが、水を持ってきてくれる者はいない。妻は三年前に亡くなり、娘は神戸に嫁いでいた。
また蝉が不気味に鳴いた。その瞬間、ベッドが揺れ、体が浮き、気が遠くなった。

         ***

気がつくと靖雄は六十階建てのビルの屋上に立っていた。飛び降り自殺をしようとしている。また同じ夢だ。どうして同じ夢を何回も見るんだ。なぜ投身自殺しなきゃならんのだ。自殺をするにしてもなぜ飛び降り自殺なのか、と自問しているうちに靖雄は不可解な力に押されてビルから飛び降りる。
まっ逆さまだ。猛スピードで落下している。しかし手足や体全体がスローモーション映画のようにゆっくり動いている。無重力状態の宇宙飛行士のようだ。怖くない。落下ではなく浮いている感じだ。風は横殴りなのに、身体は飛び降りたビルの壁に沿って垂直に落下している。
周りの景色がよく見える。遠くに見えるのはどこかの港だ。海が夕日に照らされてオレンジ色に光っている。汽船が見える。米粒のようだ。視線を反対に向けると、真っ赤な夕陽が、紺色の山並みのシルエットにかかり、今日最後の光を眩しく放っている。雲雀が靖雄を見て驚いて飛び去っていった。目の前のビルの白い壁は、夕陽に赤く染まっている。
降下するつれ、ビルの窓が次から次ぺと上昇していった。不思議なことに、どの窓枠にも縦一メートル、横一メートルぐらいの垂れ幕がぶら下がり、幕には各階数が大きな文字で書いてあり、今どの階を降下しているのかが分かった。
五十七階を落下していく時、窓の中を見た。中がよく見えた。喪服を着た二人の中年の男が布団のそばに頭をうな垂れて座っていた。二人ともほぼ同じ年齢に見えた。布団に横たわっている人の顔には白い布がかぶせてあった。
あの二人の父親か母親が亡くなったのだろう、と思った。二人の内の一人は知り合いのような気がしたが、いつどこで会ったか思い出せなかった。もう一人の方の顔はぼやけていた。
夕陽の下半分が山に沈んだ。静かだ。風の音も聞こえない。残った上半分もしばらくして沈んだ。同時に全ての長い影が一斉に消え、夜の帳が下りた。次第に空は黄色や赤に染まり、山には黄金色の雲がかかった。
五十三階の窓を覗くと、結婚披露宴が見えた。マイクを持った太った男がお辞儀をし、皆から拍手を浴びていた。祝辞が終わったところらしい。
たった今五十七階で喪に服す光景を見て悲しくなったのに、今度は新婚カップルを見て気も晴れやかになった。客は飲んだり食べたり、楽しく笑っていた。客のうちの一人の中年の男は見覚えのある男だ。しかし誰だか思い出せない。その男の隣にも同じような年格好の男が窓に背を向けて座り、二人は談笑していた。
あたりが暗くなった。地上を見ると、ビルの明かりがあちこちにともり、やがて星空のように無数に明かりが灯った。入り組んだ道路には黄色のヘッドライトや赤いテイルライトの流線が見えた。ゴマ粒のような車は音も立てずに走っている。先ほどまで眼下に見えた山々は、靖雄が飛んでいる高さより高くなった。海はビルに隠れて見えなくなった。
今や大小、正方形、長方形等さまざまな形をしたビルの屋上が見えてきた。落下するにつれ屋上が近づき、屋上にある水槽や、広告看板や、入り組んだ換気用ダクトも見えてきた。建設中のビルもあり、鶴の首のようなクレーンが屋上にあった。ミニチュアのビル群を、丁度着陸寸前の飛行機の窓から見ているようだ。
四十階まで落ちてきたとき悲痛な叫び声が下の方から聞こえてきた。三、四階下を見ると男がベランダ越しに手を下に差し出し、今まさに落ちようとしている別の男の手をしっかり握り、必死で引き上げようとしていた。靖雄は三十五階まで落下して二人の男のところを通過する時「頑張れ!」と叫んだ。三十階まで落下した時、上を見ると、ぶら下がっていた男は丁度引き上げられるところだつた。良かった……。しかし一体何があったのだろうと靖雄は思った。
二十八階から雅楽のような曲が流れてきた。神前結婚の最中だ。このビルは結婚式場が二十八階で結婚披露宴会が五十三階にあるから、結婚式を挙げるには不便なビルだなと思った。しかし、そんなことはどうでも良かった。新婦を見たが、後ろ姿しか見えなかった。髪をアップに結い、真珠のように真っ自なウエディングドレスを着て二人の可愛い女の子が長い裾を持っていた。
落下速度が急に速くなった。見下ろすと蟻のように小さい人が道路を歩いていた。歩行者の一人が空から降ってくる靖雄を発見し、目と口を大きく開いて何か叫んだ。叫び声は車の雑踏にかき消されてよく聞こえなかったが、「人が降ってくるぞ!」と叫んでいるようだ。他の通行人達が驚いて一斉に顔を上げるのが見えた。人だかりが増えてきて靖雄を見ている。もう少しであの群集の真ん中にたたきつけられるのだ。これで終りだ。
靖雄はこれが窓の中を見る最後だと思って、十階の窓を覗いた。兄弟らしい男の子が二人、割り箸で作ったピストルで輪ゴムを飛ばして遊んでいた。三メートルぐらい離れたテーブルの上に立ててあるマッチ箱を狙っている。兄は的に当たらなかったが、弟はうまく当てた。兄のほうはよく知っている子で、どこかで見たようだが、弟のほうはよく分からなかった。
今や墜落死まであと九階分しかなかった。道路を見ると、先ほどまで集まっていた群衆は靖雄が落ちる地点から飛び散っていた。「危ない! 落ちるぞ!」と誰かが絶叫するのが聞こえた。
靖雄が急降下するにつれ、窓枠の垂れ幕に書かれた階数の数が減っていった。
九階… 八階… 七階… 六階……
今にも頭蓋骨が紛々に割れ、血まみれになって死ぬのだ。
五階… 五階… 五階。
 不思議なことに落下が止まった。止まって宙に浮いている。空を見上げていた群集も狐につままれたような顔をして、靖雄を見ていた。
五階の窓を見ると、窓は閉じられ、厚手の黒いカーテンが引かれていた。
分かった。あのカーテンが閉じられて中が覗けないから、落下がここで止まったのだ。死ぬ前に五階の部屋がどうなっているか知りたい。それにはこのビルの五階に行かなくてはならない。空中移動もできないし、地面にどうやって降りるのだろう。
その瞬間、靖雄は目が覚め、地上を歩いていた。見覚えのある池と神社があった。ここで蝉をよく採ったことを思い出した。歩いていると飛び降りたビルが見えた。五階に行ってカーテンを開けなくてはと思った。
五分ぐらい歩くとビルに着いた。エレベーターで五階まで昇り、ビルの西側に行った。閉じられた窓の部屋がビルの西側にあり、夕陽を映していたからだ。しばらくして部屋を見つけた。
扉は開いていた。中は薄暗く誰もいなかった。窓は落下中に見た黒い厚手のカーテンが引かれていた。カーテンを両側に引き、窓を開けた。まぶしい光が入り部屋が明るくなった。靖雄はなんだか気がほっとして眠くなってきた。
また同じ夢を見た。六十階建てのビルから飛び降り、各階で同じ光景を見、やがて十階まで降下した。同じ二人の男の子が玩具のピストルで遊んでいた。十階を落下しながら自分の子供のころを思い出した。
* * * * *
当時、靖雄の家族はアパートの四階に住んでいた。靖雄には隆司という名前の弟がいた。しかし隆司は靖雄が五歳の時、アパートのベランダから落ちて死んでしまった。
ある時どのようにして弟が死んでしまったか母に聞くと、母は「悲しくなるから聞かないで」と涙ぐんで言った。だからそれ以来聞くのを止めた。ただ分かっているのは隆司は靖雄が五歳の誕生日の翌日に死んだことだった。何かこの日に起こり、そのため隆司は死んだのだが、何が起こったか靖雄は記憶になかった。
隆司が死んだ日に靖雄は突然熱を出し、熱は丸二日続いたと、母が言ったことがあった。熱が下がったとき、靖雄は記憶喪失症にかかり、その日まで起こったことを何も思い出すことができなくなっていた。四歳と五歳の二年間幼稚園に通ったが幼稚園のことも何も思い出すことができなかった。しかし靖雄の親は、靖雄の生活に何の支障もないので記億喪失のことは気にしなかった。忌まわしい日以降のことは通常の記憶があったからだ。
* * * * *
靖雄は子供の頃を思い出しながら落下し、九階を通り過ぎた。それから八階、七階、六階と落下してきた。五階に来た時窓を見た。窓は開いていた。今だ! と思って中を覗いた。
部屋には二人の男の子が遊んでいた。一人はなんと靖雄自身だった。もう一人は弟の隆司だ。靖雄は五歳の誕生日にもらった玩具のパトカーで遊んでいる。誕生日の夜はパトカーを抱いて寝たのを思い出した。
これはどうしたことか。記憶がよみがえってきた。誕生日の翌日のことが思い出されてきた。
母が「靖雄、台所手伝ってよ」と言った。靖雄は立とうとした。隆司が靖雄に近づいた。靖雄のパトカーを取った。ベランダに走つて行った。ベランダには木の箱が積んであつた。靖雄は隆司の後を追った。靖雄が隆司に近づいた。隆司は木の箱に登った。パトカーをベランダから放り投げた。靖雄は隆司を押した。隆司はベランダから落ちていった。
「靖雄、台所に来なさいといっているでしょ」と言いながら母がベランダに来た。母はベランダの下を見た。悲痛な叫び声をあげた。弾の鳴き声が急に聞こえた。
靖雄は凍りついた。今、五階の窓で見たのは一体なんだったのだろう。俺は隆司を押すのを見たが……。
この瞬間、靖雄の記憶を五十五年間閉ざしていた黒い雲が晴れた。靖雄はその日にベランダで起こったことをすべて思い出した。そうだ、俺が隆司を押したのだ。あの時母がベランダに来て、「隆司が落ちたよ」と母に言ったのだった。
靖雄は驚愕した。たった一人の弟に対して自分がしたことが信じられなかった。あと何分の一秒かで地面にたたきつけられるという刹那に、おぞましくも記憶の重い扉が開かれ、ベランダから落ちる隆司の姿がスローモーションとなって今くっきりと靖雄の眼前に現れたのだ。靖雄は隆司に謝った。許してくれ。許してくれ。年のせいで涙もろくなった目から涙が流れてきた。涙は靖雄の体と同じスピードで落ちていった。
 お母さん、僕が靖雄を押したんだ。だって、お母さんは僕に、「悪い子ね、お兄さんの癖に。お兄さんだから我慢しなさい。隆司をいじめるんじゃないの」としょっちゅう言っていた。「靖雄なんか生まなきゃ良かった」と言ったこともあった。隆司が憎らしかった。あの日も隆司が、僕の大事なパトカーを取って逃げて行き、ベランダから投げてしまったのだ。もう我慢できなかったんだ。僕は隆司がいなければいいと思っていたんだ。だから押したんだ……。
靖雄は母と隆司に詫ぴた。お母さん、僕が隆司を押したんだ。ごめんなさい。隆司、痛かったろう。許してくれ。大粒の涙が頬を伝って空中に落ちていった。 
落下しながら次々に窓から見た部屋の意味が解き明かされた。各階は靖雄の年齢なのだ。
五十七階で遺体のそばに中年の男が二人座っていたが、一人は靖雄自身で、もう一人は隆司だ。隆司が生きていればあんな年恰好になるはずだ。布団に横たわっていた人は母だ。母は私が五十七歳の時亡なったから。
五十三階の結婚披露宴は娘が結婚した時のものだ。あの時私は五十三歳だった。私が談笑していた相手は隆司だ。。
三十五階のベランダで身体を乗り出してぶら下がっている男を必死で引き上げていたのは私自身だ。あれは隆司を助けたいと言う願望の現れだ。でも、どうして三十五階なのだろう。そうだ、三十五歳の時、槍ヶ岳で崖から転落しそうになったことがあった。友達が私の手を掴んでいなかったら、滑って転落死しているところだった。
私は二十八歳で結婚した。だから二十八階で結婿式を見たのだ。あの純白の花嫁は妻だ。
十階で玩具のピストルで遊んでいた二人の男の子は私と隆司だ。隆司が生きていればあの子ぐらいだ。
それから、あの五階。私が五歳だった時の恐ろしい光景だ。
しかし、もうおしまいだ。今にも地面にたたきつけられて血だらけになって死ぬんだ。胸が苦しい。
隆司、隆司、お前はずっと俺と一緒に今日まで生きてきたなあ。私はこの五十五年間ずっとお前と一緒だったんだよ。飛び降り自殺をするわけが分かった。罪の償いだ。お前と同じ痛みを感ずるためだ。そちらに行つたら、一緒に玩具のピストルやパトカーで遊ぼうな。お母さん、ごめんなさい。もう時間がない。死が目前だ。
また涙が頬を伝わった。靖雄は涙を拭おうとした。

      * * * 
 
靖雄は心臓麻痺で死んだ。ベッドから落ちていた。頬が涙でぬれていた。

                     おわり

たぬ公に導かれて

 名古屋に来ることは何度もあったが、興正寺の境内に入るのには抵抗があった。今日は行こう、今日こそは、と思いつつ二十五年たってしまった。特にこんな新緑の美しい日には行きづらかった。
しかし還暦を過ぎた今日、不思議な力に導かれて興正寺まで来てしまった。
寺門を入ると五重塔があった。ああ、懐かしい。全然変わっていない。感慨に浸りながら五重塔を見上げていると、「隆さん」と言う声がする。
振り向くと、可愛い狸がちょこんと足下に座っている。前足を犬がチンチンするようにあげて、わたしを見つめている。昔この辺りは八事の森と言って原生林が生い茂り、狸や兎が住んでいたそうだ。しかし、二〇〇八年に狸がいるとは、どこから出てきたんだろう。この狸がわたしを呼んだのだろうか。
「えっ、まさか。お前が呼んだのか」
「ええ」
「えっ、お前、言葉しゃべるのか」
「しゃべりますよ、おみゃあさん」
「おみゃあさん、って。ええっ」
「なんも、驚くことなんかありゃすきゃ」
 なんというドギツイ名古屋弁。夢じゃないのか。狐に、いや、狸につままれたのか。
「隆さん、よういりゃあした」
「隆さん、て。どうしてわたしの名前を知ってるんだ」
「何言ってりゃあす。水臭いでいかんわ。わっちは、この四十二年間いつも隆さんのそばにおるぎゃ」
「四十二年間? 俺が、えっと、十八のときから知っとるんか」
「ええ、そうだぎゃ。まあ、そんなこと、もうええから、さあ、こっちに行こみゃあ」
 と言って、本殿の左手にある石段の方にわたしを案内した。そう言えばこの狸、どっかで見た。へその回りに変な輪がある。
狸はぴょんぴょん石段をあがっていく。十段ぐらい上がると、わたしの方を振り向いて待っている。
「そんなに急がんでくれ。息切れがするわ」
「何言っとりゃあす、隆さんが高校の時、この石段を筋トレで、走って登ったり下ったりしとったがね」
 そう言えば、N高校のバレー部の筋トレで校門を出てから隼人池を通って、興正寺まで走った。それからこの石段を駆け足で登った。石段は七十七段あった。
ハアハア言いながら、やっと石段の頂上までたどり着くと、辺りは真っ暗になっていた。小さなお堂があり、左手に鐘楼があった。鐘楼には「除夜」と書かれた丸提灯が二つぶらさがり、明かりが灯っていた。ざわざわする人の声が聞こえる。粉雪が舞っている。
「こりゃどうなってんだ。雪だよ」
「何言っとりゃーす、今日は大晦日だぎゃ」
 狸のたぬ公は、何でもすぐ「何言っとりゃーす」とくる。馬鹿の、いや、狸の一つ覚えだ。でも、さっきは五月の昼過ぎだったのに、どうして大晦日の真夜中なんだ。
「さっきは昼だったのに、どうしてここは夜なんだ」
「今日の興正寺はよー、場所が変わると時間も変わるんだわ」
たぬ公の言うことは、さっぱり分からん。鐘楼を見ると、二十人ぐらいの人が一列に並んでいる。そうだ、みんな除夜の鐘を突きに来てるんだ。
あっ、今、鐘楼に入ったあの若いカップル、あの男は……わたしだ。すると彼女は洋子だ。新婚当時の二人だ。
二人で鐘突き棒の紐を持って、そら、ぐいっと引いて、そら、離して、
「ごおおーん」
そばでお坊さんがお経を読んでいる。粉雪が提灯の明かりの中で舞っている。

 洋子と始めて会ったのはN高校男子部の保健室だ。その日わたしは朝から下痢気味だった。受験勉強疲れだ。三時間目の授業中に急に腹が痛くなり、先生の許可をもらって保健室に行った。養護の先生に薬をもらって休んでいた。電話がかかってきた。先生は「職員室に行ってくるから、清水君、そこで休んでなさいね」と言って出ていってしまった。
そこにN高校女子部の生徒が二人飛び込んできた。その日は女子部の体育祭が男子部のグランドで開かれていた。一人は手と腕が土まみれで、血が腕を伝って流れていた。一滴、床に落ちた。もう一人の生徒は付き添いだった。
わたしはあわてた、養護の先生がいない。何しろ男子部と女子部は中一から高三まで別学だ。私は高三の今まで女の子とまともに話をしたことがない。だいたい当時は男女交際は禁止だった。八事行きの市電の中で女子部の生徒は座っていても、立っている男子部の生徒の鞄を持ってはいけない、という規則があった。女子高生を二人も目の前にして緊張した。
「あの、えっと、保健の先生、あの、今、職員室ですが、あの、どうぞ、手を洗って下さい」
しどろもどろで流し台を指差した。怪我をした生徒は土を洗い流した。
「このタオル使っていいですか」
付き添いの生徒が尋ねた。
「はあ、あの、えっと、どうぞ。確か、えっと、消毒液と、あの、綿がこの辺にあったと思いますが」
 私は保健室に中一の頃から何度も腹痛で来ていた。だから消毒液や包帯がどこにあるかぐらいは知っていた。
白いキャビネットを開けて、丸い金属製の容器から消毒液とヨードチンキを出し、引き出しから綿を出した。
付き添いの生徒は「すみません」と言って受け取り、傷口に消毒液をかけ、綿で抑えて止血した。わたしは包帯とバンドエイドを付き添いに渡した。
「あの、体育祭で転んだんですか」
怪我をした生徒に尋ねた。
「ええ、クラブ対抗リレーで」
これが洋子がわたしに言った最初の言葉だった。
「クラブって、あの、何部ですか」
「バレー部です」
「えっ、僕もバレー部ですよ」

「隆さん、何をぼーと考えとりゃぁす。滑り台にいきますよ」
狸が横槍を入れた。
鐘楼から坂道を南の方に降りていくと右手に小さな公園があった。桜が満開だ。また季節が変わった。
公園に高さ四メートルほどの円錐台の富士山があった。すそが広がっていて、子供はすそから勢いをつけて頂上めがけて走り、富士山のてっぺんに上るのだ。
 たぬ公が生意気に一気に登ってしまった。
「隆さん、登ってりゃあせ」
「この歳で、そんな恥ずかしいことできるわけないだろう。」
「何言っとりゃあす、広ちゃんがまだよちよち歩きのころ覚えとりゃあすか。隆さんが富士山のてっぺんにいて、洋子さんが中腹まで広ちゃんを押していって、隆さんは、上から広ちゃんの手を取って引っ張り上げたぎゃ」
広ちゃんとは今年三十四歳になるわたしの長男だ。
「狸の癖に、良く覚えとるなぁ。あのころは楽しかった」
「よう言うわ。それからが大変だったの、もう忘れちまったのきゃ。富士山をおりて、今度は、広ちゃんと滑り台に登ったがね」
 そうだ、あの時、広隆が階段を一歩一歩登り、すぐ後ろからわたしが登っていった。滑り台の上に着いて、「広隆、ここにいるんだよ。まだ滑っちゃだめだよ。ここにつかまって」と言って、広隆の手を取って鉄枠につかまらせた。広隆をそのままにして、わたしは階段を素早く下りて、滑り台の降り口に回り、広隆を見上げて言った。「さあ、もういいよ。広隆、滑って、滑って」。ところが、広隆は滑るのを怖がった。泣き出して後すざりしだした。危ない! 階段の方へわたしが駆け寄った。広隆が階段をバウンドして真っ逆さまに落ちた。ウワーン。公園中に泣き声が響いた。トイレから洋子が戻ってきた。
「どうしたの、あなた」
わたしは広隆を抱かえて、うろたえた。
「滑り台から落ちた」
「えっ、どうして? 骨、折ってない?」
「頭を打ってるかも」
「まあ」
「病院に行こう」
タクシーが来ない、ちっとも来ない。洋子が広隆を抱きしめた。
八事日赤病院で頭のCTスキャンをした。異常はなかった。手も足も折れていなかった。洋子はわたしをにらみ、「もう、あなたなんかに子守はさせられない」と言って、唇をキッと結び、身体を振るわせた。

「そら、隆さん、またぼーとして、今度は本殿に行くでよー。ちゃんとわたしに付いて来てちょうよ」
 たぬ公は本殿の方に走っていった。
「おーい、そう急がんでくれ」
「早よ行かんと、豆がなくなっちゃうでよぉ」
「豆って」
「節分の豆だぎゃ」
「えっ、さっきは桜が咲いとったのに」
「だから、さっき言ったぎゃ。場所が変わると季節も変わるって。ちゃんと聞いとってえな」
 本殿の正面に四メートル四方の舞台が作ってある。舞台の上には裃を着た人が五、六人、枡を持ち、豆をまいている。
広隆だ。六歳の広隆が可愛い裃を着て豆をまいている。洋子もまいている。わたしは恥ずかしくて、舞台には上がらなかったんだ。そら、わたしのところへ豆が飛んできた。みんな、わあわあと両手を差し出し、きゃあ、きゃあと豆をキャッチし、豆を拾っている。たぬ公はみんなの足の間を器用にすり抜け、すり抜け、豆を拾って食べている。
豆まきが終わって広隆と洋子とわたしの三人で豆を食べていると、たぬ公が帰ってきた。
「ああ、いっぴゃあ食べた。腹ポンポンだわ。そら、いい音だよ。聞きゃあせ」と言って、腹鼓を打ち出した。
ポンポコポンのスッポンポンポン
ポコポコポンのスッポンポンポン
広隆が真似をしだした。洋子が笑った。
「分かった、分かった。いい音だ。で、今度はどこに連れてってくれるんだい」
「さあて、どうしよまい。そんなら、デートコースに行こみゃあ」と言って、たぬ公は五重塔の東側にある幅八メートルぐらいの道の方へ歩き出した。
 道の両側に紅葉した木や常緑樹が林立し、道に覆いかぶさっている。ちょっとした森だ。たぬ公は二十メートルぐらい進むと右側の急な坂道を登りだした。
「隆さん、こっちこっち。洋子さんが待っとるで」と言って、わたしを急がす。
やっと坂道を上がってそこから東に向かって細道を歩くと、洋子とわたしが丸太のベンチで仲良く勉強していた。

 N高校の保健室で始めて洋子に会った翌日のことだ。学校帰りに南山教会の前の交差点で洋子にばったり会った。洋子はこれから三洋堂で数学の参考書を買うと言う。
「数学が苦手で苦労しているの」
「そうですか、僕は数学が大好きなんですよ。なんなら教えましょうか」 
どぎまぎせずに言えた。わたしは数学はK塾の全国模試で上位二十位には常にランクされていた。ところが英語が全然できない。洋子は英語なら大丈夫、と言うことで、わたしが洋子に数学を、洋子がわたしに英語を教えることになった。場所は興正寺。時間は土曜日午後二時。五重塔に集まることにした。洋子の英語力は抜群だった。仮定法過去完了、擬似関係代名詞、なんでも説明してくれた。
洋子は上智大学へ、わたしは名古屋大学に進学した。交際は続いた。

 たぬ公がベンチに寝そべって空を見上げている。鼻提灯をふくらませて。雲ひとつない真っ青な秋空だ。紅葉した木の葉が風に吹かれてハラハラと狸の腹に舞い降りてくる。わたしも隣のベンチで上向きに寝そべって空を見た。いい天気だ。

 洋子の父親は内科医で、母親は耳鼻科医だった。祖父も医者で、親戚にも医者が多かった。当然、洋子の親は洋子を医者に嫁がせようと考えていた。洋子が二十三歳の時見合いの話があり、洋子は親の手前、二回見合いをしたが断った。その時始めて親はわたしのことを知った。洋子の両親ともに、サラリーマンとの結婚に大反対で、交際を止めるように洋子に迫った。洋子は親のいいなりになることを拒み、家を飛び出してしまった。洋子の意思は強く、母親が折れ、父親もついに折れた。
わたし達の新居は興正寺から歩いて十分ほどのアパートだった。

「隆さん、起きやーせ。まんだ、もう一つ行くところがあるでよぉ」
たぬ公はいつの間に起きたのか、寝そべっているわたしの顔を覗きこんでいた。たぬ公の目はまん丸で黒く、ひげは墨で描いたようだ。とうとう行くんだ。そこに行くのが怖
くて何度も興正寺までは来る機会はあったが、ついつい境内に入りそびれていたのだ。でも、ここまで来てしまったから。
「隆さん、わっちがついとるがね。でゃあ丈夫、でゃあ丈夫」
 たぬ公はすぐ先の急な坂を降りだした。坂を降りると先ほどの幅八メートルの森の道に出た。ここは新緑の木が茂っている。葉っぱがキラキラ輝いている。木の匂いがする。この道を東に進むと中京大学の裏手に通ずる。
「さあ、もうすぐだで」
わたしは覚悟を決めた。道の前方に車椅子を押している人がいた。あれはわたしだ。わたしが洋子を車椅子に乗せて押している。ゆっくり、ゆっくり。
うぐいすが鳴いた。
「まあ、うぐいすが鳴いたわ」洋子が言った。
「うん、いい声だね」

 洋子は広隆の九歳の誕生日がすぎた頃から顔色が悪くなり、鼻血を出したりするようになった。疲れが原因と思っていたが、ある日、腕にあざのような斑点があちこちにできていた。八事日赤病院で診察してもらった。即、入院だった。
 わたしは担当医に呼ばれ、洋子は白血病で、あと三ヶ月ぐらいの命だと宣告された。
 そんな馬鹿な、そんな馬鹿なことってあるのか。一体どうして。広隆が可愛そうだ。まだ九歳だ。親子三人で楽しく過ごしてきたのに。義父母も広隆が生まれてからは、険しい顔つきが、穏やかになったのに。これからと言うときに。どうしたらいいのだ。これからどのように生きていけと言うのか。親戚に知らせるべきか。あと三ヶ月とは。信じられない。どうして洋子が。どうして白血病に。足がしっかり地面を踏めない。歩いていても前方の景色が幻のようだ。浮いている。現実ではない。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。飯がのどを通らない。眠れない。仕事が、何がなんだか、なぜだ、どうして。夜が怖い。涙も出ない。
広隆と毎日見舞いに行った。洋子は、やつれて、青白く、苦しそうで、痛みをこらえ、吐き気に悩まされ、点滴を受け、薬を何度も飲み、髪がぬけ、広隆の手を握り、涙をこらえ、無理に笑い、学校のことを聞き、横を向いて泣き、涙を拭って、広隆の顔を見て、わたしの顔を見て、「広ちゃんが、結婚するまで死なないからね」か細い声でわたしに言う。
三ヶ月たったある日、洋子は興正寺に行きたいと言った。外出許可をもらって、タクシーに車椅子を積み込んで興正寺に行く。
興正寺に着いて、洋子を車椅子に乗せた。五重塔を見て、中京大学の裏手に出る道を通って、ゆっくり、ゆっくり車椅子を押す。新緑の五月だ。
「隆さん、覚えてる? あなたに始めて会ったとき」
「ああ、覚えてるよ。お前が体育祭で怪我をして」
「ええ、あのとき、あなた、顔色が悪かったわ。とても」
「実は、あのとき腹痛で保健室にいたんだ。そこへ、お前が入ってきて」
「そおなの、だから、保健室に、いたのね」 
「そう、腹痛でね」
うぐいすが鳴いた。
「まあ、うぐいすが鳴いたわ」
「うん、いい声だね」
「あなた、保健室で、わたし達を見て、どぎ、まぎ、してたわ。取り、乱しちゃって……なんか、わたし、お、も、し、ろ、くって……」
「女の子と話したことがなくってね。純情だったてことーー」
 洋子の首がカタンと前に倒れた。それが最後だった。

中京大学の裏手に来た。ここで興正寺とお別れだ。山手通りの車の騒音が聞こえてきた。木の匂いが排気ガスの匂いに変わった。
振り向くと、たぬ公が手を振っている。
「さよなら。またいりゃあよ」
「ああ、また洋子に会いに来るよ」
たぬ公の体が半分消えかかっていた。
東京の家に帰った。リビングルームに行くと孫の博が木彫りの狸を持っていた。あれっ、たぬ公じゃないか。
「その狸どこにあったの?」
「あそこ。ママに取ってもらったの」
博は飾り棚を指差した。
そうか、洋子が高山に行ったとき、お土産に買ってきてくれた狸だったのか。         
              
     了
                                            
      

康子

「あなた、隆がいるわ。お風呂よ。ほら、今日幼稚園で習ってきた歌を歌ってるわ。♪ ぞーさん ぞーさん お鼻が長いのね」
青白い顔をした康子が、目だけ嬉しそうに輝かせてかすれるような声で歌いだした。
「また始まった。康子、隆はもう亡くなっていないんだよ」 
 靖雄はイライラする気持ちを抑えて言った。病院の玄関ロビーは案外声が響く。他にも入院患者が、見舞いに来た人と話している。
「何言ってるのよ、ほら、楽しそうに歌ってるじゃない。聞こえるでしょ」
 康子が精神病院に入院してから三年経っていた。
 四年前、隆が幼稚園の園児だったとき、一人で風呂に入っていていた。隆が風呂からなかなか出てこないので、康子は変に思い、風呂に行って驚愕した。隆は頭から血を流し倒れていた。救急車を呼び、病院に運んだときにはもう息が切れていた。
 康子は変わってしまった。隆の思い出が詰まったマンションには住めなくなり、新しいマンションに引っ越した。風呂は隆の死後入れなくなった。食事ものどを通らなくなり、パートの仕事も止めた。家に閉じこもりがちになり、家事をしなくなった。靖雄の週末は掃除、洗濯、買い物でつぶれた。康子はいつも「隆ちゃん、隆ちゃん」と泣いていた。
隆の死後一年ほど過ぎて、康子の言うことがおかしくなった。隆の声が聞こえるという。隆の姿が目に見えるというのだ。
「あなた、見えないの。ほら冷蔵庫の前に立っているじゃない。隆ちゃん、アイスクリームをそんなに食べると、ポンポン痛くなるから、しょうがない子ね」
 康子の症状は悪化し、テレビで幼稚園の園児が遊んでいる番組を見ていると、康子はテレビの画像を指差して、「ほら、隆が遊んでる。楽しそうね」と言ったり、電車に乗っても「あそこの人たち隆のことを話しているわ」と言ったりした。
とうとう靖雄は康子を車で一時間ほど離れた精神病院に入院させた。近所には「康子が体調がすぐれず、しばらく実家に帰した」と言っておいた。
 入院してから、週末には必ず見舞いに行った。しかし、見舞いに行っても全然見舞いのし甲斐がなかった。
 病院の看護師の話によると、康子は入浴をひどく嫌い、看護師が二人がかりで無理やり入浴させるとのことだ。病院の廊下を「隆ちゃん、隆ちゃん、良く来たね。お母さん、待ってたのよ」と言って、病院から患者に配られる菓子を廊下に並べて座り込んでしまうそうだ。院長に症状を聞いても、精神的なショックは立ち直るのに時間がかかると言う。どれぐらいかかるかは、ショックの度合いと、本人の性格により、まちまちらしい。子供を交通事故で三人も一度に亡くした母親は、その後二十年経った今でも治らないで入院中だそうだ。精神病の原因は、精神的な苦痛から身体を救うために、胃腸とか心臓などの内臓を犯す代わりに、人格を別人にしてしまうために生ずるらしい。
 康子は靖雄の大学の後輩だった。康子の父親は医者で、康子をゆくゆくは医者に嫁がせようと思っていた。だから商事会社の靖雄と結婚するのには反対であった。康子は家を飛び出し、親の反対を押し切って靖雄と結婚した。
 靖雄は康子の見舞いが億劫になってきた。初めは毎週だったのが、月に二、三回となり、ついには月に一回となった。見舞っても話が全然かみ合わないからだ。隆の話ばかりする。隆が生きていると信じている。隆の葬式の写真を見せても信じない。康子は靖雄の目を決して見ない。靖雄の右肩の後ろの方を見て話す。見舞いの果物や好物の菓子パンを出しても、隆に食べさせる、と言って食べようとしない。 
「あなた、この前頼んでおいたでしょ。また持って来てないの? 隆の玩具。今度ちゃんと買ってきてね。もう、忘れっぽいんだから。新幹線よ。それから玩具のパンフレットも持ってきてね」
 靖雄は一時間も車を走らせて、病院に見舞いに行っても、帰るときは打ちひしがれた。重症だ。治らないかもしれない。俺の人生は妻の見舞いで終わってしまうのか。あの熱烈な恋愛は一体何だったのか。もう一人子供を作れば康子は立ち直るだろうと思っていたが、それは無理だ。たまに外出許可をもらって家に連れて来ても、そんな気になれないし、第一、康子はもう以前の康子でなくなってしまった。靖雄のことなど全然何も思っていないように思えた。会社の仕事はまずまず順調にこなしてはいるものの、世の中が嫌になった。子供が風呂で死んでしまう。これはあまりにもひどい。さらに康子が精神病にかかってしまった。なぜ、こんなに人生は厳しいのか。俺が安らぐところはないのか。康子は康子で自分の世界を構築している。その世界には隆がいる。隆の死後、隆と共に生きているのだ。妻は死ぬまで、いや、死んでからも隆と共に生き続けるのだ。精神病と言えば世間から疎まれているが、康子自身はおそらく病気と思っていないのだろう。康子は夫の俺が見舞いに来てくれるし、隆はすぐそばにいるし、病院食とは言え、三度の食事は言わば「据え膳」だ。康子は端から見れば不幸だが、虚構の世界に生きる康子は、康子なりに幸せかもしれない。それにひきかえ、この俺は一体何なのだ。どこで狂ったのか。一人で朝飯を食い、会社に行き、会社から帰ると、掃除、洗濯、買い物と、家事を一切男手一人でやる。一体俺は何をやっているのか。一生の伴侶、一生の友、喧嘩をしても仲良く二人で暮らしていくはずだったのに。週末にたまに外出しても家族連れがすぐ目に入り、うらやましく思い、あの家族のあの子供が死ねば良いと思ったりする。恐ろしいことだ。一人でテレビを見ていても空々しい。一人で晩飯を食っていても、おいしくない。話し相手がほしい、心を割って話す相手が、泣いてわめいて喧嘩をする相手が、まっとうに話ができる相手がほしい。午前〇時を過ぎて、一人で布団にまた入るのだ。誰も起こしてくれない。この部屋でたった一人で、この家でたった一人で布団の端を両腕で人形のように抱え、背中を丸めて泣くようにして寝る毎日だ。
康子が入院して五年が過ぎた。靖雄も来年は四十になろうとしていた。
「後藤さん、そのネクタイ素敵ですね」
 廊下で会った若い女子社員から声をかけられた。
「このネクタイ? この前、出張でシンガポールに行ったとき買ったんだよ。そんなに良いかね。この手のネクタイは君の好みかね」
「ええ、後藤さんのネクタイではそれが一番素敵です。青のタータンチェックのも素敵ですけど」
「えっ、私のネクタイを観察しているのかね」
「ええ、ネクタイと言うより、その……後藤さんを」
「私を? こんなおじさんを、どうして」
「どうしてって」
陽子は黙ってはにかむようにうつむいてしまった。
「君、まさか? ぼくのことを」
「ええ」
陽子は顔を上げ、靖雄の目をチラッと見て足早に立ち去った。
 一体このような打ちひしがれた中年男を、好きになるとは陽子はどういう娘なのか。冷やかしではない。うつむいたとき、ほんのり頬が染まったような気がした。まだ入社して三年か四年しか経っていないはずだから、歳は二十四、五というところだろう。特に美人と言うほどではなく、まあ人並みだが。しかし、そんなことは問題ではなかった。世の中が急に明るくなった。靖雄のことを気にかけてくれる人、強い心の支えとなる人が突如出現したのだ。
靖雄は隆が亡くなってから、始めて自分が生きていると感じた。若い女性が私を好いている。現に好いていてくれると言うことが靖雄にとって何にも代えがたい生きる力を与えた。俺のどこがいいのか。「蓼食う虫も」と言うが、俺みたいな人生に疲れた男を好きになるとは……
 それからの靖雄は変わった。朝起きても、出勤中も、仕事中も、陽子のことが頭から離れなかった。陽子はいつもテキパキと明るく仕事をしていた。廊下で会っても頭を下げるぐらいの挨拶で、傍から見たらまさか陽子が靖雄のことを好いているとは誰も気が付かなかった。
 会議が早く終わったある日、靖雄は思い切って陽子を映画に誘った。映画は英国映画で恋愛物の「ジェーン・エア」だった。映画が終わって、肩を並べて歩きながら靖雄は陽子に、思い切って、自然な声の調子をよそおって尋ねた。
「で、言いにくいんだけど、えっと、安井さんはわたしのどこがいいんですか」
 単刀直入な突然の質問に戸惑ったのか、陽子は五,六歩無言で歩いてから答えた。
「後藤さんて、失礼ですが、亡くなった私の父に良く似ているんです。始めて今の職場に来て後藤さんを見かけて、驚いたんです」
「えっ、お父さんを亡くされてたんですか。ちっとも知らなかった。それは、残念なことでした」
靖雄は陽子が自分のことを恋人としてではなく、父親として見ているのに落胆した。
「で、おいくつでした」
「四十一でした。白血病で」
「そんなに若いときに? それは、その…… なんて言ったらいいのか……」
靖雄は、慰める言葉を捜そうとしたがうまく言葉が出なかった。
「いいんです。もう十年も前のことで、初めは気が狂いそうに悲しかったんですけど」
「そうですか。で、お父さんに似ているって、何が似ているんですか」
「全部なんです。顔つき、体格、それに性格も似てますよ」
「性格って?」
「ええ、なんと言うか、神経質そうで。すみません、変なこと言っちゃって。いい意味で言えば気配りというか、細かいところによく気が付くというか。それに粘り強いところなんか。それから……」
陽子は一瞬、間を置いた。
「それから、どこか背中が寂しそうなんです」
靖雄はうんと唸った。当たっている。康子はいつも靖雄に言っていた。「あなたは神経質だから、もっとどーんと大きく構えたら」とか、「根気があるのは父親譲りね」とか。
 靖雄は家に帰って考えた。俺は陽子の父親代わりなんだ。俺を父親として見ているのだ。しかし父親だろうが何だろうが、陽子のように明るく積極的な若い女性に好かれるのは嬉しく感じた。
 康子の見舞いに行くのが、ますます気が重くなった。妻が入院しているというのに、若い独身女性と交際していることが重荷になってきた。康子は解放病棟に入院していた。解放病棟は許可があれば外出ができる軽症の患者が入っていた。重症患者は部屋に鍵のかかる閉鎖病棟に入っていた。
 康子と話していると時々話が通ずることがあった。
「この前、佐々木さん宅で法事があってね。佐々木さんのお嬢さん、名前をなんて言ったか、えっと」
「圭子さんよ」
「そう、圭子さん、今度結婚するそうだよ」
「圭子ちゃんが。結婚するのね。圭子ちゃん、まだ高校生のとき隆を良くあやしてくれたわ」
「で、結婚式は十月だそうだよ。正式に招待状を送ると言っていたよ」
「じゃあ、隆も一緒に行くのね」
「また、隆はいないんだから……」
「だからいつも言ってるでしょ、隆ちゃんが死んだことを内緒にしておきましょうって」
 話がこうなると靖雄はなんと言って受け答えていいか分からなくなる。一瞬、ああ、普通の康子に戻ったと思うと、奈落の底に突き放される。内緒にしておくって、どういうことだ。やはり、病気は全然治っていないのだ。
「隆は死んで、葬式もやったじゃないか」
靖雄は情けないやら、怒れてくるやら、語気がついつい強くなってしまう。
「もう、帰って。お見舞いありがとう」
と言って康子は玄関ロビーの椅子から立ちあがり、さっさと病室にかえってしまう。
また、今日も靖雄は重々しい気持ちで車を運転して帰るのだ。日中だというのに、一時間も走るというのに、車の外の景色は見えなかった。
靖雄は家に帰ると康子のことは次第に薄れてきて、代わりに陽子のことが頭に入ってきた。康子に冷酷に突き落とされても、陽子が暖かく引き上げてくれた。会社に行きさえすれば康子のことはすっかり忘れ、陽子がさっそうと廊下を歩き、笑顔で挨拶し、仕事をこなしている姿が靖雄の心を癒してくれた。
 陽子との交際は三ヶ月目に入った。 
「後藤さんって、お子さんを亡くされたそうですね」
「ええ、子供が幼稚園のときに」
「そうですか、やはり、どこか寂しそうなのはそのせいですね」
「寂しそうって、そんな雰囲気がありますか」
「ええ、始めてお会いした時に何かとてもやるせないというか、寂しいというか、そんな雰囲気でした」
「でも、最近は変わったよ。君のおかげだよ」
靖雄は感謝の気持ちもこめて言った。ただ康子のことはなるべく話題にしなかった。康子が精神病院に入院していることを陽子は知らないはずだ。
会社の誰も康子が入院していることは知らない。知っているのは近い親戚だけだから。よほどのことがない限り、親戚の人がわざわざ職場の人にそんなことを言いに来るはずがない。
「わたしのおかげなんて、そんなに持ち上げないで下さい。実は、父もわたしの妹を小学校の二年生のとき亡くしているんです」
陽子は、靖雄が父親に似て、どこか寂しいところがあると言っていた。陽子の父親もお子さんを亡くしているのか。靖雄は陽子と共通点が増えたと思った。なにかそのことを聞いて、また急速に二人が接近したように感じた
陽子は伏せていた目を上げ、思い切ったように靖雄の目を見て言った。
「実は、母がしきりにわたしにお見合いを勧めるんです。わたしはまだ結婚する気はないと言うんですが…… 母は、誰か好きな人でもいるのかと聞くんです」
 陽子は靖雄の目を哀願を込めて見ているようだった。靖雄はその次の言葉を待った。好きな人がいるのか。それは誰か。自分かもしれない。うぬぼれだろうか。
「それで、君、誰か好きな人が……」
「ええ」
 陽子は目を伏せて、答えなかった。靖雄もそのまま黙ってしまった。
その夜、靖雄はこのまま陽子と付き合っていて、この先どうなるのかと考え始めた。康子がいる限り、この交際は平行線をたどる。十五歳年下の女性と結婚している男はいっぱいいる。かと言って康子がいる限り重婚になってしまう。康子が生きていることが恨めしくなってきた。もしいなければ、陽子と一緒になることもできる。精神病の妻を持った夫は一生その妻のために生活を犠牲にしなければならないのか。世の中には重病で入院している妻を看病している夫の話はよくある。それは、妻が夫を正常に認識しているからだ。康子のように夫を認識はしていても単に法律上の夫というだけの関係で、人間的な血の通った意思の疎通がある関係ではない。喧嘩をする夫婦は百パーセント意思の疎通があるのだ。別居をしていても、それは相手を百パーセント夫、または妻と正常に認めているのだ。しかし、精神病は違う。精神に異常をきたしているのだ。正常な形で夫と認識していると言えない。
 靖雄は何とか屁理屈をつけて、陽子との結婚を正当化しようとした。
 そうか、いっそ、康子が死ねばいいのだ。隆が死んだ当時、康子は「死にたい、死にたい」と言っていた。「死にたい」と言わなくなった頃から気が狂い始めた。しかし、心の奥底では、どう思っているのだろう。本当に死んで隆のとこに早く行きたいと思っているのだろうか。そうではあるまい。死にたいぐらい悲しかったのだ。
陽子と結婚するには康子に死んでもらうしかない。精神病を患っている人間は、世の中の何も役に立っていない。家族や周りの者を引っ張り込んで変な話をする。変な態度を取る。周りの者が返って気が狂ってしまう。言わば、精神病者は社会のマイナスだ。社会のマイナス要因はこれを除去しなくてはならない。殺人犯などは社会の大きなマイナスだ。だから死刑もあるのだ。
 靖雄はとんでもないことを考えている自分に気が付いた。自分も気が変になったのかと思った。しかし、本音は、康子がいなくなり、陽子と結ばれることを心底願うようになった。
 そんなことを考えるようになった日曜日、病院に見舞いに行った。
「あなたが来るといい匂いがするの。何か香水の匂いよ」
靖雄は一瞬ドキッとした。昨日陽子とデイトのとき着ていた服と同じ服を着てきたのだ。陽子の香水が服についているのだ。康子は俺が別の女性と付き合っていることに気が付いたのか。うまく切り返す言葉を捜していると康子が言った。
「私にも買ってきて、その香水」
「香水の匂いがするって、何の香水だろう。分からないよ。そう言えは、昨日乗った電車の隣に座ったおばさんが化粧が濃くて、香水ぷんぷんだったよ。多分その匂いが移ったんだ」
「でも、この前見舞いに来てくれたときもよ。同じ匂いよ」
「えっ、そうか。何だろう。会社にも香水のきつい人もいるし……。そうそう、隆の新幹線持ってきたよ」
 靖雄は冷や汗をかいた。うまく話題を変えたが、陽子の事がばれたのかもしれない。しかし、康子は精神異常だ。現に、「わたしにも同じ香水を買ってきて」と言ったじゃないか。「誰か女の人ができたのね」とは言わなかった。とぼけて言っていたのか。いや、とぼけではない。しかし、精神異常と言ってもどこまで異常なのか。ともかく、これからは同じ服を着てくるのはまずいと思った。
一抱えもするような箱から全長三十センチぐらいの新幹線を出すと康子が言った。
「こんな大きいのじゃないのよ。わからないのね。もっと小さい、ミニ新幹線よ。こんな大きなのと隆遊べないわ。お店に返してきて」
 靖雄はむっとなった。玩具売り場をあちこち探して、どれがいいか迷い迷いして、とっくに死んでしまったわが子のために、いや康子の心の平安のためにやっと買ってきたと言うのに。
「何言ってるんだ。もういい加減にしないか。隆は死んで、いないんだから」
「だから隆が死んだことを内緒にしておきましょって、何度も言ってるでしょ」
 何度言っても分からない。分からないと分かっていても、ついきつい言葉が出てしまう自分が情けなかった。担当医は、相手の話にわざと乗ることも必要だと言っていたが、それには限度があると思った。
 病院からの帰り、ハンドルが重かった。靖雄は康子が本当に死ねばいいと思った。死ねば自由だ。香水がどうの、隆がどうの、玩具がどうの、一切から解放される。康子と話せば話すほど、こちらの頭がおかしくなってしまう。早く死ねばいい。早く死なないか。陽子と結婚したい。陽子もそれを望んでいるようだ。
靖雄は陽子に、もしプロポーズしたら、受けてくれるか尋ねた。
「からかわないで下さい。後藤さん。奥様がいらっしゃるんでしょ」
「真面目な話だ。真剣に考えているんだ。離婚だってするつもりだ。だからさ。わたしは君のことばかり思っているんだ。一緒になれればどんなに幸せかと、いつも思っているんだ。現に、君がわたしの前に現れてから、大げさかもしれないが、人生が変わったんだよ。地獄から天国に昇ったようなんだ。信じてもらえないだろうが。本当に、本当に、世界が変わったんだよ。君がわたしの生きる力なんだ。君なしでは世の中、何の光もないんだ」
 陽子はじっと聞いていた。やや沈黙が流れて陽子は言った。
「それは、わたしも同じです。父を亡くしてからは後藤さんに会うまで、ただ父の影を追って生きてきたみたいなんです。ただ漫然と生きてきたんです。父を亡くした悲しみは時が経つに連れて薄らいでは来てますが、この十年、惰性で生きてきたようなんです。生きる力、生きる目的がなかったんです。父の力はわたしの力だったんです。後藤さんと一緒ならば、どれだけ心強いか、どれだけ幸せか…… 誤解しないで下さい。後藤さんを父親の代わりと思って言っているんではないんです。失礼ですけど、初めはそうでしたが、今は、父と後藤さんの違う点がいろいろ分かってきました。分かってきましたが、それでもわたしは後藤さんの魅力に勝てないのです。後藤さんを父親としてではなく、後藤さんを一人の人格として言っているんです。わたしも、毎日……」
陽子は急に言葉を詰まらせ、困惑した顔をして靖雄の目をじっと見つめて言った。
「後藤さん、もう止めましょう。いくらこんなことを話しても、後藤さんには奥様がいらっしゃるし……」
靖雄は決心した。何らかの形で、康子に死んでもらうしかない。そして陽子と結婚しよう。陽子もそれを望んでいる。しかし、どのようにして康子に死んでもらえばいいのか。外出許可をもらって、そのときに何かを飲ませるとか、事故に見せかけてとか。しかし、どれだけ考えても方法が思いつかなかった。
久しぶりに見舞いに行ったら看護師が言った。
「後藤さん、奥さんに言ってください。最近全然食べないんですよ」
 また看護師の苦情だ。黙って聞くしかない。
「頑として食べようとしないんです。歯を閉じてしまって。二人がかりで口をこじ開けて食事を入れているんです」
 靖雄はやつれた康子の顔を見た。目は空ろで、壁の一点を見ている。靖雄が見舞いに来ていることは分かっているようだ。
「康子、どうしたんだ。ちゃんと飯を食べないと身体に悪いから。身体が弱って病気になってしまうぞ」
靖雄は自分の本心を康子に見抜かれているのではないかと思いつつ言った。
「何を考えているんだ、康子、看護師さんに苦労をかけて。申し訳ないと思わないのか」
看護師の手前、必要以上に強く叱った。
「ちゃんと食べるんだよ。身体が弱って死んでしまうぞ。頼むから食べてくれ」
 康子は視線を靖雄の方に向けたが、靖雄の目に焦点が合っていない。目が窪み、顔は異様に青白かった。げっそりと痩せてしまった。腕などは枯枝のようだ。靖雄の方を見ているだけで口を開こうとしない。
「康子、どうしたのだ。なんか言ったらどうなんだ」
「……」
「康子、どうかしたのか……」
「……死んだほうが、いい」
 康雄はギクッとした。まさか自分が思っていることが分かるわけはないのに。
「何言ってるんだ。ちゃんと食べて、元気になって、早く退院しよう」
「死ぬ、死ぬ、わたしは、死ぬの、隆が、来ない、みんな、どこかに、行って、しまう」
 みんなどこかに行ってしまうとはどういうことだ。俺が陽子のところに行ってしまうということなのか。隆が死んでしまったことなのか。康子の友達から音信不通になってしまっていることなのか。康子の母親が、隆が生まれて一年後に心臓病で亡くなったことなのか。
 この先どうなるか考えた。病院側も康子には手を焼いているようだ。他の患者より手間がかかるようで、それが看護師の仕事だと思っても、心苦しいものがあった。康子、一体どうしたらいいのだ。康子のことを考えると世の中のことが本当に嫌になった。もう、死にたければ、死ねばいい。俺は知らない。もうお前には付き合っていられない。疲れる。そんなに俺を苦しめないでくれ。俺の方が死にたい。

「あなた、ごめんなさいね。隆ちゃんが死んでるのに、変なことばっかり言って。でも、なにか頭の中のもやが急にぱっと飛び散ったみたいなの。きちんと物を考えることができるようになったみたい。今日ね、先生がもう退院していいとおっしゃったの。長い間本当に苦労をかけました。家事も大変だったでしょう。私がやりますから。ご心配かけました。本当にごめんなさいね。また夫婦仲良くやっていきましょうね」「えっ、康子、お前、治ったのか。そんな急に治るのか」靖雄は夢を見ているのかと思った。が、一瞬困った。陽子と別れることになるのか……

電話のベルの音で靖雄は目を覚ました。夜中の一時だ。
「後藤さんですか。こちら小笠原病院です。康子さんが危篤です。すぐ病院に来てください。はい、そうです。小笠原病院です。はい、後藤康子さんです。ご主人ですね。すぐ来てください」
靖雄は映画の一シーンを見ているかと思った。小笠原病院。後藤康子。間違いない。
タクシーを呼んで一時間後に病院に着き、急いで康子の病室に駆け込んだ。院長、担当医、看護師二人が一斉に靖雄の方を振り返った。康子は酸素マスクをつけていた。院長が低い声で言った。
「ご主人ですか。残念ですが、たった今息を引き取られました」
 そんな馬鹿なことってあるのか。一週間前、見舞いに来たとき、元気だったのに。一体どうしたというのだ。
「心不全でした」
 靖雄は頭を強く打たれたような衝撃を感じた。何も聞こえない。何も見えない。身体が、手が、足が震えた。そんなことってあるのか。そんなことって…… 三十五歳で心不全なんて。
康子の顔を見た。眠っている。眠っているだけだ。ただ眠っているだけだ。
一瞬、康子の葬式の情景が目に浮かんだ。祭壇に康子の写真。次の瞬間、陽子の顔が頭をかすめた。陽子と結婚……
俺は、なんという恐ろしい奴だ。最低の人間だ。いや、人間以下だ。康子が亡くなったばっかりというのに。陽子のことが頭に入り込む隙があるなんて。一体この隙は何なのか。これが普通の人間が普通に考えることなのか。俺は異常ではないのか。正常なのか。
葬式が終わって、病院から届いた康子の私物を整理していたら手帳が出てきた。手帳にはメモ程度の簡単な日記がほとんど毎日書かれていた。内容は隆のこと、看護師のこと、担当医のこと、同室の患者のこと、入浴や洗濯のこと、食べ物のこと、昔の思い出、心の葛藤などだ。最後に見舞いに行ったのは康子が亡くなる一週間前だったが、その日の日記にはこう書かれていた。日記はこれが最後になっていた。

五月二十日
やすおさん 見まい
いいにおい 
行かないで いかないで

靖雄は「いいにおい」の意味が何の匂いか分からなかった。まさか陽子の香水ではないだろう。あれ以降は陽子に会った時の服とは違う服を着るようにしているから。病院の窓から入る新緑のにおいか。部屋に飾ってある花の匂いか。いや、「靖雄さん、見舞い」と連動して、この前康子が言っていた「いい匂い」のことを思い出したのか。「行かないで」が二度も繰り返されている。誰がどこへ行かないで、なのか。隆に言っているのか、俺に言っているのか。隆はよく康子の目の前に現れるから俺のことか。俺が行かないでとは、陽子のところへ行かないで、と言っているのか。いや、現れた隆が去っていってしまうのを引き止めているのか。みんな私を置いてきぼりにしてどこかへ行かないでと嘆願しているのか。
 靖雄は手帳の文字をじっと見た。康子の文字だ。最後の文字だ。懐かしい文字だ。すらりとした縦長の滑らかなきれいな女性的な文字だ。始めて康子から来た手紙のことを思い出した。康子の父親が結婚を反対しているけれど靖雄と一緒になりたいということが書いてあった。初めて康子に会ったときのことを思い出した。康子が二十歳で、靖雄が二十四歳だった。乗っていたバスが急停車し、つり革につかまっていなかった靖雄は、座っていた女性の膝の上に倒れてしまった。その弾みで女性が膝の上に乗せていた紙袋が破れて床に落ち、中身がバスの床にばらばらと転がり落ちてしまった。靖雄は「すみません」と言って拾おうとしたが、すぐ女性は座席を立ち、「すみません、わたしが拾いますから」と言って拾い始めた。靖雄が会社に着いてしばらくしたら、先ほどの女性と廊下でばったり会った。それが康子だった。
 結婚して、隆が生まれて…… 二人で仲良く暮らした当時のことが今はっきりと懐かしく思い出された。
 隆を亡くして自責の念に苦しみ、毎日、毎日泣いていた康子。霊柩車に小さな棺を載せるとき、棺を両手でしっかり抱え、覆いかぶさるようにして大声で泣きじゃくった康子。図書館から借りてきた紙芝居を、登場人物になりきって隆に読んでやった康子。康子のために俺はどれだけのことをしてやったのだろう。隆を亡くして気が狂わんばかりになっていた康子をもっと支えてやるべきだった。俺は会社があるから仕事のことで気がまぎれることがあったが、康子はそうはいかなかったのだ。もっと康子のためにしてやるべきことがあったはずだ。俺が康子を病気にしてしまったようなものだ。すまん、康子。
お前が逝ってしまって、お前の存在の大きさに今初めて気がついた。お前が俺のそばにいること、お前が生きていること、たとえ精神病でも、お前がこの世に生きていることは当然のことと思っていた。陽子との結婚のことは、単なる逃避だった。お前が入院している状態で、お前が生きている状態で陽子と結婚することを考えていたのだ。虫のいい話だ。精神病であってもお前が生きているということは、いろいろ不満があったが、生きているだけで、長年苦楽を共にしたということが、空気や水のようにわたしの大きな生きる力となっていたのだ。それに気が付かなかった。許してくれ康子。俺はどこにも行かないよ。
靖雄はシンガポールへの転勤願いを出した。



                       終り

          

2009年11月26日木曜日

悪魔の果肉

 
小説宝石新人賞応募作品


     悪魔の果肉


 その奇怪な出来事の発端は四年前にさかのぼる。当時、私は五十五歳で、東京大学医学研究所、血液研究センターの所長であった。
 その年の十月三日、私はハンガリーに飛び、ブタペストで開催された国際赤十字血液学学会で基調講演を行った。学会終了後ルーマニアに飛び、トランシルバニア地方にあるブラン城、いわゆるドラキュラ城を訪れた。
実は私はドラキュラ映画のフアンで俳優クリストファー・リーが演ずる吸血鬼映画はほとんど見ており、ドラキュラ城をかねがね訪れたいと思っていた。そんな矢先、ブラム・ストーカー原作『ドラキュラ』の出版百周年記念行事がトランシルバニアのアレフ村で行われると聞き、学会の帰りにルーマニアに飛んだ訳だ。
 十月五日、アレフ村に着いたのは午後二時ごろで、記念行事の真っ盛りであった。何百人ものドラキュラフアンや観光客が集まっており、ドラキュラ伯爵花嫁コンテスト、レイモンド・マクナリー博士の講演「バンパイアと恐怖」、人体杭刺し無料体験、ドラキュラ映画鑑賞会、ドラキュラ・グッズ展示販売会など多彩であった。私はドラキュラ伯爵と握手をし、花嫁と写真を撮り、小説の主人公ジョナサン・ハーカーが食べたという吸血鬼料理も味わった。
 翌、十月六日、ドラキュラ城を訪れた。城はトランシルバニア山脈のブチェシ山の頂上近くに不気味にそびえていた。灰色の空に向かって三つの望塔が伸び、円錐形の屋根は血のような赤褐色を呈し、見るからに吸血鬼と無数のバンパイアが城の奥深くで眠っているようだった。  
 城に着き、城門から中庭に入った。見物客はまばらであった。中庭を横切って、正面の石段を上がって城内に入った。
 まず、ドラキュラ伯爵の執務室があり、八角形の木製テーブルとオルガンがあった。その隣は暖炉付きのリビングルームで、壁にドラキュラ伯爵の肖像画が飾ってあり、伯爵は白い花を、カルメンのように口にくわえていた。奥の寝室に行くと四本の柱で囲まれたダブルベッドがあり、壁際に黒光りする棺が安置してあった。棺を見ていると、今にも蓋が開き、ドラキュラが充血した目を開け、飛び出して私の首に牙を刺し、血が首から流れる光景を想像した。
その後、らせん階段を下りて地下牢に行った。暗い湿った牢獄には、頭を砕く金具、トゲだらけの椅子、手を焼く鉄製手袋等の拷問道具が散らばっており、私は息が苦しくなり、階段を急いで登って中庭に出た。
ほっとして、丸井戸のそばの石に腰かけて一休みした。井戸のそばに可愛い青い花が咲いていた。もう見物時間が終わるころだ。帰ろうかと思っていると、白いフリルのブラウスと赤いロングスカートの民族衣装を着た中年の女性が私のそばに来て、ドイツ語で言った。
「昔、この井戸は城の外に出る秘密の抜け道になっていたんですよ」
彼女はアレフ村の出身で城のガイドをこの十年ほどしていると言う。私が日本人で血液を専門としている医者だと言うと、彼女は奇妙な話をしだした。話の内容はおおよそ次のようなものだった。
ブラジョフ市にある聖ニコラエ教会の資料室から発見された古文書によると、約百五十年前、ぺステラ村で奇怪な事件が起こった。村はドラキュラ城から約八キロ西方にあり、旅人がたまたま道を間違えて村に迷い込んだ。一夜の宿をお願いするため、農家を訪ねて驚いた。家には死体がごろごろしていた。他の三軒の農家も同じで、腐りかけた死体があちこちに転がっていた。四軒目では青白い顔をした男が、横たわっている人間の首のあたりに覆いかぶさっていたが、旅人に気がつき顔をあげた。口の周りが血だらけで、旅人はぞっとして逃げた。逃げる途中、青白い痩せた二人の男が取っ組み合いをしており、二人とも口の周りが血だらけだった。二人は旅人に気がつき、目をギラギラさせて追いかけてきた。旅人は逃げたが、転んで一人の男に追いつかれ、足を噛まれた。旅人は反対の足で思い切り男を蹴って山に逃げた。険しい山を必死でよじ登り、しばくして下を振り向くと二人の男は追って来なかった。急勾配の山を登る体力がないのだろう、と旅人は思った。
 旅人は故郷のアレフ村に帰ってこの話をしたが、皆笑って聞くだけで信用してくれなかった。しかし、半年後、ある神父がその村の教会を訪れて、ぺステラ村で約六百人が死んでいることが分かった。はじめ、神父は餓死のためかと思ったが、村には牛や豚が放牧しており、どの農家にも小麦、ジャガイモ、ヒマワリの種等の食物は十分残っていた。この怪事件はその後「蒼白事件」と名づけられたが、なぜ村人が蒼白になったのか、なぜ口の周りに血がついていたのかは未だに分からないという。
 ガイドから以上の話を聞いて、血液学を専門としている私は、蒼白病は勿論貧血によるものと直感したのだが、なぜ六百人もの村人が死んだのかわからなかった。貧血は一般に鉄欠乏性貧血が多く、鉄分の摂取不足による。しかし、村には食料が十分あったのだから、鉄分不足ではない。そうすると赤血球の生成機能の低下か、異常破壊か、肝臓障害が原因だ。また、口の周りの血は何だろう。吸血鬼に関係があるのだろうか。私は大いに興味を持った。
その日の夕方、宿泊していたブラショブ市のホテルの支配人にガイドから聞いた話をしたところ、蒼白病のことを知っていた。ぺステラ村の場所を尋ねると、翌日に見学を予定していたブルケンタル国立博物館のあるシビウ市に行く途中にあると言う。それならばと、翌日は、まずぺステラ村を訪れ、その後博物館を見学することにした。
翌、七日の朝、タクシーを頼んでぺステラ村に向かった。運転手によると昔は切り立った山があり、村に通ずる道路がなかったが二十年ほど前にトンネルができ、交通も楽になったと言う。 
 ブラショブ市から西に約二十分走ると、そそり立つ山が迫ってきてトンネルに入り、約十分後トンネルを出た。急に眼下に盆地が広がった。ぺステラ村だ。タクシーを止めて足元の村を見下ろした。
 村の中央に教会の尖塔が見え、周りに農家が点在し、畑と緑の丘が広がっていた。村の東西と北の三方には険しい山があり、南側には広い川が流れていた。運転手はダニューブ川の支流だと言う。村は四方が山と川に囲まれた、言わば陸の孤島であった。再びタクシーに乗り、さらに十分ほど走って教会に向かった。教会の過去帳に蒼白病事件で亡くなった村人の記録があると思ったからだ。
 教会に着き、運転手を待たせて教会に入った。激しいパイプオルガンの音が響き渡っていた。長椅子に腰をかけて祭壇を見た。祭壇中央にある十字架に磔つけられた褐色のキリスト像が、ステンドグラスを通す光に赤と青のまだら模様に輝き荘厳であった。しばくすると突然パイプオルガンの音が止んで、足音が近づいてきた。
 現れた神父は白髪でひょろ長く頬が落ちこみ、ローマン・カラーがだぶだぶで、咽仏がいやに突起していた。私はドイツ語で言った。
「私は日本から来ました。血液学博士の清水健一と申します。実は、百五十年前に当地で起こった蒼白病のことを調べたいと思って参りました」
「蒼白病といいますと、あの六百人ほどが亡くなった病気ですね」
「そうです。蒼白病は恐らく貧血と思いますが、なぜ、六百人もの人が急に亡くなってしまったのか、それを調べたいと思いまして」
「そうですか、しかし、もう百五十年も前の事ですが……。で、何か私にできることがありますか」
「はい、できれば、当時の過去帳を見せていただけませんか」
「過去帳ですか」
「はあ、過去帳に病死した人の名前と時期と年齢が書いてあるはずですので、何か手掛かりがあるのではないかと思います。当時の過去帳はございませんか」
「資料室にありますが……」
と、神父は言って、やや間をおいて言った。
「よろしい。お見せしましょう。ご研究のお役に立てれば光栄です」
神父は祭壇に向かって礼をし、右手の扉に向かって歩き出した。
私は後に続いた。神父は扉を開けて中庭に出た。神父の話では、ここ聖ビセリンカ教会は一二二三年に建立され、別名「赤の教会」と言った。一四五三年にオスマントルコ軍がこの地を攻め、教会に逃げた多くの村人がオスマン兵に見つかり、婦女、子供を含むほぼ全員が惨殺された。その時流れた血が教会の床を真っ赤に染めたからだ。神父の話を聞きながら中庭を囲んでいる回廊を奥へ進むと下り階段があり、階段を下りると半地下になっている部屋の前に来た。神父は「資料室です」と言って部屋の鍵を開け、中に入った。
窓が天井近くの壁に二つあったが部屋全体が薄暗く、窓側の一方の壁に鼻が欠けた聖母マリアの彫像、色あせた受胎告知の絵画、刻んである文字が判読できないような墓碑などが並んでいた。これらは五十年ほど前に教会を改装した際、運び込まれたものだと言う。残り三方の壁には天井まで届く書架が並び、神父は踏み台を書架に引きずり、その上に乗って、上から二段目の棚に並んでいる一連の黄ばんだ背表紙の冊子の中から、三冊取り出して、踏み台を下りた。
 一冊づつページをめくり、二冊目をめくっていて、神父は言った。
「ありました。ここです。蒼白病で亡くなった人の記録です」
私は過去帳を覗き込んだがルーマニア語で書かれていて分からなかった。神父の説明によると、蒼白病は一八六六年六月から九月までの四ヶ月間に村全体を襲い、死者の年齢は六十歳ぐらいから幼児までだった。六十五歳以上の人の名前はなかった。なぜないのだろう、と私は疑問に思った。
神父はさらに三冊目を手にとって、ページをめくっていくうちに冊子から封書のようなものが床に落ちた。私は拾って封書の表書きを見たが、ルーマニア語で書かれてあり、神父に手渡した。神父は「何だろう」というような顔をして、受け取り、表書きを見た。そこには「血液の研究者へ」と書かれてあるとのことだった。封書の中には一枚の手紙と小さな包みが入っていた。神父によると、手紙には次のように書いてあった。
「蒼白病による死者は約六百人。大人だけでなく子供もその犠牲となる。三年前のぺステラ村の人口は約六五〇人。生き残った者は病人、老人、赤ん坊だけ。彼等ももう長くは生きられない。家という家には死体がごろごろしている。おそらくぺステラ村は絶滅するだろう。村は呪われている。同封の包みには「極楽の木」または「……の木」の種。この種を育て、その実の生態を血液学者が解明することを望む。もう村には大人はだれも住んでいない。恐らくわたしが最後だ。天罰が下ったのだ。天罰だ」
 手紙後半の「極楽の木」または「……の木」の「……」の部分は文字が不鮮明で神父は判読できなかった。しかし文脈からみて「……の木」は多分「天国の木」とか「至福の木」が当てはまるだろうと思った。ところで「極楽の木」とは何だろう。この木の実が蒼白病と関係があるのか。神父が包みを開けると中からリンゴの種のようなものが六個でてきた。私は神父に言った。
「神父様、この手紙と種を私に譲って下さいませんか。わたしは血液学博士です。この種を育てて、蒼白病との関係を調べてみたいと思います」
「それはもちろん結構です。表書きにも『血液の研究者』と書いてありますし。しかし、わたしの前任者が誰もこの手紙に気がつかなかったとは……。とにかく、わざわざ日本から血液学博士がこのようにして、教会に来てくださり、百五十年も前の村人の願いを聞き入れてくださるとは、神の御意志に相違ございません。是非お持ち帰られて、蒼白病との関係を調べてください」
 丁寧にお礼を言って教会を出て、待たせてあったタクシーに乗った。私はルーマニアにさらに三日滞在し、例の種を鞄に入れて、十月十一日、日本に帰った。

 東京大学医学研究所は港区にあり、大学教授、准教授、研究員、博士研究員、大学院学生等約千人近くが、先端医科学研究をしている。血液研究センターは研究棟十三階にあり、白血病などの造血器悪性腫瘍、再生不良性貧血、特発性血小板減少性紫斑病などを研究している。
私は研究所から徒歩十五分の所に住んでおり、妻を四年前に白血病で亡くしていた。娘の喜実子は京都大学文学部の二年生であった。
 帰国して「極楽の木」の種をどうしようか迷った。何しろ百五十年前の種である。始めは専門家に育ててもらおうかと思ったが、亡くなった妻がツタンカーメン王の墓から出てきたというエンドウの種を育て、見事に紫色のエンドウを収穫したことを思い出した。太古の種でも育てられるのだから、百五十年前なら私でも育てられるだろうと思った。
 私は試しに六個の種のうちの三個を育てることにした。もし失敗したら、残りの三個を専門家に依頼すればいい。直径十五センチほどの鉢に腐葉土を入れて種を蒔き、日当たりのいいリビングルームに置いた。十月だから種を蒔くのには良いはずだ。
 翌年三月に、三個のうち一個だけ芽を出してきた。

 二年後、十月、若芽は一メートルほどの木に成長した。幹の幅は約四センチ。イチジクの葉の形をした葉が一枚ずつ根元から四方に伸びている。十二、三枚ある葉は分厚く緑色をしているが。葉脈は白くて葉の中心に向かうほど太くなり、葉の中心部が白くなっていた。
木の形はゴムの木に似ており、ゴムの木との違いは葉柄から垂れ下がっている蔓だった。蔓は十二、三本あった。長さは三十センチほど。どの蔓もだらりと垂れ下がっているだけで、朝顔のように横に伸びて辺りにある物に巻き付くという様子もなかった。
 一体この蔓は何のためか。空中の水分を吸収しているのか、と不思議に思った。
不思議と言えば、手紙にあった「極楽の木」の意味がわからなかった。「極楽」と命名するような植物ではない。葉が緑色で葉脈が白く、葉の中心部が白いと言う点は珍しい。見た目も心が落ち着くところがある。しかし、これだけで「極楽の木」とは合点がいかない。どうして「極楽の木」なんだろう。神父がルーマニア語を間違えて訳したのだろうか。
 種を蒔いてから三年後、「極楽の木」は高さが一、四メートル、幹は六センチほどになり、葉の数も約三十枚になった。蔓も三十本ぐらいになり、長さが四十センチほどになった。
 十一月のある土曜日の朝、「極楽の木」は正体を現した。朝食に、いつものようにテレビの八時のニュース番組を見ながらパンにバターを塗っていると、甘い香りが漂ってきた。金木犀のような濃い香りだ。香りにつられて、「極楽の木」を見ると花が一輪咲いていた。白い花だ。
「やった、ついに花が咲いた。百五十年前の種から、とうとう花を咲かせるまでになった」
甘い香りは花から出ていた。パンをかじりながら、花に顔を近付けた。花は直径が五センチぐらいで花弁が何枚も重なっており、バラのような形をしていた。香りを嗅いだ。うーん、なんといういい香り。濃い。甘い。うっとりする。たまらない。もう一度目を閉じて香りをかいだ。素晴らしい。こんなに甘い、こんなに濃い、こんなにうっとりする香りは嗅いだことがなかった。そうか、だから「極楽の木」と言うのか。極楽はこのような香りで満ちているのだろう。と、その時、頭がくらくらして、立っておれなくなり、床にしゃがんでしまった。どうしたのだろう。ただ花の香りを嗅いだだけだ。しゃがんだまま花を見ると先ほどまで青白かった花が気のせいかほんのりと赤みがかっていた。
 はて……。確か香りをかごうとして、花に近づいた時は、青白かったのに。ほんの十秒かそこらで赤みを帯びるとは。不思議に思いつつ立ち上がり、もう一度香りをかいだ。香りを胸いっぱい吸いながら、ふと花の反対側にあるガラス戸棚に映っている自分の姿を見てギョッとした。首に蔓が三本刺さっていた。三本とも真っ赤だ。またふらふらして、その場にしゃがんだ。蔓は首から離れて、だらりと垂れ下がった。どれも赤い。これはどういうことだ。花を見た。さっきよりもっと赤くなっている。血が花に送られたのだ。蔓の先端を見た。血の跡がある。俺の血だ。蔓が俺の首に刺さり、血を吸ったのだ。ぞっとして首筋が寒くなった。落ち着いて、落ち着いて、気のせいだ。人の血を吸う植物なんて聞いたことがない。
 食卓に戻り、赤くなった花を見ながら首を手でなでた。掌を見ると蚊を叩いた後のような一筋の血の跡があった。蔓の先端の血、手についた血。間違いない。あの木は人の血を吸うのだ。よし。どのように蔓が首に刺さり、血を花に運ぶのか一度じっくり観察してやろうと思い、「極楽の木」に近づいてガラス戸に映る蔓を観察しながら香りをかいだ。するとどうだろう。だらりと下がっていた二十本ぐらいの蔓が一斉に蛇が頭をもたげるように先端を持ち上げ、私の首や腕や衣服をまさぐり、五、六本が首を刺した。蔓は次第に赤くなり、しばらくして、花が赤くなった。立っておれなくなったが、そのまま葉を見た。白い葉脈が赤く染まっていた。私は首に刺さった数本の蔓をつかんで引きちぎって、どっと倒れた。蔓の端から血が床にぽたぽたと落ちた。手に血がついた。この化け物め! 恐怖と驚きで我を忘れた。ずたずたに引き裂いてやる! そう思って立ち上がり、蔓をつかんで引きちぎった。葉っぱも、つかんでちぎろうとしたが案外強い。よしこうなれば、剪定バサミでと思ってハサミを取りに行こうとした時、携帯電話が鳴った。ドキッとした。
 電話は娘の喜実子からだった。めったに電話をしてこないが、なんだろう。
「お父さん、喜実子よ」
「おお、喜実子か。元気にやってるか」
「ええ、お父さんも? あのね、怒らないでね、わたし、ミス京都に選ばれたの」
「なに? ミス京都だって」
「ええ、お父さんには内緒でミスコンに応募したの。六百人ぐらい応募しててね、それでね、グランプリ獲得しちゃった」
「お前、みんなの前で、その、水着姿を見せたのか。なんという破廉恥な」
「だから、怒らないでねって言ってるでしょ。それでね、優勝したから、五十万円獲得したのよ」
「そうか、お前もか。血は争えんな。お母さんがミス広島だったからなぁ」
「ええ、知ってるわ。だから応募したのかも」
「それで、喜実子、その賞金どうするんだ」
「だから、今日電話したのよ。実はね、来年一年間は、親善大使の仕事があるの。だからね、この冬休みに、イタリアとフランスに三週間ほど旅行しようと思って」
「お前、一人でか」
「友達二人とよ。それでね、この冬休みは家に帰らないからって、そういう電話よ」
「そうか、正月に会えるのを楽しみにしてたのに。まあ、帰ったら一度顔を見せに来いよ」
「ええ、そうするわ。多分今度家に帰るの、春休みかも」
「そうか。ま、気をつけて行くんだぞ」
 電話を切って、喜実子は母親に似てきたと思った。まあ、好きなようにやるさ、と思って「極楽の木」を見た。
さっきまであんなに興奮していたのに、すっかり怒りがおさまってしまっていた。木の周りの床に、引きちぎった蔓が数本横たわり、床が血で汚れていた。花を見ると赤く染まっており、葉は葉脈が薄赤くなっていた。そうだ、花を咲かせたから、実をつけるかもしれない。だって、あの種はリンゴの種のようだったし、手紙にも実の生態を解明してほしいと書いてあった。そうだ、じっくり待ってどんな実をつけるか観察してやろう。
 それにしても、この木はうまくできている。花の香りで人間をひきつけ、匂いをかぐ時に蔓を体に突き刺して血を吸収するのだ。そういえばそのような植物があった。ウツボカズラとか言ったが、蓋つきの壺が茎からぶら下がっていて、昆虫が壺の中に入ると蓋が閉まり、虫を溶かして栄養にしてしまうのだ。ということはこの血を吸う木にしても、ただ単に水だけやっているだけでは良い実がならないわけだ。血を必要としているのだ。ぺステラ村の人が六百人も死んでしまったのは、この血を吸う植物のせいだったのか。しかし、死んでしまうほど血を吸われた、いや血を吸わせたのか。先ほど私が倒れるときに蔓は首から離れたし、手で蔓をつかんで引きちぎることもできたはずだ。まだほかに何かあるのだろうか。そう思いながら「極楽の木」を眺めた。木は何もなかったかのように立っていた。
血を吸われた日から、好奇心をもって木を眺めた。赤くなった花は、大きくなっていった。始め五センチほどの小さな花であったのに、一週間たった今は六、七センチぐらいの大きさになり、ますます赤みを帯びてきた。葉脈にあった血は花に送られたらしく、葉の中心部は元の白色に戻っていた。
 しかし、花は依然と部屋中に甘い香りを漂わせている。血を求めているのだ。私は近づいた。垂れ下がっていた二、三十本の蔓の先端が、マムシが頭をもたげるように、持ちあがり一斉に私のほうに向かって伸びた。私は覚悟した。血を吸わせよう。死ぬことはない。匂いをかいだ。蔓が何本か首に刺さった。手首にも刺さった。見る見るうちに蔓は赤くなり、白かった葉脈が赤くなり、ピンクの花が赤く染まっていった。体がふらついてきた。しかしもう少し、もう少し……。よしっ、ここまで。ふらつく体で木から離れた。蔓ははらりと身体から離れ、だらりと垂れた。どの先端にも血の跡があった。
 椅子に座って、赤みを帯びた花を見た。多分、花は真っ赤になるまで血を吸うのだ。そうするとまた血をやらねばならん。馬鹿だと言えば馬鹿だ。何も好き好んで血を吸う植物に血をやる必要はないのだ。しかしどういう実をつけるか知りたい。ただすぐにはやれない。血液が回復してからだ。私は四日後再び花に血を与えた。花は翌日に血色になっていた。三日後、花弁が赤茶色になり、ついには花弁を全部落とし、子房が残った。「極楽の木」の果実の元だ。実に成熟するまで一、二週間はかかるだろう。その日以来、あの甘い匂いはしなくなった。
十二月のある日の午後、木を見ながら考えた。なぜこの植物は血を吸うのだろうか。突然異変か。突然異変ならその原因は何か。どうして血を吸うようになったのか。ぺステラ村のことを思い出した。まてよ。ぺステラ村はドラキュラ城から八キロの所にある。吸血鬼ドラキュラ、それから血を吸う木、何か関係があるのだろうか。一体ドラキュラとは何者なのか
 インターネットで調べた。いくつかのサイトを検索し調べて行くうちにドラキュラは実在した人物であることが分かった。その人物は十五世紀中期のルーマニアのワラキア公で、ヴラド・ドラクル、またの名をヴラド・シェペシュ(串刺し公)と言った。
 一四六〇年、オスマントルコ軍がワラキアを襲撃した時、ヴラド公はオスマン軍を撃退し、二万三千人を捕虜とした。捕虜は串刺しの刑に処せられた。捕虜の肛門から杭を差し込み身体を突き抜けて口から杭を出し、串刺しにしたまま、頭を下にしてその杭を地面に突き立てた。突き立てたところはぺステラ村の小高い丘の上だった。二年後、一四六二年、再びオスマントルコ軍が、ワラキアを攻めたが、またもやヴラド公は撃退し、四万のオスマン兵を串刺しにして丘の上に突き立てた。二回の攻撃で六万三千本もの串刺しの杭が丘の上に林立したわけだ。三年前、シビウ市のブルケンタル国立博物館を見学したとき、ぺステラ村の丘から発見された半分朽ちた杭が展示されていたことを思い出した。
 私は林立する人間串刺しの挿絵を見て気持ち悪くなった。逆さになったオスマン兵が、口を大きく開け、杭を出し、口から血が滴り、杭を伝って地面に流れ落ちている。うめき声が聞こえ、傷口にうじがわき、ハエがたかり、身体は腐敗し、死臭が立ち込め、禿鷹が群がっている。この世の地獄だ。その後の串刺しの刑を受けたオスマン兵を合わせると合計九万人以上の血が地面に流れたのだ。地面は十分に血を吸ったはずだ。この血を吸ったある植物が突然異変を起こしたのではないかと思った。というのは血を吸う「極楽の木」の種はぺステラ村の教会から発見されたし、大量の血が流れたのもぺステラ村だからだ。
 二週間後、子房はゴルフボールぐらいの大きさの赤みを帯びた丸い実となった。ぺステラ村から種を持ち帰り、三年と二カ月たっていた。実は日ごとに赤くなり、忘れもしないクリスマスイヴの日、実が床に落ちた。とうとうこの果実を食べることができるのだ。「極楽の木」と言うから、さぞかし素晴らしい味だろう、と思って実を拾った。血のように真っ赤で、つるつるの表皮。ぴんと張った弾力。それでいてしなやか。いかにも食感を誘う。口に持っていった。その瞬間、ぺステラ村の教会で神父が訳してくれた文書を思い出した。確か「この木の実の生態を血液を研究する人が解明することを望む」と書いてあった。するとこの果実が蒼白病と関係があるのだ。食べて血を吐いて真っ青になり死ぬことだってありうるのだ。注意しなければならな。
 台所に実を持って行って洗い、皮をむいた。甘い匂いが広がった。たまらない。実を左手に持って、右手の人差し指の先で果肉に触り、指先を恐る恐る舌でなめた。甘い。とても。しびれとか毒でないようだ。もう一度果肉の表面の果汁を人差し指にたっぷりつけて、なめた。甘い。なんという甘さ。いやいや、慎重にしないと命取りになるかも。時間をおいたが何の身体の異常も起こらなかった。包丁で半分に切って、その半分をまた半分に切って、丁度ミカンの人袋分ぐらいの大きさだ。それを口に入れた。神妙な気持ちで噛んだ。硬めのバナナを噛む歯触りがあった。熟した桃のような甘い果汁が舌を潤し、口中に甘さが広がった。なんという甘さ。なんという香り。噛んだジュウシーな果肉を飲み込んだ。十五分時間をおいた。青酸カリなどの毒物は約十五分で毒が体内に回り死に至るからだ。十五分たっても異常はなかった。毒ではない。覚悟を決めて残りの果実を全部食べた。
 最初、熟した桃のような味がしたが、次にイチジクの味がし、最後にザクロのような味に変わった。一口で甘さが三回も変わるのだ。このような果物は今まで食べたことがなかった。禁断の実を食べたら、さぞかしこのような味がしたのだろうと思った。
 しばらくすると、酔ったようないい気分になってきた。どういうわけか性的興奮を覚えた、男性自身が立ってきた、次第に興奮が高まってきた、ああ、いい気持ちだ、ああ、いい気持ちだ、おんなのなかにぬめりこんでいくぬめりこんでいくぬめり……ああ……、心臓がどくどく鼓動し、呼吸があえぎ、天にも昇る気持ちだ、ああ、ああ、ああっ、立っておれなない、天地がひっくりかえる、官能の悦びだ、床にたおれた、男性自身が硬くなり、絶頂感が脳天を突き破り、エクスタシーに達して爆発した。手足がしびれる、ぴくぴくする、動くことができない……ああ、極楽だ、極楽だ……
 一体何が起こったのか。セックスもマスターベーションもしていないのに、この天地も張り裂けんばかりの強烈なオーガズム。今まで経験したオーガズムの数倍は強烈だ。まるでエロスの女神と最高のセックスをしたようだ。そうか、だから、「極楽の木」と言うのか。
 「極楽の木」を見た。何もなかったかのように蔓はだらり垂れ下がっている。もう一度あの天国に昇り詰める快感を味わいたくなった。また花が咲くのを待つしかない。今度はいつ咲くのだろう。一ヶ月後か、もっと前か、そもそも、もう一度咲くのだろうか。起き上がって「極楽の木」のそばに行った。蔓は何も反応しなかった。花が咲いている時だけ、蔓は頭を持ち上げ身体に刺さり血を吸うのだ。
さて、この奇妙な植物について血液研究センターに報告すべきだろうか。「私が育てている植物は血を栄養とし、実をつけ、実を食べるとオーガズムを経験する」などと言っても真面目に彼等は信じるだろうか。嘘みたいな話だ。だいたい私は、研究所でよく冗談を言うため、こんな話をしても冗談と思うに違いない。しかし、連中にこの怪奇な出来事をセンター所長として伝えるべきだろうか。今起こったことは公のことか、個人的なことか。公の研究として「極楽の木」を育てているのではない。私個人が好き勝手にやっていることだ。しかし、このような血を吸う植物は今まで聞いたことがない。やはり、公にすべきだろう。しかし、もし公にしたらどうなるか。もし「極楽の木」を研究所に持っていったらどうなるか。血液研究センターの研究員のみならず、生殖学や生物学の専門家がこのことを聞きつけ、寄ってたかって木を台無しにしてしまうだろう。報道陣がかぎつけたらどうなるか。私の研究生活はぶち壊しになるだろう。私はテレビカメラや、マイクを向けられるのは大嫌いだ。第一、極楽の快楽を味わうことは恐らく出来なくなるだろう。「極楽の木」は私個人の所有物だ。ぺステラ村の古い文書にも「木の実の生態を誰か血液を研究する人が解明することを望む」と書いてあった。私がその血液を研究する人だ。発表するにしても、もっと多角的にこの木の生態を解明してからにしたほうが良いはずだ。
 私は、今から思うと、自分の都合がいいように勝手にもっともらしい理由をつけて、結局は公にしないことにした。冷静な研究者としての私は、欲情を持つ私に負けた。本能が理性より強いのだ。
その日以来、「極楽の木」の世話を念入りにやった。植木ポットも、大きいものに変え、陽がもっと当たるように窓際に寄せた。水もやった。早く花が咲け、実をつけよ、あの天にも昇る気持ち良さよ。花が咲いたら、血を十分やろう。私は食事もインスタント食品を一切止め、血液の要素である鉄分、蛋白質、ビタミンBとC、銅を含む食物を十分に取ることにした。

 翌年の一月二十日、待っていた花が三つ咲いた。前の倍の甘い香りを部屋に漂わせた。ついにまたあの絶頂感が味わえるのか。花を見るだけで、欲情が湧いてきた。血を求めているはずだ。花に近づいた。蔓が一斉に先端を持ち上げ私の身体の方に向いた。匂いを嗅いだ。素晴らしい。極楽の香りだ。蔓の先端が私の首や手首に刺さった。刺される時全然痛みを感じなかった。蔓がみるみる赤くなっていき、白い葉脈が赤くなり、葉の中心部の白い部分がピンクに染まり、三つの花のうち二つの花が次第に赤くなってきた。頭がふらふらしてきたが、同時に快感を覚え気持ち良くなってきた。立っておれなくなり、どっとその場に倒れた。蔓は身体から離れた。どれぐらいの血が吸われたのだろう。五、六百ミリは取られているはずだ。
 床に倒れたまま考えた。蔓が刺さる時に痛くないのはなぜか。なぜ血を吸われている時に快感を覚えるのか。恐らく蚊が血を吸うときの場合と同じだろう。蚊は人間の血を吸う時は、麻酔液をまず注入する。このため、神経が麻痺して、刺されても痛くない。その間に蚊は血を吸うのだ。「極楽の木」の蔓の場合は快感を覚えさせる化学物質が入っているのだ。時間があればその化学物質の分析も面白いだろう。しばらく花を見ていると、二つの花は次第に赤くなり、三つ目の花もかすかに赤みを帯びてきた。葉脈と蔓の色は元の色に戻った。まだ三つ目の花が、さらに血を求めているようだ。しかし、これ以上血を与えることはできない。体が貧血で持たない。
その後、三日間は辛抱の三日間だった。花のすぐそばに行って、甘い匂いを嗅ぎたいのだが、血を吸われてしまう。吸われると貧血になる。ユリシーズが、妖精セイレーンの美しい歌声に引き付けられないように帆柱に自分の体を縛らせたように、私はいくら甘い匂いをかいでも頑として「極楽の木」のそばには行かなかった。
しかし、血液が回復するのに五日は、かかると言うのに、三日後もうたまらなくなって三つ目の花を赤くするため「極楽の木」に近づいた。蔓が延びて首に数本突き刺さった。「さあ、血だ。吸え、吸え、吸いたいだけ吸え」と言いながら、十分に血を吸わせた。三つの花が真っ赤になった時、いや、もう少しで倒れそうになった時、全ての蔓は、はらりと首から離れ、ぶらりと垂れ下がった。そうか、十分血を吸うと、蔓は勝手に離れるのか。人間よりましだ。人間は腹が一杯になっても、下呂を吐いても美食を胃に押し込むから。赤い花を見て欲情が湧きあがってきた。
今度は三つの花が血色に染まったから、三つの果実をつけるはずだ。三つも一度に食べたらどうなるか。エクスタシーを飛び越えて、死ぬぐらい快感を覚えるのだろうか。死んでしまわないだろうか。
 その後実をつけるまで再び待った。甘い香りは止まった。はじめて花をつけてから、実がなるまで約一カ月かかったから、多分今度も一カ月近くかかるだろう。そうすると実をつけるのは二月の下旬になる。それまで平和な時間が流れた。血液研究センター所長としての仕事や研究に没頭できた。
 二月九日、私は赤みがかった小さな実を見ながら、なぜぺステラ村の人が四カ月の間に六百人も蒼白病で死んでしまったのか考えた。恐らく彼らは「極楽の木」に血をやりすぎて死んだのだ。しかしやりすぎると言うことがあるのか。私の経験でも私は木からいつでも離れることができたし、木のほうも十分血を吸ったら、蔓を離した。だいたい一人の人間が出血多量で死ぬのは全血量の三分の一から二分の一失われた場合だ。体重六十キロの人なら約二リットルの失血で死ぬ。「極楽の木」に二リットルも血を吸わせ続けるなどとは考えられない。蒼白病には何か他にあるのだろうか。一体この血を吸う植物は何者なのだろう。私は「極楽の木」の正体を調べたくなった。血を吸うようになった突然異変の前はどのような植物だったのだろう。性的興奮を促す植物だから、薬草かハーブの類だろう。「極楽の木」は「草」ではなく「木」だから、図書館に行ってハーブの木に関する本を調べれば「極楽の木」の原形が載っているかもしれない。
 数日後、国立国会図書館に行き、ハーブ図鑑を四冊借りて、一冊ずつ念入りに調べていった。すると、ロンドン大学植物学教授バーバラ・ヘイ著作「原色ハーブ大図鑑」で、精力増強、強壮部門のページをめくっていくうちに「極楽の木」とそっくりの木を見つけた。花や葉の形が似ている。それは「ムイラ・プアマ」と言う名前で、別名「アマゾンのバイアグラ」と言った。「極楽の木」との違いは蔓であった。ムイラ・プアマには蔓がなかった。
ムイラ・プアマの解説を読むと「南米アマゾン熱帯雨林原産の高さ二メートル程の低木で性機能を増強する木として知られている。四季咲き性で白い花を咲かせる。甘い金木犀のような香が特徴的」とあった。
 さらに読んでいくと「十三世紀にスペイン人がムイラ・プアマをヨーロッパに持ち帰り、地中海、黒海周辺でも生育するようになった。学名はユオロペ・ムイラ・プアマ。アマゾン原産より低木。花は大きい」と書いてあった。
 これは大発見であった。ルーマニアは黒海周辺の国であり、このユオロペ・ムイラ・プアマが、十五世紀にオスマントルコ兵を串刺しにしてダニューブ川にさらした時流れた血を吸って、突然変異したのではないかと思った。
 二月二七日、三つの花のうち二つが実をつけた。みかんぐらいの大きさだ。今度は二つ一度に食べた。死ぬかと思うぐらいの絶頂感を感じた。凄い。これまでに三つ食べ、種は十六個となった。種を今後の観察のために保管することにした。
 さらにその後、四月中旬に三つ実がなった。実がなってから、次の実がなるまでの期間が最初は二カ月かかったが、今回は一ヶ月半になり、間隔が短かくなった。三つ食べ、手足がしびれてしばらく動けないぐらいのエクスタシーを味わった。種の数も三十個ぐらいになった。私だけがこのような天にも昇る快感を味わっていいのだろうか。
 四月の二十日から二十二日まで京都国際センターで開催された日本血液学会に参加した。国内外から約四千人の研究者、学者、医者が集まり、セミナー、講演、臨床報告、シンポジアムに参加した。第一日目、私はシンポジアムの司会を務め、シンガポール血液学会会長のノーベルト・マオ博士が特別講演を行った。博士は東京大学医学部大学院の私の同期で、一緒に研究し、一緒に食べ、飲み、歌い、テニスをした。彼は博士号を取得してからシンガポールにもどった。もう三〇年も前のことだ。
 二日目の総会が六時過ぎに終わり、私はマオ氏を誘い日本料理店、嵐山「吉兆」で再会を祝し食事をした。刺身やてんぷらを味わいながら、昔を懐かしみ、今を論じ、ビールを大いに飲んだ。私は酔っ払ってきて、「極楽の木」について話してしまった。この木のことは独り占めにしておこうと思っていたのだが、人に話したいと言う気持ちが奥底にあった。
「えつ、冗談だろう、酔ってしまったのか」マオ氏が言った。 
「冗談ではないんだ。本当に血を吸う木があるんだ。なんというか、そう、吸血木だよ。鬼ではなく木だよ」
「そんな馬鹿な」
「いや、ほんと、なんだ」
酔って、ろれつがまわらなかったが、続けて言った。
「それでね、その実を食べたんだ。凄いよ。考えられないぐらいの強烈なエクスタシーを感ずるんだ。ここに実がないのが、残念だ」
「お前、よく大学院時代、冗談言ってたからなあ、信用できないよ。馬鹿げている。そりゃ勿論わたしだって、そんな実があったら食べたいよ。でも……」
「本当に極楽の気分が味わえるんだ。よし。それなら送ってやるよ。果実は送れないから、種を送るよ。ちゃんと育てれば、実がなるから」
「分かった、分かった。それじゃあ、送ってくれ。実がなって、俺もオーガズムを感じたら信じるよ」
 学会が終わって、東京に帰り、さっそくマオ氏に次のような手紙を書いた。
「……というわけで、約束通り、例の種二十個送ります。名前はユオロペ・ムイラ・プアマ、別名アマゾンのバイアグラと言います。果実は天にも昇るオーガズムを感じさせます。またストレスや疲れを取る効果もあります。副作用はありません。おかげで私は毎日健康で活力がみなぎっています。
 実がなるまでに三年はかかると思いますが、気長に育ててください。花が咲くと甘い匂いを出します。垂れ下がった蔓が血を欲する時です。血をやってください。蔓の先端が首に刺さりますが、驚かないでください。あなたは血液学者だから私は心配していませんが、一応用心はしてください。それから友達で欲しいと言う方には分けてあげて下さい。
十一月に開催されるシンガポール血液学会でまたお会いしましょう。では」
 書いてから種を二十個封に入れ、シンガポールに送った。これが重大な結果になることは全く予想しなかった。
 次の花は五月二十日にもう咲いた。実を落としてから開花するまでの期間と、開花してから実をつけるまでの期間が次第に短縮されてきた。花も三つは最低咲いた。三つの花全部に血を供給するのは相当量の血が必要であった。しかし、あの言葉では言い表せないようなエロスの絶頂感を味わいたいために、まだ血液が十分回復してないのに血を与えるようになってしまった。これでは体に悪いと思いつつも本能に負けて血を与えてしまっていた。次第に体が疲れやすくなり、歩くのも息を切らせて歩くようになった。
「ぺステラ村の人はこのため死んだのだろう。人間相手のセックスより十倍も強烈な快感が味わえるのなら、誰が人間を相手にするだろう。「極楽の木」を育て木を相手にセックスしたのだ。人間を相手にしなければ赤ん坊は生まれない。村の人口は減少する。貧血者が多数出る。病的状態になったのだ。村の将来のことなど、子孫繁栄などどうでもよくなったのだ。今の快楽を求めたのだ。多分「極楽の木」は女性にも同じような絶頂感を与えたのだろう。ぺステラ村の人は、男性も女性も「極楽の木」の中毒になったのではないか。血が足らないことが分かっていても、無理に血を与えて村中が中毒患者になってしまったのだ。彼らは血を得るために人の血を「極楽の木」に与えるようになったのだ。他人を捕まえ、木の所に持っていけば、蔓はそこから血を吸う。お互いに相手を殺しあうようになったのだろう。旅人が村人を見たとき、口の周りが血だらけだったのは、人の血を吸っていたのだ。
ここまで考えて、ぺステラ村の教会で神父が読んでくれた古文書の文面を思い出した。文面には確か、「大人だけでなく子供もその犠牲となる」とあった。その犠牲の「その」とわざわざつけているのは子供が大人の犠牲になったのだ。大人は自分の子だろうが、人の子だろうが、か弱い子供の血を吸ったり「極楽の木」のいけにえにしたのだ。あのオーガズムを得るためにありとあらゆる非人道的なことが行われたのだ。村が絶滅するのは当然だ。もちろん子供が大人の犠牲になったという話は日本でもあった。室町時代末期の戦乱期、大人が子供の肉を食べたという記録もあるそうだ。しかし、それは生きるためだ。ペステラ村の場合は、生きるためではない。ただ快楽のためだ。理性では考えられないような凄惨なことがあったのだ。
 「その犠牲」の意味がわかったが、もう一つ気にかかっていることがあった。それは神父が読んでくれた文書に「『極楽の木』または『……の木』の種」とあった。「……の木」の「……」は一体何と書いてあったのだろう。急に知りたくなった。古くて読めなくなっているのだが、何とか解読できないだろうか。引出しから例の文書を持ってきて調べた、ぼんやりと何か書いてある。始めは多分「天国の木」とか「至福の木」と書いてあると思ったのだが、どうも違うようだ。私はルーマニア語は分からないのでルーマニア語のわかる人を探した。
東京外国語大学に電話をして、ルーマニア語の分かる教授はいないか尋ねた。電話の相手は、黒沢慎吾教授を紹介してくれた。さっそくアポを取って、翌日六時ごろ東外大にお邪魔して教授に会った。
 教授は五十歳ぐらいでメガネをかけ、あごひげを伸ばしていた。私が持ってきたぺステラ村の古文書に大変興味をもたれ、どのように文書を手に入れたか尋ねた。私はドラキュラ城やぺステラ村の蒼白病の話をした。教授は熱心に私の話を聞き、さっそくその文書を見てくれた。やはり「……」の部分は読みづらく、拡大鏡で見たり、蛍光灯の光で透かしたりした。しかし薄ぼんやりとしか文字が分からず、どういう言葉が書いてあるのか判読できなかった。
「残念ですが、判読できません。古くて文字が薄いものですから。もう少し濃ければ」
私はお礼を言って帰ろうとしたら、教授は文書を貴重な資料としてコピーさせて欲しいと言った。私は勿論どうぞ、と答えて、文書を渡した。教授はそのままコピー室に行き、二十分も経ってから帰って来た。
「悪魔です! 悪魔ですよ」
私は何のことかわからなかった。
「悪魔の木ですよ」
「ええっ、判読できたのですか」
「できました」
 教授の話によると、教授はコピー室に行ってコピーをし終わって気がついた。文書を拡大し濃度を調節すれば文字が判読できるかも知れない。濃度を最大にして文字を四倍に拡大したところ、判読できたとのことだ。それによれば、「……」の部分はルーマニア語の「ドラクル」に当たると言う。「ドラクル」は「悪魔」という意味だ。だから、あの箇所は「『極楽の木』または『悪魔の木』」という意味になる。私は納得した。お礼を言って、大学を出た。そうか、結局、俺は悪魔に血をやっていたのだ。悪魔に魅入られてしまったのだ。そのうちに悪魔に俺の血を全部吸い取られてしまうだろう。悪魔を拒絶できない。死ぬくらい強烈なオーガズムを拒絶できない。今では咲く花も五、六個になり、果実も大きくなってきた。血がいる。もっと血がいる。身体が貧血気味になってきた。すぐ疲れるようになってしまった。階段を十段上がるだけで、息切れがする。研究員が私の体調を気遣うようになった。ああ、もっと意志が強ければ「悪魔の木」をずたずたに切り刻むのに。悪魔に取りつかれてしまった。逃れられない。これは中毒だ。「悪魔の木」の中毒だ。血が欲しい。血が欲しい。良い方法はないか。
七月十日、素晴らしいことに気がついた。我ながらなぜ気がつかなかったのだろう.灯台下暗し、とはまさにこのことだ。私は血液研究センターのセンター所長だ。センターで私は血で囲まれているのだ。手続きを踏めばどれだけでも怪しまれずに血を手に入れることができるのだ。
 血液研究センターは研究用の血液と緊急輸血用の血液に分けて保管されている。研究用として全血を必要とする場合は、研究テーマと研究方法を述べた文書を審査委員会に提出する。委員会で認められれば、入用なだけの血液は自由に使用できる。センター所長といえども審査される。私は大量に血液を必要とする研究テーマを考えだし、研究方法を詳しく述べて審査委員会に提出した。審査はパスして、私は血液を必要量自由に使えることになった。本能の欲望を満たすために貴重な献血を利用することは気がひけたが、悪魔に魅入られてしまったのだ。私も悪魔にならざるを得ない。今度花が咲いたら、堂々と「研究用」の血液が使用できるのだ。私の血は一滴もいらない。血はいくらでもある。俺は花が咲くたびに、どれだけでも血を悪魔にくれてやれる。そして、あのエロスの恍惚状態……。想像するだけで性的快感を覚えた。
 五回目の花が七月下旬に咲いた。四つもあった。しかし今度はどれだけでも血を与えられる。翌日、血液研究センターの仕事を終えて帰宅直前に、四百ミリ全血製剤三バッグ分を血液加温器を通して常温に戻した。急いで家に帰った。四十分経過すると血液細胞が破壊されてしまうからだ。血液を二百ミリビーカー六個に分け、ビーカーラックに六本立てて「悪魔の木」の前のスツールの上に置いた。
 そら来た、二、三十本ある蔓が一斉にするするとコブラのように頭を持ち上げて、ビーカーの中に頭を突っ込んだ。一つのビーカーに三、四本入っている。ビーカーに届かない蔓はただ空中を泳ぐだけだが、ビーカーに頭を突っ込んだ蔓は、蛇のようにくねくねくねらせて、血を吸いだした。蔓は先端から赤くなり、蔓全体が赤くなった。次に葉脈が血色に染まり、葉の白い部分がどす黒い血の色になった。それから白い花がだんだんと赤くなっていった。蔓が血を吸う様子はまるで八岐大蛇が酒樽に八つの頭を突っ込んでいるようだった。ぴちゃびちゃ音を出し、周りを死んだ血の臭いで充満させた。悪魔の臭いだ。吐き気がしてきた。見る見るうちに二百ミリのビーカーの血は減ってきた。もっと要るのだろうか。一つのビーカーの血がなくなると、そこに頭を入れていた蔓は、空のビーカーから頭を出し、まだ血が残っているビーカーに頭を入れた。「どんどん血を吸え、吸いたいだけ吸え、血はどれだけでもやるから、今日の分で足りなければ、明日も持ってきてやるから、どんどん飲め、どんどん。うまいか」俺は悪魔のようになっていた。しばらくして、全ての蔓はするすると頭をビーカーから出して、まただらりと垂れた。十分吸ったのだ。まだビーカーの底には少し血が残っているものもあった。蔓は何もなかったようにたれている。床が血で汚れたが、別にかまわなかった。悪魔の生態を見たのだ。四つの花が赤くなった。
 あれほど激しく先を争って蔓が血を吸ったのだから、今度咲く花はきっと今まで以上に大きく、熟しているに違いないと思った。実がなるのが待ち遠しかった。
 一週間後、八月七日、四つとも実をつけたのだが、ゴルフボールより一回り小さくて、ピンとした張りがなく、赤茶色をしていた。それから三日たっても大きくならず、そのまま枝から落ちてしまった。ダメだ。研究用の血ではダメなんだ。悪魔は生き血か死んだ血か知っているのだ。私の血をやるか、誰か他人の生き血をやるしかない。かと言ってぺステラ村の人のように人を縛って、悪魔に血を吸わせるなどと言うことはできない。
喜実子から電話がかかってきた。今度のお盆に帰れないと言う。ミス京都親善大使として京都と姉妹都市のボストンに行くという。なんでも京都とボストンの姉妹都市締結四十周年記念行事だそうだ。仕様がない奴だ。大学一年の時は何かあるとすぐ帰ってきたのに。三年生ともなると、もう一人前の大人になって親離れか。俺は子離れの覚悟をしなければならん。今度喜実子が帰ってきたらゆっくり話……待てよ……いや……そんな悪魔みたいなことはできない。いくら悪魔が生き血を欲しがっているからと言って……。俺はいったい何を考えているのか。ああ、悪魔になってしまったのか。ぺステラ村の人が子供を犠牲にしたのだ。俺は、俺は、そんなことを考えるなんて、悪魔になってしまったのか。
 十日後、八月十七日、朝起きたが、身体がだるくて力が入らない。鏡を見ると顔全体から精気が消え、目の下に隈ができている。唇に赤みがない。無理やり研究所まで行ったが、玄関の階段を登るのさえ息切れがする。極度の貧血だ。念のため血液検査をしてもらった。結果は最悪だった。ヘモグロビンが三・九しかない。明らかにヘモグロビンの貯蔵鉄が底を突いているのだ。また赤血球容量が四十四、赤血球色素量十五・八で、ともに正常値の半分以下だ。これは危険信号だ。副所長に検査結果表を見せ、一週間ほど休養を取る旨伝えた。副所長は「先生、このところ顔色が悪かったので、心配していました。ゆっくり休んできて下さい」と言ってくれた。
 その足で東京駅に向かった。家に帰るとまた「悪魔の木」に魅入られてしまう。君子危うきに近寄らずだ。駅に着いた。行き先はどこでもよかった。JTBの観光ポスターが目に付いた。伊豆の修善寺温泉だ。よし決めた。特急踊り子号に乗って約二時間で修善寺駅に着き、予約しておいた新井旅館に着いた。昼食をゆっくり食べて、旅館の前を流れる桂川を散歩した。川は両岸からおい茂った樹木に覆われ、川沿いの石畳の散策路を歩くと澄んだ空気がひんやりし、一歩一歩歩くごとに心が清められた。
 温泉につかり、おいしい料理を食べ、散歩し、とにかくゆっくり休養を取った。体力も十分回復してきた。四日目、夕方近くに竹林の小道を歩き、上流に上がっていき赤い渡月橋を渡った。渡り終わったところに赤い花が咲いていた。あれっ、昨日の朝、ここに咲いていたこの花は白かったのに、赤くなっている。色が変わるのかな、と不思議に思った。白い花の形が「悪魔の木」の花に似ていたから印象に残っていたのだ。旅館に帰って、夕食を食べている時に女中さんに聞いたところ、花は「水芙蓉」という名前で、朝は白色で夕方になると赤く染まると言う。「悪魔の木」の花も白から、赤くなる。はて……。 
 突然ドラキュラ城のリビングルームの壁にかかっていたドラキュラ伯爵の肖像画を思い出した。確か伯爵は口に白い花をカルメンのように口にくわえていた。そうか、分かったぞ、あの花は血を吸う「悪魔の木」の花だ。小説『ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカはぺステラ村の蒼白病について何か知っていたかもしれない。と言うのは、彼は『ドラキュラ』を著わす前に東ヨーロッパの伝説や民話を数年間研究していた。確かエミリー何とかという女性が書いた『トランシルバニア地方の民間伝承』という本からヒントを得て『ドラキュラ』を書いたのだ。そうすると、ブラム・ストーカーはその本の中でぺステラ村の蒼白病に触れた部分を読んだのかもしれない。ドラキュラ城の肖像画の伯爵が口にくわえていた白い花はそれを暗示していたのか。誰があのような肖像画を描いたのだろう。今度ドラキュラ城に行ったら、ぜひ聞きたいものだ。ドラキュラ伯爵が血を吸うのは「悪魔の木」に血を吸わせるためなのだ。若い娘の生血を吸うのは自分の血を補うためだ。私のように悪魔に魅入られてしまい、性的快感を味わうため血を求めていたのだ。彼も「悪魔の木」の誘惑に負ける、木を破壊できない弱い存在だったのだ。女性とのセックスよりも「悪魔の木」との「セックス」を選んだのだ。そのため若い娘を次々に襲ったのだ。
 私はとても若い娘の首にかみついて血を吸うなどと言うことはできない。若い娘を誘惑して、無理やり「悪魔の木」に血を与えることもできない。ああ、俺がドラキュラならなぁ……。輸血用の血液も使えない。あの宇宙が爆発するような快感を感じたい。しかし、このまま続けるとぺステラ村の人のように廃人になってしまう。ここは冷静に考えなくては。所長としての人望もある。妻を白血病で亡くしてからの研究テーマである白血病の研究もまだまだ何もできていない。狂人ドラキュラになるか、研究の道を選ぶか。それはわかりきったことだ。よし、決めた。「悪魔の木」を破壊するしかない。それが一番の解決策だ。もう充分に快感は味わった。修善寺温泉に来てよかった。悪魔が棲みついている家ではこのように冷静に考えられない。問題は、離れてみなければ解決策は生まれない。
 八月二十四日、私は決意も新たに東京に帰ることにした。電車の中で「悪魔の木」と対決する作戦を考えた。とにかく家に入ったら、あの媚薬の匂いを嗅いではいけない。嗅いだら最後、悪魔のおとりになってしまう。嗅ぐ前に、剪定ハサミか斧でずたずたにするしかない。それには家に入ってからハサミを取りに行ってはいけない。家に帰る前にハサミを買って悪魔の家に入るべきだ。
 決心してホッとしたのか踊り子号で眠ってしまった。起きたのは熱海の辺りだった。
海岸を車窓から眺めていてぺステラ村のことである疑問が頭に浮かんだ。なぜぺステラ村の人だけが蒼白病になったのだろう。ぺステラ村の周りにはシビウ市をはじめ村や町があったはずだ。なぜ「悪魔の木」の種は隣村や町に広がらなかったのだろう。なぜトランシルバニア地方全体に広がらなかったのだろうか。私はぺステラ村にタクシーで行った時のことを思い出した。長いトンネルを出て、小高い丘の上に立ち、ぺステラ村を眼下に見下ろした時のことを思い出した。そうだ。村は、三方がトランシルバニアの切り立った山に囲まれていた。残る一方には広い川が流れていた。トンネルが二十年前にできたと運転手が言っていた。トンネルができるまで、村は陸の孤島だったわけだ。他の世界と遮断されていて自給自足の生活をしていたのだ。だから種は広がらなかったのだ。
 東京駅に着き、駅の名店街百円ショップで万能ハサミを買った。百円にしては相当大きなはさみだ。これなら「悪魔の木」を倒すことができる。
 我が家の玄関前に立った。悪魔を倒す決意も新たに、シュミレーションした。玄関の扉をあける。花が咲いている。息を止める。素早くハサミを持って、リビングルームに行く。花、葉、蔓、枝とにかく呼吸を止めている間中、悪魔を切り刻み、退治するのだ。よし! 絶対だ! 決死の覚悟だ。
 息を殺して玄関を開けた。ハサミを持って、リビングルームに急ぎ、ドアを開けた。
「あっ!」と驚いた。大きな花がいっぱい咲いている!「凄い!」と思わず叫んでしまった。甘い匂いが鼻孔を襲った。甘さが脳天まで届いた。部屋中に充満していた甘さが。体がとろけるような、美女千人に囲まれたような、金木犀とバラの匂いが溶け合ったような、抵抗力を完全に打ちのめすような匂いだ。ふらふらと「悪魔の木」に近づいた。もうどうでもいい。俺は、頭の片隅でぼんやり思った、俺は、意志薄弱だ。あれほど強く決心したのに、俺はダメな男だ。もうどうでもいい。こんなに花が咲いているのだ。大きい花だ。血をやろう。これが最後だ。実を食べたら、花が咲いていない悪魔が眠っている時に始末すれば、これが本当に最後だ。
 三十本はある蔓が一斉に頭を持ち上げ、私の方に向かってゆらゆらしている。五、六本首に刺さった。一番上に咲いている花の匂いを嗅いだ。両手首にも刺さった。他の花にも鼻を近づけた。他の蔓の先端が私のシャツのボタンの孔から、胸まで入り込み、胸を刺している。痛くはない。好い匂いだ。十本ぐらいの蔓がそで口や襟から私の身体に入り込み胸や腕に突き刺さった。体がふらふらしてきた。いい匂いだ。こんなに蔓が活発に強烈に血を求めることはなかった。立っておれなくなって、その場にどっと倒れた。蔓がはらりと離れた。ああ、助かった、と思った。ところが「悪魔の木」は幹ごとしなって私の身体に覆いかぶさってきた。横になっている身体のすぐ上にほぼ平行に幹を曲げた。蔓が延びた。顔から足の先まで全身に蔓の先を突き刺した。鼻からも、耳の穴からも、シャツやズボンを突き破って突き刺してくる。首、胸、腹、下半身、太もも、足も全ての身体の部分に突き刺さった。殺される! 手で蔓を引きちぎろうとしても、針金のように強い。全ての蔓が私の身体をがんじがらめにしている。「悪魔の木」の幹を手で押し上げようとしても、覆いかぶさったまま、悪魔が笑っているように、びくともしない。ゆさゆさと血を吸ううれしさで悪魔は身体を揺らしている。ダメだ! 殺される! 助けてくれ! 誰か! このまま、このまま悪魔に血を吸い取られて死ぬのか、頭がぼんやりしてきた。匂いも感じなくなってきた。目がかすんできた。何か悪魔をやっつけるものはないか。残った力で蔓を払いのけ床をまさぐった。そうだ。携帯電話だ。私はズボンの後ろのポケットに入っている携帯電話を取りだした。蔓が携帯電話に巻き付いた。一、一、〇、とキーを押した。携帯電話を何とか口元に持っていった。警察が出た。振り絞る声で言った。口に入り込んでくる蔓を押しのけた。「こちら、港区の、港区の、白金台、四丁目六番、清水、清水健一です。至急来てください。殺されそうです、すぐ……」気が遠くなった。

 気が付いたら、自分がどこにいるのかわからなかった。目がぼんやりしていたが、焦点が合い、天井から血液製剤バッグがぶら下がり、管を伝って私の右腕に輸血されていた。ここは、病院のベッドだ。そうか、悪魔の餌食から助かったのだ。そばにいた看護師が言った。
「やっと気がつきましたか。搬送されてからずっと意識不明でした。良かった。今、先生を呼びますから」
と言って、天井に設置してあるマイクに向かって医師を呼んだ。
 医師が部屋に入ってきた。東大医学部の教え子の鈴木君だった。そうすると、ここは医学研究所の道路を隔てた反対側にある鈴木病院だ。
「先生、覚えていますか、教え子の鈴木です」
「ああ、覚えているよ。済まん。お世話になるね」
「先生、心配しましたよ。極度の貧血です」
「うん、貧血だ」
「いま、輸血をしてますから、もう大丈夫ですが、一体どうなさったのですか。救急車で運ばれた時は、死んだように血の気がなかったんですよ。ヘモグロビンが二、三でした。動悸が激しく多呼吸で。骨髄像検査をしましたが、骨髄機能は正常でした。過度の鉄欠乏性貧血です。全血と赤血球製剤の併用輸血をしていますが」
「そうか、恐らく千ミリは吸われたからなぁ」
「えっ、吸われたって、吸血鬼にでも吸われたんですか」
「そうだ。吸血鬼だよ。吸血鬼に血を吸われたんだよ」
「また冗談を。先生は講義の時よく冗談を言ってましたから」
「いや、冗談じゃないんだ。吸血鬼ドラキュラにやられたんだよ」
 看護師がくすくす笑った。
「また、先生、相変わらず冗談がきついですね」
「いや、鈴木君、冗談と思うならわたしの家に来るといい。実は血を吸う木があるんだよ。吸血木の『き』は樹木の木だが」
「吸血木ですか、先生、うまいですね」
「本当に冗談じゃないんだよ。貧血で頭がおかしくなったと思ってるんだろう。そういう人もいる。脳に酸素が十分運ばれなくて。しかし、わたしの脳は正常だよ。まあ、今の話、本気にする人はいないと思うがね。そのうちに正式に発表するよ」
「分かりました。回復されたら、先生のお宅にお邪魔します。是非吸血木とやらを見たいものです。でも回復されるまでには一週間はかかります」
 鈴木君はにやにやしながら言った。全く私の話を信用していない。それも当然だろう。誰も吸血木なんて信用しないだろう。
 二日後、血液研究センターから、副所長と研究員が見舞いに来てくれた。仕事のことは気にしないで、ゆっくり療養していて下さいと言う。そうはいかないが、仕方がない。私宛に来た手紙を渡してくれた。シンガポールのマオ氏からだ。十一月の血液学会での講演依頼の手紙で、最後に種のことに触れ、二十個のうち五個蒔いて五個とも五、六センチぐらいに成長し、残った種はドイツ、香港、カナダの友達にそれぞれ五個ずつ送ったと書いてあった。
 大変だ。マオ氏が悪魔の犠牲になってしまう。死ぬかも知れない。しかし、ドイツ、香港、カナダの友達に送ってしまったとは。「悪魔の木」が世界中に広がるかもしれない。もし広がったら、全人類が「悪魔の木」の犠牲になる。恐ろしいことだ。手紙を書かなくてはならない。しかし、まだ安静にしていなければならない。輸血の管がまるで蔓のように腕に突き刺さっている。退院したら、すぐに書こう。
 一週間たっても、身体は一向に回復しなかった。鈴木君が来て、黄疸と肝炎の症状があると言う。そうか。貧血による合併症だ。貧血で身体のありとあらゆる臓器がやられるのだ。心臓だって機能が低下しているはずだ。俺は血液学博士であると言うのに、自分の血液の病気に関して何もできないとは、全く情けない。悪魔に血を吸われ、輸血され、合併症を起こし。何が血液学博士だ。自己嫌悪に陥った。仕方がない。治療に専念するしかない。もっと輸血し、葉酸サプリと、ビタミン12剤と、鉄分サプリを飲み、合成エリトロポエチンを注射するのだ。ああ嫌になる。あの悪魔め! 今度こそ……。今頃、俺の血が実になって枝からたわわに実っているだろう。いやもう実が枝から落ちてしまっているかも。また近いうちに花が咲くだろうが、誰が血をやるものか。俺はあと三週間は入院していなければならないだろう。悪魔よ、今度花が咲いても血はないからな。ざまあ見やがれ。
 でも、携帯で警察を呼び、救急車が家に来た時、「悪魔の木」の蔓は俺をがんじがらめにしていなかったのか。がんじがらめにしていれば、救急隊員は異常な木に気が付いていたはずだ。何もないところを見ると、多分、携帯で電話して、気を失った時、蔓が俺の身体から離れたのだ。血を十分吸ったのだ。

 三週間後やっと退院することになった。約一カ月入院していたことになる。退院する日、病院の玄関先まで見送りに来た鈴木君に言った。
「どうだね、今日の午後は休診だろう。一緒に家に来ないかね。吸血木を見に。本当にドラキュラの木があるんだよ」
「先生、行きたいのは山々ですが、何しろいろいろ予定がありまして、会議もありますし、それは今度ということで」
 まるで、駄々をこねる子供をあやすような言い方だ。私は怒れてきた。
「そりゃ忙しいのは分かっている。家までほんの十分とかからないんだよ。実は、鈴木君、わたしは家に帰るのが怖いんだよ」
 私は真剣な顔をして言った。
「吸血木が家にいて私の帰りを待ってるんだ。一人で帰るとまた自分が何をしでかすかわからないんだよ。わたしは弱い人間で、また血を吸われるままになってしまわないかと、それが怖いんだよ。君が信じないのは分かっているが、見ればわかるよ。是非わたしと一緒に来てくれないか。私の護衛と言うか。入院中何度も言っていたが、君は信用しなかっただろうが、本当に蔓が首に突き刺さるのだよ。万が一の時に備えて、わたしを救出してくれる人がどうしても欲しいんだよ」
 あまり真剣に訴えるものだから、鈴木君は半分信用しかけたような顔になった。
「わかりました、先生、そんなに言われるのなら、私は行けませんが、代わりにインターン生をご一緒させます」
 家への帰り道インターン生に「悪魔の木」について説明した。蔓が突き刺すこと、血を吸って花が赤くなること、蔓は頑丈で手ではちぎることはできないことなどを話した。
「で、一番大事なのは、甘い匂いを嗅がないことだ。嗅ぐ前に蔓を切ってしまうことだよ」
 勿論インターン生は半信半疑聞いていた。二人とも鈴木病院から手術用メスを借りてきた。「悪魔の木」を倒すのに、ノコギリなどはいらない。蔓を切ってしまえば、悪魔の手足を切ったも同然だ。それでお陀仏だ。たとえ蔓を切ることができなくなっても、「悪魔の木」は二人一度に血を吸うことはできない。どちらか一人は蔓を切ることができる。よし、完璧だ。これでやっと悪魔を退治できる。これで悪魔の悪循環から解放される。私自身に戻れるのだ。悪魔め、俺の血を吸ったことを後悔するな。
 決意も新たに、玄関のドアを開いた。鍵がかかっていない。そうか、救急車で運ばれたから、鍵は開けっ放しだったのだ。
玄関に入って驚愕した! やられた! まさか! 一瞬その場に氷ついてしまった。インターン生が「どうしました」と言うと同時に私は居間に走った。
「喜実子! 喜実子!」
 玄関に女性の靴があったのだ。喜実子の靴だ。
 居間に喜実子が倒れていた。そばに勝ち誇ったかのように悪魔が立っていた。
「畜生! 畜生!」
 喜実子を抱きかかえた。息が切れていた。血を全部吸い取られていた。顔が髑髏のようになり、眼窩が黒くへこみ、手足が、枝のように茶色く細く乾いていた。身体の皮膚が象のようにしわしわで、骨に貼りついていた。まるでミイラだ。ミイラになってしまった喜実子を抱いた。涙が出なかった。
「喜実子、喜実子、許してくれ、お父さんが悪かった。苦しかったろう。びっくりしただろう。怖かっただろう。せっかく帰って来てくれたのに。済まん……済まん。俺が悪かった。『悪魔の木』を独り占めにしようとした天罰だ。女房を白血病で亡くし、娘は悪魔に血を吸いとられて……。お前は馬鹿だ、それでもお前は血液学博士か! 馬鹿だ、馬鹿だ、大馬鹿だ。取り返しのつかないことになってしまった」
私は喜美子の乾いた頬をなで、乾いた髪をなでた。
ふと「悪魔の木」を見上げた。リンゴぐらい大きい、真っ赤に熟れた果実が五つもなっていた。
性欲がむらむらっと湧いてきた。

                  完