2013年11月15日金曜日

図書館で音読する男


 

図書館で音読する男

 

 

山田龍一 六十二歳 大学教授

米川翔太 三十歳  トラック運転手

米川優菜 三歳   翔太の娘

図書館長 五十六歳 

司書1  二十七歳 

司書2  三十三歳

 

 

○名古屋市立図書館・館内

   館内風景。来館者が本を読んでいる。

山田が個人ブースで本を積み上げ、調

べ物をしている。

米川が娘を連れて図書館に入り、子供

コーナーに行って、優菜に読む本を物

色し、一冊の絵本を選ぶ。

米川は優菜を連れて、個人ブースのと

ころに来て、山田の隣に座る。

優菜は米川の膝の上に座っている。

米川「さあ、読むよ」

優菜「うん」

米川「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」

   米川、絵本の中のおじいさんを指で示

して

米川「そら、これが、おじいさん。それから、これがおばあさん」

優菜「うん。おじいさん、何持ってるの?」

米川「ああ、これね、これはクワといってね」

   山田、米川をにらむ。米川は山田をに

らみ返す。米川、そのまま絵本を読み

続ける。

米川「これはクワといってね、えーと、穴を掘る道具だよ」

優菜「ふーん、どうして穴をほるの」

   山田、米川を見て大きく咳払いをする。

米川「それは、これからわかるんだ。じゃ、次、読むよ」

優菜「うん」

   周りのブースで読書をしている人たち

が、迷惑そうな顔をして、米川を見る。

米川「それでね、おじいさんは竹藪に行きました。そら、優ちゃん、これが竹藪だよ」

   山田、読んでいた本をバタンと閉じて、

米川の方に向き直り、

山田「ちょっと、やかましいんですけど」

米川「やかましい?」

山田「本をお子さんに読むのを止めてもらえませんかね」

米川「おまえ、何言ってるんだ。ここは図書館だろう」

山田「だから、大きな声で本を読むのを止めて下さいって言ってるんですよ」

山田「どうしてだ。図書館で本を読んでいけないんか」

山田「読んでもいいんですが……」

米川「そうだろ。ええ年して、何言っとるんだ」

山田「ええ年とは、何ですか」

米川「じじいだから、ええ年と言っとるんだ。ホントのこと言って何が悪い」

山田「失礼でしょ」

米川「失礼? お前の方がよっぽど失礼だ。人がせっかく子供に本を読んでやっているのに、邪魔しやがって」

山田「読むなら、静かに読んでもらえませんか」

米川「お前、もうろくしとらへんか。静かにって、黙って読めっちゅうのか。黙ってたら、娘は話が分からんじゃないか」

山田「図書館だから、しょうがないでしょ」

米川「しょうがないとは何だ」

山田「皆が、迷惑しているんですよ。分からないんですか」

米川「ああ、分からないね。図書館は、本を読むところだ。そっちこそ、言うことがおかしいぜ」

山田「司書を呼びますよ」

米川「ああ、どうぞ」

   山田、立って貸出しカウンターに行く。

 

○図書館・貸出カウンター前

   山田が司書1に

山田「本を大きな声で音読している人がいるんですが、注意していただけませんか」

   司書1、山田に連れられて米川親子の

ところに行く。

 

○図書館・個人ブース

相変わらす米川は大声で娘に本を読み

聞かせている。

米川「そこで、おじいさんは竹を切ると、中から……」

司書1「あの、済みません、音読は止めてもらえませんか。周りが迷惑しますので」

米川「オンドク? 俺はただ本を読んでいるだけだ。ここは本を読むとこだろうが」

司書1「それは、そうですが、読むなら黙読してくださいませんか」

米川「モクドク? お前、ちゃんとした日本語喋れよ。ドクドクとか言って」

司書1「だから、声を出さずに本を読んでくださいって言ってるんです」

米川「また、コイツと同じこと言ってやがる。それじゃぁ、娘が分からないじゃないか」

   山田、司書に向かって小声で

山田「こりゃダメです。館長を呼んで来て下さい」

司書1「ええ」

   司書は館長を呼びに行く。

   周りで見ていた来館者は、再び自分の

読んでいた本を読み出す。

   山田は自分の個人ブースに座って、背

中を米川に向ける。

米川「なんだ、みんな俺の読書の邪魔しやがって……」

優菜「お父さん、続き読んでよ」

米川「そうそう。えーと、どこだったけねぇ」

優菜「おじいさんが、竹切ったって」

米川「そう、それでね、おじいさんが竹を切ると中からそれはそれは美しいお姫様が出てきました」

優菜「お姫さん、竹の中にいたの?」

米川「そうだよ。小さい小さいお姫さんだ」

優菜「へーえ」

米川「それで、おじいさんはお姫様を竹から出して……」

  館長が司書1に連れられて、米川のとこ

ろに来る。

館長「あの、私、当図書館の館長ですが、ち

ょっとお話がありますので、恐れ入ります

が、こちらに来ていただけませんか」

米川「なんだ、なんだ。今ちょうどいいとこ

ろだちゅうのに」

館長「いえ、すぐ終わりますので。済みませんが、こちらへご足労願えませんか」

米川「そうか、ま、館長さんが言うんだから」

   米川は娘といっしょに館長室に行く。

 

○館長室・内

   米川は娘を抱っこして、館長と向き合って、ソファに座る。

館長「可愛いお子さんですね」

米川「いやいや、やんちゃでね」

館長「お嬢ちゃん、いくつ?」

優菜「……」

米川「そら、優菜、いくつだった?」

   優菜、指を三本立てる。

館長「みっつね。可愛い盛りですね」

米川「ええ、まあ。……で、話とは?」

館長「ああ、いつも図書館をご利用くださいまして、ありがとうございます」

米川「いつもは来てないよ。今日は仕事が休みでね」

館長「左様ですか。で、私ども、図書館に来ていただいた方に気持ちよく本を読んでいただきたいと思っておます。それで、本を読むとき大きな声で読まれると、周りの人が気が散ってしまい、本を読むのに集中できないのです。お嬢様に本を読まれるのは結構なことですが、周りが迷惑しますので、もし読んであげるのでしたら、本を借りられて、お家で読んであげてくださいませんか」

米川「しかしね、あなた、どこにも声を出して読まないようにって張り紙がしてないじゃないですか。そうならそうと、ちゃんと張り紙をするべきでしょ」

館長「……はあ? はい、では、早速そうします。今張り紙を作らせますので。しばらくここでお待ちください」

   館長は館長室をでる。

米川は、娘に絵本を読み聞かせる。

 

○図書館・貸出コーナー

館長は司書2に指図して、大きな紙三

枚に「図書館では、声を出さないで本

を読んでください」とマジックで書か

せる。

 

○館長室

張り紙を持った司書2と館長が館長室

に戻り、張り紙を米川に見せる。

館長「仰せに従いまして、このような張り紙を作りました」

   司書2、張り紙を見せる。

米川「そうそう、こういう張り紙をしておくべきですよ」

館長「ありがとうございました。早速掲示します」

館長は司書2に向かって、

館長「じゃあ、これ、貼って下さい」

司書2、張り紙をもって館長室を出る。館長「ところで、この絵本借りられますか」

米川「うん、そうだな、借りるよ」

館長「では、貸出しの手続きをとらせていただきますので、こちらへどうぞ」

 

○図書館・貸出コーナー、館内

   司書2が張り紙をしている。

   館長が司書に貸出しの手続きをさせている。

米川は満足げに張り紙を見る。

   柱に「図書館では声を出して本を読まないようにしてください」と書いた張り紙がしてある。

   張り紙をアップ。

                 終

  

かぐや姫のDNA


 

かぐや姫のDNA 

かぐや姫が月に帰ってから一千年以上経った二〇一五年八月のことである。隕石が月に衝突し、深さ五百メートル、直径九キロのクレーターができた。三ヶ月後、アメリカ航空宇宙局(NASA)は、クレーター中心部の岩石を採取するため、オリオン宇宙船を打ち上げた。月面着陸後、探索機が目的地点に到達すると、ドリルで岩盤を掘り岩石のサンプルを採取した。

地球に持ち帰った岩石をジョンソン宇宙センター地質研究室において分析したところ奇妙な発見があった。岩石の中から炭素化した竹が発見されたのである。勿論、月に竹が生育していたとは考えられない。月は数十億年前に形成されたが、その時に発生した熱によって、月の水分は全て蒸発しているからである。従って、竹の炭素質は地球から何らかの方法で月にもたらされたものと考えざるを得なかった。

 研究室スタッフは竹の炭素質の他に関連物質があるのではないかと考え、周りの岩石を分析した。その結果、さらに不思議なことが発見された。なんと、絹と漆の炭素質も発見されたのである。

絹の炭素質を分析すると、年代は平安時代初期と判明したが、どこの国の絹かは判定できなかった。恐らく中国、朝鮮、あるいは日本のものであろうと推測された。 

漆の炭素質は日本の漆のようであった。NASAは東京芸術大学古代美術研究所にサンプルデータを送り、さらに分析したところ、漆の素材も平安時代初期の牛車に使われていたものに似ていた。勿論、漆は中国、朝鮮を始め、東アジアで広く使われており、日本の漆だとは断定できなかった。

次に、竹に関してであるが、年代は西暦八五〇年前後と判明した。しかし、出所の解明は困難であった。なにしろ、竹は全世界に二千種以上もあったからである。

 日本の新聞でこのことが報道されると、たちまち全国から、竹の精であるかぐや姫が絹の十二単を着て牛車で月に帰り、それが炭素化したのではないかという反響があった。もしこれが事実ならば、かぐや姫は実際日本に存在していたことになる。歴史学者、民俗学者、地質学者、宇宙学者、生物学者、果ては遺伝子工学者までもが、「かぐや姫実存論」に関して喧々諤々と論議を戦わせたが、結論は出なかった。

 そんな折、二〇一六年十月、京都大学電子工学研究所所長、山中慎也博士はワシントンで開かれた国際エレクトロニクス学会に出席した。学会を終えてから、国立スミソニアン博物館を訪れた。この博物館の収集物は科学、産業、技術、芸術、自然史等、多岐にわたり、収集物は一憶四千二百万点にも及んでいる。中でも航空宇宙博物館部門にはアポロ計画で月面から持ち帰った月の石や、二〇一三年火星探査機キュリオシティが採取した岩石などが展示されていた。

山中博士は少年の頃からエジソンに興味があり、産業博物館部門を訪れ、エジソン関連の展示物を見て回った。特に注意を惹かれたのは「ヘアピン竹炭素フィラメント白熱電球」であった。

博士は白熱電球のフィラメントに京都の竹が使われていることを知っていた。エジソンはフィラメントとして六千種類の材料を実験したが、どれも連続点灯時間が四十五時間以下であった。ある日、扇子の竹をフィラメントに使ってみると二百時間も連続して点灯した。そこで、エジソンは世界中から千二百種の竹を取り寄せ、実験を重ねた。その結果、京都の八幡男山に生えていた真竹の点灯時間が二千四百五十時間もあることが分かり、真竹を使って「白熱電球一号」を製作した。山中博士が見た白熱電球はこの第一号であった。

博士は白熱電灯を見ている時に、日本で話題になっていたかぐや姫の竹の炭素質のことを思い出した。博士は考えた、「もし月から持ち帰った竹の炭素質と、白熱電球に使われている竹の炭素質が同一ならば、月から発見された竹は京都からのものとなり、竹から生まれたかぐや姫は京都から月に帰っていったことになる」  

博士は二つの竹の炭素質のDNAを比較したいと思った。スミソニアン博物館館長に白熱電球のフィラメントのDNA鑑定をしたいと申し出ても、断られることは目に見えていた。そこでハーバード大学時代の学友であったチャールズ・ボールデンNASA長官に事情を話した。長官はスミソニアン博物館館長に話を伝え、博士は白熱電球のフィラメントを鑑定する特別許可を得た。その結果、両者は九十九、九九九パーセントの確率で同じDNÅを保持していることが判明した。

信じられないことだが、もしかぐや姫が竹の精だとすると、かぐや姫は京都に住んでいて、京都から月に帰ったということになる。   

  了

九割紳士と一割娘


九割紳士と一割娘

                              

「もう我慢できない。早く外に出たい」と缶太は思った。自販機に押し込められてからまる二日経っている。

足音が近づいてきて、自販機の前で止まった。どんな人だろう。子供か、大人か、おじんか、おばんか。

チャリンと音がした。十円玉だ。続いて百円、それから十円。

「今度こそ僕の出番だ」と缶太は意気込んだ。次の瞬間、身体が一回転し、急降下して、ガツンと尻餅をついた。痛たたたた……。

「グッドラック、カンタ、バイバイ」と缶吉が言った。

買い主を見ると立派な紳士だ。品のよい顔立ちで背が高い。歳は五十前後か、暑いのにスーツをきっちり着こなし、ネクタイはライトブルーのストライプだ。黒の革靴がよく磨かれている。良かった、いい人に当たった。変な人に当たると、飲み終えられてから溝なんかに捨てられてしまう。そうなると「一缶」の終わりだ。ラッキーと思い、缶吉にサヨナラした。

缶太は紳士の左手に握られて、紳士が歩くにつれて中のコーヒーがぽちゃん、ぽちゃんと揺れ動いた。歩き方がまた格好いい。背筋を伸ばしてリズミカルだ。洗練されているんだなぁと思った。

「冷たいうちに飲まないと、ぬるくなっちゃうよ」と、缶太は気をもんだ。

しかし、紳士は飲もうとしない。スマートフォンの着信音が鳴った。紳士はポケットからスマホを右手で取り出した。

「もしもし、安藤です。オウ、ハロー、ジス イズ アンドー」と言ったかと思うと、ペラペラペラとやりだした。商事会社の重役か、外資系の役員か、外務省の官僚か。さすがバッチリ決めているだけある。この人、国際的な仕事に関わっているんだ。缶太はこのような人に飲んでもらうことを名誉に思った。

紳士は英語で話しながら地下鉄、鶴舞駅のプラットホームに来た。電車の音が聞こえてきた。紳士は「じゃ、また、シー ユー レイター」と言って電話を切った。紳士は浮気相手と話していたのに、缶太はてっきり仕事の話だと思った。

電車がホームに入ってきた。到着するとドアが開き、紳士は座席に座った。さて、今から飲んで下さるのかなと思ってワクワクしていると、紳士はスマホをまた出して操作しだした。缶太は、紳士がメールを打っているのだろうと思った。紳士の指先の素早い動きは女子高生に負けないぐらいだ。

その後ずっと紳士は夢中になってスマホを操作している。缶太はその姿を見て、有能な男がエネルギッシュに仕事に打ち込んでいるのだと思い、紳士にほれぼれした。見掛け倒しでなく本物の紳士とはこの人のことだと思った。紳士の隣に座っている高校生が、紳士がのめり込んでいるゲームを見て「おじさん、うまいね」と言ったが、缶太には聞こえなかった。

缶太は周りを見回した。夕方のラッシュアワーの後で、空席がちらほらあった。

――「荒畑、荒畑。お出口は右側です」

電車が止まると、紳士の右隣が空席になり、中年の男性が二人座った。一人はカッターシャツにグレーのネクタイで、もう一人はノーネクタイだ。

「今日びっくりしたよ」ネクタイが言った。

「えっ、何かあったんですか、先生」ノーネクタイが言った。

缶太は聞き耳を立てた。

「いや今日ね、廊下を歩いてたら、加藤が廊下に痰を吐くんだよ」ネクタイが言った。

「加藤って、加藤清一ですか? 清一ならやりかねませんね」

「あいつ、公共心というものが全然分かってないよ」

「先生、ど叱ってやりましたか」

「ああ、とっ捕まえて、お前、自分の家でも痰吐くんか。廊下の雑巾がけをやれっ、て言ってやったよ」

「で、しました?」

「始め、ブツブツ言ってたけど、私がえらい剣幕で叱るもんだから、いやいやバケツに水汲んできて拭いてたよ。回りに生徒が一杯いてね。ありゃ見ものだった」

「そうですか。そりゃいいお灸を据えましたね」

「近頃の高校生は、全くけしからん奴ばかりだ。自分さえよければ人はどうでもいいと思っとる」

「そうです、そうです。廊下にゴミが落ちてても、拾おうとしないんです」

「全く。私なんか率先垂範じゃないけど、学校でゴミを見かけたらすぐ拾ってるのに」

「今の生徒は先生を見習おうとしないんですよ。勝手に先公がゴミ拾っとる、でおしまいですから」

「そうかも知れないね、でも、私は主義として拾ってるんだよ」

缶太はネクタイ先生は立派だと思った。なかなか率先垂範なんてできるわけがない。

それにしても、紳士は左手に缶太を握っていることを忘れたかのように、スマホに嵌ってしまっている。よほど仕事が忙しいのだ。部下にあれこれ指示を出しているのだろうと思った。

――「御器所、御器所。桜通線ご利用の方はお乗りかえ下さい」

数人の乗客が入れ替わり、紳士の左隣の空席に五十歳前後の女性が二人座った。一人は茶髪で、もう一人は黒髪だった。

「あなただって、全然変わってないわよ」茶髪が言った。

「何言ってるのよ。白髪だらけよ。嫌んなっちゃうわ」黒髪が言った。

「でも、いつもお綺麗だから」

「そんなことないわよ。でもね、今日さぁ、カルチャーセンターでね、『五十歳からの魅力』っていう講座に出たのよ」黒髪が言った。

「えっ、そんな講座あったの?」

「それがさぁ、講師が品があって美人でね。てっきり五十歳ぐらいかと思ったら、六十七と言うじゃない」

「化粧じゃない?」

「化粧は控えめなのよ。驚いちゃってさ」

「で、その五十歳からの魅力ってなんなのよ」

「それはさぁ、若い娘と張り合っても負けるから、内面で勝負しなさいって」

「内面?」

「だから、心を美しくするっていうことよ」

「そんなことできっこないわ」

「けど、心が顔に現れるそうよ」

「そうは思うけど、心を美しくなんて……」

「それがさぁ、簡単なのよ。人のために尽くせば美しくなるって」

「へえーぇ、嘘みたい」

「大げさに考えなくっていいんだってさ、人に親切にしてあげると美しくなるんだって」

「ほんと?」

「そうらしいの。親切にされた相手は喜ぶけれど、親切にした方も嬉しくなるんだって」

「それはそうね。親切にしてあげると自分も嬉しくなるわね」

「嬉しくなったとき、若返りのホルモンが分泌されるんだって」

「ホルモン? その講師ってどういう人?」

「名古屋医科大学の教授よ」

「教授? じゃ、間違いないわね」

「ええ、ちょっとした善行をするだけで、若返りホルモンが出るんだってさ。実験でそういう結果が出たそうよ」

「小さな善ね」

「ええ。道を聞かれたら、丁寧に教えてあげるとかさ」

「それで、美しくなれるんなら簡単ね。いいこと聞いた」

「それでさぁ、人のために何かすることないかって、講座が終わってから、ずっとチャンスを待ち構えてるのよ」

「じゃ、わたしもそうするわ」

 缶太は二人のご婦人の心意気を立派だと思った。

紳士を見ると、スマホの操作を止めて缶太を上下に強く振った。やっと飲む気になったらしい。

――「まもなく川名、川名。お出口は左側です」

電車がホームに近づいてきた。紳士はコーヒーを急いで飲むと、空になった缶太を座席のすぐ下の床に置いた。電車が止まると、紳士は缶太を置いたまま下車してしまった。

「おじさん! 僕を置きっぱなしにしないでよ」缶太が叫んだ。

しかし、ドアが閉まり、電車は発車した。缶太は怒れてきた。

「なんだあの人、紳士だと思ってたのに」

缶太は裏切られたと思った。あんな奴にコーヒーを飲まれたかと思うと悔しくなった。

 川名駅で乗客が四人降りて、三人乗ってきた。その内の一人は二十歳ぐらいの女性で、紳士が座っていた座席の反対側に座った。先生やご婦人達の目の前の座席だ。

缶太は女性を見て驚いた。

ふっくら顔の絶世の美人で、肩までかかる金髪に、青や赤髪ほどよく混じり、二、三センチのつけまつ毛、電車が揺れるたびごとに、ふんわりふわりと優雅に揺れ、丸い目玉の周りには、墨で輪郭描かれて、顔面を殴られたように見え、チャラチャラのイアリング、優美にだらりとぶら下げて、真っ赤に塗られた唇に、見た目も麗し金ピカの、ピアスが四本突き刺さり、ノースリーブのチュニックが、豊かな胸をふんわり覆い、手を見ると指輪だらけの豪華絢爛、ネイルデザイン念が入り、ピカピカ光るクリムトが、ギラつくゴッホに品良く混ざり、アールデコ調最先端、純白のショートパンツの延長線、にょっきり生足華奢に伸び、おみ足見るとギンギラギンのハイサンダル、足指のネイルデザイン満点で、キラリ、ギラリのデコデコ調。おっと、お膝にグッチのバッグ、フタがあいてて中が丸見え。ぐっちゃ、ぐちゃの中身から、本が一冊顔を出し、タイトル見ると『人は見かけが九割よ』。 

缶太はうなった。娘さんはあの本を信奉しているのだ。せめて見た目だけでも完璧にしておかなきゃ魅力的な女性になれないとでも思っているのだろうか。

ショートパンツから、しなやかに伸びる生大根が嫌でも目に入り、世の男性がよく言う「目のやり場に困る」という気持ちが分かるような気がした。九割娘はグッチから手鏡を取り出して、つけまつ毛の手入れを始めた。鏡は周りの世界を遮断している。グッチから七つ道具を取り出して、芸術作品の完成に没頭している。周りが見えない、音が聞こえない。自分の世界に埋没している。

 ――「まもなく、いりなか、いりなか。お出口は右側です」

 電車が止まると、乗り込んできた高校生の靴が鎮座していた缶太に当たり、缶太は倒れて、残っていたコーヒーが床に流れ出た。高校生は缶太が倒れたことを知ってか知らずか、奥へ入っていって座った。次に幼稚園児がママに連れられて乗ってきて、九割娘の隣に座った。

電車が走りだした。二人連れのご婦人はひそひそ話をしている。缶太は聞くとはなしに聞いていた。

「ねえ、ちょと、前の()見てよ黒髪が茶髪に目配せし 

「いやーね、近頃の娘はエチケット知らないんだから」

「親の顔が見たいってこのことね」

「だらしない親よ、きっと」

二人の先生も九割娘をちらちら見ながら話している。缶太は耳をそばだてた。

「大体、あの校長は不言実行、不言実行と勢いがいいがね、ありゃ曲者だよ」

「そうですね。カッコイイことばかり言って」

「全く」

ネクタイが顎で九割娘の方を示し、声を落として言った。

「ありゃお化けかね」

「気持ち悪いですね、ああなると」

「ありゃ、社会悪だよ。ああゆうのが蔓延すると、日本の将来は暗澹たるもんだな」

「ええ、世も末ですね」

――「この先、電車が揺れることがあります。ご注意ください」 

電車が大きく揺れ、缶太は電車の床を転がり始めた。缶太の口からよだれが垂れたようにコーヒーが床に一筋流れた。缶太は恥ずかしくなった。誰か拾ってくれないかなと思った。

「ママ、缶、転がってるよ。拾おうか?」園児が言った。

「ダメよ、ばばっちいから」

「でも……」

「いいから、ちゃんと座ってなさい」

缶太は惨めに思った。せっかく坊やが拾ってくれるというのに……。僕は転がったり止まったりして、皆の注目を一身に浴びている。耐えられない。誰か拾って下さいと願ったが、誰も拾ってくれない。電車がまたカーブした。缶太は転がっていってネクタイ先生の靴にぶつかり、靴にぴったり接触して止まった。先生は知らん顔を決め込んでノーネクタイ先生を相手に公共心だの利己主義だの日本の将来だのといきり立っている。缶太が先生の靴に接触してから、急に声が大きくなったようだ。先生は内心、缶太を憎々しく思い、どこかに転がって行ってくれないかと切望していることが、缶太には分からなかった。缶太は靴にしっかりくっついていれば、先生は気がついて拾ってくれると信じていた。なんといっても垂範先生だから。ところが垂範先生は電車が大きく揺れたドサクサに紛れて缶太を密かに蹴った。缶太は転がっていって黒髪婦人のすぐ足もとで止まった。婦人もゲジゲジかゴキブリが足にくっついて離れないような嫌ぁな気になったが、缶太は自分が嫌われていることに気がつかなかった。このご婦人なら「美人になるために」拾ってくれると思った。しかし、黒髪婦人は知らん顔だ。

――「まもなく八事、八事。名城線ご利用の方はお乗りかえです」 

 電車のスピードが制御されて、缶太は婦人の足元から離れて転がり、九割娘の前あたりで止まった。娘は、つけまつ毛と頬の手入れが終わって、イヤホンを耳にあてがい、スマホをいじっている。

缶太は考えた。先生もご婦人もいくら話に夢中になっているとはいえ、僕が床に転がっていることに気がつかないわけがない。現に坊やが拾おうかって言っていた。それなのに誰も拾ってくれない。缶太は諦めた。この先も誰も拾ってくれないだろう。このまま永遠に転がったり、止まったり、あちこちにぶつかったりして、ひと目に晒され続けるのかと思うと、人間どもが恨めしくなった。

電車は八事駅のプラットホームに滑り込み、停止した。ドアが開いた。

九割娘が立ち上がり、缶太を拾って、電車を降りた。

 ええっ、娘さんが僕を拾ってくれた。缶太は信じられなかった。缶太は恥ずかしく思った。見かけ倒しの娘さんだとばかり思っていて、一割の真の姿を見抜けなかった。一割娘さんの手は柔らかく、あたたかい。何という美しい心。永遠に持っていてもらいたいと思った。

 娘さんは改札口を出てさっそうと歩き、自販機の前で立止まり、脇にある「空き缶」と書いてある丸い穴に缶太を投げた。缶太は娘さんにサヨナラを言った。

娘さんの足音が遠のいていった。

「やあ、缶太じゃないか。偶然だね」缶吉が言った。

「ひゃぁー、驚いた。缶吉じゃないか」

 缶太はほっとした。急にコーヒーが飲みたくなった。

                                    (了)

 

 

閻魔大王になった釈迦


○×△年四月八日 

釈迦殿

先般、貴殿は地獄の罪人を極楽に拉致しようとされたが、その理由をお聞きしたい。

閻魔大王

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四月九日

閻魔大王殿

事前に了承を得なかったことをお詫び致しします。実は、罪人を一人地獄から救い出そうとしたのです。あの日、昼寝を終えて蓮池を散歩している時に地獄を覗いてみますと、血の池でカンダタという男がもがいていました。彼は生前、蜘蛛を助けたことがあります。私はその善行を思い出し、蜘蛛の糸を垂らして助けてやろうとしたのです。ところが彼が糸を登ってくる時、下を見ると多くの罪人があとから続いて登ってきました。カンダタは「この糸は俺のだ。お前たち、下りろ」と叫んだのです。私は彼のあさましさに落胆して糸を切ったのです。釈迦

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四月十三日

釈迦殿

事情が分かりました。今後は事前に断っていただきたい。

ところで、何故貴殿は蜘蛛の糸のような細い糸を垂らしたのですか。カンダタでなくとも誰しも糸が切れてしまうと不安になります。また、糸を登るのは相当体力が要ります。何故カンダタが糸を掴んだらそのまま引き上げてやらなかったのですか。更に、地獄には小さな善行をした罪人は一杯います。カンダタだけ助けるのは不公平です。貴殿こそ浅はかな事をしたのではないでしょうか。

次に、極楽では昼寝をして散歩をするというような悠長なことが出来るのですか。地獄にはそんな暇はありません。罪人の罪業確認、鬼の指導、血の池や針の山の管理、折檻道具の点検等、飯をゆっくり食う時間もありません。極楽と地獄と交替してもらいたいくらいです。閻魔大王

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四月十四日

閻魔大王殿

ご指摘ごもっともです。何故こんな馬鹿げた事を行ったのか考えました。原因は極楽の生活です。極楽は平和で、美しい調べが流れ、馥郁たる香りが漂い、悪人がいなくて、天女が舞っています。昼食を食べたら、昼寝をして散歩するぐらいしかすることがありません。お蔭で頭を使うことがなく、脳の血の巡りが悪くなり、明晰な判断が出来なくなるようです。その点、貴殿は忙しそうで羨ましい。一度閻魔大王になりたいものです。釈迦

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四月十七日

釈迦殿

このところエジプトやシリアを始め世界中で殺戮があり、三途の川を渡ってくる者が多すぎて対応に大わらわです。しかし、近日中には交代が出来そうです。閻魔大王

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五月五日

閻魔大王殿

交代して頂き感謝しています。閻魔大王になって毎日大忙しですが慣れてきました。今から地獄の釜の点検です。ではまた。釈迦

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五月六日

釈迦殿

極楽はのどかでいいですな。美女や美食に囲まれて極楽、極楽。このところ急に腹が出てきました。メタボかも。閻魔大王

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五月十一日

閻魔大王殿

多忙で返事が遅れました。閻魔大王の仕事は、やり甲斐があります。極楽よりもこちらの方がもっと極楽です。釈迦

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五月十五日

釈迦殿

極楽は悠長すぎて頭がボケてきました。明日にでも地獄に戻りたい。閻魔大王

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五月十八日

閻魔大王殿

交代はもう少し待って下さい。釈迦

---------------(略)--------------

七月七日

釈迦殿

これで九回目の催促です。気が狂いそうです。早く交代してもらいたい。閻魔大王

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七月三十日

閻魔大王殿

先ほど、蜘蛛の糸が垂れてきました。断りもなく、変な真似は止めてもらいたい。釈迦

               (了)