2009年11月26日木曜日

悪魔の果肉

 
小説宝石新人賞応募作品


     悪魔の果肉


 その奇怪な出来事の発端は四年前にさかのぼる。当時、私は五十五歳で、東京大学医学研究所、血液研究センターの所長であった。
 その年の十月三日、私はハンガリーに飛び、ブタペストで開催された国際赤十字血液学学会で基調講演を行った。学会終了後ルーマニアに飛び、トランシルバニア地方にあるブラン城、いわゆるドラキュラ城を訪れた。
実は私はドラキュラ映画のフアンで俳優クリストファー・リーが演ずる吸血鬼映画はほとんど見ており、ドラキュラ城をかねがね訪れたいと思っていた。そんな矢先、ブラム・ストーカー原作『ドラキュラ』の出版百周年記念行事がトランシルバニアのアレフ村で行われると聞き、学会の帰りにルーマニアに飛んだ訳だ。
 十月五日、アレフ村に着いたのは午後二時ごろで、記念行事の真っ盛りであった。何百人ものドラキュラフアンや観光客が集まっており、ドラキュラ伯爵花嫁コンテスト、レイモンド・マクナリー博士の講演「バンパイアと恐怖」、人体杭刺し無料体験、ドラキュラ映画鑑賞会、ドラキュラ・グッズ展示販売会など多彩であった。私はドラキュラ伯爵と握手をし、花嫁と写真を撮り、小説の主人公ジョナサン・ハーカーが食べたという吸血鬼料理も味わった。
 翌、十月六日、ドラキュラ城を訪れた。城はトランシルバニア山脈のブチェシ山の頂上近くに不気味にそびえていた。灰色の空に向かって三つの望塔が伸び、円錐形の屋根は血のような赤褐色を呈し、見るからに吸血鬼と無数のバンパイアが城の奥深くで眠っているようだった。  
 城に着き、城門から中庭に入った。見物客はまばらであった。中庭を横切って、正面の石段を上がって城内に入った。
 まず、ドラキュラ伯爵の執務室があり、八角形の木製テーブルとオルガンがあった。その隣は暖炉付きのリビングルームで、壁にドラキュラ伯爵の肖像画が飾ってあり、伯爵は白い花を、カルメンのように口にくわえていた。奥の寝室に行くと四本の柱で囲まれたダブルベッドがあり、壁際に黒光りする棺が安置してあった。棺を見ていると、今にも蓋が開き、ドラキュラが充血した目を開け、飛び出して私の首に牙を刺し、血が首から流れる光景を想像した。
その後、らせん階段を下りて地下牢に行った。暗い湿った牢獄には、頭を砕く金具、トゲだらけの椅子、手を焼く鉄製手袋等の拷問道具が散らばっており、私は息が苦しくなり、階段を急いで登って中庭に出た。
ほっとして、丸井戸のそばの石に腰かけて一休みした。井戸のそばに可愛い青い花が咲いていた。もう見物時間が終わるころだ。帰ろうかと思っていると、白いフリルのブラウスと赤いロングスカートの民族衣装を着た中年の女性が私のそばに来て、ドイツ語で言った。
「昔、この井戸は城の外に出る秘密の抜け道になっていたんですよ」
彼女はアレフ村の出身で城のガイドをこの十年ほどしていると言う。私が日本人で血液を専門としている医者だと言うと、彼女は奇妙な話をしだした。話の内容はおおよそ次のようなものだった。
ブラジョフ市にある聖ニコラエ教会の資料室から発見された古文書によると、約百五十年前、ぺステラ村で奇怪な事件が起こった。村はドラキュラ城から約八キロ西方にあり、旅人がたまたま道を間違えて村に迷い込んだ。一夜の宿をお願いするため、農家を訪ねて驚いた。家には死体がごろごろしていた。他の三軒の農家も同じで、腐りかけた死体があちこちに転がっていた。四軒目では青白い顔をした男が、横たわっている人間の首のあたりに覆いかぶさっていたが、旅人に気がつき顔をあげた。口の周りが血だらけで、旅人はぞっとして逃げた。逃げる途中、青白い痩せた二人の男が取っ組み合いをしており、二人とも口の周りが血だらけだった。二人は旅人に気がつき、目をギラギラさせて追いかけてきた。旅人は逃げたが、転んで一人の男に追いつかれ、足を噛まれた。旅人は反対の足で思い切り男を蹴って山に逃げた。険しい山を必死でよじ登り、しばくして下を振り向くと二人の男は追って来なかった。急勾配の山を登る体力がないのだろう、と旅人は思った。
 旅人は故郷のアレフ村に帰ってこの話をしたが、皆笑って聞くだけで信用してくれなかった。しかし、半年後、ある神父がその村の教会を訪れて、ぺステラ村で約六百人が死んでいることが分かった。はじめ、神父は餓死のためかと思ったが、村には牛や豚が放牧しており、どの農家にも小麦、ジャガイモ、ヒマワリの種等の食物は十分残っていた。この怪事件はその後「蒼白事件」と名づけられたが、なぜ村人が蒼白になったのか、なぜ口の周りに血がついていたのかは未だに分からないという。
 ガイドから以上の話を聞いて、血液学を専門としている私は、蒼白病は勿論貧血によるものと直感したのだが、なぜ六百人もの村人が死んだのかわからなかった。貧血は一般に鉄欠乏性貧血が多く、鉄分の摂取不足による。しかし、村には食料が十分あったのだから、鉄分不足ではない。そうすると赤血球の生成機能の低下か、異常破壊か、肝臓障害が原因だ。また、口の周りの血は何だろう。吸血鬼に関係があるのだろうか。私は大いに興味を持った。
その日の夕方、宿泊していたブラショブ市のホテルの支配人にガイドから聞いた話をしたところ、蒼白病のことを知っていた。ぺステラ村の場所を尋ねると、翌日に見学を予定していたブルケンタル国立博物館のあるシビウ市に行く途中にあると言う。それならばと、翌日は、まずぺステラ村を訪れ、その後博物館を見学することにした。
翌、七日の朝、タクシーを頼んでぺステラ村に向かった。運転手によると昔は切り立った山があり、村に通ずる道路がなかったが二十年ほど前にトンネルができ、交通も楽になったと言う。 
 ブラショブ市から西に約二十分走ると、そそり立つ山が迫ってきてトンネルに入り、約十分後トンネルを出た。急に眼下に盆地が広がった。ぺステラ村だ。タクシーを止めて足元の村を見下ろした。
 村の中央に教会の尖塔が見え、周りに農家が点在し、畑と緑の丘が広がっていた。村の東西と北の三方には険しい山があり、南側には広い川が流れていた。運転手はダニューブ川の支流だと言う。村は四方が山と川に囲まれた、言わば陸の孤島であった。再びタクシーに乗り、さらに十分ほど走って教会に向かった。教会の過去帳に蒼白病事件で亡くなった村人の記録があると思ったからだ。
 教会に着き、運転手を待たせて教会に入った。激しいパイプオルガンの音が響き渡っていた。長椅子に腰をかけて祭壇を見た。祭壇中央にある十字架に磔つけられた褐色のキリスト像が、ステンドグラスを通す光に赤と青のまだら模様に輝き荘厳であった。しばくすると突然パイプオルガンの音が止んで、足音が近づいてきた。
 現れた神父は白髪でひょろ長く頬が落ちこみ、ローマン・カラーがだぶだぶで、咽仏がいやに突起していた。私はドイツ語で言った。
「私は日本から来ました。血液学博士の清水健一と申します。実は、百五十年前に当地で起こった蒼白病のことを調べたいと思って参りました」
「蒼白病といいますと、あの六百人ほどが亡くなった病気ですね」
「そうです。蒼白病は恐らく貧血と思いますが、なぜ、六百人もの人が急に亡くなってしまったのか、それを調べたいと思いまして」
「そうですか、しかし、もう百五十年も前の事ですが……。で、何か私にできることがありますか」
「はい、できれば、当時の過去帳を見せていただけませんか」
「過去帳ですか」
「はあ、過去帳に病死した人の名前と時期と年齢が書いてあるはずですので、何か手掛かりがあるのではないかと思います。当時の過去帳はございませんか」
「資料室にありますが……」
と、神父は言って、やや間をおいて言った。
「よろしい。お見せしましょう。ご研究のお役に立てれば光栄です」
神父は祭壇に向かって礼をし、右手の扉に向かって歩き出した。
私は後に続いた。神父は扉を開けて中庭に出た。神父の話では、ここ聖ビセリンカ教会は一二二三年に建立され、別名「赤の教会」と言った。一四五三年にオスマントルコ軍がこの地を攻め、教会に逃げた多くの村人がオスマン兵に見つかり、婦女、子供を含むほぼ全員が惨殺された。その時流れた血が教会の床を真っ赤に染めたからだ。神父の話を聞きながら中庭を囲んでいる回廊を奥へ進むと下り階段があり、階段を下りると半地下になっている部屋の前に来た。神父は「資料室です」と言って部屋の鍵を開け、中に入った。
窓が天井近くの壁に二つあったが部屋全体が薄暗く、窓側の一方の壁に鼻が欠けた聖母マリアの彫像、色あせた受胎告知の絵画、刻んである文字が判読できないような墓碑などが並んでいた。これらは五十年ほど前に教会を改装した際、運び込まれたものだと言う。残り三方の壁には天井まで届く書架が並び、神父は踏み台を書架に引きずり、その上に乗って、上から二段目の棚に並んでいる一連の黄ばんだ背表紙の冊子の中から、三冊取り出して、踏み台を下りた。
 一冊づつページをめくり、二冊目をめくっていて、神父は言った。
「ありました。ここです。蒼白病で亡くなった人の記録です」
私は過去帳を覗き込んだがルーマニア語で書かれていて分からなかった。神父の説明によると、蒼白病は一八六六年六月から九月までの四ヶ月間に村全体を襲い、死者の年齢は六十歳ぐらいから幼児までだった。六十五歳以上の人の名前はなかった。なぜないのだろう、と私は疑問に思った。
神父はさらに三冊目を手にとって、ページをめくっていくうちに冊子から封書のようなものが床に落ちた。私は拾って封書の表書きを見たが、ルーマニア語で書かれてあり、神父に手渡した。神父は「何だろう」というような顔をして、受け取り、表書きを見た。そこには「血液の研究者へ」と書かれてあるとのことだった。封書の中には一枚の手紙と小さな包みが入っていた。神父によると、手紙には次のように書いてあった。
「蒼白病による死者は約六百人。大人だけでなく子供もその犠牲となる。三年前のぺステラ村の人口は約六五〇人。生き残った者は病人、老人、赤ん坊だけ。彼等ももう長くは生きられない。家という家には死体がごろごろしている。おそらくぺステラ村は絶滅するだろう。村は呪われている。同封の包みには「極楽の木」または「……の木」の種。この種を育て、その実の生態を血液学者が解明することを望む。もう村には大人はだれも住んでいない。恐らくわたしが最後だ。天罰が下ったのだ。天罰だ」
 手紙後半の「極楽の木」または「……の木」の「……」の部分は文字が不鮮明で神父は判読できなかった。しかし文脈からみて「……の木」は多分「天国の木」とか「至福の木」が当てはまるだろうと思った。ところで「極楽の木」とは何だろう。この木の実が蒼白病と関係があるのか。神父が包みを開けると中からリンゴの種のようなものが六個でてきた。私は神父に言った。
「神父様、この手紙と種を私に譲って下さいませんか。わたしは血液学博士です。この種を育てて、蒼白病との関係を調べてみたいと思います」
「それはもちろん結構です。表書きにも『血液の研究者』と書いてありますし。しかし、わたしの前任者が誰もこの手紙に気がつかなかったとは……。とにかく、わざわざ日本から血液学博士がこのようにして、教会に来てくださり、百五十年も前の村人の願いを聞き入れてくださるとは、神の御意志に相違ございません。是非お持ち帰られて、蒼白病との関係を調べてください」
 丁寧にお礼を言って教会を出て、待たせてあったタクシーに乗った。私はルーマニアにさらに三日滞在し、例の種を鞄に入れて、十月十一日、日本に帰った。

 東京大学医学研究所は港区にあり、大学教授、准教授、研究員、博士研究員、大学院学生等約千人近くが、先端医科学研究をしている。血液研究センターは研究棟十三階にあり、白血病などの造血器悪性腫瘍、再生不良性貧血、特発性血小板減少性紫斑病などを研究している。
私は研究所から徒歩十五分の所に住んでおり、妻を四年前に白血病で亡くしていた。娘の喜実子は京都大学文学部の二年生であった。
 帰国して「極楽の木」の種をどうしようか迷った。何しろ百五十年前の種である。始めは専門家に育ててもらおうかと思ったが、亡くなった妻がツタンカーメン王の墓から出てきたというエンドウの種を育て、見事に紫色のエンドウを収穫したことを思い出した。太古の種でも育てられるのだから、百五十年前なら私でも育てられるだろうと思った。
 私は試しに六個の種のうちの三個を育てることにした。もし失敗したら、残りの三個を専門家に依頼すればいい。直径十五センチほどの鉢に腐葉土を入れて種を蒔き、日当たりのいいリビングルームに置いた。十月だから種を蒔くのには良いはずだ。
 翌年三月に、三個のうち一個だけ芽を出してきた。

 二年後、十月、若芽は一メートルほどの木に成長した。幹の幅は約四センチ。イチジクの葉の形をした葉が一枚ずつ根元から四方に伸びている。十二、三枚ある葉は分厚く緑色をしているが。葉脈は白くて葉の中心に向かうほど太くなり、葉の中心部が白くなっていた。
木の形はゴムの木に似ており、ゴムの木との違いは葉柄から垂れ下がっている蔓だった。蔓は十二、三本あった。長さは三十センチほど。どの蔓もだらりと垂れ下がっているだけで、朝顔のように横に伸びて辺りにある物に巻き付くという様子もなかった。
 一体この蔓は何のためか。空中の水分を吸収しているのか、と不思議に思った。
不思議と言えば、手紙にあった「極楽の木」の意味がわからなかった。「極楽」と命名するような植物ではない。葉が緑色で葉脈が白く、葉の中心部が白いと言う点は珍しい。見た目も心が落ち着くところがある。しかし、これだけで「極楽の木」とは合点がいかない。どうして「極楽の木」なんだろう。神父がルーマニア語を間違えて訳したのだろうか。
 種を蒔いてから三年後、「極楽の木」は高さが一、四メートル、幹は六センチほどになり、葉の数も約三十枚になった。蔓も三十本ぐらいになり、長さが四十センチほどになった。
 十一月のある土曜日の朝、「極楽の木」は正体を現した。朝食に、いつものようにテレビの八時のニュース番組を見ながらパンにバターを塗っていると、甘い香りが漂ってきた。金木犀のような濃い香りだ。香りにつられて、「極楽の木」を見ると花が一輪咲いていた。白い花だ。
「やった、ついに花が咲いた。百五十年前の種から、とうとう花を咲かせるまでになった」
甘い香りは花から出ていた。パンをかじりながら、花に顔を近付けた。花は直径が五センチぐらいで花弁が何枚も重なっており、バラのような形をしていた。香りを嗅いだ。うーん、なんといういい香り。濃い。甘い。うっとりする。たまらない。もう一度目を閉じて香りをかいだ。素晴らしい。こんなに甘い、こんなに濃い、こんなにうっとりする香りは嗅いだことがなかった。そうか、だから「極楽の木」と言うのか。極楽はこのような香りで満ちているのだろう。と、その時、頭がくらくらして、立っておれなくなり、床にしゃがんでしまった。どうしたのだろう。ただ花の香りを嗅いだだけだ。しゃがんだまま花を見ると先ほどまで青白かった花が気のせいかほんのりと赤みがかっていた。
 はて……。確か香りをかごうとして、花に近づいた時は、青白かったのに。ほんの十秒かそこらで赤みを帯びるとは。不思議に思いつつ立ち上がり、もう一度香りをかいだ。香りを胸いっぱい吸いながら、ふと花の反対側にあるガラス戸棚に映っている自分の姿を見てギョッとした。首に蔓が三本刺さっていた。三本とも真っ赤だ。またふらふらして、その場にしゃがんだ。蔓は首から離れて、だらりと垂れ下がった。どれも赤い。これはどういうことだ。花を見た。さっきよりもっと赤くなっている。血が花に送られたのだ。蔓の先端を見た。血の跡がある。俺の血だ。蔓が俺の首に刺さり、血を吸ったのだ。ぞっとして首筋が寒くなった。落ち着いて、落ち着いて、気のせいだ。人の血を吸う植物なんて聞いたことがない。
 食卓に戻り、赤くなった花を見ながら首を手でなでた。掌を見ると蚊を叩いた後のような一筋の血の跡があった。蔓の先端の血、手についた血。間違いない。あの木は人の血を吸うのだ。よし。どのように蔓が首に刺さり、血を花に運ぶのか一度じっくり観察してやろうと思い、「極楽の木」に近づいてガラス戸に映る蔓を観察しながら香りをかいだ。するとどうだろう。だらりと下がっていた二十本ぐらいの蔓が一斉に蛇が頭をもたげるように先端を持ち上げ、私の首や腕や衣服をまさぐり、五、六本が首を刺した。蔓は次第に赤くなり、しばらくして、花が赤くなった。立っておれなくなったが、そのまま葉を見た。白い葉脈が赤く染まっていた。私は首に刺さった数本の蔓をつかんで引きちぎって、どっと倒れた。蔓の端から血が床にぽたぽたと落ちた。手に血がついた。この化け物め! 恐怖と驚きで我を忘れた。ずたずたに引き裂いてやる! そう思って立ち上がり、蔓をつかんで引きちぎった。葉っぱも、つかんでちぎろうとしたが案外強い。よしこうなれば、剪定バサミでと思ってハサミを取りに行こうとした時、携帯電話が鳴った。ドキッとした。
 電話は娘の喜実子からだった。めったに電話をしてこないが、なんだろう。
「お父さん、喜実子よ」
「おお、喜実子か。元気にやってるか」
「ええ、お父さんも? あのね、怒らないでね、わたし、ミス京都に選ばれたの」
「なに? ミス京都だって」
「ええ、お父さんには内緒でミスコンに応募したの。六百人ぐらい応募しててね、それでね、グランプリ獲得しちゃった」
「お前、みんなの前で、その、水着姿を見せたのか。なんという破廉恥な」
「だから、怒らないでねって言ってるでしょ。それでね、優勝したから、五十万円獲得したのよ」
「そうか、お前もか。血は争えんな。お母さんがミス広島だったからなぁ」
「ええ、知ってるわ。だから応募したのかも」
「それで、喜実子、その賞金どうするんだ」
「だから、今日電話したのよ。実はね、来年一年間は、親善大使の仕事があるの。だからね、この冬休みに、イタリアとフランスに三週間ほど旅行しようと思って」
「お前、一人でか」
「友達二人とよ。それでね、この冬休みは家に帰らないからって、そういう電話よ」
「そうか、正月に会えるのを楽しみにしてたのに。まあ、帰ったら一度顔を見せに来いよ」
「ええ、そうするわ。多分今度家に帰るの、春休みかも」
「そうか。ま、気をつけて行くんだぞ」
 電話を切って、喜実子は母親に似てきたと思った。まあ、好きなようにやるさ、と思って「極楽の木」を見た。
さっきまであんなに興奮していたのに、すっかり怒りがおさまってしまっていた。木の周りの床に、引きちぎった蔓が数本横たわり、床が血で汚れていた。花を見ると赤く染まっており、葉は葉脈が薄赤くなっていた。そうだ、花を咲かせたから、実をつけるかもしれない。だって、あの種はリンゴの種のようだったし、手紙にも実の生態を解明してほしいと書いてあった。そうだ、じっくり待ってどんな実をつけるか観察してやろう。
 それにしても、この木はうまくできている。花の香りで人間をひきつけ、匂いをかぐ時に蔓を体に突き刺して血を吸収するのだ。そういえばそのような植物があった。ウツボカズラとか言ったが、蓋つきの壺が茎からぶら下がっていて、昆虫が壺の中に入ると蓋が閉まり、虫を溶かして栄養にしてしまうのだ。ということはこの血を吸う木にしても、ただ単に水だけやっているだけでは良い実がならないわけだ。血を必要としているのだ。ぺステラ村の人が六百人も死んでしまったのは、この血を吸う植物のせいだったのか。しかし、死んでしまうほど血を吸われた、いや血を吸わせたのか。先ほど私が倒れるときに蔓は首から離れたし、手で蔓をつかんで引きちぎることもできたはずだ。まだほかに何かあるのだろうか。そう思いながら「極楽の木」を眺めた。木は何もなかったかのように立っていた。
血を吸われた日から、好奇心をもって木を眺めた。赤くなった花は、大きくなっていった。始め五センチほどの小さな花であったのに、一週間たった今は六、七センチぐらいの大きさになり、ますます赤みを帯びてきた。葉脈にあった血は花に送られたらしく、葉の中心部は元の白色に戻っていた。
 しかし、花は依然と部屋中に甘い香りを漂わせている。血を求めているのだ。私は近づいた。垂れ下がっていた二、三十本の蔓の先端が、マムシが頭をもたげるように、持ちあがり一斉に私のほうに向かって伸びた。私は覚悟した。血を吸わせよう。死ぬことはない。匂いをかいだ。蔓が何本か首に刺さった。手首にも刺さった。見る見るうちに蔓は赤くなり、白かった葉脈が赤くなり、ピンクの花が赤く染まっていった。体がふらついてきた。しかしもう少し、もう少し……。よしっ、ここまで。ふらつく体で木から離れた。蔓ははらりと身体から離れ、だらりと垂れた。どの先端にも血の跡があった。
 椅子に座って、赤みを帯びた花を見た。多分、花は真っ赤になるまで血を吸うのだ。そうするとまた血をやらねばならん。馬鹿だと言えば馬鹿だ。何も好き好んで血を吸う植物に血をやる必要はないのだ。しかしどういう実をつけるか知りたい。ただすぐにはやれない。血液が回復してからだ。私は四日後再び花に血を与えた。花は翌日に血色になっていた。三日後、花弁が赤茶色になり、ついには花弁を全部落とし、子房が残った。「極楽の木」の果実の元だ。実に成熟するまで一、二週間はかかるだろう。その日以来、あの甘い匂いはしなくなった。
十二月のある日の午後、木を見ながら考えた。なぜこの植物は血を吸うのだろうか。突然異変か。突然異変ならその原因は何か。どうして血を吸うようになったのか。ぺステラ村のことを思い出した。まてよ。ぺステラ村はドラキュラ城から八キロの所にある。吸血鬼ドラキュラ、それから血を吸う木、何か関係があるのだろうか。一体ドラキュラとは何者なのか
 インターネットで調べた。いくつかのサイトを検索し調べて行くうちにドラキュラは実在した人物であることが分かった。その人物は十五世紀中期のルーマニアのワラキア公で、ヴラド・ドラクル、またの名をヴラド・シェペシュ(串刺し公)と言った。
 一四六〇年、オスマントルコ軍がワラキアを襲撃した時、ヴラド公はオスマン軍を撃退し、二万三千人を捕虜とした。捕虜は串刺しの刑に処せられた。捕虜の肛門から杭を差し込み身体を突き抜けて口から杭を出し、串刺しにしたまま、頭を下にしてその杭を地面に突き立てた。突き立てたところはぺステラ村の小高い丘の上だった。二年後、一四六二年、再びオスマントルコ軍が、ワラキアを攻めたが、またもやヴラド公は撃退し、四万のオスマン兵を串刺しにして丘の上に突き立てた。二回の攻撃で六万三千本もの串刺しの杭が丘の上に林立したわけだ。三年前、シビウ市のブルケンタル国立博物館を見学したとき、ぺステラ村の丘から発見された半分朽ちた杭が展示されていたことを思い出した。
 私は林立する人間串刺しの挿絵を見て気持ち悪くなった。逆さになったオスマン兵が、口を大きく開け、杭を出し、口から血が滴り、杭を伝って地面に流れ落ちている。うめき声が聞こえ、傷口にうじがわき、ハエがたかり、身体は腐敗し、死臭が立ち込め、禿鷹が群がっている。この世の地獄だ。その後の串刺しの刑を受けたオスマン兵を合わせると合計九万人以上の血が地面に流れたのだ。地面は十分に血を吸ったはずだ。この血を吸ったある植物が突然異変を起こしたのではないかと思った。というのは血を吸う「極楽の木」の種はぺステラ村の教会から発見されたし、大量の血が流れたのもぺステラ村だからだ。
 二週間後、子房はゴルフボールぐらいの大きさの赤みを帯びた丸い実となった。ぺステラ村から種を持ち帰り、三年と二カ月たっていた。実は日ごとに赤くなり、忘れもしないクリスマスイヴの日、実が床に落ちた。とうとうこの果実を食べることができるのだ。「極楽の木」と言うから、さぞかし素晴らしい味だろう、と思って実を拾った。血のように真っ赤で、つるつるの表皮。ぴんと張った弾力。それでいてしなやか。いかにも食感を誘う。口に持っていった。その瞬間、ぺステラ村の教会で神父が訳してくれた文書を思い出した。確か「この木の実の生態を血液を研究する人が解明することを望む」と書いてあった。するとこの果実が蒼白病と関係があるのだ。食べて血を吐いて真っ青になり死ぬことだってありうるのだ。注意しなければならな。
 台所に実を持って行って洗い、皮をむいた。甘い匂いが広がった。たまらない。実を左手に持って、右手の人差し指の先で果肉に触り、指先を恐る恐る舌でなめた。甘い。とても。しびれとか毒でないようだ。もう一度果肉の表面の果汁を人差し指にたっぷりつけて、なめた。甘い。なんという甘さ。いやいや、慎重にしないと命取りになるかも。時間をおいたが何の身体の異常も起こらなかった。包丁で半分に切って、その半分をまた半分に切って、丁度ミカンの人袋分ぐらいの大きさだ。それを口に入れた。神妙な気持ちで噛んだ。硬めのバナナを噛む歯触りがあった。熟した桃のような甘い果汁が舌を潤し、口中に甘さが広がった。なんという甘さ。なんという香り。噛んだジュウシーな果肉を飲み込んだ。十五分時間をおいた。青酸カリなどの毒物は約十五分で毒が体内に回り死に至るからだ。十五分たっても異常はなかった。毒ではない。覚悟を決めて残りの果実を全部食べた。
 最初、熟した桃のような味がしたが、次にイチジクの味がし、最後にザクロのような味に変わった。一口で甘さが三回も変わるのだ。このような果物は今まで食べたことがなかった。禁断の実を食べたら、さぞかしこのような味がしたのだろうと思った。
 しばらくすると、酔ったようないい気分になってきた。どういうわけか性的興奮を覚えた、男性自身が立ってきた、次第に興奮が高まってきた、ああ、いい気持ちだ、ああ、いい気持ちだ、おんなのなかにぬめりこんでいくぬめりこんでいくぬめり……ああ……、心臓がどくどく鼓動し、呼吸があえぎ、天にも昇る気持ちだ、ああ、ああ、ああっ、立っておれなない、天地がひっくりかえる、官能の悦びだ、床にたおれた、男性自身が硬くなり、絶頂感が脳天を突き破り、エクスタシーに達して爆発した。手足がしびれる、ぴくぴくする、動くことができない……ああ、極楽だ、極楽だ……
 一体何が起こったのか。セックスもマスターベーションもしていないのに、この天地も張り裂けんばかりの強烈なオーガズム。今まで経験したオーガズムの数倍は強烈だ。まるでエロスの女神と最高のセックスをしたようだ。そうか、だから、「極楽の木」と言うのか。
 「極楽の木」を見た。何もなかったかのように蔓はだらり垂れ下がっている。もう一度あの天国に昇り詰める快感を味わいたくなった。また花が咲くのを待つしかない。今度はいつ咲くのだろう。一ヶ月後か、もっと前か、そもそも、もう一度咲くのだろうか。起き上がって「極楽の木」のそばに行った。蔓は何も反応しなかった。花が咲いている時だけ、蔓は頭を持ち上げ身体に刺さり血を吸うのだ。
さて、この奇妙な植物について血液研究センターに報告すべきだろうか。「私が育てている植物は血を栄養とし、実をつけ、実を食べるとオーガズムを経験する」などと言っても真面目に彼等は信じるだろうか。嘘みたいな話だ。だいたい私は、研究所でよく冗談を言うため、こんな話をしても冗談と思うに違いない。しかし、連中にこの怪奇な出来事をセンター所長として伝えるべきだろうか。今起こったことは公のことか、個人的なことか。公の研究として「極楽の木」を育てているのではない。私個人が好き勝手にやっていることだ。しかし、このような血を吸う植物は今まで聞いたことがない。やはり、公にすべきだろう。しかし、もし公にしたらどうなるか。もし「極楽の木」を研究所に持っていったらどうなるか。血液研究センターの研究員のみならず、生殖学や生物学の専門家がこのことを聞きつけ、寄ってたかって木を台無しにしてしまうだろう。報道陣がかぎつけたらどうなるか。私の研究生活はぶち壊しになるだろう。私はテレビカメラや、マイクを向けられるのは大嫌いだ。第一、極楽の快楽を味わうことは恐らく出来なくなるだろう。「極楽の木」は私個人の所有物だ。ぺステラ村の古い文書にも「木の実の生態を誰か血液を研究する人が解明することを望む」と書いてあった。私がその血液を研究する人だ。発表するにしても、もっと多角的にこの木の生態を解明してからにしたほうが良いはずだ。
 私は、今から思うと、自分の都合がいいように勝手にもっともらしい理由をつけて、結局は公にしないことにした。冷静な研究者としての私は、欲情を持つ私に負けた。本能が理性より強いのだ。
その日以来、「極楽の木」の世話を念入りにやった。植木ポットも、大きいものに変え、陽がもっと当たるように窓際に寄せた。水もやった。早く花が咲け、実をつけよ、あの天にも昇る気持ち良さよ。花が咲いたら、血を十分やろう。私は食事もインスタント食品を一切止め、血液の要素である鉄分、蛋白質、ビタミンBとC、銅を含む食物を十分に取ることにした。

 翌年の一月二十日、待っていた花が三つ咲いた。前の倍の甘い香りを部屋に漂わせた。ついにまたあの絶頂感が味わえるのか。花を見るだけで、欲情が湧いてきた。血を求めているはずだ。花に近づいた。蔓が一斉に先端を持ち上げ私の身体の方に向いた。匂いを嗅いだ。素晴らしい。極楽の香りだ。蔓の先端が私の首や手首に刺さった。刺される時全然痛みを感じなかった。蔓がみるみる赤くなっていき、白い葉脈が赤くなり、葉の中心部の白い部分がピンクに染まり、三つの花のうち二つの花が次第に赤くなってきた。頭がふらふらしてきたが、同時に快感を覚え気持ち良くなってきた。立っておれなくなり、どっとその場に倒れた。蔓は身体から離れた。どれぐらいの血が吸われたのだろう。五、六百ミリは取られているはずだ。
 床に倒れたまま考えた。蔓が刺さる時に痛くないのはなぜか。なぜ血を吸われている時に快感を覚えるのか。恐らく蚊が血を吸うときの場合と同じだろう。蚊は人間の血を吸う時は、麻酔液をまず注入する。このため、神経が麻痺して、刺されても痛くない。その間に蚊は血を吸うのだ。「極楽の木」の蔓の場合は快感を覚えさせる化学物質が入っているのだ。時間があればその化学物質の分析も面白いだろう。しばらく花を見ていると、二つの花は次第に赤くなり、三つ目の花もかすかに赤みを帯びてきた。葉脈と蔓の色は元の色に戻った。まだ三つ目の花が、さらに血を求めているようだ。しかし、これ以上血を与えることはできない。体が貧血で持たない。
その後、三日間は辛抱の三日間だった。花のすぐそばに行って、甘い匂いを嗅ぎたいのだが、血を吸われてしまう。吸われると貧血になる。ユリシーズが、妖精セイレーンの美しい歌声に引き付けられないように帆柱に自分の体を縛らせたように、私はいくら甘い匂いをかいでも頑として「極楽の木」のそばには行かなかった。
しかし、血液が回復するのに五日は、かかると言うのに、三日後もうたまらなくなって三つ目の花を赤くするため「極楽の木」に近づいた。蔓が延びて首に数本突き刺さった。「さあ、血だ。吸え、吸え、吸いたいだけ吸え」と言いながら、十分に血を吸わせた。三つの花が真っ赤になった時、いや、もう少しで倒れそうになった時、全ての蔓は、はらりと首から離れ、ぶらりと垂れ下がった。そうか、十分血を吸うと、蔓は勝手に離れるのか。人間よりましだ。人間は腹が一杯になっても、下呂を吐いても美食を胃に押し込むから。赤い花を見て欲情が湧きあがってきた。
今度は三つの花が血色に染まったから、三つの果実をつけるはずだ。三つも一度に食べたらどうなるか。エクスタシーを飛び越えて、死ぬぐらい快感を覚えるのだろうか。死んでしまわないだろうか。
 その後実をつけるまで再び待った。甘い香りは止まった。はじめて花をつけてから、実がなるまで約一カ月かかったから、多分今度も一カ月近くかかるだろう。そうすると実をつけるのは二月の下旬になる。それまで平和な時間が流れた。血液研究センター所長としての仕事や研究に没頭できた。
 二月九日、私は赤みがかった小さな実を見ながら、なぜぺステラ村の人が四カ月の間に六百人も蒼白病で死んでしまったのか考えた。恐らく彼らは「極楽の木」に血をやりすぎて死んだのだ。しかしやりすぎると言うことがあるのか。私の経験でも私は木からいつでも離れることができたし、木のほうも十分血を吸ったら、蔓を離した。だいたい一人の人間が出血多量で死ぬのは全血量の三分の一から二分の一失われた場合だ。体重六十キロの人なら約二リットルの失血で死ぬ。「極楽の木」に二リットルも血を吸わせ続けるなどとは考えられない。蒼白病には何か他にあるのだろうか。一体この血を吸う植物は何者なのだろう。私は「極楽の木」の正体を調べたくなった。血を吸うようになった突然異変の前はどのような植物だったのだろう。性的興奮を促す植物だから、薬草かハーブの類だろう。「極楽の木」は「草」ではなく「木」だから、図書館に行ってハーブの木に関する本を調べれば「極楽の木」の原形が載っているかもしれない。
 数日後、国立国会図書館に行き、ハーブ図鑑を四冊借りて、一冊ずつ念入りに調べていった。すると、ロンドン大学植物学教授バーバラ・ヘイ著作「原色ハーブ大図鑑」で、精力増強、強壮部門のページをめくっていくうちに「極楽の木」とそっくりの木を見つけた。花や葉の形が似ている。それは「ムイラ・プアマ」と言う名前で、別名「アマゾンのバイアグラ」と言った。「極楽の木」との違いは蔓であった。ムイラ・プアマには蔓がなかった。
ムイラ・プアマの解説を読むと「南米アマゾン熱帯雨林原産の高さ二メートル程の低木で性機能を増強する木として知られている。四季咲き性で白い花を咲かせる。甘い金木犀のような香が特徴的」とあった。
 さらに読んでいくと「十三世紀にスペイン人がムイラ・プアマをヨーロッパに持ち帰り、地中海、黒海周辺でも生育するようになった。学名はユオロペ・ムイラ・プアマ。アマゾン原産より低木。花は大きい」と書いてあった。
 これは大発見であった。ルーマニアは黒海周辺の国であり、このユオロペ・ムイラ・プアマが、十五世紀にオスマントルコ兵を串刺しにしてダニューブ川にさらした時流れた血を吸って、突然変異したのではないかと思った。
 二月二七日、三つの花のうち二つが実をつけた。みかんぐらいの大きさだ。今度は二つ一度に食べた。死ぬかと思うぐらいの絶頂感を感じた。凄い。これまでに三つ食べ、種は十六個となった。種を今後の観察のために保管することにした。
 さらにその後、四月中旬に三つ実がなった。実がなってから、次の実がなるまでの期間が最初は二カ月かかったが、今回は一ヶ月半になり、間隔が短かくなった。三つ食べ、手足がしびれてしばらく動けないぐらいのエクスタシーを味わった。種の数も三十個ぐらいになった。私だけがこのような天にも昇る快感を味わっていいのだろうか。
 四月の二十日から二十二日まで京都国際センターで開催された日本血液学会に参加した。国内外から約四千人の研究者、学者、医者が集まり、セミナー、講演、臨床報告、シンポジアムに参加した。第一日目、私はシンポジアムの司会を務め、シンガポール血液学会会長のノーベルト・マオ博士が特別講演を行った。博士は東京大学医学部大学院の私の同期で、一緒に研究し、一緒に食べ、飲み、歌い、テニスをした。彼は博士号を取得してからシンガポールにもどった。もう三〇年も前のことだ。
 二日目の総会が六時過ぎに終わり、私はマオ氏を誘い日本料理店、嵐山「吉兆」で再会を祝し食事をした。刺身やてんぷらを味わいながら、昔を懐かしみ、今を論じ、ビールを大いに飲んだ。私は酔っ払ってきて、「極楽の木」について話してしまった。この木のことは独り占めにしておこうと思っていたのだが、人に話したいと言う気持ちが奥底にあった。
「えつ、冗談だろう、酔ってしまったのか」マオ氏が言った。 
「冗談ではないんだ。本当に血を吸う木があるんだ。なんというか、そう、吸血木だよ。鬼ではなく木だよ」
「そんな馬鹿な」
「いや、ほんと、なんだ」
酔って、ろれつがまわらなかったが、続けて言った。
「それでね、その実を食べたんだ。凄いよ。考えられないぐらいの強烈なエクスタシーを感ずるんだ。ここに実がないのが、残念だ」
「お前、よく大学院時代、冗談言ってたからなあ、信用できないよ。馬鹿げている。そりゃ勿論わたしだって、そんな実があったら食べたいよ。でも……」
「本当に極楽の気分が味わえるんだ。よし。それなら送ってやるよ。果実は送れないから、種を送るよ。ちゃんと育てれば、実がなるから」
「分かった、分かった。それじゃあ、送ってくれ。実がなって、俺もオーガズムを感じたら信じるよ」
 学会が終わって、東京に帰り、さっそくマオ氏に次のような手紙を書いた。
「……というわけで、約束通り、例の種二十個送ります。名前はユオロペ・ムイラ・プアマ、別名アマゾンのバイアグラと言います。果実は天にも昇るオーガズムを感じさせます。またストレスや疲れを取る効果もあります。副作用はありません。おかげで私は毎日健康で活力がみなぎっています。
 実がなるまでに三年はかかると思いますが、気長に育ててください。花が咲くと甘い匂いを出します。垂れ下がった蔓が血を欲する時です。血をやってください。蔓の先端が首に刺さりますが、驚かないでください。あなたは血液学者だから私は心配していませんが、一応用心はしてください。それから友達で欲しいと言う方には分けてあげて下さい。
十一月に開催されるシンガポール血液学会でまたお会いしましょう。では」
 書いてから種を二十個封に入れ、シンガポールに送った。これが重大な結果になることは全く予想しなかった。
 次の花は五月二十日にもう咲いた。実を落としてから開花するまでの期間と、開花してから実をつけるまでの期間が次第に短縮されてきた。花も三つは最低咲いた。三つの花全部に血を供給するのは相当量の血が必要であった。しかし、あの言葉では言い表せないようなエロスの絶頂感を味わいたいために、まだ血液が十分回復してないのに血を与えるようになってしまった。これでは体に悪いと思いつつも本能に負けて血を与えてしまっていた。次第に体が疲れやすくなり、歩くのも息を切らせて歩くようになった。
「ぺステラ村の人はこのため死んだのだろう。人間相手のセックスより十倍も強烈な快感が味わえるのなら、誰が人間を相手にするだろう。「極楽の木」を育て木を相手にセックスしたのだ。人間を相手にしなければ赤ん坊は生まれない。村の人口は減少する。貧血者が多数出る。病的状態になったのだ。村の将来のことなど、子孫繁栄などどうでもよくなったのだ。今の快楽を求めたのだ。多分「極楽の木」は女性にも同じような絶頂感を与えたのだろう。ぺステラ村の人は、男性も女性も「極楽の木」の中毒になったのではないか。血が足らないことが分かっていても、無理に血を与えて村中が中毒患者になってしまったのだ。彼らは血を得るために人の血を「極楽の木」に与えるようになったのだ。他人を捕まえ、木の所に持っていけば、蔓はそこから血を吸う。お互いに相手を殺しあうようになったのだろう。旅人が村人を見たとき、口の周りが血だらけだったのは、人の血を吸っていたのだ。
ここまで考えて、ぺステラ村の教会で神父が読んでくれた古文書の文面を思い出した。文面には確か、「大人だけでなく子供もその犠牲となる」とあった。その犠牲の「その」とわざわざつけているのは子供が大人の犠牲になったのだ。大人は自分の子だろうが、人の子だろうが、か弱い子供の血を吸ったり「極楽の木」のいけにえにしたのだ。あのオーガズムを得るためにありとあらゆる非人道的なことが行われたのだ。村が絶滅するのは当然だ。もちろん子供が大人の犠牲になったという話は日本でもあった。室町時代末期の戦乱期、大人が子供の肉を食べたという記録もあるそうだ。しかし、それは生きるためだ。ペステラ村の場合は、生きるためではない。ただ快楽のためだ。理性では考えられないような凄惨なことがあったのだ。
 「その犠牲」の意味がわかったが、もう一つ気にかかっていることがあった。それは神父が読んでくれた文書に「『極楽の木』または『……の木』の種」とあった。「……の木」の「……」は一体何と書いてあったのだろう。急に知りたくなった。古くて読めなくなっているのだが、何とか解読できないだろうか。引出しから例の文書を持ってきて調べた、ぼんやりと何か書いてある。始めは多分「天国の木」とか「至福の木」と書いてあると思ったのだが、どうも違うようだ。私はルーマニア語は分からないのでルーマニア語のわかる人を探した。
東京外国語大学に電話をして、ルーマニア語の分かる教授はいないか尋ねた。電話の相手は、黒沢慎吾教授を紹介してくれた。さっそくアポを取って、翌日六時ごろ東外大にお邪魔して教授に会った。
 教授は五十歳ぐらいでメガネをかけ、あごひげを伸ばしていた。私が持ってきたぺステラ村の古文書に大変興味をもたれ、どのように文書を手に入れたか尋ねた。私はドラキュラ城やぺステラ村の蒼白病の話をした。教授は熱心に私の話を聞き、さっそくその文書を見てくれた。やはり「……」の部分は読みづらく、拡大鏡で見たり、蛍光灯の光で透かしたりした。しかし薄ぼんやりとしか文字が分からず、どういう言葉が書いてあるのか判読できなかった。
「残念ですが、判読できません。古くて文字が薄いものですから。もう少し濃ければ」
私はお礼を言って帰ろうとしたら、教授は文書を貴重な資料としてコピーさせて欲しいと言った。私は勿論どうぞ、と答えて、文書を渡した。教授はそのままコピー室に行き、二十分も経ってから帰って来た。
「悪魔です! 悪魔ですよ」
私は何のことかわからなかった。
「悪魔の木ですよ」
「ええっ、判読できたのですか」
「できました」
 教授の話によると、教授はコピー室に行ってコピーをし終わって気がついた。文書を拡大し濃度を調節すれば文字が判読できるかも知れない。濃度を最大にして文字を四倍に拡大したところ、判読できたとのことだ。それによれば、「……」の部分はルーマニア語の「ドラクル」に当たると言う。「ドラクル」は「悪魔」という意味だ。だから、あの箇所は「『極楽の木』または『悪魔の木』」という意味になる。私は納得した。お礼を言って、大学を出た。そうか、結局、俺は悪魔に血をやっていたのだ。悪魔に魅入られてしまったのだ。そのうちに悪魔に俺の血を全部吸い取られてしまうだろう。悪魔を拒絶できない。死ぬくらい強烈なオーガズムを拒絶できない。今では咲く花も五、六個になり、果実も大きくなってきた。血がいる。もっと血がいる。身体が貧血気味になってきた。すぐ疲れるようになってしまった。階段を十段上がるだけで、息切れがする。研究員が私の体調を気遣うようになった。ああ、もっと意志が強ければ「悪魔の木」をずたずたに切り刻むのに。悪魔に取りつかれてしまった。逃れられない。これは中毒だ。「悪魔の木」の中毒だ。血が欲しい。血が欲しい。良い方法はないか。
七月十日、素晴らしいことに気がついた。我ながらなぜ気がつかなかったのだろう.灯台下暗し、とはまさにこのことだ。私は血液研究センターのセンター所長だ。センターで私は血で囲まれているのだ。手続きを踏めばどれだけでも怪しまれずに血を手に入れることができるのだ。
 血液研究センターは研究用の血液と緊急輸血用の血液に分けて保管されている。研究用として全血を必要とする場合は、研究テーマと研究方法を述べた文書を審査委員会に提出する。委員会で認められれば、入用なだけの血液は自由に使用できる。センター所長といえども審査される。私は大量に血液を必要とする研究テーマを考えだし、研究方法を詳しく述べて審査委員会に提出した。審査はパスして、私は血液を必要量自由に使えることになった。本能の欲望を満たすために貴重な献血を利用することは気がひけたが、悪魔に魅入られてしまったのだ。私も悪魔にならざるを得ない。今度花が咲いたら、堂々と「研究用」の血液が使用できるのだ。私の血は一滴もいらない。血はいくらでもある。俺は花が咲くたびに、どれだけでも血を悪魔にくれてやれる。そして、あのエロスの恍惚状態……。想像するだけで性的快感を覚えた。
 五回目の花が七月下旬に咲いた。四つもあった。しかし今度はどれだけでも血を与えられる。翌日、血液研究センターの仕事を終えて帰宅直前に、四百ミリ全血製剤三バッグ分を血液加温器を通して常温に戻した。急いで家に帰った。四十分経過すると血液細胞が破壊されてしまうからだ。血液を二百ミリビーカー六個に分け、ビーカーラックに六本立てて「悪魔の木」の前のスツールの上に置いた。
 そら来た、二、三十本ある蔓が一斉にするするとコブラのように頭を持ち上げて、ビーカーの中に頭を突っ込んだ。一つのビーカーに三、四本入っている。ビーカーに届かない蔓はただ空中を泳ぐだけだが、ビーカーに頭を突っ込んだ蔓は、蛇のようにくねくねくねらせて、血を吸いだした。蔓は先端から赤くなり、蔓全体が赤くなった。次に葉脈が血色に染まり、葉の白い部分がどす黒い血の色になった。それから白い花がだんだんと赤くなっていった。蔓が血を吸う様子はまるで八岐大蛇が酒樽に八つの頭を突っ込んでいるようだった。ぴちゃびちゃ音を出し、周りを死んだ血の臭いで充満させた。悪魔の臭いだ。吐き気がしてきた。見る見るうちに二百ミリのビーカーの血は減ってきた。もっと要るのだろうか。一つのビーカーの血がなくなると、そこに頭を入れていた蔓は、空のビーカーから頭を出し、まだ血が残っているビーカーに頭を入れた。「どんどん血を吸え、吸いたいだけ吸え、血はどれだけでもやるから、今日の分で足りなければ、明日も持ってきてやるから、どんどん飲め、どんどん。うまいか」俺は悪魔のようになっていた。しばらくして、全ての蔓はするすると頭をビーカーから出して、まただらりと垂れた。十分吸ったのだ。まだビーカーの底には少し血が残っているものもあった。蔓は何もなかったようにたれている。床が血で汚れたが、別にかまわなかった。悪魔の生態を見たのだ。四つの花が赤くなった。
 あれほど激しく先を争って蔓が血を吸ったのだから、今度咲く花はきっと今まで以上に大きく、熟しているに違いないと思った。実がなるのが待ち遠しかった。
 一週間後、八月七日、四つとも実をつけたのだが、ゴルフボールより一回り小さくて、ピンとした張りがなく、赤茶色をしていた。それから三日たっても大きくならず、そのまま枝から落ちてしまった。ダメだ。研究用の血ではダメなんだ。悪魔は生き血か死んだ血か知っているのだ。私の血をやるか、誰か他人の生き血をやるしかない。かと言ってぺステラ村の人のように人を縛って、悪魔に血を吸わせるなどと言うことはできない。
喜実子から電話がかかってきた。今度のお盆に帰れないと言う。ミス京都親善大使として京都と姉妹都市のボストンに行くという。なんでも京都とボストンの姉妹都市締結四十周年記念行事だそうだ。仕様がない奴だ。大学一年の時は何かあるとすぐ帰ってきたのに。三年生ともなると、もう一人前の大人になって親離れか。俺は子離れの覚悟をしなければならん。今度喜実子が帰ってきたらゆっくり話……待てよ……いや……そんな悪魔みたいなことはできない。いくら悪魔が生き血を欲しがっているからと言って……。俺はいったい何を考えているのか。ああ、悪魔になってしまったのか。ぺステラ村の人が子供を犠牲にしたのだ。俺は、俺は、そんなことを考えるなんて、悪魔になってしまったのか。
 十日後、八月十七日、朝起きたが、身体がだるくて力が入らない。鏡を見ると顔全体から精気が消え、目の下に隈ができている。唇に赤みがない。無理やり研究所まで行ったが、玄関の階段を登るのさえ息切れがする。極度の貧血だ。念のため血液検査をしてもらった。結果は最悪だった。ヘモグロビンが三・九しかない。明らかにヘモグロビンの貯蔵鉄が底を突いているのだ。また赤血球容量が四十四、赤血球色素量十五・八で、ともに正常値の半分以下だ。これは危険信号だ。副所長に検査結果表を見せ、一週間ほど休養を取る旨伝えた。副所長は「先生、このところ顔色が悪かったので、心配していました。ゆっくり休んできて下さい」と言ってくれた。
 その足で東京駅に向かった。家に帰るとまた「悪魔の木」に魅入られてしまう。君子危うきに近寄らずだ。駅に着いた。行き先はどこでもよかった。JTBの観光ポスターが目に付いた。伊豆の修善寺温泉だ。よし決めた。特急踊り子号に乗って約二時間で修善寺駅に着き、予約しておいた新井旅館に着いた。昼食をゆっくり食べて、旅館の前を流れる桂川を散歩した。川は両岸からおい茂った樹木に覆われ、川沿いの石畳の散策路を歩くと澄んだ空気がひんやりし、一歩一歩歩くごとに心が清められた。
 温泉につかり、おいしい料理を食べ、散歩し、とにかくゆっくり休養を取った。体力も十分回復してきた。四日目、夕方近くに竹林の小道を歩き、上流に上がっていき赤い渡月橋を渡った。渡り終わったところに赤い花が咲いていた。あれっ、昨日の朝、ここに咲いていたこの花は白かったのに、赤くなっている。色が変わるのかな、と不思議に思った。白い花の形が「悪魔の木」の花に似ていたから印象に残っていたのだ。旅館に帰って、夕食を食べている時に女中さんに聞いたところ、花は「水芙蓉」という名前で、朝は白色で夕方になると赤く染まると言う。「悪魔の木」の花も白から、赤くなる。はて……。 
 突然ドラキュラ城のリビングルームの壁にかかっていたドラキュラ伯爵の肖像画を思い出した。確か伯爵は口に白い花をカルメンのように口にくわえていた。そうか、分かったぞ、あの花は血を吸う「悪魔の木」の花だ。小説『ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカはぺステラ村の蒼白病について何か知っていたかもしれない。と言うのは、彼は『ドラキュラ』を著わす前に東ヨーロッパの伝説や民話を数年間研究していた。確かエミリー何とかという女性が書いた『トランシルバニア地方の民間伝承』という本からヒントを得て『ドラキュラ』を書いたのだ。そうすると、ブラム・ストーカーはその本の中でぺステラ村の蒼白病に触れた部分を読んだのかもしれない。ドラキュラ城の肖像画の伯爵が口にくわえていた白い花はそれを暗示していたのか。誰があのような肖像画を描いたのだろう。今度ドラキュラ城に行ったら、ぜひ聞きたいものだ。ドラキュラ伯爵が血を吸うのは「悪魔の木」に血を吸わせるためなのだ。若い娘の生血を吸うのは自分の血を補うためだ。私のように悪魔に魅入られてしまい、性的快感を味わうため血を求めていたのだ。彼も「悪魔の木」の誘惑に負ける、木を破壊できない弱い存在だったのだ。女性とのセックスよりも「悪魔の木」との「セックス」を選んだのだ。そのため若い娘を次々に襲ったのだ。
 私はとても若い娘の首にかみついて血を吸うなどと言うことはできない。若い娘を誘惑して、無理やり「悪魔の木」に血を与えることもできない。ああ、俺がドラキュラならなぁ……。輸血用の血液も使えない。あの宇宙が爆発するような快感を感じたい。しかし、このまま続けるとぺステラ村の人のように廃人になってしまう。ここは冷静に考えなくては。所長としての人望もある。妻を白血病で亡くしてからの研究テーマである白血病の研究もまだまだ何もできていない。狂人ドラキュラになるか、研究の道を選ぶか。それはわかりきったことだ。よし、決めた。「悪魔の木」を破壊するしかない。それが一番の解決策だ。もう充分に快感は味わった。修善寺温泉に来てよかった。悪魔が棲みついている家ではこのように冷静に考えられない。問題は、離れてみなければ解決策は生まれない。
 八月二十四日、私は決意も新たに東京に帰ることにした。電車の中で「悪魔の木」と対決する作戦を考えた。とにかく家に入ったら、あの媚薬の匂いを嗅いではいけない。嗅いだら最後、悪魔のおとりになってしまう。嗅ぐ前に、剪定ハサミか斧でずたずたにするしかない。それには家に入ってからハサミを取りに行ってはいけない。家に帰る前にハサミを買って悪魔の家に入るべきだ。
 決心してホッとしたのか踊り子号で眠ってしまった。起きたのは熱海の辺りだった。
海岸を車窓から眺めていてぺステラ村のことである疑問が頭に浮かんだ。なぜぺステラ村の人だけが蒼白病になったのだろう。ぺステラ村の周りにはシビウ市をはじめ村や町があったはずだ。なぜ「悪魔の木」の種は隣村や町に広がらなかったのだろう。なぜトランシルバニア地方全体に広がらなかったのだろうか。私はぺステラ村にタクシーで行った時のことを思い出した。長いトンネルを出て、小高い丘の上に立ち、ぺステラ村を眼下に見下ろした時のことを思い出した。そうだ。村は、三方がトランシルバニアの切り立った山に囲まれていた。残る一方には広い川が流れていた。トンネルが二十年前にできたと運転手が言っていた。トンネルができるまで、村は陸の孤島だったわけだ。他の世界と遮断されていて自給自足の生活をしていたのだ。だから種は広がらなかったのだ。
 東京駅に着き、駅の名店街百円ショップで万能ハサミを買った。百円にしては相当大きなはさみだ。これなら「悪魔の木」を倒すことができる。
 我が家の玄関前に立った。悪魔を倒す決意も新たに、シュミレーションした。玄関の扉をあける。花が咲いている。息を止める。素早くハサミを持って、リビングルームに行く。花、葉、蔓、枝とにかく呼吸を止めている間中、悪魔を切り刻み、退治するのだ。よし! 絶対だ! 決死の覚悟だ。
 息を殺して玄関を開けた。ハサミを持って、リビングルームに急ぎ、ドアを開けた。
「あっ!」と驚いた。大きな花がいっぱい咲いている!「凄い!」と思わず叫んでしまった。甘い匂いが鼻孔を襲った。甘さが脳天まで届いた。部屋中に充満していた甘さが。体がとろけるような、美女千人に囲まれたような、金木犀とバラの匂いが溶け合ったような、抵抗力を完全に打ちのめすような匂いだ。ふらふらと「悪魔の木」に近づいた。もうどうでもいい。俺は、頭の片隅でぼんやり思った、俺は、意志薄弱だ。あれほど強く決心したのに、俺はダメな男だ。もうどうでもいい。こんなに花が咲いているのだ。大きい花だ。血をやろう。これが最後だ。実を食べたら、花が咲いていない悪魔が眠っている時に始末すれば、これが本当に最後だ。
 三十本はある蔓が一斉に頭を持ち上げ、私の方に向かってゆらゆらしている。五、六本首に刺さった。一番上に咲いている花の匂いを嗅いだ。両手首にも刺さった。他の花にも鼻を近づけた。他の蔓の先端が私のシャツのボタンの孔から、胸まで入り込み、胸を刺している。痛くはない。好い匂いだ。十本ぐらいの蔓がそで口や襟から私の身体に入り込み胸や腕に突き刺さった。体がふらふらしてきた。いい匂いだ。こんなに蔓が活発に強烈に血を求めることはなかった。立っておれなくなって、その場にどっと倒れた。蔓がはらりと離れた。ああ、助かった、と思った。ところが「悪魔の木」は幹ごとしなって私の身体に覆いかぶさってきた。横になっている身体のすぐ上にほぼ平行に幹を曲げた。蔓が延びた。顔から足の先まで全身に蔓の先を突き刺した。鼻からも、耳の穴からも、シャツやズボンを突き破って突き刺してくる。首、胸、腹、下半身、太もも、足も全ての身体の部分に突き刺さった。殺される! 手で蔓を引きちぎろうとしても、針金のように強い。全ての蔓が私の身体をがんじがらめにしている。「悪魔の木」の幹を手で押し上げようとしても、覆いかぶさったまま、悪魔が笑っているように、びくともしない。ゆさゆさと血を吸ううれしさで悪魔は身体を揺らしている。ダメだ! 殺される! 助けてくれ! 誰か! このまま、このまま悪魔に血を吸い取られて死ぬのか、頭がぼんやりしてきた。匂いも感じなくなってきた。目がかすんできた。何か悪魔をやっつけるものはないか。残った力で蔓を払いのけ床をまさぐった。そうだ。携帯電話だ。私はズボンの後ろのポケットに入っている携帯電話を取りだした。蔓が携帯電話に巻き付いた。一、一、〇、とキーを押した。携帯電話を何とか口元に持っていった。警察が出た。振り絞る声で言った。口に入り込んでくる蔓を押しのけた。「こちら、港区の、港区の、白金台、四丁目六番、清水、清水健一です。至急来てください。殺されそうです、すぐ……」気が遠くなった。

 気が付いたら、自分がどこにいるのかわからなかった。目がぼんやりしていたが、焦点が合い、天井から血液製剤バッグがぶら下がり、管を伝って私の右腕に輸血されていた。ここは、病院のベッドだ。そうか、悪魔の餌食から助かったのだ。そばにいた看護師が言った。
「やっと気がつきましたか。搬送されてからずっと意識不明でした。良かった。今、先生を呼びますから」
と言って、天井に設置してあるマイクに向かって医師を呼んだ。
 医師が部屋に入ってきた。東大医学部の教え子の鈴木君だった。そうすると、ここは医学研究所の道路を隔てた反対側にある鈴木病院だ。
「先生、覚えていますか、教え子の鈴木です」
「ああ、覚えているよ。済まん。お世話になるね」
「先生、心配しましたよ。極度の貧血です」
「うん、貧血だ」
「いま、輸血をしてますから、もう大丈夫ですが、一体どうなさったのですか。救急車で運ばれた時は、死んだように血の気がなかったんですよ。ヘモグロビンが二、三でした。動悸が激しく多呼吸で。骨髄像検査をしましたが、骨髄機能は正常でした。過度の鉄欠乏性貧血です。全血と赤血球製剤の併用輸血をしていますが」
「そうか、恐らく千ミリは吸われたからなぁ」
「えっ、吸われたって、吸血鬼にでも吸われたんですか」
「そうだ。吸血鬼だよ。吸血鬼に血を吸われたんだよ」
「また冗談を。先生は講義の時よく冗談を言ってましたから」
「いや、冗談じゃないんだ。吸血鬼ドラキュラにやられたんだよ」
 看護師がくすくす笑った。
「また、先生、相変わらず冗談がきついですね」
「いや、鈴木君、冗談と思うならわたしの家に来るといい。実は血を吸う木があるんだよ。吸血木の『き』は樹木の木だが」
「吸血木ですか、先生、うまいですね」
「本当に冗談じゃないんだよ。貧血で頭がおかしくなったと思ってるんだろう。そういう人もいる。脳に酸素が十分運ばれなくて。しかし、わたしの脳は正常だよ。まあ、今の話、本気にする人はいないと思うがね。そのうちに正式に発表するよ」
「分かりました。回復されたら、先生のお宅にお邪魔します。是非吸血木とやらを見たいものです。でも回復されるまでには一週間はかかります」
 鈴木君はにやにやしながら言った。全く私の話を信用していない。それも当然だろう。誰も吸血木なんて信用しないだろう。
 二日後、血液研究センターから、副所長と研究員が見舞いに来てくれた。仕事のことは気にしないで、ゆっくり療養していて下さいと言う。そうはいかないが、仕方がない。私宛に来た手紙を渡してくれた。シンガポールのマオ氏からだ。十一月の血液学会での講演依頼の手紙で、最後に種のことに触れ、二十個のうち五個蒔いて五個とも五、六センチぐらいに成長し、残った種はドイツ、香港、カナダの友達にそれぞれ五個ずつ送ったと書いてあった。
 大変だ。マオ氏が悪魔の犠牲になってしまう。死ぬかも知れない。しかし、ドイツ、香港、カナダの友達に送ってしまったとは。「悪魔の木」が世界中に広がるかもしれない。もし広がったら、全人類が「悪魔の木」の犠牲になる。恐ろしいことだ。手紙を書かなくてはならない。しかし、まだ安静にしていなければならない。輸血の管がまるで蔓のように腕に突き刺さっている。退院したら、すぐに書こう。
 一週間たっても、身体は一向に回復しなかった。鈴木君が来て、黄疸と肝炎の症状があると言う。そうか。貧血による合併症だ。貧血で身体のありとあらゆる臓器がやられるのだ。心臓だって機能が低下しているはずだ。俺は血液学博士であると言うのに、自分の血液の病気に関して何もできないとは、全く情けない。悪魔に血を吸われ、輸血され、合併症を起こし。何が血液学博士だ。自己嫌悪に陥った。仕方がない。治療に専念するしかない。もっと輸血し、葉酸サプリと、ビタミン12剤と、鉄分サプリを飲み、合成エリトロポエチンを注射するのだ。ああ嫌になる。あの悪魔め! 今度こそ……。今頃、俺の血が実になって枝からたわわに実っているだろう。いやもう実が枝から落ちてしまっているかも。また近いうちに花が咲くだろうが、誰が血をやるものか。俺はあと三週間は入院していなければならないだろう。悪魔よ、今度花が咲いても血はないからな。ざまあ見やがれ。
 でも、携帯で警察を呼び、救急車が家に来た時、「悪魔の木」の蔓は俺をがんじがらめにしていなかったのか。がんじがらめにしていれば、救急隊員は異常な木に気が付いていたはずだ。何もないところを見ると、多分、携帯で電話して、気を失った時、蔓が俺の身体から離れたのだ。血を十分吸ったのだ。

 三週間後やっと退院することになった。約一カ月入院していたことになる。退院する日、病院の玄関先まで見送りに来た鈴木君に言った。
「どうだね、今日の午後は休診だろう。一緒に家に来ないかね。吸血木を見に。本当にドラキュラの木があるんだよ」
「先生、行きたいのは山々ですが、何しろいろいろ予定がありまして、会議もありますし、それは今度ということで」
 まるで、駄々をこねる子供をあやすような言い方だ。私は怒れてきた。
「そりゃ忙しいのは分かっている。家までほんの十分とかからないんだよ。実は、鈴木君、わたしは家に帰るのが怖いんだよ」
 私は真剣な顔をして言った。
「吸血木が家にいて私の帰りを待ってるんだ。一人で帰るとまた自分が何をしでかすかわからないんだよ。わたしは弱い人間で、また血を吸われるままになってしまわないかと、それが怖いんだよ。君が信じないのは分かっているが、見ればわかるよ。是非わたしと一緒に来てくれないか。私の護衛と言うか。入院中何度も言っていたが、君は信用しなかっただろうが、本当に蔓が首に突き刺さるのだよ。万が一の時に備えて、わたしを救出してくれる人がどうしても欲しいんだよ」
 あまり真剣に訴えるものだから、鈴木君は半分信用しかけたような顔になった。
「わかりました、先生、そんなに言われるのなら、私は行けませんが、代わりにインターン生をご一緒させます」
 家への帰り道インターン生に「悪魔の木」について説明した。蔓が突き刺すこと、血を吸って花が赤くなること、蔓は頑丈で手ではちぎることはできないことなどを話した。
「で、一番大事なのは、甘い匂いを嗅がないことだ。嗅ぐ前に蔓を切ってしまうことだよ」
 勿論インターン生は半信半疑聞いていた。二人とも鈴木病院から手術用メスを借りてきた。「悪魔の木」を倒すのに、ノコギリなどはいらない。蔓を切ってしまえば、悪魔の手足を切ったも同然だ。それでお陀仏だ。たとえ蔓を切ることができなくなっても、「悪魔の木」は二人一度に血を吸うことはできない。どちらか一人は蔓を切ることができる。よし、完璧だ。これでやっと悪魔を退治できる。これで悪魔の悪循環から解放される。私自身に戻れるのだ。悪魔め、俺の血を吸ったことを後悔するな。
 決意も新たに、玄関のドアを開いた。鍵がかかっていない。そうか、救急車で運ばれたから、鍵は開けっ放しだったのだ。
玄関に入って驚愕した! やられた! まさか! 一瞬その場に氷ついてしまった。インターン生が「どうしました」と言うと同時に私は居間に走った。
「喜実子! 喜実子!」
 玄関に女性の靴があったのだ。喜実子の靴だ。
 居間に喜実子が倒れていた。そばに勝ち誇ったかのように悪魔が立っていた。
「畜生! 畜生!」
 喜実子を抱きかかえた。息が切れていた。血を全部吸い取られていた。顔が髑髏のようになり、眼窩が黒くへこみ、手足が、枝のように茶色く細く乾いていた。身体の皮膚が象のようにしわしわで、骨に貼りついていた。まるでミイラだ。ミイラになってしまった喜実子を抱いた。涙が出なかった。
「喜実子、喜実子、許してくれ、お父さんが悪かった。苦しかったろう。びっくりしただろう。怖かっただろう。せっかく帰って来てくれたのに。済まん……済まん。俺が悪かった。『悪魔の木』を独り占めにしようとした天罰だ。女房を白血病で亡くし、娘は悪魔に血を吸いとられて……。お前は馬鹿だ、それでもお前は血液学博士か! 馬鹿だ、馬鹿だ、大馬鹿だ。取り返しのつかないことになってしまった」
私は喜美子の乾いた頬をなで、乾いた髪をなでた。
ふと「悪魔の木」を見上げた。リンゴぐらい大きい、真っ赤に熟れた果実が五つもなっていた。
性欲がむらむらっと湧いてきた。

                  完