2009年11月26日木曜日

悪魔の果肉

 
小説宝石新人賞応募作品


     悪魔の果肉


 その奇怪な出来事の発端は四年前にさかのぼる。当時、私は五十五歳で、東京大学医学研究所、血液研究センターの所長であった。
 その年の十月三日、私はハンガリーに飛び、ブタペストで開催された国際赤十字血液学学会で基調講演を行った。学会終了後ルーマニアに飛び、トランシルバニア地方にあるブラン城、いわゆるドラキュラ城を訪れた。
実は私はドラキュラ映画のフアンで俳優クリストファー・リーが演ずる吸血鬼映画はほとんど見ており、ドラキュラ城をかねがね訪れたいと思っていた。そんな矢先、ブラム・ストーカー原作『ドラキュラ』の出版百周年記念行事がトランシルバニアのアレフ村で行われると聞き、学会の帰りにルーマニアに飛んだ訳だ。
 十月五日、アレフ村に着いたのは午後二時ごろで、記念行事の真っ盛りであった。何百人ものドラキュラフアンや観光客が集まっており、ドラキュラ伯爵花嫁コンテスト、レイモンド・マクナリー博士の講演「バンパイアと恐怖」、人体杭刺し無料体験、ドラキュラ映画鑑賞会、ドラキュラ・グッズ展示販売会など多彩であった。私はドラキュラ伯爵と握手をし、花嫁と写真を撮り、小説の主人公ジョナサン・ハーカーが食べたという吸血鬼料理も味わった。
 翌、十月六日、ドラキュラ城を訪れた。城はトランシルバニア山脈のブチェシ山の頂上近くに不気味にそびえていた。灰色の空に向かって三つの望塔が伸び、円錐形の屋根は血のような赤褐色を呈し、見るからに吸血鬼と無数のバンパイアが城の奥深くで眠っているようだった。  
 城に着き、城門から中庭に入った。見物客はまばらであった。中庭を横切って、正面の石段を上がって城内に入った。
 まず、ドラキュラ伯爵の執務室があり、八角形の木製テーブルとオルガンがあった。その隣は暖炉付きのリビングルームで、壁にドラキュラ伯爵の肖像画が飾ってあり、伯爵は白い花を、カルメンのように口にくわえていた。奥の寝室に行くと四本の柱で囲まれたダブルベッドがあり、壁際に黒光りする棺が安置してあった。棺を見ていると、今にも蓋が開き、ドラキュラが充血した目を開け、飛び出して私の首に牙を刺し、血が首から流れる光景を想像した。
その後、らせん階段を下りて地下牢に行った。暗い湿った牢獄には、頭を砕く金具、トゲだらけの椅子、手を焼く鉄製手袋等の拷問道具が散らばっており、私は息が苦しくなり、階段を急いで登って中庭に出た。
ほっとして、丸井戸のそばの石に腰かけて一休みした。井戸のそばに可愛い青い花が咲いていた。もう見物時間が終わるころだ。帰ろうかと思っていると、白いフリルのブラウスと赤いロングスカートの民族衣装を着た中年の女性が私のそばに来て、ドイツ語で言った。
「昔、この井戸は城の外に出る秘密の抜け道になっていたんですよ」
彼女はアレフ村の出身で城のガイドをこの十年ほどしていると言う。私が日本人で血液を専門としている医者だと言うと、彼女は奇妙な話をしだした。話の内容はおおよそ次のようなものだった。
ブラジョフ市にある聖ニコラエ教会の資料室から発見された古文書によると、約百五十年前、ぺステラ村で奇怪な事件が起こった。村はドラキュラ城から約八キロ西方にあり、旅人がたまたま道を間違えて村に迷い込んだ。一夜の宿をお願いするため、農家を訪ねて驚いた。家には死体がごろごろしていた。他の三軒の農家も同じで、腐りかけた死体があちこちに転がっていた。四軒目では青白い顔をした男が、横たわっている人間の首のあたりに覆いかぶさっていたが、旅人に気がつき顔をあげた。口の周りが血だらけで、旅人はぞっとして逃げた。逃げる途中、青白い痩せた二人の男が取っ組み合いをしており、二人とも口の周りが血だらけだった。二人は旅人に気がつき、目をギラギラさせて追いかけてきた。旅人は逃げたが、転んで一人の男に追いつかれ、足を噛まれた。旅人は反対の足で思い切り男を蹴って山に逃げた。険しい山を必死でよじ登り、しばくして下を振り向くと二人の男は追って来なかった。急勾配の山を登る体力がないのだろう、と旅人は思った。
 旅人は故郷のアレフ村に帰ってこの話をしたが、皆笑って聞くだけで信用してくれなかった。しかし、半年後、ある神父がその村の教会を訪れて、ぺステラ村で約六百人が死んでいることが分かった。はじめ、神父は餓死のためかと思ったが、村には牛や豚が放牧しており、どの農家にも小麦、ジャガイモ、ヒマワリの種等の食物は十分残っていた。この怪事件はその後「蒼白事件」と名づけられたが、なぜ村人が蒼白になったのか、なぜ口の周りに血がついていたのかは未だに分からないという。
 ガイドから以上の話を聞いて、血液学を専門としている私は、蒼白病は勿論貧血によるものと直感したのだが、なぜ六百人もの村人が死んだのかわからなかった。貧血は一般に鉄欠乏性貧血が多く、鉄分の摂取不足による。しかし、村には食料が十分あったのだから、鉄分不足ではない。そうすると赤血球の生成機能の低下か、異常破壊か、肝臓障害が原因だ。また、口の周りの血は何だろう。吸血鬼に関係があるのだろうか。私は大いに興味を持った。
その日の夕方、宿泊していたブラショブ市のホテルの支配人にガイドから聞いた話をしたところ、蒼白病のことを知っていた。ぺステラ村の場所を尋ねると、翌日に見学を予定していたブルケンタル国立博物館のあるシビウ市に行く途中にあると言う。それならばと、翌日は、まずぺステラ村を訪れ、その後博物館を見学することにした。
翌、七日の朝、タクシーを頼んでぺステラ村に向かった。運転手によると昔は切り立った山があり、村に通ずる道路がなかったが二十年ほど前にトンネルができ、交通も楽になったと言う。 
 ブラショブ市から西に約二十分走ると、そそり立つ山が迫ってきてトンネルに入り、約十分後トンネルを出た。急に眼下に盆地が広がった。ぺステラ村だ。タクシーを止めて足元の村を見下ろした。
 村の中央に教会の尖塔が見え、周りに農家が点在し、畑と緑の丘が広がっていた。村の東西と北の三方には険しい山があり、南側には広い川が流れていた。運転手はダニューブ川の支流だと言う。村は四方が山と川に囲まれた、言わば陸の孤島であった。再びタクシーに乗り、さらに十分ほど走って教会に向かった。教会の過去帳に蒼白病事件で亡くなった村人の記録があると思ったからだ。
 教会に着き、運転手を待たせて教会に入った。激しいパイプオルガンの音が響き渡っていた。長椅子に腰をかけて祭壇を見た。祭壇中央にある十字架に磔つけられた褐色のキリスト像が、ステンドグラスを通す光に赤と青のまだら模様に輝き荘厳であった。しばくすると突然パイプオルガンの音が止んで、足音が近づいてきた。
 現れた神父は白髪でひょろ長く頬が落ちこみ、ローマン・カラーがだぶだぶで、咽仏がいやに突起していた。私はドイツ語で言った。
「私は日本から来ました。血液学博士の清水健一と申します。実は、百五十年前に当地で起こった蒼白病のことを調べたいと思って参りました」
「蒼白病といいますと、あの六百人ほどが亡くなった病気ですね」
「そうです。蒼白病は恐らく貧血と思いますが、なぜ、六百人もの人が急に亡くなってしまったのか、それを調べたいと思いまして」
「そうですか、しかし、もう百五十年も前の事ですが……。で、何か私にできることがありますか」
「はい、できれば、当時の過去帳を見せていただけませんか」
「過去帳ですか」
「はあ、過去帳に病死した人の名前と時期と年齢が書いてあるはずですので、何か手掛かりがあるのではないかと思います。当時の過去帳はございませんか」
「資料室にありますが……」
と、神父は言って、やや間をおいて言った。
「よろしい。お見せしましょう。ご研究のお役に立てれば光栄です」
神父は祭壇に向かって礼をし、右手の扉に向かって歩き出した。
私は後に続いた。神父は扉を開けて中庭に出た。神父の話では、ここ聖ビセリンカ教会は一二二三年に建立され、別名「赤の教会」と言った。一四五三年にオスマントルコ軍がこの地を攻め、教会に逃げた多くの村人がオスマン兵に見つかり、婦女、子供を含むほぼ全員が惨殺された。その時流れた血が教会の床を真っ赤に染めたからだ。神父の話を聞きながら中庭を囲んでいる回廊を奥へ進むと下り階段があり、階段を下りると半地下になっている部屋の前に来た。神父は「資料室です」と言って部屋の鍵を開け、中に入った。
窓が天井近くの壁に二つあったが部屋全体が薄暗く、窓側の一方の壁に鼻が欠けた聖母マリアの彫像、色あせた受胎告知の絵画、刻んである文字が判読できないような墓碑などが並んでいた。これらは五十年ほど前に教会を改装した際、運び込まれたものだと言う。残り三方の壁には天井まで届く書架が並び、神父は踏み台を書架に引きずり、その上に乗って、上から二段目の棚に並んでいる一連の黄ばんだ背表紙の冊子の中から、三冊取り出して、踏み台を下りた。
 一冊づつページをめくり、二冊目をめくっていて、神父は言った。
「ありました。ここです。蒼白病で亡くなった人の記録です」
私は過去帳を覗き込んだがルーマニア語で書かれていて分からなかった。神父の説明によると、蒼白病は一八六六年六月から九月までの四ヶ月間に村全体を襲い、死者の年齢は六十歳ぐらいから幼児までだった。六十五歳以上の人の名前はなかった。なぜないのだろう、と私は疑問に思った。
神父はさらに三冊目を手にとって、ページをめくっていくうちに冊子から封書のようなものが床に落ちた。私は拾って封書の表書きを見たが、ルーマニア語で書かれてあり、神父に手渡した。神父は「何だろう」というような顔をして、受け取り、表書きを見た。そこには「血液の研究者へ」と書かれてあるとのことだった。封書の中には一枚の手紙と小さな包みが入っていた。神父によると、手紙には次のように書いてあった。
「蒼白病による死者は約六百人。大人だけでなく子供もその犠牲となる。三年前のぺステラ村の人口は約六五〇人。生き残った者は病人、老人、赤ん坊だけ。彼等ももう長くは生きられない。家という家には死体がごろごろしている。おそらくぺステラ村は絶滅するだろう。村は呪われている。同封の包みには「極楽の木」または「……の木」の種。この種を育て、その実の生態を血液学者が解明することを望む。もう村には大人はだれも住んでいない。恐らくわたしが最後だ。天罰が下ったのだ。天罰だ」
 手紙後半の「極楽の木」または「……の木」の「……」の部分は文字が不鮮明で神父は判読できなかった。しかし文脈からみて「……の木」は多分「天国の木」とか「至福の木」が当てはまるだろうと思った。ところで「極楽の木」とは何だろう。この木の実が蒼白病と関係があるのか。神父が包みを開けると中からリンゴの種のようなものが六個でてきた。私は神父に言った。
「神父様、この手紙と種を私に譲って下さいませんか。わたしは血液学博士です。この種を育てて、蒼白病との関係を調べてみたいと思います」
「それはもちろん結構です。表書きにも『血液の研究者』と書いてありますし。しかし、わたしの前任者が誰もこの手紙に気がつかなかったとは……。とにかく、わざわざ日本から血液学博士がこのようにして、教会に来てくださり、百五十年も前の村人の願いを聞き入れてくださるとは、神の御意志に相違ございません。是非お持ち帰られて、蒼白病との関係を調べてください」
 丁寧にお礼を言って教会を出て、待たせてあったタクシーに乗った。私はルーマニアにさらに三日滞在し、例の種を鞄に入れて、十月十一日、日本に帰った。

 東京大学医学研究所は港区にあり、大学教授、准教授、研究員、博士研究員、大学院学生等約千人近くが、先端医科学研究をしている。血液研究センターは研究棟十三階にあり、白血病などの造血器悪性腫瘍、再生不良性貧血、特発性血小板減少性紫斑病などを研究している。
私は研究所から徒歩十五分の所に住んでおり、妻を四年前に白血病で亡くしていた。娘の喜実子は京都大学文学部の二年生であった。
 帰国して「極楽の木」の種をどうしようか迷った。何しろ百五十年前の種である。始めは専門家に育ててもらおうかと思ったが、亡くなった妻がツタンカーメン王の墓から出てきたというエンドウの種を育て、見事に紫色のエンドウを収穫したことを思い出した。太古の種でも育てられるのだから、百五十年前なら私でも育てられるだろうと思った。
 私は試しに六個の種のうちの三個を育てることにした。もし失敗したら、残りの三個を専門家に依頼すればいい。直径十五センチほどの鉢に腐葉土を入れて種を蒔き、日当たりのいいリビングルームに置いた。十月だから種を蒔くのには良いはずだ。
 翌年三月に、三個のうち一個だけ芽を出してきた。

 二年後、十月、若芽は一メートルほどの木に成長した。幹の幅は約四センチ。イチジクの葉の形をした葉が一枚ずつ根元から四方に伸びている。十二、三枚ある葉は分厚く緑色をしているが。葉脈は白くて葉の中心に向かうほど太くなり、葉の中心部が白くなっていた。
木の形はゴムの木に似ており、ゴムの木との違いは葉柄から垂れ下がっている蔓だった。蔓は十二、三本あった。長さは三十センチほど。どの蔓もだらりと垂れ下がっているだけで、朝顔のように横に伸びて辺りにある物に巻き付くという様子もなかった。
 一体この蔓は何のためか。空中の水分を吸収しているのか、と不思議に思った。
不思議と言えば、手紙にあった「極楽の木」の意味がわからなかった。「極楽」と命名するような植物ではない。葉が緑色で葉脈が白く、葉の中心部が白いと言う点は珍しい。見た目も心が落ち着くところがある。しかし、これだけで「極楽の木」とは合点がいかない。どうして「極楽の木」なんだろう。神父がルーマニア語を間違えて訳したのだろうか。
 種を蒔いてから三年後、「極楽の木」は高さが一、四メートル、幹は六センチほどになり、葉の数も約三十枚になった。蔓も三十本ぐらいになり、長さが四十センチほどになった。
 十一月のある土曜日の朝、「極楽の木」は正体を現した。朝食に、いつものようにテレビの八時のニュース番組を見ながらパンにバターを塗っていると、甘い香りが漂ってきた。金木犀のような濃い香りだ。香りにつられて、「極楽の木」を見ると花が一輪咲いていた。白い花だ。
「やった、ついに花が咲いた。百五十年前の種から、とうとう花を咲かせるまでになった」
甘い香りは花から出ていた。パンをかじりながら、花に顔を近付けた。花は直径が五センチぐらいで花弁が何枚も重なっており、バラのような形をしていた。香りを嗅いだ。うーん、なんといういい香り。濃い。甘い。うっとりする。たまらない。もう一度目を閉じて香りをかいだ。素晴らしい。こんなに甘い、こんなに濃い、こんなにうっとりする香りは嗅いだことがなかった。そうか、だから「極楽の木」と言うのか。極楽はこのような香りで満ちているのだろう。と、その時、頭がくらくらして、立っておれなくなり、床にしゃがんでしまった。どうしたのだろう。ただ花の香りを嗅いだだけだ。しゃがんだまま花を見ると先ほどまで青白かった花が気のせいかほんのりと赤みがかっていた。
 はて……。確か香りをかごうとして、花に近づいた時は、青白かったのに。ほんの十秒かそこらで赤みを帯びるとは。不思議に思いつつ立ち上がり、もう一度香りをかいだ。香りを胸いっぱい吸いながら、ふと花の反対側にあるガラス戸棚に映っている自分の姿を見てギョッとした。首に蔓が三本刺さっていた。三本とも真っ赤だ。またふらふらして、その場にしゃがんだ。蔓は首から離れて、だらりと垂れ下がった。どれも赤い。これはどういうことだ。花を見た。さっきよりもっと赤くなっている。血が花に送られたのだ。蔓の先端を見た。血の跡がある。俺の血だ。蔓が俺の首に刺さり、血を吸ったのだ。ぞっとして首筋が寒くなった。落ち着いて、落ち着いて、気のせいだ。人の血を吸う植物なんて聞いたことがない。
 食卓に戻り、赤くなった花を見ながら首を手でなでた。掌を見ると蚊を叩いた後のような一筋の血の跡があった。蔓の先端の血、手についた血。間違いない。あの木は人の血を吸うのだ。よし。どのように蔓が首に刺さり、血を花に運ぶのか一度じっくり観察してやろうと思い、「極楽の木」に近づいてガラス戸に映る蔓を観察しながら香りをかいだ。するとどうだろう。だらりと下がっていた二十本ぐらいの蔓が一斉に蛇が頭をもたげるように先端を持ち上げ、私の首や腕や衣服をまさぐり、五、六本が首を刺した。蔓は次第に赤くなり、しばらくして、花が赤くなった。立っておれなくなったが、そのまま葉を見た。白い葉脈が赤く染まっていた。私は首に刺さった数本の蔓をつかんで引きちぎって、どっと倒れた。蔓の端から血が床にぽたぽたと落ちた。手に血がついた。この化け物め! 恐怖と驚きで我を忘れた。ずたずたに引き裂いてやる! そう思って立ち上がり、蔓をつかんで引きちぎった。葉っぱも、つかんでちぎろうとしたが案外強い。よしこうなれば、剪定バサミでと思ってハサミを取りに行こうとした時、携帯電話が鳴った。ドキッとした。
 電話は娘の喜実子からだった。めったに電話をしてこないが、なんだろう。
「お父さん、喜実子よ」
「おお、喜実子か。元気にやってるか」
「ええ、お父さんも? あのね、怒らないでね、わたし、ミス京都に選ばれたの」
「なに? ミス京都だって」
「ええ、お父さんには内緒でミスコンに応募したの。六百人ぐらい応募しててね、それでね、グランプリ獲得しちゃった」
「お前、みんなの前で、その、水着姿を見せたのか。なんという破廉恥な」
「だから、怒らないでねって言ってるでしょ。それでね、優勝したから、五十万円獲得したのよ」
「そうか、お前もか。血は争えんな。お母さんがミス広島だったからなぁ」
「ええ、知ってるわ。だから応募したのかも」
「それで、喜実子、その賞金どうするんだ」
「だから、今日電話したのよ。実はね、来年一年間は、親善大使の仕事があるの。だからね、この冬休みに、イタリアとフランスに三週間ほど旅行しようと思って」
「お前、一人でか」
「友達二人とよ。それでね、この冬休みは家に帰らないからって、そういう電話よ」
「そうか、正月に会えるのを楽しみにしてたのに。まあ、帰ったら一度顔を見せに来いよ」
「ええ、そうするわ。多分今度家に帰るの、春休みかも」
「そうか。ま、気をつけて行くんだぞ」
 電話を切って、喜実子は母親に似てきたと思った。まあ、好きなようにやるさ、と思って「極楽の木」を見た。
さっきまであんなに興奮していたのに、すっかり怒りがおさまってしまっていた。木の周りの床に、引きちぎった蔓が数本横たわり、床が血で汚れていた。花を見ると赤く染まっており、葉は葉脈が薄赤くなっていた。そうだ、花を咲かせたから、実をつけるかもしれない。だって、あの種はリンゴの種のようだったし、手紙にも実の生態を解明してほしいと書いてあった。そうだ、じっくり待ってどんな実をつけるか観察してやろう。
 それにしても、この木はうまくできている。花の香りで人間をひきつけ、匂いをかぐ時に蔓を体に突き刺して血を吸収するのだ。そういえばそのような植物があった。ウツボカズラとか言ったが、蓋つきの壺が茎からぶら下がっていて、昆虫が壺の中に入ると蓋が閉まり、虫を溶かして栄養にしてしまうのだ。ということはこの血を吸う木にしても、ただ単に水だけやっているだけでは良い実がならないわけだ。血を必要としているのだ。ぺステラ村の人が六百人も死んでしまったのは、この血を吸う植物のせいだったのか。しかし、死んでしまうほど血を吸われた、いや血を吸わせたのか。先ほど私が倒れるときに蔓は首から離れたし、手で蔓をつかんで引きちぎることもできたはずだ。まだほかに何かあるのだろうか。そう思いながら「極楽の木」を眺めた。木は何もなかったかのように立っていた。
血を吸われた日から、好奇心をもって木を眺めた。赤くなった花は、大きくなっていった。始め五センチほどの小さな花であったのに、一週間たった今は六、七センチぐらいの大きさになり、ますます赤みを帯びてきた。葉脈にあった血は花に送られたらしく、葉の中心部は元の白色に戻っていた。
 しかし、花は依然と部屋中に甘い香りを漂わせている。血を求めているのだ。私は近づいた。垂れ下がっていた二、三十本の蔓の先端が、マムシが頭をもたげるように、持ちあがり一斉に私のほうに向かって伸びた。私は覚悟した。血を吸わせよう。死ぬことはない。匂いをかいだ。蔓が何本か首に刺さった。手首にも刺さった。見る見るうちに蔓は赤くなり、白かった葉脈が赤くなり、ピンクの花が赤く染まっていった。体がふらついてきた。しかしもう少し、もう少し……。よしっ、ここまで。ふらつく体で木から離れた。蔓ははらりと身体から離れ、だらりと垂れた。どの先端にも血の跡があった。
 椅子に座って、赤みを帯びた花を見た。多分、花は真っ赤になるまで血を吸うのだ。そうするとまた血をやらねばならん。馬鹿だと言えば馬鹿だ。何も好き好んで血を吸う植物に血をやる必要はないのだ。しかしどういう実をつけるか知りたい。ただすぐにはやれない。血液が回復してからだ。私は四日後再び花に血を与えた。花は翌日に血色になっていた。三日後、花弁が赤茶色になり、ついには花弁を全部落とし、子房が残った。「極楽の木」の果実の元だ。実に成熟するまで一、二週間はかかるだろう。その日以来、あの甘い匂いはしなくなった。
十二月のある日の午後、木を見ながら考えた。なぜこの植物は血を吸うのだろうか。突然異変か。突然異変ならその原因は何か。どうして血を吸うようになったのか。ぺステラ村のことを思い出した。まてよ。ぺステラ村はドラキュラ城から八キロの所にある。吸血鬼ドラキュラ、それから血を吸う木、何か関係があるのだろうか。一体ドラキュラとは何者なのか
 インターネットで調べた。いくつかのサイトを検索し調べて行くうちにドラキュラは実在した人物であることが分かった。その人物は十五世紀中期のルーマニアのワラキア公で、ヴラド・ドラクル、またの名をヴラド・シェペシュ(串刺し公)と言った。
 一四六〇年、オスマントルコ軍がワラキアを襲撃した時、ヴラド公はオスマン軍を撃退し、二万三千人を捕虜とした。捕虜は串刺しの刑に処せられた。捕虜の肛門から杭を差し込み身体を突き抜けて口から杭を出し、串刺しにしたまま、頭を下にしてその杭を地面に突き立てた。突き立てたところはぺステラ村の小高い丘の上だった。二年後、一四六二年、再びオスマントルコ軍が、ワラキアを攻めたが、またもやヴラド公は撃退し、四万のオスマン兵を串刺しにして丘の上に突き立てた。二回の攻撃で六万三千本もの串刺しの杭が丘の上に林立したわけだ。三年前、シビウ市のブルケンタル国立博物館を見学したとき、ぺステラ村の丘から発見された半分朽ちた杭が展示されていたことを思い出した。
 私は林立する人間串刺しの挿絵を見て気持ち悪くなった。逆さになったオスマン兵が、口を大きく開け、杭を出し、口から血が滴り、杭を伝って地面に流れ落ちている。うめき声が聞こえ、傷口にうじがわき、ハエがたかり、身体は腐敗し、死臭が立ち込め、禿鷹が群がっている。この世の地獄だ。その後の串刺しの刑を受けたオスマン兵を合わせると合計九万人以上の血が地面に流れたのだ。地面は十分に血を吸ったはずだ。この血を吸ったある植物が突然異変を起こしたのではないかと思った。というのは血を吸う「極楽の木」の種はぺステラ村の教会から発見されたし、大量の血が流れたのもぺステラ村だからだ。
 二週間後、子房はゴルフボールぐらいの大きさの赤みを帯びた丸い実となった。ぺステラ村から種を持ち帰り、三年と二カ月たっていた。実は日ごとに赤くなり、忘れもしないクリスマスイヴの日、実が床に落ちた。とうとうこの果実を食べることができるのだ。「極楽の木」と言うから、さぞかし素晴らしい味だろう、と思って実を拾った。血のように真っ赤で、つるつるの表皮。ぴんと張った弾力。それでいてしなやか。いかにも食感を誘う。口に持っていった。その瞬間、ぺステラ村の教会で神父が訳してくれた文書を思い出した。確か「この木の実の生態を血液を研究する人が解明することを望む」と書いてあった。するとこの果実が蒼白病と関係があるのだ。食べて血を吐いて真っ青になり死ぬことだってありうるのだ。注意しなければならな。
 台所に実を持って行って洗い、皮をむいた。甘い匂いが広がった。たまらない。実を左手に持って、右手の人差し指の先で果肉に触り、指先を恐る恐る舌でなめた。甘い。とても。しびれとか毒でないようだ。もう一度果肉の表面の果汁を人差し指にたっぷりつけて、なめた。甘い。なんという甘さ。いやいや、慎重にしないと命取りになるかも。時間をおいたが何の身体の異常も起こらなかった。包丁で半分に切って、その半分をまた半分に切って、丁度ミカンの人袋分ぐらいの大きさだ。それを口に入れた。神妙な気持ちで噛んだ。硬めのバナナを噛む歯触りがあった。熟した桃のような甘い果汁が舌を潤し、口中に甘さが広がった。なんという甘さ。なんという香り。噛んだジュウシーな果肉を飲み込んだ。十五分時間をおいた。青酸カリなどの毒物は約十五分で毒が体内に回り死に至るからだ。十五分たっても異常はなかった。毒ではない。覚悟を決めて残りの果実を全部食べた。
 最初、熟した桃のような味がしたが、次にイチジクの味がし、最後にザクロのような味に変わった。一口で甘さが三回も変わるのだ。このような果物は今まで食べたことがなかった。禁断の実を食べたら、さぞかしこのような味がしたのだろうと思った。
 しばらくすると、酔ったようないい気分になってきた。どういうわけか性的興奮を覚えた、男性自身が立ってきた、次第に興奮が高まってきた、ああ、いい気持ちだ、ああ、いい気持ちだ、おんなのなかにぬめりこんでいくぬめりこんでいくぬめり……ああ……、心臓がどくどく鼓動し、呼吸があえぎ、天にも昇る気持ちだ、ああ、ああ、ああっ、立っておれなない、天地がひっくりかえる、官能の悦びだ、床にたおれた、男性自身が硬くなり、絶頂感が脳天を突き破り、エクスタシーに達して爆発した。手足がしびれる、ぴくぴくする、動くことができない……ああ、極楽だ、極楽だ……
 一体何が起こったのか。セックスもマスターベーションもしていないのに、この天地も張り裂けんばかりの強烈なオーガズム。今まで経験したオーガズムの数倍は強烈だ。まるでエロスの女神と最高のセックスをしたようだ。そうか、だから、「極楽の木」と言うのか。
 「極楽の木」を見た。何もなかったかのように蔓はだらり垂れ下がっている。もう一度あの天国に昇り詰める快感を味わいたくなった。また花が咲くのを待つしかない。今度はいつ咲くのだろう。一ヶ月後か、もっと前か、そもそも、もう一度咲くのだろうか。起き上がって「極楽の木」のそばに行った。蔓は何も反応しなかった。花が咲いている時だけ、蔓は頭を持ち上げ身体に刺さり血を吸うのだ。
さて、この奇妙な植物について血液研究センターに報告すべきだろうか。「私が育てている植物は血を栄養とし、実をつけ、実を食べるとオーガズムを経験する」などと言っても真面目に彼等は信じるだろうか。嘘みたいな話だ。だいたい私は、研究所でよく冗談を言うため、こんな話をしても冗談と思うに違いない。しかし、連中にこの怪奇な出来事をセンター所長として伝えるべきだろうか。今起こったことは公のことか、個人的なことか。公の研究として「極楽の木」を育てているのではない。私個人が好き勝手にやっていることだ。しかし、このような血を吸う植物は今まで聞いたことがない。やはり、公にすべきだろう。しかし、もし公にしたらどうなるか。もし「極楽の木」を研究所に持っていったらどうなるか。血液研究センターの研究員のみならず、生殖学や生物学の専門家がこのことを聞きつけ、寄ってたかって木を台無しにしてしまうだろう。報道陣がかぎつけたらどうなるか。私の研究生活はぶち壊しになるだろう。私はテレビカメラや、マイクを向けられるのは大嫌いだ。第一、極楽の快楽を味わうことは恐らく出来なくなるだろう。「極楽の木」は私個人の所有物だ。ぺステラ村の古い文書にも「木の実の生態を誰か血液を研究する人が解明することを望む」と書いてあった。私がその血液を研究する人だ。発表するにしても、もっと多角的にこの木の生態を解明してからにしたほうが良いはずだ。
 私は、今から思うと、自分の都合がいいように勝手にもっともらしい理由をつけて、結局は公にしないことにした。冷静な研究者としての私は、欲情を持つ私に負けた。本能が理性より強いのだ。
その日以来、「極楽の木」の世話を念入りにやった。植木ポットも、大きいものに変え、陽がもっと当たるように窓際に寄せた。水もやった。早く花が咲け、実をつけよ、あの天にも昇る気持ち良さよ。花が咲いたら、血を十分やろう。私は食事もインスタント食品を一切止め、血液の要素である鉄分、蛋白質、ビタミンBとC、銅を含む食物を十分に取ることにした。

 翌年の一月二十日、待っていた花が三つ咲いた。前の倍の甘い香りを部屋に漂わせた。ついにまたあの絶頂感が味わえるのか。花を見るだけで、欲情が湧いてきた。血を求めているはずだ。花に近づいた。蔓が一斉に先端を持ち上げ私の身体の方に向いた。匂いを嗅いだ。素晴らしい。極楽の香りだ。蔓の先端が私の首や手首に刺さった。刺される時全然痛みを感じなかった。蔓がみるみる赤くなっていき、白い葉脈が赤くなり、葉の中心部の白い部分がピンクに染まり、三つの花のうち二つの花が次第に赤くなってきた。頭がふらふらしてきたが、同時に快感を覚え気持ち良くなってきた。立っておれなくなり、どっとその場に倒れた。蔓は身体から離れた。どれぐらいの血が吸われたのだろう。五、六百ミリは取られているはずだ。
 床に倒れたまま考えた。蔓が刺さる時に痛くないのはなぜか。なぜ血を吸われている時に快感を覚えるのか。恐らく蚊が血を吸うときの場合と同じだろう。蚊は人間の血を吸う時は、麻酔液をまず注入する。このため、神経が麻痺して、刺されても痛くない。その間に蚊は血を吸うのだ。「極楽の木」の蔓の場合は快感を覚えさせる化学物質が入っているのだ。時間があればその化学物質の分析も面白いだろう。しばらく花を見ていると、二つの花は次第に赤くなり、三つ目の花もかすかに赤みを帯びてきた。葉脈と蔓の色は元の色に戻った。まだ三つ目の花が、さらに血を求めているようだ。しかし、これ以上血を与えることはできない。体が貧血で持たない。
その後、三日間は辛抱の三日間だった。花のすぐそばに行って、甘い匂いを嗅ぎたいのだが、血を吸われてしまう。吸われると貧血になる。ユリシーズが、妖精セイレーンの美しい歌声に引き付けられないように帆柱に自分の体を縛らせたように、私はいくら甘い匂いをかいでも頑として「極楽の木」のそばには行かなかった。
しかし、血液が回復するのに五日は、かかると言うのに、三日後もうたまらなくなって三つ目の花を赤くするため「極楽の木」に近づいた。蔓が延びて首に数本突き刺さった。「さあ、血だ。吸え、吸え、吸いたいだけ吸え」と言いながら、十分に血を吸わせた。三つの花が真っ赤になった時、いや、もう少しで倒れそうになった時、全ての蔓は、はらりと首から離れ、ぶらりと垂れ下がった。そうか、十分血を吸うと、蔓は勝手に離れるのか。人間よりましだ。人間は腹が一杯になっても、下呂を吐いても美食を胃に押し込むから。赤い花を見て欲情が湧きあがってきた。
今度は三つの花が血色に染まったから、三つの果実をつけるはずだ。三つも一度に食べたらどうなるか。エクスタシーを飛び越えて、死ぬぐらい快感を覚えるのだろうか。死んでしまわないだろうか。
 その後実をつけるまで再び待った。甘い香りは止まった。はじめて花をつけてから、実がなるまで約一カ月かかったから、多分今度も一カ月近くかかるだろう。そうすると実をつけるのは二月の下旬になる。それまで平和な時間が流れた。血液研究センター所長としての仕事や研究に没頭できた。
 二月九日、私は赤みがかった小さな実を見ながら、なぜぺステラ村の人が四カ月の間に六百人も蒼白病で死んでしまったのか考えた。恐らく彼らは「極楽の木」に血をやりすぎて死んだのだ。しかしやりすぎると言うことがあるのか。私の経験でも私は木からいつでも離れることができたし、木のほうも十分血を吸ったら、蔓を離した。だいたい一人の人間が出血多量で死ぬのは全血量の三分の一から二分の一失われた場合だ。体重六十キロの人なら約二リットルの失血で死ぬ。「極楽の木」に二リットルも血を吸わせ続けるなどとは考えられない。蒼白病には何か他にあるのだろうか。一体この血を吸う植物は何者なのだろう。私は「極楽の木」の正体を調べたくなった。血を吸うようになった突然異変の前はどのような植物だったのだろう。性的興奮を促す植物だから、薬草かハーブの類だろう。「極楽の木」は「草」ではなく「木」だから、図書館に行ってハーブの木に関する本を調べれば「極楽の木」の原形が載っているかもしれない。
 数日後、国立国会図書館に行き、ハーブ図鑑を四冊借りて、一冊ずつ念入りに調べていった。すると、ロンドン大学植物学教授バーバラ・ヘイ著作「原色ハーブ大図鑑」で、精力増強、強壮部門のページをめくっていくうちに「極楽の木」とそっくりの木を見つけた。花や葉の形が似ている。それは「ムイラ・プアマ」と言う名前で、別名「アマゾンのバイアグラ」と言った。「極楽の木」との違いは蔓であった。ムイラ・プアマには蔓がなかった。
ムイラ・プアマの解説を読むと「南米アマゾン熱帯雨林原産の高さ二メートル程の低木で性機能を増強する木として知られている。四季咲き性で白い花を咲かせる。甘い金木犀のような香が特徴的」とあった。
 さらに読んでいくと「十三世紀にスペイン人がムイラ・プアマをヨーロッパに持ち帰り、地中海、黒海周辺でも生育するようになった。学名はユオロペ・ムイラ・プアマ。アマゾン原産より低木。花は大きい」と書いてあった。
 これは大発見であった。ルーマニアは黒海周辺の国であり、このユオロペ・ムイラ・プアマが、十五世紀にオスマントルコ兵を串刺しにしてダニューブ川にさらした時流れた血を吸って、突然変異したのではないかと思った。
 二月二七日、三つの花のうち二つが実をつけた。みかんぐらいの大きさだ。今度は二つ一度に食べた。死ぬかと思うぐらいの絶頂感を感じた。凄い。これまでに三つ食べ、種は十六個となった。種を今後の観察のために保管することにした。
 さらにその後、四月中旬に三つ実がなった。実がなってから、次の実がなるまでの期間が最初は二カ月かかったが、今回は一ヶ月半になり、間隔が短かくなった。三つ食べ、手足がしびれてしばらく動けないぐらいのエクスタシーを味わった。種の数も三十個ぐらいになった。私だけがこのような天にも昇る快感を味わっていいのだろうか。
 四月の二十日から二十二日まで京都国際センターで開催された日本血液学会に参加した。国内外から約四千人の研究者、学者、医者が集まり、セミナー、講演、臨床報告、シンポジアムに参加した。第一日目、私はシンポジアムの司会を務め、シンガポール血液学会会長のノーベルト・マオ博士が特別講演を行った。博士は東京大学医学部大学院の私の同期で、一緒に研究し、一緒に食べ、飲み、歌い、テニスをした。彼は博士号を取得してからシンガポールにもどった。もう三〇年も前のことだ。
 二日目の総会が六時過ぎに終わり、私はマオ氏を誘い日本料理店、嵐山「吉兆」で再会を祝し食事をした。刺身やてんぷらを味わいながら、昔を懐かしみ、今を論じ、ビールを大いに飲んだ。私は酔っ払ってきて、「極楽の木」について話してしまった。この木のことは独り占めにしておこうと思っていたのだが、人に話したいと言う気持ちが奥底にあった。
「えつ、冗談だろう、酔ってしまったのか」マオ氏が言った。 
「冗談ではないんだ。本当に血を吸う木があるんだ。なんというか、そう、吸血木だよ。鬼ではなく木だよ」
「そんな馬鹿な」
「いや、ほんと、なんだ」
酔って、ろれつがまわらなかったが、続けて言った。
「それでね、その実を食べたんだ。凄いよ。考えられないぐらいの強烈なエクスタシーを感ずるんだ。ここに実がないのが、残念だ」
「お前、よく大学院時代、冗談言ってたからなあ、信用できないよ。馬鹿げている。そりゃ勿論わたしだって、そんな実があったら食べたいよ。でも……」
「本当に極楽の気分が味わえるんだ。よし。それなら送ってやるよ。果実は送れないから、種を送るよ。ちゃんと育てれば、実がなるから」
「分かった、分かった。それじゃあ、送ってくれ。実がなって、俺もオーガズムを感じたら信じるよ」
 学会が終わって、東京に帰り、さっそくマオ氏に次のような手紙を書いた。
「……というわけで、約束通り、例の種二十個送ります。名前はユオロペ・ムイラ・プアマ、別名アマゾンのバイアグラと言います。果実は天にも昇るオーガズムを感じさせます。またストレスや疲れを取る効果もあります。副作用はありません。おかげで私は毎日健康で活力がみなぎっています。
 実がなるまでに三年はかかると思いますが、気長に育ててください。花が咲くと甘い匂いを出します。垂れ下がった蔓が血を欲する時です。血をやってください。蔓の先端が首に刺さりますが、驚かないでください。あなたは血液学者だから私は心配していませんが、一応用心はしてください。それから友達で欲しいと言う方には分けてあげて下さい。
十一月に開催されるシンガポール血液学会でまたお会いしましょう。では」
 書いてから種を二十個封に入れ、シンガポールに送った。これが重大な結果になることは全く予想しなかった。
 次の花は五月二十日にもう咲いた。実を落としてから開花するまでの期間と、開花してから実をつけるまでの期間が次第に短縮されてきた。花も三つは最低咲いた。三つの花全部に血を供給するのは相当量の血が必要であった。しかし、あの言葉では言い表せないようなエロスの絶頂感を味わいたいために、まだ血液が十分回復してないのに血を与えるようになってしまった。これでは体に悪いと思いつつも本能に負けて血を与えてしまっていた。次第に体が疲れやすくなり、歩くのも息を切らせて歩くようになった。
「ぺステラ村の人はこのため死んだのだろう。人間相手のセックスより十倍も強烈な快感が味わえるのなら、誰が人間を相手にするだろう。「極楽の木」を育て木を相手にセックスしたのだ。人間を相手にしなければ赤ん坊は生まれない。村の人口は減少する。貧血者が多数出る。病的状態になったのだ。村の将来のことなど、子孫繁栄などどうでもよくなったのだ。今の快楽を求めたのだ。多分「極楽の木」は女性にも同じような絶頂感を与えたのだろう。ぺステラ村の人は、男性も女性も「極楽の木」の中毒になったのではないか。血が足らないことが分かっていても、無理に血を与えて村中が中毒患者になってしまったのだ。彼らは血を得るために人の血を「極楽の木」に与えるようになったのだ。他人を捕まえ、木の所に持っていけば、蔓はそこから血を吸う。お互いに相手を殺しあうようになったのだろう。旅人が村人を見たとき、口の周りが血だらけだったのは、人の血を吸っていたのだ。
ここまで考えて、ぺステラ村の教会で神父が読んでくれた古文書の文面を思い出した。文面には確か、「大人だけでなく子供もその犠牲となる」とあった。その犠牲の「その」とわざわざつけているのは子供が大人の犠牲になったのだ。大人は自分の子だろうが、人の子だろうが、か弱い子供の血を吸ったり「極楽の木」のいけにえにしたのだ。あのオーガズムを得るためにありとあらゆる非人道的なことが行われたのだ。村が絶滅するのは当然だ。もちろん子供が大人の犠牲になったという話は日本でもあった。室町時代末期の戦乱期、大人が子供の肉を食べたという記録もあるそうだ。しかし、それは生きるためだ。ペステラ村の場合は、生きるためではない。ただ快楽のためだ。理性では考えられないような凄惨なことがあったのだ。
 「その犠牲」の意味がわかったが、もう一つ気にかかっていることがあった。それは神父が読んでくれた文書に「『極楽の木』または『……の木』の種」とあった。「……の木」の「……」は一体何と書いてあったのだろう。急に知りたくなった。古くて読めなくなっているのだが、何とか解読できないだろうか。引出しから例の文書を持ってきて調べた、ぼんやりと何か書いてある。始めは多分「天国の木」とか「至福の木」と書いてあると思ったのだが、どうも違うようだ。私はルーマニア語は分からないのでルーマニア語のわかる人を探した。
東京外国語大学に電話をして、ルーマニア語の分かる教授はいないか尋ねた。電話の相手は、黒沢慎吾教授を紹介してくれた。さっそくアポを取って、翌日六時ごろ東外大にお邪魔して教授に会った。
 教授は五十歳ぐらいでメガネをかけ、あごひげを伸ばしていた。私が持ってきたぺステラ村の古文書に大変興味をもたれ、どのように文書を手に入れたか尋ねた。私はドラキュラ城やぺステラ村の蒼白病の話をした。教授は熱心に私の話を聞き、さっそくその文書を見てくれた。やはり「……」の部分は読みづらく、拡大鏡で見たり、蛍光灯の光で透かしたりした。しかし薄ぼんやりとしか文字が分からず、どういう言葉が書いてあるのか判読できなかった。
「残念ですが、判読できません。古くて文字が薄いものですから。もう少し濃ければ」
私はお礼を言って帰ろうとしたら、教授は文書を貴重な資料としてコピーさせて欲しいと言った。私は勿論どうぞ、と答えて、文書を渡した。教授はそのままコピー室に行き、二十分も経ってから帰って来た。
「悪魔です! 悪魔ですよ」
私は何のことかわからなかった。
「悪魔の木ですよ」
「ええっ、判読できたのですか」
「できました」
 教授の話によると、教授はコピー室に行ってコピーをし終わって気がついた。文書を拡大し濃度を調節すれば文字が判読できるかも知れない。濃度を最大にして文字を四倍に拡大したところ、判読できたとのことだ。それによれば、「……」の部分はルーマニア語の「ドラクル」に当たると言う。「ドラクル」は「悪魔」という意味だ。だから、あの箇所は「『極楽の木』または『悪魔の木』」という意味になる。私は納得した。お礼を言って、大学を出た。そうか、結局、俺は悪魔に血をやっていたのだ。悪魔に魅入られてしまったのだ。そのうちに悪魔に俺の血を全部吸い取られてしまうだろう。悪魔を拒絶できない。死ぬくらい強烈なオーガズムを拒絶できない。今では咲く花も五、六個になり、果実も大きくなってきた。血がいる。もっと血がいる。身体が貧血気味になってきた。すぐ疲れるようになってしまった。階段を十段上がるだけで、息切れがする。研究員が私の体調を気遣うようになった。ああ、もっと意志が強ければ「悪魔の木」をずたずたに切り刻むのに。悪魔に取りつかれてしまった。逃れられない。これは中毒だ。「悪魔の木」の中毒だ。血が欲しい。血が欲しい。良い方法はないか。
七月十日、素晴らしいことに気がついた。我ながらなぜ気がつかなかったのだろう.灯台下暗し、とはまさにこのことだ。私は血液研究センターのセンター所長だ。センターで私は血で囲まれているのだ。手続きを踏めばどれだけでも怪しまれずに血を手に入れることができるのだ。
 血液研究センターは研究用の血液と緊急輸血用の血液に分けて保管されている。研究用として全血を必要とする場合は、研究テーマと研究方法を述べた文書を審査委員会に提出する。委員会で認められれば、入用なだけの血液は自由に使用できる。センター所長といえども審査される。私は大量に血液を必要とする研究テーマを考えだし、研究方法を詳しく述べて審査委員会に提出した。審査はパスして、私は血液を必要量自由に使えることになった。本能の欲望を満たすために貴重な献血を利用することは気がひけたが、悪魔に魅入られてしまったのだ。私も悪魔にならざるを得ない。今度花が咲いたら、堂々と「研究用」の血液が使用できるのだ。私の血は一滴もいらない。血はいくらでもある。俺は花が咲くたびに、どれだけでも血を悪魔にくれてやれる。そして、あのエロスの恍惚状態……。想像するだけで性的快感を覚えた。
 五回目の花が七月下旬に咲いた。四つもあった。しかし今度はどれだけでも血を与えられる。翌日、血液研究センターの仕事を終えて帰宅直前に、四百ミリ全血製剤三バッグ分を血液加温器を通して常温に戻した。急いで家に帰った。四十分経過すると血液細胞が破壊されてしまうからだ。血液を二百ミリビーカー六個に分け、ビーカーラックに六本立てて「悪魔の木」の前のスツールの上に置いた。
 そら来た、二、三十本ある蔓が一斉にするするとコブラのように頭を持ち上げて、ビーカーの中に頭を突っ込んだ。一つのビーカーに三、四本入っている。ビーカーに届かない蔓はただ空中を泳ぐだけだが、ビーカーに頭を突っ込んだ蔓は、蛇のようにくねくねくねらせて、血を吸いだした。蔓は先端から赤くなり、蔓全体が赤くなった。次に葉脈が血色に染まり、葉の白い部分がどす黒い血の色になった。それから白い花がだんだんと赤くなっていった。蔓が血を吸う様子はまるで八岐大蛇が酒樽に八つの頭を突っ込んでいるようだった。ぴちゃびちゃ音を出し、周りを死んだ血の臭いで充満させた。悪魔の臭いだ。吐き気がしてきた。見る見るうちに二百ミリのビーカーの血は減ってきた。もっと要るのだろうか。一つのビーカーの血がなくなると、そこに頭を入れていた蔓は、空のビーカーから頭を出し、まだ血が残っているビーカーに頭を入れた。「どんどん血を吸え、吸いたいだけ吸え、血はどれだけでもやるから、今日の分で足りなければ、明日も持ってきてやるから、どんどん飲め、どんどん。うまいか」俺は悪魔のようになっていた。しばらくして、全ての蔓はするすると頭をビーカーから出して、まただらりと垂れた。十分吸ったのだ。まだビーカーの底には少し血が残っているものもあった。蔓は何もなかったようにたれている。床が血で汚れたが、別にかまわなかった。悪魔の生態を見たのだ。四つの花が赤くなった。
 あれほど激しく先を争って蔓が血を吸ったのだから、今度咲く花はきっと今まで以上に大きく、熟しているに違いないと思った。実がなるのが待ち遠しかった。
 一週間後、八月七日、四つとも実をつけたのだが、ゴルフボールより一回り小さくて、ピンとした張りがなく、赤茶色をしていた。それから三日たっても大きくならず、そのまま枝から落ちてしまった。ダメだ。研究用の血ではダメなんだ。悪魔は生き血か死んだ血か知っているのだ。私の血をやるか、誰か他人の生き血をやるしかない。かと言ってぺステラ村の人のように人を縛って、悪魔に血を吸わせるなどと言うことはできない。
喜実子から電話がかかってきた。今度のお盆に帰れないと言う。ミス京都親善大使として京都と姉妹都市のボストンに行くという。なんでも京都とボストンの姉妹都市締結四十周年記念行事だそうだ。仕様がない奴だ。大学一年の時は何かあるとすぐ帰ってきたのに。三年生ともなると、もう一人前の大人になって親離れか。俺は子離れの覚悟をしなければならん。今度喜実子が帰ってきたらゆっくり話……待てよ……いや……そんな悪魔みたいなことはできない。いくら悪魔が生き血を欲しがっているからと言って……。俺はいったい何を考えているのか。ああ、悪魔になってしまったのか。ぺステラ村の人が子供を犠牲にしたのだ。俺は、俺は、そんなことを考えるなんて、悪魔になってしまったのか。
 十日後、八月十七日、朝起きたが、身体がだるくて力が入らない。鏡を見ると顔全体から精気が消え、目の下に隈ができている。唇に赤みがない。無理やり研究所まで行ったが、玄関の階段を登るのさえ息切れがする。極度の貧血だ。念のため血液検査をしてもらった。結果は最悪だった。ヘモグロビンが三・九しかない。明らかにヘモグロビンの貯蔵鉄が底を突いているのだ。また赤血球容量が四十四、赤血球色素量十五・八で、ともに正常値の半分以下だ。これは危険信号だ。副所長に検査結果表を見せ、一週間ほど休養を取る旨伝えた。副所長は「先生、このところ顔色が悪かったので、心配していました。ゆっくり休んできて下さい」と言ってくれた。
 その足で東京駅に向かった。家に帰るとまた「悪魔の木」に魅入られてしまう。君子危うきに近寄らずだ。駅に着いた。行き先はどこでもよかった。JTBの観光ポスターが目に付いた。伊豆の修善寺温泉だ。よし決めた。特急踊り子号に乗って約二時間で修善寺駅に着き、予約しておいた新井旅館に着いた。昼食をゆっくり食べて、旅館の前を流れる桂川を散歩した。川は両岸からおい茂った樹木に覆われ、川沿いの石畳の散策路を歩くと澄んだ空気がひんやりし、一歩一歩歩くごとに心が清められた。
 温泉につかり、おいしい料理を食べ、散歩し、とにかくゆっくり休養を取った。体力も十分回復してきた。四日目、夕方近くに竹林の小道を歩き、上流に上がっていき赤い渡月橋を渡った。渡り終わったところに赤い花が咲いていた。あれっ、昨日の朝、ここに咲いていたこの花は白かったのに、赤くなっている。色が変わるのかな、と不思議に思った。白い花の形が「悪魔の木」の花に似ていたから印象に残っていたのだ。旅館に帰って、夕食を食べている時に女中さんに聞いたところ、花は「水芙蓉」という名前で、朝は白色で夕方になると赤く染まると言う。「悪魔の木」の花も白から、赤くなる。はて……。 
 突然ドラキュラ城のリビングルームの壁にかかっていたドラキュラ伯爵の肖像画を思い出した。確か伯爵は口に白い花をカルメンのように口にくわえていた。そうか、分かったぞ、あの花は血を吸う「悪魔の木」の花だ。小説『ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカはぺステラ村の蒼白病について何か知っていたかもしれない。と言うのは、彼は『ドラキュラ』を著わす前に東ヨーロッパの伝説や民話を数年間研究していた。確かエミリー何とかという女性が書いた『トランシルバニア地方の民間伝承』という本からヒントを得て『ドラキュラ』を書いたのだ。そうすると、ブラム・ストーカーはその本の中でぺステラ村の蒼白病に触れた部分を読んだのかもしれない。ドラキュラ城の肖像画の伯爵が口にくわえていた白い花はそれを暗示していたのか。誰があのような肖像画を描いたのだろう。今度ドラキュラ城に行ったら、ぜひ聞きたいものだ。ドラキュラ伯爵が血を吸うのは「悪魔の木」に血を吸わせるためなのだ。若い娘の生血を吸うのは自分の血を補うためだ。私のように悪魔に魅入られてしまい、性的快感を味わうため血を求めていたのだ。彼も「悪魔の木」の誘惑に負ける、木を破壊できない弱い存在だったのだ。女性とのセックスよりも「悪魔の木」との「セックス」を選んだのだ。そのため若い娘を次々に襲ったのだ。
 私はとても若い娘の首にかみついて血を吸うなどと言うことはできない。若い娘を誘惑して、無理やり「悪魔の木」に血を与えることもできない。ああ、俺がドラキュラならなぁ……。輸血用の血液も使えない。あの宇宙が爆発するような快感を感じたい。しかし、このまま続けるとぺステラ村の人のように廃人になってしまう。ここは冷静に考えなくては。所長としての人望もある。妻を白血病で亡くしてからの研究テーマである白血病の研究もまだまだ何もできていない。狂人ドラキュラになるか、研究の道を選ぶか。それはわかりきったことだ。よし、決めた。「悪魔の木」を破壊するしかない。それが一番の解決策だ。もう充分に快感は味わった。修善寺温泉に来てよかった。悪魔が棲みついている家ではこのように冷静に考えられない。問題は、離れてみなければ解決策は生まれない。
 八月二十四日、私は決意も新たに東京に帰ることにした。電車の中で「悪魔の木」と対決する作戦を考えた。とにかく家に入ったら、あの媚薬の匂いを嗅いではいけない。嗅いだら最後、悪魔のおとりになってしまう。嗅ぐ前に、剪定ハサミか斧でずたずたにするしかない。それには家に入ってからハサミを取りに行ってはいけない。家に帰る前にハサミを買って悪魔の家に入るべきだ。
 決心してホッとしたのか踊り子号で眠ってしまった。起きたのは熱海の辺りだった。
海岸を車窓から眺めていてぺステラ村のことである疑問が頭に浮かんだ。なぜぺステラ村の人だけが蒼白病になったのだろう。ぺステラ村の周りにはシビウ市をはじめ村や町があったはずだ。なぜ「悪魔の木」の種は隣村や町に広がらなかったのだろう。なぜトランシルバニア地方全体に広がらなかったのだろうか。私はぺステラ村にタクシーで行った時のことを思い出した。長いトンネルを出て、小高い丘の上に立ち、ぺステラ村を眼下に見下ろした時のことを思い出した。そうだ。村は、三方がトランシルバニアの切り立った山に囲まれていた。残る一方には広い川が流れていた。トンネルが二十年前にできたと運転手が言っていた。トンネルができるまで、村は陸の孤島だったわけだ。他の世界と遮断されていて自給自足の生活をしていたのだ。だから種は広がらなかったのだ。
 東京駅に着き、駅の名店街百円ショップで万能ハサミを買った。百円にしては相当大きなはさみだ。これなら「悪魔の木」を倒すことができる。
 我が家の玄関前に立った。悪魔を倒す決意も新たに、シュミレーションした。玄関の扉をあける。花が咲いている。息を止める。素早くハサミを持って、リビングルームに行く。花、葉、蔓、枝とにかく呼吸を止めている間中、悪魔を切り刻み、退治するのだ。よし! 絶対だ! 決死の覚悟だ。
 息を殺して玄関を開けた。ハサミを持って、リビングルームに急ぎ、ドアを開けた。
「あっ!」と驚いた。大きな花がいっぱい咲いている!「凄い!」と思わず叫んでしまった。甘い匂いが鼻孔を襲った。甘さが脳天まで届いた。部屋中に充満していた甘さが。体がとろけるような、美女千人に囲まれたような、金木犀とバラの匂いが溶け合ったような、抵抗力を完全に打ちのめすような匂いだ。ふらふらと「悪魔の木」に近づいた。もうどうでもいい。俺は、頭の片隅でぼんやり思った、俺は、意志薄弱だ。あれほど強く決心したのに、俺はダメな男だ。もうどうでもいい。こんなに花が咲いているのだ。大きい花だ。血をやろう。これが最後だ。実を食べたら、花が咲いていない悪魔が眠っている時に始末すれば、これが本当に最後だ。
 三十本はある蔓が一斉に頭を持ち上げ、私の方に向かってゆらゆらしている。五、六本首に刺さった。一番上に咲いている花の匂いを嗅いだ。両手首にも刺さった。他の花にも鼻を近づけた。他の蔓の先端が私のシャツのボタンの孔から、胸まで入り込み、胸を刺している。痛くはない。好い匂いだ。十本ぐらいの蔓がそで口や襟から私の身体に入り込み胸や腕に突き刺さった。体がふらふらしてきた。いい匂いだ。こんなに蔓が活発に強烈に血を求めることはなかった。立っておれなくなって、その場にどっと倒れた。蔓がはらりと離れた。ああ、助かった、と思った。ところが「悪魔の木」は幹ごとしなって私の身体に覆いかぶさってきた。横になっている身体のすぐ上にほぼ平行に幹を曲げた。蔓が延びた。顔から足の先まで全身に蔓の先を突き刺した。鼻からも、耳の穴からも、シャツやズボンを突き破って突き刺してくる。首、胸、腹、下半身、太もも、足も全ての身体の部分に突き刺さった。殺される! 手で蔓を引きちぎろうとしても、針金のように強い。全ての蔓が私の身体をがんじがらめにしている。「悪魔の木」の幹を手で押し上げようとしても、覆いかぶさったまま、悪魔が笑っているように、びくともしない。ゆさゆさと血を吸ううれしさで悪魔は身体を揺らしている。ダメだ! 殺される! 助けてくれ! 誰か! このまま、このまま悪魔に血を吸い取られて死ぬのか、頭がぼんやりしてきた。匂いも感じなくなってきた。目がかすんできた。何か悪魔をやっつけるものはないか。残った力で蔓を払いのけ床をまさぐった。そうだ。携帯電話だ。私はズボンの後ろのポケットに入っている携帯電話を取りだした。蔓が携帯電話に巻き付いた。一、一、〇、とキーを押した。携帯電話を何とか口元に持っていった。警察が出た。振り絞る声で言った。口に入り込んでくる蔓を押しのけた。「こちら、港区の、港区の、白金台、四丁目六番、清水、清水健一です。至急来てください。殺されそうです、すぐ……」気が遠くなった。

 気が付いたら、自分がどこにいるのかわからなかった。目がぼんやりしていたが、焦点が合い、天井から血液製剤バッグがぶら下がり、管を伝って私の右腕に輸血されていた。ここは、病院のベッドだ。そうか、悪魔の餌食から助かったのだ。そばにいた看護師が言った。
「やっと気がつきましたか。搬送されてからずっと意識不明でした。良かった。今、先生を呼びますから」
と言って、天井に設置してあるマイクに向かって医師を呼んだ。
 医師が部屋に入ってきた。東大医学部の教え子の鈴木君だった。そうすると、ここは医学研究所の道路を隔てた反対側にある鈴木病院だ。
「先生、覚えていますか、教え子の鈴木です」
「ああ、覚えているよ。済まん。お世話になるね」
「先生、心配しましたよ。極度の貧血です」
「うん、貧血だ」
「いま、輸血をしてますから、もう大丈夫ですが、一体どうなさったのですか。救急車で運ばれた時は、死んだように血の気がなかったんですよ。ヘモグロビンが二、三でした。動悸が激しく多呼吸で。骨髄像検査をしましたが、骨髄機能は正常でした。過度の鉄欠乏性貧血です。全血と赤血球製剤の併用輸血をしていますが」
「そうか、恐らく千ミリは吸われたからなぁ」
「えっ、吸われたって、吸血鬼にでも吸われたんですか」
「そうだ。吸血鬼だよ。吸血鬼に血を吸われたんだよ」
「また冗談を。先生は講義の時よく冗談を言ってましたから」
「いや、冗談じゃないんだ。吸血鬼ドラキュラにやられたんだよ」
 看護師がくすくす笑った。
「また、先生、相変わらず冗談がきついですね」
「いや、鈴木君、冗談と思うならわたしの家に来るといい。実は血を吸う木があるんだよ。吸血木の『き』は樹木の木だが」
「吸血木ですか、先生、うまいですね」
「本当に冗談じゃないんだよ。貧血で頭がおかしくなったと思ってるんだろう。そういう人もいる。脳に酸素が十分運ばれなくて。しかし、わたしの脳は正常だよ。まあ、今の話、本気にする人はいないと思うがね。そのうちに正式に発表するよ」
「分かりました。回復されたら、先生のお宅にお邪魔します。是非吸血木とやらを見たいものです。でも回復されるまでには一週間はかかります」
 鈴木君はにやにやしながら言った。全く私の話を信用していない。それも当然だろう。誰も吸血木なんて信用しないだろう。
 二日後、血液研究センターから、副所長と研究員が見舞いに来てくれた。仕事のことは気にしないで、ゆっくり療養していて下さいと言う。そうはいかないが、仕方がない。私宛に来た手紙を渡してくれた。シンガポールのマオ氏からだ。十一月の血液学会での講演依頼の手紙で、最後に種のことに触れ、二十個のうち五個蒔いて五個とも五、六センチぐらいに成長し、残った種はドイツ、香港、カナダの友達にそれぞれ五個ずつ送ったと書いてあった。
 大変だ。マオ氏が悪魔の犠牲になってしまう。死ぬかも知れない。しかし、ドイツ、香港、カナダの友達に送ってしまったとは。「悪魔の木」が世界中に広がるかもしれない。もし広がったら、全人類が「悪魔の木」の犠牲になる。恐ろしいことだ。手紙を書かなくてはならない。しかし、まだ安静にしていなければならない。輸血の管がまるで蔓のように腕に突き刺さっている。退院したら、すぐに書こう。
 一週間たっても、身体は一向に回復しなかった。鈴木君が来て、黄疸と肝炎の症状があると言う。そうか。貧血による合併症だ。貧血で身体のありとあらゆる臓器がやられるのだ。心臓だって機能が低下しているはずだ。俺は血液学博士であると言うのに、自分の血液の病気に関して何もできないとは、全く情けない。悪魔に血を吸われ、輸血され、合併症を起こし。何が血液学博士だ。自己嫌悪に陥った。仕方がない。治療に専念するしかない。もっと輸血し、葉酸サプリと、ビタミン12剤と、鉄分サプリを飲み、合成エリトロポエチンを注射するのだ。ああ嫌になる。あの悪魔め! 今度こそ……。今頃、俺の血が実になって枝からたわわに実っているだろう。いやもう実が枝から落ちてしまっているかも。また近いうちに花が咲くだろうが、誰が血をやるものか。俺はあと三週間は入院していなければならないだろう。悪魔よ、今度花が咲いても血はないからな。ざまあ見やがれ。
 でも、携帯で警察を呼び、救急車が家に来た時、「悪魔の木」の蔓は俺をがんじがらめにしていなかったのか。がんじがらめにしていれば、救急隊員は異常な木に気が付いていたはずだ。何もないところを見ると、多分、携帯で電話して、気を失った時、蔓が俺の身体から離れたのだ。血を十分吸ったのだ。

 三週間後やっと退院することになった。約一カ月入院していたことになる。退院する日、病院の玄関先まで見送りに来た鈴木君に言った。
「どうだね、今日の午後は休診だろう。一緒に家に来ないかね。吸血木を見に。本当にドラキュラの木があるんだよ」
「先生、行きたいのは山々ですが、何しろいろいろ予定がありまして、会議もありますし、それは今度ということで」
 まるで、駄々をこねる子供をあやすような言い方だ。私は怒れてきた。
「そりゃ忙しいのは分かっている。家までほんの十分とかからないんだよ。実は、鈴木君、わたしは家に帰るのが怖いんだよ」
 私は真剣な顔をして言った。
「吸血木が家にいて私の帰りを待ってるんだ。一人で帰るとまた自分が何をしでかすかわからないんだよ。わたしは弱い人間で、また血を吸われるままになってしまわないかと、それが怖いんだよ。君が信じないのは分かっているが、見ればわかるよ。是非わたしと一緒に来てくれないか。私の護衛と言うか。入院中何度も言っていたが、君は信用しなかっただろうが、本当に蔓が首に突き刺さるのだよ。万が一の時に備えて、わたしを救出してくれる人がどうしても欲しいんだよ」
 あまり真剣に訴えるものだから、鈴木君は半分信用しかけたような顔になった。
「わかりました、先生、そんなに言われるのなら、私は行けませんが、代わりにインターン生をご一緒させます」
 家への帰り道インターン生に「悪魔の木」について説明した。蔓が突き刺すこと、血を吸って花が赤くなること、蔓は頑丈で手ではちぎることはできないことなどを話した。
「で、一番大事なのは、甘い匂いを嗅がないことだ。嗅ぐ前に蔓を切ってしまうことだよ」
 勿論インターン生は半信半疑聞いていた。二人とも鈴木病院から手術用メスを借りてきた。「悪魔の木」を倒すのに、ノコギリなどはいらない。蔓を切ってしまえば、悪魔の手足を切ったも同然だ。それでお陀仏だ。たとえ蔓を切ることができなくなっても、「悪魔の木」は二人一度に血を吸うことはできない。どちらか一人は蔓を切ることができる。よし、完璧だ。これでやっと悪魔を退治できる。これで悪魔の悪循環から解放される。私自身に戻れるのだ。悪魔め、俺の血を吸ったことを後悔するな。
 決意も新たに、玄関のドアを開いた。鍵がかかっていない。そうか、救急車で運ばれたから、鍵は開けっ放しだったのだ。
玄関に入って驚愕した! やられた! まさか! 一瞬その場に氷ついてしまった。インターン生が「どうしました」と言うと同時に私は居間に走った。
「喜実子! 喜実子!」
 玄関に女性の靴があったのだ。喜実子の靴だ。
 居間に喜実子が倒れていた。そばに勝ち誇ったかのように悪魔が立っていた。
「畜生! 畜生!」
 喜実子を抱きかかえた。息が切れていた。血を全部吸い取られていた。顔が髑髏のようになり、眼窩が黒くへこみ、手足が、枝のように茶色く細く乾いていた。身体の皮膚が象のようにしわしわで、骨に貼りついていた。まるでミイラだ。ミイラになってしまった喜実子を抱いた。涙が出なかった。
「喜実子、喜実子、許してくれ、お父さんが悪かった。苦しかったろう。びっくりしただろう。怖かっただろう。せっかく帰って来てくれたのに。済まん……済まん。俺が悪かった。『悪魔の木』を独り占めにしようとした天罰だ。女房を白血病で亡くし、娘は悪魔に血を吸いとられて……。お前は馬鹿だ、それでもお前は血液学博士か! 馬鹿だ、馬鹿だ、大馬鹿だ。取り返しのつかないことになってしまった」
私は喜美子の乾いた頬をなで、乾いた髪をなでた。
ふと「悪魔の木」を見上げた。リンゴぐらい大きい、真っ赤に熟れた果実が五つもなっていた。
性欲がむらむらっと湧いてきた。

                  完

2009年10月28日水曜日

団子鼻

 買い物から帰った君子がいち大ニュースを発表するような口調で言った。
「ちょっと、あなた、聞いた? 三階の手塚さん、離婚したんだって」
「手塚さんて、あの老人夫婦か?」
「そうよ。だからびっくりよ」
「離婚したって。ご主人はもう七十近いだろう」
「七十一歳だって。奥さんは六十八だそうよ。なんでも、このマンションは奥さんと息子さんに譲って、旦那さんは実家の青森に帰ってしまったそうよ」
「そうか。それで最近あの爺さんを見かけないのか。毎朝、俺が出勤するとき、子犬を散歩させていたが……。で、どうして離婚なんかしたんだ」
「それがね、一人息子さんが自分の子でなかったんだって」
「えっ、自分の子でないって、どうして分かったんだろう」
「そこまでは聞いてないわよ。でも七十一歳よ。よく離婚するわね……。あなただったらどうする? 離婚する?」
忠雄はドキッとした。君子はとっぴもないことを聞く。
「俺か、そんな年取ってから離婚も何もないだろう。息子さんも四十歳ぐらいになっていると言うのに。全く、不幸なことだ。で、なぜそんなことを聞くんだ。隆司は俺の子じゃないのか?」
忠雄は半分冗談で聞いた。
「何言ってるのよ。お馬鹿さんね。冗談よ。隆司はあなたの子よ。何考えてるの」
君子はくすくす笑い出した。
数ヵ月後、隆司は小学校に入学し、記念に写真屋で家族三人の写真を撮った。出来上がった写真を見て君子が言った。
「ねえ、隆司あなたそっくりね」
「そりゃ、そうだろう。親子だからな」
と言ったものの、忠雄は息子がそんなに似ているとは思っていなかった。自分で自分の顔が見えないから端から見ると、よく似て見えるのだろう、ぐらいにしか考えていなかった。
五月五日のこどもの日、君子の実家に三人で出かけた。夕食のとき義母が
「隆司ちゃんは、お父さんによぉく似ているね。目元なんかそっくりだよ」と言う。
君子も
「そう、よく似ているわ。目元も、眉毛も、鼻も」
義父が隆司の顔と忠雄の顔を見比べて言った。
「いや、鼻の形は全然似てないよ。君子の鼻にも似ていないし」
すかざず、君子は反論する。
「鼻もパパそっくりよ。顔全体が生き写しよ」
義母も、父親そっくりだと反論する。
どうして義母も君子も隆司が俺に似ていると言い張るのだろう。隆司と俺が似ているなんて、当たり前のことだ。半分は俺の血が入っているのだから。
 しかし、義父に言われて初めて気がついたが、隆司の鼻の形は俺の鼻の形と違う。かと言って、君子の鼻にも似ていない。あのまん丸い、鼻柱の通った、顔の面積に比べていやに大きい鼻は一体誰の鼻に似たのだろう。それに、君子は「鼻もパパそっくりよ」などと、どうして言うのだろう。鼻の形は全然似ていないのに。
 俺の気がかりをよそに、君子は隆司が俺に似ている、似ていると三日に一度は言うようになった。以前はこんなに言わなかったのに。どうして最近似ていると言うのだろう。幼稚園のときにも似ている言っていたのかなぁ……。最近よく言うようになったような気がするのはどうしてだろう。俺が気にしているから、返ってよく言っているように聞こえるのかもしれない。
 君子が妊娠したころは、街に出ると妊婦がよく目に付いたし、隆司が赤ん坊のときは、乳母車がよく目に付いた。人間、見えていても、こちらが気にしているものだけが見えて、気にしていないものは見えないことがよくある。それと同じことか。
 でも、特に親戚の家に行ったり、知人が尋ねてくると、似ている、似ていると、君子はことさら強調する。
昨日だって三回は言っている。どうして、あんなに強調するのだろう……。何かわけがあるのだろうか……。
待てよ。隆司が、俺に似ていないから、わざと似ている、似ていると言っているのか。隆司が俺に似ていないって? そりゃどういうことだ。もしかして、隆司は……。まさか、そんなことはない。そんな馬鹿なことがあるわけがない。
 でもまてよ。隆司が小学校に上がる頃、君子は変なことを言った。「隆司があなたの子でなかったら、離婚する?」と聞いてきた。
あの時は冗談と思っていたのだが……。
いつか君子の実家に行ったとき義母も隆司が俺に似ていると強調していた。二人は何か俺に隠しているのだろうか。そういえば、義父が言っていたように、隆司の鼻は君子の鼻にも、俺の鼻にも似ていない。隆司は本当に俺の子なんだろうな。俺の子に間違いないと思うのだが。
 待て待て。あの鼻、どこかで見たような気がする。でも、どこで見たのだろう。あのいやにでかい丸い鼻。
 数ヵ月後、君子が大学の同窓会に出席したときの写真が数枚送られてきた。忠雄は君子と一緒に写真を見ているうちに、一枚の写真を見てびっくりした。その写真には、君子とある男の二人がアップで写っていた。二人ともうれしそうに笑っているが、よく見るとその男の鼻が隆司の鼻とそっくりなのだ。隆司の鼻は団子鼻で、顔全体に比べて異様に大きいのだ。この男の鼻も団子鼻で顔に対してアンパランスに大きい。
 そういえば俺はこの男のことは、よく覚えている。
 
 結婚して間もない頃、君子は大学卒業アルバムを見ていた。大学では君子は社会学を専攻し、卒論は「女性の社会的地位と男女差別」について書いていた。
 君子はアルバムをめくりながら,専攻ゼミクラスの写真を見せてくれた。写真の中にひときは鼻の大きい学生がいた。鼻が団子鼻で、まるで肉饅頭が顔の真ん中にくっついているようであった。
「この男、鼻がでかいね」
「ええ、この人、後藤さんといってね、団子鼻だったから、団ちゃんて、あだ名だったのよ」
「へーぇ、団ちゃんね」

 あれから十年経った今、君子は同窓会の写真を見ながら言った。
「同窓会、楽しかったわ、久しぶりにみんなに会えて,大学時代に戻ったような気になっちゃった。みんな全然変わってないのよ……。そう、そう、あなた覚えてる? わたしの卒業アルバムに載っていた団ちゃん、団子鼻の」
「ああ、覚えているよ。あの鼻のでかい……名前を何とか言ったな」
 忠雄はギクッとした。君子はなぜ団子鼻の男の話を持ち出すのだろう。
「後藤さんよ。後藤さんも来ててね、大学を卒業して社会科の先生をしていたのだけど、すぐ先生を辞めてね,東芸大に入学しなおして、いま、建築デザイナーをしているんだって」
「建築デザイナーって顔じゃないが」
「ええ、でも、高校時代は美術部に入っていたそうよ。お父さんが美術の先生だって。社会科の先生より、建築デザイナーのほうが向くと思うわ。ほら、名刺をもらったわ。今度、大阪に転勤だって」
 君子は熱っぽく後藤の話をする。差し出した名刺を見ると「グローバルデザイン株式会社 名古屋支店 建築デザイナー 後藤隆司」とあった。
隆司って、息子と同じ名前じゃないか。隆司って名前は、君子がどこかの姓名判断相談所で最終的に決めてきた名前だったはずだが……。この団子鼻と同じ名前とは。
忠雄はさらに会社の住所を見て驚いた。名古屋市中区正木町とある。君子の実家も中区正木町だ。君子はよく隆司を連れて、実家に帰っていたが……。隆司という名前にしても、正木町にしても、偶然だろうか。
 君子はいつもより興奮気味だった。うれしそうで、後藤さんが、後藤さんが、と後藤のことばかり話す。  
忠雄は後藤と君子の関係を疑い始めた。
どうも変だ。隆司の鼻が後藤の鼻にそっくりだ。どうして君子はわざわざ団子鼻の男のことについてこんなに話をするんだろう? あのはしゃぎようは一体何なんだろう。ことさら団子鼻の男の話をしているのは、私が疑っているのに気がついていて、逆手に取ってはぐらかそうとしているのか。君子はあれでいて、相当頭が切れるからなあ。
 まさかと思うが、隆司はあの団子鼻の子かもしれない。そんなことはないと思うが、全く否定もできない。鼻が物語っている。でも、まあ、馬鹿げている。思い過ごしだろう。君子はそんな女ではない。そんなはずはない。
 忠雄は、君子の同窓会があった日以来、家に帰って来ても、どうも居心地が悪く、君子が隆司と親しく話をしているのを見ると、自分がのけ者のように感じるようになった。
最近、俺はどうかしている。
 数週間たって、隆司は夕食のときに言った。
「今日学校でね、先生に絵がうまいって誉められたよ。才能があるって。僕の絵が、今度香港に送られて、香港の小学校に飾られるんだって。代わりに香港の小学生の絵が日本に送られてくるんだって。香港の子ってどんな絵を描くんだろう」
「そう。それは良かったわね。隆司は幼稚園でも先生が絵が上手だって誉められてたもんね」
「隆司、お前たいしたものだ」
と、忠雄は言ったものの、どうも腑に落ちなかった。
君子も俺も、君子の親だって、俺の親だって、誰も絵がうまいものはいない。どうして隆司は生まれつき絵がうまいのだろう。
 はっと気がついた。あの男だ。あの団子鼻だ。あいつは建築デザイナーだし、いつか君子があいつの親が美術の先生だと話していた。団子鼻の子なら絵がうまいのは当たり前だ。団子鼻の子なんだろうか。まさか。まさか。俺は考えすぎだ。
 その年の暮れ、また疑わしいことが起こった。忠雄が年賀状の宣伝チラシを見ていたら、君子が、今度の年賀状から家族三人の写真を年賀状に載せようと言うのだ。結婚以来年賀状はごくありきたりの年頭の挨拶と干支のイラストを描いたものだったのだが、なぜ今度から家族三人の写真を載せようと言うのだろう……。
 そうか、分かった。そう言えばあの団子鼻の後藤は、大阪に転勤だと君子が言っていた。正木町の建築会社に隆司を見せに行けないから、あの団子鼻に隆司の写っている写真つきの年賀状を送ろうという訳だ。
「写真は高くつくよ」
「ええ、そりゃ高くつくけど、年に一回だけよ。隆司も一年生になったし、みんなに隆司のこと見てもらういい機会じゃない」
「俺は、あまり気が進まないな」
「どうして」
「どうしてって、ただ……」
「ただ、何なのよ。写真は都合が悪いの? ありきたりの年賀状よりよほど近況報告としては、ぴったりよ。何か都合の悪い訳があるの?」
「お前こそ、写真にする訳があるのか」
「何言ってるのよ。特に訳なんかあるわけないでしょ。反対なら今まで通りでもかまわないのよ」
「分かった、分かった。いい機会だし記念になるし、写真にしよう」
「変な人」
 とうとう、君子に言いくるめられてしまった。これで君子は隆司の写真を毎年あの団子野郎に送れるわけだ。
 しかし、まだ隆司は団子鼻の息子と決まったわけでもないのに、どうして俺はむきになってしまうのだろう。どうも最近俺は考えることや言うことがおかしい。
 三ヶ月経った。隆司のことは気にしないでおこうと思っても、どうしても気になってしまう。本当に俺の子なんだろうな。団子鼻の子であるなんて、考えられない。そんなことがあるはずがない。
忠雄は次第に隆司が本当に自分の子なのか、そうでないのかはっきりさせないではいられなくなってきた。毎日が苦痛であった。
中途半端な状態が一生続くのは耐えられない。君子にそんなことは聞けないし。団子鼻の後藤を突きとめて聞いてもしょうがない。でも何か方法があるはずだ。隆司の血液型はA型だし、俺ははAB型だ。これでは何も証明できない……。どうしたらいいか。
忠雄が悩んでいたそんなある日、君子が
「あなた、最近DNA組み換え食品ってよく聞くけど、DNAって何のこと?」と聞いた。
「ああ、それは、遺伝子のことだ」忠雄は君子がDNAのことを知らないことに驚いた。やはり女は常識がないなと思った。
「確か、デキオ何とかアシドとか言ったな。人間の細胞の染色体にある遺伝子情報のことだ」
「へーえ、その情報が組み替えられると、どうなるの? 組み替え食品は危険なの?」
「うん、人工的に遺伝子を操作するんだから、変な食物ができてしまうのじゃないか。自然のままが良いということだろう」
と言いながら、忠雄は内心、そうか、DNA鑑定があった。なぜこんな簡単なことに気がつかなかったんだろうと思った。
君子はタイムリーな質問をしてくれた。DNA鑑定なら犯罪や、中国残留孤児の親子鑑定などでよく使われている。
 しかし、鑑定の結果、隆司が自分の子でなかったらどうしよう。離婚か。君子は良き妻であり、良き母親だ。特にこれと言った不満はない。世間では、良妻賢母というが、賢妻良母といったほうがいい。なんと言っても、君子は賢い。将棋士のように物事の先が読める。離婚は避けたい。
ただ、君子は俺のことをどう思っているのだろう。俺はなんたって、酒癖が悪いから……。酒を飲むと何でもかんでも、べらべらしゃべってしまうからな。
そうそう、新婚当時、君子と結婚する前に付き合っていた女性が美人で、リッチで、育ちが良くてと、とうとうと話したことがあった。あの時、君子は怒ってしまったな。酒を飲まなければ俺は口は堅いんだが。
それから、俺の大学の後輩が家に遊びに来たとき、酒を飲んで、君子の前で、君子の親父の悪口をならべたてたら、そのときは君子は、にこにこしてたが、後輩が帰ったら、えらい剣幕で怒ったことがあった。
最近も酒を飲んで、最近入社した女子社員がとびきりの美人で、あんな女と結婚すればよかった、お前と結婚したのは失敗だった、などと君子に言ったことがあり、君子は「何を馬鹿なこと言ってるの」と言っていたが内心怒っていただろうな。
いやいや、そんなことはどうでもいいのだ。今考えなければならないことはそんなことではなく、隆司が俺の本当の子かどうかということだ。
で、離婚はしたくないが、隆司があの団子野郎の子供となると話は別だ。俺は一生涯、隆司のことを知らないふりをして生きていくことはできない。俺はそんな人格者ではない。俺はけちな男だ。了見の狭い男だ。俺は自分をごまかして生きていくことはできない。隆司が俺の子でなかったら、離婚するしかない。
ではどのようにDNA鑑定をすればいいのか。病院に行って血液検査をすれば俺のDNA鑑定はできるが、隆司の鑑定は隆司を病院に達れていかなければいけない。病院に連れていけば隆司は君子に病院に行ったと言うだろう。隆司を病院に連れていかずにDNA鑑定をする方法はないものか。
二週間後、君子は「インターネットって怖いのね」と言って、ある新聞記事を見せてくれた。それによると、ある女性がインターネツトで取り寄せた毒物により自殺したというのだ。
忠雄はこの記事を読んでインターネットを使えばDNA鑑定をしている病院が探せるかも知れないと思った。さっそくコンピューターを立ち上げ、DNA鑑定関係のサイトを検索した。しばらくしてDNA鑑定をしているという病院を四つ見つけた。しかし、四つとも本人が病院に来て鑑定をしなければならなかった。これではダメだ。隆司を病院に連れていくことはできない。
さらに別の検索でDNA鑑定のサイトを捜していたら、「ジーン・ジヤパン」というDNA鑑定会杜のホームページを捜し当てた。鑑定は簡単だった。会社に爪とか毛髪、唾液などのサンプルを郵送すればいいのだ。ただし鑑定料が高かった。一組の親子鑑定は約十六万円するという。高いとは恩ったが、一生続くであろう苦痛を取り除いてくれるのだから、それだけの価値はあると思った。
さつそく忠雄は隆司と自分の髪を送った。送ってしまうと何かさっぱりした。結果が来るまで三週間あった。この三週間は、隆司を他人の子ではなく、自分の子として一緒に遊んた。
なんと言っても、生まれたときから、俺を父親だと思っている。隆司が団子鼻の子なら、分かれるのはつらいが、それはなんともしょうがないではないか。
忠雄は半分怒れてきて、半分寂しいような気持ちになった。それでも、鑑定を依頼する前のいらいらは一切なくなっていて、心が落ち着いてきていた。
「あなた、やっと元のあなたに戻ったわね。このところ帰りは遅いし、むっつり考え事をしているし、よほど仕事がきつかったのね」
「うん、やっと懸案の仕事が一段落してね。ほっと一息と言うところだよ」
と言いつつも、こんな会話はいつまで続くかなと思った。
三週間後、鑑定結果が会杜に送られてきた。宛名はもちろん君子に分からないように会社にしておいた。
忠雄は胸の高鳴りをおさえ、封筒を開いた。結果は親子の可能性は九九、九九九パーセントであった。
これは事実上、親子と言うことだ。隆司は俺の子だ。俺の子だ! 俺の子なんだ。離婚をしなくて済む。良かった、良かった!
一体この半年ほどこの俺をさいなんだのは何だったんだろう。重い鎖が解き放たれた。
その日は残業で帰りが遅くなった。家に着いて隆司の寝顔をじっくりと眺めた。君子の言う通りだ。隆司は俺そっくりだ。隆司は俺の子だ。
「あなた、今日、何かいいことが会社であったのね。顔色がとても良いし、心が何か晴れ晴れしたような感じよ。お酒でも飲む?」
 おお、酒だ。君子はたいした賢妻だ。よく気がつくよ。
久しぶりに酒を飲んだ。女房に内緒の祝い酒だ。
「あなた、本当にうれしそうね。もう一杯どう?」
思わず酔いが回ってきた。酔いが回りながら、ついつい笑ってしまった。笑いながらも涙が出てきた。
「今日は愉快だ。実に!」
 酔いがますます回り、笑いが止まらなくなり、涙が頬を伝って流れた。
「あなた変よ。どうしたの。泣いたり笑ったりして。何かあったのね。何かうれしいことがあったのでしょう。何があったの?」
「いやあ、今まで黙っていたんだが、実は…」
と言って、忠雄は隆司が自分の子でないかもしれないと疑って、DNA鑑定をした経過を一部始終君子に話した。君子は呆気にとられた顔をし、黙って聞いていた。
その晩、忠雄は久しぶりにぐっすり眠ることができた。
翌朝、君子が言った。
「昨晩は一睡も眠れませんでした。わたしのことを信用していないような人と、これから一緒に暮らしていく自信がありません。離婚して下さい」


おわり

  
4百字詰め原稿用紙約十八枚

2009年10月20日火曜日

黄金の鯱 (こがねのしゃちほこ)オアシスに行く

二〇〇九年、十月四日。午前二時。
 折からの強風にあおられて、大凧が名古屋城天守閣上空に現れた。凧には大の字になった黒装束の男が乗っている。凧が雌の金鯱の真上にさしかかった。えいっ! 男は大棟に飛び降りた。金鯱鱗泥棒、平成の柿木金助だ。
 金助は鯱にまたがり、ロープの端を自分の腰に巻き、他方の端を鯱の尾ひれに結わえた。これで風で吹き飛ばされる心配はない。背中から黒いリュックを下ろし、自在スパナとペンチを取り出して、腰の工具ベルトにさし、次に、懐中電灯を出して紐を首にかけた。
 仲秋の名月が、流れる雲間から一瞬顔をのぞかせ、金鯱が光った。
金助は、左手で懐中電灯を持って鱗を照らし、右手で鱗を固定しているボルトにスパナをあてがった。金属音が闇夜に響いた。スパナを回した。ダメだ。スパナの口が滑る。落ち着け。誰も見てやしない。口幅を調節し、ボルトにあてた。慎重に、力を込めて、回した。おっ、回る、回る。鱗から三本のボルトを外し、スパナを工具ベルトに戻した。次に、ペンチで鱗の端をつかみ鱗を引っ張った。
「痛い!」
 びっくりした。確か「痛い」と言う声が聞こえた。まさか……。もう一度鱗を引っ張った。
「痛い! 何すんのよ」
 な、なんだ、この鯱、しゃべるんか。金助は鯱の目を見た。ぎょろりと巨大な目玉が動き、金助をにらんだ。
 な、なんでぇ、この化け物め。そんなことで平成の柿木金助が務まると思うのか。てめえが、にらもうが、わめこうが、俺は命がけでここまで来てんだ。やることは、やらしてもらうぜ。そりゃあ、泥棒はしたくねーよ。しかし、派遣切りで明日のおまんまも食べれねーのよ。お前なんか単なる飾りもんだ。食うのに困るなんて、どんなことか分からねーだろ。鱗はもらったぜ。悪く思うな」
「馬鹿だね、金助さんとやら」
「馬鹿とは何だ」
「だって馬鹿だよ、わたしの鱗は金メッキだよ。金にならないよ」
「そんなこたぁ、百も承知だ。メッキはメッキでも、お前の鱗を全部集めりゃ、四十四キロになるんだぜ。今の金相場、お前、知らねーだろう。一グラム、三千円近いんだ。わかったか。ちゃーんと調べてあるんだ。つべこべ言わずに全部俺によこせ」
「いやだよ。わたしゃ名古屋のシンボルだよ。お前みたいなこそ泥に一枚だってやらないよ」
 雌鯱は身体を激しく動かした。
金助はロープにしがみついた。
「おっと、何するんでぃ。危ねーじゃねーか。止めろ、止めろ、止めろっちゅうに!」
「落っこちて首の骨でも折って死んじまいな」
 ますます鯱は身体を揺り動かした。金助はスパナを工具ベルトから取って、鯱の脳天を思い切り殴った。
「この」ガーン。
「鯱の」ガーン。
「化け物!」ゴーン。
 雌鯱は気を失って動かなくなった。
「どうだ、ざま―見ろ」
 一時止んでいた風がまた吹き出した。金助はぶるぶるっと震えた。
 二時間後、金助は百二十六枚の鱗を全部はがした。次に、リュックから黒い袋を三つと五十メートルの長さの黒いロープを三本取りだした。一つの袋に鱗を四十二枚ずつ入れ、ロープで結び、一袋ずつ地面に下ろした。全部下ろすと、金助は大棟から千鳥破風に飛び降り、屋根づたいに地面に降りた。雲が満月を覆い、金助は闇に消えた。

          ***
 
 午前五時十二分。雄鯱が日の出を浴び、目を覚ました。
「あー、よく眠ったわい。どれ、今日も一日城を守るとしよう」
 雌鯱を見た。胴体が黒い。はて?
「おおい、鯱子、起きろ」
鯱子は気絶したままだ。雄鯱は叫んだ。
「おおい。鯱子! 起きろ!」
 鯱子は意識を取り戻した。
「お前、身体が真っ黒だ。鱗はどうしたんだ」
「あなた、夜中に変な男が来て、鱗をはがしていったのよ。頭を殴られて。ああ、くやしい。身体がひりひり痛いわ」
 鱗をはがされたところが朝日を浴びて痛むのだ。
「変な男って、どんな」
「黒頭巾よ。三十歳ぐらい。派遣切りで食うや食わずだとか言ってたわ」
「それは可哀そうだが、鱗をはがすなんて、許せん」
「そんなことより、鯱雄さん、身体がひりひり痛いのよ」
「そうか。困ったなぁ」
「太陽が照りつけるのよ。水をかければ、痛みも和らぐと思うけど」
「うむ、水か。お堀に水はあることはあるが。ボウフラがわいてるし、破傷風になるかも」
「どこか、きれいな水のあるとこないの?」
 鯱雄は下界を見渡した。西に見えるのは超高層ビル群で水には関係ない。南は栄の繁華街か、これも水とは無縁だ。東はナゴヤドーム。これもダメだ。
「鯱子、北には何か見えないか」
「庄内川が見えるわ」
庄内川か。昔に比べると、随分きれいになったが、まだ鮎が生息できるほどではないし。
 鯱雄はもう一度見渡した。南方にピカッと光るものがある。水面が朝日を反射している。そうだ、あそこにきれいな水がある。
「あった。オアシスがあるよ。栄の楕円形の、水のきれいな池が」
「オアシス21ね。知ってるわ。あの水ならきれいだし、よく効くかも」
「よし、それじゃ。オアシスに行くか。でも、水をかけるのはいいが、すぐ乾くからなぁ」
「そうね、でもあそこはオアシスだから周りは木で一杯のはずよ。葉っぱを貼れば痛みも和らぐわ」
「よし。ではしばらく天守閣を留守にするか。鯱子、今から飛ぶぞ」
「ええっ。飛ぶって、飛べるの?」
「お前、知らないのか。鯱の先祖はインドの摩羯魚(マカラ)だよ。女神の乗り物で、まあ、龍とワニとイルカを足したような魚だよ。もちろん、陸、海、空、自由自在さ」
「そうなの、で、どうやって飛ぶのよ」
「簡単だよ。そら、お前、ひれが四枚あるだろ。鳥みたいにバタバタやれば飛べるよ。長くは飛べないが、東門までぐらいは訳ないさ。後はオアシスまで歩けばいい。俺がやるから見てろよ」
鯱雄はひれをバタバタさせ、口を大きく開け、バックしながら、くわえていた大棟を口から外した。空中に浮かんだ。鯱子も思い切ってひれを動かした。おっとっと。危ない。もっとひれを動かして。そう。うまい、うまい。その調子。では、東門まで飛ぼう。
 鯱雄と鯱子は無事に東門まで飛んだ。午前七時だった。

               ***

 鯱夫婦は尾ひれを地面におろし、身体を腹ばいにして、胸ひれと腹ひれを使って、もたりもたり歩き出した。東門から大津通へ出た。誰もいない。鯱雄が言った。
「この広い道を南に三十分も行けば、そら、あそこにテレビ搭が見えるだろ。すぐ下がオアシスだよ」
「あら、よく知ってるのね」
「そうさ、お前は天守閣で北の方角を向いてるから分からないけど。俺は南を向いてるからな」
「そうね。ところで、なんか臭いわ」
「車の排気ガスだよ。まだ朝だからいいが、昼になると、もっと臭くなるよ」
 地下鉄「市役所前」に来た。出口から出てきた中年男が鯱を見て、おったまげた。
「な、なんだ。金鯱じゃないか。朝から脅かすなよ。どうして鯱がこんなとこにいるんだ。昨日飲み過ぎたからなぁ。幻覚だろう」
男は頭をかしげ、去って行った。
左前方に市役所が見える。鯱夫婦は十字路を市役所に向かって斜めに渡りだした。車が一斉に急ブレーキをかけた。焦げた臭いがした。運転手たちは目の前を通る鯱を、火星人でも見るような目つきで見た。
鯱夫婦は交差点を無事渡り、市役所の前の歩道をゆるりゆるり進んだ。バス停でお年寄り夫婦がバスを待っていた。鯱を見てびっくり仰天! おばあさんは腰を抜かし、おじいさんは直立してしまった。信じられない! 鯱じゃ、鯱じゃ。 
県庁前を通る時、鯱子は咳こんだ。
「鯱雄さん、空気が汚いから、エラがはれてきたみたい。呼吸ができないの」
「そうか、でも、あともう少しだよ。オアシスに着いたらエラを水で洗えば治るよ」
 とは言うものの、鯱雄も呼吸が苦しくなってきた。鯱雄のエラもはれてきていた。
救急車がサイレンを鳴らして走っていった。オートバイ、トラック、乗用車、バスが、ガーガー、ゴ―ゴ―とひしめき、騒音と排気ガスが鯱夫婦を苦しめた。
大津橋のサークルKの前まで来たら、中から可愛い女の子と母親が出てきた。母親は鯱を見て、買い物袋を落としてしまった。女の子は鯱雄に話しかけた。
「鯱さん、鯱さん、どこいくの」
「ああ、お嬢ちゃん、栄のオアシスだよ」
「どうして」
「きれいな水があるからだよ。木も生えてるし。そら、こちらの鯱」
と言って、鯱子の方を振り向いた。
「鱗を泥棒にはがされてね。痛いんだよ。きれいな水をかけて、葉っぱで覆ってやるんだよ」
「えっ、きれいな水って。あそこにはないわ。あっても、頭のずっと、ずっと高い所よ。木も生えてないわ。だから葉っぱもないし。あそこはショッピングセンターよ」
「まさか。お譲ちゃんは、まだ小さいからオアシスの意味が分かってないかな。オアシスと言うのはね、砂漠に水が湧いてるところで、周りに木が一杯生えているんだよ」
「でも、ショッピングセンターよ」
「いや、天守閣から見えるんだよ。楕円形のきれいな池が」
「でも、それは……」
 鯱子が、はあはあと呼吸しだした。早く行かなければ。
「じゃあ、お譲ちゃん、急ぐからね」
 鯱夫婦は、ビルの谷間をもったり、もったり歩き出した。人だかりができてきた。
「鯱だ、鯱だ、金鯱だ」
「どちらが雄で、どちらが雌だ」
「えっ、鯱に雄と雌があるの?」
「あるわよ。雄の方が六センチ大きいのよ」
「へーえ、でも、どこに行くんだろう」    
女子高生がツーショットを撮ろうとして、鯱雄のそばに立って、はい、パシャ。すると、我も我もと、みんなが鯱雄を囲んでバシャバシャ撮りだした。鯱子と一緒に撮る人はいなかった。
地下鉄「久屋大通駅」まで来た。テレビ搭がすぐ左前方に見える。もう少しだ。鯱子の痛みはますますひどくなってきた。鯱夫婦はぜいぜい呼吸をしながら、群衆を押し分けて進んだ。
 地下鉄「栄駅」まで来た。右手に大観覧車が見える。
黒の革ジャン男が鯱雄に近づいてきた。左耳に金細工のイルカのイヤリングがぶら下がっている。金髪だ。
「鯱さん、お願いがあるんですが」
「急ぎますから」雄鯱は言った。
「歩きながらでも、話を聞いて下されば」
「はあ、まあ、それなら……」
「済みませんねぇ。実は昨日ネ、母親が交通事故にあいましてネ、入院したんですよ」
 男の声が涙声に変わった。
「それでネ、鯱さん、入院費が払えないんですよ」
「それはお気の毒ですが……」
「いや、それでですネ、その、言いにくいんですが、あなたの鱗、少し分けていただけませんか。人助けと思って」
 金髪はぺこぺこ頭を下げた。
 鯱雄は鯱子の方を見た。鯱子が言った。
「人助けなら、少しあげたら。それで入院費が払えるんなら、いいんじゃないの」
「よし、それじゃあ」
雄鯱は弱った体をぶるんと震わせ、二枚鱗をはずし、金髪に渡した。
「なんで―、これっぽっち、俺様をなめとるんか、おいみんな、やっちまえ!」
茶髪の男が二人、群衆から飛び出し、鯱雄を押さえた。金髪は鯱雄の頭にまたがり、レンチで鱗を乱暴にはがし始めた。鯱雄は抵抗する力が無かった。周りにいた人達は誰一人止めようとしなかった。錦通大津は大混乱に陥った。
テレビカメラマンや新聞記者がやってきた。彼等は取材に夢中で、鯱雄を守ろうとしなかった。カメラマンは鯱子の頭の上に立って撮影しだした。
 二十分後、鯱雄の鱗は百十二枚全部はがされた。もう誰も鯱とツーショットを撮ろうとする者はいなかった。汚い、不格好な、黒い、不気味な怪魚を気持ち悪く思った。
 午前八時のNHKニュースで鯱騒動が報道された。黒い鯱がアップで映し出された。
 鯱夫婦はあえぎ、あえぎ、桜通大津を左に曲がった。後から物好きがついてきた。鯱雄は痛みをこらえて、歯を食いしばり、鯱子をかばいながら、ひれ足をひきずって進んだ。前方に愛知芸術文化センターが見えた。左には楕円形の巨大な建造物が見える。天守閣からいつも見ている楕円形だ。やっと池まで着いたのだ。しかし、池は空中に浮いている。ここがオアシス21のはずだが……。
鯱雄も鯱子も、はあ、はあ、と呼吸し、激しく咳き込んでいた。もう声を出す力もなかった。早くきれいな水を浴びたい。太陽が身体をジリジリ焼き付ける。葉っぱで身体を覆いたい。呼吸が苦しい。目がもうろうとしてきた。
鯱夫婦は最後の力を振り絞って楕円形の建造物のすぐ下までたどり着いた。
ここがオアシス21のはずだが……。
水はなかった。
木もなかった。
おかしい。鯱夫婦は地上から、吹き抜けになっている地下広場を見下ろした。あっ、ある! 青い水が一面にある。白い波も見える。あそこに行けば……。右手になだらかな坂道があった。
鯱夫婦は坂を下りて行った。野次馬もついてきた。きれいなショッピングセンターが池の周りを囲んでいた。
しかし、水面にテーブルがある。水面を人が歩いている。変だ。
よく見て分かった。青い水と見えたのは地下広場の青い床の色だった。コンクリートの床全面に、三十センチ四方の青色の金網が、ぎっしり敷き詰められている。白い波と思ったのは、ところどころにある白色の金網だ。
鯱夫婦は坂を下りて広場に出た。そこには水も木も花もなかった。あるのは申し訳程度の鉢植えぐらいだ。無機質の空間だ。あの女の子の言うとおりだった。(きれいな水って。あそこにはないわ。あっても、頭のずっと、ずっと高い所よ。木も生えてないわ。だから葉っぱもないし……)
頭上を見あげた。灰色の鉄骨と大小のパイプが縦横に入り組み、巨大な宇宙船の化け物が空をさえぎり、鯱夫婦を圧倒していた。ガラス屋根の水が鈍い光を広場に投げかけていた。
あそこにきれいな水がある。しかし、あんな高い所に登れない。鯱夫婦は絶望した。もう一歩も動けない。鯱子は息絶え絶えで、白目になっていた。
突然、鯱子が尾ひれをぴくっと動かして倒れた。腹を上にして、あえぎ、あえぎ何か言った。群衆が静かになった。
「鯱雄さん、もう、わたし……だめかも……」
すかさず、テレビカメラが鯱子をアップで映し、報道記者がマイクを近付けた。
「今、『ダメかも』とおっしゃいましたが、一体何がダメなのでしょう」
鯱雄は記者を尾ひれで思いっきりひっぱたいてやりたいと思った。
鯱子は鯱雄に向かって一言、一言、ゆっくり言った。
「……鯱雄さん、あなたと初めて会ったのは、一九五九年ね。今年で丁度五十年になるわ。先代が戦争で焼けてしまって……大阪造幣局で生まれて……。天守閣でいつもあなたのこと、誇らしく思ってたのよ。万博開催日の前日のこと覚えてる? あの時初めて別々に、市内をパレードしたわね。でも、それ以外は、私たち五十年間ずっと一緒だったわ。でも……とうとう、別れる時が来たようだわ……」
「鯱子……。情けないこと言うなよ。元気を出せよ……」
鯱雄の目が涙でうるんできた。鯱子の目から涙が流れた。
「鯱雄さん……。ごめんね、鱗を取られてしまって。でも、もういいの。鱗で派遣切りの人が助かれば。本当はね、あなたと、一緒に百年は名古屋城を守りたかったわ……」
「……俺もだよ」
鯱雄も息絶え絶えになってきた。
「鯱雄さん、いろいろ、ありがとう。お先に、逝きます……から……」
「うん、俺もすぐ、逝くから……。あちらで、また会おうな……」
それを聞いて、安心したのか、鯱子は目を閉じた。あえいでいた呼吸が安らかになった。そのまま、呼吸が止まっ……。
「鯱さん! 水と葉っぱを持ってきたわ!」
 女の子の声が響いた。同時に、バシャッと、鯱子の身体に水がかかった。またバシャと。大津橋で会った女の子と母親が水をかけたのだ。テレビを見ていて大急ぎでバケツに水を汲んで車で飛んできたのだ。父親が段ボール箱から葉っぱを取り出して鯱子の身体にあてがった。
それを見ていた鯱雄はホッとして、そのまま腹を上にして倒れた。
群衆は一斉に散らばった。ある人は自販機から天然水のペットボトルを買いに、ある店長は店に戻り、水を取りに、ある人はテレビ搭下の公園で葉っぱを集めに、ある人は自宅の庭の木の葉っぱを取りに、花屋さんは大きな葉っぱを取りに、みんな走っていった。
十五分後、鯱雄も鯱子もきれいな水を一杯浴び、葉っぱも一杯あてがってもらい、エラの汚れも洗い流され、生気を取り戻した。名古屋市民が鯱を救ったのだ。一部始終がテレビで、ラジオで、新聞で報道された。
  
                 ***
 
 翌朝早く、名古屋城の東門に三つの黒い袋が置いてあった。中には鱗が入っていた。正門には、布袋が三つ置いてあった。どの袋にも鱗が入っていた。一つの袋には金細工のイルカのイヤリングも入っていた。
二〇一〇年、元旦。初日の出を浴びて天守閣の雄鯱と雌鯱は、さん然と輝いた。

        (完)

2009年10月17日土曜日

泣きじゃくる声

昭和三十年、私は十歳だった。
ある日、下校の途中、進一が後ろから私に追いついて言った。
「お化け屋敷があるけど、行かへんか」
お化け屋敷、という言葉につられて、私は進一の後について行った。進一の先を、少年が十人ぐらい歩いている。みんなお化け屋敷に行くようだ。
赤トンボが飛び、空が青く澄み切っていた。一体どんな怖い屋敷があるんだろう……。十五分ぐらい田舎道を歩くと、S川があり、川を渡ったところに一軒家があった。みんなその前で止まった。これがお化け屋敷らしい。
見たところ普通の家だ。なんでこれがお化け屋敷なんだ、と思っていると、誰かが「石を投げよう」と言った。みんな、石を拾って、玄関に投げだした。私は、始めは、ただ突っ立っているだけだったが、つられて石を拾い、投げた。玄関は格子戸で、石は木枠に当たって跳ね返った。周りの子は次から次へと石を投げ、格子の枠内のガラスに当てる子もいた。
少しも面白くなかった。みんな、しきりに投げている。私は、またつられて石を投げた。二つ目の石も木枠に当たって、ガラスには当たらなかった。
突然、「誰か来るぞ! 逃げろ!」という声が聞こえた。みんな逃げた。私も逃げた。
翌朝、学校で全校朝礼があった。体育担当の柴田先生が、朝礼台にあがり、全校生徒に向かって言った。
「みなさん、今日は大変残念なことを言わなくてはなりません。昨日、ある人が学校にみえまして、新築中の家が男の子たちに壊された、と言われました。家はS川を渡ったところにあります」
えっ、それじゃあ、あの家だ。あの家はお化け屋敷でなく、新築中の家だったか。
 先生は続けて言った。
「その方は、家を壊していた男の子は本校の生徒だと言われるのです。そこで、みなさん、もし君たちの中に、家に石を投げたり、壊したりした人がいたら、正直に手を挙げて下さい」
石を投げたって? じゃあ僕のことだ。手を挙げなきゃ。
左の列を見ると、進一が手を挙げて私の顔を横眼で見ていた。
お前も手を挙げろよ、と言っているようだった。私も手を挙げた。
柴田先生はしばらく間を取ってから言った。
「他にいないか。いたら正直に手を挙げなさい」
 周りを見た。十人ぐらい手を挙げている。
「今、手を挙げてる者、前へ出てこい!」先生の語調が変わった。
手を挙げていた者は朝礼台の前に進んだ。
朝礼が終わった。他の生徒は校舎の東玄関に向かって行進し、校舎の中に入って行った。後には、私たちだけが残された。運動場が広かった。
 私たちは校長室に連れて行かれ、一列に並んで立たされた。柴田先生は、家がどのように壊されたかを話した。畳が土足で汚され、唐紙や障子や襖が破られ、ガラスが割られたらしい。
おかしい。昨日、誰も家の中に入った子はいなかったのに、誰かが、もっと前に家の中に入ったんだ。
 一時間目の授業が終わると先生方が五、六人校長室に入ってきた。一体どんなド坊主が家を壊したんだ、と言わんばかりの顔をしている。じろじろ私たちを見て、ひそひそ話をしている。私が話題になっているようだ。「あの、左から二番目、あれは、今の生徒会長の弟だよ」と言っているようだ。私の兄は六年生で、生徒自治会の会長だった。
 二時間目の始業ベルが鳴り、先生方は帰って行った。
 柴田先生が言った。
「君たちの他に誰かいなかったか。これで全員か」
誰も答えなかった。
「他にいないんだな。お前たちだけな」
先生は私たちを見渡した。
「間違いないな」
 先生は念をおした。
後藤が言った。
「八十二(やそじ)も、いました」
「八十二? 堂前八十二か」
「はい、堂前もいました」
堂前は、ひょろりと大きく、鼻たれで、いつも先生に叱られていた。遅刻はする、掃除はサボる、宿題はやってこない。授業中寝る。五日ぐらい前に、堂前は、ほうきを持って徹也を追いかけ、廊下のガラスを割ったばかりだった。
なぜ八十二という名前がついたかは、みんな知っていた。四月の自己紹介の時、黒板に「八、十、二」と書いて、「僕は八月十二日に生まれたんや、ほんで、八十二ちゅう名前なんです」と説明した。
柴田先生が言った。
「後藤の他に堂前を見た者はいないか」
「僕も見ました」進一が言った。
「僕もです」私は反射的に言っていた。
一瞬の出来事だった。私は堂前を見ていないのに「僕もです」と言ってしまった。なぜ言ってしまったのか。先生は、堂前もやったと言う確信を欲しがっている。先生の求めているものを提供することが生徒の務めだ。二人の生徒が「八十二を見た」と言っている。自分も「見た」と言っても大勢は変わらない、と思ったのだ。先生に協力することは「いい事」で、「いい子」になろうとしたのだ。勿論、十歳の私は、単純で、この場合、先生に「協力すること」の本当の意味を理解していなかった。うわべだけの、子供心で考えた「協力」だ。朝から立たされ、悪い子扱いされ、先生方から冷ややかな目で眺められ、挽回を計ろうとしたのかも知れない。「僕もです」と言った時、私は黙っている他の生徒に対して、優越感を感じた。他の生徒に差をつけた、と胸を張る思いだった。
他の生徒は黙っていた。先生は他の子には聞かなかった。三人も「証言」があれば、先生としては、もう疑う余地はないと思ったのだろう。まさか私が嘘をついているなどとは思わなかったのだろう。ベテラン教師でも十歳の子の、圧迫された、初めて校長室に立たされ、先生方の目にさらされる時の異常心理までは分からなかったのだろう。そこまで分かる先生は児童心理に通じ、自分自身そういう経験をしていなければならないだろう。柴田先生のような怖い、荒っぽい、大声を張り上げ、生徒を震え上がらせるような先生では到底私のあの時の心理状態など分かるわけがない。それは仕方のないことだ。
早速、堂前が校長室に呼ばれた。
堂前は、私たちの斜め前で「気をつけ」の姿勢で立ち、こちらを、チラッと見た。
柴田先生が言った。
「八十二、お前、この連中と一緒に家を壊していないか」
「僕、やってません」堂前は顔をあげて先生を見た。
「正直に言ったらどうだ」
「僕、やってません」
「嘘を言ったら承知しないぞ!」先生の声が荒々しくなった。堂前は黙って先生の顔をにらんでいる。
 先生は言った。
「ここにいる三人の生徒が、お前が一緒にいた、と言ってるんだ!」
先生は堂前のすぐ前まで近づいた。
堂前は殴られるかも知れない、と私は思った
「僕、やってません。やってません!」
堂前は泣き出しそうな声になった。
「本当か! 嘘をついてるんじゃないだろうな」
「本当です。やってません、やってません!」
堂前は泣き出した。かわいそうになってきた。
「泣いてごまかそうとしたって駄目だぞ!」
先生は、私たちの方を向いた
「さっき、八十二を見たといった者、もう一度聞くが、ちゃんと見たんだな、ええん? 後藤、お前、八十二を見たんだな」
「はい」後藤が答えた。
「西村も清水も、間違いないな」
 二人とも「はい」と言った。私は「はい」と言いながら、大変なことになってしまったと思った。もし、堂前が本当にやっていないなら、とんだ濡れ衣だ。堂前は、しゃくり上げながら泣いている。
「八十二、聞いたか。三人が、お前を見たと言ってるんだ! お前、やったんだろう!」
「やってません!」
パシンという音がした。先生が八十二の頬を平手でたたいた。八十二はさらに殴られるかと思ったのか、右腕で頭を覆って、一歩後によろけた。
八十二は大声で泣きわめいた。
「やってません! やってません! やってません! やってません!」
顔が涙と鼻水でぐしょぐしょだった。本当にやってないのかも知れない。気の毒に思った。しかし、一方では、やってるくせに、やってないと言い張っている気もした。堂前ならありうる。どちらにせよ、僕は取り返しのつかない嘘をついてしまった。いまさら、「僕は八十二を見てません」と言える訳がない。
 先生は、堂前をいったん教室に返した。
 堂前が校長室を出て行ってからも、「やってません! やってません!」と泣きわめく声が私の頭の中でガンガン響いた。
昼になり、給食のパンを食べた。みんな黙って食べた。
午後二時か、三時頃になって、柴田先生が、校長室に再び現れた。
「今から、始末書を書いてもらう。いいか、やったことを全部書くんだ。正直に」
右端の生徒から順番に、校長先生の机の上に置かれた用紙に「罪状」を書くことになった。一人ずつ順に書き出した。私は何と書けばいいのか分からなかった。 
私の番が来た。机の前に立って鉛筆を持った。用紙を見た。縦線に沿って、七、八人の生徒の「罪状」が順番に書かれ、最後の行に、「ぼくはガラスを二まいわりました  
西村登」と書いてあった。次の行が、私が書くところだ。私は鉛筆を持って一瞬迷った。
何て書いたらいいんだろう。僕はガラスを割ってないし、家を壊したりしてない。しかし、今さら、「僕は何も悪いことはしていません」などとは書けない。だって、朝から叱られ、黙っていたから、罪を認めたことになってしまっている。
 先生の視線を全身に感じた。
何か書かねばならない。何かやったことにしなければ。
私はとにかく「ぼくは」と書いた。それから、そのまま、西村が書いた通り、「ガラスを」と書いた。
そこで、また困った。
障子や襖を壊すというような大それたことは、僕はできるわけがない。家の中を荒らすなんて悪い奴だ。せいぜいガラスを割ったぐらいが、僕にあっている。
そこで、「ガラスを」と書いて何枚にしようかと迷った。
一枚でいいのか。一枚では罪をのがれようとして、最低の数を書いたように思われるかも知れない。一枚よりも二枚の方が、罪が大きくて先生も納得しそうだ。
結局「ぼくはガラスを二まいわりました 清水健二」と書いて、机を離れた。
 私は威圧的な雰囲気に飲まれて、それに従順に従うしかなかったのだ。私は生まれて十歳になるまで、兄の後をついて歩き、兄の真似をして生きてきた、兄がなんでも私のために道筋をつけていてくれた。だからか、私は、自主性のない、気が弱い、反抗することを知らない少年になっていた。
 始末書を書き終わってから、また立たされた。
校庭で生徒が遊んでいる声が聞こえる。先生方は誰も校長室に来なくなった。
 放課後になり、掃除の音や下校の声が廊下に響いていた。
午後四時ごろ、私たちは畳敷きの裁縫室に移動した。三人用の長机が、各列三机ずつ、ロの字型に並べてあり、黒板に近い机に柴田先生が座り、その机を囲むようにして、コの字型に並んだ机に生徒が座った。
 しばらくして、校長先生、保護者、担任の先生方が裁縫室に入って来て、それぞれの生徒のそばに座った。母が来ていてくれた。母は私の隣に黙って座り、担任のO先生がその隣に座った。
 まず、校長先生の挨拶があった。それから、柴田先生の話が続き、昨日来校した人の事、家の被害状況、始末書の内容等を説明した。全ての話が終わると、後は担任の先生と保護者と生徒の懇談となった。
 O先生が母に言った。
「健二君は、他の生徒の影響を受けやすいですから」
全くその通りだった。他の生徒、他の人、他のものに影響を受けやすい性格は今も治っていない。
 母は、懇談中、何度もO先生に頭を下げ、二十分かそこらで懇談が終わり、私はやっと家に帰ることができた。授業は一時間も受けなかった。
 学校帰り、母は何か私に言ったと思うが、何を言ったのか覚えていない。
 家に着いた。父はあまり私を叱らなかった。私をきつく叱ったのは兄だった。生徒会長ということもあり、兄の顔に泥を塗ってしまったのだ。兄が言った。
「健二、お前、何やっとるんや、みんな言っとったぞ、お前が朝礼台の前に立っとったって」
 申し訳けないと思った。
家族は自分の味方なのに、「僕はガラスを割ってない、何も悪いことはしてない」と言うことができなかった。そんなことが言える訳がなかった。言おうという意欲も湧かなかった。ただ兄に対して本当に申し訳ないことになってしまったと思った。
二年半後、私はK小学校を卒業し、K中学校に入学した。堂前は大阪に一家転住した。

それから、三十五年経った。私は四十七歳になり。N市の高等学校で歴史の教師をしていた。堂前のことは忘れかかっていた。
 ある日曜日の夕方、いつものようにY川沿いに散歩していると、新築の家があった。何の気なしに真新しい表札を見て驚いた。表札には「堂前八十二」と書いてあるではないか。
えっ、堂前がここに住んでいるのか。あの八十二が……。
この「堂前八十二」は、あの「堂前八十二」だと確信した。と言うのは、堂前などと言う苗字は、それまで生徒を延べ四、五千人は教えていたが、誰ひとり「堂前」と言う生徒はいなかった。また、「八十二」という名前の生徒もいなかった。要するに、苗字も名前も両方ともめったにない名前なのだ。恐らく何万人か、何十万人に一人だろうと思ったから、あの堂前に間違いないと確信したのだ。
家をじろじろ見ては怪しまれるから、知らぬ顔をして、その家をやり過ごし、二十メートルぐらい歩き、さも何か忘れ物をしたような足取りで、またその家に引き返し、家の前を通り過ぎる時、もう一度表札を見た。「堂前八十二」。間違いない。
 急に三十七年前の、校長室の風景が、柴田先生の顔が、母の何度もO先生に頭を下げていた姿が蘇った。堂前の「やってません! やってません!」と言う声が聞こえた。あれ以来ずっと心の奥底に閉じ込めておいたものが、急に私に襲いかかってきた。
 私は足早に、半ば顔を伏せて、その場を立ち去った。堂前に見つかってはまずいと思ったのだ。嘘の証言をしたことに引け目を感じていたのだ。
その日以降、散歩コースを変えた。しかし、別のコースを散歩していても、堂前の姿がちらついた。堂前は大阪から、故郷のO市に帰らず、N市に引っ越して来たのだ。しかも私の家の近所に。もし、ばったり会ったらどうしよう。私だと分かるだろうか。堂前の顔は変わっているだろうか。「やってません」は狂言で、本当はやっていたのだろうか。頭の中が小学校四年生の時と同じ心理状態になった。嘘を言った後ろめたさと、堂前は本当はやってるんだ、という開き直りの心理だ。
 四回散歩すると、その内の一回は、足がどうしても堂前の家に向いてしまった。
 堂前の家の前を、素知らぬ顔をして、目と耳を最大限に敏感にして、通り過ぎた。家の中の様子は分からない。私は、本当に堂前に会いたい訳ではなかったが、反面、会って、詫びなければならないと思っていた。しかし、もうかれこれ四十年は経っている。堂前は忘れてしまっているかも知れない。
玄関に呼び出しブザーがある。あれを押しさえすれば、堂前が顔を出すかもしれない。しかし、わざわざブザーを押して、詫びるべきほどの事なのだろうか。自分は自責の念はある。それをずっと押し殺してきたのだ。このまま押し殺したまま生きていくことだってできる。
 堂前の家を発見してから、二カ月経った。その頃、C大学が歴史学専攻(修士課程)社会人コースを新設した。仕事を持っている社会人のために、夜間開講する大学院だ。私は、かねてからジュリアス・カエサルのガリア遠征に興味を持っており、『ガリア戦記』の研究をしていたから、思い切って大学院入学試験を受験した。小論文、面接があり合格できた。その後二年間は、昼間は高校で歴史を教え、夜間は大学院で学ぶことになった。 
 大学院生になってから、多忙を極めた。学校の仕事がある。部活動の仕事がある。授業の下調べがある。試験の採がある。そこへ大学院の研究が加わった。五分でも、一〇分でも時間が貴重だった。学校を終えて大学まで車を運転した。途中、赤信号で停車する一、二分でさえも文献を読んだ。週末に悠長に散歩などしておれなかった。修士論文を仕上げる頃は、晩飯を食べながら、資料を読んだ。もう堂前のことなどどうでもよかった。頭の中はカエサルのことで一杯だった。
二年後、論文を提出して審査が通った。五十歳になっていた。
大学院を修了すると、また週末に散歩を始めた。久しぶりの散歩だ。足がひとりでに堂前の家に向かった。なんだか懐かしい。家の方に近づくにつれ、心臓の鼓動が速くなってきた。屋根が見えてきた。それから、門柱が見え、家の前まで来た。玄関先のシュロの木も変わっていない。通り過ぎながら表札を見た。「伊藤幸治」と書いてある。
えっ、どうしてだ。どうして「伊藤幸治」なんだ。
玄関に近づき、もう一度表札を見た。「伊藤幸治」だ。堂前は引っ越してしまったのだ。新築の家から引っ越すとは、何かよほどの事情があったのか。
堂前が引っ越して、半分安心し、半分残念に思った。詫びるチャンスも、真実を知るチャンスもなくしてしまった。もっとも、堂前に面と向かって詫び、真実を聞く勇気もなかったが……。とにかく緊張が解けてしまった。その後、堂前のことは次第に忘れていった。

それから、十年経ち、私は六十歳になった。
初夏のある日、K小学校から同窓会の案内が届いた。私はN市に引っ越してから、めったに同窓会には出ていなかった。しかし、今回は還暦の同窓会だ。きっとみんな集まってくるはずだ。これは行かねばなるまい。同時に、堂前のことが思い出された。堂前も来るかも知れない。会うとまずい……。校長室の風景がよみがえってきた。堂前の悲痛な叫び声が聞こえてきた。しかし、会いたい同窓生も沢山いた。進一も、登も、徹也も来るだろう。堂前一人のために、行かないのもしゃくだ。
堂前があの事を私に問い正したら、何と答えればいいのか。堂前は、「俺はやっとらへんのに、お前、俺を見たと言うなんて、なんという大嘘つきや」と言うかも知れない。しかし、進一も、後藤も堂前を見たと言っている。本当は、堂前は家の中に入って、建具をめちゃめちゃにした可能性だってあるんだ。その時、進一や後藤が一緒だったかも知れない。大体、そんな昔の話題が出るとは限らない。堂前が来ていても知らん顔をしていればいい、しらばっくれればいい、ひと間違いだったと、謝ればいい。逆に、堂前の方から、「実は俺、中に入って障子を壊してたんだよ」と言うかもしれない。とにかく同窓会に行くだけ行って、後は出たとこ勝負だ……。
同窓会はお盆の十四日に、O市のホテルの宴会場で開かれた。受付で名札をもらい、胸につけ、会場に入った。七、八十人ぐらい集まっていた。先生方も二、三人来ていたが、O先生は来ていなかった。もう八十歳過ぎだから無理だろう……。進一も来ていなかった。
開会の挨拶と乾杯があり、みんなワイワイ、ガヤガヤ、相手の名札を見て、ああ、XX君か、あれ、OOさん、久しぶりだなぁ、と言い合い、歓談し、飲み、笑い、食べ、肩をたたきあい、握手をし、名刺を交換した。みんな昔と全然変わっていなかった。
 歓談しながらも、私は、堂前のことが気になっていた。ビールの入ったグラスを持って、人混みをかき分け、胸の名札を見て回った。堂前はいなかった。なんだ、取り越し苦労かと思ったが、安堵の気持ちもあった。
 念のため、受付をしている徹也の所へ行って堂前が来ていないかどうか尋ねた。
「堂前って、あの八十二か」
「そう、八十二、今日来てるか」
「お前、知らないのか」
「えっ、何を」
「そうか、お前、確かN市に引っ越してったからなぁ、八十二は死んだよ」
「ええっ、死んだって……、いつ、いつ死んだんだ」
「そうだなぁ、もう十年ぐらい前だ」
 十年前と聞いて、急に散歩中に見た「堂前八十二」という表札を思い出した。
「どこで死んだんだ」
「さあ、そこまでは知らないが。どうして」
「いや、ちょっと……」
 堂前は死んだのか。死んでしまったのか。周りの雑踏が急に消え、自責の念がずしりと、のしかかった。
悪いことをした。この問題は、堂前が家を壊した、壊さなかったには関係ないんだ。あの場で「いい子」になろうとして、嘘をついたことが問題なのだ。俺は悪い子だった。どうして十年前、散歩のとき、堂前の家を訪れ、詫びなかったのか……。
 しかし、しかし、実際、詫びただろうか……。死んでしまったから、死んでしまったから、そう思うのかも……。
 堂前の泣きじゃくる声が聞こえてきた。
「やってません! やってません! やってません! やってません!」
                     
 完

百日紅(さるすべり)のそばに

「もしもし、そこで何してるんですか」
反射的に隆司は遺灰の入った袋を身体の後ろに隠した。
「今何を隠したんですか。白い粉をまいてたようでしたが」
「いえ、その……何でもないんです」
「何でもないのに、どうして柵の中に入ってるんですか。それから、その足元の石は何ですか」
隆司は百日紅の木を囲っている柵の中に立っていた。足元には弁当箱ぐらいの大きさの緑色の石が地面に置いてある。
「いえ、あの……この百日紅があまり見事なので、つい触りたくなって……」
「そんな見え透いた嘘を言って。何を隠してるんですか」
植物園の職員は柵をまたいで中に入ってきた。五十五歳ぐらいで、カーキ色の作業服を着ている。
隆司は、どうしようもなかった。観念して隠していた袋を渡した。職員は中を見て言った。
「この白い粉は何ですか」
職員は袋の中に手を入れて、遺灰を指でつまみ、目元に持っていってじっと見つめた。
「これは、もしかして……遺灰じゃないですか」
「はあ、実は……その……」
「あなた、遺灰をまいていたんですか」
「はあ、実は……」
「ここは東山植物園ですよ。こんなところで遺灰をまいてもらっては困りますね。海や川ではあるまいし。それからその石は何ですか」
隆司は石を拾って渡した。石には小さな文字で「2007. 7. 25 後藤フミ子 永眠 八十八歳」  
と、墨で書いてあった。
「何ですか、これは。小さいけど墓石じゃないですか。あなたね、東山植物園をお宅の墓にするつもりですか。非常識ですよ」
「はあ、済みません。それは分かっていますが……」
「分かっていて、どうして遺灰をまくんですか」
「いえ、その、死んだ母の遺言で……」
「遺言?」
「はあ」
「ちょっと、あなた、公園事務所まで来て下さい。困った人だ。袋と石はお預かりしますよ」
 隆司は園内専用車に乗せられた。
 植物園の閉園時間を告げるアナウンスが聞こえた。
「本日は東山動植物園にお越し下さいましてありがとうございました。本日はこれにて閉園させていただきます。またのお越しをお待ちしております」
アナウンスが終わると「蛍の光」がゆるやかに園内に流れ出した。
これより二十分ぐらい前、隆司は合掌造りの縁側に腰かけて、庭にある百日紅の木を見ていた。四時三十分ごろに職員が来て「今日はこれで終わりです。雨戸を閉めますよ」と言って、合掌造りの雨戸を大きな音を立てて閉めて帰って行った。それからあたりが静まり返り、人っ子一人いなくてしまった。隆司は今がチャンスだと思って百日紅を囲ってある柵を乗り越え、木の根元の周りに散骨し始めたのだった。
事務所に着くと職員は植物園の園長に電話をした。事務所は入口近くに応接セットがあり、奥の窓際に机が二つ並んでいた。そのうちの一つの机にはノートパソコンが置いてあった。
 しばらくして園長が現れた。
「どうしたんですか、西山さん」
「はあ、この男です。今電話で話した人は。合掌造りの庭の百日紅に遺灰をまいてたんです。これが遺灰の袋と墓石です」
西山はテーブルの上に袋と石を置いた。
隆司は園長から顔を背け、帽子のツバを深く下に引いて顔を隠し、うなだれていた。
「あなた、こちら、園長ですよ。帽子を取って下さい」
隆司は下を向いたまま、帽子を取らなかった。
「あなた、失礼でしょ、帽子を取ったらどうですか」
隆司は、しぶしぶ帽子を脱いだ。
園長は隆司の顔を見てびっくりした。
「先生、後藤先生じゃないですか。いやぁ、驚いた。どうしたんですか、一体」
「えっ、園長は、この人をご存知ですか」
「ああ、高校の時の英語の先生だよ。頑固先生で、よく叱られたよ」
「そうですか、園長の先生でしたか」
西山は隆司の方を見て言った。
「あの……そうとは知らず、どうも失礼しました。でも遺灰は……いや、それじゃあ、私はこれで失礼します」
「あっ、西山さん、別に席をはずさなくていいよ。来月のドライフラワーの案内、あれ、もう済みました?」
「いえ、もうすぐです」
 西山は奥の机に行って、ノートパソコンに向かって座った。
「先生、お久しぶりです。全然変わっていませんね。お元気そうで。どうぞ」
園長はソファを示した。
「いや、もう白髪のじじいだよ。君はもう何歳になるね?」
 隆司はソファに腰を下ろし、園長も対面の椅子に座った。
「もう五十です。確か先生と年が十歳違うはずですが」
「そう、わたしはもう六十だよ。来年三月で定年だ」
「でも、先生、お顔はちっとも変わっていませんね。卒業して……もう三十年以上経ちますが。早いものです。で、先生、今日は一体どうしたんですか」
「いや、いや、君には全く面目ない。君が園長ということは知っていたが、君に頼むと返って迷惑になると思って、黙って自分でやろうとしてね、見つかってしまったんだよ」
「ご自分でやるって、遺灰をまくことですか」
「うん、お袋の遺灰だけど、遺言でね。どうしても合掌造りのそばの百日紅にまいてくれと言い残して逝ったんだよ」
「遺言ですか。でも、どうして百日紅なんでしょう」
「話せば長くなるが……。お袋は、今年八十八歳だったんだが、生まれてからずっと白川村に住んでたんだよ。合掌造りの白川村にね。ところが、三年前、夫を亡くしてね」
「夫って、先生のお父さんのことですね」
「そう。親父が三年前に亡くなってね。それで、お袋は一人暮らしになったんだ。でも、もう、年取ってるし、一人暮らしは不自由だから、名古屋に来て、わたしの家族と一緒に住むように勧めたんだよ。マンション暮らしだけどね。でも、お袋は嫌がってね。まあ、その気持ち、分からんでもないがね」
「そりゃ、そうですよ。合掌造りからマンションに変わるのでは全然違いますから」
「その通りなんがね。一年ぐらい前に、畳の縁につまづいて転んでね、足の骨を折ってしまったんだ。それで、その機会に名古屋の病院に入院させたんだよ。」
隆司は外を見た。雨が降ってきて、北側の窓から雨が降り込み、木の匂いのする湿っぽい空気が事務室に入り込んできた。西山は立ち上がって、北側の窓を全部閉めた。木々が風雨で揺れだした。
「えっと、どこまで話したかな」
「お母さんが、名古屋の病院に入院されて……」
「そう、それで、退院してから、名古屋に一緒に住むことになってね。でも、お袋は名古屋の生活になじまなくて……そりゃ、九十年近く住んだ田舎からこんな都会に出てきて住むなんてね、かわいそうとは思ったんだけど、しょうがないからね」
「私も、母が富山で、一人暮らしなんですよ」
「そうか、ゆくゆくは考えないとね。それでね、お袋は足が治って、歩けるようになってからは、白川村に帰りたい、合掌造りに住みたいとか、マンションは嫌だとか言い出すんだ。それで、困ってたら、女房が、東山公園に合掌造りがあることに気が付いてね、一度お袋を連れて来たんだよ。お袋、感激してね。涙を流して喜んだよ。本当に涙を流してだよ。よほど白川村に帰りたかったんだ。わたしもお袋を見ていて涙が出てね。ふる里って、いや、合掌造りって、お袋には命みたいなものだったんだよ。よほど合掌造りが懐かしかったんだろう」
 隆司の目が涙で潤んだ。園長は黙って聞いていた。
「でもね、お袋の望むように白川村で一人暮らしはさせられないからね。どうしようもないんだよ。核家族の悲劇だよ。せめて東山公園の合掌造りにお袋を連れて来るのが精一杯の親孝行だと思ってね。親孝行なんて、大げさだけど……。それから、毎月一回か、二回はここの合掌造りに来ていたんだ」
「そうでしたか。声をかけて下されば、すぐ来ましたのに……」
「君も園長で忙しいだろうしね。それでね、お袋は、ここの合掌造りが大変気に入ってね。来ると必ず顔がおだやかになるんだよ。観音様のような顔になるんだ。マンションにいる時は、何か構えていると言うか、緊張していると言うか、般若の顔と言っては言い過ぎかもしれないがね、きつい顔をしてたんだ。それに、ここは景色もいい。木が多くて、空気もいいし。鳥も鳴いてるし。合掌造りと、この景色全体がお袋の心をほぐしたんだろうなぁ……そう、英語のフィール アット ホームっていうやつだよ。フィール アット ホームだよ」
「ええ」
「ところがね、半年ぐらい前から、だんだんボケてきて、植物園の合掌造りの家が自分の家だと思うようになってね。区別がつかなくなってしまったんだよ。実は、白川村の家の庭にも同じように大きな百日紅の木があってね。お袋が親父と結婚した時に、記念に百日紅の苗を植えたんだ。お袋は二十歳で嫁いで来たから、もう七十年近くその百日紅と共に暮らしてきたことになるんだ。で、お袋はここの植物園の合掌造りのそばの百日紅を見て……あっ、このまま話し込んでいいのかい。園長の仕事って忙しいんだろ」
「いいんですよ。今日の仕事は終わりましたから。会議もないし、どうぞ続けて下さい」
「そうか、で、お袋はここの百日紅の木を見てね、あれは父ちゃんと一緒に植えた木だ、と言うんだよ。お袋はね、親父のことを父ちゃん、父ちゃん、と言っていてね。で、お袋は、わしはこの百日紅を見ながらよく父ちゃんと一緒に縁側でお茶を飲みながら話をした。この百日紅を見ると父ちゃんの顔が見える、父ちゃんの声が聞こえる、なんて言うんだ。幻覚とか言うやつかね。まあ、お袋にとっては親父と百日紅が一心同体になってしまったようでね」
園長は隆司の話を聞きながら、自分の母親のことを考えていた。今でこそ、富山で一人暮らしで、ボケもせず元気に暮らしているが、そのうち先生の母親のようにボケてしまうのかなぁ、と考えていた。
「君のお母さんも、一人暮らしだそうだが、どう、お元気かい」
「はあ……今のところ……。今、先生のお話を聞きながら、そのことを考えていたんですよ。わたしの考えていることがよく分かりまますね」
「そりゃ顔を見てれば分かるよ。長年教師をやってたから、生徒が何を考えているかぐらいすぐ分かるよ」
「そうですか、それで、一心同体のようになってしまったとかで……」
「それでね……。その、遺言だよ。お袋は、わしが死んだらあの百日紅の木に骨をまいてくれ。そうすれば、父ちゃんと一緒になれる、と言うんだ。無理もないね。ここの百日紅の木を父ちゃんと思っているからね。で、お袋は、お墓に入るのは窮屈で嫌だ、散骨にしてくれ。百日紅の木に散骨してくれと、わたしの目を見て、真剣に言うんだよ。ボケてはいるんだが、真剣なんだな。そんなわけで、先日、四十九日の法事が終わってね、今日、遺灰を持って来たんだ……。ま、そういうわけだよ。長いこと、つまらん話をよく聞いてくれた」
「いえ、全然。つまらないどころか。人ごとではないですよ……そうですか、分かりました。あの、……ご遺灰を見せてもらってもいいですか」
「ああ」
園長は遺灰の入った袋を開けて中を覗き、次に石を取り上げ、書いてある文字を読んだ。
「先生、この石は?」
「ああ、それは、墓碑というか、散骨した印の石にしようと思ってね。白川村の庭石だよ」
「この石を百日紅のそばに置くつもりだったんですね」
「まあ、そういうことだが、あまり目立つといけないから、石の下半分は地面に埋めようと思ってたんだ」
あたりが薄暗くなってきた。雨はいつの間にか止んでいた。
「実はね、遺骨をどうしようかと迷ってたんだよ。お袋が亡くなってから、ボケ老人の言う言葉だから、その通りにしなくてもいいとは思ったんだが、一方で、たとえボケてても、あの最後の頼み方は真剣そのものだったから、その通りにしなきゃいかんと思ったりもしてね。つまり、白川村の先祖代々の墓に遺骨を入れるべきか、ここの百日紅に散骨すべきか大分迷ったんだよ。で、まあ、考えがまとまらず、一部は白川村へ、残りはここへと思ったんだ」
「そうですか。しかし、先生、困りましたね。東山公園は名古屋市のもので、私有地ではありませんからねぇ……。散骨と言うのは海や川や私有地の庭なんかはいいそうですが。先生の頼みとあれば、他のことならお聞きしてもいいのですが、その、何しろ……」
「済まん、済まん、だから、君が困ると思って、黙ってまこうとしたんだよ。いや、本当に申し訳ない。教職の身でありながら、世間の常識を破るようなみっともないことをして、申し訳なかった。あちらの職員の方に見つかって、返って良かった。何しろ母はボケてたから、ボケの言うことをまともに受け取ったのがそもそも間違ってた。遺灰は全部白川村の墓に入れることにするよ……。大体、親父の骨は白川村のお墓に入ってるんだから。そこにお袋の遺灰を入れれば一緒になれるし……。一人でどうしようかと考えていると、変なことを考えるようになってね。これも年のせいかも知れん。今日は済まなかったな。それに大分時間を取ってしまって……」
 と、隆司は言ったものの、本心では諦め切れなかった。近い内にもう一度トライしてみようかとも思ったりした。しかし、これだけ園長の前で、きっぱり、もう止めると言ってしまった以上、遺灰を百日紅の木にまくことは諦めざるを得なかった。もし、こんど捕まったら、教え子の園長の顔丸つぶれになってしまうし、第一、定年を前にして、教師の恥さらしになってしまうと思った。
「先生、済みませんね。ご期待に添えなくて」
「いやいや、こちらこそ迷惑をかけた。それじゃ、これで失礼するよ」
「あっ、先生、明日からチューリップの球根を来園者に配るんです。よろしければ、持っていって下さい。大きな赤い花を咲かせます」
園長は西山に球根を持ってくるように言った。それからは、高校時代の思い出話になった。
しばらくして、西山が球根を数個入れた袋を持ってきた。園長は袋を受け取って、隆司に渡した。
「どうぞ」
「ありがとう。女房が花好きでね。喜ぶよ」
「先生、じゃあ、この袋と石をお返しします。気をつけてお帰
り下さい」
 隆司は、袋と石を受け取って、鞄を合掌造りの前のベンチに置き忘れてきたことに気がついた。
「しまった。鞄をベンチに置き忘れてきた」
「えっ、ベンチって、どこの?」
「合掌造りの前のベンチだよ。どうも、物忘れがひどくなっていかん」
園長は西山に言った。
「西山さん、先生が合掌造りのベンチに鞄を置き忘れられたそうだ、車で先生を合掌造りまで乗せていってくれないかね」
「わかりました」
 西山はコンピューターから目を離し、園長の方を見て答えた。
 隆司は西山に言った。
「どうも済みません。ご迷惑ばかりおかけして……それじゃ、澤田君、じゃなくて、園長さん、お元気で。また来るよ」
「先生もお元気で」
 隆司は先ほど乗った園内専用車に乗り、合掌造りに向かった。
「西山さんとかおっしゃいましたか。どうも済みませんねぇ」
「いえ、先生とは知らずに失礼しました」
 日がとっぷりと暮れていた。林立している樹木のシルエットが満月に照らされて揺れている。車のヘッドライトが静まり返った薄暗い公園の路を照らしていた。
「先生、実はわたしの母もフミ子と言いましてね。名前が先生のお母さんと同じなんです。フ、ミ、はカタカナで、漢字の『子』です。今年八十五歳ですよ」
「それはまた、偶然ですね」
「はあ、先ほどのお話を聞いていて、自分の母の話かと思って聞いていたんです。あの、盗み聞きして申し訳なかったんですが」
「それはかまいませんよ」
「散骨は止められるんですね」
「まあ、仕方がないですね」
 車は奥池の脇の道を進み、水車小屋を通り過ぎて、合掌造りの前に出た。
 車のエンジンを切ると、不気味な静けさが広がり、一面に虫の声が聞こえてきた。二人は車を降りて、西山が懐中電灯を照らし、先に歩き、隆司は後に続いた。合掌造りの前庭のベンチのところに来ると、鞄はベンチの上にあった。
「ありました。ありました。どうも、お世話になりました」
「良かったですね。先生、……あの……本当は、散骨したいのでは……」
「本音はね。でも……」
「それじゃ、わたしがお手伝いしますよ。真っ暗ですし、誰もいませんから、今のうちにどうぞ」
 と、西山は言って、柵の中に入り、百日紅の木の根元を懐中電灯で照らした。

                       完