2010年1月12日火曜日

ニューカレドニアの名ガイド (旅行記)


 この夏ニューカレドニアに行ってすばらしいガイドに会った。
 ガイドはフランス人のムッシュ・フランソワ。四十歳ぐらいのやさ男。ユーモアがあって博識多才。日本語が上手で料理がうまい。
 午前八時十九分、フランソワさんはホテルのロビーに私達を迎えに来た。これからリビエルブルー州立公園ツアーに出発だ。
「フランソワ、デス。ドウゾヨロシク。少シ遅レマシタ。スミマセン」と言ってツアーに参加する四人(私と妻、二十代の女性二人)と握手をして、私達はマイクロバスに乗りこむ。途中、二つのホテルで二組のカップルと青年をピックアップ。
フランソワさんは全員がそろうと「アン、ドウ、トロワ、カートル……」とフランス語で数えて、「オールトゥゲザー、テン、インクルーディング、ミイ。全部デ、私モイレテ、十人デス」と英語と日本語で言って、いよいよ出発。ガイドはフランス語、英語、日本語のチャンポンでなされた。
 目的地まで約四時間のドライブだ。フランソワさんは、首都ヌメア市の博物館、教会、図書館などを説明しながら、子供時代の話をした。ココティエ広場公園を通過するとき、「私ガ子供ノ時、コノ辺リハ、海岸デシタ。泳ギマシタ。デモ、今ハ埋メ立テマシタ」と説明してくれた。
 フランソワさんによるとココティエ広場公園はニッケルや鉄鉱石を掘り出した時に出た土や廃棄物で埋め立てて作ったと言う。ニューカレドニアは世界有数のニッケル産出国だそうだ。
バスはヌメア市を離れ、山道にさしかかる。道の両側がうっそうと茂った樹木に変わる。赤茶けた、なだらかな山が木の葉を通して遠くに見える。
周りの景色が木ばかりとなると、説明するものがない。「右に見えますのは木です。左に見えますのも木です」では話にならない。普通のガイドならこうなると、ダンマリを決め込み運転一筋になるだろう。しかし、フランソワさんは違っていた。それからの約一時間、説明に次ぐ説明だった。
 一体何の説明? 驚くなかれ、ニューカレドニアの誕生から説明をしだした。ジュラ紀か白亜紀かなんだか分からないが、二億年か二千万年前の話から始まった。その頃はオーストラリアとニューカレドニアが陸続きになっていて、地球のマグマか地殻変動かでオーストラリアの東側、すなわちニューカレドニア側の陸地の一部が沈没し、ニューカレドニアはかろうじて海に沈まず、島として残ったらしい。地学の講義を受けているようだった。
 今まで私は二十カ国ほど海外旅行をしているが、恐竜時代からその国の成り立ちを説明するものは皆無であった。
 説明も熱がこもっていて、左手でハンドルを握り、右手を空中に挙げ、激しく動かしながら説明する。時には、左手もハンドルから離し、両手を頭上に挙げ、左手はオーストラリア大陸、右手はニューカレドニア島のつもりで「ココガ海ニ沈ミ、ニューカレドニア島ガ出来タ」と説明する。危なくてヒヤヒヤだった。
マイクロバスは、山の奥へ奥へと入っていった。フランソワさんは相変わらず、両手をハンドルから離したりして熱烈な説明を続ける。道は広い直線道路ではない。対向車が来たらすれ違いが出来るか出来ないぐらいの狭い道で、曲がりくねっている。それを猛スピードでキキキーと曲がってしまう。私は遠心力で窓から何度も飛ばされそうになった。
説明は続く。今度はニューカレドニアの住民についてだ。なんでも千八百七十何年かに三千人のフランスの政治犯がニューカレドニアに島流しになり、七年後に彼らは「フリーチケット、タダチケットデ、フランスニ帰リマシタ」そうだ。
次に、南太平洋に浮かぶ島々の説明になった。すなわち、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアの違いとそれぞれに属する島の名前を次から次へと説明しだした。ソロモン諸島とナントカ島はナントカネシアに属し、マリアナ諸島とナントカ島はナントカネシアに属するとか。左手にハンドル、右手で空中に南太平洋の島の位置を示しながらの説明。ああ、地図があればなあと思った。
ガイド氏は次にニューカレドニアの名前の由来を話しだした。キャプテン・クックが千七百何十何年かにこの島を望遠鏡で発見し、よく島を見たらスコットランドの山の形をしていたから、スコットランドの別名であるカレドニアにちなみ、ニューカレドニアと命名したと言う。スコットランドはイギリスがローマ帝国に支配されていた当時、カレドニアと呼ばれていたそうだ。
フランソワさんの説明は尽きることがなかった。ニューカレドニアだけに育つ花とか木とか鳥の話、ラテン語由来の地名や動物の話、ニューカレドニアの宗教や民族の話など、どんどん話してくれた。
景色の良いところではバスを止め、写真を撮る機会を与えてくれた。「ワタシ、運転手、ガイド、カメラマン、コック、何デモシマス。二人ノ写真トリマス」と言って私達夫婦の写真を取ってくれた。
ヌメアから一時間ドライブして森林博物館に到着。トイレ休憩とジュースだ。ほっと一息しているとフランソワさんがダンボール箱を両脇に抱えて登場。私達九人は彼を囲んで館内のフロアーに座った。
彼は一つの段ボール箱から約十種類の杉の実の標本を、もう一つの箱からは十個ぐらいの鉱物のサンプルを取りだして私達の前に並べた。植物学と地質学の講義の始まりだ。
講義内容はほとんど忘れてしまったが、取り出した杉は何でもニューカレドニアにしかない杉で、その種子はインドネシアやブラジルから鳥や海流によって運ばれたものだそうだ。赤茶けた杉を手に取って「コノ杉ノ葉ニハ、トゲガナイ。何故デスカ。野生ノ動物カラ種子ヲ守ラナクテモ良イカラ」と言って、松カサのような形の杉の実を空中にかざして私達に見せ、葉を一枚一枚はがして飛ばした。
次は鉱物の講義。「ニューカレドニアハ、マグマガ隆起シテデキタ。ダカラ、珍シイ鉱物ガ沢山アル」と言って、鉄鉱石とかニッケルの原石とかナントカ石とかを見せ、一つ一つの石の説明をして、私達に石を持たせてくれた。鉄鉱石は重かった。
次に森林博物館の回りに生えている草花を指差して、「コノ島ノ土ハ鉄分ガ多イ。酸性土壌デス。普通、酸性土壌ニハ植物ガ育タナイ。何故ココデハ育ツノデスカ? 不思議デス。土壌ノ中ノ、バクテリアノ、オカゲ」などと、かなり専門的な講義をしてくれた。
講義が終わって再出発。三十分ほど山道をさらに奥地に走ると、やっとリビエールブルー州立公園に到着。まず目につくのがヤテ湖。川をダムでせき止めてできた人造湖だ。上高地の大正池のように、湖の中にひょろ長い木が林立していて風情がある。湖を囲む山並は穏やかな曲線を描いている。森林の中のオアシスだ。
「ココデ二十分、休ミマス。トイレハ、アソコノ小屋デス。シカシ、女性ダケ使エマス。男ノ人ハ森ノ中デス」と冗談。
時間は十一時頃だ。昼飯は湖の対岸のキャンプ地でバーベギューだそうだ。元気が出る。休憩後、湖にかかっている橋を渡ることになる。幅の狭い木の橋で欄干がない。車は通れないので、ここで全員が下車する。歩いて渡るのだ。
「今カラ、橋ヲ渡リマス。コノ橋ハ女ノ人ハ禁止デス。ダカラ、女ノ人ハ、泳イデ下サイ」とまた冗談。
橋は板張りで丁度スノコのようになっており、板と板の隙間から湖が足の真下に見えておっかない。
橋を渡ると対岸に待たせてあった車に乗るのだが、車が小さい。運転手の座席をいれて九席しかない。フランソワさんは二人の若い女性に「アナタ達ハ車ノ、ナービゲーターデス。スミマセン、助手席に二人乗リマス」とお願いする。二人は助手席に詰めて乗る。全員乗り込んで、出発するときにフランソワさんは助手席の二人に「ナービゲーターサン、マッスグ行ケバ良イデスカ」と尋ねる。窮屈そうな二人も「はい、まっすぐです」と答える。
ヤテ湖から二十分ぐらい走ると熱帯雨林の真っ只中に入り込む。クククク、グヮグヮグヮ、コーコーと、鳥の声がいっぱい聞こえる。ジャングルだ。今からニューカレドニアの国鳥カグーを見るのだ。このあたりに五羽生息しているらしい。カグーはニューカレドニアにしか生息していない。
「クワクワッ、ククー、クワクワッ、クククー」とフランソワさんが鳥の鳴き声をだした。両手の指をほら貝のように丸めて、唇に当てている。この鳴き声を聞いて、カグーが出てくるらしい。しかし五分たっても十分たっても出てこない。そこで、車に装備してあるテープレコーダーを再生して鳥の鳴き声をボリュームいっぱいに上げて森に響かせる。すると、木の茂みから可愛いカグーが一羽、道に出てきた。大きさは鶏より一回り大きめ。羽根は全体が白。くちばしと目と脚が赤。頭はトサカがなく、ツルンと丸い。目がくりくりっと丸い。後頭部に十センチほどの羽根が垂れ下がっている。愛嬌があって人懐っこい。カメラをすぐそばに向けても全然動じない。人間を信用している。そのうちに親鳥と思われるカグーが二羽登場。さらに道の反対側の木立からも、もう一羽現れて合計四羽が私達のそば寄ってくる。ここぞとばかりシャッターを押した。カグーはしばらく私達のそばにいて、それから森に帰っていった。
その後、車を十五分ぐらい走らせ、広場に到着して下車。そこから細い道を奥に向かって一〇分ぐらい歩くと、ニューカレドニアにしか生えてないというカオリの巨木に着いた。「樹齢千年。幹の直径三メートル。高さ四十メートル」と立札に書いてある。幹は白く、触ると湿っていて苔が生えている。巨木の梢を見ようとしても、周りの木の葉が邪魔になって見えない。首が痛い。
「ココカラ、散歩デス。三十分グライ、コノ山道を歩クト、キャンプ場デス。私ハ先ニ行キマス。バーベキューノ準備シマス」とフランソワさんは言って、先に車でキャンプ場に向かった。
山道は傾斜がゆるやかで赤茶色だった。フランソワさんによると、山や道が赤いのは鉄分を多く含んでいるからだそうだ。道の両側からトンネルのように覆いかぶさった青緑の葉がキラキラ輝いていた。
キャンプ場に着いた。昼飯だ。清流のそばに長い木製のテーブルがあり、その両側のベンチに五人ずつ座って、地元の「ナンバーワン」という銘柄のビールで乾杯! 料理は全部フランソワさんのお手製(奥さんが前の晩に手伝ったかも)。サラダ、パン、エビ、ジュース、ソーセージ、レモンなど。メインは鹿肉。先ほどフランソワさんがうちわでバタバタ扇いでジュージュー焼いていた。ビールと鹿肉と鳥の声。最高! 最後はデザートにパイを食べ、コーヒーも出てすばらしい昼飯だった。  
昼食後は自由時間。みんな思い思いに清流に行って河原で遊ぶ。水が澄み切っていて冷たい。
私はフランソワさんに「どうしてあなたはそんなにいろいろなことを知っているのですか」と尋ねた。答に感心した。「オ客様ガ、私ノ説明デ、喜ブノハ、ウレシイデス。単ナル、ガイドナラ、誰デモデキマス」。フランソワさんはガイドをするなら徹底的にやろうと思ったそうだ。それで、彼はスペイン語、イタリア語、英語、日本語、ラテン語を勉強したと言う。日本語は独習だそうだ。それからイギリスの大学とフランスの大学で観光学科に入学して観光学を勉強したそうだ。「日本人ガ、ニューカレドニアニ沢山来ルカラ、日本ノ勉強モシマシタ。日本ニ行ッタコトアリマス。奈良ニ行キマシタ。京都ハ、マダ」とのこと。
私は日本の大学で最近観光学科が設置されてきたことを知っていたが、フランソワさんのように自国の太古からの地勢、歴史、文化、産業を調べ、動植物の研究をし、さらに観光に来る相手の国々について勉強しているガイドには会ったことがなかった。
話題がラテン語のことになり、いろいろと教えてもらった。例えば、ヌメア市にある競馬場は「ヒポドローム」と言う。ラテン語で「ヒポ」は「馬」のことで、「ドローム」は「走路」のことだ。だから「ヒポドローム」は「馬の走路」という意味になる。また、「河馬」のことを「ヒポポタマス」と言うが、「ポタマス」は「川」のことだから「ヒポポタマス」は「川の馬」の意味となる。さらに、古代文明発祥の地メソポタミアの「メソ」は「真ん中」という意味で、「ポタミア」は「川」だから「メソポタミア」は「川の真ん中」すなわち、チグリス川とユーフラテス川の間という意味になる。
「うーん」私はうなってしまった。私の高校時代の世界史の先生が「メソポタミア」を教えるのに、このように言葉を分解して教えていたら、もっとメソポタミアに愛着を持っただろうと思った。
一時間ぐらい川遊びをしている間にフランソワさんはあと片付けを完了。帰路についた。帰りはバス内にニューカレドニアの音楽が流れた。キャンプ地を後にし、ヤテ湖の木橋を再び渡り、二十分休憩。車を乗り換えて約一時間走り、「湧き水の泉」に寄って休憩。それから半時間走って赤い夕陽がアンスバタの海に沈む頃ホテルに着いた。
ホテルの玄関でフランソワさんは若い二人の女性に「アナタ達ハ、素晴ラシイナービゲーターデシタ。アリガトウ」とお礼を言った。
 旅行が楽しくなるのも不愉快になるのも、旅行先で会った人がどういう人であったかで決まることが多い。いくら美しい景色を見てもガイドが不親切であったら気分を害する。平凡な景色でもガイドの説明一つで楽しいものとなる。もちろん同行の旅行者の人柄も関係はしてくるが、ガイドの役割は大きい。今回の旅が素晴らしかったのは景色とガイドの両方が良かったからだ。
 現地の観光案内の人が「フランソワさんは、あちこちの観光業者から引っ張りだこだ」と言っていたが納得した。もしニューカレドニアに行かれるのなら、ガイドはムッシュ・フランソワがお勧めだ。
                                     (2008年夏)

閉ざされた窓

 真夜中なのに蝉がけたたましく鳴いた。靖雄は目を覚ました。胸が苦しい。体が動かない。ベッドに縛られているようだ。水が飲みたいと思ったが、水を持ってきてくれる者はいない。妻は三年前に亡くなり、娘は神戸に嫁いでいた。
また蝉が不気味に鳴いた。その瞬間、ベッドが揺れ、体が浮き、気が遠くなった。

         ***

気がつくと靖雄は六十階建てのビルの屋上に立っていた。飛び降り自殺をしようとしている。また同じ夢だ。どうして同じ夢を何回も見るんだ。なぜ投身自殺しなきゃならんのだ。自殺をするにしてもなぜ飛び降り自殺なのか、と自問しているうちに靖雄は不可解な力に押されてビルから飛び降りる。
まっ逆さまだ。猛スピードで落下している。しかし手足や体全体がスローモーション映画のようにゆっくり動いている。無重力状態の宇宙飛行士のようだ。怖くない。落下ではなく浮いている感じだ。風は横殴りなのに、身体は飛び降りたビルの壁に沿って垂直に落下している。
周りの景色がよく見える。遠くに見えるのはどこかの港だ。海が夕日に照らされてオレンジ色に光っている。汽船が見える。米粒のようだ。視線を反対に向けると、真っ赤な夕陽が、紺色の山並みのシルエットにかかり、今日最後の光を眩しく放っている。雲雀が靖雄を見て驚いて飛び去っていった。目の前のビルの白い壁は、夕陽に赤く染まっている。
降下するつれ、ビルの窓が次から次ぺと上昇していった。不思議なことに、どの窓枠にも縦一メートル、横一メートルぐらいの垂れ幕がぶら下がり、幕には各階数が大きな文字で書いてあり、今どの階を降下しているのかが分かった。
五十七階を落下していく時、窓の中を見た。中がよく見えた。喪服を着た二人の中年の男が布団のそばに頭をうな垂れて座っていた。二人ともほぼ同じ年齢に見えた。布団に横たわっている人の顔には白い布がかぶせてあった。
あの二人の父親か母親が亡くなったのだろう、と思った。二人の内の一人は知り合いのような気がしたが、いつどこで会ったか思い出せなかった。もう一人の方の顔はぼやけていた。
夕陽の下半分が山に沈んだ。静かだ。風の音も聞こえない。残った上半分もしばらくして沈んだ。同時に全ての長い影が一斉に消え、夜の帳が下りた。次第に空は黄色や赤に染まり、山には黄金色の雲がかかった。
五十三階の窓を覗くと、結婚披露宴が見えた。マイクを持った太った男がお辞儀をし、皆から拍手を浴びていた。祝辞が終わったところらしい。
たった今五十七階で喪に服す光景を見て悲しくなったのに、今度は新婚カップルを見て気も晴れやかになった。客は飲んだり食べたり、楽しく笑っていた。客のうちの一人の中年の男は見覚えのある男だ。しかし誰だか思い出せない。その男の隣にも同じような年格好の男が窓に背を向けて座り、二人は談笑していた。
あたりが暗くなった。地上を見ると、ビルの明かりがあちこちにともり、やがて星空のように無数に明かりが灯った。入り組んだ道路には黄色のヘッドライトや赤いテイルライトの流線が見えた。ゴマ粒のような車は音も立てずに走っている。先ほどまで眼下に見えた山々は、靖雄が飛んでいる高さより高くなった。海はビルに隠れて見えなくなった。
今や大小、正方形、長方形等さまざまな形をしたビルの屋上が見えてきた。落下するにつれ屋上が近づき、屋上にある水槽や、広告看板や、入り組んだ換気用ダクトも見えてきた。建設中のビルもあり、鶴の首のようなクレーンが屋上にあった。ミニチュアのビル群を、丁度着陸寸前の飛行機の窓から見ているようだ。
四十階まで落ちてきたとき悲痛な叫び声が下の方から聞こえてきた。三、四階下を見ると男がベランダ越しに手を下に差し出し、今まさに落ちようとしている別の男の手をしっかり握り、必死で引き上げようとしていた。靖雄は三十五階まで落下して二人の男のところを通過する時「頑張れ!」と叫んだ。三十階まで落下した時、上を見ると、ぶら下がっていた男は丁度引き上げられるところだつた。良かった……。しかし一体何があったのだろうと靖雄は思った。
二十八階から雅楽のような曲が流れてきた。神前結婚の最中だ。このビルは結婚式場が二十八階で結婚披露宴会が五十三階にあるから、結婚式を挙げるには不便なビルだなと思った。しかし、そんなことはどうでも良かった。新婦を見たが、後ろ姿しか見えなかった。髪をアップに結い、真珠のように真っ自なウエディングドレスを着て二人の可愛い女の子が長い裾を持っていた。
落下速度が急に速くなった。見下ろすと蟻のように小さい人が道路を歩いていた。歩行者の一人が空から降ってくる靖雄を発見し、目と口を大きく開いて何か叫んだ。叫び声は車の雑踏にかき消されてよく聞こえなかったが、「人が降ってくるぞ!」と叫んでいるようだ。他の通行人達が驚いて一斉に顔を上げるのが見えた。人だかりが増えてきて靖雄を見ている。もう少しであの群集の真ん中にたたきつけられるのだ。これで終りだ。
靖雄はこれが窓の中を見る最後だと思って、十階の窓を覗いた。兄弟らしい男の子が二人、割り箸で作ったピストルで輪ゴムを飛ばして遊んでいた。三メートルぐらい離れたテーブルの上に立ててあるマッチ箱を狙っている。兄は的に当たらなかったが、弟はうまく当てた。兄のほうはよく知っている子で、どこかで見たようだが、弟のほうはよく分からなかった。
今や墜落死まであと九階分しかなかった。道路を見ると、先ほどまで集まっていた群衆は靖雄が落ちる地点から飛び散っていた。「危ない! 落ちるぞ!」と誰かが絶叫するのが聞こえた。
靖雄が急降下するにつれ、窓枠の垂れ幕に書かれた階数の数が減っていった。
九階… 八階… 七階… 六階……
今にも頭蓋骨が紛々に割れ、血まみれになって死ぬのだ。
五階… 五階… 五階。
 不思議なことに落下が止まった。止まって宙に浮いている。空を見上げていた群集も狐につままれたような顔をして、靖雄を見ていた。
五階の窓を見ると、窓は閉じられ、厚手の黒いカーテンが引かれていた。
分かった。あのカーテンが閉じられて中が覗けないから、落下がここで止まったのだ。死ぬ前に五階の部屋がどうなっているか知りたい。それにはこのビルの五階に行かなくてはならない。空中移動もできないし、地面にどうやって降りるのだろう。
その瞬間、靖雄は目が覚め、地上を歩いていた。見覚えのある池と神社があった。ここで蝉をよく採ったことを思い出した。歩いていると飛び降りたビルが見えた。五階に行ってカーテンを開けなくてはと思った。
五分ぐらい歩くとビルに着いた。エレベーターで五階まで昇り、ビルの西側に行った。閉じられた窓の部屋がビルの西側にあり、夕陽を映していたからだ。しばらくして部屋を見つけた。
扉は開いていた。中は薄暗く誰もいなかった。窓は落下中に見た黒い厚手のカーテンが引かれていた。カーテンを両側に引き、窓を開けた。まぶしい光が入り部屋が明るくなった。靖雄はなんだか気がほっとして眠くなってきた。
また同じ夢を見た。六十階建てのビルから飛び降り、各階で同じ光景を見、やがて十階まで降下した。同じ二人の男の子が玩具のピストルで遊んでいた。十階を落下しながら自分の子供のころを思い出した。
* * * * *
当時、靖雄の家族はアパートの四階に住んでいた。靖雄には隆司という名前の弟がいた。しかし隆司は靖雄が五歳の時、アパートのベランダから落ちて死んでしまった。
ある時どのようにして弟が死んでしまったか母に聞くと、母は「悲しくなるから聞かないで」と涙ぐんで言った。だからそれ以来聞くのを止めた。ただ分かっているのは隆司は靖雄が五歳の誕生日の翌日に死んだことだった。何かこの日に起こり、そのため隆司は死んだのだが、何が起こったか靖雄は記憶になかった。
隆司が死んだ日に靖雄は突然熱を出し、熱は丸二日続いたと、母が言ったことがあった。熱が下がったとき、靖雄は記憶喪失症にかかり、その日まで起こったことを何も思い出すことができなくなっていた。四歳と五歳の二年間幼稚園に通ったが幼稚園のことも何も思い出すことができなかった。しかし靖雄の親は、靖雄の生活に何の支障もないので記億喪失のことは気にしなかった。忌まわしい日以降のことは通常の記憶があったからだ。
* * * * *
靖雄は子供の頃を思い出しながら落下し、九階を通り過ぎた。それから八階、七階、六階と落下してきた。五階に来た時窓を見た。窓は開いていた。今だ! と思って中を覗いた。
部屋には二人の男の子が遊んでいた。一人はなんと靖雄自身だった。もう一人は弟の隆司だ。靖雄は五歳の誕生日にもらった玩具のパトカーで遊んでいる。誕生日の夜はパトカーを抱いて寝たのを思い出した。
これはどうしたことか。記憶がよみがえってきた。誕生日の翌日のことが思い出されてきた。
母が「靖雄、台所手伝ってよ」と言った。靖雄は立とうとした。隆司が靖雄に近づいた。靖雄のパトカーを取った。ベランダに走つて行った。ベランダには木の箱が積んであつた。靖雄は隆司の後を追った。靖雄が隆司に近づいた。隆司は木の箱に登った。パトカーをベランダから放り投げた。靖雄は隆司を押した。隆司はベランダから落ちていった。
「靖雄、台所に来なさいといっているでしょ」と言いながら母がベランダに来た。母はベランダの下を見た。悲痛な叫び声をあげた。弾の鳴き声が急に聞こえた。
靖雄は凍りついた。今、五階の窓で見たのは一体なんだったのだろう。俺は隆司を押すのを見たが……。
この瞬間、靖雄の記憶を五十五年間閉ざしていた黒い雲が晴れた。靖雄はその日にベランダで起こったことをすべて思い出した。そうだ、俺が隆司を押したのだ。あの時母がベランダに来て、「隆司が落ちたよ」と母に言ったのだった。
靖雄は驚愕した。たった一人の弟に対して自分がしたことが信じられなかった。あと何分の一秒かで地面にたたきつけられるという刹那に、おぞましくも記憶の重い扉が開かれ、ベランダから落ちる隆司の姿がスローモーションとなって今くっきりと靖雄の眼前に現れたのだ。靖雄は隆司に謝った。許してくれ。許してくれ。年のせいで涙もろくなった目から涙が流れてきた。涙は靖雄の体と同じスピードで落ちていった。
 お母さん、僕が靖雄を押したんだ。だって、お母さんは僕に、「悪い子ね、お兄さんの癖に。お兄さんだから我慢しなさい。隆司をいじめるんじゃないの」としょっちゅう言っていた。「靖雄なんか生まなきゃ良かった」と言ったこともあった。隆司が憎らしかった。あの日も隆司が、僕の大事なパトカーを取って逃げて行き、ベランダから投げてしまったのだ。もう我慢できなかったんだ。僕は隆司がいなければいいと思っていたんだ。だから押したんだ……。
靖雄は母と隆司に詫ぴた。お母さん、僕が隆司を押したんだ。ごめんなさい。隆司、痛かったろう。許してくれ。大粒の涙が頬を伝って空中に落ちていった。 
落下しながら次々に窓から見た部屋の意味が解き明かされた。各階は靖雄の年齢なのだ。
五十七階で遺体のそばに中年の男が二人座っていたが、一人は靖雄自身で、もう一人は隆司だ。隆司が生きていればあんな年恰好になるはずだ。布団に横たわっていた人は母だ。母は私が五十七歳の時亡なったから。
五十三階の結婚披露宴は娘が結婚した時のものだ。あの時私は五十三歳だった。私が談笑していた相手は隆司だ。。
三十五階のベランダで身体を乗り出してぶら下がっている男を必死で引き上げていたのは私自身だ。あれは隆司を助けたいと言う願望の現れだ。でも、どうして三十五階なのだろう。そうだ、三十五歳の時、槍ヶ岳で崖から転落しそうになったことがあった。友達が私の手を掴んでいなかったら、滑って転落死しているところだった。
私は二十八歳で結婚した。だから二十八階で結婿式を見たのだ。あの純白の花嫁は妻だ。
十階で玩具のピストルで遊んでいた二人の男の子は私と隆司だ。隆司が生きていればあの子ぐらいだ。
それから、あの五階。私が五歳だった時の恐ろしい光景だ。
しかし、もうおしまいだ。今にも地面にたたきつけられて血だらけになって死ぬんだ。胸が苦しい。
隆司、隆司、お前はずっと俺と一緒に今日まで生きてきたなあ。私はこの五十五年間ずっとお前と一緒だったんだよ。飛び降り自殺をするわけが分かった。罪の償いだ。お前と同じ痛みを感ずるためだ。そちらに行つたら、一緒に玩具のピストルやパトカーで遊ぼうな。お母さん、ごめんなさい。もう時間がない。死が目前だ。
また涙が頬を伝わった。靖雄は涙を拭おうとした。

      * * * 
 
靖雄は心臓麻痺で死んだ。ベッドから落ちていた。頬が涙でぬれていた。

                     おわり

たぬ公に導かれて

 名古屋に来ることは何度もあったが、興正寺の境内に入るのには抵抗があった。今日は行こう、今日こそは、と思いつつ二十五年たってしまった。特にこんな新緑の美しい日には行きづらかった。
しかし還暦を過ぎた今日、不思議な力に導かれて興正寺まで来てしまった。
寺門を入ると五重塔があった。ああ、懐かしい。全然変わっていない。感慨に浸りながら五重塔を見上げていると、「隆さん」と言う声がする。
振り向くと、可愛い狸がちょこんと足下に座っている。前足を犬がチンチンするようにあげて、わたしを見つめている。昔この辺りは八事の森と言って原生林が生い茂り、狸や兎が住んでいたそうだ。しかし、二〇〇八年に狸がいるとは、どこから出てきたんだろう。この狸がわたしを呼んだのだろうか。
「えっ、まさか。お前が呼んだのか」
「ええ」
「えっ、お前、言葉しゃべるのか」
「しゃべりますよ、おみゃあさん」
「おみゃあさん、って。ええっ」
「なんも、驚くことなんかありゃすきゃ」
 なんというドギツイ名古屋弁。夢じゃないのか。狐に、いや、狸につままれたのか。
「隆さん、よういりゃあした」
「隆さん、て。どうしてわたしの名前を知ってるんだ」
「何言ってりゃあす。水臭いでいかんわ。わっちは、この四十二年間いつも隆さんのそばにおるぎゃ」
「四十二年間? 俺が、えっと、十八のときから知っとるんか」
「ええ、そうだぎゃ。まあ、そんなこと、もうええから、さあ、こっちに行こみゃあ」
 と言って、本殿の左手にある石段の方にわたしを案内した。そう言えばこの狸、どっかで見た。へその回りに変な輪がある。
狸はぴょんぴょん石段をあがっていく。十段ぐらい上がると、わたしの方を振り向いて待っている。
「そんなに急がんでくれ。息切れがするわ」
「何言っとりゃあす、隆さんが高校の時、この石段を筋トレで、走って登ったり下ったりしとったがね」
 そう言えば、N高校のバレー部の筋トレで校門を出てから隼人池を通って、興正寺まで走った。それからこの石段を駆け足で登った。石段は七十七段あった。
ハアハア言いながら、やっと石段の頂上までたどり着くと、辺りは真っ暗になっていた。小さなお堂があり、左手に鐘楼があった。鐘楼には「除夜」と書かれた丸提灯が二つぶらさがり、明かりが灯っていた。ざわざわする人の声が聞こえる。粉雪が舞っている。
「こりゃどうなってんだ。雪だよ」
「何言っとりゃーす、今日は大晦日だぎゃ」
 狸のたぬ公は、何でもすぐ「何言っとりゃーす」とくる。馬鹿の、いや、狸の一つ覚えだ。でも、さっきは五月の昼過ぎだったのに、どうして大晦日の真夜中なんだ。
「さっきは昼だったのに、どうしてここは夜なんだ」
「今日の興正寺はよー、場所が変わると時間も変わるんだわ」
たぬ公の言うことは、さっぱり分からん。鐘楼を見ると、二十人ぐらいの人が一列に並んでいる。そうだ、みんな除夜の鐘を突きに来てるんだ。
あっ、今、鐘楼に入ったあの若いカップル、あの男は……わたしだ。すると彼女は洋子だ。新婚当時の二人だ。
二人で鐘突き棒の紐を持って、そら、ぐいっと引いて、そら、離して、
「ごおおーん」
そばでお坊さんがお経を読んでいる。粉雪が提灯の明かりの中で舞っている。

 洋子と始めて会ったのはN高校男子部の保健室だ。その日わたしは朝から下痢気味だった。受験勉強疲れだ。三時間目の授業中に急に腹が痛くなり、先生の許可をもらって保健室に行った。養護の先生に薬をもらって休んでいた。電話がかかってきた。先生は「職員室に行ってくるから、清水君、そこで休んでなさいね」と言って出ていってしまった。
そこにN高校女子部の生徒が二人飛び込んできた。その日は女子部の体育祭が男子部のグランドで開かれていた。一人は手と腕が土まみれで、血が腕を伝って流れていた。一滴、床に落ちた。もう一人の生徒は付き添いだった。
わたしはあわてた、養護の先生がいない。何しろ男子部と女子部は中一から高三まで別学だ。私は高三の今まで女の子とまともに話をしたことがない。だいたい当時は男女交際は禁止だった。八事行きの市電の中で女子部の生徒は座っていても、立っている男子部の生徒の鞄を持ってはいけない、という規則があった。女子高生を二人も目の前にして緊張した。
「あの、えっと、保健の先生、あの、今、職員室ですが、あの、どうぞ、手を洗って下さい」
しどろもどろで流し台を指差した。怪我をした生徒は土を洗い流した。
「このタオル使っていいですか」
付き添いの生徒が尋ねた。
「はあ、あの、えっと、どうぞ。確か、えっと、消毒液と、あの、綿がこの辺にあったと思いますが」
 私は保健室に中一の頃から何度も腹痛で来ていた。だから消毒液や包帯がどこにあるかぐらいは知っていた。
白いキャビネットを開けて、丸い金属製の容器から消毒液とヨードチンキを出し、引き出しから綿を出した。
付き添いの生徒は「すみません」と言って受け取り、傷口に消毒液をかけ、綿で抑えて止血した。わたしは包帯とバンドエイドを付き添いに渡した。
「あの、体育祭で転んだんですか」
怪我をした生徒に尋ねた。
「ええ、クラブ対抗リレーで」
これが洋子がわたしに言った最初の言葉だった。
「クラブって、あの、何部ですか」
「バレー部です」
「えっ、僕もバレー部ですよ」

「隆さん、何をぼーと考えとりゃぁす。滑り台にいきますよ」
狸が横槍を入れた。
鐘楼から坂道を南の方に降りていくと右手に小さな公園があった。桜が満開だ。また季節が変わった。
公園に高さ四メートルほどの円錐台の富士山があった。すそが広がっていて、子供はすそから勢いをつけて頂上めがけて走り、富士山のてっぺんに上るのだ。
 たぬ公が生意気に一気に登ってしまった。
「隆さん、登ってりゃあせ」
「この歳で、そんな恥ずかしいことできるわけないだろう。」
「何言っとりゃあす、広ちゃんがまだよちよち歩きのころ覚えとりゃあすか。隆さんが富士山のてっぺんにいて、洋子さんが中腹まで広ちゃんを押していって、隆さんは、上から広ちゃんの手を取って引っ張り上げたぎゃ」
広ちゃんとは今年三十四歳になるわたしの長男だ。
「狸の癖に、良く覚えとるなぁ。あのころは楽しかった」
「よう言うわ。それからが大変だったの、もう忘れちまったのきゃ。富士山をおりて、今度は、広ちゃんと滑り台に登ったがね」
 そうだ、あの時、広隆が階段を一歩一歩登り、すぐ後ろからわたしが登っていった。滑り台の上に着いて、「広隆、ここにいるんだよ。まだ滑っちゃだめだよ。ここにつかまって」と言って、広隆の手を取って鉄枠につかまらせた。広隆をそのままにして、わたしは階段を素早く下りて、滑り台の降り口に回り、広隆を見上げて言った。「さあ、もういいよ。広隆、滑って、滑って」。ところが、広隆は滑るのを怖がった。泣き出して後すざりしだした。危ない! 階段の方へわたしが駆け寄った。広隆が階段をバウンドして真っ逆さまに落ちた。ウワーン。公園中に泣き声が響いた。トイレから洋子が戻ってきた。
「どうしたの、あなた」
わたしは広隆を抱かえて、うろたえた。
「滑り台から落ちた」
「えっ、どうして? 骨、折ってない?」
「頭を打ってるかも」
「まあ」
「病院に行こう」
タクシーが来ない、ちっとも来ない。洋子が広隆を抱きしめた。
八事日赤病院で頭のCTスキャンをした。異常はなかった。手も足も折れていなかった。洋子はわたしをにらみ、「もう、あなたなんかに子守はさせられない」と言って、唇をキッと結び、身体を振るわせた。

「そら、隆さん、またぼーとして、今度は本殿に行くでよー。ちゃんとわたしに付いて来てちょうよ」
 たぬ公は本殿の方に走っていった。
「おーい、そう急がんでくれ」
「早よ行かんと、豆がなくなっちゃうでよぉ」
「豆って」
「節分の豆だぎゃ」
「えっ、さっきは桜が咲いとったのに」
「だから、さっき言ったぎゃ。場所が変わると季節も変わるって。ちゃんと聞いとってえな」
 本殿の正面に四メートル四方の舞台が作ってある。舞台の上には裃を着た人が五、六人、枡を持ち、豆をまいている。
広隆だ。六歳の広隆が可愛い裃を着て豆をまいている。洋子もまいている。わたしは恥ずかしくて、舞台には上がらなかったんだ。そら、わたしのところへ豆が飛んできた。みんな、わあわあと両手を差し出し、きゃあ、きゃあと豆をキャッチし、豆を拾っている。たぬ公はみんなの足の間を器用にすり抜け、すり抜け、豆を拾って食べている。
豆まきが終わって広隆と洋子とわたしの三人で豆を食べていると、たぬ公が帰ってきた。
「ああ、いっぴゃあ食べた。腹ポンポンだわ。そら、いい音だよ。聞きゃあせ」と言って、腹鼓を打ち出した。
ポンポコポンのスッポンポンポン
ポコポコポンのスッポンポンポン
広隆が真似をしだした。洋子が笑った。
「分かった、分かった。いい音だ。で、今度はどこに連れてってくれるんだい」
「さあて、どうしよまい。そんなら、デートコースに行こみゃあ」と言って、たぬ公は五重塔の東側にある幅八メートルぐらいの道の方へ歩き出した。
 道の両側に紅葉した木や常緑樹が林立し、道に覆いかぶさっている。ちょっとした森だ。たぬ公は二十メートルぐらい進むと右側の急な坂道を登りだした。
「隆さん、こっちこっち。洋子さんが待っとるで」と言って、わたしを急がす。
やっと坂道を上がってそこから東に向かって細道を歩くと、洋子とわたしが丸太のベンチで仲良く勉強していた。

 N高校の保健室で始めて洋子に会った翌日のことだ。学校帰りに南山教会の前の交差点で洋子にばったり会った。洋子はこれから三洋堂で数学の参考書を買うと言う。
「数学が苦手で苦労しているの」
「そうですか、僕は数学が大好きなんですよ。なんなら教えましょうか」 
どぎまぎせずに言えた。わたしは数学はK塾の全国模試で上位二十位には常にランクされていた。ところが英語が全然できない。洋子は英語なら大丈夫、と言うことで、わたしが洋子に数学を、洋子がわたしに英語を教えることになった。場所は興正寺。時間は土曜日午後二時。五重塔に集まることにした。洋子の英語力は抜群だった。仮定法過去完了、擬似関係代名詞、なんでも説明してくれた。
洋子は上智大学へ、わたしは名古屋大学に進学した。交際は続いた。

 たぬ公がベンチに寝そべって空を見上げている。鼻提灯をふくらませて。雲ひとつない真っ青な秋空だ。紅葉した木の葉が風に吹かれてハラハラと狸の腹に舞い降りてくる。わたしも隣のベンチで上向きに寝そべって空を見た。いい天気だ。

 洋子の父親は内科医で、母親は耳鼻科医だった。祖父も医者で、親戚にも医者が多かった。当然、洋子の親は洋子を医者に嫁がせようと考えていた。洋子が二十三歳の時見合いの話があり、洋子は親の手前、二回見合いをしたが断った。その時始めて親はわたしのことを知った。洋子の両親ともに、サラリーマンとの結婚に大反対で、交際を止めるように洋子に迫った。洋子は親のいいなりになることを拒み、家を飛び出してしまった。洋子の意思は強く、母親が折れ、父親もついに折れた。
わたし達の新居は興正寺から歩いて十分ほどのアパートだった。

「隆さん、起きやーせ。まんだ、もう一つ行くところがあるでよぉ」
たぬ公はいつの間に起きたのか、寝そべっているわたしの顔を覗きこんでいた。たぬ公の目はまん丸で黒く、ひげは墨で描いたようだ。とうとう行くんだ。そこに行くのが怖
くて何度も興正寺までは来る機会はあったが、ついつい境内に入りそびれていたのだ。でも、ここまで来てしまったから。
「隆さん、わっちがついとるがね。でゃあ丈夫、でゃあ丈夫」
 たぬ公はすぐ先の急な坂を降りだした。坂を降りると先ほどの幅八メートルの森の道に出た。ここは新緑の木が茂っている。葉っぱがキラキラ輝いている。木の匂いがする。この道を東に進むと中京大学の裏手に通ずる。
「さあ、もうすぐだで」
わたしは覚悟を決めた。道の前方に車椅子を押している人がいた。あれはわたしだ。わたしが洋子を車椅子に乗せて押している。ゆっくり、ゆっくり。
うぐいすが鳴いた。
「まあ、うぐいすが鳴いたわ」洋子が言った。
「うん、いい声だね」

 洋子は広隆の九歳の誕生日がすぎた頃から顔色が悪くなり、鼻血を出したりするようになった。疲れが原因と思っていたが、ある日、腕にあざのような斑点があちこちにできていた。八事日赤病院で診察してもらった。即、入院だった。
 わたしは担当医に呼ばれ、洋子は白血病で、あと三ヶ月ぐらいの命だと宣告された。
 そんな馬鹿な、そんな馬鹿なことってあるのか。一体どうして。広隆が可愛そうだ。まだ九歳だ。親子三人で楽しく過ごしてきたのに。義父母も広隆が生まれてからは、険しい顔つきが、穏やかになったのに。これからと言うときに。どうしたらいいのだ。これからどのように生きていけと言うのか。親戚に知らせるべきか。あと三ヶ月とは。信じられない。どうして洋子が。どうして白血病に。足がしっかり地面を踏めない。歩いていても前方の景色が幻のようだ。浮いている。現実ではない。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。飯がのどを通らない。眠れない。仕事が、何がなんだか、なぜだ、どうして。夜が怖い。涙も出ない。
広隆と毎日見舞いに行った。洋子は、やつれて、青白く、苦しそうで、痛みをこらえ、吐き気に悩まされ、点滴を受け、薬を何度も飲み、髪がぬけ、広隆の手を握り、涙をこらえ、無理に笑い、学校のことを聞き、横を向いて泣き、涙を拭って、広隆の顔を見て、わたしの顔を見て、「広ちゃんが、結婚するまで死なないからね」か細い声でわたしに言う。
三ヶ月たったある日、洋子は興正寺に行きたいと言った。外出許可をもらって、タクシーに車椅子を積み込んで興正寺に行く。
興正寺に着いて、洋子を車椅子に乗せた。五重塔を見て、中京大学の裏手に出る道を通って、ゆっくり、ゆっくり車椅子を押す。新緑の五月だ。
「隆さん、覚えてる? あなたに始めて会ったとき」
「ああ、覚えてるよ。お前が体育祭で怪我をして」
「ええ、あのとき、あなた、顔色が悪かったわ。とても」
「実は、あのとき腹痛で保健室にいたんだ。そこへ、お前が入ってきて」
「そおなの、だから、保健室に、いたのね」 
「そう、腹痛でね」
うぐいすが鳴いた。
「まあ、うぐいすが鳴いたわ」
「うん、いい声だね」
「あなた、保健室で、わたし達を見て、どぎ、まぎ、してたわ。取り、乱しちゃって……なんか、わたし、お、も、し、ろ、くって……」
「女の子と話したことがなくってね。純情だったてことーー」
 洋子の首がカタンと前に倒れた。それが最後だった。

中京大学の裏手に来た。ここで興正寺とお別れだ。山手通りの車の騒音が聞こえてきた。木の匂いが排気ガスの匂いに変わった。
振り向くと、たぬ公が手を振っている。
「さよなら。またいりゃあよ」
「ああ、また洋子に会いに来るよ」
たぬ公の体が半分消えかかっていた。
東京の家に帰った。リビングルームに行くと孫の博が木彫りの狸を持っていた。あれっ、たぬ公じゃないか。
「その狸どこにあったの?」
「あそこ。ママに取ってもらったの」
博は飾り棚を指差した。
そうか、洋子が高山に行ったとき、お土産に買ってきてくれた狸だったのか。         
              
     了
                                            
      

康子

「あなた、隆がいるわ。お風呂よ。ほら、今日幼稚園で習ってきた歌を歌ってるわ。♪ ぞーさん ぞーさん お鼻が長いのね」
青白い顔をした康子が、目だけ嬉しそうに輝かせてかすれるような声で歌いだした。
「また始まった。康子、隆はもう亡くなっていないんだよ」 
 靖雄はイライラする気持ちを抑えて言った。病院の玄関ロビーは案外声が響く。他にも入院患者が、見舞いに来た人と話している。
「何言ってるのよ、ほら、楽しそうに歌ってるじゃない。聞こえるでしょ」
 康子が精神病院に入院してから三年経っていた。
 四年前、隆が幼稚園の園児だったとき、一人で風呂に入っていていた。隆が風呂からなかなか出てこないので、康子は変に思い、風呂に行って驚愕した。隆は頭から血を流し倒れていた。救急車を呼び、病院に運んだときにはもう息が切れていた。
 康子は変わってしまった。隆の思い出が詰まったマンションには住めなくなり、新しいマンションに引っ越した。風呂は隆の死後入れなくなった。食事ものどを通らなくなり、パートの仕事も止めた。家に閉じこもりがちになり、家事をしなくなった。靖雄の週末は掃除、洗濯、買い物でつぶれた。康子はいつも「隆ちゃん、隆ちゃん」と泣いていた。
隆の死後一年ほど過ぎて、康子の言うことがおかしくなった。隆の声が聞こえるという。隆の姿が目に見えるというのだ。
「あなた、見えないの。ほら冷蔵庫の前に立っているじゃない。隆ちゃん、アイスクリームをそんなに食べると、ポンポン痛くなるから、しょうがない子ね」
 康子の症状は悪化し、テレビで幼稚園の園児が遊んでいる番組を見ていると、康子はテレビの画像を指差して、「ほら、隆が遊んでる。楽しそうね」と言ったり、電車に乗っても「あそこの人たち隆のことを話しているわ」と言ったりした。
とうとう靖雄は康子を車で一時間ほど離れた精神病院に入院させた。近所には「康子が体調がすぐれず、しばらく実家に帰した」と言っておいた。
 入院してから、週末には必ず見舞いに行った。しかし、見舞いに行っても全然見舞いのし甲斐がなかった。
 病院の看護師の話によると、康子は入浴をひどく嫌い、看護師が二人がかりで無理やり入浴させるとのことだ。病院の廊下を「隆ちゃん、隆ちゃん、良く来たね。お母さん、待ってたのよ」と言って、病院から患者に配られる菓子を廊下に並べて座り込んでしまうそうだ。院長に症状を聞いても、精神的なショックは立ち直るのに時間がかかると言う。どれぐらいかかるかは、ショックの度合いと、本人の性格により、まちまちらしい。子供を交通事故で三人も一度に亡くした母親は、その後二十年経った今でも治らないで入院中だそうだ。精神病の原因は、精神的な苦痛から身体を救うために、胃腸とか心臓などの内臓を犯す代わりに、人格を別人にしてしまうために生ずるらしい。
 康子は靖雄の大学の後輩だった。康子の父親は医者で、康子をゆくゆくは医者に嫁がせようと思っていた。だから商事会社の靖雄と結婚するのには反対であった。康子は家を飛び出し、親の反対を押し切って靖雄と結婚した。
 靖雄は康子の見舞いが億劫になってきた。初めは毎週だったのが、月に二、三回となり、ついには月に一回となった。見舞っても話が全然かみ合わないからだ。隆の話ばかりする。隆が生きていると信じている。隆の葬式の写真を見せても信じない。康子は靖雄の目を決して見ない。靖雄の右肩の後ろの方を見て話す。見舞いの果物や好物の菓子パンを出しても、隆に食べさせる、と言って食べようとしない。 
「あなた、この前頼んでおいたでしょ。また持って来てないの? 隆の玩具。今度ちゃんと買ってきてね。もう、忘れっぽいんだから。新幹線よ。それから玩具のパンフレットも持ってきてね」
 靖雄は一時間も車を走らせて、病院に見舞いに行っても、帰るときは打ちひしがれた。重症だ。治らないかもしれない。俺の人生は妻の見舞いで終わってしまうのか。あの熱烈な恋愛は一体何だったのか。もう一人子供を作れば康子は立ち直るだろうと思っていたが、それは無理だ。たまに外出許可をもらって家に連れて来ても、そんな気になれないし、第一、康子はもう以前の康子でなくなってしまった。靖雄のことなど全然何も思っていないように思えた。会社の仕事はまずまず順調にこなしてはいるものの、世の中が嫌になった。子供が風呂で死んでしまう。これはあまりにもひどい。さらに康子が精神病にかかってしまった。なぜ、こんなに人生は厳しいのか。俺が安らぐところはないのか。康子は康子で自分の世界を構築している。その世界には隆がいる。隆の死後、隆と共に生きているのだ。妻は死ぬまで、いや、死んでからも隆と共に生き続けるのだ。精神病と言えば世間から疎まれているが、康子自身はおそらく病気と思っていないのだろう。康子は夫の俺が見舞いに来てくれるし、隆はすぐそばにいるし、病院食とは言え、三度の食事は言わば「据え膳」だ。康子は端から見れば不幸だが、虚構の世界に生きる康子は、康子なりに幸せかもしれない。それにひきかえ、この俺は一体何なのだ。どこで狂ったのか。一人で朝飯を食い、会社に行き、会社から帰ると、掃除、洗濯、買い物と、家事を一切男手一人でやる。一体俺は何をやっているのか。一生の伴侶、一生の友、喧嘩をしても仲良く二人で暮らしていくはずだったのに。週末にたまに外出しても家族連れがすぐ目に入り、うらやましく思い、あの家族のあの子供が死ねば良いと思ったりする。恐ろしいことだ。一人でテレビを見ていても空々しい。一人で晩飯を食っていても、おいしくない。話し相手がほしい、心を割って話す相手が、泣いてわめいて喧嘩をする相手が、まっとうに話ができる相手がほしい。午前〇時を過ぎて、一人で布団にまた入るのだ。誰も起こしてくれない。この部屋でたった一人で、この家でたった一人で布団の端を両腕で人形のように抱え、背中を丸めて泣くようにして寝る毎日だ。
康子が入院して五年が過ぎた。靖雄も来年は四十になろうとしていた。
「後藤さん、そのネクタイ素敵ですね」
 廊下で会った若い女子社員から声をかけられた。
「このネクタイ? この前、出張でシンガポールに行ったとき買ったんだよ。そんなに良いかね。この手のネクタイは君の好みかね」
「ええ、後藤さんのネクタイではそれが一番素敵です。青のタータンチェックのも素敵ですけど」
「えっ、私のネクタイを観察しているのかね」
「ええ、ネクタイと言うより、その……後藤さんを」
「私を? こんなおじさんを、どうして」
「どうしてって」
陽子は黙ってはにかむようにうつむいてしまった。
「君、まさか? ぼくのことを」
「ええ」
陽子は顔を上げ、靖雄の目をチラッと見て足早に立ち去った。
 一体このような打ちひしがれた中年男を、好きになるとは陽子はどういう娘なのか。冷やかしではない。うつむいたとき、ほんのり頬が染まったような気がした。まだ入社して三年か四年しか経っていないはずだから、歳は二十四、五というところだろう。特に美人と言うほどではなく、まあ人並みだが。しかし、そんなことは問題ではなかった。世の中が急に明るくなった。靖雄のことを気にかけてくれる人、強い心の支えとなる人が突如出現したのだ。
靖雄は隆が亡くなってから、始めて自分が生きていると感じた。若い女性が私を好いている。現に好いていてくれると言うことが靖雄にとって何にも代えがたい生きる力を与えた。俺のどこがいいのか。「蓼食う虫も」と言うが、俺みたいな人生に疲れた男を好きになるとは……
 それからの靖雄は変わった。朝起きても、出勤中も、仕事中も、陽子のことが頭から離れなかった。陽子はいつもテキパキと明るく仕事をしていた。廊下で会っても頭を下げるぐらいの挨拶で、傍から見たらまさか陽子が靖雄のことを好いているとは誰も気が付かなかった。
 会議が早く終わったある日、靖雄は思い切って陽子を映画に誘った。映画は英国映画で恋愛物の「ジェーン・エア」だった。映画が終わって、肩を並べて歩きながら靖雄は陽子に、思い切って、自然な声の調子をよそおって尋ねた。
「で、言いにくいんだけど、えっと、安井さんはわたしのどこがいいんですか」
 単刀直入な突然の質問に戸惑ったのか、陽子は五,六歩無言で歩いてから答えた。
「後藤さんて、失礼ですが、亡くなった私の父に良く似ているんです。始めて今の職場に来て後藤さんを見かけて、驚いたんです」
「えっ、お父さんを亡くされてたんですか。ちっとも知らなかった。それは、残念なことでした」
靖雄は陽子が自分のことを恋人としてではなく、父親として見ているのに落胆した。
「で、おいくつでした」
「四十一でした。白血病で」
「そんなに若いときに? それは、その…… なんて言ったらいいのか……」
靖雄は、慰める言葉を捜そうとしたがうまく言葉が出なかった。
「いいんです。もう十年も前のことで、初めは気が狂いそうに悲しかったんですけど」
「そうですか。で、お父さんに似ているって、何が似ているんですか」
「全部なんです。顔つき、体格、それに性格も似てますよ」
「性格って?」
「ええ、なんと言うか、神経質そうで。すみません、変なこと言っちゃって。いい意味で言えば気配りというか、細かいところによく気が付くというか。それに粘り強いところなんか。それから……」
陽子は一瞬、間を置いた。
「それから、どこか背中が寂しそうなんです」
靖雄はうんと唸った。当たっている。康子はいつも靖雄に言っていた。「あなたは神経質だから、もっとどーんと大きく構えたら」とか、「根気があるのは父親譲りね」とか。
 靖雄は家に帰って考えた。俺は陽子の父親代わりなんだ。俺を父親として見ているのだ。しかし父親だろうが何だろうが、陽子のように明るく積極的な若い女性に好かれるのは嬉しく感じた。
 康子の見舞いに行くのが、ますます気が重くなった。妻が入院しているというのに、若い独身女性と交際していることが重荷になってきた。康子は解放病棟に入院していた。解放病棟は許可があれば外出ができる軽症の患者が入っていた。重症患者は部屋に鍵のかかる閉鎖病棟に入っていた。
 康子と話していると時々話が通ずることがあった。
「この前、佐々木さん宅で法事があってね。佐々木さんのお嬢さん、名前をなんて言ったか、えっと」
「圭子さんよ」
「そう、圭子さん、今度結婚するそうだよ」
「圭子ちゃんが。結婚するのね。圭子ちゃん、まだ高校生のとき隆を良くあやしてくれたわ」
「で、結婚式は十月だそうだよ。正式に招待状を送ると言っていたよ」
「じゃあ、隆も一緒に行くのね」
「また、隆はいないんだから……」
「だからいつも言ってるでしょ、隆ちゃんが死んだことを内緒にしておきましょうって」
 話がこうなると靖雄はなんと言って受け答えていいか分からなくなる。一瞬、ああ、普通の康子に戻ったと思うと、奈落の底に突き放される。内緒にしておくって、どういうことだ。やはり、病気は全然治っていないのだ。
「隆は死んで、葬式もやったじゃないか」
靖雄は情けないやら、怒れてくるやら、語気がついつい強くなってしまう。
「もう、帰って。お見舞いありがとう」
と言って康子は玄関ロビーの椅子から立ちあがり、さっさと病室にかえってしまう。
また、今日も靖雄は重々しい気持ちで車を運転して帰るのだ。日中だというのに、一時間も走るというのに、車の外の景色は見えなかった。
靖雄は家に帰ると康子のことは次第に薄れてきて、代わりに陽子のことが頭に入ってきた。康子に冷酷に突き落とされても、陽子が暖かく引き上げてくれた。会社に行きさえすれば康子のことはすっかり忘れ、陽子がさっそうと廊下を歩き、笑顔で挨拶し、仕事をこなしている姿が靖雄の心を癒してくれた。
 陽子との交際は三ヶ月目に入った。 
「後藤さんって、お子さんを亡くされたそうですね」
「ええ、子供が幼稚園のときに」
「そうですか、やはり、どこか寂しそうなのはそのせいですね」
「寂しそうって、そんな雰囲気がありますか」
「ええ、始めてお会いした時に何かとてもやるせないというか、寂しいというか、そんな雰囲気でした」
「でも、最近は変わったよ。君のおかげだよ」
靖雄は感謝の気持ちもこめて言った。ただ康子のことはなるべく話題にしなかった。康子が精神病院に入院していることを陽子は知らないはずだ。
会社の誰も康子が入院していることは知らない。知っているのは近い親戚だけだから。よほどのことがない限り、親戚の人がわざわざ職場の人にそんなことを言いに来るはずがない。
「わたしのおかげなんて、そんなに持ち上げないで下さい。実は、父もわたしの妹を小学校の二年生のとき亡くしているんです」
陽子は、靖雄が父親に似て、どこか寂しいところがあると言っていた。陽子の父親もお子さんを亡くしているのか。靖雄は陽子と共通点が増えたと思った。なにかそのことを聞いて、また急速に二人が接近したように感じた
陽子は伏せていた目を上げ、思い切ったように靖雄の目を見て言った。
「実は、母がしきりにわたしにお見合いを勧めるんです。わたしはまだ結婚する気はないと言うんですが…… 母は、誰か好きな人でもいるのかと聞くんです」
 陽子は靖雄の目を哀願を込めて見ているようだった。靖雄はその次の言葉を待った。好きな人がいるのか。それは誰か。自分かもしれない。うぬぼれだろうか。
「それで、君、誰か好きな人が……」
「ええ」
 陽子は目を伏せて、答えなかった。靖雄もそのまま黙ってしまった。
その夜、靖雄はこのまま陽子と付き合っていて、この先どうなるのかと考え始めた。康子がいる限り、この交際は平行線をたどる。十五歳年下の女性と結婚している男はいっぱいいる。かと言って康子がいる限り重婚になってしまう。康子が生きていることが恨めしくなってきた。もしいなければ、陽子と一緒になることもできる。精神病の妻を持った夫は一生その妻のために生活を犠牲にしなければならないのか。世の中には重病で入院している妻を看病している夫の話はよくある。それは、妻が夫を正常に認識しているからだ。康子のように夫を認識はしていても単に法律上の夫というだけの関係で、人間的な血の通った意思の疎通がある関係ではない。喧嘩をする夫婦は百パーセント意思の疎通があるのだ。別居をしていても、それは相手を百パーセント夫、または妻と正常に認めているのだ。しかし、精神病は違う。精神に異常をきたしているのだ。正常な形で夫と認識していると言えない。
 靖雄は何とか屁理屈をつけて、陽子との結婚を正当化しようとした。
 そうか、いっそ、康子が死ねばいいのだ。隆が死んだ当時、康子は「死にたい、死にたい」と言っていた。「死にたい」と言わなくなった頃から気が狂い始めた。しかし、心の奥底では、どう思っているのだろう。本当に死んで隆のとこに早く行きたいと思っているのだろうか。そうではあるまい。死にたいぐらい悲しかったのだ。
陽子と結婚するには康子に死んでもらうしかない。精神病を患っている人間は、世の中の何も役に立っていない。家族や周りの者を引っ張り込んで変な話をする。変な態度を取る。周りの者が返って気が狂ってしまう。言わば、精神病者は社会のマイナスだ。社会のマイナス要因はこれを除去しなくてはならない。殺人犯などは社会の大きなマイナスだ。だから死刑もあるのだ。
 靖雄はとんでもないことを考えている自分に気が付いた。自分も気が変になったのかと思った。しかし、本音は、康子がいなくなり、陽子と結ばれることを心底願うようになった。
 そんなことを考えるようになった日曜日、病院に見舞いに行った。
「あなたが来るといい匂いがするの。何か香水の匂いよ」
靖雄は一瞬ドキッとした。昨日陽子とデイトのとき着ていた服と同じ服を着てきたのだ。陽子の香水が服についているのだ。康子は俺が別の女性と付き合っていることに気が付いたのか。うまく切り返す言葉を捜していると康子が言った。
「私にも買ってきて、その香水」
「香水の匂いがするって、何の香水だろう。分からないよ。そう言えは、昨日乗った電車の隣に座ったおばさんが化粧が濃くて、香水ぷんぷんだったよ。多分その匂いが移ったんだ」
「でも、この前見舞いに来てくれたときもよ。同じ匂いよ」
「えっ、そうか。何だろう。会社にも香水のきつい人もいるし……。そうそう、隆の新幹線持ってきたよ」
 靖雄は冷や汗をかいた。うまく話題を変えたが、陽子の事がばれたのかもしれない。しかし、康子は精神異常だ。現に、「わたしにも同じ香水を買ってきて」と言ったじゃないか。「誰か女の人ができたのね」とは言わなかった。とぼけて言っていたのか。いや、とぼけではない。しかし、精神異常と言ってもどこまで異常なのか。ともかく、これからは同じ服を着てくるのはまずいと思った。
一抱えもするような箱から全長三十センチぐらいの新幹線を出すと康子が言った。
「こんな大きいのじゃないのよ。わからないのね。もっと小さい、ミニ新幹線よ。こんな大きなのと隆遊べないわ。お店に返してきて」
 靖雄はむっとなった。玩具売り場をあちこち探して、どれがいいか迷い迷いして、とっくに死んでしまったわが子のために、いや康子の心の平安のためにやっと買ってきたと言うのに。
「何言ってるんだ。もういい加減にしないか。隆は死んで、いないんだから」
「だから隆が死んだことを内緒にしておきましょって、何度も言ってるでしょ」
 何度言っても分からない。分からないと分かっていても、ついきつい言葉が出てしまう自分が情けなかった。担当医は、相手の話にわざと乗ることも必要だと言っていたが、それには限度があると思った。
 病院からの帰り、ハンドルが重かった。靖雄は康子が本当に死ねばいいと思った。死ねば自由だ。香水がどうの、隆がどうの、玩具がどうの、一切から解放される。康子と話せば話すほど、こちらの頭がおかしくなってしまう。早く死ねばいい。早く死なないか。陽子と結婚したい。陽子もそれを望んでいるようだ。
靖雄は陽子に、もしプロポーズしたら、受けてくれるか尋ねた。
「からかわないで下さい。後藤さん。奥様がいらっしゃるんでしょ」
「真面目な話だ。真剣に考えているんだ。離婚だってするつもりだ。だからさ。わたしは君のことばかり思っているんだ。一緒になれればどんなに幸せかと、いつも思っているんだ。現に、君がわたしの前に現れてから、大げさかもしれないが、人生が変わったんだよ。地獄から天国に昇ったようなんだ。信じてもらえないだろうが。本当に、本当に、世界が変わったんだよ。君がわたしの生きる力なんだ。君なしでは世の中、何の光もないんだ」
 陽子はじっと聞いていた。やや沈黙が流れて陽子は言った。
「それは、わたしも同じです。父を亡くしてからは後藤さんに会うまで、ただ父の影を追って生きてきたみたいなんです。ただ漫然と生きてきたんです。父を亡くした悲しみは時が経つに連れて薄らいでは来てますが、この十年、惰性で生きてきたようなんです。生きる力、生きる目的がなかったんです。父の力はわたしの力だったんです。後藤さんと一緒ならば、どれだけ心強いか、どれだけ幸せか…… 誤解しないで下さい。後藤さんを父親の代わりと思って言っているんではないんです。失礼ですけど、初めはそうでしたが、今は、父と後藤さんの違う点がいろいろ分かってきました。分かってきましたが、それでもわたしは後藤さんの魅力に勝てないのです。後藤さんを父親としてではなく、後藤さんを一人の人格として言っているんです。わたしも、毎日……」
陽子は急に言葉を詰まらせ、困惑した顔をして靖雄の目をじっと見つめて言った。
「後藤さん、もう止めましょう。いくらこんなことを話しても、後藤さんには奥様がいらっしゃるし……」
靖雄は決心した。何らかの形で、康子に死んでもらうしかない。そして陽子と結婚しよう。陽子もそれを望んでいる。しかし、どのようにして康子に死んでもらえばいいのか。外出許可をもらって、そのときに何かを飲ませるとか、事故に見せかけてとか。しかし、どれだけ考えても方法が思いつかなかった。
久しぶりに見舞いに行ったら看護師が言った。
「後藤さん、奥さんに言ってください。最近全然食べないんですよ」
 また看護師の苦情だ。黙って聞くしかない。
「頑として食べようとしないんです。歯を閉じてしまって。二人がかりで口をこじ開けて食事を入れているんです」
 靖雄はやつれた康子の顔を見た。目は空ろで、壁の一点を見ている。靖雄が見舞いに来ていることは分かっているようだ。
「康子、どうしたんだ。ちゃんと飯を食べないと身体に悪いから。身体が弱って病気になってしまうぞ」
靖雄は自分の本心を康子に見抜かれているのではないかと思いつつ言った。
「何を考えているんだ、康子、看護師さんに苦労をかけて。申し訳ないと思わないのか」
看護師の手前、必要以上に強く叱った。
「ちゃんと食べるんだよ。身体が弱って死んでしまうぞ。頼むから食べてくれ」
 康子は視線を靖雄の方に向けたが、靖雄の目に焦点が合っていない。目が窪み、顔は異様に青白かった。げっそりと痩せてしまった。腕などは枯枝のようだ。靖雄の方を見ているだけで口を開こうとしない。
「康子、どうしたのだ。なんか言ったらどうなんだ」
「……」
「康子、どうかしたのか……」
「……死んだほうが、いい」
 康雄はギクッとした。まさか自分が思っていることが分かるわけはないのに。
「何言ってるんだ。ちゃんと食べて、元気になって、早く退院しよう」
「死ぬ、死ぬ、わたしは、死ぬの、隆が、来ない、みんな、どこかに、行って、しまう」
 みんなどこかに行ってしまうとはどういうことだ。俺が陽子のところに行ってしまうということなのか。隆が死んでしまったことなのか。康子の友達から音信不通になってしまっていることなのか。康子の母親が、隆が生まれて一年後に心臓病で亡くなったことなのか。
 この先どうなるか考えた。病院側も康子には手を焼いているようだ。他の患者より手間がかかるようで、それが看護師の仕事だと思っても、心苦しいものがあった。康子、一体どうしたらいいのだ。康子のことを考えると世の中のことが本当に嫌になった。もう、死にたければ、死ねばいい。俺は知らない。もうお前には付き合っていられない。疲れる。そんなに俺を苦しめないでくれ。俺の方が死にたい。

「あなた、ごめんなさいね。隆ちゃんが死んでるのに、変なことばっかり言って。でも、なにか頭の中のもやが急にぱっと飛び散ったみたいなの。きちんと物を考えることができるようになったみたい。今日ね、先生がもう退院していいとおっしゃったの。長い間本当に苦労をかけました。家事も大変だったでしょう。私がやりますから。ご心配かけました。本当にごめんなさいね。また夫婦仲良くやっていきましょうね」「えっ、康子、お前、治ったのか。そんな急に治るのか」靖雄は夢を見ているのかと思った。が、一瞬困った。陽子と別れることになるのか……

電話のベルの音で靖雄は目を覚ました。夜中の一時だ。
「後藤さんですか。こちら小笠原病院です。康子さんが危篤です。すぐ病院に来てください。はい、そうです。小笠原病院です。はい、後藤康子さんです。ご主人ですね。すぐ来てください」
靖雄は映画の一シーンを見ているかと思った。小笠原病院。後藤康子。間違いない。
タクシーを呼んで一時間後に病院に着き、急いで康子の病室に駆け込んだ。院長、担当医、看護師二人が一斉に靖雄の方を振り返った。康子は酸素マスクをつけていた。院長が低い声で言った。
「ご主人ですか。残念ですが、たった今息を引き取られました」
 そんな馬鹿なことってあるのか。一週間前、見舞いに来たとき、元気だったのに。一体どうしたというのだ。
「心不全でした」
 靖雄は頭を強く打たれたような衝撃を感じた。何も聞こえない。何も見えない。身体が、手が、足が震えた。そんなことってあるのか。そんなことって…… 三十五歳で心不全なんて。
康子の顔を見た。眠っている。眠っているだけだ。ただ眠っているだけだ。
一瞬、康子の葬式の情景が目に浮かんだ。祭壇に康子の写真。次の瞬間、陽子の顔が頭をかすめた。陽子と結婚……
俺は、なんという恐ろしい奴だ。最低の人間だ。いや、人間以下だ。康子が亡くなったばっかりというのに。陽子のことが頭に入り込む隙があるなんて。一体この隙は何なのか。これが普通の人間が普通に考えることなのか。俺は異常ではないのか。正常なのか。
葬式が終わって、病院から届いた康子の私物を整理していたら手帳が出てきた。手帳にはメモ程度の簡単な日記がほとんど毎日書かれていた。内容は隆のこと、看護師のこと、担当医のこと、同室の患者のこと、入浴や洗濯のこと、食べ物のこと、昔の思い出、心の葛藤などだ。最後に見舞いに行ったのは康子が亡くなる一週間前だったが、その日の日記にはこう書かれていた。日記はこれが最後になっていた。

五月二十日
やすおさん 見まい
いいにおい 
行かないで いかないで

靖雄は「いいにおい」の意味が何の匂いか分からなかった。まさか陽子の香水ではないだろう。あれ以降は陽子に会った時の服とは違う服を着るようにしているから。病院の窓から入る新緑のにおいか。部屋に飾ってある花の匂いか。いや、「靖雄さん、見舞い」と連動して、この前康子が言っていた「いい匂い」のことを思い出したのか。「行かないで」が二度も繰り返されている。誰がどこへ行かないで、なのか。隆に言っているのか、俺に言っているのか。隆はよく康子の目の前に現れるから俺のことか。俺が行かないでとは、陽子のところへ行かないで、と言っているのか。いや、現れた隆が去っていってしまうのを引き止めているのか。みんな私を置いてきぼりにしてどこかへ行かないでと嘆願しているのか。
 靖雄は手帳の文字をじっと見た。康子の文字だ。最後の文字だ。懐かしい文字だ。すらりとした縦長の滑らかなきれいな女性的な文字だ。始めて康子から来た手紙のことを思い出した。康子の父親が結婚を反対しているけれど靖雄と一緒になりたいということが書いてあった。初めて康子に会ったときのことを思い出した。康子が二十歳で、靖雄が二十四歳だった。乗っていたバスが急停車し、つり革につかまっていなかった靖雄は、座っていた女性の膝の上に倒れてしまった。その弾みで女性が膝の上に乗せていた紙袋が破れて床に落ち、中身がバスの床にばらばらと転がり落ちてしまった。靖雄は「すみません」と言って拾おうとしたが、すぐ女性は座席を立ち、「すみません、わたしが拾いますから」と言って拾い始めた。靖雄が会社に着いてしばらくしたら、先ほどの女性と廊下でばったり会った。それが康子だった。
 結婚して、隆が生まれて…… 二人で仲良く暮らした当時のことが今はっきりと懐かしく思い出された。
 隆を亡くして自責の念に苦しみ、毎日、毎日泣いていた康子。霊柩車に小さな棺を載せるとき、棺を両手でしっかり抱え、覆いかぶさるようにして大声で泣きじゃくった康子。図書館から借りてきた紙芝居を、登場人物になりきって隆に読んでやった康子。康子のために俺はどれだけのことをしてやったのだろう。隆を亡くして気が狂わんばかりになっていた康子をもっと支えてやるべきだった。俺は会社があるから仕事のことで気がまぎれることがあったが、康子はそうはいかなかったのだ。もっと康子のためにしてやるべきことがあったはずだ。俺が康子を病気にしてしまったようなものだ。すまん、康子。
お前が逝ってしまって、お前の存在の大きさに今初めて気がついた。お前が俺のそばにいること、お前が生きていること、たとえ精神病でも、お前がこの世に生きていることは当然のことと思っていた。陽子との結婚のことは、単なる逃避だった。お前が入院している状態で、お前が生きている状態で陽子と結婚することを考えていたのだ。虫のいい話だ。精神病であってもお前が生きているということは、いろいろ不満があったが、生きているだけで、長年苦楽を共にしたということが、空気や水のようにわたしの大きな生きる力となっていたのだ。それに気が付かなかった。許してくれ康子。俺はどこにも行かないよ。
靖雄はシンガポールへの転勤願いを出した。



                       終り