2015年7月25日土曜日

転落 テレビドラマ

                   

田辺優斗 15 北山中学校3年生

杉野航一 15 杉野の同級生(中3)

宮部真治 55 田辺の担任(国語担当)

杉野綾子 41 杉野の母

星野亮二 50 同校教師(世界史)

松田竜司 43 同校教師(英語)

生徒達

 

○北山中学校・職員室前・廊下

   実力考査成績優秀者名(十名)が掲示されている。一位は田辺優斗(アップ)

生徒A「また田辺がトップだ」

生徒B「あいつ、中一から三年間ずっとトップだ」

生徒C「家で猛勉強してるんだろ」

生徒B「頭が違うんだ」

生徒A「そう、頭だよ」

   女子生徒達が掲示を見る

女子生徒1「きゃー、田辺さんよ。また」

女子生徒2「すごーい」

生徒A「なんでぇ、勉強できりゃ、すごいんか」

女子生徒1「あんたとは大違いよ」

女子生徒2「イケメンだし」

女子生徒3「背が高いし」

 

○教室

星野が世界史の授業をしている。

星野「カエサルは『賽は投げられた』と言ってルビコン川を渡った。ルビコン川を渡るとはどういうことか。分かる人? いないのか」

   田辺、手を挙げ、指名されて、

田辺「いかなる将軍も軍隊を連れて渡ることは禁じられていました。ローマに対する反乱とみなされたからです」

星野「そう、その通り、さすが田辺だな」

 

○職員室

   昼休み、星野と松田が話している。

星野「田辺はたいしたもんだよ。こちらが説明しようとすること全部知ってるんだ」

松田「田辺ですか。昨日の英語の授業で私、立往生しましてね」

星野「えっ?」

松田「田辺、ダブリュコーテーションマークについて質問しましてね。答えられなかったんですよ」

星野「そうですか、他人ごとじゃないですな」

   

○校舎正面

   時計、午前8時。生徒登校風景

 

○学校・応接室

   杉野と綾子が宮部と話をしている。

宮部「一、二週間もすれば友達もできますよ。ただ、勉強は頑張ってもらわないと」

綾子「はあ、田舎の学校やったから」

宮部「養老の中学とこの学校では、進路が違いますから追いつくのは大変かもしれませ

んがね。(航一に)分からないことがあったら先生なりクラスメートに聞けばいいよ」

航一「はい」

   始業のチャイムが鳴る。

   宮部、立ち上がる。杉野と綾子も立つ。

綾子「よろしくお願いします」

  

○教室

   宮部が教室に入る。後ろから杉野。

田辺「起立! 礼!」

   生徒は起立して礼をする。

宮部「諸君、今日からこの学校に転校してきた杉野航一君だ、みんな仲良くしてやってくれたまえ」

宮部、黒板に「杉野航一」と書く。

宮部「じゃ、一言」

杉野「岐阜県の養老から転校してきました杉野航一です。よろしくお願いします」

宮部「座席は、あの机ね」

杉野「はい」

   杉野は机に座る。すぐ隣が田辺

 

○教室・昼休み

   ST 三週間後

   田辺が杉野に数学を教えている。

田辺「これは二次方程式の問題でね。縦の長さは142Xで表せるね。それで……」

 

○教室

   生徒は試験問題に取り組んでいる

   教室の掲示板に「中間考査時間割(十月二十日~二十四日)」掲示。

   チャイムが鳴る

宮部「止め。後ろから答案を集めて」

   最後列の生徒、答案を集める。

 

○職員室前・廊下

   定期考査成績優秀者名(十名)の掲示。

   トップは田辺(アップ)

 

○学校・教室・放課後

田辺と杉野が話している。

田辺「どうだった? 中間考査?」

杉野「いや、あまり良くないよ」

田辺「何番?」

杉野「八十七番」

田辺「そうか、真ん中以上だ。田舎から転校してきて、その成績ならいいよ」

杉野「田辺のおかげだよ」

田辺「いや、お前が頑張ったからだよ」

 

○学校・階段・放課後

   杉野が階段を踏み外し階段を転落。

 

○学校正面玄関

   救急車に杉野が搬入される。

 

○病院

   杉田がベッドに寝て、足にギブスをつけ天井からつっている。傍らに田辺。

杉野「すまんなぁ、いつも」

田辺「これが今日の授業で、これがプリント」

   田辺はノートとプリントを渡す。

杉野「英語、分からんとこあるんだけど」

田辺「どこ?」

杉野「この英文、どういう意味?」

 

○学校・教室

   星野が世界史のプリントを配る。

田辺「先生、もう一枚ください。杉野の」

星野「あ、そうか」

 

○杉野家・航一の部屋

   ST 一か月後

   松葉づえが壁に立てかけてある。

航一が椅子に座って田辺と話している。

田辺「黒板中にチャボ、チャボて書いてあったんだ。それでさ、チャボ先生、かんかんに怒ってね、誰だ!落書きしたのってね」

杉野「面白い!」

田辺「で、チャボね、怒って今日は授業しないって言って帰っちゃったよ」

杉野「で、授業なし?」

田辺「いや、西村と柳が謝りに行ってね」

綾子、紅茶を持って部屋に入ってくる。

綾子「いつもすみませんね。来週から学校に行ってもいいんですって、でも、杖ついてよ」

田辺「そうですか」

杉野「来年一月中ごろまで杖がいるって」

田辺「そうか、あ、今日のプリント」

杉野「ありがと」

 

○職員室

   宮部と星野が話している。

宮部「田辺って勉強もできるが、人間もできてるよ」

星野「ああ、杉野の面倒よく見てるってね」

 

○教室

   生徒、試験問題に取り組んでいる。

黒板右下に十二月八日の日付と日直名。

   掲示板に「二学期期末考査時間割表」

 

○教室

   宮部、順に生徒に通知表を渡している。

宮部「次、杉野」

   杖をついた杉野は通知表をもらって中をのぞく。田辺が杉野に近づいて、

田辺「何番?」

   杉野、通知表を見せる。七十七番(アップ).

杉野「田辺、一番?」

田辺「勿論」

 

○学校・正面玄関

   杉野が車から松葉杖をついて降りる。田辺が待っている。

綾子「すみませんね、田辺さん」

田辺「いいえ。(杉野に)じゃ、行こうか」

 

○教室

   ST 翌年一月十二日

   生徒は試験に取り組んでいる。

掲示板に「実力考査時間割」

 

○職員室前・廊下

「実力考査成績優秀者名」掲示。

一位は杉野、二位が田辺(アップ)

生徒達、掲示を見ている

生徒1「田辺、二位?」

生徒2「杉野って、転校してきた奴か」

生徒3「そう、あいつ、田辺よりできるんか」生徒1「田辺、いいざまだ」

女子生徒1「杉野って誰?」

女子生徒2「田辺君といつも一緒にいる子よ」

 

○校舎・階段・放課後

   杉野が松葉杖をついて、階段を降りようとしている。付近に誰もいない。

   田辺、杉野の後ろにそっと近寄り、背中を押す。杉野、階段を転げ落ちる。

 

○学校正面玄関

   杉野が救急車に搬入され、サイレンを鳴らして消えていく。見送る先生、生徒、田辺。

2015年7月16日木曜日

百日紅 (シナリオ)



 百日紅(さるすべり)     


 

登場人物

奥岡圭一 55       高校教師

奥岡チエ 81 (21)  圭一の母

奥岡徳治 85 (25)   圭一の父

奥岡房子 53       圭一の妻

服部八重 80    チエの友達

服部祥一 57    八重の息子

森田俊雄 55      北山植物園園長

西川孝司 59      同植物園職員

後藤彰二 50      診療所医師

 

 

①岐阜県大野郡・白川村・村落

村落の鳥瞰図。

合掌造り群ズームアップ。

一つの合掌造りに焦点が当てられる。

合掌造り、アップ。

 

②合掌造り・庭 

満開の百日紅。

縁側で茶を飲んでいる徳治とチエ。

小鳥の声。

徳治「ほんにまあ、見事に咲いたなぁ。満開じゃ」

チエ「ええ、今年も忘れずに、ちゃーんと咲いたんやさ」

徳治「たいしたもんじゃ。植えてから何年になるやろ」

チエ「おりぃ[わたし]が二十一やったから……。ちょうど六十年や」

 

徳治「ほうか、六十年か」

チエ「わりぃ[あなた]が二十五やった」

徳治「そうや、結婚記念じゃったから。こん

にでっかくなるとは……」

チエ「年取るわけやさ」

 

③合掌造り・庭(回想)

百日紅の苗と水の入ったバケツが地面に置いてある。

徳治(二十五)が地面に穴を掘る。

チエ(二十一)がそばで見ている。 

徳治、苗を地面の穴に入れる。

   チエ、土を穴に戻し、二人で苗を固定。

   チエ、水を撒く。(回想終り)

 

④合掌造り・庭

縁側で話す徳治とチエ。

徳治「あの苗、こんに小さかったなぁ」

チエ「そうそう。徳さん、片手でヒョイと持

って。……あの木も一緒に年取ったんやさ」

徳治「そうじゃな、ま、言ってみりゃ、わしらー、あの木と一心同体じゃ」 

チエ「あれは、いつまで経ってもツルツルやが、わしらぁシワシワなってまったなぁ」

徳治「ああ、いろいろあったから……。そやけど、よくまあ今日まで無事に生き延びたよ」

チエ「ホントや。あと何年生きとれるか……。あ、徳さん、薬飲んだ?」

徳治「そや、忘れとった」

徳治は立ち上がるがその場に倒れる。

   苦しそう。

チエ「どうしたんや?」

徳治「く、くるし、くるしい」

   背中をさすったりして介抱するチエ。

徳治「……」

   徳治、手が震えている。

チエ「徳さん! しっかりしいや!」

徳治「……」

チエ「徳さん! 徳さん!」

   徳治、息が絶える。

チエ「徳さん、徳さん!」

   ぼうぜんとするチエ。

   満開の百日紅。

 

⑤合掌造り・部屋

   葬儀の祭壇。徳治の遺影等。

   僧侶の読経。

   親族、村人の会葬。

   

⑥合掌造り・玄関先

   圭一、チエ、房子、霊柩車に乗り込む。

   霊柩車が出発。

   村人見送る。

   満開の百日紅。 

   

   タイトル

   『百日紅(さるすべり)

 

⑦合掌造り・部屋・祭壇前

   喪服の圭一と房子がチエと話している。

圭一「だから、母さん、ここで一人暮らしは

危ないよ」

チエ「大丈夫やて。六十年も住んどるんやから」

房子「でも、病気にでもなったら……」

チエ「わしゃ、病気なんぞならへん。そりぃに、なったらなったや。八重ちゃんもおるし、村の衆がみてくれるわ」

圭一「そんなこと言ったって、母さんを一人

で、ほおっておけないよ。そりゃ名古屋はこことは違うけど、すぐ慣れるよ」

チエ「わしゃ、名古屋なんかに行く気はない

わ。あんな騒々しいとこ、慣れるわけないやろ。かえって病気になってまうわ。ここは徳さんの思い出が一杯詰まっとるんや。百日紅もあるし。徳さん言っとたよ、百日紅とわしらは一心同体じゃって。

名古屋に何があるって言うんや」     房子「お義母さんの気持ちもわかりますけど、

 一人暮らしは心配ですよ。何が起こるかわからないし……」

チエ「何が起こるちゅうんや。わしゃ、まだ丈夫いで」

房子「いえ、そんな……」

チエ「もう、ええわ。とにかく嫌やからな。名古屋には絶対行かへんでな。……もうおそなるで、はよ帰りゃ」

 

⑧車の中・夜

   車を運転する圭一。

   助手席に房子。

圭一「母さん、頑固だからな」

房子「ええ。言いだしたら聞かないから。引き取っても上手くやってけるんかしら……。私だって自信ないし……」

圭一「そうだな……。ま、様子見るしかないか」

房子「でも、白川村って遠いわ。そうちょくちょく来れないし」

圭一「四十九日の法事の時に、村長さんや近所に挨拶してくるよ」

                

⑨合掌造り・庭

   秋の風景。

   百日紅の花が散っている。

チエ、百日紅の幹をさすっている。

チエ「あーあ、とうとう散ってまうのか。 徳さん、来年もまた咲いとくれよ。一杯咲いとくれよ」

   チエ、百日紅を眺める。

 

⑩合掌造り・縁側(回想)

徳治「ほんにまあ、見事に咲いたなぁ。満開じゃ」 

チエ「ええ、今年も忘れずに、ちゃーんと咲いたんやさ」(回想終わり) 

 

⑪合掌造り・村落・夕方

鳥瞰図。

合掌造り群の屋根が雪化粧。

雪がちらほら舞っている。

消防車のサイレン。

鐘の音

 

⑫合掌造り・道路側・夕方

   チエの家が燃えている。

   消防車や救急車が家を囲んでいる。

消防士がホースで水をかけている。

八重が駆け寄って、消防士に、

八重「中に、中に、チエちゃんが!」

消防士「チエちゃん?」

八重「おりぃ[わたし]の友達や。はよ!」

消防士「分かった!」

   消防士数名、燃えている家に突入。

   燃え上がる合掌造り。 

   立ち昇る煙。

   見守る隣人、野次馬。

   崩れ落ちる合掌造り。

 

⑬合掌造り・庭・夕方

   枯れた百日紅。

   燃える合掌造りが百日紅に崩れ落ちる。

   百日紅の枝や幹が燃え上がる。

 

⑭合掌造り・道路側・夕方

   チエをおんぶした消防士、家から出て来る。

   チエのすすけた顔。

ストレッチャーにチエを載せる。

救急車に搬入。

   救急車発進。

   サイレンの音。

   枝や葉などほとんど燃えてしまった黒焦げの百日紅。

 

⑮名古屋・圭一夫妻が住むマンション・夜

   部屋の時計、午後七時ごろ。

   夫妻、テレビを見ている。

電話がかかってくる。

房子が電話に出る。

房子「もしもし、奥岡ですが」

八重「奥岡さん?」

房子「はい」

八重「白川村の服部八重やけど」

房子「白川村? ちょっと待ってください。

(圭一に)白川村の服部さんて方」

圭一、電話に出る。

圭一「圭一ですが」

八重「あ、圭ちゃん? 八重やけどな」

圭一「あ、おばさん?」

八重「大変だよ。あんたんとこ火事になってまってチエちゃん、病院に運ばれたんや」

圭一「ええっ! 火事って、お袋の家が?」

八重「そうや、チエちゃん、今、診療所で寝とるんや」

圭一「白川村の診療所ですか」

八重「そうや」

圭一「すぐ行きます。お袋、無事ですか」

八重「ああ、意識はあるんやけど……」

圭一「そうですか。ありがとうございます。すぐ行きます」

八重「早よ来てくりょ」

圭一「はい」

   圭一、受話器を置いて、房子に、

圭一「家が燃えて、母さん、入院だって。今から白川村に行ってくる」

房子「えっ、それで、お義母さん大丈夫?」

圭一「らしいけど……。また連絡する」

 

⑯マンション・駐車場

   圭一が車に乗り、発進。

 

⑰名神高速道路・圭一の車・夜

   一宮ジャンクション付近の夜の景色。

   黙々と車を運転している圭一。

圭一「だから、一人暮らしは危ないって言ったのに……。言うこと聞かないから……」

   「東海北陸自動車道」という標識がフロントガラスを通して見える。

 

⑱東海北陸自動車道・夜

   沿線風景。 

   黙々と運転する圭一。

   運転席のスピード計器、時速百キロ。

   運転席の時計、九時二十分。

圭一「だから……同居しろって言ったのに」

   「合掌造り民家園」という看板を通過。

   うっすら雪景色。

 

⑲白川村国民健康保険白川診療所・病室

   チエが顔やら手に包帯。 

   足を天上から吊っている。

   点滴中。

   八重がベッドのそばに腰掛けている。

八重「今、圭ちゃんに電話したから。ちゃーっとやって来るさあね」

チエ「やっかいやナ」    

   病室の窓から雪をかぶった樹木の景色。

 

⑳診療所前

   うっすら雪景色。

   圭一の車が診療所の玄関先に停車。

   圭一が車から降りて、診療所に入る。

 

㉑同・病室

   チエが眠っている。

   そばに八重が付き添い。

   点滴が落ちている。

   ドアにノックの音。

   圭一がそっと入室。

八重「あ、圭ちゃん、よお来なさったなあ」

(チエに)チエちゃん、圭一さんじゃ」

圭一「あ、いいです」

   チエ、眠っている。

圭一「(小声で)どんな具合ですか」

八重「(小声で)足、折ったんやけど、大丈夫や」

   圭一、ベッド脇の椅子に座る。

チエの吊られた足を見る。

   チエの寝顔。

八重「わりぃ[あなた]も、大変じゃなぁ」

圭一「はあ、連絡ありがとうございました」

八重「で、今晩どうしなさる。よけりゃ家に泊まってくりょ」

圭一「いや、わたしはここで……」

八重「そうやったな、それがええわ。……そうそう、圭ちゃん、わりぃ[あなた]、燃えた家まんだ見とらんやろ」 

圭一「はあ」 

八重「そんなら、見てきんさい。チエちゃん、わしが見とるで」

圭一「すみません、じゃ」

   圭一、退室

 

㉒合掌造り・庭・夜

   雪景色。

   圭一が燃え崩れた合掌造りを見ている。黒焦げの百日紅にうっすら雪がかぶっている。

 

㉓診療所・病室・夜

   圭一、病室に入る。

   八重、ベッド脇の椅子に座っている。

   チエの寝顔。

圭一「おばさん、ありがとう……」

八重「ほんと、ひどいことになってまったなぁ」

圭一「はあ、でもお袋が助かったので……」

八重「そうや、不幸中の幸いじゃ」

圭一「はあ。あの、今日は、いろいろありがとうございました。あとは、わたしが……」

八重「そうかい。そんなら、またあした来るわ」

   八重、退出。

   窓の外の雪景色。

   圭一、うとうとしている。

チエが目を覚ます。

チエ「圭一か、圭一」

   圭一、目を覚ます。

チエ「圭一、家が、家が燃えてまったんや……。何もかも……」

圭一「母さん」

チエ「わしゃ、こんに情けねぇ姿になってまって……」

圭一「母さん、治るから、そんなに……」

チエ「徳さんに面目ない、面目ないわ」

圭一「……」

チエ「大事な百日紅も燃えてまった。わしら、一心同体じゃったのに。徳さんに申し訳ないことになってまったわ」

圭一「……でも、母さんは無事で良かったよ」

チエ「良かったんやろか。もう何もかも終わりじゃ」

圭一「何言ってるの。今は気が落ち込んでるから、そんなこと言ってるけど、足は時間かければ治るから」

チエ「足が治っても住むとこあらへん」

圭一「だから、名古屋に来ればいいよ」

チエ「嫌だよ」

圭一「そんなこと言ったって、住む家がないんだから」

チエ「八重ちゃんとこの板倉が空いとるで」

圭一「八重さん、迷惑だよ」

チエ「そんな人やない」

圭一「とにかく、名古屋に転院して、足を治すことが肝心だよ。後のことは、治ってから考えようよ」

チエ「名古屋に行っても、足が治ったら村に帰るわ。徳さんもここに眠っとるでな」

圭一「分かった、分かった。とにかく足を治さなくちゃ。歩けなきゃ、母さん自身が困るだろ」

チエ「……」

 

㉔診療所・診察室・朝

   圭一、入室。

   後藤医師が椅子に座っている。

圭一「奥岡です。母がお世話になってます」

後藤「ああ、息子さんですか。えらい災難でしたなぁ」

圭一「はあ、あの、足の具合は……」

後藤「単純骨折やけど、何しろお年寄りやから、時間がかかりますな」

圭一「どれぐらいですか」

後藤「まあ、早くて、二ヶ月は……」

圭一「そうですか」

後藤「確か名古屋に住んどられましたな」

圭一「はい」

後藤「そうですか。何しろここは田舎やでな。応急手当をしましたが、できたら、名古屋の病院に転院させた方がええですよ」

圭一「はい、そう思っています」

後藤「そんなら、様子見て転院の日取りを決めましょう。火傷もしとるし、三、四日後ぐらいやと思います」

圭一「よろしくお願いします」

   

㉕診療所前・朝

   雪化粧。

   八重や村人が立っている。

ギブスをはめたチエ、圭一の押す車椅子に乗せられて診療所から出てくる。

後藤と看護師も出てくる。

房子が荷物を持って後ろから来る。 

チエ、車椅子を降りて、圭一に抱えられて車の後部座席に乗る。   

房子がチエの隣に座る。

圭一、車椅子を看護師に返す。

圭一、車に乗り、エンジンをかける。

圭一「(窓を開けて)ありがとうございました」

八重「チエちゃん、頑張ってや」

チエ「八重ちゃんもまめ[元気]でな。また帰ってくるで……」

八重「ああ、待っとるでな」

   皆が名残り惜しく見送る中、車が発進。

   チエの目に涙。

   手で拭う。

 

㉖名古屋・東島整形外科・リハビリ室

   チエが平行棒で歩行練習をしている。

   松野リハビリ師が指導している。  

   房子がベンチに腰掛けてチエを見ている。

   房子のそばに多点杖二本。

松野「はい、よく歩けましたね」

チエ「あー情けないわ。あんばよう歩けへんわ」

松野「そんなことないですよ。これだけ歩ければ、もう退院も近いです」

チエ「そやろか」

松野「じゃあ、お疲れ様でした。また明日」

チエ「ありがとえな」

   房子が二本の多点杖を持ってチエのところへ行く。

   チエ、両手それぞれで多点杖をつき、

房子に付き添われてベンチまで歩いて座る。

房子「お義母さん、もう一息ですよ」

チエ「ああ。早く治って白川村へ帰りたいわ」

房子「白川村へ? でも、圭一さんがどう言うか……」

チエ「圭一にはちゃんと言うよ。それよりな、喉かわいた」

房子「じゃ、何か買ってきましょう」

チエ「お茶飲みたいわ」

房子「じゃ、待っててください」

   房子、去る。

チエ「気づつないこっちゃ、お茶一杯飲むにしても……」

   

㉗圭一のマンション・居間・夜

   圭一と房子、テーブルを挟んで椅子に座っている。

房子「先生がね、あと一週間ぐらいしたら退院できるって」

圭一「やっとか」 

房子「退院したあとは、通院してリハビリよ」

圭一「そうか」

房子「でも、お義母さん、足が治ったら白川村に帰るつもりよ」

圭一「そりゃ、無理だ。一人で住むなんて……」

房子「でも、毎日顔つき合わすのもね……。あなたはいいわよ、学校あるから」

圭一「頼むよ」

房子「覚悟はしてるけど……」

圭一「彩芽の部屋が空いてるから、あの部屋、和室だし、あそこを使ってもらおう」

房子「彩芽、元気にやってるんかしら。なんにも言ってこないから……」

圭一「忙しいんだよ、新婚だし」

房子「そうね。親の気持ちなんてわからないわね」

   房子、複雑な表情。

 

㉘東島整形外科・待合室

   チエが公衆電話をかけている。

   チエと八重の電話口の顔、カットバックで。

チエ「もしもし、服部さんですか」

八重「あれ、チエちゃん?」

チエ「八重ちゃん? そうや、わしや」

八重「まあ、まめ[元気]やった? 久しぶりやさなぁ。足治ったんやの?」

チエ「ああ、あさって退院や」

八重「そう。良かったなぁ。はや歩けるの?」

チエ「いや、まんだ通院してリハビリするんや」

八重「ほうか。リハビリってどれぐらいやるや?」

チエ「あと、二、三週間や」

八重「そう? そやけど、よー治ったなぁ」

チエ「ああ、なんとか……。そんでな八重ちゃん、お願いがあるんやけど……」

八重「お願い?」

チエ「あのなぁ、退院したら圭一の家に同居 することになるんや」

八重「しょうないわ」

チエ「でも、おりぃ[わたし]、名古屋は嫌なんや」

八重「そりゃ、そやけど……」

チエ「足治ったら、白川村に帰りたいんや」

八重「そいでも、家が……」

チエ「そんでお願いやけど……。できたら八重ちゃんとこの板倉を……」

八重「板倉?」

チエ「そう、あそこ貸してもらえんやろか」

八重「チエちゃん、あんな小屋なんかより、祥一の部屋、空いとるから使ゃーええよ」

チエ「えっ、ほんと? ほんとにええの? 祥ちゃん、嫌がらへんやろな」

八重「嫌がるわけないさ。高山で所帯持ってるんやから、大丈夫や」

チエ「ありがとな。そいじゃ、頼むで」

八重「そやけど、足、治ったらやで」

チエ「もちろんや、リハビリ頑張るから」

八重「そいで、圭ちゃん、ええ言うやろか」

チエ「おりぃ[わたし]が、どうしてもって言やー、圭一、ええって言うわ。その方が嫁も助かるし」

八重「そうお? 実はな、おりぃも一人暮らしやで、チエちゃんが名古屋に行ってまって、寂しいって思っとったんやさ」

チエ「そんなら良かった。こりぃで安心して退院できるわさ」

 

㉙東島整形外科・正面玄関

   チエが圭一と房子に付き添われ、両手に多点杖をついて玄関から出てくる。

   チエ、車の後部座席に乗る。

   房子、その隣に座る。

   圭一、車を発進。

   看護師、リハビリ師等見送る。

 

㉚圭一のマンション

   チエと圭一と房子がテレビを見ている。

   テレビに節分風景。

テレビ音声「今日は節分です。名古屋の大須観音では、恒例の豆まきが開かれました。昔からこの観音では『鬼は外』とは言わず『福は内』とだけ言うそうです。それは……」

以下テレビの音がバックに流れる。

チエ「福は内って、わしにはちっとも福が来ぉへん。徳さんは死ぬし、家は燃えるし、百日紅は燃えてまったし、そりぃにこの足や……」

房子「今までは悪いことばかり続いたけど、これからはいいことありますよ。足だってだいぶ歩けるようになったんだし」 

チエ「そりゃ、一日でもはよ白川村に帰りた

いからな。こんに空気の汚いとこまっぴらや。車ばっかで、やっかましてどもならん。水もまずい」

圭一「そんなこと言ったって、母さん、もう白川村に住むとこないんだから……」

チエ「なんとかなるわ」

圭一「(房子に)困ったもんだ……」

房子「……」

三人無言でテレビを見ている。

テレビ画像に北山動植物園に入園していく親子連れ。 

園児が合掌造りで鬼に豆を投げている。

テレビ音「北山植物園にある合掌造りでは、森田園長が鬼のお面をかぶり、幼稚園児が『福は内』、『鬼は外』と言いながら、豆を鬼に投げていました」

圭一「そうそう、北山植物園に合掌造りがあること、すっかり忘れてた。母さん、合掌造りに行かない? 名古屋にあるんだよ」

チエ「ほんと?」

圭一「うん、白川村から植物園に移築したんだ、五十年ぐらい前かな。母さんが住んでた合掌造りとよく似てるよ」

チエ「見たいねぇ」

 

㉛北山植物園・合掌造りへ続く道

   チエは圭一が押す車椅子に乗っている。

房子、多点杖を二本持って後ろから歩いている。

   合掌造りが見えてくる。

房子「お義母さん、そら、あれよ、合掌造り」

チエ「どこ」

圭一「左手の奥。屋根が見える」

チエ「あれ、ほんとに……」

   合掌造りの建物全体が見えてくる。

 

㉜合掌造り・囲炉裏部屋

   チエ、圭一、房子が火のない囲炉裏を囲んで座っている。 

チエ「わしの家とよく似とるわ。ここが囲炉裏で、あそこがお勝手。そりぃに仏間。懐かしいねぇ。白川村に帰ったみたいや。村の匂いがするわ」

房子「寒いから、縁側に行きましょう」

   チエ、多点杖二本を使って縁側の方に歩く。

   房子、付き添う。

 

㉝合掌造り・縁側

   縁側にチエ、圭一、房子が座って、縁

側の前の景色を見ている。

チエ「木がいっぱい生えとるし、名古屋とは思えへんなぁ」

房子「空気も澄んでて」

チエ「そう。ええとこや、ここは。また連れてきてくりょ」

圭一「今は寒いから。春になったら、ちょくちょく連れてくるよ」

   チエがうつむき加減で黙ってしまう。

目にうっすら涙

房子「お義母さん、どうかしました?」

チエ「……」

圭一「母さん」

チエ「百日紅のこと思っとったんや」

圭一「白川村の?」

チエ「ああ。あの木がここにありゃ、申し分ないんやけど」

圭一「そんなこと言ったって、燃えてしまったんだから……」

チエ「分かっとるわ……。もうここに来るのはやめや」

圭一「えっ、母さん、また来たいって、さっき言ってたのに?」

チエ「もうええわ。ここに来ると百日紅があらへんから、かえって寂しくなるわ。はや帰ろ」

房子「せっかく来たのに?」

チエ「百日紅がなきゃ、いくら合掌造りでも、もぬけの殻じゃ」

房子「……」

圭一「じゃ、寒いし、今日はこれで帰ろう」

 

㉞合掌造り・出入り口

チエ、房子に助けられて車椅子に乗る。

房子、多点杖二本を持つ。

圭一が車椅子を押す。

 

㉟北山植物園・園内道路

   圭一が車椅子を押している。

   房子がそばを歩く。

   背景に合掌造りの屋根。

   森田園長が近づいてくる。

森田「奥岡じゃないか」

圭一「森田か。久しぶりだなぁ」

森田「(チエを見て)こちら、お母さん?」

圭一「うん、合掌造りに連れてきたんだ。(房子の方を見て)女房だよ」

森田「森田です」

房子、お辞儀をする。

圭一「ここの園長だよ」

房子「まあ、園長さん? 主人から聞いてます。高校の同級生とか」

森田「はい。(圭一に)そういえは、お前の実家、白川村だったな。だから、お母さんを」

圭一「そう、よく覚えてたな」

森田「植物園に来るなら、そう言ってくれれば、職員に車で案内させたのに」

圭一「いや、かえって迷惑だから」

森田「そんなことないよ」

   森田、腕時計を見る。

森田「申し訳ない。今から職員に会うんで……。今度来るときは連絡してくれよ」

圭一「ああ」

森田「それじゃ」

   森田、合掌造りの方へ歩いていく。

 

㊱合掌造り・庭 

   合掌造りの屋根を見ながら、森田と職員の西川が立ち話しをしている。

森田「……茅葺きを替えたのって、最近だったな」

西川「二〇一〇年です。わたしが白川村に行って、葺き替え方を勉強して来たんです」

森田「そうだった。(屋根を見て)で、あのてっぺん部分、相当いたんでるな。補修費を来年度に計上しておこう」

西川「分かりました」

森田「ついでに、この庭、殺風景だ。梅とかモクレンとか、何か花が咲くような木が

欲しいね」

西川「じゃ、それも、予算に」

森田「そうだね」

 

㊲圭一のマンション・居間

   チエが多点杖一本で歩く練習をしている。

   房子が付き添っている。

房子「少し休みましょう」

チエ「いや、もういっぺんやるよ」

房子「もう、十分もぶっ続けだから、かえって足の負担になりますよ」

チエ「だから、もっぺんだけや。はよ白川村に帰りたいからな」

   電話が鳴る。 

   房子、電話に出る。

房子「はい、奥岡ですが」

祥一の声「わたくし、白川村の服部八重の息子の祥一ですが」

房子「まあ、服部さんの息子さん?」

電話口の祥一の顔。

以下、電話口の房子と祥一の顔、カットバック。

祥一「はい。あの、チエさんに心配かけてしまうから、この電話かけようか、迷ったんやけど」 

房子「はい?」

祥一「お袋から聞いてたんですが、チエさんの足が治ったら、家で一緒に暮らすことになってたらしいんです」

房子「えっ? そんなこと……」

祥一「……」

房子「ご迷惑ですので、もちろんこちらで……」

祥一「そういうことじゃないんです。実はお袋が……」

   少し間をとる。

房子「お母さんどうかされましたか」

   チエが電話口に杖をついてくる。

チエ「代わっておくれ」

房子「義母(はは)に代ります」

   以下、チエと祥一の顔、カットバック。

チエ「電話、代わったよ。わしや、チエや」

祥一「あ、おばさん、祥一やけど」

チエ「祥ちゃん?」

祥一「はい。あの、おばさんの期待、裏切ることになってまったんや」

チエ「えっ?」

祥一「おばさんの足が治っても、もうお袋はおばさんの世話、できへんようになってまったんや」

チエ「えっ、八重ちゃん、どうかしたんやの」

祥一「……脳梗塞で倒れたんや」

チエ「脳梗塞?」

祥一「うん、三日前や」

チエ「そいで、どんなや?」

祥一「半身不随で、左手が動かなくなってまって……」

チエ「ええっ」

   チエはその場に崩れ落ちる。

   房子が受話器を取る。

房子「電話代りました。お母さん、脳梗塞なんですか」

祥一「はい。おばさんには悪いんですが、もうお世話することができなくなりました」

房子「そうですか……。わかりました。お電

話ありがとうございました。主人に伝えておきます。お母さん、大事にしてあげてくださいね」

祥一「はい、ありがとうございます」

 

㊳圭一のマンション・居間

   チエが多点杖一本で歩行練習。

そばに房子。

チエ、急に杖を投げ出して座る。

チエ「もうやめや。やったて、どーもならん」

房子「でも、まだ始めたばっかりですよ」

チエ「もうええ。ほっといてくりょ」

房子「じゃあ、少し休んでから」

チエ「もーやらへんちゅっとるのに、ごがわくなぁ」

 

㊴圭一のマンション・居間・夜

圭一と房子が話している。

房子「お義母さん、リハビリ全然しなくなったのよ」

圭一「足が治ったら、白川村に帰る気だったんだな。本気で」

房子「ええ、それに、最近、ボーとしていることが多いの」

圭一「うむ、八重さんが倒れて、よっぽどショックだったんだろ」

房子「あのままじゃ、お義母さん、身体に悪いわよ。食事も食べなくなっちゃたし」

圭一「困ったなぁ。考えてみりゃ、かわいそうだよ。家は燃えるし、八重さんは倒れるし……。帰れなくなるし」

房子「そうね」

圭一「生きる張り合いがなくなってしまったんだなぁ」

房子「今更、張り合いって言ったって……」

圭一「親父が生きてりゃなぁ」

房子「……」

 

㊵圭一のマンション・食卓

   チエと房子が食事をしている。

チエ「いただきました」

房子「えっ、もう終わり?」

チエ「もう、いらん」

房子「だって、あまり食べてないじゃない」

チエ「食べたって、しゃーないわ」

房子「栄養つけなきゃ」

チエ「もうええ。はよ徳さんとこ、行きたいんや」

房子「そんなこと言わないでよ」

チエ「生きとったって、なぁにもええことあらへん。家が燃えてから、不幸ばっかや。はよ死にたいわ」

房子「お義母さん……」

 

㊶圭一のマンション・居間・夜

   圭一、チエ、房子、話している

圭一「母さん、明日、お彼岸の墓参りに行くよ」

チエ「そうかい。久しぶりや。八重ちゃん、まめやろか」

圭一「八重さん、高山の病院に入院してるっていうから、帰りにでも寄ろう」

チエ「びっくりするやろ」

房子「ええ」

 

㊷白川村・墓地

   小鳥の声。

   ヤエ、圭一、房子、「奥岡家先祖代々之墓」の前で合掌。

ヤエ(心の声)「徳さん、ごめんな、放りっぱなしにしといて。いっつもわりぃ[あなた]のこと思っとったんやで。徳さんがおらへんようになってな、いろんなことがあったんじゃ。家は燃えるし、おりぃは足折るし、そうそう、一緒に植えた百日紅な、堪忍してな、燃えてまったんや。おりぃの不注意で……。ごめんな。そんで、八重ちゃん、脳梗塞で倒れて半身不随やて。おりぃ[わたし]、生きとるのがつくづくやんなってな。そろそろ、そっちへ行くから、待っとってくりょ」

圭一「じゃあ、家を見に行こうか……」

チエ「ああ」

 

㊸燃えた合掌造り・庭

   燃え崩れた合掌造り。

   圭一が先頭を歩く。

   少し遅れて、圭一の後ろから両手それぞれ多点杖をついたチエ。

房子、チエに付き添っている。

   百日紅、新芽があちこちに出ている。

圭一「母さん! 母さん! 芽が出てるよ!」

チエ「えっ?」

圭一「百日紅、芽が出てる」

   チエ、百日紅に近づく。

チエ「あれ! 徳さん! 生きとったん? そうか、生きとったんやさなあ」

房子「……」

圭一「よく芽が出たよ」

   チエ、木の幹をさすりながら、

チエ「わしに言っとるんやな、生きろ、生きろって」

圭一「……」

房子「……」

チエ「ありがとな、徳さん。わりぃの分も生きなあかんなぁ」

  チエ、百日紅をさすり、頬をつける。

  チエを見る圭一と房子。

 

㊹圭一のマンション・居間・夜

   テーブルを挟んで圭一、チエ、房子。

圭一「最近、母さん、元気になったね」

チエ「そりゃ、百日紅に負けたらあかんでな。夏になったら、ちゃんと花咲くやろか」

房子「咲きますよ」

チエ「咲いたら、おりぃ、白川村に帰って、木のそばで暮らしたいわ」

圭一「またぁ、無理だろ、そんなこと」

チエ「おりぃの気持ち、分からへんやろ」

圭一「分かるよ」

チエ「いや、分かっとらへん。おりぃも、もう年や、そう長くは生きとれへん。残っとる時間、百日紅のそばで過ごしたいんや。徳さんのそばで」

圭一「そりゃ、分かるよ。しかし、実際無理だろ、家もないし」

チエ「いや、八重ちゃんがあかんなら、ほかに頼むわ」

圭一「そんな無理言わないでくれよ」

チエ「せっかく芽が出たのに、花が咲いても、見れへんて、そんなたあけた[馬鹿な]ことってあるかい」

圭一「花が咲いたら、連れてくって」

チエ「行ったってすぐと帰るんやろ。わしゃずっと、あそこにいたいんや」

圭一「母さん……」

チエ「分かったよ。やけど、ほんとにどーもならんのか?」

圭一「……」

房子「……」

チエ「……」

   三人の押し黙った顔。

房子「木をこっちに持ってきたら?」

圭一「そうか! 移植すればいいんか。母さん、百日紅、こっちに移植するよ」

チエ「こっち?」

圭一「植物園の合掌造りに」

チエ「ほんとにか」

圭一「ああ、森田に頼んでみる」

 

㊺北山植物園・園長室

   テーブルを挟んで圭一と森田。

森田「そうそう、この前、千種体育館でポンタさんに会ったよ」

圭一「ポンタって、数学の?」

森田「うん、七十三だって、でも、元気でね、

弓道やってみえるんだよ。弓を持って袴はいて」

圭一「へーえ。格好いい」

森田「あ、話そらして、ごめん、ごめん。なんの用だったかな」

圭一「うん……。実は、植物園に合掌造りがあるだろ」

森田「ああ」

圭一「あそこの庭に百日紅を植えてもらいたいんだよ」

森田「百日紅? どうして」

圭一「実はね、親父とお袋が結婚したとき、庭に百日紅を植えたんだよ。でも、火事で燃えてしまってね」

森田「そうか……。実は、花が咲く木をあそこに植えようと思ってたんだ。でも予算がなくってね」 

圭一「そうじゃなくって。先週、白川村に行ったら、燃えた百日紅が芽を出してたんだ。お袋、涙を流して喜んだよ。で、それをここに移植できたらと思ってね。もちろん、費用はこちらで持つけど」

森田「そうか、いい話だ。会議にかけてみるよ」

圭一「じゃ、決まったら、連絡頼む」

森田「ああ」

 

㊻白川村・燃えた合掌造り・庭

   隣家の桜が三分咲き。

   造園業者、百日紅を掘り起こしている。

   トラックに積み込む。

 

㊼東海北陸自動車道

   百日紅を積んだトラックが走る。

   沿道に満開の桜が咲いている。

  

㊽北山植物園・合掌造り・庭

   造園業者、百日紅を植えている。

   ベンチに座って見ているチエと房子。

圭一、園長、職員等は立って見ている。

   植え終わって、水をまく業者。

造園業者「終わりました」

園長「ご苦労さん」

造園業者「うまくいけば、七月ごろに咲きますよ。今年咲かなくても、来年には咲きますから」

園長「そうですか。お疲れさんでした」

   造園業者が去る。

   チエ、圭一、房子が百日紅に近づいて、見る。

 

㊾北山植物園・合掌造り・庭

   庭の近くに植えてあるツツジが満開。

百日紅に若葉。

   小鳥のさえずり。

   百日紅の周りに柵が囲ってある。

柵の外に多点杖一本をついたチエと房子が立つ。

   若い枝にたくさんの蕾。(アップ)

房子「先週来たとき、蕾が小さかったのに、こんなに大きくなってる」

チエ「ほんとや、この分やったら、ちゃんと咲くやろ」

房子「ええ」

チエ「徳さん、頑張って咲いとくれよ」

 

㊿北山植物園・合掌造り・縁側

満開の百日紅。

入園者数人が百日紅を見ている。

縁側に座り、見とれているチエ。

そばにT字形杖が横たわっている。

蝉の声。                チエ「ああ、徳さん、よお咲いてくれたなぁ。

おりぃ、もう言うことないよ。ありがとよ。ありがとえな。そうそう、今日は一人で来たんやさなぁ。杖ついとるけどな、ちゃーんと歩けるようになったんや。毎週毎、週来とるうちに足が治ってきたんや」

 

51 北山植物園・合掌造り・庭

チエは百日紅の柵の周りを杖をついて歩く。

チエ「そら、徳さん、見て、こんに歩けるようになったんやで」

 

52 北山植物園・合掌造り・庭   

XXX   

百日紅の春、夏、秋、冬の景色   XXX   

 

53 北山植物園・合掌造り・縁側

ST 五年後

   蝉の声。

   満開の百日紅。

   縁側でチエと圭一と房子が百日紅を見ている。

チエ「圭一、お願いがあるんやけど」

圭一「お願い?」

チエ「あんな、わしが死んだら、遺灰をあの百日紅の根元に撒いてほしいんや」

圭一「何言ってるの。母さん」

チエ「いや、まじめな話や。なんだか分かるんや、もうぼつぼつやって」

房子「お義母さん、長生きしてよ、元気になったんだから」

チエ「そりゃ、そうしたいよ。そやけど、近いうちにお迎えが来るような気がするんや」

圭一「でも……」

チエ「そやから、その時は、わしの遺灰をあの木の根元に撒いてくりょ。わしゃ、あの木が徳さんに思えてしょうがないんじゃ。考えてもみや、あの苗を植えてから、はや六十五年じゃよ。徳さんな、あの木はわしらと一心同体じゃと言っとったんや。わしゃ、徳さんの木のおかげで今日まで生き延びたんや。そやから、死んでからも徳さんと一緒にいたいんやさ」

圭一「母さんの気持ちは分かるよ」

チエ「じゃ、頼んだぜな」

圭一「分かった、分かった」

チエ「すまんなぁ、変なこと頼んで」

房子「でも、園長さんの許可がいるんじゃない?」

チエ「(圭一に)おめえと園長さん、同級生やろ。そこはあんばようお願いしてくりょ」

圭一「うん」

チエ「ありがとよ。こいでもう心残りはないぜよ。一度火事で死んだんじゃから」

圭一「それを言わないの」

チエ「ほんとのことや……」

 

54 斎場

   ST 四か月後

   祭壇にチエの遺影。

   僧侶の読経。

   親族の焼香など。

   窓から赤く染まった紅葉が見える。

 

55 圭一のマンション・居間

   食卓を挟んで圭一と房子。

圭一「四十九日も終わったことだし、百日紅に遺灰を撒こうか」

房子「それって、違法じゃない? 人の地所に散骨するって」

圭一「分かってるよ。でも、撒いてやらなきゃ、約束だし」

房子「園長さんだって、困るわよ、いくら同級生でも」

圭一「……」

房子「お義母さんの気持ちは分かるけど……。もし植物園の人に見つかったらどうするの。あなた先生だから、先生のくせにって、たたかれるわよ」

圭一「世間は、こういう時に先生、先生っていうからな。でも、母さん、真剣だったから」

房子「諦めなさいよ。聞かなかったことにすれば?」

圭一「いや、暗くなってから撒けば、わかりっこないって」

房子「まだ言ってるの」

圭一「見つからないようにやるよ」

房子「もう、義母さんに似て、言い出したら聞かないんだから……。わたしどうなっても知らないわよ」

圭一「大丈夫だよ」

 

56 北山植物園・合掌造り・夕方

   圭一が鞄を持って合掌造りの庭に立っている。

   秋の虫の声。

   百日紅は花と葉を落として枯れ木。

園内放送「ご来園ありがとうございました。

本日は午後五時で閉園致します。ご来園

の皆様は速やかに正面玄関、またはお近

くの出口からご退園願います。またお越

しくださいますよう、お待ちしておりま

す」

   「蛍の光」の曲が園内に流れる。

   植物園職員が合掌造りに来て、縁側の雨戸を閉め始める。

植田「お客さん、閉園ですよ」

圭一「はい」

   圭一は合掌造りを離れる。

   植田は全ての雨戸を閉じて、立ち去る。

   秋の虫の声

   XXX

   夕焼け空

   日沈

   木々の黒いシルエット

   XXX

   圭一が鞄を持って合掌造りに近づく。

   鞄をベンチに置いて中から白い紙袋を

取り出してベンチに置く。

   紙袋の表に墨で「奥岡チエ様 御遺灰 自然葬清風庵」の文字。(アップ)

   圭一、紙袋を持って、百日紅を囲って

いる柵を乗り越えて中に入る。

   紙袋を開けようとする。

西川「もしもし」

   圭一、びっくりしてとっさに紙袋を体の後ろに隠す。

西川「あなた、何してるんですか。とっくに閉園時間ですよ」

圭一「いえ、あの……」

西川「それに、どうして柵の中に入ってるんですか」

圭一「いや、ちょっと事情がありまして」

西川「事情? 今、隠した白い袋は何ですか」

圭一「いえ、何も……」

西川「じゃあ、後ろに回している手を見せてください」

圭一「……」

西川「どうしたんですか」

   西川が柵の中に入る。

西川「さ、隠しているもの、見せてください」

   圭一、観念して、紙袋を西川に渡す。

   西川、袋を見る。

「奥岡チエ様 御遺灰」の文字。

西川、懐中電灯をつけて、袋の中を照らして覗く。

西川「お客さん、これ、遺灰じゃないですか」

圭一「……」

西川「遺灰を撒こうとしてたんですか」

圭一「はあ、その……。事情がありまして……」            

西川「事情? あなた、ここをどこだと思っ

てるんですか。植物園ですよ。遺灰を植物園に撒くなんて、いいと思ってるんですか」

圭一「いえ、そうは思っていませんが」

西川「だったら、どうして」

圭一「だから、事情があって……」

西川「事情、事情って、その事情とやらを……。ちょっと来てください、園長室まで」

圭一「えっ? それは勘弁してください」

西川「あなた、違反行為をしていて、逃げる気ですか」

圭一「いや、逃げはしませんが、園長に会うのだけは……」

西川「さ、つべこべ言わないで、車に乗ってください」

圭一「ええっ、乗るんですか?」

西川「……」

   圭一、西川の後ろから、しぶしぶ園内専用車の方に歩く。

   秋の虫の声。

 

57 専用車内・夜

   西川が運転席に座る。 

   圭一、助手席に座る。

   ヘッドライトをつける。

専用車発進。

西川、運転席の電話を取り、電話する。

西川「あ、園長、西川です。はい、今、変な

男が、合掌造りの百日紅に遺灰を撒こうとしてましたので、今から連れてきます。

イハイです、死んだ人の。はい。分かりました」

二人共無言。

 

58 園内道路・夜

   専用車が走っている。

   暗い道路沿いの樹々の黒いシルエット。

   二人共無言。

 

59 植物園・管理棟・玄関前・夕方

   専用車が止まる。

   圭一と西川、下車

   二人、管理棟に入る。

 

60 園長室・中・夜

   園長が机に向かって仕事中。

   入口のドアが開く。

   西川が中に入り、後から圭一。

西川「園長、連れてきました」

   西川、遺灰袋をテーブルに置く。

   園長、顔を上げ、圭一を見て驚く。

森田「奥岡じゃないか。どうしたんだ」

西川「えっ、園長、知ってるんですか、この人」

森田「ああ、高校の同級生だよ」

西川「そうでしたか」

森田「(圭一に)遺灰を撒こうとしてったって?」

圭一「すまん」

西川「じゃ、わたしはこれで」

森田「あっ、西川さん、席をはずさなくていいですよ。ドライフラワー展の案内、もう済みました?」

西川「いえ、もうすぐです」

森田「じゃ、お願いします」

西川、奥の机に座り、パソコンを開ける。

森田、紙袋の「奥岡チエ様 御遺灰」の文字を見て、

森田「お母さんのご遺灰だね。一度会ったこと覚えてるよ……。いくつだった、亡くなられたの?」

圭一「八十六だ」            森田「そうか、ちっとも知らなくて……。そ

 れで、どうして百日紅に散骨しようとしてたんだ」

圭一「申し訳ない。お袋がどうしても撒いてくれって言ってね」

森田「あの百日紅、ご両親が結婚記念に植えたんだったな」

圭一「そうなんだ。黒焦げになったのによく生き返ったよ。近頃は毎年満開で」

森田「合掌造りに来る人、みんな見とれてるよ」

圭一「お袋、あの木には随分思い入れがあってね」

森田「思い入れ?」

西川がパソコンの手を休めて聞いている。 

圭一「あの木を見ると、お袋は親父のことを思い出してね。なにしろ結婚以来、親父が亡くなるまで、六十年も百日紅と一緒だったから」

森田「……」

圭一「お袋、わしらは百日紅と一心同体やって言ってたんだ。百日紅が燃えてからは、すっかり元気をなくしてね」

森田「そうか」

圭一「ところが、芽が出た百日紅を、五年前だったか、こちらに移植させてもらってから、すっかり元気になってね。この五年間、ほとんど毎週、お袋は親父というか百日紅に会うためにここに来てたんだよ」

森田「そうか。お母さんにとって、百日紅は命の素みたいなもんだったんだな」

圭一「そう。命そのものだよ」

森田「だから、お母さん、遺灰を撒いてくれって言われたんだ」

圭一「そうなんだ。今日は、お前には内緒で撒こうと思ったんだが」

森田「そうか……。お前の気持ちは分かるけど、散骨は違法だからなぁ。ほかのことなら力になるけど、こればっかりはね」

圭一「そうだよな。すまんことをした。……あっ、すっかり仕事の邪魔をしてしまって……」

圭一、立ち上がる。

森田、テーブルから遺灰袋を取って圭一に渡しながら、

森田「西川さん、明日から配る球根、持ってきてください」

   西川、球根の入った袋を取ってきて、森田に手渡す。

森田「チューリップの球根だよ」

圭一「ありがとう」

   森田、球根袋を圭一に渡しながら、

森田「じゃ、玄関まで車でおくらせるから」

圭一「悪いね」

   圭一、袋を受け取り、辺りを見回す。

圭一「しまった。鞄をベンチに忘れてきた」

森田「ベンチ? どこの?」

圭一「合掌造りの前の」

森田「じゃ、(西川に)西川さん、合掌造りのベンチに鞄を置き忘れられたそうだ。車で合掌造りまで乗せていってあげてください」

西川「わかりました」

圭一「(西川に)すみません。(森田に)じゃ、これで」

森田「じゃまた」

圭一と西川、園長室を出る

 

61 北山植物園・園内道路・夜

西山が園内専用車を運転。

助手席に圭一。

車のヘッドライトが夜道を照らす。

圭一「どうも済みません。ご迷惑ばかりおかけして……」

西川「いえ、園長の同級生の方とは知らずに失礼しました」

しばらく二人は無言。      暗い道路沿いの黒い木々。   

満月の一部が雲の影になっている。西川「確か、お母さんのお名前、チエ、でし  

たね。実は、わたしの母も チエなんです」

圭一「そうですか」

   しばらく二人は無言。

   暗闇の中、黒い合掌造りの屋根が見えてくる。

   ヘッドライトが夜道を照らす。

合掌造りに接近。

百日紅が見えてくる。

西川「……」

圭一「……」

西川「……」

 

62 合掌造り前の道路・夜

車が止まる。

ヘッドライトが消える。

エンジン音が止まる。

一面に虫の声。

二人は車を降りる。

 

○ 合掌造り・庭・夜

西山が懐中電灯を照らし、先に歩き、 圭一は後に続く。

秋の虫の声。

カラスの声。

西山、合掌造りの庭のベンチを照らす。

鞄がベンチの上にある。

西川「あ、ありますよ、鞄」

圭一「あぁ良かった。どうもお世話になりました」

   圭一、ベンチに行って、鞄を取り、遺灰袋を中に入れる。

西川、葉を落とした百日紅を照らす。

圭一、百日紅をじっと見る。

西川「遺灰を……」

   手を差し出す西川。

   とまどう圭一。

圭一「はあ……でも……」

西川「黙っていてくださいね。百日紅に肥料をやるだけですから」

圭一、鞄から遺灰袋を出して、西川に渡す。

西川、遺灰を百日紅の根元に少しだけ撒いて、遺灰袋を圭一に返す。

圭一、袋を受け取り、残りの遺灰を撒く。

撒き終わって、合掌。

   百日紅の梢の先に、満月。

                  終