2015年2月11日水曜日

ラジオドラマ  医薬品を運ぶ男


ラジオドラマ

 
医薬品を運ぶ男


 


フランクN「あれは確か私が三十五歳の時のことだから、もう十年も前のことになります。当時わたしはユナイテッド・パーセル・サービスというアメリカの国際貨物運送会社の専属運転手で、会社はノースカロライナ州ウインストン市にありました。

その日、わたしは仕事を一つ終えて、午後二時半頃配送センターに行きました。所長室は二階にあり、左足が関節炎で痛いのをがまんして階段をの登ったことを覚えています。

 

SE 配送センターの雑踏。トラックを誘導する声、発着の音など

 

SE 階段をのぼる足音。ただし、片足が関節炎で思うように登れない

 

フランクM「よいしょ、よいしょっと。なんだって所長室が二階にあるんだ」

 

   SE 廊下を歩く音、片足は引きずる

 

 

   SE ドアをノックする

 

リチャード「どうぞ」

 

   SE ドアを開けて閉じる

 

   SE 所長室内の音。電話、応対する声。パソコンを打つ音など

 

リチャード「やあ、フランクか、いやに早い

ね」

フランク「いえ、この前、配達が遅れてご迷

惑をかけましたので……」

リチャード「ああ、そうだったな。で、足の方はどうかね」

フランク「はあ、だいぶ良くなりました」

リチャード「運転は大丈夫なんだろうね」

フランク「それは、勿論」

リチャード「それにしても、こう言っちゃあ失礼かもしれないが、足がかわいそうだよ

その身体じゃ」

フランク「でも、先週やっと百キロを切りましたよ」

リチャード「そうか、頑張ったね。でもあと十キロは減らさないとな」

フランク「はあ」

リチャード「じゃあ、配送頼むよ」

 

SE ファイル・キャビネットを開け

て書類をめくり、伝票を取り出す音

 

SE キャビネットを閉じる音

 

リチャード「今日は医薬品をダーラム空港に届けてもらいたいんだ」

フランク「わかりました」

リチャード「それから、分かってると思うが、空港の搬入口は今月から六時キッカリに閉じるからね」

フランク「はい」

リチャード「じゃ、これ、配送伝票」

 

   SE 伝票を渡す音

 

フランク「じゃ、行ってきます」

リチャード「雨になりそうだから安全運転で」

フランク「はい」

 

   SE ドアに向かうフランクの足音

 

   SE ドアを開ける音

 

リチャード「六時だよ、シャッター閉じるの」

フランク「ええ、分かってます」

 

   SE ドアを閉じる音

 

   SE 廊下を歩くフランクの足音

 

フランク「くどいからなぁ、所長は」

 

   SE 階段を降りる足音

 

   SE 配送トラックの発着の雑踏

 

整備士「フランクさん、今から出発ですか?」

フランク「ああ」

整備士「クラッチディスクがヘタってしてま

したので修理しておきました」

フランク「ありがとう」

整備士「今からどちらまで?」

フランク「ダーラム空港だよ」

整備士「空港までだと二時間半ぐらいですか」

フランク「そうだな」

整備士「じゃ、安全運転で」

フランク「うん、じゃ」

 

   SE トラックのドアを開ける音

 

SE ドアが閉じる音

 

SE エンジンをかける音

 

SE トラックが発進する音

 

フランク「えっと、今、何時かな?」

フランクN「腕時計を見ると三時三分でした。

腕時計は親父の形見で、オメガのアンティ

ークで、一日数秒しか狂いませんでした。

時計をはめていると、親父がわたしを守っ

ていてくれるような気持ちになりました。

念のため運転席の時計を見ますと、同じ

三時三分でした」

 

   SE しばらく高速道路を走る音

 

   SE 雨がフロントガラスにあたる音

 

フランク「とうとう降り出したか」 

 

   SE ワイパーの音

 

   SE 雨の高速道路を走る音やワイパ

ーの動く音など

                  

フランクN「その日の積荷はのグラクソ・スミスクライン製薬会社の抗マラリア薬品で、ダンボール百二十個でした。わたしが運転しているトラックは医薬品専用車で積荷冷蔵室の温度は常に二度から六度に保たれています。運転席には温度管理メーターが設置してありました」

 

SE 雨の高速道路を走る音

 

フランク「温度はと、三度か。良しと……。それにしても偶然だな、マラリアの薬を空港に届けるって。ついきのうジェーンとテレビでニュース番組を見ていたら、マラリアで苦しんでいるアフリカの子供達が写っていたなぁ」

 

   SE フランクの妻が台所で皿など洗っている音やテレビの音

 

テレビのアナウンサー「では、次のニュースです。ケニアを中心としてウガンダ、タンザニア、スーダンの国々でマラリアが大流行しています。昨年のアフリカ全土でマラリアによる死者の数は六十五万六千人でしたが、五歳以下の子供はマラリアで一分間に一人の割合で死亡しています。現地ではマラリア撲滅のためのワクチンや、抗マラリア薬品、その他の感染予防資材が不足しており……」

ジェーン「パパ、マラリアって何?」

フランク「うん、怖い病気のことだよ」

ジェーン「怖いって、死ぬの?」

フランク「そうだね、でもアフリカのことだから心配ないよ」

ジェーン「じゃあ、あの子達死んじゃうの? かわいそう」

フランク「大丈夫、死なないよ。今世界中から薬をアフリカに送ってるから」

ジェーン「早く薬がアフリカに着くといいね」

フランク「そうだね」

フランクN「ジェーンは、つい一ヶ月前に三歳の弟を小児癌で亡くしていました。ジェーンはアフリカの子供達を見ながら弟のことを思いだしていたのだと思います」

 

   SE 雨の高速道路を走る音。大型トラックが追い抜いていく音

 

フランク「教会が見えてきた。時間はと、三時四十七分か、まあ予定通りだ。五時半には空港につくだろう」

フランクN「ローリー・ダーラム国際空港の最終国際貨物便は、午後七時二十七分に離陸しました。それに合わせて貨物ターミナルビルのシャッターは六時きっかりに閉じます。

実は、先月の十月まではシャッターは二十四時間開けっ放しになっていましたが、午後六時の最終搬入時間に遅れて駆け込んでくるトラックがあり、貨物担当者がその積荷に対応していると、貨物便の離陸に間に合わなくなってしまうことが何度かありました。そこで駆け込み搬入を止めさせるため十一月からシャッターを六時に閉じることになったのです。この処置はデンバー、ポートランド、ソートレイク各国際空港についで四番目でした」

 

   SE 雨の高速道路を走る音

 

フランク「今日の仕事を終えるのはいつになるかな……。えっと、六時半に空港を出たとして、家に帰るのは九時過ぎか……。ジェーンが寝る頃だ」

フランクN「わたしは頭の中で家に帰ってジェーンと話をしている自分を想像しました」

 

   SE 母と娘の声、テレビの音など。

 

フランクM「ジェーン、今日お父さんね、ジェーンが喜ぶことしたんだよ」

ジェーン「どんなこと?」

フランク「昨日のテレビでね、アフリカの子供達がマラリアで苦しんでいる番組があったね。覚えてるかな」

ジェーン「覚えてるわ。たくさんの子がベッドに寝てた」

フランク「そうだったね。今日お父さんね、マラリアが治る薬を空港に運んだんだよ」

ジェーン「ホント? じゃあ、今頃、飛行機が運んでいるのね、アフリカに」

フランク「そう。明日には薬が届くよ」

ジェーン「じゃあ、あの子達死なないのね」

フランク「ああ、死なないよ」

ジェーン「良かった」

 

   SE 雨風が激しい。ワイパーが最速

 

   SE トラックが大きくカーブする音

 

フランク「よし、エアポート・ブルバード道路に入った。あと、五十分ぐらいで空港だ。時間は……。四時三十二分か」

 

SE 雨の道路を走る音

 

フランク「霧が出てきたな。見通しが悪くな

った。しばらく休憩しても十分間に合うな」

フランクN「わたしは休憩することにしました。雨がバケツを引っくり返したように降ってきて、ヘッドライトで照らしても十フィート先しか見えないのです。それにブルバード道路はガードレールがないのでスリップでもしたら大変です。道路からはみ出て、道路脇の川に落ちるかもしれません」

 

   SE 雨の道路を走る音

 

フランク「キャピタル・キャフェが見えてきた。よし、休憩だ」

 

   SE 雨の道路を走る音

 

SE 停車する音。

 

   SE トラックのドアが開き、閉じる

 

   SE 傘を広げて、雨の駐車場を歩く

 

   SE キャフェの扉を開ける音。

 

   SE キャフェ内のざわめき

 

   SE フランクがキャフェを歩く音

 

フランクM「カウンターに座るか」

キャフェ店員「いらっしゃい。ご注文は?」

フランク「コーヒーとホットドッグ」

 

   SE コーヒーを淹れる音。

 

ナンシー「ばあちゃん、あとどれぐらいなの?」

バーバラ「そうね、一時間ぐらいかしら」

ナンシー「一時間も?」

バーバラ「多分ね」

ナンシー「パパ、お人形、買ってきてくれるかしら」

バーバラ「勿論よ、コケシ買ってきてってメール送ったじゃない」

ナンシー「そうだね」

フランクN「わたしは女の子の声を聞いて、

 カウンターの後ろを見ました。すぐ後ろの

 テーブル席に五歳ぐらいの女の子と年配の

 女性が座っていました。女の子はわたしと

目が合うと、ハァイと言って片手を上げま

した。わたしも軽く手を挙げて、年配の女

性に声をかけました」

フランク「可愛いお嬢さんですね」

バーバラ「ありがとう。孫娘なんです」

フランク「そうですか。(ナンシーに)お嬢ち

ゃん、いくつ」

ナンシー「五つ」

フランク「そう。わたしの娘も五歳だよ」

ナンシー「へー、なんて言う名前?」

フランク「ジェーン」

店員「はい、コーヒーとホットドッグ」

 

   SE コーヒーとホットドッグをカウンターに置く音

 

   SE コーヒーカップを一口飲む音

 

フランク「雨の運転大変でしょう」

バーバラ「ええ、息子が帰ってくるんですよ、日本から」

フランク「そうですか。お嬢ちゃん、お父さんにもうすぐ会えてうれしいね」

ナンシー「うん、会ったら思いっきり抱っこしてあげるの」

バーバラ「ナンシーったら、逆でしょ」

フランク「お孫さん、ナンシーっていう名前ですか。わたしの女房もナンシーです」

ナンシー「ばあちゃんはね、バーバラよ」

バーバラ「あの、遅れました。バーバラ・マクレーンです。バーバラと呼んでください」

フランク「フランク・ハワードです。トラックの運転手です」

バーバラ「まあ、運転手さんですか。じゃあ、空港まであとどれぐらいでしょう」

フランク「まあ、四十分もあれば」

バーバラ「そうですか。ナンシー、空港まであと四十分ぐらいだって」

ナンシー「四十分? ばあちゃん、雨降ってるから運転注意してね」

バーバラ「大丈夫よ。……じゃ、そろそろ行くからね。サンドイッチ残すの?」

ナンシー「食べちゃう」

 

   SE サンドイッチの皿を動かす音

 

バーバラ「フランクさん、じゃまた。お話できて良かったです」

フランク「安全運転で」

バーバラ「ええ、運転手さんも。ナンシー、コート着なさい。外は寒いよ」

ナンシー「うん」

バーバラ「じゃ、フランクさんに、さよならして」

ナンシー「バイバイ」

フランク「バイバイ」

  

   SE 二人が入口に歩く音

 

   SE 店内のざわめき

 

SE コーヒーカップを皿に置く音

 

フランク「じゃ、わたしもそろそろ出発するか。いくら?」

 

店員「四ドル三十五セントです」

 

    SE 代金をカウンターに置く音

 

店員「ありがとうございました」

 

   SE 店内をフランクが歩く音

 

   SE キャフェのドアを開けて、閉る


 

   SE 雨。フランクが傘をさし、トラ

ックに歩いていく音

 

   SE ワゴン車が近づいてきて止まる

音。

 

SE ウインドを開ける音

 

バーバラ「フランクさん」

フランク「だれのワゴンかと思ったら、バーバラさん」

バーバラ「お先に」

ナンシー「バイバイ」

フランク「気をつけて」

バーバラ「ありがとう」

 

   SE ウインドを閉じる音。

 

SE ワゴン車が発進する音

 

   SE フランクがトラックに歩く音

   傘に雨があたっている

 

SE トラックのドアを開けて乗り込んで閉じる音

 

SE エンジンをかける音

 

SE トラックが発進する音

 

SE 雨の道路をトラックが走る音

 

フランク「何時かな……。四時五十分か、少

し遅れたが、十分間に合うな」

 

   SE 雨の道路を走る音

 

フランク「ラジオでも聞くか……」

 

   SE ラジオのスイッチを押す音

 

ラジオ「……夕方まで雨が降る見込みです。土砂災害や川の増水に注意してください。なお、高速道路四十号線、七十四号線はともに事故は起きていません。また、ローリー・ダーラム国際空港の旅客機は予定通り運航しています。

次に、今日午後三時頃、テネシー州からノースカロライナ州にかけて多数の竜巻が発生しました。被害にあった……」

 

フランク「音楽でもやってないか」

 

   SE ラジオ局を変える音

 

ラジオ「次の曲は映画『八十日間世界一周』の主題曲『アラウンド・ザ・ワールド』です。ビクターヤングが一九五六年に作曲しました。アカデミー賞最優秀音楽賞を獲得しています。サントラ盤でお聞きください」

 

   SE 『アラウンド・ザ・ワールド』の曲が流れる

 

フランクN「『アラウンド・ザ・ワールド』

はわたしの母が好きな曲でした。母のお気

に入りの曲は、他に『マイ・フェア・レイ

ディ』とか『サウンド・オブ・ミュージッ

クなどでした。

わたしはしばらくラジオの「懐かしのスク

リーン・ミュージック」を聞きながら運転

していました。

すると、前方に見覚えのあるワゴン車が走っているのに気がつきました。バーバラが運転しているワゴン車です。すぐ後ろまで追いつきましたが、ワゴン車が急に左に右にフラフラし始めました。どうしたんだ、と思ってわたしはブレーキを軽くかけ、車間距離をとりました。

その瞬間、ワゴン車が中央分離帯に接触して、反動で右側に跳ね飛ばされ、道路から逸脱してずるずると堤を滑り落ちていき、川に突っ込みました。

ワゴン車は川の流れにのってしばらく浮いていましたが、川の真ん中付近で沈みかけて止まりました。川岸から三十フィートぐらいのところです。水は車の窓のあたりまできていました。わたしはあわてて急ブレーキをかけました]

 

   SE 急ブレーキをかける音

 

   SE トラックのドアを開ける音

 

SE 降りてドアを閉める音

 

   SE 雨の中をフランクが左足をかばいながら堤を走り下る音。

 

SE 川の濁流が聞こえる。

 

   SE フランク止まる。荒い呼吸

 

フランク「あああ、ワゴンが沈んでいく。バ

ーバラがドアをたたいている。ドアが開か

ないのか。助けなくては」

 

   SE 雨の堤を駆け上る走る音

 

   SE トラックのドアを開ける音

 

SE 道具箱を開けて中からハンマーを取り出す音。

 

フランク「よし、ロープも持った」

 

   SE 雨の堤をかけ下る音 荒い呼吸

 

フランクN「わたしは脱出ハンマーと荷造り用のロープを持って、トラックを降りました。ふと腕時計を見ると、五時二十五分でした。

トラックが止まっている所から空港まで十分はかかります。ですから遅くとも五時四十五分までには二人を救出しなくてはなりません。

しかし、雨は降っているし、川は濁流で水かさを増しています。左足も関節炎だし、とても二十分で救出する自信はありませんでした。

それに、所長から六時までに間に合うように配達してくれと頼まれているし、もし遅れれば空港と製薬会社の両方に罰金を払わなくてはなりません。運転審査で減点もされます。 

どうしよう。助けるべきか、見捨てて空港に走るべきか、と迷っていると、ジェーンの声が聞こえてきました」

 

    SE「でも、あの子達死んじゃうの、かわいそう」

 

フランクN「わたしは、残酷なようですが、二人を救助することを断念してトラックに戻りました。携帯電話を取り出して九一一番に電話しました」

 

SE 九一一番に電話をかける音

 

緊急センター職員「緊急センターです。どうされましたか」

フランク「事故です。エアポート・ブルバード道路で事故がありました。ブライアント川にワゴン車が落ちました。沈みかかってます」

職員「ブライトン川のどのあたりですか」

フランク「ローリー・ダーラム空港から西へ十マイルぐらいの四十号線よりです」

職員「わかりました。あなたのお名前と電話番号を教えてください」

フランク「わたしはフランク・ハワードといいます。番号は678-9012です」

職員「フランク・ハワードさん。678-9012ですね」

フランク「そうです」

職員「すぐにレスキュー車を出します」

フランクN「わたしは電話をかけ終わると、川がこれ以上水かさが増さないように、またレスキュー車がすぐに来るように祈って、トラックのエンジンをかけました」

 

   SE トラックのエンジンをかける音

 

SE 発進する音

 

   SE 雨の道路を走る音

 

フランク「すまん、バーバラ、ナンシー、許

してくれ。俺は利己主義だ。仕方がないの

だ。しかし……。しかし、見捨てていいの

か。本当に二人を見捨てていいのか。本当

にいいのか」

 

   SE 急ブレーキの音

 

SE ギアをバックに入れる音

 

SE 雨の道路を全速バックで走る音

 

フランクN「わたしは急ブレーキをかけました。二人を見捨てることはできません。ギアをバックに入れました。幸い後続車はいません。全速で後退しました。

現場に戻り、ワゴン車を見ると水が窓枠のところまできていました。バーバラが傘のようなもので窓を叩いているようでした。ナンシーが立ち上がっているのも見えました」

 

   SE トラックが急停止する音

 

   SE トラックのドアが開き閉じる音

 

   SE 雨の堤を駆けくだる足音

 

SE 濁流の音

 

フランク「おーい、バーバラさーん、ナンシ

ー。今助けに行くからー」

 

   SE 木の幹にロープを縛り付ける音

 

フランクN「わたしは川岸に生えていたポプ

ラの木にロープの一方の端を結びつけ、他方の端を身体に結んで、手にハンマーを持って川に飛び込みました」

 

   SE 濁流に入る音

 

フランク「ワゴン車まで約三十フィートありました。川は凍るように冷たく、雨で濁っており、流れが急でわたしは流されそうになりながら足を踏ん張って、一歩一歩ワゴン車の方に進みました。

ワゴン車まであと五フィートぐらいになったとき、バーバラの引きつった顔が雨を通して見えました。バーバラは手を必死にわたしに向かって振っています。ナンシーも立って振ってました。シートベルトをはずしたようです。わたしはワゴン車まで来ると、片手でサイドミラーをつかみました。バーバラに窓から離れるように合図を送り、ハンマーで思い切り窓ガラスをめがけて振り下ろしました」

 

   SE 窓が割れる音。濁流の音

 

フランク「ロープをハンドルに縛ってください」

バーバラ「ありがとう、ありがとう」

フランク「じゃ、窓から体を出してください。わたしが引っ張ります」

バーバラ「いえ、ナンシーを、ナンシーを先に。ナンシー、窓から体を出して」

ナンシー「はい」

バーバラ「もっと出して」

ナンシー「よいしょ!」

フランク「よし、引き受けた。そら、ナンシー、おじさんに捕まって、そう」

フランクN「わたしはナンシーを窓から引き

ずり出して、おんぶして、両腕をわたしの胸の前で交差させました」

フランク「ナンシー、手を離しちゃだめだよ。しっかり捕まってるんだよ」

ナンシー「はい」

バーバラ「お願いします」

フランク「すぐ戻りますから」

フランクN「わたしはナンシーの両手を左手で押さえ、右手でロープを握りながら、濁流を横切って岸に向かいました。水が冷たくて足がちぎれるようでした。おまけに左足が思うように動きません。ゆっくり、ゆっくり慎重に岸に向かいました」

 

   SE 濁流の音 雨

 

フランク「よし、岸についた。さ、ナンシー、降りなさい」

 

ナンシー「はい」

 

   SE 岸にナンシーが降りる音

 

ナンシー「ばあちゃんは?」

フランク「今から行くから心配ないよ」

 

  SE 濁流に逆らって横切る音

 

フランクN「わたしはナンシーを下ろして、その足でまた濁流を横切ってワゴン車までどうにかたどり着きました。

ハンドルはほとんど水没しており、水は窓の半分の高さまできていました。バーバラは窓から半身になって身体を出しています」

フランク「さ、もう大丈夫です。窓から身体を出してください。そう、引っ張りますよ」

 

   SE 身体を引きずり出す音

 

   SE バーバラが川に降り立つ音

 

フランク「よーし、じゃ、ロープを掴んでください。ゆっくり進んでください。わたしはすぐ後ろについていますから」

バーバラ「わかりました」

フランクN「バーバラが岸に向かって歩き出しましたが、十フィートぐらい歩いたところで、バーバラが足を滑らせて、身体ごと川に倒れてロープを手から離してしまいました」

フランク「あ、危ない!」

 

   SE バーバラの悲鳴

 

SE 雨の中、バーバラの身体が濁流に転ぶ音

 

フランクN「危機一髪、わたしは転んだバーバラの手をつかみ、身体を引き上げました。バーバラは頭からずぶ濡れで、激しく咳き込みました。唇が震え、歯がカチカチ鳴っていました」

 

   SE 激しく咳き込む音 雨、濁流

 

フランク「さ、頑張ってください。しっかりロープを持ってて下さいよ。じゃ、行きましょう」

バーバラ「(咳き込みながら)わ、わたし、う、動けません」

フランク「もう少しですから。そらあそこにナンシーが待ってます」

ナンシー「(遠くから雨音を通して)ばーちゃーん」

バーバラ「ごめんなさい、もう……。動けません。ナンシーさえ助かれば……」

フランク「何言ってるんですか。もうすこしですから」

 

   SE 濁流の音

 

フランクN「わたしは困ってしまいました。動けないというバーバラを動かすことはできません。おんぶするにも、左足が思うように動かなくて、ナンシーだけでも大変だったのに、バーバラさんをおんぶなどできませんでした。おんぶしても途中で必死に首にしがみつくかも知れません」

 

   SE 濁流の音

 

   SE レスキュー車のサイレンが遠くから聞こえてくる。パトカーや救急車のサイレンなど入り混じり、サイレンの音が次第に大きくなってくる

 

フランク「バーバラさん、救助隊です。助かりました。そら、見えますか。パトカーも救急車も来てますよ」

バーバラ「ええ、見えます。見えます」

 

   SE 濁流、雨。サイレンが止まる

 

SE パトカー等が停止する音

 

SE 隊員が堤をかけ下る音。

 

フランクN「救急隊員が十人ぐらい堤を駆け下りてきました。全員が黄色い救命胴衣をつけていました。先頭の二人は黄色いロープを肩から掛けて腕で抑えていました」

隊員「(ハンドマイクで)今行きまーす。そのままー、動かないでくださーい」

 

   SE 隊員が掛け声をかけ合って川に入る音

 

SE 濁流を隊員が横切る音

 

フランク「バーバラさん、救急隊が、そら、来てくれました」

バーバラ「助かりました。助かりました」

隊員1「よし、着いた。お二人共、救命胴衣をつけてください。ここからかぶって……」

隊員2「おばあさん、わたしがおんぶしますから、どうぞ」

バーバラ「ありがとうございます」

隊員2「さ、わたしにしっかり捕まっていてくださいよ。行きますよ」

バーバラ「はい」

隊員3「あなたは歩けますか」

フランク「ええ、歩けます」

隊員4「じゃあ、ロープに掴まってゆっくり進んでください。私たちが両脇から見守ってますから、焦らずに」

フランク「はい」

 

   SE 濁流を隊員が二人を励ましながら横切る音

 

   SE 隊員2が川から岸に上がる音

 

隊員2「もう大丈夫です。降ろしますよ」

 

   SE バーバラが川岸に降りる音

 

ナンシー「ばあちゃん!」

バーバラ「ナンシー」

 

   SE バーバラ、泣き出す

 

   SE フランクと隊員たちが川岸に川から上がる音

 

隊員3「さ、着きました」

フランク「ありがとうございました」

フランクN「わたしは岸に着いてワゴン車を見

ました。ワゴン車は屋根だけ残して水没して

いました」

隊員5「じゃあ、皆さん、救急車に乗ってください」

 

   SE 救急車のドアが開く音

 

SE バーバラとナンシーが乗る音

  

フランクN「わたしは腕時計を見ました。五時四十七分でした。シャッターが閉じるまであと十三分です。急げば間に合う時間でした」

隊員5「あなたも、乗ってください」

フランク「いえ、わたしはいいです。急ぎますので……」

フランクN「わたしは急いでトラックに走り、乗り込もうとしました」

隊員1「フランク・ハワードさんでしたね」

フランク「はい」

隊員1「気をつけて、また連絡します」

 

   SE トラックのドアを閉じる音

 

SE エンジンをかける音

 

   SE トラックが急発進する音

 

SE 雨の道路をトラックが驀進する

 

フランク「間に合ってくれ、間に合ってくれ」

 

   SE 雨の道路をトラックが驀進する

 

フランク「空港が見えてきた。あと一息だ。なんとか間に合う」

 

   SE 雨の道路をトラックが驀進する

 

フランク「よし、搬入口だ」

フランクN「わたしはトラックが搬入口に近づいたとき腕時計を見ました。でした。先ほどの時間と同じです」

 

フランク「えっ、五時四十七分? さっきと同じ時間じゃないか……。そうか、水だ。水で止ってしまったのか。畜生。何ということだ」

フランクN「わたしは運転席の時計を見ました。時間は六時十六分でした。きのう、同僚の運転手が六時五分に搬入口に着いたところ、シャッターは閉まっていたと聞いたばかりでした。六時十六分ならとっくにシャッターは閉じている時間です。

わたしは急に緊張が解けて疲れがどっと出ました。遅れてしまったものはどうあがいてもどうしようもありません。濡れた服が冷たく感じました。

とにかく暖かいところに入って休憩しなければならないと思い、空港の一般車用駐車場に向かいました」

 

   SE 雨の中トラックがゆっくり走る音

 

SE 停車する音 

 

SE ドアが開いて閉じる音

 

SE フランクが駐車場を歩く音。

 

SE 空港の扉を開ける音

 

SE 空港のざわめき。フライト案内ア

ナウンスなど

 

SE 濡れた靴で空港内を歩く音

 

SE ビュフェのドアを開ける音

 

SE ビュフェ内のざわめき。食器の音、話し声。ラジオの音など

 

フランクN「ビュフェに入ると、客がじろじろわたしを見ました。びしょ濡れだったからです。わたしはビュフェの奥まで進み、カウンターに座りました」

店員「いらっしゃい。ご注文は?」

フランク「コーヒーとパンケーキ」

店員「かしこまりました……。お客さん、どうしました。ずぶ濡れですが」

フランク「いや、川に飛び込んでね」

店員「雨の中を? まさか、ご冗談を」

フランク「本当だよ。そこのブライアン川に車が落ちてね。人命救助したんだよ」

店員「へー、すごいじゃないですか。ちょっと待ってください。タオル出しますから」

フランク「すまんね」

店員「はい、タオル。じゃあ、人命救助で表彰されますね」

フランク「そんなこと、どうでもいいんだがね。おかげで仕事が台無しになっちゃったよ。世の中うまく行かないね」

店員「ホント、うまくいきませんよ……」

 

    SE 店内の音 ラジオの音など

 

店員「はい、コーヒーとパンケーキ」

フランク「どうも」

フランクN「わたしはコーヒーを飲み、パンケーキにバターを塗って、シロップをかけて食べはじめました。ほっとすると川で起きたことが思い出されました」 

フランク「一体、俺は何をしたって言うんだろう。あのとき、バーバラとナンシーを助けるべきだったのだろうか……。

救助隊に連絡した時点で、トラックを飛ばすべきだったのだろうか。いや、いや、あのままではワゴン車は水没してしまう。後ろからは車が一台も来ていなかった。雨は止まないし、水位は上がってくるし、二人を見殺しにするなんてできないよ。

しかし、バーバラとナンシーは今日初めて会って、話を少ししたただけの関係だ。赤の他人といえば他人だ。他人にかまっていて良かったのか。俺には生活がかかった仕事があったのに……。所長に合わせる顔がない……」

 

   SE パンケーキをナイフ切る音

 

SE コーヒーを飲む音

 

SE コーヒーカップを置く音 

 

SE ラジオのポップミュージックの音

 

フランク「でも、考えてみれは、アフリカで子供達がマラリアで刻々と死んでいるんだ。ジェーンやナンシーのような可愛い子が。一分間で一人の割合で死んでいるのだ。

もし、今晩飛び立つ貨物便が、明日の晩まで延期されると一体何人の子供が死ぬことになるのだろう」

 

   SE キャフェのざわめき

 

フランク「ちょっと、済まないがね」

店員「はい、なんですか」

フランク「ペンと何かメモするようなものないかな」

店員「はい。じゃ、これで」

   

   SE 紙とペンを受け取る音

 

フランク「ありがとう。えっと、一日二十四時間だから、分に直すと……。一四四〇分か。ええっ、ということは、一日で一四四〇人の子供が死ぬっていうことか。なんという数だ。俺は一四四〇人の子供の命を見捨てて老婆と少女を救ったのか……。あのとき、一四四〇という数字を知っていたら、二人を救助しただろうか……。わからない」

 

   SE コーヒーを飲んで、カップを皿に置く音。

 

SE ラジオのポップミュージックの音

 

フランクN「わたしはふたりを救助すべきであったのか、アフリカの子供を優先すべきであったのか、わからなくなってきました。そのとき、ジェーンの声が聞こえてきました」

 

   SE ジェーン「あの子達、死んじゃうの? かわいそう」

 

フランクN「ジェーンの声を聞いて、なんだ

かジェーンに申し訳ないような気になり

ました」

 

   キャフェの雑踏 ラジオの音

 

フランク「……もう済んだことだ。二人を救い、アフリカの子供も救うなんて、そんな虫のいいことはできっこないのだ。所長に謝るしかない」

 

   SE コーヒーを飲んで、カップを皿

に置く音。

 

SE ラジオはポップミュージックを終えてニュースを伝えている。次第にボリュームアップ

 

ラジオ「……ローリー市で火事があり、独り住まいの老人が亡くなりました。消防署では火事の原因を調べています。

次のニュースです。今日十一月二日は冬時間に切り替わった最初の日です。うっかりして時計を一時間戻していなかったために、今年もまた各地でトラブルがありました。グレート・スモーキー・マウンテン鉄道のデリスボロウ駅では時計を直していなかったため、乗客がプラットホームに溢れ……」

フランク「冬時間? 店員さん、その時計あってるね。今五時四十三分だね」

店員「はい、あってます。五時四十三分です」

フランク「代金いくら?」

店員「えっと、六ドル三十セントです」

フランク「じゃ、ここに置くね」

 

   SE 代金をカウンターに置く音

 

   SE キャフェのドアを開ける音

 

   SE 空港を走る音

 

   SE 空港のドアを開ける音

 

   SE 雨の駐車場を走る音

 

フランク「急げ、まだ間に合う、急げ」

 

   SE フランクの激しい呼吸

 

SE トラックのドアを開けて閉める音

 

   SE エンジンをかけ、トラックが急発進する音

 

   SE 全速で走る音

 

フランクM「搬入口だ。何時だ」

フランクN「わたしは運転席の時計を見ました。六時五十二分でした。運転席の時計も夏時間のままでしたので、実際は五時五十二分です。わたしはフルスピードで飛ばしました。搬入口まで来ました。搬入口の前に小型トラックが止まっていました」

 

フランク「何をもたもたしてるんだ」

 

   SE 小型トラックが発進する音

 

フランク「よし」

 

   SE トラックのアクセルをふかす音

 

SE シャッターがとじ始まる音。ビービービーなど

 

SE シャッターが閉じる音にかぶさって搬入口に入り込む音

 

フランクN「トラックはかろうじて搬入口に入り込みました。バックミラーで後ろを見ると、シャッターが閉じ終わるところでした」

フランク「間に合った」

 

   SE 貨物ビル内のトラックの発着音や荷物担当者の掛け声など雑踏

 

SE トラックがゆっくり走る音

 

   SE トラックが停車する音

 

フランクN「わたしは輸出貨物七番受付で停

車して、トラックを降り、受付に配送伝票

を渡しました」

受付担当者「グラクソ・スミスクライン製薬

会社の抗マラリア薬品、百二十箱ですね、

確かに受け取りました。積荷受領書です」

 

SE 受領書を受け渡す音

 

受付担当者「積荷を下ろしてください」

 

   SE 数人の積荷担当者が掛け声をかけて積荷を下ろす音

 

積荷担当者「全部下ろしました」

フランク「ご苦労様です。じゃこれで」

 

   SE フランクがトラックのドアを開け、乗り込んでドアを閉める音

 

   SE エンジンをかける音

 

   SE 発進して、貨物ビル内を走る音

 

フランク「よし外に出た。雨が上がっている」

 

   SE 小鳥のさえずり

 

SE 道路を走るトラックの音

 

フランク「ああ、グレート・スモーキーマウ

ンテン山脈が見える。夕焼けだ」

フランクN「わたしは夕焼け空を見ながら西

に西にと走りました。ジェーンの顔がまぶ

たに浮かび、声が聞こえてくるようでした。

ジェーン「あの子達、死んじゃうの。かわいそう」

フランク「死なないよ。今日お父さんね、マラリアの薬を空港に運んだから」

ジェーン「ほんと、じゃ今頃飛行機が運んでるのね」

フランク「そうだよ」

ジェーン「良かったぁ」

               

   SE トラックが走る音。次第に遠ざかる

 

   SE 『アラウンド・ザ・ワールド』

   が流れる

 

                 おわり

 

     四百字詰原稿用紙換算 五十五枚