2009年10月28日水曜日

団子鼻

 買い物から帰った君子がいち大ニュースを発表するような口調で言った。
「ちょっと、あなた、聞いた? 三階の手塚さん、離婚したんだって」
「手塚さんて、あの老人夫婦か?」
「そうよ。だからびっくりよ」
「離婚したって。ご主人はもう七十近いだろう」
「七十一歳だって。奥さんは六十八だそうよ。なんでも、このマンションは奥さんと息子さんに譲って、旦那さんは実家の青森に帰ってしまったそうよ」
「そうか。それで最近あの爺さんを見かけないのか。毎朝、俺が出勤するとき、子犬を散歩させていたが……。で、どうして離婚なんかしたんだ」
「それがね、一人息子さんが自分の子でなかったんだって」
「えっ、自分の子でないって、どうして分かったんだろう」
「そこまでは聞いてないわよ。でも七十一歳よ。よく離婚するわね……。あなただったらどうする? 離婚する?」
忠雄はドキッとした。君子はとっぴもないことを聞く。
「俺か、そんな年取ってから離婚も何もないだろう。息子さんも四十歳ぐらいになっていると言うのに。全く、不幸なことだ。で、なぜそんなことを聞くんだ。隆司は俺の子じゃないのか?」
忠雄は半分冗談で聞いた。
「何言ってるのよ。お馬鹿さんね。冗談よ。隆司はあなたの子よ。何考えてるの」
君子はくすくす笑い出した。
数ヵ月後、隆司は小学校に入学し、記念に写真屋で家族三人の写真を撮った。出来上がった写真を見て君子が言った。
「ねえ、隆司あなたそっくりね」
「そりゃ、そうだろう。親子だからな」
と言ったものの、忠雄は息子がそんなに似ているとは思っていなかった。自分で自分の顔が見えないから端から見ると、よく似て見えるのだろう、ぐらいにしか考えていなかった。
五月五日のこどもの日、君子の実家に三人で出かけた。夕食のとき義母が
「隆司ちゃんは、お父さんによぉく似ているね。目元なんかそっくりだよ」と言う。
君子も
「そう、よく似ているわ。目元も、眉毛も、鼻も」
義父が隆司の顔と忠雄の顔を見比べて言った。
「いや、鼻の形は全然似てないよ。君子の鼻にも似ていないし」
すかざず、君子は反論する。
「鼻もパパそっくりよ。顔全体が生き写しよ」
義母も、父親そっくりだと反論する。
どうして義母も君子も隆司が俺に似ていると言い張るのだろう。隆司と俺が似ているなんて、当たり前のことだ。半分は俺の血が入っているのだから。
 しかし、義父に言われて初めて気がついたが、隆司の鼻の形は俺の鼻の形と違う。かと言って、君子の鼻にも似ていない。あのまん丸い、鼻柱の通った、顔の面積に比べていやに大きい鼻は一体誰の鼻に似たのだろう。それに、君子は「鼻もパパそっくりよ」などと、どうして言うのだろう。鼻の形は全然似ていないのに。
 俺の気がかりをよそに、君子は隆司が俺に似ている、似ていると三日に一度は言うようになった。以前はこんなに言わなかったのに。どうして最近似ていると言うのだろう。幼稚園のときにも似ている言っていたのかなぁ……。最近よく言うようになったような気がするのはどうしてだろう。俺が気にしているから、返ってよく言っているように聞こえるのかもしれない。
 君子が妊娠したころは、街に出ると妊婦がよく目に付いたし、隆司が赤ん坊のときは、乳母車がよく目に付いた。人間、見えていても、こちらが気にしているものだけが見えて、気にしていないものは見えないことがよくある。それと同じことか。
 でも、特に親戚の家に行ったり、知人が尋ねてくると、似ている、似ていると、君子はことさら強調する。
昨日だって三回は言っている。どうして、あんなに強調するのだろう……。何かわけがあるのだろうか……。
待てよ。隆司が、俺に似ていないから、わざと似ている、似ていると言っているのか。隆司が俺に似ていないって? そりゃどういうことだ。もしかして、隆司は……。まさか、そんなことはない。そんな馬鹿なことがあるわけがない。
 でもまてよ。隆司が小学校に上がる頃、君子は変なことを言った。「隆司があなたの子でなかったら、離婚する?」と聞いてきた。
あの時は冗談と思っていたのだが……。
いつか君子の実家に行ったとき義母も隆司が俺に似ていると強調していた。二人は何か俺に隠しているのだろうか。そういえば、義父が言っていたように、隆司の鼻は君子の鼻にも、俺の鼻にも似ていない。隆司は本当に俺の子なんだろうな。俺の子に間違いないと思うのだが。
 待て待て。あの鼻、どこかで見たような気がする。でも、どこで見たのだろう。あのいやにでかい丸い鼻。
 数ヵ月後、君子が大学の同窓会に出席したときの写真が数枚送られてきた。忠雄は君子と一緒に写真を見ているうちに、一枚の写真を見てびっくりした。その写真には、君子とある男の二人がアップで写っていた。二人ともうれしそうに笑っているが、よく見るとその男の鼻が隆司の鼻とそっくりなのだ。隆司の鼻は団子鼻で、顔全体に比べて異様に大きいのだ。この男の鼻も団子鼻で顔に対してアンパランスに大きい。
 そういえば俺はこの男のことは、よく覚えている。
 
 結婚して間もない頃、君子は大学卒業アルバムを見ていた。大学では君子は社会学を専攻し、卒論は「女性の社会的地位と男女差別」について書いていた。
 君子はアルバムをめくりながら,専攻ゼミクラスの写真を見せてくれた。写真の中にひときは鼻の大きい学生がいた。鼻が団子鼻で、まるで肉饅頭が顔の真ん中にくっついているようであった。
「この男、鼻がでかいね」
「ええ、この人、後藤さんといってね、団子鼻だったから、団ちゃんて、あだ名だったのよ」
「へーぇ、団ちゃんね」

 あれから十年経った今、君子は同窓会の写真を見ながら言った。
「同窓会、楽しかったわ、久しぶりにみんなに会えて,大学時代に戻ったような気になっちゃった。みんな全然変わってないのよ……。そう、そう、あなた覚えてる? わたしの卒業アルバムに載っていた団ちゃん、団子鼻の」
「ああ、覚えているよ。あの鼻のでかい……名前を何とか言ったな」
 忠雄はギクッとした。君子はなぜ団子鼻の男の話を持ち出すのだろう。
「後藤さんよ。後藤さんも来ててね、大学を卒業して社会科の先生をしていたのだけど、すぐ先生を辞めてね,東芸大に入学しなおして、いま、建築デザイナーをしているんだって」
「建築デザイナーって顔じゃないが」
「ええ、でも、高校時代は美術部に入っていたそうよ。お父さんが美術の先生だって。社会科の先生より、建築デザイナーのほうが向くと思うわ。ほら、名刺をもらったわ。今度、大阪に転勤だって」
 君子は熱っぽく後藤の話をする。差し出した名刺を見ると「グローバルデザイン株式会社 名古屋支店 建築デザイナー 後藤隆司」とあった。
隆司って、息子と同じ名前じゃないか。隆司って名前は、君子がどこかの姓名判断相談所で最終的に決めてきた名前だったはずだが……。この団子鼻と同じ名前とは。
忠雄はさらに会社の住所を見て驚いた。名古屋市中区正木町とある。君子の実家も中区正木町だ。君子はよく隆司を連れて、実家に帰っていたが……。隆司という名前にしても、正木町にしても、偶然だろうか。
 君子はいつもより興奮気味だった。うれしそうで、後藤さんが、後藤さんが、と後藤のことばかり話す。  
忠雄は後藤と君子の関係を疑い始めた。
どうも変だ。隆司の鼻が後藤の鼻にそっくりだ。どうして君子はわざわざ団子鼻の男のことについてこんなに話をするんだろう? あのはしゃぎようは一体何なんだろう。ことさら団子鼻の男の話をしているのは、私が疑っているのに気がついていて、逆手に取ってはぐらかそうとしているのか。君子はあれでいて、相当頭が切れるからなあ。
 まさかと思うが、隆司はあの団子鼻の子かもしれない。そんなことはないと思うが、全く否定もできない。鼻が物語っている。でも、まあ、馬鹿げている。思い過ごしだろう。君子はそんな女ではない。そんなはずはない。
 忠雄は、君子の同窓会があった日以来、家に帰って来ても、どうも居心地が悪く、君子が隆司と親しく話をしているのを見ると、自分がのけ者のように感じるようになった。
最近、俺はどうかしている。
 数週間たって、隆司は夕食のときに言った。
「今日学校でね、先生に絵がうまいって誉められたよ。才能があるって。僕の絵が、今度香港に送られて、香港の小学校に飾られるんだって。代わりに香港の小学生の絵が日本に送られてくるんだって。香港の子ってどんな絵を描くんだろう」
「そう。それは良かったわね。隆司は幼稚園でも先生が絵が上手だって誉められてたもんね」
「隆司、お前たいしたものだ」
と、忠雄は言ったものの、どうも腑に落ちなかった。
君子も俺も、君子の親だって、俺の親だって、誰も絵がうまいものはいない。どうして隆司は生まれつき絵がうまいのだろう。
 はっと気がついた。あの男だ。あの団子鼻だ。あいつは建築デザイナーだし、いつか君子があいつの親が美術の先生だと話していた。団子鼻の子なら絵がうまいのは当たり前だ。団子鼻の子なんだろうか。まさか。まさか。俺は考えすぎだ。
 その年の暮れ、また疑わしいことが起こった。忠雄が年賀状の宣伝チラシを見ていたら、君子が、今度の年賀状から家族三人の写真を年賀状に載せようと言うのだ。結婚以来年賀状はごくありきたりの年頭の挨拶と干支のイラストを描いたものだったのだが、なぜ今度から家族三人の写真を載せようと言うのだろう……。
 そうか、分かった。そう言えばあの団子鼻の後藤は、大阪に転勤だと君子が言っていた。正木町の建築会社に隆司を見せに行けないから、あの団子鼻に隆司の写っている写真つきの年賀状を送ろうという訳だ。
「写真は高くつくよ」
「ええ、そりゃ高くつくけど、年に一回だけよ。隆司も一年生になったし、みんなに隆司のこと見てもらういい機会じゃない」
「俺は、あまり気が進まないな」
「どうして」
「どうしてって、ただ……」
「ただ、何なのよ。写真は都合が悪いの? ありきたりの年賀状よりよほど近況報告としては、ぴったりよ。何か都合の悪い訳があるの?」
「お前こそ、写真にする訳があるのか」
「何言ってるのよ。特に訳なんかあるわけないでしょ。反対なら今まで通りでもかまわないのよ」
「分かった、分かった。いい機会だし記念になるし、写真にしよう」
「変な人」
 とうとう、君子に言いくるめられてしまった。これで君子は隆司の写真を毎年あの団子野郎に送れるわけだ。
 しかし、まだ隆司は団子鼻の息子と決まったわけでもないのに、どうして俺はむきになってしまうのだろう。どうも最近俺は考えることや言うことがおかしい。
 三ヶ月経った。隆司のことは気にしないでおこうと思っても、どうしても気になってしまう。本当に俺の子なんだろうな。団子鼻の子であるなんて、考えられない。そんなことがあるはずがない。
忠雄は次第に隆司が本当に自分の子なのか、そうでないのかはっきりさせないではいられなくなってきた。毎日が苦痛であった。
中途半端な状態が一生続くのは耐えられない。君子にそんなことは聞けないし。団子鼻の後藤を突きとめて聞いてもしょうがない。でも何か方法があるはずだ。隆司の血液型はA型だし、俺ははAB型だ。これでは何も証明できない……。どうしたらいいか。
忠雄が悩んでいたそんなある日、君子が
「あなた、最近DNA組み換え食品ってよく聞くけど、DNAって何のこと?」と聞いた。
「ああ、それは、遺伝子のことだ」忠雄は君子がDNAのことを知らないことに驚いた。やはり女は常識がないなと思った。
「確か、デキオ何とかアシドとか言ったな。人間の細胞の染色体にある遺伝子情報のことだ」
「へーえ、その情報が組み替えられると、どうなるの? 組み替え食品は危険なの?」
「うん、人工的に遺伝子を操作するんだから、変な食物ができてしまうのじゃないか。自然のままが良いということだろう」
と言いながら、忠雄は内心、そうか、DNA鑑定があった。なぜこんな簡単なことに気がつかなかったんだろうと思った。
君子はタイムリーな質問をしてくれた。DNA鑑定なら犯罪や、中国残留孤児の親子鑑定などでよく使われている。
 しかし、鑑定の結果、隆司が自分の子でなかったらどうしよう。離婚か。君子は良き妻であり、良き母親だ。特にこれと言った不満はない。世間では、良妻賢母というが、賢妻良母といったほうがいい。なんと言っても、君子は賢い。将棋士のように物事の先が読める。離婚は避けたい。
ただ、君子は俺のことをどう思っているのだろう。俺はなんたって、酒癖が悪いから……。酒を飲むと何でもかんでも、べらべらしゃべってしまうからな。
そうそう、新婚当時、君子と結婚する前に付き合っていた女性が美人で、リッチで、育ちが良くてと、とうとうと話したことがあった。あの時、君子は怒ってしまったな。酒を飲まなければ俺は口は堅いんだが。
それから、俺の大学の後輩が家に遊びに来たとき、酒を飲んで、君子の前で、君子の親父の悪口をならべたてたら、そのときは君子は、にこにこしてたが、後輩が帰ったら、えらい剣幕で怒ったことがあった。
最近も酒を飲んで、最近入社した女子社員がとびきりの美人で、あんな女と結婚すればよかった、お前と結婚したのは失敗だった、などと君子に言ったことがあり、君子は「何を馬鹿なこと言ってるの」と言っていたが内心怒っていただろうな。
いやいや、そんなことはどうでもいいのだ。今考えなければならないことはそんなことではなく、隆司が俺の本当の子かどうかということだ。
で、離婚はしたくないが、隆司があの団子野郎の子供となると話は別だ。俺は一生涯、隆司のことを知らないふりをして生きていくことはできない。俺はそんな人格者ではない。俺はけちな男だ。了見の狭い男だ。俺は自分をごまかして生きていくことはできない。隆司が俺の子でなかったら、離婚するしかない。
ではどのようにDNA鑑定をすればいいのか。病院に行って血液検査をすれば俺のDNA鑑定はできるが、隆司の鑑定は隆司を病院に達れていかなければいけない。病院に連れていけば隆司は君子に病院に行ったと言うだろう。隆司を病院に連れていかずにDNA鑑定をする方法はないものか。
二週間後、君子は「インターネットって怖いのね」と言って、ある新聞記事を見せてくれた。それによると、ある女性がインターネツトで取り寄せた毒物により自殺したというのだ。
忠雄はこの記事を読んでインターネットを使えばDNA鑑定をしている病院が探せるかも知れないと思った。さっそくコンピューターを立ち上げ、DNA鑑定関係のサイトを検索した。しばらくしてDNA鑑定をしているという病院を四つ見つけた。しかし、四つとも本人が病院に来て鑑定をしなければならなかった。これではダメだ。隆司を病院に連れていくことはできない。
さらに別の検索でDNA鑑定のサイトを捜していたら、「ジーン・ジヤパン」というDNA鑑定会杜のホームページを捜し当てた。鑑定は簡単だった。会社に爪とか毛髪、唾液などのサンプルを郵送すればいいのだ。ただし鑑定料が高かった。一組の親子鑑定は約十六万円するという。高いとは恩ったが、一生続くであろう苦痛を取り除いてくれるのだから、それだけの価値はあると思った。
さつそく忠雄は隆司と自分の髪を送った。送ってしまうと何かさっぱりした。結果が来るまで三週間あった。この三週間は、隆司を他人の子ではなく、自分の子として一緒に遊んた。
なんと言っても、生まれたときから、俺を父親だと思っている。隆司が団子鼻の子なら、分かれるのはつらいが、それはなんともしょうがないではないか。
忠雄は半分怒れてきて、半分寂しいような気持ちになった。それでも、鑑定を依頼する前のいらいらは一切なくなっていて、心が落ち着いてきていた。
「あなた、やっと元のあなたに戻ったわね。このところ帰りは遅いし、むっつり考え事をしているし、よほど仕事がきつかったのね」
「うん、やっと懸案の仕事が一段落してね。ほっと一息と言うところだよ」
と言いつつも、こんな会話はいつまで続くかなと思った。
三週間後、鑑定結果が会杜に送られてきた。宛名はもちろん君子に分からないように会社にしておいた。
忠雄は胸の高鳴りをおさえ、封筒を開いた。結果は親子の可能性は九九、九九九パーセントであった。
これは事実上、親子と言うことだ。隆司は俺の子だ。俺の子だ! 俺の子なんだ。離婚をしなくて済む。良かった、良かった!
一体この半年ほどこの俺をさいなんだのは何だったんだろう。重い鎖が解き放たれた。
その日は残業で帰りが遅くなった。家に着いて隆司の寝顔をじっくりと眺めた。君子の言う通りだ。隆司は俺そっくりだ。隆司は俺の子だ。
「あなた、今日、何かいいことが会社であったのね。顔色がとても良いし、心が何か晴れ晴れしたような感じよ。お酒でも飲む?」
 おお、酒だ。君子はたいした賢妻だ。よく気がつくよ。
久しぶりに酒を飲んだ。女房に内緒の祝い酒だ。
「あなた、本当にうれしそうね。もう一杯どう?」
思わず酔いが回ってきた。酔いが回りながら、ついつい笑ってしまった。笑いながらも涙が出てきた。
「今日は愉快だ。実に!」
 酔いがますます回り、笑いが止まらなくなり、涙が頬を伝って流れた。
「あなた変よ。どうしたの。泣いたり笑ったりして。何かあったのね。何かうれしいことがあったのでしょう。何があったの?」
「いやあ、今まで黙っていたんだが、実は…」
と言って、忠雄は隆司が自分の子でないかもしれないと疑って、DNA鑑定をした経過を一部始終君子に話した。君子は呆気にとられた顔をし、黙って聞いていた。
その晩、忠雄は久しぶりにぐっすり眠ることができた。
翌朝、君子が言った。
「昨晩は一睡も眠れませんでした。わたしのことを信用していないような人と、これから一緒に暮らしていく自信がありません。離婚して下さい」


おわり

  
4百字詰め原稿用紙約十八枚

2009年10月20日火曜日

黄金の鯱 (こがねのしゃちほこ)オアシスに行く

二〇〇九年、十月四日。午前二時。
 折からの強風にあおられて、大凧が名古屋城天守閣上空に現れた。凧には大の字になった黒装束の男が乗っている。凧が雌の金鯱の真上にさしかかった。えいっ! 男は大棟に飛び降りた。金鯱鱗泥棒、平成の柿木金助だ。
 金助は鯱にまたがり、ロープの端を自分の腰に巻き、他方の端を鯱の尾ひれに結わえた。これで風で吹き飛ばされる心配はない。背中から黒いリュックを下ろし、自在スパナとペンチを取り出して、腰の工具ベルトにさし、次に、懐中電灯を出して紐を首にかけた。
 仲秋の名月が、流れる雲間から一瞬顔をのぞかせ、金鯱が光った。
金助は、左手で懐中電灯を持って鱗を照らし、右手で鱗を固定しているボルトにスパナをあてがった。金属音が闇夜に響いた。スパナを回した。ダメだ。スパナの口が滑る。落ち着け。誰も見てやしない。口幅を調節し、ボルトにあてた。慎重に、力を込めて、回した。おっ、回る、回る。鱗から三本のボルトを外し、スパナを工具ベルトに戻した。次に、ペンチで鱗の端をつかみ鱗を引っ張った。
「痛い!」
 びっくりした。確か「痛い」と言う声が聞こえた。まさか……。もう一度鱗を引っ張った。
「痛い! 何すんのよ」
 な、なんだ、この鯱、しゃべるんか。金助は鯱の目を見た。ぎょろりと巨大な目玉が動き、金助をにらんだ。
 な、なんでぇ、この化け物め。そんなことで平成の柿木金助が務まると思うのか。てめえが、にらもうが、わめこうが、俺は命がけでここまで来てんだ。やることは、やらしてもらうぜ。そりゃあ、泥棒はしたくねーよ。しかし、派遣切りで明日のおまんまも食べれねーのよ。お前なんか単なる飾りもんだ。食うのに困るなんて、どんなことか分からねーだろ。鱗はもらったぜ。悪く思うな」
「馬鹿だね、金助さんとやら」
「馬鹿とは何だ」
「だって馬鹿だよ、わたしの鱗は金メッキだよ。金にならないよ」
「そんなこたぁ、百も承知だ。メッキはメッキでも、お前の鱗を全部集めりゃ、四十四キロになるんだぜ。今の金相場、お前、知らねーだろう。一グラム、三千円近いんだ。わかったか。ちゃーんと調べてあるんだ。つべこべ言わずに全部俺によこせ」
「いやだよ。わたしゃ名古屋のシンボルだよ。お前みたいなこそ泥に一枚だってやらないよ」
 雌鯱は身体を激しく動かした。
金助はロープにしがみついた。
「おっと、何するんでぃ。危ねーじゃねーか。止めろ、止めろ、止めろっちゅうに!」
「落っこちて首の骨でも折って死んじまいな」
 ますます鯱は身体を揺り動かした。金助はスパナを工具ベルトから取って、鯱の脳天を思い切り殴った。
「この」ガーン。
「鯱の」ガーン。
「化け物!」ゴーン。
 雌鯱は気を失って動かなくなった。
「どうだ、ざま―見ろ」
 一時止んでいた風がまた吹き出した。金助はぶるぶるっと震えた。
 二時間後、金助は百二十六枚の鱗を全部はがした。次に、リュックから黒い袋を三つと五十メートルの長さの黒いロープを三本取りだした。一つの袋に鱗を四十二枚ずつ入れ、ロープで結び、一袋ずつ地面に下ろした。全部下ろすと、金助は大棟から千鳥破風に飛び降り、屋根づたいに地面に降りた。雲が満月を覆い、金助は闇に消えた。

          ***
 
 午前五時十二分。雄鯱が日の出を浴び、目を覚ました。
「あー、よく眠ったわい。どれ、今日も一日城を守るとしよう」
 雌鯱を見た。胴体が黒い。はて?
「おおい、鯱子、起きろ」
鯱子は気絶したままだ。雄鯱は叫んだ。
「おおい。鯱子! 起きろ!」
 鯱子は意識を取り戻した。
「お前、身体が真っ黒だ。鱗はどうしたんだ」
「あなた、夜中に変な男が来て、鱗をはがしていったのよ。頭を殴られて。ああ、くやしい。身体がひりひり痛いわ」
 鱗をはがされたところが朝日を浴びて痛むのだ。
「変な男って、どんな」
「黒頭巾よ。三十歳ぐらい。派遣切りで食うや食わずだとか言ってたわ」
「それは可哀そうだが、鱗をはがすなんて、許せん」
「そんなことより、鯱雄さん、身体がひりひり痛いのよ」
「そうか。困ったなぁ」
「太陽が照りつけるのよ。水をかければ、痛みも和らぐと思うけど」
「うむ、水か。お堀に水はあることはあるが。ボウフラがわいてるし、破傷風になるかも」
「どこか、きれいな水のあるとこないの?」
 鯱雄は下界を見渡した。西に見えるのは超高層ビル群で水には関係ない。南は栄の繁華街か、これも水とは無縁だ。東はナゴヤドーム。これもダメだ。
「鯱子、北には何か見えないか」
「庄内川が見えるわ」
庄内川か。昔に比べると、随分きれいになったが、まだ鮎が生息できるほどではないし。
 鯱雄はもう一度見渡した。南方にピカッと光るものがある。水面が朝日を反射している。そうだ、あそこにきれいな水がある。
「あった。オアシスがあるよ。栄の楕円形の、水のきれいな池が」
「オアシス21ね。知ってるわ。あの水ならきれいだし、よく効くかも」
「よし、それじゃ。オアシスに行くか。でも、水をかけるのはいいが、すぐ乾くからなぁ」
「そうね、でもあそこはオアシスだから周りは木で一杯のはずよ。葉っぱを貼れば痛みも和らぐわ」
「よし。ではしばらく天守閣を留守にするか。鯱子、今から飛ぶぞ」
「ええっ。飛ぶって、飛べるの?」
「お前、知らないのか。鯱の先祖はインドの摩羯魚(マカラ)だよ。女神の乗り物で、まあ、龍とワニとイルカを足したような魚だよ。もちろん、陸、海、空、自由自在さ」
「そうなの、で、どうやって飛ぶのよ」
「簡単だよ。そら、お前、ひれが四枚あるだろ。鳥みたいにバタバタやれば飛べるよ。長くは飛べないが、東門までぐらいは訳ないさ。後はオアシスまで歩けばいい。俺がやるから見てろよ」
鯱雄はひれをバタバタさせ、口を大きく開け、バックしながら、くわえていた大棟を口から外した。空中に浮かんだ。鯱子も思い切ってひれを動かした。おっとっと。危ない。もっとひれを動かして。そう。うまい、うまい。その調子。では、東門まで飛ぼう。
 鯱雄と鯱子は無事に東門まで飛んだ。午前七時だった。

               ***

 鯱夫婦は尾ひれを地面におろし、身体を腹ばいにして、胸ひれと腹ひれを使って、もたりもたり歩き出した。東門から大津通へ出た。誰もいない。鯱雄が言った。
「この広い道を南に三十分も行けば、そら、あそこにテレビ搭が見えるだろ。すぐ下がオアシスだよ」
「あら、よく知ってるのね」
「そうさ、お前は天守閣で北の方角を向いてるから分からないけど。俺は南を向いてるからな」
「そうね。ところで、なんか臭いわ」
「車の排気ガスだよ。まだ朝だからいいが、昼になると、もっと臭くなるよ」
 地下鉄「市役所前」に来た。出口から出てきた中年男が鯱を見て、おったまげた。
「な、なんだ。金鯱じゃないか。朝から脅かすなよ。どうして鯱がこんなとこにいるんだ。昨日飲み過ぎたからなぁ。幻覚だろう」
男は頭をかしげ、去って行った。
左前方に市役所が見える。鯱夫婦は十字路を市役所に向かって斜めに渡りだした。車が一斉に急ブレーキをかけた。焦げた臭いがした。運転手たちは目の前を通る鯱を、火星人でも見るような目つきで見た。
鯱夫婦は交差点を無事渡り、市役所の前の歩道をゆるりゆるり進んだ。バス停でお年寄り夫婦がバスを待っていた。鯱を見てびっくり仰天! おばあさんは腰を抜かし、おじいさんは直立してしまった。信じられない! 鯱じゃ、鯱じゃ。 
県庁前を通る時、鯱子は咳こんだ。
「鯱雄さん、空気が汚いから、エラがはれてきたみたい。呼吸ができないの」
「そうか、でも、あともう少しだよ。オアシスに着いたらエラを水で洗えば治るよ」
 とは言うものの、鯱雄も呼吸が苦しくなってきた。鯱雄のエラもはれてきていた。
救急車がサイレンを鳴らして走っていった。オートバイ、トラック、乗用車、バスが、ガーガー、ゴ―ゴ―とひしめき、騒音と排気ガスが鯱夫婦を苦しめた。
大津橋のサークルKの前まで来たら、中から可愛い女の子と母親が出てきた。母親は鯱を見て、買い物袋を落としてしまった。女の子は鯱雄に話しかけた。
「鯱さん、鯱さん、どこいくの」
「ああ、お嬢ちゃん、栄のオアシスだよ」
「どうして」
「きれいな水があるからだよ。木も生えてるし。そら、こちらの鯱」
と言って、鯱子の方を振り向いた。
「鱗を泥棒にはがされてね。痛いんだよ。きれいな水をかけて、葉っぱで覆ってやるんだよ」
「えっ、きれいな水って。あそこにはないわ。あっても、頭のずっと、ずっと高い所よ。木も生えてないわ。だから葉っぱもないし。あそこはショッピングセンターよ」
「まさか。お譲ちゃんは、まだ小さいからオアシスの意味が分かってないかな。オアシスと言うのはね、砂漠に水が湧いてるところで、周りに木が一杯生えているんだよ」
「でも、ショッピングセンターよ」
「いや、天守閣から見えるんだよ。楕円形のきれいな池が」
「でも、それは……」
 鯱子が、はあはあと呼吸しだした。早く行かなければ。
「じゃあ、お譲ちゃん、急ぐからね」
 鯱夫婦は、ビルの谷間をもったり、もったり歩き出した。人だかりができてきた。
「鯱だ、鯱だ、金鯱だ」
「どちらが雄で、どちらが雌だ」
「えっ、鯱に雄と雌があるの?」
「あるわよ。雄の方が六センチ大きいのよ」
「へーえ、でも、どこに行くんだろう」    
女子高生がツーショットを撮ろうとして、鯱雄のそばに立って、はい、パシャ。すると、我も我もと、みんなが鯱雄を囲んでバシャバシャ撮りだした。鯱子と一緒に撮る人はいなかった。
地下鉄「久屋大通駅」まで来た。テレビ搭がすぐ左前方に見える。もう少しだ。鯱子の痛みはますますひどくなってきた。鯱夫婦はぜいぜい呼吸をしながら、群衆を押し分けて進んだ。
 地下鉄「栄駅」まで来た。右手に大観覧車が見える。
黒の革ジャン男が鯱雄に近づいてきた。左耳に金細工のイルカのイヤリングがぶら下がっている。金髪だ。
「鯱さん、お願いがあるんですが」
「急ぎますから」雄鯱は言った。
「歩きながらでも、話を聞いて下されば」
「はあ、まあ、それなら……」
「済みませんねぇ。実は昨日ネ、母親が交通事故にあいましてネ、入院したんですよ」
 男の声が涙声に変わった。
「それでネ、鯱さん、入院費が払えないんですよ」
「それはお気の毒ですが……」
「いや、それでですネ、その、言いにくいんですが、あなたの鱗、少し分けていただけませんか。人助けと思って」
 金髪はぺこぺこ頭を下げた。
 鯱雄は鯱子の方を見た。鯱子が言った。
「人助けなら、少しあげたら。それで入院費が払えるんなら、いいんじゃないの」
「よし、それじゃあ」
雄鯱は弱った体をぶるんと震わせ、二枚鱗をはずし、金髪に渡した。
「なんで―、これっぽっち、俺様をなめとるんか、おいみんな、やっちまえ!」
茶髪の男が二人、群衆から飛び出し、鯱雄を押さえた。金髪は鯱雄の頭にまたがり、レンチで鱗を乱暴にはがし始めた。鯱雄は抵抗する力が無かった。周りにいた人達は誰一人止めようとしなかった。錦通大津は大混乱に陥った。
テレビカメラマンや新聞記者がやってきた。彼等は取材に夢中で、鯱雄を守ろうとしなかった。カメラマンは鯱子の頭の上に立って撮影しだした。
 二十分後、鯱雄の鱗は百十二枚全部はがされた。もう誰も鯱とツーショットを撮ろうとする者はいなかった。汚い、不格好な、黒い、不気味な怪魚を気持ち悪く思った。
 午前八時のNHKニュースで鯱騒動が報道された。黒い鯱がアップで映し出された。
 鯱夫婦はあえぎ、あえぎ、桜通大津を左に曲がった。後から物好きがついてきた。鯱雄は痛みをこらえて、歯を食いしばり、鯱子をかばいながら、ひれ足をひきずって進んだ。前方に愛知芸術文化センターが見えた。左には楕円形の巨大な建造物が見える。天守閣からいつも見ている楕円形だ。やっと池まで着いたのだ。しかし、池は空中に浮いている。ここがオアシス21のはずだが……。
鯱雄も鯱子も、はあ、はあ、と呼吸し、激しく咳き込んでいた。もう声を出す力もなかった。早くきれいな水を浴びたい。太陽が身体をジリジリ焼き付ける。葉っぱで身体を覆いたい。呼吸が苦しい。目がもうろうとしてきた。
鯱夫婦は最後の力を振り絞って楕円形の建造物のすぐ下までたどり着いた。
ここがオアシス21のはずだが……。
水はなかった。
木もなかった。
おかしい。鯱夫婦は地上から、吹き抜けになっている地下広場を見下ろした。あっ、ある! 青い水が一面にある。白い波も見える。あそこに行けば……。右手になだらかな坂道があった。
鯱夫婦は坂を下りて行った。野次馬もついてきた。きれいなショッピングセンターが池の周りを囲んでいた。
しかし、水面にテーブルがある。水面を人が歩いている。変だ。
よく見て分かった。青い水と見えたのは地下広場の青い床の色だった。コンクリートの床全面に、三十センチ四方の青色の金網が、ぎっしり敷き詰められている。白い波と思ったのは、ところどころにある白色の金網だ。
鯱夫婦は坂を下りて広場に出た。そこには水も木も花もなかった。あるのは申し訳程度の鉢植えぐらいだ。無機質の空間だ。あの女の子の言うとおりだった。(きれいな水って。あそこにはないわ。あっても、頭のずっと、ずっと高い所よ。木も生えてないわ。だから葉っぱもないし……)
頭上を見あげた。灰色の鉄骨と大小のパイプが縦横に入り組み、巨大な宇宙船の化け物が空をさえぎり、鯱夫婦を圧倒していた。ガラス屋根の水が鈍い光を広場に投げかけていた。
あそこにきれいな水がある。しかし、あんな高い所に登れない。鯱夫婦は絶望した。もう一歩も動けない。鯱子は息絶え絶えで、白目になっていた。
突然、鯱子が尾ひれをぴくっと動かして倒れた。腹を上にして、あえぎ、あえぎ何か言った。群衆が静かになった。
「鯱雄さん、もう、わたし……だめかも……」
すかさず、テレビカメラが鯱子をアップで映し、報道記者がマイクを近付けた。
「今、『ダメかも』とおっしゃいましたが、一体何がダメなのでしょう」
鯱雄は記者を尾ひれで思いっきりひっぱたいてやりたいと思った。
鯱子は鯱雄に向かって一言、一言、ゆっくり言った。
「……鯱雄さん、あなたと初めて会ったのは、一九五九年ね。今年で丁度五十年になるわ。先代が戦争で焼けてしまって……大阪造幣局で生まれて……。天守閣でいつもあなたのこと、誇らしく思ってたのよ。万博開催日の前日のこと覚えてる? あの時初めて別々に、市内をパレードしたわね。でも、それ以外は、私たち五十年間ずっと一緒だったわ。でも……とうとう、別れる時が来たようだわ……」
「鯱子……。情けないこと言うなよ。元気を出せよ……」
鯱雄の目が涙でうるんできた。鯱子の目から涙が流れた。
「鯱雄さん……。ごめんね、鱗を取られてしまって。でも、もういいの。鱗で派遣切りの人が助かれば。本当はね、あなたと、一緒に百年は名古屋城を守りたかったわ……」
「……俺もだよ」
鯱雄も息絶え絶えになってきた。
「鯱雄さん、いろいろ、ありがとう。お先に、逝きます……から……」
「うん、俺もすぐ、逝くから……。あちらで、また会おうな……」
それを聞いて、安心したのか、鯱子は目を閉じた。あえいでいた呼吸が安らかになった。そのまま、呼吸が止まっ……。
「鯱さん! 水と葉っぱを持ってきたわ!」
 女の子の声が響いた。同時に、バシャッと、鯱子の身体に水がかかった。またバシャと。大津橋で会った女の子と母親が水をかけたのだ。テレビを見ていて大急ぎでバケツに水を汲んで車で飛んできたのだ。父親が段ボール箱から葉っぱを取り出して鯱子の身体にあてがった。
それを見ていた鯱雄はホッとして、そのまま腹を上にして倒れた。
群衆は一斉に散らばった。ある人は自販機から天然水のペットボトルを買いに、ある店長は店に戻り、水を取りに、ある人はテレビ搭下の公園で葉っぱを集めに、ある人は自宅の庭の木の葉っぱを取りに、花屋さんは大きな葉っぱを取りに、みんな走っていった。
十五分後、鯱雄も鯱子もきれいな水を一杯浴び、葉っぱも一杯あてがってもらい、エラの汚れも洗い流され、生気を取り戻した。名古屋市民が鯱を救ったのだ。一部始終がテレビで、ラジオで、新聞で報道された。
  
                 ***
 
 翌朝早く、名古屋城の東門に三つの黒い袋が置いてあった。中には鱗が入っていた。正門には、布袋が三つ置いてあった。どの袋にも鱗が入っていた。一つの袋には金細工のイルカのイヤリングも入っていた。
二〇一〇年、元旦。初日の出を浴びて天守閣の雄鯱と雌鯱は、さん然と輝いた。

        (完)

2009年10月17日土曜日

泣きじゃくる声

昭和三十年、私は十歳だった。
ある日、下校の途中、進一が後ろから私に追いついて言った。
「お化け屋敷があるけど、行かへんか」
お化け屋敷、という言葉につられて、私は進一の後について行った。進一の先を、少年が十人ぐらい歩いている。みんなお化け屋敷に行くようだ。
赤トンボが飛び、空が青く澄み切っていた。一体どんな怖い屋敷があるんだろう……。十五分ぐらい田舎道を歩くと、S川があり、川を渡ったところに一軒家があった。みんなその前で止まった。これがお化け屋敷らしい。
見たところ普通の家だ。なんでこれがお化け屋敷なんだ、と思っていると、誰かが「石を投げよう」と言った。みんな、石を拾って、玄関に投げだした。私は、始めは、ただ突っ立っているだけだったが、つられて石を拾い、投げた。玄関は格子戸で、石は木枠に当たって跳ね返った。周りの子は次から次へと石を投げ、格子の枠内のガラスに当てる子もいた。
少しも面白くなかった。みんな、しきりに投げている。私は、またつられて石を投げた。二つ目の石も木枠に当たって、ガラスには当たらなかった。
突然、「誰か来るぞ! 逃げろ!」という声が聞こえた。みんな逃げた。私も逃げた。
翌朝、学校で全校朝礼があった。体育担当の柴田先生が、朝礼台にあがり、全校生徒に向かって言った。
「みなさん、今日は大変残念なことを言わなくてはなりません。昨日、ある人が学校にみえまして、新築中の家が男の子たちに壊された、と言われました。家はS川を渡ったところにあります」
えっ、それじゃあ、あの家だ。あの家はお化け屋敷でなく、新築中の家だったか。
 先生は続けて言った。
「その方は、家を壊していた男の子は本校の生徒だと言われるのです。そこで、みなさん、もし君たちの中に、家に石を投げたり、壊したりした人がいたら、正直に手を挙げて下さい」
石を投げたって? じゃあ僕のことだ。手を挙げなきゃ。
左の列を見ると、進一が手を挙げて私の顔を横眼で見ていた。
お前も手を挙げろよ、と言っているようだった。私も手を挙げた。
柴田先生はしばらく間を取ってから言った。
「他にいないか。いたら正直に手を挙げなさい」
 周りを見た。十人ぐらい手を挙げている。
「今、手を挙げてる者、前へ出てこい!」先生の語調が変わった。
手を挙げていた者は朝礼台の前に進んだ。
朝礼が終わった。他の生徒は校舎の東玄関に向かって行進し、校舎の中に入って行った。後には、私たちだけが残された。運動場が広かった。
 私たちは校長室に連れて行かれ、一列に並んで立たされた。柴田先生は、家がどのように壊されたかを話した。畳が土足で汚され、唐紙や障子や襖が破られ、ガラスが割られたらしい。
おかしい。昨日、誰も家の中に入った子はいなかったのに、誰かが、もっと前に家の中に入ったんだ。
 一時間目の授業が終わると先生方が五、六人校長室に入ってきた。一体どんなド坊主が家を壊したんだ、と言わんばかりの顔をしている。じろじろ私たちを見て、ひそひそ話をしている。私が話題になっているようだ。「あの、左から二番目、あれは、今の生徒会長の弟だよ」と言っているようだ。私の兄は六年生で、生徒自治会の会長だった。
 二時間目の始業ベルが鳴り、先生方は帰って行った。
 柴田先生が言った。
「君たちの他に誰かいなかったか。これで全員か」
誰も答えなかった。
「他にいないんだな。お前たちだけな」
先生は私たちを見渡した。
「間違いないな」
 先生は念をおした。
後藤が言った。
「八十二(やそじ)も、いました」
「八十二? 堂前八十二か」
「はい、堂前もいました」
堂前は、ひょろりと大きく、鼻たれで、いつも先生に叱られていた。遅刻はする、掃除はサボる、宿題はやってこない。授業中寝る。五日ぐらい前に、堂前は、ほうきを持って徹也を追いかけ、廊下のガラスを割ったばかりだった。
なぜ八十二という名前がついたかは、みんな知っていた。四月の自己紹介の時、黒板に「八、十、二」と書いて、「僕は八月十二日に生まれたんや、ほんで、八十二ちゅう名前なんです」と説明した。
柴田先生が言った。
「後藤の他に堂前を見た者はいないか」
「僕も見ました」進一が言った。
「僕もです」私は反射的に言っていた。
一瞬の出来事だった。私は堂前を見ていないのに「僕もです」と言ってしまった。なぜ言ってしまったのか。先生は、堂前もやったと言う確信を欲しがっている。先生の求めているものを提供することが生徒の務めだ。二人の生徒が「八十二を見た」と言っている。自分も「見た」と言っても大勢は変わらない、と思ったのだ。先生に協力することは「いい事」で、「いい子」になろうとしたのだ。勿論、十歳の私は、単純で、この場合、先生に「協力すること」の本当の意味を理解していなかった。うわべだけの、子供心で考えた「協力」だ。朝から立たされ、悪い子扱いされ、先生方から冷ややかな目で眺められ、挽回を計ろうとしたのかも知れない。「僕もです」と言った時、私は黙っている他の生徒に対して、優越感を感じた。他の生徒に差をつけた、と胸を張る思いだった。
他の生徒は黙っていた。先生は他の子には聞かなかった。三人も「証言」があれば、先生としては、もう疑う余地はないと思ったのだろう。まさか私が嘘をついているなどとは思わなかったのだろう。ベテラン教師でも十歳の子の、圧迫された、初めて校長室に立たされ、先生方の目にさらされる時の異常心理までは分からなかったのだろう。そこまで分かる先生は児童心理に通じ、自分自身そういう経験をしていなければならないだろう。柴田先生のような怖い、荒っぽい、大声を張り上げ、生徒を震え上がらせるような先生では到底私のあの時の心理状態など分かるわけがない。それは仕方のないことだ。
早速、堂前が校長室に呼ばれた。
堂前は、私たちの斜め前で「気をつけ」の姿勢で立ち、こちらを、チラッと見た。
柴田先生が言った。
「八十二、お前、この連中と一緒に家を壊していないか」
「僕、やってません」堂前は顔をあげて先生を見た。
「正直に言ったらどうだ」
「僕、やってません」
「嘘を言ったら承知しないぞ!」先生の声が荒々しくなった。堂前は黙って先生の顔をにらんでいる。
 先生は言った。
「ここにいる三人の生徒が、お前が一緒にいた、と言ってるんだ!」
先生は堂前のすぐ前まで近づいた。
堂前は殴られるかも知れない、と私は思った
「僕、やってません。やってません!」
堂前は泣き出しそうな声になった。
「本当か! 嘘をついてるんじゃないだろうな」
「本当です。やってません、やってません!」
堂前は泣き出した。かわいそうになってきた。
「泣いてごまかそうとしたって駄目だぞ!」
先生は、私たちの方を向いた
「さっき、八十二を見たといった者、もう一度聞くが、ちゃんと見たんだな、ええん? 後藤、お前、八十二を見たんだな」
「はい」後藤が答えた。
「西村も清水も、間違いないな」
 二人とも「はい」と言った。私は「はい」と言いながら、大変なことになってしまったと思った。もし、堂前が本当にやっていないなら、とんだ濡れ衣だ。堂前は、しゃくり上げながら泣いている。
「八十二、聞いたか。三人が、お前を見たと言ってるんだ! お前、やったんだろう!」
「やってません!」
パシンという音がした。先生が八十二の頬を平手でたたいた。八十二はさらに殴られるかと思ったのか、右腕で頭を覆って、一歩後によろけた。
八十二は大声で泣きわめいた。
「やってません! やってません! やってません! やってません!」
顔が涙と鼻水でぐしょぐしょだった。本当にやってないのかも知れない。気の毒に思った。しかし、一方では、やってるくせに、やってないと言い張っている気もした。堂前ならありうる。どちらにせよ、僕は取り返しのつかない嘘をついてしまった。いまさら、「僕は八十二を見てません」と言える訳がない。
 先生は、堂前をいったん教室に返した。
 堂前が校長室を出て行ってからも、「やってません! やってません!」と泣きわめく声が私の頭の中でガンガン響いた。
昼になり、給食のパンを食べた。みんな黙って食べた。
午後二時か、三時頃になって、柴田先生が、校長室に再び現れた。
「今から、始末書を書いてもらう。いいか、やったことを全部書くんだ。正直に」
右端の生徒から順番に、校長先生の机の上に置かれた用紙に「罪状」を書くことになった。一人ずつ順に書き出した。私は何と書けばいいのか分からなかった。 
私の番が来た。机の前に立って鉛筆を持った。用紙を見た。縦線に沿って、七、八人の生徒の「罪状」が順番に書かれ、最後の行に、「ぼくはガラスを二まいわりました  
西村登」と書いてあった。次の行が、私が書くところだ。私は鉛筆を持って一瞬迷った。
何て書いたらいいんだろう。僕はガラスを割ってないし、家を壊したりしてない。しかし、今さら、「僕は何も悪いことはしていません」などとは書けない。だって、朝から叱られ、黙っていたから、罪を認めたことになってしまっている。
 先生の視線を全身に感じた。
何か書かねばならない。何かやったことにしなければ。
私はとにかく「ぼくは」と書いた。それから、そのまま、西村が書いた通り、「ガラスを」と書いた。
そこで、また困った。
障子や襖を壊すというような大それたことは、僕はできるわけがない。家の中を荒らすなんて悪い奴だ。せいぜいガラスを割ったぐらいが、僕にあっている。
そこで、「ガラスを」と書いて何枚にしようかと迷った。
一枚でいいのか。一枚では罪をのがれようとして、最低の数を書いたように思われるかも知れない。一枚よりも二枚の方が、罪が大きくて先生も納得しそうだ。
結局「ぼくはガラスを二まいわりました 清水健二」と書いて、机を離れた。
 私は威圧的な雰囲気に飲まれて、それに従順に従うしかなかったのだ。私は生まれて十歳になるまで、兄の後をついて歩き、兄の真似をして生きてきた、兄がなんでも私のために道筋をつけていてくれた。だからか、私は、自主性のない、気が弱い、反抗することを知らない少年になっていた。
 始末書を書き終わってから、また立たされた。
校庭で生徒が遊んでいる声が聞こえる。先生方は誰も校長室に来なくなった。
 放課後になり、掃除の音や下校の声が廊下に響いていた。
午後四時ごろ、私たちは畳敷きの裁縫室に移動した。三人用の長机が、各列三机ずつ、ロの字型に並べてあり、黒板に近い机に柴田先生が座り、その机を囲むようにして、コの字型に並んだ机に生徒が座った。
 しばらくして、校長先生、保護者、担任の先生方が裁縫室に入って来て、それぞれの生徒のそばに座った。母が来ていてくれた。母は私の隣に黙って座り、担任のO先生がその隣に座った。
 まず、校長先生の挨拶があった。それから、柴田先生の話が続き、昨日来校した人の事、家の被害状況、始末書の内容等を説明した。全ての話が終わると、後は担任の先生と保護者と生徒の懇談となった。
 O先生が母に言った。
「健二君は、他の生徒の影響を受けやすいですから」
全くその通りだった。他の生徒、他の人、他のものに影響を受けやすい性格は今も治っていない。
 母は、懇談中、何度もO先生に頭を下げ、二十分かそこらで懇談が終わり、私はやっと家に帰ることができた。授業は一時間も受けなかった。
 学校帰り、母は何か私に言ったと思うが、何を言ったのか覚えていない。
 家に着いた。父はあまり私を叱らなかった。私をきつく叱ったのは兄だった。生徒会長ということもあり、兄の顔に泥を塗ってしまったのだ。兄が言った。
「健二、お前、何やっとるんや、みんな言っとったぞ、お前が朝礼台の前に立っとったって」
 申し訳けないと思った。
家族は自分の味方なのに、「僕はガラスを割ってない、何も悪いことはしてない」と言うことができなかった。そんなことが言える訳がなかった。言おうという意欲も湧かなかった。ただ兄に対して本当に申し訳ないことになってしまったと思った。
二年半後、私はK小学校を卒業し、K中学校に入学した。堂前は大阪に一家転住した。

それから、三十五年経った。私は四十七歳になり。N市の高等学校で歴史の教師をしていた。堂前のことは忘れかかっていた。
 ある日曜日の夕方、いつものようにY川沿いに散歩していると、新築の家があった。何の気なしに真新しい表札を見て驚いた。表札には「堂前八十二」と書いてあるではないか。
えっ、堂前がここに住んでいるのか。あの八十二が……。
この「堂前八十二」は、あの「堂前八十二」だと確信した。と言うのは、堂前などと言う苗字は、それまで生徒を延べ四、五千人は教えていたが、誰ひとり「堂前」と言う生徒はいなかった。また、「八十二」という名前の生徒もいなかった。要するに、苗字も名前も両方ともめったにない名前なのだ。恐らく何万人か、何十万人に一人だろうと思ったから、あの堂前に間違いないと確信したのだ。
家をじろじろ見ては怪しまれるから、知らぬ顔をして、その家をやり過ごし、二十メートルぐらい歩き、さも何か忘れ物をしたような足取りで、またその家に引き返し、家の前を通り過ぎる時、もう一度表札を見た。「堂前八十二」。間違いない。
 急に三十七年前の、校長室の風景が、柴田先生の顔が、母の何度もO先生に頭を下げていた姿が蘇った。堂前の「やってません! やってません!」と言う声が聞こえた。あれ以来ずっと心の奥底に閉じ込めておいたものが、急に私に襲いかかってきた。
 私は足早に、半ば顔を伏せて、その場を立ち去った。堂前に見つかってはまずいと思ったのだ。嘘の証言をしたことに引け目を感じていたのだ。
その日以降、散歩コースを変えた。しかし、別のコースを散歩していても、堂前の姿がちらついた。堂前は大阪から、故郷のO市に帰らず、N市に引っ越して来たのだ。しかも私の家の近所に。もし、ばったり会ったらどうしよう。私だと分かるだろうか。堂前の顔は変わっているだろうか。「やってません」は狂言で、本当はやっていたのだろうか。頭の中が小学校四年生の時と同じ心理状態になった。嘘を言った後ろめたさと、堂前は本当はやってるんだ、という開き直りの心理だ。
 四回散歩すると、その内の一回は、足がどうしても堂前の家に向いてしまった。
 堂前の家の前を、素知らぬ顔をして、目と耳を最大限に敏感にして、通り過ぎた。家の中の様子は分からない。私は、本当に堂前に会いたい訳ではなかったが、反面、会って、詫びなければならないと思っていた。しかし、もうかれこれ四十年は経っている。堂前は忘れてしまっているかも知れない。
玄関に呼び出しブザーがある。あれを押しさえすれば、堂前が顔を出すかもしれない。しかし、わざわざブザーを押して、詫びるべきほどの事なのだろうか。自分は自責の念はある。それをずっと押し殺してきたのだ。このまま押し殺したまま生きていくことだってできる。
 堂前の家を発見してから、二カ月経った。その頃、C大学が歴史学専攻(修士課程)社会人コースを新設した。仕事を持っている社会人のために、夜間開講する大学院だ。私は、かねてからジュリアス・カエサルのガリア遠征に興味を持っており、『ガリア戦記』の研究をしていたから、思い切って大学院入学試験を受験した。小論文、面接があり合格できた。その後二年間は、昼間は高校で歴史を教え、夜間は大学院で学ぶことになった。 
 大学院生になってから、多忙を極めた。学校の仕事がある。部活動の仕事がある。授業の下調べがある。試験の採がある。そこへ大学院の研究が加わった。五分でも、一〇分でも時間が貴重だった。学校を終えて大学まで車を運転した。途中、赤信号で停車する一、二分でさえも文献を読んだ。週末に悠長に散歩などしておれなかった。修士論文を仕上げる頃は、晩飯を食べながら、資料を読んだ。もう堂前のことなどどうでもよかった。頭の中はカエサルのことで一杯だった。
二年後、論文を提出して審査が通った。五十歳になっていた。
大学院を修了すると、また週末に散歩を始めた。久しぶりの散歩だ。足がひとりでに堂前の家に向かった。なんだか懐かしい。家の方に近づくにつれ、心臓の鼓動が速くなってきた。屋根が見えてきた。それから、門柱が見え、家の前まで来た。玄関先のシュロの木も変わっていない。通り過ぎながら表札を見た。「伊藤幸治」と書いてある。
えっ、どうしてだ。どうして「伊藤幸治」なんだ。
玄関に近づき、もう一度表札を見た。「伊藤幸治」だ。堂前は引っ越してしまったのだ。新築の家から引っ越すとは、何かよほどの事情があったのか。
堂前が引っ越して、半分安心し、半分残念に思った。詫びるチャンスも、真実を知るチャンスもなくしてしまった。もっとも、堂前に面と向かって詫び、真実を聞く勇気もなかったが……。とにかく緊張が解けてしまった。その後、堂前のことは次第に忘れていった。

それから、十年経ち、私は六十歳になった。
初夏のある日、K小学校から同窓会の案内が届いた。私はN市に引っ越してから、めったに同窓会には出ていなかった。しかし、今回は還暦の同窓会だ。きっとみんな集まってくるはずだ。これは行かねばなるまい。同時に、堂前のことが思い出された。堂前も来るかも知れない。会うとまずい……。校長室の風景がよみがえってきた。堂前の悲痛な叫び声が聞こえてきた。しかし、会いたい同窓生も沢山いた。進一も、登も、徹也も来るだろう。堂前一人のために、行かないのもしゃくだ。
堂前があの事を私に問い正したら、何と答えればいいのか。堂前は、「俺はやっとらへんのに、お前、俺を見たと言うなんて、なんという大嘘つきや」と言うかも知れない。しかし、進一も、後藤も堂前を見たと言っている。本当は、堂前は家の中に入って、建具をめちゃめちゃにした可能性だってあるんだ。その時、進一や後藤が一緒だったかも知れない。大体、そんな昔の話題が出るとは限らない。堂前が来ていても知らん顔をしていればいい、しらばっくれればいい、ひと間違いだったと、謝ればいい。逆に、堂前の方から、「実は俺、中に入って障子を壊してたんだよ」と言うかもしれない。とにかく同窓会に行くだけ行って、後は出たとこ勝負だ……。
同窓会はお盆の十四日に、O市のホテルの宴会場で開かれた。受付で名札をもらい、胸につけ、会場に入った。七、八十人ぐらい集まっていた。先生方も二、三人来ていたが、O先生は来ていなかった。もう八十歳過ぎだから無理だろう……。進一も来ていなかった。
開会の挨拶と乾杯があり、みんなワイワイ、ガヤガヤ、相手の名札を見て、ああ、XX君か、あれ、OOさん、久しぶりだなぁ、と言い合い、歓談し、飲み、笑い、食べ、肩をたたきあい、握手をし、名刺を交換した。みんな昔と全然変わっていなかった。
 歓談しながらも、私は、堂前のことが気になっていた。ビールの入ったグラスを持って、人混みをかき分け、胸の名札を見て回った。堂前はいなかった。なんだ、取り越し苦労かと思ったが、安堵の気持ちもあった。
 念のため、受付をしている徹也の所へ行って堂前が来ていないかどうか尋ねた。
「堂前って、あの八十二か」
「そう、八十二、今日来てるか」
「お前、知らないのか」
「えっ、何を」
「そうか、お前、確かN市に引っ越してったからなぁ、八十二は死んだよ」
「ええっ、死んだって……、いつ、いつ死んだんだ」
「そうだなぁ、もう十年ぐらい前だ」
 十年前と聞いて、急に散歩中に見た「堂前八十二」という表札を思い出した。
「どこで死んだんだ」
「さあ、そこまでは知らないが。どうして」
「いや、ちょっと……」
 堂前は死んだのか。死んでしまったのか。周りの雑踏が急に消え、自責の念がずしりと、のしかかった。
悪いことをした。この問題は、堂前が家を壊した、壊さなかったには関係ないんだ。あの場で「いい子」になろうとして、嘘をついたことが問題なのだ。俺は悪い子だった。どうして十年前、散歩のとき、堂前の家を訪れ、詫びなかったのか……。
 しかし、しかし、実際、詫びただろうか……。死んでしまったから、死んでしまったから、そう思うのかも……。
 堂前の泣きじゃくる声が聞こえてきた。
「やってません! やってません! やってません! やってません!」
                     
 完

百日紅(さるすべり)のそばに

「もしもし、そこで何してるんですか」
反射的に隆司は遺灰の入った袋を身体の後ろに隠した。
「今何を隠したんですか。白い粉をまいてたようでしたが」
「いえ、その……何でもないんです」
「何でもないのに、どうして柵の中に入ってるんですか。それから、その足元の石は何ですか」
隆司は百日紅の木を囲っている柵の中に立っていた。足元には弁当箱ぐらいの大きさの緑色の石が地面に置いてある。
「いえ、あの……この百日紅があまり見事なので、つい触りたくなって……」
「そんな見え透いた嘘を言って。何を隠してるんですか」
植物園の職員は柵をまたいで中に入ってきた。五十五歳ぐらいで、カーキ色の作業服を着ている。
隆司は、どうしようもなかった。観念して隠していた袋を渡した。職員は中を見て言った。
「この白い粉は何ですか」
職員は袋の中に手を入れて、遺灰を指でつまみ、目元に持っていってじっと見つめた。
「これは、もしかして……遺灰じゃないですか」
「はあ、実は……その……」
「あなた、遺灰をまいていたんですか」
「はあ、実は……」
「ここは東山植物園ですよ。こんなところで遺灰をまいてもらっては困りますね。海や川ではあるまいし。それからその石は何ですか」
隆司は石を拾って渡した。石には小さな文字で「2007. 7. 25 後藤フミ子 永眠 八十八歳」  
と、墨で書いてあった。
「何ですか、これは。小さいけど墓石じゃないですか。あなたね、東山植物園をお宅の墓にするつもりですか。非常識ですよ」
「はあ、済みません。それは分かっていますが……」
「分かっていて、どうして遺灰をまくんですか」
「いえ、その、死んだ母の遺言で……」
「遺言?」
「はあ」
「ちょっと、あなた、公園事務所まで来て下さい。困った人だ。袋と石はお預かりしますよ」
 隆司は園内専用車に乗せられた。
 植物園の閉園時間を告げるアナウンスが聞こえた。
「本日は東山動植物園にお越し下さいましてありがとうございました。本日はこれにて閉園させていただきます。またのお越しをお待ちしております」
アナウンスが終わると「蛍の光」がゆるやかに園内に流れ出した。
これより二十分ぐらい前、隆司は合掌造りの縁側に腰かけて、庭にある百日紅の木を見ていた。四時三十分ごろに職員が来て「今日はこれで終わりです。雨戸を閉めますよ」と言って、合掌造りの雨戸を大きな音を立てて閉めて帰って行った。それからあたりが静まり返り、人っ子一人いなくてしまった。隆司は今がチャンスだと思って百日紅を囲ってある柵を乗り越え、木の根元の周りに散骨し始めたのだった。
事務所に着くと職員は植物園の園長に電話をした。事務所は入口近くに応接セットがあり、奥の窓際に机が二つ並んでいた。そのうちの一つの机にはノートパソコンが置いてあった。
 しばらくして園長が現れた。
「どうしたんですか、西山さん」
「はあ、この男です。今電話で話した人は。合掌造りの庭の百日紅に遺灰をまいてたんです。これが遺灰の袋と墓石です」
西山はテーブルの上に袋と石を置いた。
隆司は園長から顔を背け、帽子のツバを深く下に引いて顔を隠し、うなだれていた。
「あなた、こちら、園長ですよ。帽子を取って下さい」
隆司は下を向いたまま、帽子を取らなかった。
「あなた、失礼でしょ、帽子を取ったらどうですか」
隆司は、しぶしぶ帽子を脱いだ。
園長は隆司の顔を見てびっくりした。
「先生、後藤先生じゃないですか。いやぁ、驚いた。どうしたんですか、一体」
「えっ、園長は、この人をご存知ですか」
「ああ、高校の時の英語の先生だよ。頑固先生で、よく叱られたよ」
「そうですか、園長の先生でしたか」
西山は隆司の方を見て言った。
「あの……そうとは知らず、どうも失礼しました。でも遺灰は……いや、それじゃあ、私はこれで失礼します」
「あっ、西山さん、別に席をはずさなくていいよ。来月のドライフラワーの案内、あれ、もう済みました?」
「いえ、もうすぐです」
 西山は奥の机に行って、ノートパソコンに向かって座った。
「先生、お久しぶりです。全然変わっていませんね。お元気そうで。どうぞ」
園長はソファを示した。
「いや、もう白髪のじじいだよ。君はもう何歳になるね?」
 隆司はソファに腰を下ろし、園長も対面の椅子に座った。
「もう五十です。確か先生と年が十歳違うはずですが」
「そう、わたしはもう六十だよ。来年三月で定年だ」
「でも、先生、お顔はちっとも変わっていませんね。卒業して……もう三十年以上経ちますが。早いものです。で、先生、今日は一体どうしたんですか」
「いや、いや、君には全く面目ない。君が園長ということは知っていたが、君に頼むと返って迷惑になると思って、黙って自分でやろうとしてね、見つかってしまったんだよ」
「ご自分でやるって、遺灰をまくことですか」
「うん、お袋の遺灰だけど、遺言でね。どうしても合掌造りのそばの百日紅にまいてくれと言い残して逝ったんだよ」
「遺言ですか。でも、どうして百日紅なんでしょう」
「話せば長くなるが……。お袋は、今年八十八歳だったんだが、生まれてからずっと白川村に住んでたんだよ。合掌造りの白川村にね。ところが、三年前、夫を亡くしてね」
「夫って、先生のお父さんのことですね」
「そう。親父が三年前に亡くなってね。それで、お袋は一人暮らしになったんだ。でも、もう、年取ってるし、一人暮らしは不自由だから、名古屋に来て、わたしの家族と一緒に住むように勧めたんだよ。マンション暮らしだけどね。でも、お袋は嫌がってね。まあ、その気持ち、分からんでもないがね」
「そりゃ、そうですよ。合掌造りからマンションに変わるのでは全然違いますから」
「その通りなんがね。一年ぐらい前に、畳の縁につまづいて転んでね、足の骨を折ってしまったんだ。それで、その機会に名古屋の病院に入院させたんだよ。」
隆司は外を見た。雨が降ってきて、北側の窓から雨が降り込み、木の匂いのする湿っぽい空気が事務室に入り込んできた。西山は立ち上がって、北側の窓を全部閉めた。木々が風雨で揺れだした。
「えっと、どこまで話したかな」
「お母さんが、名古屋の病院に入院されて……」
「そう、それで、退院してから、名古屋に一緒に住むことになってね。でも、お袋は名古屋の生活になじまなくて……そりゃ、九十年近く住んだ田舎からこんな都会に出てきて住むなんてね、かわいそうとは思ったんだけど、しょうがないからね」
「私も、母が富山で、一人暮らしなんですよ」
「そうか、ゆくゆくは考えないとね。それでね、お袋は足が治って、歩けるようになってからは、白川村に帰りたい、合掌造りに住みたいとか、マンションは嫌だとか言い出すんだ。それで、困ってたら、女房が、東山公園に合掌造りがあることに気が付いてね、一度お袋を連れて来たんだよ。お袋、感激してね。涙を流して喜んだよ。本当に涙を流してだよ。よほど白川村に帰りたかったんだ。わたしもお袋を見ていて涙が出てね。ふる里って、いや、合掌造りって、お袋には命みたいなものだったんだよ。よほど合掌造りが懐かしかったんだろう」
 隆司の目が涙で潤んだ。園長は黙って聞いていた。
「でもね、お袋の望むように白川村で一人暮らしはさせられないからね。どうしようもないんだよ。核家族の悲劇だよ。せめて東山公園の合掌造りにお袋を連れて来るのが精一杯の親孝行だと思ってね。親孝行なんて、大げさだけど……。それから、毎月一回か、二回はここの合掌造りに来ていたんだ」
「そうでしたか。声をかけて下されば、すぐ来ましたのに……」
「君も園長で忙しいだろうしね。それでね、お袋は、ここの合掌造りが大変気に入ってね。来ると必ず顔がおだやかになるんだよ。観音様のような顔になるんだ。マンションにいる時は、何か構えていると言うか、緊張していると言うか、般若の顔と言っては言い過ぎかもしれないがね、きつい顔をしてたんだ。それに、ここは景色もいい。木が多くて、空気もいいし。鳥も鳴いてるし。合掌造りと、この景色全体がお袋の心をほぐしたんだろうなぁ……そう、英語のフィール アット ホームっていうやつだよ。フィール アット ホームだよ」
「ええ」
「ところがね、半年ぐらい前から、だんだんボケてきて、植物園の合掌造りの家が自分の家だと思うようになってね。区別がつかなくなってしまったんだよ。実は、白川村の家の庭にも同じように大きな百日紅の木があってね。お袋が親父と結婚した時に、記念に百日紅の苗を植えたんだ。お袋は二十歳で嫁いで来たから、もう七十年近くその百日紅と共に暮らしてきたことになるんだ。で、お袋はここの植物園の合掌造りのそばの百日紅を見て……あっ、このまま話し込んでいいのかい。園長の仕事って忙しいんだろ」
「いいんですよ。今日の仕事は終わりましたから。会議もないし、どうぞ続けて下さい」
「そうか、で、お袋はここの百日紅の木を見てね、あれは父ちゃんと一緒に植えた木だ、と言うんだよ。お袋はね、親父のことを父ちゃん、父ちゃん、と言っていてね。で、お袋は、わしはこの百日紅を見ながらよく父ちゃんと一緒に縁側でお茶を飲みながら話をした。この百日紅を見ると父ちゃんの顔が見える、父ちゃんの声が聞こえる、なんて言うんだ。幻覚とか言うやつかね。まあ、お袋にとっては親父と百日紅が一心同体になってしまったようでね」
園長は隆司の話を聞きながら、自分の母親のことを考えていた。今でこそ、富山で一人暮らしで、ボケもせず元気に暮らしているが、そのうち先生の母親のようにボケてしまうのかなぁ、と考えていた。
「君のお母さんも、一人暮らしだそうだが、どう、お元気かい」
「はあ……今のところ……。今、先生のお話を聞きながら、そのことを考えていたんですよ。わたしの考えていることがよく分かりまますね」
「そりゃ顔を見てれば分かるよ。長年教師をやってたから、生徒が何を考えているかぐらいすぐ分かるよ」
「そうですか、それで、一心同体のようになってしまったとかで……」
「それでね……。その、遺言だよ。お袋は、わしが死んだらあの百日紅の木に骨をまいてくれ。そうすれば、父ちゃんと一緒になれる、と言うんだ。無理もないね。ここの百日紅の木を父ちゃんと思っているからね。で、お袋は、お墓に入るのは窮屈で嫌だ、散骨にしてくれ。百日紅の木に散骨してくれと、わたしの目を見て、真剣に言うんだよ。ボケてはいるんだが、真剣なんだな。そんなわけで、先日、四十九日の法事が終わってね、今日、遺灰を持って来たんだ……。ま、そういうわけだよ。長いこと、つまらん話をよく聞いてくれた」
「いえ、全然。つまらないどころか。人ごとではないですよ……そうですか、分かりました。あの、……ご遺灰を見せてもらってもいいですか」
「ああ」
園長は遺灰の入った袋を開けて中を覗き、次に石を取り上げ、書いてある文字を読んだ。
「先生、この石は?」
「ああ、それは、墓碑というか、散骨した印の石にしようと思ってね。白川村の庭石だよ」
「この石を百日紅のそばに置くつもりだったんですね」
「まあ、そういうことだが、あまり目立つといけないから、石の下半分は地面に埋めようと思ってたんだ」
あたりが薄暗くなってきた。雨はいつの間にか止んでいた。
「実はね、遺骨をどうしようかと迷ってたんだよ。お袋が亡くなってから、ボケ老人の言う言葉だから、その通りにしなくてもいいとは思ったんだが、一方で、たとえボケてても、あの最後の頼み方は真剣そのものだったから、その通りにしなきゃいかんと思ったりもしてね。つまり、白川村の先祖代々の墓に遺骨を入れるべきか、ここの百日紅に散骨すべきか大分迷ったんだよ。で、まあ、考えがまとまらず、一部は白川村へ、残りはここへと思ったんだ」
「そうですか。しかし、先生、困りましたね。東山公園は名古屋市のもので、私有地ではありませんからねぇ……。散骨と言うのは海や川や私有地の庭なんかはいいそうですが。先生の頼みとあれば、他のことならお聞きしてもいいのですが、その、何しろ……」
「済まん、済まん、だから、君が困ると思って、黙ってまこうとしたんだよ。いや、本当に申し訳ない。教職の身でありながら、世間の常識を破るようなみっともないことをして、申し訳なかった。あちらの職員の方に見つかって、返って良かった。何しろ母はボケてたから、ボケの言うことをまともに受け取ったのがそもそも間違ってた。遺灰は全部白川村の墓に入れることにするよ……。大体、親父の骨は白川村のお墓に入ってるんだから。そこにお袋の遺灰を入れれば一緒になれるし……。一人でどうしようかと考えていると、変なことを考えるようになってね。これも年のせいかも知れん。今日は済まなかったな。それに大分時間を取ってしまって……」
 と、隆司は言ったものの、本心では諦め切れなかった。近い内にもう一度トライしてみようかとも思ったりした。しかし、これだけ園長の前で、きっぱり、もう止めると言ってしまった以上、遺灰を百日紅の木にまくことは諦めざるを得なかった。もし、こんど捕まったら、教え子の園長の顔丸つぶれになってしまうし、第一、定年を前にして、教師の恥さらしになってしまうと思った。
「先生、済みませんね。ご期待に添えなくて」
「いやいや、こちらこそ迷惑をかけた。それじゃ、これで失礼するよ」
「あっ、先生、明日からチューリップの球根を来園者に配るんです。よろしければ、持っていって下さい。大きな赤い花を咲かせます」
園長は西山に球根を持ってくるように言った。それからは、高校時代の思い出話になった。
しばらくして、西山が球根を数個入れた袋を持ってきた。園長は袋を受け取って、隆司に渡した。
「どうぞ」
「ありがとう。女房が花好きでね。喜ぶよ」
「先生、じゃあ、この袋と石をお返しします。気をつけてお帰
り下さい」
 隆司は、袋と石を受け取って、鞄を合掌造りの前のベンチに置き忘れてきたことに気がついた。
「しまった。鞄をベンチに置き忘れてきた」
「えっ、ベンチって、どこの?」
「合掌造りの前のベンチだよ。どうも、物忘れがひどくなっていかん」
園長は西山に言った。
「西山さん、先生が合掌造りのベンチに鞄を置き忘れられたそうだ、車で先生を合掌造りまで乗せていってくれないかね」
「わかりました」
 西山はコンピューターから目を離し、園長の方を見て答えた。
 隆司は西山に言った。
「どうも済みません。ご迷惑ばかりおかけして……それじゃ、澤田君、じゃなくて、園長さん、お元気で。また来るよ」
「先生もお元気で」
 隆司は先ほど乗った園内専用車に乗り、合掌造りに向かった。
「西山さんとかおっしゃいましたか。どうも済みませんねぇ」
「いえ、先生とは知らずに失礼しました」
 日がとっぷりと暮れていた。林立している樹木のシルエットが満月に照らされて揺れている。車のヘッドライトが静まり返った薄暗い公園の路を照らしていた。
「先生、実はわたしの母もフミ子と言いましてね。名前が先生のお母さんと同じなんです。フ、ミ、はカタカナで、漢字の『子』です。今年八十五歳ですよ」
「それはまた、偶然ですね」
「はあ、先ほどのお話を聞いていて、自分の母の話かと思って聞いていたんです。あの、盗み聞きして申し訳なかったんですが」
「それはかまいませんよ」
「散骨は止められるんですね」
「まあ、仕方がないですね」
 車は奥池の脇の道を進み、水車小屋を通り過ぎて、合掌造りの前に出た。
 車のエンジンを切ると、不気味な静けさが広がり、一面に虫の声が聞こえてきた。二人は車を降りて、西山が懐中電灯を照らし、先に歩き、隆司は後に続いた。合掌造りの前庭のベンチのところに来ると、鞄はベンチの上にあった。
「ありました。ありました。どうも、お世話になりました」
「良かったですね。先生、……あの……本当は、散骨したいのでは……」
「本音はね。でも……」
「それじゃ、わたしがお手伝いしますよ。真っ暗ですし、誰もいませんから、今のうちにどうぞ」
 と、西山は言って、柵の中に入り、百日紅の木の根元を懐中電灯で照らした。

                       完