2011年1月16日日曜日

もう一人の被害者

一九九二年、六月六日。午後二時ごろ雨が降り出してきた。三日連続で降っている。根本恒久(つねひさ)は車のワイパーがキ―キ―鳴る音にいらいらしながら気が焦っていた。豊公橋が事故のため片側通行で渋滞し、橋の手前の信号が青になっても進むことができなかった。
 家を出てから約二十分後、ようやく名古屋第一赤十字病院に着き、病室に急いだ。廊下が長く感じられた。病室のドアを開けた。排泄物と消毒液が混ざったような臭いが鼻につく。叔父の根本重則(しげのり)がベッドの向こう側に座り、父親の定則(さだのり)が酸素マスクをして、ぜいぜい呼吸している。二本の点滴管が天井からぶら下がり、窓際の心電図モニターに心拍波が、か細く映っている。
 恒久は重則に目で挨拶をし、父親の顔を覗いて、「お父さん」と小声で言った。父親は目を見開いて恒久を見つめ、重則の方に眼球をかすかに動かし、再び恒久を見て、目配せしながら何か言った。酸素マスクで声がぼやけ、はっきり聞き取れなかった。
「叔父さん、電話をどうも」
「あぁ、間に合ってよかった。たまたま今日見舞いに来とってな。この前見舞いに来た時は、元気良かったのに」
「はぁ、今朝も元気だったんですが。で、叔父さん、遠いところからでお疲れでしょう。どうぞ、あとはわたしが」
 重則は養老から名古屋まで見舞いに来ていた。養老からは近鉄線で大垣へ出て、JRに乗り換え、一時間半はかかる。
「そうか。じゃあ、ひとまずお暇させてもらおうか。ほんとは、こんな時だから、ここにおった方がええと思うんやけど、何しろ年だからな」
 重則は定則より三歳年下の七十歳で、六十歳の定年まで高校の物理の先生をしていた。逆三角形顔で眼鏡をかけている。垂れ下がった眉毛も数年前に真っ白になった。
 重則は、「兄(にい)さま、また来るからな」と定則に言って椅子から立ち上がり、ドアの方に歩いて行って立ち止まった。次に向きを変え、恒久のところに戻って来た。恒久は叔父が何か忘れ物でもしたのかと思った。重則は背中をベッドに向け、恒久の耳元に、
「恒久、ちょっと話があるんやけど」
「えっ、何ですか」
「いや、今じゃなくてね、今は話せないんだが、兄さまが、その、何て言うか……。その、亡くなってから話すよ」
「亡くなってから?」
「うん、亡くなってから」
 重則はちらりと定則の顔を見て、また向きを変え、病室から出て行った。
 どうして今言えないんだろう。どうして親父が死んでからなんだろう、と恒久は思った。
 四十分後、恒久の妻、明子が娘の直美を連れて病院に駆けつけた。恒久が家を出る時に書いておいたメモを読み、あわててやって来たのだった。
 翌日、六月七日も朝から雨だった。午前九時三九分、定則は他界した。この数年間、心臓を患っており、入退院を繰り返していた。
 通夜は甚目寺町(じもくじちょう)の自宅で行われた。読経が終わり、明子が十五人ほどの親戚の人に茶菓子をすすめ、談話が始まった。恒久は重則のところへ行き、父親が亡くなったら話すと言っていたのは何だったか尋ねた。重則は人ごとのように、
「ああ、そうだったな。そんな話をしたなぁ。しかし、まあいいや。もう話すのはよすよ。大した話じゃないんだ。悪かったな、気をもませて」
恒久はあっけにとられて、
「でも、あの時、叔父さん、真剣な顔してましたよ。大事なことじゃないんですか」
「いや、いや、ま、大したことじゃないよ。済まん、済まん、もう忘れてまった方がええよ」
 叔父は何か重大なことを隠しているようだった。
 翌日、葬儀が終わって親戚の人が帰りだしたが、重則は最後まで残っていた。全員が帰ってしまうと仏壇の前には恒久と重則だけになった。重則が思いつめた様に、
「恒久、きのう、あれから考えとったんやけど、やっぱり話すことにしたよ。きのうは済まんかった」
「そうですか。何だったんです」
「実はな、その、実は……。わたしは、お前の父親だよ」
「えっ、父親って?」
 気が変になったのか、何ということを言うのだ、と恒久は思った。
「そう、わたしはお前の父親だよ」
「叔父さんが、まさか、冗談を」
 と、言ってみたものの、冗談にしてはきつすぎる。叔父の目は冗談を言っている目ではない。
「冗談じゃない。ほんとなんだよ」
「そんな、馬鹿な」
「信じられないだろうが、ほんとなんだ」
 叔父は真剣な顔をしている。
 恒久は、叔父の言葉を信用すべきかどうか迷った。父親は、恒久が幼稚園の頃から口癖のように、重則を信用するな、と言っていた。小学生の頃、台所の雑巾がけをさぼったり、友達と遊んでいて夕食の時間になっても家に帰らなかったりすると、父親はすぐ重則のことを引き合いに出して、「重則がやるようなことをするな。重則のように嘘つきになるぞ」と言っていた。
 恒久は頭が混乱したまま、
「でも、急に、びっくりするじゃないですか。で、なぜ、叔父さんがわたしの父親なんですか」
うわべでは冷静に言いながら、恒久は足が地にしっかり着いていなくて自分が他人のように感じた。仏壇、柱、障子が宙に浮いているようで、別世界にいるように思われた。
「済まん、済まん、驚いただろうが、ほんとなんだよ。わたしはお前の父親なんだよ。お前が生まれてから今日まで、このことをいつかは言おう、言おうと思っとってな、えっと、お前、三十九だろ、言いそびれて、そのまんま三十九年も経ってまったんだよ」
 恒久は、そんな前置きより、なぜ自分が叔父の子であるのか早く聞きたかった。いら立ってきて、
「じゃあ、わたしが赤ん坊の時、叔父さんはわたしを養子に出したと言うわけですか」
「いや、そうじゃないんだ。お前は、初枝さんから生まれたんだ。が、その、なんと言うか、その、精子がわたしのだったんだ。……おっと、誤解しちゃいけないよ。初枝さんとわたしは変な関係じゃなかったんだから。実を言うとな、実は、わたしの精子を兄さまにあげたんだよ」
 どこまで叔父を信用していいのだろう。何か訳があるんだろうか。
 恒久の母親、初枝は七年前、急性白血病で亡くなっていた。
「えっ、まさか。本当ですか。どうして、そんなことが」
「ある日、兄さまから頼まれてね、わたしの精子が欲しいって。兄さま夫婦は結婚して五年たっても子供が生まれなくってね。それで、人工授精をすることにしたんだよ。だが、医者によると、兄さまの精子が弱くて授精しないらしいんだ。精子の数も通常より少なかったそうだ。それで、ある日電話で、わたしのを欲しいと言って来てね。翌日、朝八時ごろ兄さまが家に来て、それで、わたしのをあげたんだ。兄さまは礼を言って急いで帰っていったよ。帰りがけに、自分のも混ぜると言っとたけど」
 恒久は、精子が名古屋まで運搬される内に死んでしまわないのかと思って、叔父に聞くと、
「わたしも同じことを尋ねたんだ。すると兄さまは、体温で四時間は持つ、と答えたよ」
では、精子は死なずにうまく授精できたということか。でも、親父が自分のを混ぜると言っていたのだから、親父の子である可能性もある訳だ。しかし、叔父は俺が叔父の子だと決めてかかっている。恒久は疑問を投げかけるように、
「親父が自分のを混ぜると言ってたんなら、確率はフィフティ、フィフティで、叔父さんの子ではないこともあるんじゃないですか」
叔父は落ち着いて、
「分かるよ、その気持ち。三十九年間、父親やと思とった人が父親じゃないなんてこたぁショックやろう。しかしな、恒久、わしの立場になって考えてもみてくれ。きのうの通夜の時にな、わしが親父やと名乗るのは、お前が余りにも気を動転するやろで、やはり止めといた方がええと思ったんや……。が、一方で、兄貴が亡くなった今がチャンスや、このチャンスを逃すと、ますます言いにくくなると思ったんや。だから、今こうして思い切って話しとるんや。わしの気持ちも察してくれや」  
「………」
恒久はわざと返事をしなかった。返事をしないことが叔父への抵抗だった。恒久は重雄の顔を見るのを避けて目を畳に落とした。重雄は視線を恒久から祭壇の遺影へ移した。
定則の遺影は大黒様のようにふくよかな顔立ちをし、にっこり笑っている。恒久は顔をあげて叔父を見た。目と目が会った。恒久は心の内をぶちまけた。
「叔父さん、ひどいじゃないですか。わしの気持ちも察してくれとは勝手過ぎませんか。なぜ黙っていてくれないんですか。今日の今日まで黙っていて、今になってわしはお前の親父だとよくも言えますね。それじゃあわたしはどうなるんですか。わたしの気持ちはどうでもいいんですか。わたしがそんなこと言われて『はいそうですか、わたしは叔父さんの子ですか』とすんなり受け入れられるとでも思ってたんですか。叔父さん、学校の先生だったんでしょ? よくもまあそれで先生が務まりましたね。生徒の気持ちをちゃんと理解してやってたんですか。教師としては落第ですよ」
 恒久は叔父に不満をぶつけることによって、降って湧いたような話を打ち消そうとしていた。
「だから、通夜の晩は一度は思い留まったんや。そりゃわしが棺桶まで黙っとったら、万事うまくいく事ぐらい分かっとるわ。お前もショックを受けんですむし……。しかしな、人間、年を取ってくると、そう理屈通りにいかへんのや。お前も七十になると分かるがな。一人でも多く自分の子孫がこの世に残るちゅうことは嬉しいことやで」
「だから、何もわざわざそのことをわたしに言う必要はないと言っているんです。叔父さんが自分で恒久はわしの子だと思っていればそれですむことじゃないですか」
「そりゃそうや。しかし、わしはそれではすまんのや。勝手やと思ってまってもええが、どうしても本当のことを言っておきたかったんや。別にわしがお前の父親やったとしても、お前はお前だ、何の不都合もあらへんやないか」
「何言ってるんですか。都合とか不都合とかいう問題じゃないですよ。それに、本当のことと言ったって親父の精子と叔父さんのを混ぜたんでしょ。だったらまだわたしが叔父さんの子だとは決まってないじゃないですか」
 恒久はこれ以上叔父と言い合っても無駄だと思った。腹の中では怒りがこみ上げていた。拳骨で頭を一発思いっきり殴ってやりたかった。
――何という勝手な男だ。親父が言っていたように、叔父はどうしようもない奴だ……。
「それが決っとるんや。ええか。確率が、五十パーセントやのに、なぜお前がわしの子やちゅうとな、お前が生まれてから、ずうっとお前のことを観察しとって確信しとったんや……」
恒久は馬鹿らしくて重雄の話をいい加減に聞いていた。
叔父は勢い込んで、
「兄貴とわしの違いはなんやと思う? 兄貴は酒屋で商売人や。外向的でスポーツマンや。細かいことにこだわらへんし、度量も大きい。それに比べ、わしはどっちかっちゅうと内向的や。几帳面やし、スポーツは得意やない。みんなでガヤガヤ騒ぐより、一人でおる方が性に合っとるんや」
恒久は母親に聞いていたことを思い出した。叔父は中学生のとき数学が得意でいつも満点だったそうだ。なんでも中学生なのにもう大学受験の数学の問題を解いていたとか。それに比べて親父は数学が全く駄目だったようだ。
「それでな、恒久、お前の性格はどうや。似とるのはどっちやと思う。わしか、兄貴か? お前は商売人と言うより学究肌や。お前が酒屋を継ぐのを嫌がって、大学の先生になったことを見れば分かることや。専門も電子工学やし。だいたいお前もわしに似て几帳面で内向的や。それに数学が得意で……。初枝さんから聞いたんやが、高一の時、東大の数学の入試問題を解いて、満点を取ったそうやないか。それを聞いて、お前がわしの子やと確信したんや」
「でも、叔父さん、世間では同じ親から生まれても性格も才能も全然違う兄弟がいるじゃないですか。単に性格が似ているとか、数学ができるとか言うことだけでわたしが叔父さんの子だと言うことにはならないですよ」
「そりゃそうや、お前の言う通りや。しかしな、お前の顔つきだって兄貴みたいに丸顔やない。どっちかちゅうとわしに似て逆三角形やないか。ええか、わしの直感がお前はわしの子やちゅうとるんや。それに、初枝さん、五年間も妊娠してなかったやろ。間違いないわ」
叔父は俺のことを自分の子だと信じ切ってしまっている。恒久は反論しようがないと思いながら、
「叔父さんがそう思うのは自由ですがわたしはそう思いませんから」
 と、ぴしゃりと言った。
「ああ、それでええんや。なにも、わしがお前の親父だと、親父を押し売りしとる訳やないんや。わしが三十九年間ずうっと思うとったことを、お前が分かってくれりゃー、わしゃ、ええんや。こんで、胸のつかえがいっぺんに下りたわ。変なこと言うて、勝手やと思うかも知れんがな、わしは、お前がほんとにわしの子や思うとるんや」

          三

その夜、恒久は布団に入ってからなかなか寝つかれなかった。重雄との今日のやり取りが頭の中を駆け巡った。「わしはお前の親父なんや」という言葉が頭から離れない。悶々としている内に子供時代のことを思い出していた。 
――俺がもの心ついた頃から、叔父は毎年かかさず俺に誕生日祝いを送ってくれていた。小学校のときは鉛筆セットやクレパスなどの学用品だった。中学のときは確か二千円分の図書券だった。高校になってからは三千円分になっていた。
親父は図書券を見て忌々しそうに、
「重雄が、またこんなもん送ってきよったか。送らんでもええと言っとるのに」
と、余り喜んだ顔をしていなかった。
あの当時、親父はお返しをしなくてはならない煩わしさからそう言っていたと思っていたがそうではなかったのか。親父には迷惑だったのか。母も迷惑そうな顔をしていたような気がする……。
叔父は純粋に俺のことを自分の息子と思って誕生日祝いを送っていたのかも知れない。それに、俺が結婚した時には十万円も祝儀袋を包んでくれた。
明美が生まれた時もまるで自分の孫が生まれたかのように喜んでいた。赤ん坊の明美を連れて明子と養老に行った時など「抱かせてくれ、抱かせてくれ」と執拗に言われた。いったん抱っこするとなかなか手放さなかった。明美の写真も一杯取った。八ミリカメラで明美を追っかけまわした。
親父の口癖が聞こえてきた。「重雄の言うことを信じてはいけない。あいつは嘘つきだ」
――親父はこのことを見越して言っていたのか……。
母も、今から思い出すと、叔父が家に来るときは外出していることが多く、俺がお茶を出していた。そうか、母は俺が叔父の子かもしれないと思っていたのかもしれない。だから叔父が来るときに限って母は外出していたのか……。親戚の結婚式などで叔父と顔を合わせなければならないときなどは、母は叔父の前で何かしら緊張しているようだった。言葉使いも何かつっけんどんで、全く赤の他人に話しているようなところがあった。自分の身体に叔父の精子が入ったという嫌悪感がそうしていたのか……。叔父だけの精子を体内に入れるのには抵抗があり、親父の精子を混ぜるように勧めたのは母だったのかもしれない……。
――叔父は普段は真面目だが、二重人格のようなところがある。酒癖が悪く、飲むと額に青筋が立ち、目が座り、蛇のよう絡んでくる。現役教師の頃は、日ごろ抑えていたストレスを発散するかのように大声で人の悪口を言っていた。校長をこき下ろす。父兄の悪口を言う。教育委員会をぼろ糞に言う。
ふだんは研究熱心で、天文学の話になると目を輝かせて宇宙の神秘について延々と話す。養老の星がきれいだと言う。皆既日食を追って世界中を飛び回る。
どちらが本当の叔父なのか。一見、教育熱心で真面目そうだが一皮むくとそうでもない……。
恒久はその日以来、ひょっとすると自分の父親は叔父かもしれないと思うようになった。なんといっても確率はフィフティー、フィフティーなのだ。全面的に叔父が父親であることを否定できなかった。
大学でも授業中は講義に集中しているが研究室に戻り、ふとした時にこの事が気になり、研究書を読むのを一時中断するようになった。
明子と話をしていても急に思い出したりして明子の話が分からなくなることがあった。最近、明子が「あなた、聞いてんの?」と言うようになった。公園で父と子が楽しそうにボールで遊んでいる光景を見るとまた思い出した。
定則が亡くなって一週間後の夕食の時、とうとう明子が言った。
「あなた、最近何か考え事でもしてんの? 何かおかしいわよ。ボーっと考え込んじゃって」
 九歳の明美も箸の動きを止め、恒久の顔を見て言った。
「そうよ、なんかおかしいわ。いつものお父さんじゃないみたい」
 恒久は、そうだ、その通りだ。お父さんは今までのお父さんではなくなったのだと思いながら、
「いや、別に何もないよ。今度の学会の準備に追われてるからだろう」
と取りつくろった。
三日後の土曜日、明美はソフトボールクラブの練習があると言って朝早く学校に出かけた。朝食後、恒久が朝刊を読んでいると明子がいぶかしがるように、
「あなた、きのう寝言を言ってたわよ。明け方近くに大きな声で、『嘘だ、嘘だ』と言ってたわ。わたし気持ち悪くなっちゃって。何か心配事あるんじゃない? 『嘘だ』って、何のことなの? 何が嘘なの? 自分で分からない? 最近、ぼーっとしてるし。なんか、おかしいのよ、何かあるんでしょ」
恒久はここまで明子に言われては隠していても仕方がないと思い、重雄が言ったことを話した。黙って聞いていた明子は驚いたように、
「そうだったの? そんなこと叔父さん言ってたの? 罪な叔父さんねぇ……。でも、どうしてもっと早くわたしに言わないの?」
「毎日、今日は言おう、今日は言おうと思ってはいたんだが、その、何と言うか、ついついね」
恒久は明子に話しても問題が解決する訳ではないし、また明子は、あっけらかんの性格で、
「そんなこと、もうお父さんが亡くなったんだから、どちらでもいいんじゃないの。馬鹿ねぇ」
と言われるのは分かっていて言いそびれていた。
「実は、それ以来どうもおかしいんだよ。自分を統率していた糸が切れたと言うか、頭の中が他人に置き換わったみたいで、きちんと物事を今までどおり考えられないんだ。自律神経失調症だろな……。お前には話してなかったけど、親父は俺が子供の時、『重雄の言うことを信用してはいけない。あいつは嘘つきだから』と何度も俺に言ってたんだ。だから、叔父さんが言ったことが嘘であってほしいという願望があって寝言で嘘だ、嘘だと言ったんだろう。今から思うと親父はこのことを言ってたんかと思うけど」
 明子は納得したように、
「それで分かったわ。わたしもお父さんから、叔父さんが嘘つきだっていうこと、一度聞いたことがあったわ。冗談かと思って聞き流しておいたけど」
「そうか、お前も聞いてたんか。多分、今回のことを見越して言ってたのかも知れないなぁ。まあ、父親がどちらだろうと俺は俺だから関係ないと言えばそれまでだが。しかし、父親が誰かということは、女には分からないかもしれないが男にとっては大問題だ。俺の身体が生理的にそう反応してるんだ。自分が自分でないような気になるんだ」
「それは、女性だって同じことよ。わたしの父親が誰だか分からないのは、根なし草みたいなものだから。でも、そんなこと、どうしようもないんじゃないの。いまさらお父さんに聞くわけにもいかないし。余りくよくよしない方が、あなた、身体に悪いわよ」
「そりゃ、理屈では分かってるよ。でも、気になりだすと。あの重雄さんが俺の親父かもしれないんだよ、あの酒癖の悪い。今までは、何ていい叔父さんだと思ってたのに……。それに明美もなついているし。今度のことで、叔父さんが俺を可愛がってくれてた訳が分かっていっぺんに目が覚めたよ。なんだ、だからだったのかと思うと水をぶっかけられたようだ。お前は身体に悪いから気にするなと言うけど、気にしない方がおかしいよ」
「でも、もう寝言はいやだわ。大声で、びっくりしたわよ。もしそんなに気になるんならDNA鑑定をしてもらったら? この前、新聞に載ってたわ、親子鑑定のこと」
「それも考えたよ。でも、鑑定の結果、叔父さんが本当のことを言っていて俺の親父だったらと思うと自分は一体何なのかと思うよ。親父は一体俺の何だったのか。このまま鑑定をしないで今まで通り俺は親父の子でありたいんだよ。わざわざ寝てる子を覚ますこともないだろうに。どうして叔父さんは黙っててくれなかったんだ。ひどい叔父さんだ。怒れてくるよ」
 と言いながら恒久は自分が明子に泣きついていることに気がついた。それを察してか、明子は子供を諭すように、はっきりした声で、
「あなたの気持ち分からないこともないけど、あなたね、そうやって毎日、毎日あれこれ考えてると身体も心も蝕まれてしまいますよ。そのまま、不確かのまま一生送るつもりなら、それも結構ですよ。鑑定をして、どちらかはっきり切りをつけて生きていくのも一生。悩んで生きるのも一生。どちらがいいか、よく考えたら? 現実に直面するのを避けてるんじゃない? 叔父さんの子だろうが、お父さんの子だろうが、あなたは、あなたなんだから。しっかりしてよ」
――その通りだ。俺は一生、中途半端で悶々として生きていけないだろう……。
明子がこうも冷静にあっさり考えられるのは第三者だからか。いや、それもあるが明子が物事にこだわらない性格だからだ。俺が明子と結婚したのも、俺にはない明子のあっけらかんとした、さっぱりした性格に惚れたからだ。明子は明子で、自分にはない俺の粘着性、慎重さに惚れたからだと思う。現に、いつだったか、結婚前のデートで明治村に行ってお土産店でマグネットをあれこれ見ていたとき、
「私達って磁石のNとSみたいね。性格がまるっきり違うから」
と、にっこり笑って言ったことがあった。その笑顔が艶っぽかった。二人が磁石のようにくっついたのは二人の性格が全然似てないからだろう。
――現実に直面するのを避けてるんじゃない? か……。
恒久は暫らく考えてから、
「そうだな、お前の言うとおりだ。DNA鑑定をやってみようか」 
 恒久は電話帳で鑑定会社を調べたが、指紋や筆跡の鑑定をする興信所はあっても、DNA鑑定をする会社は掲載されていなかった。
     
          四

六月二十日、恒久は愛知県図書館に行ってDNA鑑定に関する本を探した。書名目録カードをめくっていくと、『DNA鑑定入門』と『親子鑑定の話』という二冊があった。 
『DNA鑑定入門』の方には最後のページに鑑定会社が二社紹介されていた。一つは「日本DNAソリューション」という会社だった。アメリカのDNA鑑定会社の日本ブランチで一九八八年に創立されていた。もう一方は昨年の一九九一年に創立されたばかりであった。
恒久は実績が長いということもあり、「日本DNAソリューション」に鑑定を依頼することにした。
二日後、電話で問い合わせたところ、DNA鑑定は唾液、爪、血痕、皮膚、毛髪等を、会社から送るサンプル封筒に入れて返送すれば良いと言う。ただし、父子鑑定の場合は、毛髪はDNAを抽出しにくいので根元の肉質部分がついた毛根が望ましいが、毛根がない場合は爪でも良いとのことであった。
ただ、鑑定結果が届くのには三週間はかかると言う。一旦、アメリカの本社にサンプルを送るからだ。
恒久は父子鑑定を依頼した。
四日後、日本DNAソリューションからサンプル返送用封筒が送られてきた。
恒久は仏壇の前に座り、おりんを鳴らして、手を合わせて定則の位牌を拝み目を閉じた。拝んでいると幼稚園の時、父に東山公園に連れて行ってもらったことを思い出した。古代池にある巨大なコンクリート製の恐竜に登る時に尻を押してもらったのだ。あの時の父の声が聞こえてくるようだった。                 
「そら、もう少しだ、それ 」
仏壇のおりんの余韻が消えると、恒久は目を開けて引き出しを引き、木箱の中から包み紙を取り出した。中から死化粧の時に形見として残しておいた遺髪を五本と爪を三つ取り出し、ビニールの採取袋に入れた。残った形見は引き出しに戻した。     
サンプルを送ってしまうと踏ん切りがついたようで前ほど悩まなくなった。叔父の子だと判定されるのには強い抵抗があったが、そういう結果が出るのならば仕方がないことだと覚悟した。

          五

約三週間後、七月十七日、名古屋大学から帰ると明子が日本DNAソリューションから送られてきた封筒を恒久に渡した。恒久は、はやる気を抑えて封筒を開ける前に大きく息を吸った。
――叔父さんの言っていたことが嘘でありますように……。
と強く念じつつ、定規を封筒の端に平行にあてがい、カッターを定規に当てて封筒を切った。
報告書には次のように書いてあった。
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DNA鑑定結果報告書(父性報告)

報告書作成日 一九九二年七月十二日

マルチローカス法による父子鑑定検査の結果。父親と思われる者(サンプルA=根本定則)は、子供(サンプルB=根本恒久)の生物学的父親から排除される。上記リストに記載された遺伝子座のDNA分析により、父権肯定確率は0.002以下である。従って、サンプルAはサンプルBの父親ではないと判定する。
___________

恒久は最後の文を、目を釘付けにするようにしてもう一度読んだ。
「父権肯定確率は0.002以下である。従って、サンプルAはサンプルBの父親ではないと判定する」
親父は父親ではなかったのか。俺の父親は叔父さんだったのか……。 
恒久は愕然とした。世の中が百八十度ひっくり返ったように感じた。報告書を明子に渡しつつ、
「叔父さんの言う通りだった。親父は父親ではなかった……」
明子はざっと報告書を見て、
「あなた、あまり気にしないでね。結果は結果だけど、あなたは、あなたに変わりないんですから。現実を受け止めなきゃ……」
他人事みたいにドライに言う明子を忌々しく思った。現実を受け止めよと簡単に言うけれど、三十九年間の俺のバックボーンが急にがらがらと崩れ落ちたのだ。気持ちを急に変えられるわけがない。頭ではわかっても血や肉がそれを認めないのだ。

          六

七月二十六日、定則の四十九日法要が根本家で執り行われた。
恒久は久しぶりに叔父に会うだろうと思っていたが、当日は叔父の代わりに息子の保雄が来た。
保雄は養老町役場に勤めており、色白で手の指が長く、眼鏡をかけ細身の体つきをしている。叔父は一週間前から腰を痛めているということだった。
法事が滞りなくすみ、親族はマイクロバスに乗り、懐石料理店「魚吉」で精進落としをした。座敷に料理が運ばれ、ビールや酒がふるまわれ、皆それぞれに談笑しだした。
恒久は親族一人ひとりに挨拶をしながらビールをついで回り、保雄のところに来て膳を挟んで差し向かいに座った。
――保雄は叔父と自分の父子関係の事を知っているのだろうか……。
恒久はビールを保雄のコップに注ぎ、無難な話題を選んで、
「叔父さん、腰を痛めたそうで、どんな具合なんです」
「うん、元気は元気やけど、伯父さんが亡くなってから急に老けこんでまってね。運悪く一週間前やったか、敷居につまずいて転んで腰を痛めてまってね」
保雄はビールを一気に飲み干して空のコップを恒久に渡した。いつもの飲み方とは違う。保雄は下戸で一気にビールを飲むことはめったにないのに。
――どうしたのだろう……。
保雄はコップを空にすると、恒久に渡してビール瓶を膳から取って注ぎながら、
「何しろ親父は年やで。今日も無理すりゃ出て来れたんやけど、まあ、大事を取ってね」
「無理は禁物だ。お身体大事にしてもらわなくっちゃ。でも敷居でつまずくって、年を取るとそうなるのかなぁ」
と言いながら保雄の顔を見た。ほんのりと頬が赤く染まってきている。恒久は、保雄が叔父と自分の父子関係のことを知っているのかどうか気になっていた。ビールを飲み干して保雄に返し、また保雄のコップに注いだ。
「うん、年取るとね。この前、お袋が畳の縁につまずいて転んだことがあったよ」
「えっ、畳の縁で。怪我しなかったかい」
「怪我はせなんたが、腰を打って暫らく起き上がれへやんだらしい」
恒久は、なかなか話の核心に迫らないことにイラついてきた。
――ひょっとして、保雄は叔父と俺との関係を全く知らないのかもしれない。しかし、どうせ分かることだ……。
恒久は自分の方から話を切り出そうかと思った。
保雄はまたビールを一気に飲み、空のコップを膳の上に置いた。顔が赤くなり目が据わってきた。叔父の酔った目つきだ。
――そうか、保雄は知っているのだ……。
言いづらいことを酒の勢いで言おうとしている。そんなこと酒の勢いで言うようなことでもないのに。相変わらず神経質な男だ……。
保雄は急に姿勢を正して恒久の顔をにらんだ。目がつりあがり緊張している。膝を乗り出して小さな声だが力強く、
「恒(つね)さん、さっきから言おう、言おうと思っとったんやけど」
恒久は保雄の目を見た。酔ってはいるが重大なことを秘めているような目だ。
「ああ、あれね。叔父さんと俺の関係だろ?」
一瞬、保雄は緊張がほぐれたような顔になり、大きくうなずき、
「そうや」と言った。
――目の前の男は俺の弟ということになる。考えられない……。
いつ保雄はこのことを知ったのだろうと思って、
「親父の葬式が終わってから、叔父さんが保(やっ)ちゃんに言ったんだろ」
「いや、もっとずっと前や」
まさか、そんなわけがないと思って、
「もっと前って、何時のことや?」
「子供の時や。確か、中一の時や」
――中一って、十三歳だ……。
保雄は俺より三つ年下だから、今三十六歳だ。そうすると……二十三年間も黙ってたのか。
「中一からって、じゃあ、ずっと隠してたんか」
「隠しとったんやないけど……。始め、親父が冗談を言ったんかと思ったんや。酒飲んどったから。でも、秘密を言ってから急に顔色を変え、このことを知っとるのは兄貴とわしだけや。絶対に人に言ってはいかんぞ、ちゃんと約束せよと、きつく釘を刺されたんや。ところが、伯父さんの葬式が終わって、親父が恒(つね)さんの父親やと言うてきたと言うんや。それで、わたしはもう秘密を守る必要はないと思ったんや。……今日来る時も、このことを恒さんに言おうか言うまいか迷っとってね、道々どうやって話したらええか考えとったんや」
――そうか。保雄は俺のことをずっと兄として見てたのか。親父も叔父も保雄も、みんな知ってたのか……。
恒久は煮魚を口に入れ、ビールを一口飲んで、
「実は、叔父さんに聞かれたら言おうと思ってたんだけど、DNA鑑定をしてもらったよ」
「やっぱり」
保雄の目に好奇心が広がった。
「ほんで?」
「結果は叔父さんの言うとおりでね。親父が生物学的父親である確率は0.002以下だそうだ」
「ほんなら、恒さんとわたしは、やはり……」
「そう、兄弟だよ。ほぼ、百パーセントね」
恒久は、重雄の子であることを認めたくないという天の邪鬼が働いて「ほぼ」と、ことさらに言った。
一瞬、保雄は眉をひそめて恒久の心を汲み取るように、
「ほぼ、ねぇ……。分かる気がするで、その気持ち」
わかってたまるか。叔父が俺の父親ではない確率は、ちゃんと0.002あるんだ。
しかし、0.002など無いにも等しい数値で、恒久は重雄の息子であることを認めざるを得なかった。

          七

 その年の秋、恒久のところに重雄から手紙が来た。紅葉狩りを兼ねて家族で養老に遊びに来ないか、親子の盃を酌み交わしたいと書いてある。恒久は明美を連れていくことをためらった。酔った勢いで叔父は何を言い出すか分からないからだ。
明子に、明美を連れて行くことは心配だと話すと、明子はきっぱりと言った。
「何言ってるの。全然心配ないわよ。明美はまだ子供だし、人口授精がどうとか、DNAがどうとか、分かる訳ないじゃないの。それに明美を家に一人で残していけるとでも思ってるの? そっちの方こそ心配よ。理系人間の考えることって、どうしてそう先々のことまで突き詰めて考えるのよ。大丈夫よ。第一、叔父さんが酔って言うことなど、明美がまともに受け取るとでも思ってるの?」
明子に言われて、なるほどその通りだと思った。明美は母親似でさっぱりしている。俺みたいにあれこれ悩まない。叔父が変なことを言っても大丈夫だろう。この母にして、この娘ありか……と思った。
 恒久は明美の事を心配するのは取り越し苦労かもしれないと思い直して養老に行くことにした。 
十一月二十八日、晩秋の青空のもと、恒久は明子と明美を連れて養老に出かけた。
滝から流れる渓流にかかった朱色の渡月橋に立ち、上流を眺めると、川を覆うように両岸から赤く染まった紅葉の枝が競いあうように伸び、紅葉がひらひらと川に散って透き通る川面を流れてくる。 
渓流沿いの緑の坂道を登りながら時々直径八十センチもある紅葉の幹の下に立ち梢を下から見上げた。陽の光を浴びた真っ赤な葉が花火のように空一面に燃え広がっている。
万代橋を通り過ぎて滝道を登っていくと、おい茂った杉、松、樫の常緑樹が陽光をさえぎり、木蔭の空気がひんやり身体を包む。
さらに十五分ほど登って行くと、どうどうと轟音が聞こえ滝が視界に入ってきた。滝まで登ると、恒久は滝壺の淵に立ち、飛沫を浴びながら滝を見上げた。
水の塊が絶え間なく落ちてくる。胸に溜まったわだかまりが滝と共に流れて欲しいと願った。
明美が靴を脱いで滝壺の水に足を浸けた。恒久も浸けた。
冷たい。
頭の中がすっきりする。
午後三時半頃、太陽がそそり立った養老の山に早々と隠れ、辺り一面が影に包まれた。
三人は滝道を十五分ぐらい下り、渡月橋の近くにある「菊水」という岩清水のところまで下りて来た。菊水は日本名水百選に入っており、五、六人の人が泉を囲み柄杓で水を飲んでいた。水筒に菊水を入れている人もいる。
恒久も水を手に受けて飲んだ。
うまい。
天然の水だ。心の垢が洗い流される。
恒久達は不動橋近くの茶店で休憩し、午後五時ごろ重雄の家に着いた。武家屋敷のような門構えを入ると中庭になっていた。重雄は妻の君江、保雄と妻の孝子、小学生の二人の孫と暮らしている。
座敷に入ると、二つのテーブルがくっつけて並べられ、鍋物の準備がされていた。山水画の掛軸が掛かった床の間を背にして恒久と明子が座り、重雄と保雄がその対面に座った。他方のテーブルには、明美、孝子、君江と二人の子供が座った。
重雄の前には菊水で醸造した養老の地酒、醴(れい)泉(せん)が置いてある。
全員が座ると、重雄は顔をほころばせ恒久の顔を見ながら、
「これは地酒コンテストで金賞を取っとるんや。息子のお前とこうやって差しで飲めるなんて、嬉しいこったわ。これは常温で飲むのが一番うまいんや」
と言って、重雄は醴泉の封を切り、恒久の盃に注いだ。
次に明子の盃にも注ごうとしたが明子は「車を運転しますから」と、断った。重雄は「まあ、まあ、形だけや」と言って明子の盃にも注いだ。
醴泉が大人全員に注がれると、重雄は盃を持ち上げてやや上気したように、
「それじゃあ、恒久がわしの息子であることを祝してぇ、乾杯!」
恒久は盃の中の酒を見つめた。叔父にとっては祝い酒でも自分にとってはそうではないと思いながら飲んだ。
重雄が上機嫌で、
「恒久、保雄から聞いたけど、DNA鑑定をやったそうやないか」
「はあ、明子が鑑定をやってみたらって勧めましたので」
「そりゃ、賢明や」
と言いながら明子を一瞥した。明子は鑑定をしたことで、重雄が気分を害しているのではないかと思いながら、
「主人が、あまりショックを受けていて、信じられない、信じられないと繰り返すものですから、叔父さまには悪かったけど鑑定を勧めたんです」
「そうか。ま、ショックを受けるのは当然だろうな。ほんで、鑑定の結果がわしが言っとった通りでほっとしたわ。九十九パーセント自信があったんやけど、実は、ひょっとしたら、わしの子じゃないかも知れんと思っとったんや。今度の鑑定ではっきりして良かったわ。これで息子が二人正式にできたわけや。めでたいねぇ」
 と重雄は言って、盃を一気に飲み干した。
恒久は明美を見た。
明美は保雄の子供たちと何やら夢中で話しており、叔父の話は聞こえなかったようだった。
重雄は自分の盃を恒久に渡し、酒を注ぎながら、
「でも、恒久、急な話やし、わしのことをお父さんと無理に呼ばんでもええわ。今まで通り叔父さんで構わへん。まあ、気が向いたらお父さんと呼んでくれたらええんやで」
 と言って笑った。
恒久は叔父の顔を冷ややかに見ながら、叔父と百パーセント父子関係があることを数値で確かめたいと思っていた。「叔父さんのDNAサンプルをもらえませんか」という言葉が喉元まで出かかっていた。しかし、どうしても言うことができなかった。不本意ながら叔父の子になってしまった瞬間、呪文がかけられたのか、牙が抜かれたのか、以前ほど叔父に対して強く出られなくなった自分を情けないと思った。心の一方では叔父に対して強い反発があったが、一方では叔父が俺の親父か、親父と言い争ってもどうにもならないという諦めがあった。葬式のときあれほど叔父に言い返したのに、あの覇気はどこにいってしまったのだろうと思った。
「はあ、急なことで、頭の切り替えができませんが、その内に、そう呼ばせてもらいます」
 と恒久は言いながら、こんな従順な言葉が出る自分が腹立たしかった。これではまるで首に輪をかけられた犬と変わらないではないかと思った。酒が急にまずくなった。
「おお、そうか。じゃ、気長に待っとるわ」
重雄は笑って鍋を突っついて豆腐とネギを小鉢に移した。それから手酌で酒を盃に注ぎ、ぐいぐい飲みながら子どもの頃の思い出話を始めた。
「そうそう、小学校のときやった。兄貴と相撲を取っとって、わしの右腕が外れてしもうてな、泣いてまったんや。わしは相撲取りたくない、取りたくない、ちゅうとるのに兄貴は相撲が大好きでな、無理やり取らされて腕が、ぶーら、ぶら、になってまったんや」
と言って椅子から腰を浮かせ、右腕を左右に大げさに揺らした。
「ほんで、親父に自転車に乗せてもらって、左手でこうやって右腕を支えて」
と、左手で右腕の肘を抱えて痛そうに顔をしかめ、
「ほねつぎ道場へ行ったんや。ほんなら、先生が、腕をぐっとやったら、ぐっと治ってまったんや。ぐっとな」
と言って笑った。
重雄は酒の勢いもあり、すこぶる上機嫌でどんどん舌が回った。
「夏休みのことや、長良川で溺れそうになってまってな、もうあかん、お陀仏や、土左衛門さんやぁ、と思ってあっぷあっぷしとったら、天の助けだ、兄ちゃんが助けに来てくれたんや。溺れとるときにな、川の水をたーらふく飲んでまったんや。鵜飼の鵜には悪いが、鮎を二、三匹飲み込んでまったかもしれんなぁ」
と言って首を鵜のように長く伸ばし、目をむいて手を羽根のようにバタつかせ、ゲーゲーと声をたてて鵜を喉から出す真似をした。大笑いとなった。
酒を飲むと重雄は暫らくは機嫌がいいが、その内に豹変することを恒久は知っていた。豹変が今か今かと思って叔父の馬鹿話を聞いていた。
重雄の顔がほんのり赤くなって来て額に青筋が浮き上がり、目が尖り据わってきた。
重雄は明美の方を見て急に大きな声を出した。
「明美ちゃん、明美ちゃん!」
恒久は、ドキッとした。
重雄は粘りつくような声で、
「明美、いいこと教えてやろう……。あのな、明美はな、わしの孫や。分かるかぁ、ま、ご、だよ。まーご」
 恒久は遠慮がちに、
「叔父さん、止めてください」と言った。
重雄は取り合わない。
恒久は困ったように、
「明美は何も分からないんですから」
「なにぃ、分からんなんてことが、あるもんかぁ」
重雄は恒久を怒鳴りつけ、明美の方を向いて、
「明美、お前は、わしの孫だわ」
明美が重雄の顔を見て訊いた。
「孫って、どういうこと?」
「お前はわしの孫なんや。実はな、お前のお父さんはな、わしの子なんやよ」
 恒久は、
「叔父さん」
と、語気を強めて言った。
重雄は、盃を飲み干し恒久に眼をすえて、
「なんや、恒久、お前、うるさいぞ。叔父さん、叔父さんって。叔父さんじゃねーだろ。お父さんと言え、お父さんと」
恒久は仕方なく、
「……お父さん、止めてください」
「そうや、そうや、お父さんや。よう言うたな。お前、聞き分けのある子や。明美、分かったやろ。明美のお父さんは、わしの子や。だから明美はわしの孫なんや」
 と言って重雄は愉快そうに笑った。
 明子は冷静な顔をして聞いていたが恒久は気が気でなかった。明子が心配ないと言ったが土壇場になるとうろたえた。自分だけでも苦しんでいるのに明美まで巻き添えを食うことになる。
恒久はもう一度言った。
「もういい加減にして下さいよ」
「何だとぉ。何でこんな大事なこと、いい加減にしなあかんのや。お前、わしを信用してねーのか。ちゃあんと、鑑定が出たんだろう、鑑定が。鑑定は嘘っぱちかぁ。ホントのこと言って、どこが悪いんや。ええん? おめえこそ、いい加減にしたらどうやのや」
 保雄が、
「お父さん、止めてください」
と、か細い声で中に入った。
「何? 保雄、おめえも、恒久の肩持つんかぁ。どいつもこいつも、ええぃ、情けねぇ奴ばっかや」
と声を荒げ、また酒を注いで一気に飲み、空の盃を割れるかと思うぐらい勢いよくテーブルに叩き付けた。重雄の身体がふらついて右手が自分の小鉢をひっくり返し、貝柱や白菜が汁とともにテーブルにこぼれた。
 保雄があわてて孝子の前から布巾を取り、汁を拭った。
重雄は小鉢をひっくり返したことには無頓着で目を細め、猫なで声で、
「明美ちゃん、明美ちゃんはいい子や。今、わしが話しとったことは、ぜーぇんぶ、ほんまのことや。明美が、もっと大きくなったら、分かることやでな。はよ、大きくなれや。大きくなぁれ、大きくなぁれ、一寸法――」
 明美は、キッと重雄をにらみ、かん高い声ではっきり言った。
「わたし、酔っぱらい、大嫌い! お父さん、もう帰ろう」
 と言って椅子から立ちあがった。
恒久は明美の態度を立派だと思った。俺にはできないことだ。内心帰りたいと思ったが、
「明美、失礼なこと言うもんじゃない」
と叱ると、明子が、
「あなた、帰りましょ」
と静かに言って椅子を引き、すっと立って、右手で恒久の背中を軽く叩いた。恒久は中腰になって立ち上がりかけた。
重雄も、ふらふらっと腰を浮かせ、
「おっとっとっと、まだ、まだ。まーだだよ……まだ帰るの、早いよ」
と言って恒久の方に手を伸ばした。次の瞬間、そのまま恒久の足もとに崩れるように倒れた。倒れるとき額をテーブルの角にぶつけ、額から血が滲んできた。
恒久は血を見て、
「明子、ティッシュ、ティッシュ。叔父さん、額から血が……」
明子はハンドバックからティッシュの束をつかみ、恒久に渡した。恒久は重雄の額に束をあてがった。孝子が消毒液と絆創膏を持ってきた。
保雄は申し訳なさそうに、
「すいません、すいません」
と何度も頭を下げて謝った。

二十分後、恒久は明子の運転する車の後部座席に明美と並んで座っていた。三人とも無言だった。聞こえるのはエンジンの音だけだ。ヘッドライトがどこまでも真っすぐ伸びている夜道を遠くまで照らしていた。恒久は窓から闇に流れ去っていく黒々とした田圃を見ながら動かしがたい運命を呪っていた。
――どうして俺はあんな叔父の子なんだ……。

          八

翌日、恒久は大学で講義をしながら、いつものように右手でチョークを持ち、左手をズボンのポケットに突っ込んでいた。これが恒久の講義のスタイルだ。講義が始まって三分もたたないうちにポケットの中のティッシュに気がついた。
――これは?
そうだ、きのう、叔父さんの血を止めたときのだ。あのとき、ティッシュをごみ箱に捨てようとしたが、ごみ箱が見当たらず、ポケットに突っ込んだままになっていたのだ……。
そう考えながら、講義を続けていくうちに、ハッと気がついた。大発見だ。
――叔父のDNAサンプルだ……。
 その日の講義は、次のように締めくくった。
「諸君、ここで若い諸君に、アドバイスをしておこう。人生、何がきっかけで、道が開けるやも知れない。果敢に何事にもぶつかり、間口を広く開けておきたまえ。特に電子工学では、こんな無駄なこと、こんな馬鹿らしいことと思うことが、後から、とんでもなく役に立つことがある。多くの科学上の発見は無駄や失敗から発見されている。私もつい先日大発見をしたばかりだ」

          九

翌日、恒久は日本DNAソリューションにサンプル返送用封筒を依頼した。三日後、封筒が送られてきて、叔父の血のついたティッシュと自分の毛根と爪を送った。鑑定料金は六万六千円と馬鹿にならなかったが、それだけの価値はあると思った。
明子は、
「まだ考えているの、お父さんの子でないんなら、叔父さんの子に決まってるじゃないの。お金の無駄使いよ、また鑑定するなんて……」
と反対したが、恒久はどうしても鑑定したいと説いて再び鑑定を依頼したのだった。
勿論、恒久は分かっていた。定則の子でない確率が、0.002以下なら、重雄の子に決まっている。しかし、理系人間の業か、百パーセント重雄の子であると言う数値が欲しかった。
三週間後、十二月二十三日、鑑定報告書が送られてきた。定則との父子関係結果の封筒を開けるような胸の高鳴りはなかった。
恒久はロボットのようカッターで封筒を開け、ロボットのように結果を読み始めた。淡々とお決まりの文章を読んで結論の行に目が移った。どうせ叔父との生物学的父子関係は百パーセントであると書いてあるのだろうと予想していた。
報告書の結論が次のように書いてあった。
―――――――――――――
以上の検査を総合判断すると、父親と思われる者(サンプルA=根本重雄)と、子どもと思われる者(サンプルB=根本恒久) が生物学的父子関係である確率は0.00である。
―――――――――――――
目を疑った。何度読んでも「父子関係である確率は0.00である」と書いてある。間違いではないのか。
恒久はもう一度最初から読み直した。心臓が押しつぶされそうで気ばかり焦った。丁寧に一字一句を読もうと思っても文字が踊ってしまう。
結論の数行上のところに次のように書いてあった。
「六種類の検査をしたところ、六種類ともサンプルAとサンプルBは合致しなかった」
さらによく読むと、精密かつ厳密なる結果を得るために、六種類の検査は一種類につき二回ずつ行われるとある。
六種類の合致検査を各々二回ずつ行って出た結果であるから、総合判断は間違いがないと言うことだ。従って、叔父は俺の父親ではないのだ。
――一体これはどういうことだ。親父も叔父も俺の父親ではないのか。俺は本当に根なし草だ。父親は一体誰なんだ……。
恒久は期待はずれで全身の力が抜けていくようだった。
暫らくして憤りを感じてきた。親父でもなく叔父でもない誰かが俺の父親ということになる。どこでどう間違ったのか。人工授精の時に医師が第三者の精液と取り違えたのだろうか。医師がそんな間違いをするのだろうか。いや、医師だって人間だ。間違いをすることはありうると思った。
明子は結果に驚いたようだが、
「あなた、もうこうなった以上、父親が誰でもいいじゃないの。あの酒癖の悪い叔父さんの子でなくて返って良かったじゃない」
「それはそうだ。あんな叔父の血が俺の身体に流れていなくてせいせいしたよ。でも、一体俺の父親は――」
「まだ言ってんの。何故そんなに父親にこだわるの? いい加減、父親探しは止めたら?」
と、明子はあきれた様に言った。
明子にどう言われようとも、恒久は父親が誰なのかどうしても知りたいと思った。自分がどこの馬の骨とも分からないなどという中途半端なことは耐えられなかった。親父も叔父も父親ではないと鑑定された今、それ以上探しようがないことは分かっていた。しかし、何か方法があるはずだ、どうしても父親が誰か知りたいと思った。自分でも何故こんなにこだわるのか分からなかった。

       十ああああ

翌年、五月二十三日、定則の一周忌法要が執り行われた。恒久は読経が終わってから叔父に鑑定結果のことを話そうと思っていた。叔父に会うのは家族で養老に行って以来だった。
午前九時半過ぎに叔父がやって来た。叔父は仏壇の前に座り手を合わせてお参りをしてから、恒久の方に向き直り香典袋を両手で差しだした。恒久が頭を下げて受け取ると叔父はバツの悪そうな顔をして、
「この前は、とんだ迷惑をかけてまって、すまんことやったな。保雄に聞いたんやが、ひどいこと言ったそうで面目ないわ」
「何を言ったか覚えてないんですか」
「うん、その、明美に話しかけた辺りまでは覚えとるんやが……」
「それ以後のこと覚えてないんですか」
「なんか、怒鳴っとたような気がするんやが。すまなんだな……。酒癖が悪いの、治そう治そうと思うとるんやけどな」
 重雄は酒屋の次男に生まれた。酒屋のあとを継いだ長男の定則は、酒はたしなむ程度に飲んだが、重雄は子供の頃から親に隠れて飲んでいた。
重雄が子供の頃、父親が酒樽を指の関節でコンコンと叩いて栓を回すときに鳴るキキーという音が気に入ってしまった。
父親がいないとき重雄は内緒でキキーと回して遊んでいた。そのときちょろちょろと出てしまう酒を、左手に持った一合升に受けて飲んでいる内に酒の味を覚えたのだ。
重雄が中学二年のとき店番をしていて、満タンの酒樽の栓を回しているときに、栓が急に抜けて土間に落ちてしまい酒が勢いよくほとばしり出た。
重雄はあわてて酒樽の穴を右手でおさえ、その上に左手をあてがって、ほとばしり出そうな酒を一生懸命押さえた。栓を拾うこともできないし、その場を動くこともできない。
「お母さん、お母さん!」
と大声で叫んだ。
そこへ父親が配達から帰って来て、こっぴどく叱られたことがあった。
また、現役の教員のとき、退職する先生の送別会で酒を浴びるほど飲み、同僚の先生が重雄をタクシーに乗せて家まで送ってくれたことがあった。
重雄はタクシーの中で、
「校長はー、俺をー、馬鹿にしとるー」
と大声でわめき、騒ぎ、暴れた。タクシーの運転手は車を止めて、
「お客さん、静かにしてもらえませんか。運転できないすよ」と注意した。同僚の先生が平謝りに謝って何とか家まで重雄を送り届けたのだが、翌日、重雄はタクシーに乗ったことさえ覚えていなかった。
 恒久は叔父を諭すように、
「叔父さん、酒飲むのはいいけどほどほどにしておかなくっちゃ。身体に悪いですよ」
「いや、ほんま、面目ない。いつも、いつも、反省しとるんや。自分ながら情けねーと思っとるんや。今日は、そのことを謝りに来たんや。すまん事やった。ほんとすまんと思うとる」
 と、両手を合わせて拝むように、恒久に謝った。重雄は恒久にとっては、ただ一人の叔父であった。初枝には兄が二人いたが、一人は中国で、もう一人はニューギニアで戦死していた。恒久は白髪頭を何度も深く下げている叔父が小さく見え哀れに思えて来た。
「そんなに、謝ってもらわなくてもいいけど、本当に金輪際にして下さいよ、わたしのお父さんなんですから」
「……お父さんと呼んでくれるか……。すまん、こんな親父で……」
 と、重則は恐縮するように言った。
恒久は「わたしのお父さんなんですから」という言葉が、しゃあしゃあと出てくる自分にあきれた。鑑定結果を言おうと思っていたのに全く逆のことを言っている。しかし、たまには年老いた叔父を「お父さん」と呼んでも良いような気がした。

     十二

一周忌の法事から一ヶ月半後の七月十一日、恒久は、アメリカのある医師が自らの精液を使用し数十人の女性に人工授精を施して検挙されたという新聞記事を読んで驚愕した。
まさか、まさかそんな事はないと否定したが、日が経つにつれて恒久の人口授精を行った医師が精液を間違えたか、医師自らのを使ったのではないかと思うようになった。
恒久は自分の人口授精を行った産婦人科医院に行けば何らかの手掛かりがつかめるかも知れないと思った。
しかし、恒久はその年、四十歳になっており、四十年も前の医院がまだ開業しているかどうか、また、開業していても当時の医師が生きているかどうか分からなかった。
七月十六日、恒久は駄目でもともとと思い医院を訪ねることにした。医院は名古屋駅から徒歩十五分ぐらいのところにある北川産婦人科医院だった。
恒久が子供の頃住んでいた家はこの医院の近くにあった。よく母親に連れられて医院の前を通る毎に、母親が「お前が生まれたのはこの病院だよ」と言っていた。 

夏の太陽が照りつけるなか、ハンカチで汗をぬぐいながら記憶を頼りに歩いていくと、子供時代の街並みが見えてきた。しかし、風景がすっかり変わっており、父親に連れられてよく行った銭湯がなくなっていた。風呂あがりに夜空を見上げると、高い煙突から火の粉が赤く飛び散っていたことを思い出した。その煙突も跡形もなく消えており、代わりに五階建てのビルが建っていた。
小学生の時に友達の徹也と毎日のように遊んだ長勝寺が見えてきて、境内にある石燈籠で大けがをしたことを思い出した。
あの時、恒久は自分の背丈より高い石燈籠の周りで徹也とかくれんぼをして遊んでいた。
恒久が燈籠の基礎に登ろうとして中台に手をかけ足で地面を蹴ったところ、燈籠もろとも横倒しになり左腕が笠石の下敷きになってしまった。腕を抜くこともできず、倒れたまま顔と腕から血を流し、うんうん唸っている恒久を見て徹也が笠石をどけようとしたが動かせなかった。
「恒(つね)ちゃん、待つてて、おじさん呼んでくるから」
と言って駆け出して行き、定則を連れて戻ってきた。定則は酒屋の屋号が白く染め抜かれた前垂れをはためかせて走って来た。すぐに笠石をどけ、恒久をおんぶして病院に駆け込んだ。腕は打撲だけで骨は折れていなかった。 
恒久はおんぶされながら定則の背中で何度も上下に揺れたことを思い出した。 
寺の正面まで行って門柱から中を覗いたが、石燈籠のあったところは駐車場に変わっていた。
暫らく歩くと、「北川医院」という看板が三階建てのビルの屋上に見えてきた。昔は確か木造の平屋だったが……。立派になったものだと思いながら、まだ医院があることに一安心した。
医院に着き中に入って驚いた。多くのお年寄りが診察を待っていた。以前は「北川産婦人科医院」であったが、現在は内科の病院に変わっていた。
恒久は受付で事情を話した。
「あの、私、四十年前、こちらの病院で生まれた根本というものですが、その当時の院長先生はまだご健在でしょうか」
とっぴな質問に受付の中年女性はいぶかしげに、
「えっ、四十年前ですか……。そうすると、先代の先生ですね。今は隠居されてますが、どういう御用件でしょうか」
恒久は、まだ先生がご健在とは運がいいと思いながら、
「変な話で、申しわけないんですが、私の出生についてちょっとお聞きしたいことがあるんです。先生にお会いすることはできませんでしょうか」
「出生って、あの、四十年前のですか」
「はあ、是非お伺いしたいことがありまして、何とか先生にお会いできませんか」
女性は、困ったような顔をして、
「一度先生に聞いてみますが。暫らくお待ちください。お名前は確か――」
「根本です」
恒久は診察の前に並べられている長椅子に座った。患者は十五人ぐらいいたが、ほとんどが年配者だった。隣の二人の老婦人が大きな声で腰痛の話をしていた。
暫らくして名前が呼ばれた。
「先生が会って下さるそうです。こちらへどうぞ」
根本は廊下を通って応接室に案内された。中に入ると真っ白な壁に金色の額で縁取られた赤富士の額が飾ってあった。クーラーがよく効いている。
ノックがして白髪の老人が現れた。街で見かけるごく普通の老人だ。しかし、血色のいい丸顔で、口髭を生やし姿勢が良くかくしゃくとしている。
恒久は立ちあがって礼をし、老医師が座ってから自分も座り、さっそくこれまでの経緯を話した。
問題が核心に近づいた時、やや緊張気味に、
「そこで先生、人工授精の場合、何らかの間違いで他人の精子が使われる場合がありますか」
と言いながら、恒久は北川医師の顔色をうかがった。不愉快な顔をされるのではと思ったが穏やかに、
「それは間違いではなく、始めから第三者の精子を使う場合ですよ。人工授精でも精子の数が少ないとか、運動率が悪い場合は、うまく授精しないんですね。そんな場合、非配偶者間人工授精と言って、不妊夫婦の同意を得たうえで第三者の精子を使うことがありますが」
「第三者の精子と言いますと……」
「主に、医学部のインターン生が提供する精子です」
恒久は北川医師の話を聞きながら、あなたが間違えてインターンの精子か自分のを使ったのではないかと失礼にならないようにどのように聞いたらいいか考えていた。
北川は一通り話を終えると恒久に真正面に向き直り、
「それで、根本さんでしたね。恐らくあなたは、わたしが精子をとり間違えたのではないかとお疑いなんでしょう」
 恒久は図星に驚いて、
「はあ……。実は、そうなんです」
「そうならそうと、始めからはっきりおっしゃればいいものを」
「それはそうですが、言いづらくて……」
「そりゃそうでしょうな。でも、精子を取り違えるなんてことはありません。最近では、忙しい病院ですと取り違えて裁判沙汰になることも稀にあるようですがね。しかし、根本さん、あなたの場合は四十年も前のことでしょう。日本で人口授精が始まったのはあなたが生まれる五年ぐらい前ですよ。だから、当時は人口授精を希望する人はごく少なくて精子を取り違えようがないじゃないですか」
「はあ……。でも、あの、素人考えで恐縮ですが、万が一、万が一受精する時に注入器を落として割ってしまったとかいう場合はどうなりますか。インターンの精液を使うのですか」
北川はあきれた顔をして、
「そんな馬鹿なことはしませんよ。ご夫婦の同意を得てないのにそんなことできる訳がないでしょう。それに、注入量は一CCと少量ですから、シリンジをうっかり割ってしまったとしても、別のシリンジで精液を吸いなおすだけです。勿論、精液がなくなれば、次の排卵日まで待ってもらえばいいのですから」
 恒久はここまで言われれば、もう北川医院で精子が入れ替わったのではないと思わざるを得なかった。
しかし、現に自分のDNAが父親と叔父のDNAと合致していないのだから、この病院で何かがあったとしか考えられない。アメリカの医師の例もある。
恒久は失礼になると分かっていたが覚悟を決めて、
「分かりました。でも……誠に言いにくいのですが、あの、この前、新聞で読んだのですが、アメリカの医師が、自分の……」
言葉が詰まってしまった。北川は助け船を出すように、
「ああ、わたしも読みましたよ。あの医者は自分のDNAを残しておきたいという異常な願望があったんでしょうなぁ。で、あなた、わたしを疑ってるんでしょう。その気持ち分からないこともないですが。なんなら、わたしのDNAサンプルをあげますから鑑定をして下さって結構ですよ。それであなたの気がすむんでしたら」   
と言って立ちあがりかけ、
「これはわたしの意見ですが、おそらくDNA鑑定会社が、あなたが送ったサンプルを取り間違えたのだと思いますがね」
 恒久はどう返事をしていいか困った。
 北川は「待ってて下さい」と言って応接室を出て行った。
恒久は北川の寛大な心に感心した。自分の精子を使ったのではないかと疑いをかけられたら、当然、憤慨するところを、わざわざサンプルをあげましょうと言ってくれた。人間がよくできている。年の甲だと思った。
暫らくして北川は手に綿棒を三本持って戻ってきた。恒久に綿棒を見せて、  
「DNA鑑定は、唾液がサンプルとしては適しているんですよ」
と言って口の中を綿棒でかき回し、ビニール袋に入れて恒久に渡した。恒久は恐縮して受け取り、礼を言って北川病院を出た。
外に出ると、空がいつの間にか真っ暗に曇り、ひと雨来そうだった。
帰り道、恒久は北川と話したことを反芻していた。
――そうか、全くだ。先生が言っていた通りだ。落としてしまったら、もう一度精液を持って来てもらえばそれで済むことだ。何もわざわざ自分やインターン生の精液を使うことはないのだ……。
 家に帰って明子に北川医院であったことを話した。明子は全然取りあわず、
「だから言ったでしょ。綿棒なんかもらってきて。北川先生が父親じゃないと言う証拠じゃない。骨折り損のくたびれ儲けって、あなたのことね」
「そうだなぁ。諦めるしかないのか」
と言って、ため息をつき、
「でもなぁ、父親が誰か気になるよ……」
「そりゃ、気になることは分かるけど、仕方ないんじゃない……。やることは全部やったんだし。もう、調べようがないんだから、誰だっていいじゃないの。あなたは、あなたなんだから」
 恒久はそれはそうかもしれない、俺は俺なんだからと思った。しかし同時に、こんな馬鹿なことがあるのだろうか。一体、誰が俺の父親なんだ。どこでどう間違ったのだというどうしようもない怒りもあった。生まれた時から父親が分からないのならそれなりに諦めもつくだろう。しかし、三十九歳まで父親と思っていた人が父親ではなく、父親だと名乗った人も父親ではなかった。第三者の精子が間違って使われた可能性もゼロだ。
――やはり、明子の言うように父親を探すのは、これで止めにするのが賢明かもしれない。北川先生の綿棒を鑑定にかけるのは全く無駄だろう……。
しかし、せっかく綿棒をもらってきた。万が一ということもある。老医師のことだ、四十年も昔ことを忘れてしまっていることもありうる……。
この前、俺の講義で「こんな馬鹿らしいこと、と思うことが、後からとんでもなく役に立つことがある」と、学生に語ったことがあった……。
綿棒を鑑定にかけるのは、それこそ馬鹿らしいことだ。しかし、そこから何か出てくるかもしれない。たとえ出てこなくても自分のこの手で結果を実感として、数値として確認したい……。鑑定をするか、しないか迷っているのは鑑定代が高いからだ。それだけのことだ。鑑定をして誰が損をすると言うのか。カネは何とかなる。綿棒を捨てたら終りだ。親父も叔父も父親でないなら、残るは北川病院しかないではないか……。
恒久は鑑定をすることにした。
翌日、明子に言った。
「最後の鑑定だ。どうしても北川先生の鑑定をしたい」
明子は、恒久がDNA鑑定の権化に取りつかれていると思うようになっていた。「何もそこまでする必要はないじゃないの」と言おうとしたが、恒久の性格を考えれば、反対しても無駄だと分かっており「仕方がないわねぇ」と言ってしぶしぶ同意した。
早速、恒久は北川との父子鑑定を日本DNAソリューションに依頼した。
恒久の心の奥底には、定則も重雄も自分の父親ではないと分かった以上、北川の血が自分の身体に流れているかもしれないと言うほのかな期待があった。これで身元が明確になるかも知れないという思いがあった。
三週間後、八月三日、鑑定結果が送られてきた。
―――――――――――――――
以上の検査を総合判断すると、父親と思われる者(サンプルA=北川秀夫)と子どもと思われる者(サンプルB=根本恒久) が生物学的父子関係である確率は0.00である
――――――――――――――――
予想通りとはいえ、恒久は最後の望みの糸がぷっつり切れたような気になり、茫然とした。
――やはり北川先生が言っていた通りだ。自分の精子を使うわけがないのだ。馬鹿なことに金と時間を使ってしまった……。
でも、やるべきことは全部やった。俺は、この二年間なぜ執拗に父親を探し求めたのだろう。分からない。父親が誰かということが人間にとってそんなに大事なことなのだろうか……。父親とは何なのだ……。DNAとは一体何なのだ……。
恒久は紙切れ一枚に振り回されてきた自分が哀れに思えて来た。しかし、すべきことは全部した今、これで良いのだ、これ以上どうしようもないと自分を納得させるしかなかった。

       十三
 
それから三年後、一九九六年二月、明美は十三歳の誕生日を迎えた。
夕食後、家族三人でバースデーケーキを食べているとき明美が恒久に聞いた。
「お父さん、変なこと訊くようだけどね、わたしが確か小学校三年生のころ、家族で養老のおじさんの家に行ったことがあったわね」
恒久はティーカップの隅を唇につけたまま明子の顔を見た。明子の目と合った。とうとう明美は何か感づいたのかと思った。
「あの時、おじさんが言ってたこと、ずっと気になってたんだけど、あれってホントのことなの? わたしが孫だって言うこと。酔っぱらって言ったとは思えないんだけど」
「………」
 恒久は答に窮した。いつかは話さなければならない時が来るとは思ってはいたのだが、こう面と向かって聞かれると狼狽した。
「黙ってるとこみると、ホントなのね」
 明子が、
「あなた、話したら?」と言った。
恒久は、自分が人口授精で生まれたことや、三回行った父子鑑定の経緯を話した。
明美は話を聞き終えると、
「そうだったの……。道理でおじさん、あんなこと言ったのね。分かったわ。でも、お父さんって、意外としつこいのね、北川先生の鑑定までするんだから」
「しつこいのがお父さんの取り柄だよ」
「そうね、研究論文はしつこくなければ書けないもんね……。でも、良かったわ」
「良かったって?」
「わたしが、根なし草でなく、お父さんの子だっていうことよ」
「でも、お前は、おじいさんと血がつながってないんだよ」
「そんなこと、別にかまわないわ。余計なおせっかいよ。どうしてお父さんは、そんなことにこだわるの? 血がつながっていようが、いまいが、わたしのおじいさんは、定則おじいさんなんだから……。お父さん、もう誰の子か分からないんだから、諦めた方がいいわよ、ねぇ、母さん」
 と、明子の同意を求めた。明子は、
「お父さんて、そう簡単に諦める人じゃないのよ」
「えっ、じゃあ、まだ考えてるの、お父さん」
 恒久は、明美に小馬鹿にされたようで、ムッとした。
「そりゃ考えてるさ、父親が誰かということは、おじいさんが誰かということより深刻だからな」
 とは言ったものの、父親を探すすべは全くなかった。

さらに六年後、二〇〇二年六月、重雄が肝硬変で他界した。八十一歳だった。
逝く一か月前、恒久は養老病院に見舞いに行っていた。
病室のドアを開けると個室部屋になっており保雄がベッドの脇に座っていた。恒久は軽く頭を下げて保雄に挨拶をした。保雄は立ちあがりかけたが恒久が手で制した。
重雄は眠っていた。顔が黄色っぽく、むくんでいる。点滴の管がスタンドから二本垂れ下がっていた。
「お父さん、どんな具合だ?」
「うん、いよいよや……。最近な、親父の言うことが、時々つじつまが合わへんのや……」
「つじつまが合わへんて、どういうこと?」
「実は、親父は、恒久、恒久とわたしに言うことがあるんや。わたしのことを兄さんと間違えとるんやよ」
「………」
「肝硬変からくる認知症らしいんや」
 保雄の話声を聞いてか、重雄が目を開けた。白目が黄色い。
 恒久は重雄の顔を覗き込むようにして、「おとうさん、恒久だよ。分かる?」
「おう、おう、恒久か……。お前、どこへ行っとったんや」
と、かすれ声で言って辺りを見回し、
「おい、君江。君江はおるか。恒久にお茶を出してやれ」
君江は昨年亡くなっていた。
恒久はあわてて、
「あっ、構わんで下さい。すぐ帰りますので」
「帰るって、ここがお前の家やないか」
「はぁ……、あの、用事が終わったら、すぐ帰って来ますので……」
「そうか……すぐに戻ってこいよ。わしゃ、お前と差しで酒を飲みたいんやから……」
と言いながら、重雄はうつろな目で天井をぼんやり眺め、再び恒久の顔を見て寝ぼけるような声で、
「おお、お前、恒久、恒久やないか……実はな、わしはな……お前の親父なんだよ……」
と言いながら重雄は目を閉じて、いびきをかきだした。
 恒久は叔父の寝顔を見た。
 叔父とは血がつながっていないが、親父の後を追うように叔父もまた逝ってしまうのかと思うと、情けないと同時に懐かしさがこみあげて来た。
子供の頃から今の「君江、お茶を出してやれ」という言葉まで、叔父は俺のことを本当に息子と思っていてくれたのだ。せめてもの叔父孝行に嘘の息子を演じてきて正解だったと思った。
 
重雄の葬儀が終わって、親族が帰った後、恒久は重雄との父子鑑定結果を初めて保雄に明かした。
保雄は報告書を読んで不意打ちを食らったように驚いたが気を取り直して、
「そうやったんか。親子やなかったんか……。でも、よく黙っとってくれた。お陰さんで、親父、ショックを受けずにあの世に行けたわ」
「叔父さんには小さいときから可愛がってもらってたからな。せめてものお返しだよ」
 保雄は戸惑ったように、
「そうすると……。兄さんとわたしは……血がつながっとらへんのやなぁ」
 恒久は、保雄の寂しそうな顔を見て答えた。
「そういうことになるなぁ。でも、血がつながってなくても、お前は俺の弟だと思ってるよ」
「………」
 保雄はどう返事をしていいか分からなかった。
保雄は四十六歳になっていた。十三歳の頃から今日まで三十三年間もの間、恒久を実の兄と思って生きて来た。その兄が突然、赤の他人となってしまったのだ。
 恒久は保雄がショックを受けることは十分承知していた。報告書を見せるのは酷かもしれないと思っていた。しかし、これ以上兄弟の関係を続けるわけにはいかなかった。
――俺は保雄に「兄さん」と呼ばれるのは意にそぐわない。「兄さん」をこれからも演じ続けることはできない。保雄と年老いた叔父とは違うのだ……。

その後、歳月が流れるに従って、恒久は「父親は誰か」と言う問題に悩まされることは少なくなっていった。しかし、明子の言う通り、諦めきれずに心の奥底にはこの疑問が依然として澱のように残っていた。
恒久は、出来る限りのことはし尽くした今、こうなった自分の運命を受け入れるしか仕方がなかった。

さらに七年が経過した。

十四

二〇〇九年、六月五日。
恒久は五十六歳になっていた。出勤前に朝刊を読んでいて「DNA再鑑定。菅家さん無罪に」という見出しが目に飛び込んできた。
足利事件で、菅家利和さんのDNAと被害者の下着についていた精液のDNAの型が一致したという理由で、菅家さんは無期懲役の判決を受けていた。しかし、DNA再鑑定の結果、DNAの型が一致しなかった、と言う記事であった。
さらに詳しく読んでいくと、次のようなことが書いてあった。
一九九〇年当時はDNA鑑定機材が黎明期で、出現確率は千人に1.2人もあった。すなわち、被害者の衣服についていた精子と同じDNAの型を持っている人は千人中1.2人で、当時の足利市の人口から計算すると同型保持者は九百人にもなる。
その後、鑑定機材の著しい進歩により最新のDNA鑑定では出現確率は四兆七千億人に一人になった。
そこまで読んで恒久はハッと気がついた。菅家さんの場合、一九九〇年に同型と鑑定されたが、十九年後の二〇〇九年には同型ではないと鑑定された。では、その逆もありうるかも知れない。一九九二年の鑑定結果も当てにならないかも知れないと恒久は思った。 
明子に再鑑定のことを話すと、明子も「菅谷さん無罪」の記事を読んでいて、恒久が「もう一度鑑定をしたい」と言ってくると予想していた。
最初に鑑定を恒久に勧めたのは明子だったが、明子は今では恒久がDNA鑑定を信奉しDNA鑑定で事を決めようとする恒久の態度を疑問に思っていた。しかし一旦言い出したら後に引かない恒久のしぶとさも分かっていた。
明子の同意を得ると、恒久は定則の爪と自分の唾液を別の鑑定会社「ジェネティカ・ジャパン」に送った。インターネットで調べたところ最新式機材を使用し結果も二週間で通知されるとあったからだ。
二週間が待ち遠しかった。
――逆転はあるのか、ないのか……。
恒久は鑑定結果が待ちきれず、インターネットでDNA鑑定に関するサイトを片っ端から検索した。鑑定会社の懇切丁寧な宣伝サイトや遺伝子関係の学術論文や研究報告サイトがあり、内容を理解するのには遺伝子学に関する高度な知識が必要だと痛感した。遺伝子科学研究所の論文を、分からない部分は飛ばしながら読んでいくと、一旦父子関係がないと判定された場合、逆転はないと書いてあった。
――本当にないのだろうか……。
 恒久は遺伝子学の専門家に尋ねるのが一番と思い、名古屋大学の同僚のつてで、遺伝子工学を研究している宮下教授を紹介してもらった。恒久は教授に電話をかけ、遺伝子に関する質問があり是非お会いたいと伝えた。教授は快諾してくれた。
六月十七日、恒久は宮下教授の研究室を訪ね、逆転のことを尋ねた。宮下は、
「それは、Y染色体短鎖DNAハプロタイプ型が関連すると思われますが。少し待ってください。今調べますので」
 と言って立ち上がり、研究室の本棚にぎっしり並んでいる遺伝子関係の専門書をなぞっていって、『DNA鑑定 その能力と限界』という本を引き抜いた。索引から目当てのページを探し、そのページを三分ほど読み、本を裏返して机の上に置き、さらに本棚から『続・犯罪と科学捜査―DNA鑑定の歩みー』を取り出して暫らく読み、おもむろに恒久の顔を見て、
「現在は昔と違って、新短鎖DNA型法で鑑定していますから、父子関係確率が0.002あったのなら、逆転はあり得ますね」
 と答えた。
――逆転はありうるのか……。
 一週間後、六月二十三日、鑑定報告書が送られてきた。恒久は封を切るのももどかしく、指で乱雑に封筒を破り、報告書を引っぱりだして最後のページを読んだ。
―――――――――――――
「根本定則様と根本恒久様が生物学的父子関係である確率は、99.999パーセント以上です」
―――――――――――――
恒久は「99.999パーセント以上です」という箇所を、二度、三度と読みなおした。全身から緊張のタガが外れ、報告書を持っている手から力が抜けた。思わず、
「お父さん……」
と、小さな声で言った。
十七年前、親父の臨終のときの光景がよみがえってきた。あの時も俺は小さな声で「お父さん」と言った。それに応えて親父は目配せしながら何か言ったが酸素マスクではっきり聞こえなかった。しかし、考えて見れば当然ながら「重雄の言うこと信ずるな」と言ったのだ。
恒久は叔父の言葉に迷ってしまった自分が腹立たしかった。始めから親父が父親だったのだ。遺伝子で親子関係を決めようとしていた自分の浅はかさが分かった。真の親子関係は遺伝子では決まらないのだ。この十七年間、DNA鑑定という得体の知れない物に振り回されていた自分が情けなくなった。 
ふと、菅家さんの事を思った。菅家さんの場合は十九年間だ。旧式なDNA鑑定技術により無期懲役と判決されたのだ。言わば、彼はDNA鑑定の被害者だ。俺の場合は菅家さんの場合と内容的には比べられないかもしれないが、俺も、言ってみれば、DNA鑑定の被害者だ。保雄も間接的ではあるが被害者だ。他にも四人目、五人目の被害者がいるかもしれない。
保雄の笑顔が見えてきた。
明美の声も聞こえてきた。
「血がつながっていようといまいと、わたしのおじいさんは定則おじいさんよ」

   

                 完

(四百字詰め原稿用紙換算九十五枚枚)

 地下鉄で溺れて

 二〇一一年、九月十三日。台風十三号が九州方面に接近し停滞前線が刺激され、東海地方に大雨注意報が出ていた。
水島進一は折り畳み式傘を鞄に入れて家を出た。空はどんより曇っていたが、朝から暑かった。十分後、新瑞小橋を渡るとき、いつものように橋の中ほどで立ち止まり、欄干から橋の下を流れている山崎川を覗いた。鯉や亀がのんびり泳いでいる。水島は一息つき、急いで地下鉄新瑞橋駅に向かった。三十八年間勤めた教員生活も今年度で最後だった。
 その日、水島は体調を崩していた。夏風邪が抜けきらず、身体がだるかった。それでも午前三クラス、午後一クラスの授業をどうにか終えることができた。授業を終えると、疲れがどっと出て、五時前に早々と学校を出た。
 地下鉄星ケ丘駅から本山駅までは座ることができたが、本山駅で名城線に乗り換えたところ、座席が全部ふさがっており、出入口付近に数名の乗客が立っていた。水島は奥に入り、革鞄を床の上に置いて両足で挟んで立った。鞄には夏休み明けの実力考査の答案が二百枚入っている。鞄を荷棚に置き忘れたら大変なことになる。
電車は名古屋大学駅に着いた。学生が七八人乗ってきた。電車のドアが閉まり、発車した。「次は、八事日赤、八事日赤」と、アナウンスが流れた。水島は立っていることが精一杯で、誰か席を替わってくれないかと思いながら、辺りを見回した。目の前には三十歳ぐらいの男が本を読んでいる。左隣りは二人の女子高生で、話に夢中だ。右隣には五歳ぐらいの女の子が退屈そうに座っている。女の子の隣りには母親らしい女性が携帯電話をいじっている。
 水島は急に目まいがして、その場にしゃがみこんだ。
 しゃがんで、床を見ると床が濡れている。周りを見た。床一面が濡れている。濡れていると言うより水浸しになっていると言った方が良かった。水島は座っている人の顔を見上げた。誰も水に気がついていない。幻覚かもしれないと思った。その内に水かさが増し、一センチほどになった。水は電車が揺れるたびに左に右に床を流れた。どこから水が入ってくるのかと思ってドアを見た。ドアは閉まっている。連結部を見て驚いた。連結部から泥水が流れ込んでいる。水島はあわてて鞄を持って立ちあがり、思い切って言った。
「みなさん、床が水浸しです」
 声が小さかったのか、誰も気がつかない。水かさが増して二三センチになっている。もう一度言った。
「みなさん、水です。床が水浸しですよ」
 水島の声は電車が走る騒音にかき消されて誰にも聞こえないようだ。水島は焦った。目の前の男の本を取り上げて言った。
「床を見て下さい」
 男は「何すんですか!」とにらんで本を取り返した。
 女の子が言った。
「お母さん、電車に水が入ってきたよ」
 母親は「馬鹿なこと言わないで」と言うだけで携帯から目を離さない。
 女の子が、水が入ってきたよと言ってるんだから幻覚ではないと水島は思った。水かさは五センチほどになり、靴は水びたしで、足踏みをするとバシャバシャ音を立てた。冷たい。確かに水だ。夢ではない。水かさは増し、電車が揺れるに連れて前に後ろに波打つようになった。水島は教室で生徒を叱りつけるぐらいの大声で怒鳴った。
「みんな、何してんだ! 水が見えないんか!」
 やっと乗客は水に気がついた。何人かの人が驚いて座席から立ちあがった。
「水だ! 泥水だ!」
「どうしたんだ!」
「雨だ。大雨注意報が出ていた」
「地上は大雨だ」
「集中豪雨だ!」
「川が決壊したのかも」
「そんな馬鹿な」
 後ろの座席に座っていた男子高校生三人が床に置いてあったスポーツバッグを荷棚に上げた。バッグから水が滴った。携帯をいじっていた母親は女の子を座席の上に立たせた。水は十センチぐらいの深さになった。ドアの隙間からも水が浸み込んできた。電車は減速して八事日赤駅に着いた。ドアが開いた。途端にホームの泥水が車内に入り込んできた。ドアの前に立っていた男が、水に足をすくわれ転倒しそうになった。十人ぐらいの人が、流れ込んでくる水に逆らって、じゃぶじゃぶとホームに降りた。誰も乗ってこなかった。車内は三十人ほどになった。ドアが閉まり、電車は走り出した。水は座席の高さまで来た。子供達はみんな座席の上に立ち、つり革につかまった。つり革につかまることができない子は、親が両手で身体を支えた。車内は泥水のプールだ。電車の細かい振動につれて、水面が震えている。泥水が水島の膝の上まであがって来た。持っている鞄が重くなり、荷棚の上に置いた。鞄を絶対に水につけてはいけないと思った。数人の大人も座席の上に立った。連結部から水がゴボゴボと泥水を噴き上げ、天井の換気孔から水が滴り落ち、乗客の身体が水滴でぐしょ濡れになっている。水島は答案が心配になり、荷棚から鞄を降ろして、鞄のチャックを一杯に閉めなおし、また荷棚の上に置いた。身体が冷えて来た。乗客の騒ぐ声や子供の悲鳴が、ばく進する電車の轟音に混じって響いている。悪臭が車内に立ちこめている。車内アナウンスが流れた。
「お客様に申し上げます。ただいま交通局から入りました連絡によりますと、集中豪雨のため矢田川が決壊し、名古屋市北東部一帯が、床上浸水などの被害にあっているそうです。水は名古屋ドーム矢田駅や砂田橋駅から地下鉄に流れ込み、猛烈な勢いで線路伝いに八事方面に向かっているそうです。もし追いつかれると電車は洪水に飲み込まれてしまいます。従って、この電車はドアを閉じたまま新瑞橋駅まで全速力で突進します。その先は運行しません。お客様は新瑞橋駅で全員降りて下さい。新瑞橋は水の被害が今のところないそうです。お客様にはご迷惑をおかけしますが、ご協力をお願い致します」
 放送が流れている内にも水かさは増し、床から一メートルほどの深さになった。あと、五十センチも増えれば、首まで水が来る。溺れるかも…。二人の男性が泣き叫ぶ幼児を荷棚の上にのせた。母親が幼児を両手で支えながら立った。電車が揺れるたびに大きな波が起き、カーブを曲がるときは、水が一方に片寄り、水面が荷棚まであと五十センチ程になった。紙袋や帽子やペットボトルが泥水に浮いている。車内の電気が消えたりついたりしだした。線路沿いの照明灯がパッ、パッと猛烈な勢いで流れ去りながら、車内を照らしている。水島は電気が消えるかも知れないと思った。窓の外が急に明るくなり、どこかのプラットホームを全速力で通過している。車内の電光掲示板に「総合リハビリセンター」と表示された。水島は窓から流れ去るホームを見た。ホームが二十センチほど水につかっている。八事日赤のホームの水深より十センチ減っている。電車はフルスピードで車内の水を外に流しながら走っている。すぐに車内の水は床から八十センチぐらいになった。突然、電気が消えた。線路沿いの照明灯も消えた。真っ暗になった。
「キャー!」
「怖いよー! お母さん!」
「高雄! 高雄! どこにいるの!」
「佳代、しっかりお母さんの手を握ってるんだよ」
「お前、いるか!」
「あなた!」
 電車の轟音は悲鳴をかき消しながら突進している。真っ暗闇を突進している。また急に明るくなった。瑞穂運動場東駅だ。車内がホームの明かりで照らされた。水島はホームを見た。水深は十センチぐらいだ。すぐ暗くなった。「あと二分だ。あと二分だけ真っ暗闇を我慢すれば新瑞橋駅に着く。もう少しだ」と思った。しかし、電車はなかなか新瑞橋につかない。このまま永遠に暗闇を走り続けるように思えた。水島は荷棚の上に置いた鞄を手探りで捜した。鞄に手が触れ、しっかりつかんだ。先ほどまで聞こえていた悲鳴が沈黙に変わった。「もうすぐ新瑞橋だからね」と母親が言っている。水は膝の高さまで減ってきた。電車のスピードが落ちてくると、暗闇で車内の泥水の流れを感じた。水が一斉に進行方向に流れだした。遠くから新瑞橋のプラットホームの明かりが車内を照らしてきた。次第に明るくなってきた。ほっとした。電車が減速し、プラットホームに滑り込んだ。まぶしい。電車がブレーキをかけた。泥水がペットボトルを浮かせたまま一斉に連結部の方に波打って流れた。電車が止まった。今度は泥水が連結部から逆流してきた。水島は鞄を抱えた。ドアが開いた。車内の水がホームにあふれ出た。水島は人と水に押されてホームに出た。助かった!プラットホームの水は五センチぐらいしかない。早く地上に出ないと矢田川の洪水が新瑞橋まで来てしまう。水島は右手の階段の方に急いだ。たった五センチの深さの水でも足をとられる。鞄をしっかり抱えてじゃぶじゃぶ歩いた。足が思うように動かない。階段から二メートルぐらいのところまで来た。水がちょろちょろ階段を伝って流れ落ちてきている。階段の右側に並列しているエスカレーターは止まっていた。アナウンスが流れた。
「緊急連絡致します。至急地上に避難してください。十五分前、天白川が決壊し、川の水が野並駅や鶴里駅から地下鉄に流れ込んだそうです。―今また連絡が入りました。山崎川も決壊したそうです。あっ、駅に水が流れ込んできました。皆さん! 至急地上に避難してください! 繰り返します、ああっ! 水が、水が…」
アナウンスが切れた。
 水島は焦った。急いで階段までたどり着き、階段を登り始めた。階段を五六段上がったとき、ザザザーと言う激しい水音が頭上から聞こえて来た。上を見た。階段一杯に濁流が狂ったように水飛沫をあげ、滝の如く流れて落ちて来る。瞬く間に水島の足もとに達した。水島は左手で鞄を持ち、右手で手すりにつかまろうとしたが、濁流に足を取られ転倒し、そのまま階段を転げ落ち、ホームに押し流された。ガボガボと泥水を飲んでしまった。激しく咳こんだ。咽が痛い。起き上がろうとしても、階段から猛烈な勢いで流れてくる泥水に足を取られて起き上がれない。目の前の鞄がどんどん奥へ流されていく。水島は濁流に押し流されながら、四つん這いになり、やっと立ち上がった。鞄がホームに設置してあるベンチの端にぶつかり、そこで沈みかけている。水かさはホームから二十センチぐらいの高さになった。水島は泥水に押し流されながら、やっと鞄に追いついた。鞄に手を伸ばした。その瞬間、電気が消えた。真っ暗になった。ホームのあちこちから悲鳴が聞こえ、階段から流れ落ちる滝の音と反響しあった。真っ暗で何も見えない。鞄を見失った。水島は茫然と暗闇の中に立った。泥水がどんどん足にぶつかって来る。仕方がない。答案よりも自分の命の方が大事だと思った。ホームにある三つの階段から泥水が流れ込み、柱に当たった水が渦を巻いている。階段を流れ落ちる濁流の勢いは衰えていない。水島が登ろうとした階段とは反対方向から急に力強い流れが水島を襲った。水深が膝までぐらいだったのが、急に水かさを増し、ホームから一メートルぐらいの深さになった。矢田川の洪水が新瑞橋で、天白川と山崎川の洪水と合流し、どんどん水かさが増していった。一メートル十センチ、二十センチ…。聞こえるのは水が流れる音と、波の音、かすかな人の声。真っ暗闇だ。水島は「間違った方向に歩くとプラットホームから線路に落ちてしまう。落ちると水深は二メートル以上なる」と思った。ゆっくり足でホームをまさぐりながら暗闇を進んだ。どちらに進んでいるのか分からないが、兎に角、一定方向に向かって歩けば、階段にぶつかるはずだと思った。身体が冷えてきた。手足がしびれてきた。暗闇で何かにぶつかった。手で触った。丸い柱だ。そうか、柱があると言うことは、このどちらかが線路だと思った。人の声がだんだん消えていき、聞こえるのは水の音だけになった。「あっ!」水島はホームから足を滑らせ、線路に落ちた。必死で水を蹴った。顔が水面から出た。蹴りながら足先でホームを探した。蹴っても、蹴っても水を蹴るだけで、ホームに足が触れない。このまま蹴り続ける力はないと思った。水島は身体の向きを変えて蹴った。三分ほど必死で水を蹴っているとホームに足がついた。立ちあがった。水は胸のあたりまで来ている。また泥水を飲んでしまった。水島は「そうだ、ホームの端には盲人者用の黄色い誘導プレートがある。伝っていけば、階段までたどり着くはずだ」と思った。真っ暗な中を進んで行くと、また円柱にぶつかった。片手で円柱に触り、その周りを回りながら足を思い切り伸ばしプレートを探した。靴がプレートらしき物に触れた。よし、これを伝っていけば階段に出る。そろそろと暗闇の中を誘導板に沿って歩いた。靴の底では誘導板のでこぼこが足にじかに感じられない。水島は靴を脱いで裸足になった。誘導板を足の裏でつかみながら進んだ。水かさが増えてきていた。猛烈な勢いで三本の川の濁流が流れ込んでいる。こんな暗闇の泥水の中で死ねないと思った。慎重に足でプレートをまさぐりながら進んだ。階段の濁流の音が聞こえなくなった。水かさも胸のところで止まり、それ以上増えなくなった。「地下鉄の入口で洪水が流れ込むのを防いだのだろう。水かさが増えるのが止まれば、あとは階段を探せば何とか助かる」と思った。しかし真っ暗で、階段は見えなかった。天井から落ちる水滴の音が聞こえる。悪臭がする。人の声は全く聞こえない。みんなどこに行ったのだろう。もう歩けない、と思ったとき、プレートが直進方向と左折の二つに分かれているのに気がついた。水島は左に曲がれば階段があると思い、左折して進んだ。暗闇の中で足の指が硬いものにぶつかった。階段だ。辺りがうすぼんやりと見えるようになった。階段の上部からかすかな光が差し込んでいる。水は階段を流れ落ちていなかった。水島は手すりにつかまりながら階段を登った。一段登るごとに明るくなっていった。六段登ったところで身体がやっと水から出た。周りは明るかった。下を見た。泥水がすぐ足もとまで来ている。よく見ると何か丸い黒いものが浮いていた。小さな亀だ。泥水の中では死んでしまうと思って、亀を拾い上げ、ズボンのポケットに入れた。残りの階段をずぶ濡れでゆっくり上った。上の方の階段は乾いていて、先ほどまで濁流が流れ込んでいたとは思えなかった。階段を登り切り、ひと息ついて、改札口にたどり着いた。改札口を出ていく乗客が何人かいた。彼等は自分と同じように真っ暗闇の中を生死の境目で戦い抜いた戦友だと思った。改札口の上にかかっている時計を見た。六時二十分だ。星が丘駅で地下鉄に乗ったのは五時過ぎだったから、一時間以上地下鉄の中で洪水に翻弄されていたのかと思った。自動改札機のところに来た。まさかこんな緊急時でも切符を機械に通すのかと思いながら、尻ポケットを触った。ポケットは濡れていたが、財布が無事に入っていた。財布から敬老パスを抜き取って投入口に入れた。ポーンと鳴って改札機の通路が遮断板でふさがれた。えっ、水に濡れたからパスがおかしくなったのかと思って立っていると、駅員が来た。駅員はパスを改札機の取出口から抜き取って、
「お客さん、これ、テレフォンカードですよ」
 と言った。水島はうろたえた。
「あっ、すいません。敬老パスと間違えました。何しろ、今の地下鉄の洪水で気が
動転していまして」
「洪水って、何のことですか」
「何言ってんですか。天白川が決壊して、地下鉄に水が流れ込んだでしょう」
「天白川が決壊ですって?」
「そう、矢田川も決壊したでしょう。あなた知らないんですか。わたしは地下鉄で溺れそうになったんですよ」
「冗談はよしてください。天白川も矢田川も決壊してませんよ」
「冗談じゃないよ、わたしゃ死にかけたんだよ」
 と言いながら、水島は改札口から人が次から次へと入って来ているのに気がついた。おかしい。地下鉄が洪水なら電車は運休しているはずだ。駅員は水島を小馬鹿にしたようにして言った。
「そうですか。それは大変でしたね。今度は間違えずに敬老パスを入れてくださいよ」
と言って去って行った。いやに「敬老」と言う言葉を強く言ったように聞こえた。
 水島は改札口を出て、六十段ぐらいの長い階段を息を切らしながら登り、バスターミナルに出た。空は曇っていた。景色はいつもと同じで、とても洪水が襲ったような様子ではなかった。狐につままれた様に思いながら新瑞小橋まで歩いた。橋の真ん中で立ち止まり、欄干から山崎川を覗いた。川は濁っていない。いつものように穏やかに流れ、鯉や亀がのんびり泳いでいる。橋の南側に立っている三本の街路灯が周りを明るく照らしている。
水島は「変だ。夢を見たのか。しかし、泥水を飲んだし、それから、鞄をなくしてしまったし。一体どうしたのだろう」と思った。
 ズボンのポケットで何かがうごめいた。手をポケットに突っ込んだ。何かに触った。亀だ。あのとき拾った亀だ、と思ってズボンから亀を引きだした。泥が甲羅についている。
「こうして俺は亀を持ってるんだから、洪水があったと言う何よりの証拠だ」
と思った。水島は首をひっこめている亀を見た。亀が頭を半分出してきた。
「ああ、そうだ。この亀を助けてやらねば」
と思い、欄干から亀を川に放り投げた。亀は小さな水飛沫をあげて川に沈み、それからすぐに足をばたつかせて浮き上がってきた。気持ち良さそうに泳ぎだした。良かった。しかし、地下鉄が洪水になったのか、ならなかったのか、水島は分からなくなった。欄干からもう一度鯉やら亀を見た。川の流れをじっと見ていると橋が後ろへ後ろへ下がって行くように感じた。疲れがどっと出て目まいがしてきた。

 地下鉄の電車の走る音が聞こえてきた。
 車内アナウンスが聞こえる。
「まもなく、八事日赤、八事日赤。お出口は左側です」

                        完