チャップリンの山高帽
松岡博
登場人物
アルバート・オースチン49 自動車工場社員
エディ・オースチン 40 アルバートの妻
ジャック・ボナムズ 57 古物商社長
ラルフ・シャイロック 36 古道具屋主人
デボン・ハワード 50 アルバートの同僚
○古道具屋・店内
ST ロサンゼルス
アルバート、陳列品を見ていて、山高帽の前で止まる。
アルバート「ご主人、これって、ひょっとして、チャップリンの帽子じゃない?」
主人「その通りです。お目が高いですね」
アルバート「どうして、こんなところに彼の帽子があるんですか。まさかチャップリンが売りに来たんじゃないでしょう」
主人「父の話ですと、なんでもチャールズ・チャップリン・スタジオを閉鎖するとき、チャップリンが使っていた小道具を処分したそうです」
主人「処分というと、なにかね、捨てるとか?」
主人「いえ、閉鎖の前の日に、スタジオ従業員の中で、欲しい人が籤を引いて決めたそうですよ」
アルバート「へーえ、で、その従業員が売りに来たのかい」
主人「いえ、従業員の方か、その知り合いの方か分かりませんが」
アルバート「ホントみたいな、嘘みたいな話だなぁ」
主人「親父の話がホントなら、ホントですよ」
アルバート「ちょっと、見せてもらってもいいかい。私はチャップリンの大フアンでね」
ラルフは陳列ケースの扉を開け、帽子をアルバートに渡す。
アルバート「うむ、『街の灯』の時に使った帽子だろうか。なんかニセモン臭いね」
主人「帽子の内側にチャールズ・チャップリン・スタジオのラベルが貼ってあります」
主人はアルバートから帽子を受け取り、ラベルを見せる。ズームアップ
アルバート「で、これ、いくら?」
主人「一千ドルです」(約十一万円)
アルバート「ええっ、そんなに?」
主人「何しろ、チャップリンの帽子ですから」
アルバート「うーん、咽から手が出るほど欲しいが……。明日また来るから、売らないでおくれ、ちょっと考えるよ」
○アルバートの家・夜
テーブルを挟んでアルバートとエディ
アルバート「偽物かも知れないが、見たところ本物らしいんだ。ラベルにはCCSと書いてあって、小道具にはこのラベルが貼ってあるんだ」
エディ「でも、そのラベルが偽かも」
アルバート「そうかもね」
エディ「それに、一千ドルでしょ。そんな大金、家にはないわ」
アルバート「あ、そうそう、言い忘れてたけど、俺、来月から部長に昇格するんだよ。今日社長に呼ばれてね。そら、これが辞令」
エディ「どうして、それを先に言わないの」
アルバート「すまん、ついチャップリンのことになると夢中になっちゃうから」
エディ「ホント、あなたったら、チャップリン狂ね。家中チャップリン・グッズだらけよ。でも、いいわ、部長昇進の前祝いに買いなさいよ」
○古道具屋
アルバートが帽子を買っている。
○アルバートの家・居間
アルバート、包みを開けて帽子をかぶり、鏡を見て、チャップリンの歩き方を真似て歩く。エディがクスクス笑う
アルバート「どうだい、よく似合うだろう」
エディ「ええ、私もかぶりたいわ」
エディ、かぶって鏡の前で歩いてみせる。二人で大笑い。
○MGM自動車株式会社・社内・昼休み
アルバートが同僚と話している
アルバート「一千ドルしたよ」
デボン「おまえ阿呆か、そんな大金払ったのか。それ、偽物だよ」
アルバート「いや、偽物でもいいさ。あの帽子が家にあると、なんか家が明るくなるんだ。女房も気に入っててね」
デボン「君がそれでいいというなら、ま、俺は黙ってるがね」
○アルバートの家・食卓
服を着たマネキンの顔にチャップリンの顔写真が貼り付けてあり、山高帽をかぶって食卓に向かって座っている。
エディ「今日から、チャップリンも私たちと一緒よ」
アルバート「いいアイデアだね。家族が増えて……。でも、内緒話はできないな。おっと、チャップリンさん、失礼、失礼」
エディ「彼も、家族だから何でも話さなくっちゃ。ねえ、チャーリー」
○MGM自動車株式会社
社員一同、社長の話を聞いている。アルバートの顔もあり。
社長「ということで、創業八十七年の我が社も倒産に追い込まれてしまいました。私の経営がまずかったために、このような事態になり、誠に……」
○アルバートの家
テーブルを挟んでアルバートとエディ。
チャップリンも同席
アルバート「仕方がない、帽子を古道具屋に売るしかないか」
エディ「安く叩かれるわよ。それに、せっかく買ったんだから、売らなくても。失業保険もあるし、切り詰めればなんとかなるわ」
アルバート「そうか、すまないね」
エディ「チャーリー、良かったわね。また笑わせてね」
電話が鳴る。エディが取る。
エディ「あなた、ボナムズって方から」
アルバート、受話器を受け取る
アルバート「はい、アルバート・オースチンですが」
ボナムズ「突然の電話で済みません。私、ボナムズ古物商株式会社のボナムズと申しますが、ご主人、チャップリンの帽子をお持ちだそうで」
アルバート「ええ、どうして知ってるんですか」
ボナムズ「デボンさんから、聞きましてね。鑑定させていただけませんか。もし本物なら高額で買わせていただきますが」
アルバート「えっ? ちょっと待って下さい」
受話器を手で押さえ、エディに、
アルバート「あの帽子、古物商がね、本物なら高く買うって」
エディ「そう、手放したくないけど、背に腹はかえられないわね」
アルバート「仕方ないね……。ボナムズさん、それじゃ、明日家に来て下さい」
○アルバートの家
ボナムズが鑑定している
ボナムズ「本物です。売って頂けませんか。一万ドルでいかがでしょう」
アルバート「一万?」
ボナムズ「はい、これ以上は無理ですが」
アルバート「一万で結構です。でも、明日まで待って下さい。チャーリーともう一日一緒に過ごしたいので。明日会社に伺います」
ボナムズ「分かりました」
○アルバートの家・玄関
ボナムズ「じゃあ、明日十時に」
ボナムズ、去る。
アルバート「驚いた、一万ドルだって」
エディ「ええ、でも、チャーリーがいなくなると寂しくなるけど……。仕方がないわね。生活かかってるから。失業保険も長くは続かないし」
アルバート「そうだね」
○アルバートの家・朝
食卓を囲んでエディ、アルバート、チャップリン
アルバート「じゃあ、チャーリー、今日でお別れだな」
エディ「ごめんなさいね、しばらくだったけど、ご一緒できてとても楽しかったわ。新しいご主人がいい人だといいわね」
エディ、マネキンにハグし、帽子をかぶって、チャップリンの歩き方を真似る。アルバート、黙って見ている。
エディ、うっすら涙。
○ボナムズ古物商株式会社・玄関前
アルバート、玄関前を行ったり来たり。街の時計が十時五分を示す。
○同・社長室
ボナムズが部屋の中を行ったり来たり。壁の時計、十時十三分。
○同、社長室前・廊下
アルバートが扉の前に立っている。入ろうとしない。
携帯電話が鳴る
アルバート「オースチンです。済みません。今、部屋の前にいるんです」
アルバート、扉をノックして入る。
ボナムズ「ああ、みえましたか。お売りになるのを躊躇されてますね」
アルバート「はあ、せっかくですが、売るのは止めます」
ボナムズ「そうですか。二万ドル払ってもダメですかね」
アルバート「ダメです。チャーリーが嫌だと言ってますので」
終
二〇一二年十一月。チャップリンが映画の中で使用した山高帽子とステッキが、ロサンゼルスのオークションで、およそ十四万ドル(約千四百万円)で落札された。