河津左近 13 21 河津家、嫡男
河津内記 17 同次男
河津八麿 8 同三男
久藤祐経 44 52 源頼朝の寵臣
源頼朝 46 鎌倉幕府将軍
久藤祐康 22
久藤祐経の嫡男
武士数名
検視役
介錯人
○伊豆・奥地
ST「建久四年(一一九三年)
伊東祐継の死後、所領の相続を巡り、河津祐泰と久藤祐経の兄弟が争っていた」
○河津家・屋敷
郎党が河津家を襲っている。河津祐泰を見つけ、縛りあげ、久藤祐経の前に引きずり出す。
祐経「でかした。首を直ちに刎ねよ」
部屋の隅に米櫃があり、蓋がかすかにもちあがる。
○米櫃の中
米びつの中に隠れている左近が蓋を上げた隙間から外を覗いている。祐泰が首を刎ねられる。
左近(M)「父上……」
○富士の裾野
ST 八年後
約百人の武士が鹿狩りをしている。
○久藤祐経の陣所
祐経が遊女を従え、酒を飲んでいる。
XXX
月が雲の間を縫って輝いている
フクロウの鳴き声
XXX
深夜、祐経が眠っている。
河津左近と内記が祐経の寝込みを襲う。
祐経、目を覚ます。
左近「祐経、我は河津祐泰が子、河津左近」
内記「同じく、内記」
左近「よもや忘れまいな、父の敵、尋常に勝負しろ。太刀を取れ」
祐経、傍らの太刀を取る。
祐経「うむ、小癪な、返り討ちにしてくれるわ」
激しい斬り合いの末、祐経が殺される。
騒ぎを聞きつけた家来数十人が駆けつけ、兄弟は取り押さえられ、縛られる。
○頼朝陣屋
頼朝の前に縛られた左近と内記。
家臣「恐れながら、申し上げます。只今、久藤祐経の寝所に狼藉者が押し入り、久藤殿を殺害しました。いかが致しましょう」
頼朝は兄弟の顔を見つめる。
頼朝「そちたち、如何なる訳にて我が家臣、祐経を殺したのか」
左近「陣中お騒がせ致しましたこと、お詫び致します。我ら兄弟は伊豆の所領を預かっておりました河津祐泰の子、左近と内記と申します。ご家臣の久藤祐経は、八年前、我らが父、河津祐泰を騙し討ちにした父の仇にございます。只今、長年の恨みを果たしました。いかなるご処分も覚悟の上でございます」
家臣「殿の陣中でこのような狼藉、切り捨てましょう」
頼朝「いや、仇討ちじゃ、そこまでしなくても……」
久藤祐康「殿、仇討ちとは言え、殺されたのは殿の重臣、私にとりましては父でございます。殿の重臣を殺した者をこのまま生かしておいては、殿の威厳、否、幕府全体の威厳に関わります。仇討ちとは言え、殿の陣屋を血で汚した狼藉者にございます。ここは厳しく臨まれ、是非とも打ち首にしていただきとう存じます」
頼朝「そうか。あい分かった。お前の言い分にも筋がある。ただしこの兄弟、れっきとした武士の子である。武士の面子を立て、切腹させよ」
久藤祐康「では、しきたりに則り、切腹を申し付けます」
ST 当時、切腹を申し渡された者は
一族の男子は全て切腹するというしきたりがあった。左近と内記にはまだ八歳の弟、八麿がいた。
○伊豆・善修寺・一室
正面に仏壇。仏壇を背面にして、左近、内記、八麿が座している。
三兄弟の正面中央に頼朝、その隣に久藤祐康、左右に数名の家臣、検視役、介錯人など。
家臣「いざ、切腹召されよ」
左近「では、八麿よりまず腹切られい。切り損じなきよう見届けてくれよう」
八麿「兄者、私は、いまだ切腹を見たことがありません。ですから、兄様達の作法を見て、その後に続きとうございます」
左近「おお、そうであったな」
左近は八麿の顔をとくと眺め、涙ながらに微笑んで言う。
左近「よくぞ申した。それでこそ我らが父の子なるぞ」
左近は家臣に向かって、
左近「お聞きのとおり、末の弟は、我らを手本にして切腹いたす所存でございます。出来ますれば、弟八麿を我ら兄弟の間に座らせとう存じます」
家臣は頼朝の顔を見る。
家臣「如何いたしましょう」
頼朝「おお、苦しゅうない。望むようにしてやれ」
内記と八麿が立って、位置を替わり、 左近と内記の間に八麿が座わる。
家臣「しからば、切腹なされよ」
左近は座したまま左右の検視役に交互にうやうやしくお辞儀をし、百八十度後ろに向き直って座り直し、安置された仏像に二度礼拝し、仏像を背に座り直すと、頼朝をきっと睨む。家臣が三宝を両手で持って左近の前に進み出る。三宝の上には白紙に包まれた短刀が置いてある。家臣は三宝を左近の前に置き、一礼して引き下がる。左近は三宝を両手で持ち上げ、うやうやしく頭の高さまで捧げ、自分の前に置く。
左近「拙者、只今、切腹致す。各々方にはご役目、ご苦労に存じおり候」
左近は着衣を開き、上体を露にし、おもむろに短刀を取り上げ、しばし短刀を見つめ、周りをぐるりと眺めて、八麿言う。
左近「八麿、しかと見よ」
八麿「はい」
左近は腹の左側に短刀を突き刺して言う。
左近「見よや八麿、会得せしか。あまりに深く掻くべからず。仰向けにたおれるがゆえに。仰向けに倒れるは恥ぞ。前にうつ伏せ、膝を崩すべからず」
八麿は身じろぎもせず、左近を見る。 左近は腹を掻き切ると、介錯人が首を刎ねる。次いで、内記の前にも左近と同様に三宝が置かれる。内記も仏像に礼拝し、正面に向き直って、短刀を持って八麿に言う。
内記「よいか、八麿」
八麿「はい」
内記は腹に刃を突き刺しながら言う。内記「目を刮っと開けよや。さもなくば女の
死顔に似たるそ。切尖が腸に触るとも、力たわむとも、勇を鼓して引きまわせ」
内記も介錯される。
八麿は二人の兄を 交互に見る。
ややあって、検視役が三宝を持って八麿の前に置く。
八麿は後ろを向いて仏像に礼拝し、正面に向き直ると静かに上体を露わにして、短剣を取る。短剣を持ち、倒れたままの左近と内記を見つめて、
八麿「兄者人、今立派に切腹致します。見ていてください」
XXX
介錯役の太刀が空を切る。
「えい!」という声。
烏が一声鳴いて飛んでいく。
XXX
頼朝「あっぱれな切腹であった。手厚く葬ってやれ」
○善修寺境内・墓場
三兄弟の墓が並んでいる。左から「左近」、次が小さめの墓石に「八麿」、次に「内記」と墓石に刻まれている。
終
批評
ドラマ(葛藤)がない。頼朝の心のブレ、八麿の母の悲痛な叫びなどを描くべき。
頼朝の時代に、このような形式ばった切腹があったろうか。
単なる切腹のマヌアルを海田に過ぎない。
実はこの話は、曽我兄弟の仇討ちと、新渡戸稲造の「武士道」に出てくる、切腹の話を足して出来たもの。
やはり、人間の葛藤を描かないとドラマにならない。