随筆「無口な手紙」向田邦子 脚色
向田敏雄 向田邦子の父 四十歳
向田せい 敏雄の妻 三十八歳
向田和子 敏郎の三女 七歳
向田保雄 敏雄の長男 十三歳
向田邦子 敏郎の長女 十六歳
疎開先の婦人、学童
○東京大空襲
燃える家屋
逃げ惑う人
焦土と化した東京
ST(スーパーテロップ)「東京大空襲
昭和二十年三月十日」
邦子の声「今までに一番心に残る手紙といわれると、戦争末期に末の妹が父あてに出した何通かの手紙ということになる。東京空襲が激しくなり……」
○向田家・六畳間・夜
敏雄、暗幕を垂らした電灯の下で何枚も同じ宛名を書いて机に積み
上ている。
ハガキの一枚、ズームアップ

ハガキの山ができると、和子を呼ぶ。
和子、来る。
敏雄「和子、いよいよ明日だ。明日になったら、友達と一緒に甲府という所に行くんだよ」
和子「……」
敏雄「向こうへ行ったら、(ハガキを一枚取り)このハガキに、元気な時は大きい丸を書いて出しなさい。毎日必ず出すんだよ」
和子「はい、わかりました」
せい、着替え、ハガキの束、「向田和子」と書かれたドンブリ等をリュックに入れる。
○疎開先の学校・教室
国防婦人会の婦人が約八十人の学童のドンブリにお汁粉をいれている。
和子、学童と共に嬉しそうに食べる。
○寄宿している寺・大部屋・夜
学童、枕を並べて寝ている。
和子、枕元でカバンからハガキを出して赤で、濃く大きく丸を書く。
○向田家・夜
敏雄、帰宅。
せい「おかえりなさい。和子からハガキが来ています」
敏雄「おお、来たか」
敏雄、六疊間に行き、食卓の上に置いてあるハガキを手に取って、思わず微笑む。
大きな丸が書かれたハガキ、アップ
丸が和子の笑顔と重なる
○疎開先の学校・教室など
XXX(フラッシュ)
・学童、教室の掃除
・和子、廊下の雑巾がけ
・授業風景
・和子、暗い顔で学童と一緒に夕食
XXX
○寄宿している寺・大部屋・夜
和子、枕元でハガキに小さな丸を書く
○向田家・六疊間・夜
敏雄、食卓の上のハガキを取って見つめ
る。
小さな丸が書かれたハガキ、アップ。
○疎開先のお寺・大部屋・夜
和子「(窓から月を見て)……おかあさん」
和子、ハガキに小さな丸を書く。
○向田家・庭・夜
敏雄、月を見ている。
○向田家・六疊間・夜
敏雄、食卓の上のハガキを取って見つめる。
小さな丸が書かれたハガキ、アップ。
丸が和子のさみしそうな顔と重なる。
柱に掛かっている四月の日めくりがめ
くれていき、小さな丸を書いたハガキが
次々に食卓に置かれていく。
○疎開先の寺・大部屋・夜
ST「二ヶ月後」
和子、咳き込みながらハガキにXを書く。
○向田家・六疊間・夜
敏雄、食卓の上のハガキを手に取る。
Xと書いたハガキ、アップ。
ハガキ、和子の泣き顔と重なる。
敏雄、ハガキを見つめて呆然と立つ。
日めくりがめくれていき、Xと書いたハ
ガキが次々と食卓に置かれていく。
○向田家・六疊間
敏雄、せい、邦子、保雄、食卓を囲み、
座っている。
ST「三ヶ月後」
敏雄(せいに)「今日で六日もハガキが来てないが、和子が心配だ。明日、和子を引取りに行ってくれないか」
せい「ええ、病気かもしれませんね」
○向田家・玄関前・夜
保雄、せいと和子を待っている。
せい、和子をおんぶして歩いて来る。
保雄「帰ってきたよ!」
邦子と六疊間にいた敏雄、裸足のまま玄関から飛び出し、和子を抱きかかえ大声で泣く。邦子そばで見ている。
邦子の声「父は妹を抱きかかえるようにして号
泣した。私は大人の男が声を立てて泣くのを
初めて見た」
終
四百字詰原稿用紙六枚