2012年7月22日日曜日

怒ったバイオリニスト

 新幹線が名古屋駅に到着すると、五藤征嗣はバイオリンケースを持ってプラットホームに降りた。

五藤は十八歳のときチャイコフスキー国際コンクールで優勝し、ジュリアード音楽院で修士課程を修了。ニューヨーク、ロンドン、パリを始め世界中で演奏していた。

ホームに降りると、報道陣に囲まれるのを避けるため顔を伏せて歩いた。肩までかかる髪が顔を覆い、歩く度に揺れている。五藤に気がつく者は誰もいなかった。

名古屋での演奏を翌日に控え、その日は、中学時代にバイオリンの指導をしてくれた中部芸術大学の神岡教授を尋ねるところであった。「俺も四十だから、先生は定年に近いだろうなぁ」と思った。

地下鉄に乗った。東京ならすぐ誰かが五藤に気がつくのだが、伏見駅を過ぎ、栄駅を通過しても誰も気がつかなかった。

五藤はイラついてきた。心の奥底では、誰かに気がついて欲しいと思っていた。演奏後に拍手喝采を浴びることは嬉しかったが、周りの人が「見て、見て、ほら、あの人、バイオリンの五藤さんじゃない?」とうわさされるのもまんざらではなかった。

十分後、今池駅を通過したが、誰も気がつかない。携帯電話をいじったり、本を読んだり、眠ったりしている。

「名古屋は田舎だ。ここに世界的に有名なバイオリニストがいるというのに」と五藤は思った。

星が丘駅で下車して、中部芸術大学に続くなだらかな坂道を登って行った。桜が散り始め、花びらが舞っている。前方から五、六人の学生が歩いてきた。その内の二人はバイオリンケースをかかえている。

「あの連中、俺の顔を見て驚くだろう」と心の中でニヤリとしながら、ゆっくり歩いた。すれ違うとき、バイオリンケースを持った女学生の目を見た。女学生も五藤の顔を見た。

女学生は「変なオヤジ、変態かしら」と思い、五藤は「あれでもバイオリンを専攻している学生か」と思った。

五藤は大学構内に入り、研究棟に向かった。暫らく歩くと音楽ホールが見えてきた。渡米前、五藤はここで喝采を浴びたのであった。その時の歓声や拍手が聞こえてくるようだった。

ホールの正面に「浅田みどり ヴァイオリンソロコンサート」と書かれた看板が立てかけてあった。

「浅田なら教え子だ。確かジュリアード音楽院で指導したことある」と五藤は思いだし、演奏を聞いてみようと思った。ホールに入り、プログラムを見ると、二十分後の二時開演であった。

 五藤は前の方の座席に座ろうと思い、中央通路を歩いていった。学生達が自分を見て驚きの声をあげる事は覚悟していた。しかし、誰も五藤に気がつかないようだった。大声で話したり、プログラムを丸めて手をたたいたり、友達を呼んだりている。

 五藤は前から三列目に座った。「俺様がここにいるというのに、何だ、この様は。みんな節穴か」と怒れてきた。

「こうなったら、びっくりさせてやろう」と邪念が働き、五藤は舞台中央にある階段を登り、緞帳の前に立った。全員が一斉に驚きの声をあげると思っていたが、場内は相変わらず騒然としていた。

「誰も気がつかないとは、何たる侮辱!」五藤の唇がゆがんだ。

「いや、こんなことで怒っていては、名バイオリニストの名に恥じる」と考え直し、深呼吸をして、「ここはひとつ、バイオリンを弾こう。すぐ静かになるだろう」と思った。

 五藤はおもむろに「カルメン幻想曲」を弾き始めた。

十秒…。二十秒…。静かにならない。一分後、断念した。

 五藤は舞台を降り、通路を大股で歩いてホールを出た。笑い声が背中から浴びせられるように感じた。

「なんと言うアホどもだ。学部長は何を教えとるんだ。叱りつけなければ」と思って、音楽学部に向かった。

 学部長室の前に立った。ドアが半開きになっており、中から悲痛な声が聞こえてきた。

「本当か! 五藤先生が亡くなったって? あの五藤征嗣先生が? 間違いじゃないのか」

「いえ、今、テレビで見たんです。ほんとです。写真がテレビに出てました」

「どうして、どうして亡くなられたんだ」

「はあ、あの、新幹線の座席で亡くなっていたそうです。心筋梗塞とか」 

                            おわり

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