2011年10月23日日曜日

忽然と消えた名古屋城

名古屋城の金鯱が夢を見ていた。戦災で焼け落ちた一代目の金鯱が夢に現われたのである。
「金平(きんぺい)、よーく聞け。わしは一代目の金鯱だ。今日はお前に頼みがあってこうして現れたのだ。頼みというのは他でもない、わしの無念を晴らして欲しいのじゃ。知っての通り、金鯱の役目はお城を火災から守ることだ。わしは残念ながら役目を果たせなかった。それというのも、忘れもしない昭和二十年五月十四日の朝のことだ。わしの鎮火術を知らない阿呆どもが米軍の空襲に備えて、わしも女房も毛布でぐるぐる巻きにして紐でがんじがらめにして天守閣から地面に下ろしてしてしまったんだ。焼夷弾が落ちてきて天守閣に火がついた時、わしは火を消さなくてはと思ったが、がんじがらめで鎮火術の使いようがなかったのだ。だから、お城は焼け落ちてしまったのじゃ。実に無念。それ以来、わしはお城や市民の皆さんに申し訳ないことをしたと思っておるのじゃ」
 一代目は目を閉じて沈黙した。それから大きく見開いて、金平の目を見つめた。
「そこでじゃ、金平。わしの頼みを聞いてくれ。お前は天守閣にただ鎮座しているだけではいけない。お城を火災から守るのは勿論、名古屋のため尽力して欲しいのじゃ。わかったか。しかと頼んだぞ」
 金平が「承知しました。お任せ下さい」と言うと、一代目は「では、さらばじゃ」と言って夢から消えて行った。
 翌朝、金平は女房の金(かね)美(み)に夢の話をしたところ、金美も同じ夢を見ていた。
「でも、このお城、鉄筋コンクリートだから燃えないわよ」金美が言った
「しかし展示してある障壁画、天井板絵、掛軸などを守るのは我々の務めだよ」金平が言った。
「そんなことなら、わたしだけで充分よ。あなたは名古屋のために尽して下さいな」
「分かった」と言って、金平は飛び立とうとしたが、その前に名古屋城に挨拶しておこうと思った。
「城(たち)さん、城さん」
「ああ、金平君、話は全部聞いた。身共も昨夜の夢で、先代から名古屋のために尽くしてくれと頼まれたよ。身共の事は心配せずともよい。火災警報機や自動消火器がびっしり付いているし、金美姐さんもいるから鬼に金棒さ。しっかりやって来てくれたまえ」
「それじゃぁ」と言って金平は四つの鰓をバタバタさせ尾鰭で舵を取りながら東の空に飛んで行った。
読者諸兄は鯱が空を飛ぶ訳がないとお思いでしょうが、鯱の祖先は印度の摩褐魚(まから)で、鯨と鰐と龍を足した怪物なのです。ガンガスの女神の乗り物で、無限に水が飲め、無限に水を吐き出すことができ、水、陸、空、自由自在でした。

      *       

 地球から海王星まで四十三億五千万キロ離れている。ボイジャー二号探査機が海王星に到着するまでに十二年かかった。海王星の外周に約七万個の泥と氷の塊がドーナツ状の帯となって太陽系を囲んでいる。この帯をカイパーベルト、別名「彗星の巣」と言う。
一九三九年九月九日、カイパーベルト内の小天体が他の小天体に衝突してベルトから暗黒の宇宙に飛び出した。この小天体は直径約十キロ。遥か彼方の太陽に向かって時速三千三百キロで突進し始めた。
海王星、天王星、土星の各軌道を通過し、二〇一一年九月十一日、木星の軌道に接近した。木星は地球から六億三千万キロ離れている。ここまで接近すると太陽の光に照らされて、暗黒の小天体は突如青白く光だした。表面の氷が蒸発し長い尾をたなびかせたのだ。新たな彗星の誕生である。この彗星の名前を「X彗星」と呼ぶことにしよう。X彗星はさらに速度をあげて太陽に接近していった。

      *
        
 金平が東の空に飛んでいくと東山公園の遊園地から女の子の泣き声が聞こえてきた。なぜ泣いているのかと思い、遊園地まで飛んで行って下を見た。女の子がメリーゴーラウンドの前で「乗りたい、乗りたい」と言って泣いている。
 メリーゴーラウンドの入口に「故障のため乗れません」と貼り紙がしてあった。母親が「今日はだめなの。乗れないの」と言い聞かせているのだが、女の子は「乗りたい」と言って泣き叫ぶばかり。
 金平は「ここぞ出番だ」と思って降下して女の子の前に着地した。女の子は驚いて泣き止み、身体をこわばらせて金平を見つめた。
「お嬢ちゃん、木馬の代わりに、わたしに乗りませんか」
金平は優しく言って尾鰭を女の子の前に平らに下ろし、女の子が乗れるようにしてやった。女の子は「怖いよー」と泣き出して母親の後ろにしがみついた。母親が言った。
「何よ! あんた金鯱じゃないの。こんなところで何やってるのよ。この子、泣いてるじゃない。あっちへ行ってよ。シッ、シッ!」
 金平はなぜ追い払われたのか分からず退散するしかないと思って空に舞い上がった。
今度は南の方に飛んで行った。新瑞橋交差点の上空に来た時、言い争いが聞こえてきた。
「てめー、どこ見とんや、阿呆が。信号が見えんのか。赤で突っ込んできやがって」サングラスをかけた男が言った。
「あんたこそ、どこ見とるの。青だったじゃないの。あんた、どうしてくれるのよ。ちゃんと弁償してよ」金髪女がキンキン声で言った。
 周りに人だかりが出来てきた。ベンツ同士の衝突だ。
「おう、姉ちゃん。おめえ、どこの組のもんや」
「あんたこそ、どこの馬の骨やねん」
 金平は「今だ」と思い、二人の前に着地した。
「喧嘩はつまらないから止めましょう」
「な、何だ、この怪物! びっくりするじゃねーか」男が言った。
「鯱鉾さん、あんた、なに気取ってるのよ。あんたの出る幕じゃないわよ」女が言った。
「そうだ、引っこんでろ」男は金平をにらんだ。
警官が群衆をかき分けてきて、
「金鯱さん、こんなところで何してるんですか。わたしが後は引き受けますから、お城に戻って下さい」
金平は力なく名古屋城に向かって飛びたった。飛びながら、なぜ自分は人のために役立つことができないのか理解できなかった。

      *       

 X彗星は火星の軌道を通過すると、さらにスピードを上げ、時速十二万キロ、尾の長さ千五百万キロになった。太陽熱で表面が蒸発したため、核(本体)の直径が五キロに減少していた。このまま進めば七十九日後、太陽に衝突することになる。太陽に一億五千万キロ接近したとき、地球の軌道と交わり、偶然か必然か、丁度そこへ地球が運行してきた。X彗星は地球の引力に引かれて軌道を変え、地球に接近しだした。
二〇一二年十二月十一日午前十一時、米国アリゾナ州のレモン山天文台に勤めているジョン・ケネデスキーが偶然X彗星を発見した。彼はマサチューセッツ州ケンブリッジの小惑星センターへ報告した。報告を受けた同センター長のアイザック・ワインシュタインはケネデスキーの観測データをもとにしてX彗星の軌道を計算し、結果に驚愕した。

     *

 金平は天守閣に戻ると、金美に失敗談を話した。
「……ということで。こちらの善意が全然伝わらないんだ」
「あなた、もしかして善意の押し売りとかしてないの」金実が言った。
それを聞いていた城も言った。
「差し出がましいかもしれないが、金平君は能力以上のことをしたんだよ。人間世界のいざこざを解決するのは至難の業だ。先代が名古屋のために尽くせと言われたのは、名古屋を天災や火災から守れという意味だよ。なんてったって、火事を消してもらって邪魔者扱いにする人間はいないからね」
 金平は、なるほどと思った。
 翌、十二月十一日午後三時頃、金平が中村区の中村公園近くを飛んでいたところ、三階建のビルから煙がのぼり、瞬く間にビル全体が火に包まれた。消防車が遠くからサイレンを鳴らし近づいてきた。金平は「出番だ」と思い、ビルの真上から「水よ出よ」と言って口を開くと水が怒涛の如く出て、十秒で鎮火した。野次馬は空を見上げて、あっけに取られた。
「今、火を消したのは、ありゃ金鯱じゃないか」
「おう、たいしたもんだ」
 野次馬の声を聞きながら、金平は水の威力に驚きつつ意気揚々と天守閣に戻った。

      *   
      
 ケンブリッジ小惑星センター長のワインシュタインは間違いではないかと思い、もう一度X彗星の速度と軌道を計算したが、間違いではなかった。あと十九時間五十七分で地球に衝突する。ワインシュタインはアメリカ航空宇宙局(NASA)の地球小惑星追跡システムの責任者であるトーマス・フランクリンに報告した。フランクリンはX彗星の軌道を再計算し、衝突は百パーセント確実という結果を得た。直ちにNASA本部に予想落下地点と落下時刻を報告した。落下地点は北緯三十五度十分四十八秒六十七、東経百三十六度五十四分二十三秒六十三で、名古屋市中区栄三丁目の交差点のど真ん中であった。誤差は二キロ、予想落下時刻は二〇一二年十二月十二日午前七時七分七秒(日本時間)、誤差は二秒であった。NASAは情報を直ちに米国国防総省、日本政府、世界中の天文台に伝えた。
 日本政府が情報を受け取ったのは十一日午前十一時三十九分で、衝突の十九時間二十八分前だった。二十七分後、日本政府はテレビ、ラジオ、ネットで緊急避難警報を出した。
「緊急避難警報です。彗星が名古屋市中区栄に十九時間後に落下します。この衝撃熱で栄を中心として半径十キロ圏内は全壊します。また半径十五キロ圏内では風速五十キロの衝撃波により建物が倒壊します。従って、栄を中心として半径三十キロ圏内の住民は直ちに避難してください。慌てず冷静に行動してください。当面、JR線、名鉄線、近鉄線、地下鉄、あおなみ線、市バスは平常通り運行します。また臨時に各線とも増発便を出します。繰り返します……」
 名古屋市は勿論、犬山市、江南市、一宮市、大府市、瀬戸市、春日井市等の避難圏内の住民は一大パニックに陥った。道路という道路は渋滞し、信号無視、接触事故、衝突が多発した。駅という駅は人でごった返した。プラットホームでは泣声、絶叫、罵倒が入り乱れた。「あんた! どこよ!」「おかあちゃーん!」「四番線、電車が参ります! 押さないで下さい! 押さないで下さい!」
             
 十一日午後二時(衝突十七時間七分前)、名古屋城を管理している名古屋市経済局文化観光部の職員二十名が総出で城に展示してある旧本丸御殿障壁画、天井板絵、武具、掛軸等の美術工芸品をトラックに積み込んでいた。
金平と金美は下界のただならぬ様子に何事かと思った。金美が上空に飛び、下界を見下ろした。国道二十二号線と大津通りが大渋滞になっている。金実は地下鉄市役所駅出入口に降りて、急いでいる老婦人に尋ねた。老婦人は金美を見てびっくりし、
「おみゃあさん、金鯱さんだないの。あんた、知らんのきゃ。彗星が栄に落ちて来るんやて」
「えっ、何時ですか」
「あしたの七時七分七秒だそうだよ」
金実は急いで戻り、金平と城に話した。
金平は「ここは危ない、我々も……」と言いかけて、「いや、こんな時こそ市民のお役に立たなければいけない」と言い直した。
金実も覚悟を決めて頷くと、城も必死の決意で言った。
「その通りだ。今こそ我々が名古屋を守る時だ。身共に羽根があれば飛んでいって彗星に体当たりして粉々にするのだが」
 金美が城の決意を汲み取り、金平に耳打ちして、言った。
「私達が城さんを飛べるようにしてあげましょう」
「えっ、身共が飛べるのか。それはかたじけない。彗星の奴、木っ端微塵にしてくれるわ」
 三者は彗星を迎え撃つ作戦を練った。今から攻めて行っても、どこに敵がいるか皆目見当がつかない。それより敵をぎちぎちまでおびき寄せ、一気に勝負に出るというものであった。
 翌、十二日午前四時七分(衝突三時間前)、X彗星は直径二キロの真っ赤な火の玉となり、長さ三千万キロの尾をたなびかせ、秒速二十キロで日本列島めがけて一直線に突進していた。
午前六時五十分(落下十七分七秒前)朝日が昇り、五層ある天守閣の青瓦が朝焼けの空に輝いた。金鯱夫婦は昨夜の内に大屋根から一層目まで降りていた。金平は城の北側の、金美は南側の一層目の白壁中央に、頭を下向きして、身体を固定していた。一層目のすぐ下は天守台(石垣)である。
六時五九分三十四秒(落下三十三秒前)、城の避雷針アンテナが、高度六百六十キロの彗星をキャッチした。城が「今だ!」と指令を出すと、金平と金美の口から大量の水が猛烈な勢いで地面に向かって噴出された。水煙がもうもうと高さ百メートルまで舞い上った。
落下三十一秒前 水の噴出速度は秒速八キロになり、天守閣がバリバリバリと地響きを轟かせ天守台から浮き上がった。次の瞬間、天守閣は秒速十キロで彗星に向かってまっしぐらに飛んでいた。
上昇する天守閣の雄姿を見る者は誰もいなかった。
落下二十五秒前 彗星は高度五百キロまで降下しており、天守閣は百キロまで上昇していた。彗星は青みがかった黄色い尾をたなびかせ、天守閣は二本の飛行機雲の尾を引いている。
落下二十秒前 彗星の高度は四百キロとなり、天守閣と彗星は三百キロまで接近していた。彗星の直径は三十メートルになっている。
 落下十五秒前 彗星の高度、三百キロ。両者の距離、百五十キロ。両者の衝突まであと五秒となった。
衝突四秒前 両者の距離、百二十キロ
三秒前 九十キロ
二秒前 六十キロ
一秒前 三十キロ
次の瞬間、天地を引き裂く大爆発が起こり、閃光が百キロ走った。広島型原爆の千倍の爆発力だった。激突高度、二百キロ。あと十秒で栄に落下するところだった。
天守閣は一瞬で砕け散り、断片が落下しながら燃え尽きていった。金平と金美は城の指令通り、衝突寸前に左右に全速で飛び散ったが、千七十度の爆風熱を受け、金の鱗が溶けて空中に飛び散り、中から鯱型の銅板が現れてきた。X彗星は二つに炸裂し、片方は飛散して落下の途中に燃え尽きた。もう一方は砕けずに直径十メートルの大きさで伊勢湾に向かって落下していった。
金平と金実は、鱗が全部溶け散り、銅板も剥がれ落ちて素焼きの鯱となって降下していった。真っ赤な火の玉が猛烈な勢いで伊勢湾中央に落下している。
火の玉が伊勢湾に墜落すると直径五百メートルの王冠形の水壁が千メートル上昇し、天空で一瞬止まると、そのまま海面に向かって崩れ落ち、空洞になった王冠の中心に向かって流れ込み、ぶつかり合って高さ五百メートルの水柱がせりあがり、また崩れて高さ百メートルの津波を起こした。津波は時速百キロで名古屋港、中部国際空港、四日市港に向かって押し寄せている。
金平と金美は身体がボロボロ寸前であったが歯を食いしばって水柱が上がった地点に急降下した。津波はあと一分で沿岸に到達するところであった。金平、金美は着水すると直ちに口を開けて沿岸に押し寄せて行く海水を飲みだした。普段なら大量の海水を飲むことぐらい造作もないことだったが、この時ばかりはそうはいかなかった。鱗が落ち、銅板が剥がれ、火傷を負い、極度に疲労困憊していたため思うようにがぶがぶ飲めなかった。しかし名古屋港を救うため、先代との約束を守るため、天守閣を弔うため、必死で飲んだ。 
名古屋港に向かった津波は、高さ六.五メートルの防波堤を難なく超え、埠頭に襲いかかった。埠頭には八千個のコンテナが積み上げられ、一万五千台の輸出用自動車が待機している。津波があと十秒で埠頭に達するという瞬間、逆流しだした。中部国際空港方面からも四日市港方面からも津波が逆流しだした。
三分後、津波は伊勢湾の中央に引き寄せられ、ぶつかりあって相殺され、やがて元の穏やかな伊勢湾に戻った。
それを見届けた金平と金実は、最後の力を振り絞って、ふらふらと名古屋城天守台に飛んでいった。天守台に着くと頂上の地面に降りて、息も絶え絶えに横たわった。丸裸の素焼きになった顔をお互いに見合わせ、先代との約束を果たしたことを喜び合った。
「金平さん、よくやったわね」
「お前こそ、よくやったよ」
それが最後の言葉であった。金平と金美はそのままボロボロと崩れ、土くれとなった。
              
避難していた住民は、遥か遠く名古屋の方向に閃光が光るのを見て、自分の町が全滅したと思った。
午前十時のニュースで「彗星は大気圏突入の際、爆発して燃え尽きました。名古屋市や周辺地域の被害はありません」と報道された。
翌、十三日、平常通り午前九時に名古屋城が開園され、観光客が訪れた。内堀を渡り表二之門から本丸に入って皆が驚いた。天守閣が消えてしまっている。
「おい、天守閣がないぞ」
「ほんとだ、石垣しかない。どういう事だ」
忽然と消えた天守閣のニュースは瞬く間に全国に広がった。

午後四時ごろ「天守閣、彗星に激突 金鯱、名古屋港守る」という四ページの号外が街頭で配られていた。第一ページの解説記事に続き、残り三ページにはハッブル宇宙天体望遠鏡と人工衛星が撮影したカラー写真が一ページ各六枚ずつ、合計十八枚掲載されていた。その内の十枚の写真には天守閣がX彗星に衝突する瞬間までが秒刻みで連続撮影されており、衝突寸前の天守閣は三センチ大で写っていた。七枚の写真には伊勢湾に落下する半分になったX彗星や名古屋港に押し寄せる津波が刻々と写されている。
八枚目には金鯱夫婦が写っており、目をカッと開き、口を一杯に開け、必死の形相で海水を飲んでいた。                           
                                      
                 完



四百字詰め原稿用紙換算二十枚

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