2011年10月23日日曜日

心臓移植をした男

 ジム・アンダーソンは病室からストレッチャーで手術室に搬送されるとき、廊下の天井を見上げながら「これがこの世の見納めかも知れない」という不安で身体中が強張っていた。付き添っている妻のケイトは青白い唇を一文字に結んで寄り添っている。手術室が近づいて来た。ケイトは「大丈夫よ、大丈夫だから」と念を押すように言ったが、夫に対してではなく、自分自身に言い聞かせていた。娘のエステラはまだ顔を見せていない。
アンダーソンは四十九歳の九月に特発性心筋症で倒れ、オレゴン健康科学大学病院に入院したが、心不全が改善されず、心臓移植以外では助からないと診断されていた。倒れてから十ヶ月後、二〇〇九年七月七日、丁度五十歳の誕生日に心臓のドナーが現れた。アンダーソンはドナーからのバースデープレゼントだと思った。

 手術は無事に済み、その後の経過も順調で三ヶ月後に退院することが出来た。入院するまで教鞭をとっていたポートランド市ウエストバレー・ハイスクールの理事会の寛大な措置により、翌年の六月に復職することが出来た。
 アンダーソンはワシントン大学理学部出身で生物学、特に鳥類の研究を専門としている。趣味はバードウオッチング。学校の長期休暇にはオーストラリア、スコットランド、スイス、マレーシア、コロンビア等、世界各地で野鳥観察を楽しんできた。
 手術後二年経過した七月、かねてからの念願であった日本に、バードウオッチングのためにやって来た。
十六日、新潟空港から新潟駅までリムジンバスに乗り、電車に乗り替え、妙高山の麓にある妙高高原駅に向かった。標高二千四百五十四メートルの妙高山には二百種以上の鳥が生息しており、新潟県は日本でも有数のバードウオッチング地域である。アンダーソンはヤマガラ、コマドリ、セグロセキレイ、ノジコ、クロジ等、日本特産の野鳥を観察したいと思っていた。
 妙高高原駅で電車を降りると、新潟大学生物学教授の野沢隼人が改札口で待っていた。野沢もバードウオッチングに興味があり、アンダーソンは鳥の種類が世界一と言われているコロンビアで四年前に野沢に会っていた。共に鳥類の研究が専門ということと同い年であることから親しくなり、それ以来二人は野鳥に関する情報を交換し合っていた。今回アンダーソンが日本に来たのは野沢の強い勧めがあったからである。
野沢は妙高市生まれで、妙高山は何度も登っており自分の庭のようによく知っていた。また、四十七歳のときオーストラリア国立大学に一年間客員教授として招聘されていた。
 二人は「妙高高原スカイケーブル」麓駅の近くにある赤倉観光ホテルに宿泊した。
翌朝、青空が広がっていた。天気予報は「日中は晴れ、夕方から曇」であった。午前八時、ホテルを出発してスカイケーブルの麓駅でゴンドラに乗った。遥か遠くに紺色の志賀高原の山々が朝靄の中に浮かんでいる。
頂上駅に着くと空気がひんやりして森の匂いがした。遠くに野尻湖が見え、湖が光っていた。
二人は景色を楽しんだ後、登山口から妙高山頂上を目指して登り始めた。始めは両側にブナの木が並ぶ平坦な道であったが、三十分も歩くと凸凹した石畳に変わった。ここからが本格的な登山道となる。道の所々にチングルマ、ハクサンチドリ、ヒナザクラ、ミヤマリンドウなどの可愛い花が咲いており二人の心を和ませた。登山口を出発して一時間後、大谷ヒュッテが見えてきた。
「ジム、聞こえますか。あれがコマドリです」野沢が言った。
 アンダーソンは足を止め耳を澄ますと、辺りがしんと静まり、コマドリの鳴き声が聞こえてきた。
 ピヨカラカラカラ ピンカララララ
 始めて聞く鳴き声だった。アンダーソンは鳴き声の方を見つめた。
 いた! 
 枯れ木に止まっている。
 双眼鏡のピントリングを回してコマドリに焦点を合わせた。グレーの羽毛の胸、赤褐色の翼と尾羽、オレンジ色の頭巾をかぶったような頭と首。時々首を左に右に動かし、黒い嘴を空に向けて開け、喉の羽毛を震わせて囀っている。
 ヒンカラカララララ
 ハイビジョンムービーで撮影した。一分ぐらい撮ったところで飛び去って行った。
「うまく撮れました」と言って、アンダーソンは子供のように喜び、早速フィールドノートに記載した。
 妙高山中腹、九時五十分、コマドリ。十三~十五センチ。囀りがよく響く。
 二人は野鳥を観察しながら頂上まで登り、午後三時半にはスカイケーブル頂上駅に戻る予定であった。
 十一時ごろ天狗堂に着いて祠の前で休憩した。新鮮な空気と森の緑が気持ち良い。オオシジキ、カッコウ、ルリビタキの鳴き声が山にこだましている。
天狗堂から約二時間登り、午後十二時半ごろ山頂に到着した。遥か遠方の雲海の上に一段と際立って黒姫山や火打山が青く浮かんでいる。
 頂上で昼食を摂り景色を満喫して下山した。途中に鎖場(くさりば)があり、岩が急勾配になっている。野沢が先に、アンダーソンが後から鎖を掴んで岩を一歩一歩降りていった。無事に下りて山道を下っていくと崖道になった。一歩足を滑らすと左側の崖から転がり落ちるようなところだ。
 慎重に歩いて行くと突然右手の斜面の岩肌が崩れ、岩石が転がってきて野沢を直撃し、野沢は倒れた。起き上がれない。両手で右足の脛を痛そうに抱え、ウンウンうなっている。足を骨折したらしい。額から血が流れ、ズボンの脛から血が滲んでいる。野沢がズボンをまくり上げると、脛から血が流れていた。
「大丈夫ですか」
「うん、足を折ったらしい。血を止めなくては」
 アンダーソンは気が動転した。バードウオッチングで数カ国訪れたことがあるが案内者が大怪我をすることはなかった。
野沢は横になったままリュックサックから手ぬぐいを出し、端を歯にくわえて手で引き裂き、二本の細長い布を作った。二本の端と端を固く結び合わせ、五六回ねじると一本の長い布紐になった。
「これで止血します。何か小枝を捜して下さい」
野沢は落ち着いていた。
 アンダーソンは言われるまま、小枝を探して野沢に渡した。野沢は小枝を半分に折って近くに置き、紐を太ももに二重に巻きつけ、端と端を軽く結んで結び目に小枝を通し、ネジのようにキリキリと巻き上げて太ももを絞った。血は止まった。額の傷もバンドエイドで止血した。
 野沢は立ち上がることが出来なかった。杖をついて下りるのも無理だ。アンダーソンがおんぶして下山することも出来ない。救援を求めるしか方法がなかった。
「急いで助けを呼んできますから」
と言ってアンダーソンが立ち上がったとき、また地滑りと落石があり、目の前の下り道が完全にふさがれてしまった。
「これは困った」と野沢が言った。「迂回するしかありません。地図を書きますから、アンダーソンさん、地図に従って下山して下さい」
 野沢はリュックサックからボールペンと小さなノートを取り出して説明しながら地図を描き出した。
「先ほど下りてきた鎖場に戻って、もう一度登って下さい。登ると、幅一メートルぐらいの坂道があります。坂道を十分ぐらい登っていくと道が二つに分かれます。左側の道を選んでください。ここから急な下り坂になります。三十分ぐらい下りていくと胸まで届くぐらいの熊笹の密生しているところに出ます」
 野沢は坂道を示す線を引き、熊笹の所は点々を一杯描いて「笹」と書いた。
「ここは笹で道が覆われて分かりにくいですが、平坦な道です。笹の葉の間に人間が一人通れるぐらいの幅の道がありますからそれに沿って歩いて下さい。もし分からなければ前方の低木の中に大きな赤松の木がありますから、目印にして進んで下さい。赤松まで十分もあれば着きます。ここまでくればあとは簡単です。すぐ右側の道を十五分ぐらい下っていくと道が左右に分かれています。左はダメです。途中で道がなくなります。右の道を行けばあとは一本道の下り坂です。そのまま道を下っていけば休憩した天狗堂に出ます」
 野沢は地図にX印を書いて「赤松」と記入し、X印から二又の線を描き、一方の線を伸ばして、先端に「天狗」と書いた。
「天狗堂からは今朝登ってきた道です。二十分ぐらい下っていけば大谷ヒュッテが見えます。太谷ヒュッテには夏場だけ電話が引かれています。そこから警察に電話して下さい。番号は一一〇番です。英語で言っても対応してくれます」
 野沢は地図の描いてあるページを破ってアンダーソンに渡した。
 アンダーソンは地図を二つに折って尻ポケットに入れ、
「では、急いで戻って来ますから、待っていて下さい」
と言って立ち上がった。
 アンダーソンは、まず鎖場まで行き、鎖を掴んで登った。半分近く登った時、雲行きが怪しくなり、風が下から吹き上げてきた。周りは誰もいない。鳥は鳴きやんでいる。心細くなってきた。聞こえるのは風の音だけだ。鎖場を上ると、野沢が言っていたように坂道があり、十分ぐらい登っていくと道が分かれていた。地図を取り出して確認した。
 左だ……
 下りていくと、空がみるみる真っ黒な雲に覆われ、大粒の雨が降ってきた。風も強い。
アンダーソンはリュックサックからカッパを取り出して、頭からすっぽりかぶった。
暫らく下って行くと雨が一段と激しくなりカッパにバチバチと容赦なく雨が打ちつけた。雷も鳴りだした。雨宿りするようなところはない。野沢の事を思って必死に茂みの道を急いだ。道が雨で滑り易くなっている。
 あっ!
 横転した。転ぶときにカッパが木の枝に引っかかって、カッパの右肩から裾までビリッと大きく破れた。裂け目から雨が入り、カッパは用をなさなくなった。それでも頭だけは覆っていたのでそのままかぶって進んだ。
その後二回転倒して泥水に尻餅をついた。二回目は尾てい骨を打って、しばらく起き上がれなかった。それでも起き上がって、岩道を下っていくと破れたカッパの端がヒラヒラまとわりつき煩わしくなった。雨が横殴りになり、頭から足の先までぐしょ濡れになった。カッパが邪魔になり、脱ぎ捨てた。まだ二時過ぎだというのに夕方のように暗く、風がますます吹き荒れている。
 背の高い笹が密集しているところに来た。風雨で笹の葉がざわめき、うねり、雷鳴が轟き、稲妻に熊笹が一瞬照らされると、熊笹は荒れ狂う無数の青蛇のように不気味に光った。薄暗くて道がはっきりしない。
 前方に大きな赤松の木があるはずだ……
 霞んで赤松が見えない。密生している熊笹の茂みの中に入る前に立ち止まった。
 稲妻が光った。低い木立の中に大きな赤松が雨の中にくっきりと照らし出された。
 あれだ! 
 ぐしょ濡れになりながら、赤松を目指して熊笹の中を歩いた。笹が胸や首筋にぺたぺた当たり、絡みつき、行く手を邪魔した。赤松を見失わないようにしながら笹を手でかき分け、かき分け、泳ぐようにして進んだ。靴には笹道の溝に溜まった水が入り、歩くたびにグッチャ、グッチャ音を出した。
 あっ! 
 また転んだ。笹道の水溜まりに横転した。横倒しのまま痛みが消えるのを待った。痛みが治まると「よいしょっ」と、手をついて立ち上がった。手も足もズボンも泥だらけだ。赤松まであと十メートルぐらいに近づいていた。
 もう少しだ…… 
 赤松にようやくたどり着いた。道が左右に分かれている。野沢の言う通りだった。
 右に行けばいいのだ…… いや、左だ……
 アンダーソンは尻ポケットに手を突っ込んだ。指でポケットをまさぐると地図が内側の生地にぴったりくっついており、水を吸収してふやけているようだった。破けないようにそっと引き出そうとしたが、ぼとっとちぎれて三分の一ぐらいしか出てこなかった。それを左手に移し、もう一度手を突っ込んだが、残りは、ポケットの底に固まってくっついているようで、紙の手応えがなかった。それでも端らしいところをまさぐり、つまんで引き出した。また、ぼてっとちぎれてしまった。三回目にようやく全部引き出した。雨の打ちつける中、水でふやけきった三つの紙の塊を開こうとしたが、豆腐のようにボテボテで、タラタラに崩れ、三つとも全部開けたが、ジグゾーパズルのように、どの部分が、どの部分にくっつくのか分からなくなっていた。紙には線が引かれているのだが汚れ、滲み、判読できない。アンダーソンは判読を諦め、野沢がどちらと言ったか思い出そうとした。
 確か左と言った……
 アンダーソンは左の道に入り込んだ。身体が冷えてきた。寒い。雷雨と山風が荒れ狂っている。いくら歩いても、天狗堂に着かない。
 右の道だったのか……
 来た道を引き返したが、頭が朦朧として赤松の木が一面に生えており、目の前をぐるぐる回っている。どれが目印の赤松か見分けがつかない。呆然と立ち尽くした。
 どちらに行けばいいのだ……
 辺りを見回した。
 あっ、あそこに熊笹が密集している……
 頭が混乱し、疲れと焦りで何が何だか分からなくなってきた。救助どころではない。自分の身体が持つか持たないかだと思った。道なき道を足を引きずり、身体中が雨でずくずくになり、体力は極限に達し、同じ道をぐるぐる回っているように感じた。
 どうしたらいいのだ……
 その場にしゃがみこんだ。
 暫らくじっとしゃがんでいると、雨が小ぶりになってきた。雷も遠くに消えていった。ふと見上げると妙高山の山頂が立ち昇る霧の中にぼんやり霞んで見える。
「山で道に迷ったら、下山せず、頂上を目指せ」と言う言葉を思い出した。
早くしないと日が暮れてしまう…… 野沢さんが待っている……
最後の力を振り絞って立ち上がった。山頂への道はなかったが、ただがむしゃらに残雪のある不安定なガレ場を四つん這いになって登った。掌から血が流れ、ズボンの膝が擦り切れ、膝の血がズボンに滲み、息も絶え絶えに登っていった。まだ頂上まで相当の距離がある。再び朦朧としてその場に倒れた。
見上げると原生林が密生している。
 もうだめだ…… 野沢さん…… 申しわけない……
 ケイトの顔が浮かんだ。エステラの笑顔も浮かんだ。家族一緒にヨセミテ国立公園に行ったことを思い出した。エステラが七歳だった。ブライダルベール滝が音もなく落ちている。
 どこかでカッコウが鳴いている。
 風が止んだ。
 静かだ。
 太陽の光が木々の間から差しこんできた。
 倒れたまま視線を移すと、原生林の茂みに切れ目があった。あの切れ目のところへ行けば頂上が見えるかも知れないと思い、ふらふらと身を起こし、切れ目のところまで四つん這いでたどり着いた。地面に腰をおろして切れ目から景色を見た。霧が消え、遠くまでよく見えた。妙高山の頂上も、眼下の丘や峠も見える。
 ほっと一息ついた。
 頭髪から水滴が頬を伝って幾筋も流れ、手で拭った。
 暫らく景色をぼんやり眺めていると、右手下方に見覚えのある峠が見えた。
 あっ、あれは観音峠だ……
 観音峠から天狗堂までは一本道だ。妙高のてっぺんがあっちで、観音峠があそこなら、ここは女狐平(めぎつねだいら)だ。だとすると、この辺にひょろ長い一本杉があるはずだ。おっと、あるある。じゃあ、あとは簡単、簡単…… 野沢さん待ってて下さいよ……
 アンダーソンは急に元気を取り戻し、二十歳の若者のように観音峠に向かって早足で山道を下って行った。ほどなく観音峠の頂につき、母子観音の形をした高さ八十センチの岩石の前に座って手を合わせた。
 アンダーソンは自分が自分でないように感じながら、観音峠から天狗堂に向かった。頭の中で何かのスイッチが入ったようだった。坂を下って行くと、二十分後、天狗堂に到着した。祠の前で「野沢さん、すぐ助けに行きますから」と言った。
 アンダーソンは休憩せずにさらに二十分ほど下って行くと大谷ヒュッテが見えてきた。午後三時だった。濡れた青色の屋根が太陽の光を反射している。扉を開けると、公衆電話があり、一一〇番に電話をした。
「ハロー、こちら妙高山、大谷ヒュッテです。友達が骨折で下山できません。救助をお願いしたいのですが」
 
 一週間後。
 ポートランドに帰ったアンダーソンは、妙高山で九死に一生を得た理由を考えていた。なぜあの時「あれは観音峠だ」と分かったのだろう。あの時、もう一人の自分が指図しているように感じたが、あれは一体何だったのだろう。
 もう一人の自分……
 と考えて、心臓移植だと思った。ドナーが妙高山のことを知っており、移植のときドナーの記憶も移植されたのではないかと思った。
 しかし、なぜドナーが日本の妙高山の事を詳しく知っているのだ……
 新たな疑問が湧いてきた。
 ドナーの事を知りたいと思ったが、移植医から、ドナーはシアトルで交通事故で死亡した若者だ、とだけ知らされていた。ドナーの経歴や住所はレシピエントに伝えないことになっている。
翌日、新聞を読もうとして、はっと気がついた。
 シアトルで発行されている新聞で交通事故の記事を読めば分かるかも知れない……
 ポートランド中央図書館に問い合わせると、「シアトル・タイムズ紙」のみマイクロフィルムで保管しているとのことだった。早速図書館に行き、二〇〇九年七月分のマイクロフィルムを借り、プロジェクターでフィルムを送り、七月八日のローカルニュースを拡大して驚いた。ど真ん中に「オートバイ事故で男性死亡」という記事が映った。心臓移植をした翌日の新聞である。記事には次のように書いてあった。
「シアトル発=ジョージ・ヤマモト(二十五歳、イースト・ウエストミンスター街三十四)が乗っていたオートバイがオーチャッド・アヴェニューで転倒し、セイント・フランシス病院に搬送されたが、午後五時死亡した」
アンダーソンンは同日の午後六時に心臓移植手術を受けていた。ヘリコプターで心臓が輸送されれば四十分で病院に着く。ドナーはジョージ・ヤマモトだと確信した。
 ジョージの親に手紙を書くことを躊躇したが、二日後、思い切って書くことにした。突然手紙を書く失礼を詫びた後、息子さんに感謝していること、妙高山での不思議な出来事を書いた。
 十日後手紙が来た。ジョージ・ヤマモトは日系二世で信州大学農学部に四年間留学していた。在学中は山岳部に属しており、三年生の時はキャップテンで妙高山の登山ガイドをしていた。手紙の最後に以下のように書いてあった。
「息子の心臓がどこのどなたに移植されたか気になっておりました。今回、息子があなた様のお役に立ちました事を嬉しく思います。お手紙の行間から息子の呼吸が聞こえてくるようです。息子に会う事はかないませんが、せめて息子の鼓動だけでも感じたいと思います。お差支えなければ、是非会いに来て下さいませんか」
 三日後、アンダーソンはシアトルに向かった。
                 完

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