2013年5月15日水曜日

ショート ショート 三篇


 

その一 天国への階段

新緑の五月。山田太郎が公園を散歩していた。山田はその年の三月に定年退職し、今では悠々自適の生活を送っている。

公園のつつじが満開で、ひしめくように咲いている白やピンクの花びらに見とれて歩いていると、道にぽっかり穴があいているのに気がついた。なんだろうと思って穴を見ると、地下に下りていく階段がある。人が一人やっと下りて行くことができる位の幅だ。ふと脇を見ると「天国への階段」という看板が立っていた。はて変だ、天国は天にあって、地下にはないはずだと思い、かがんで中を覗いた。十段ぐらい下までは陽の光でなんとか見えるのだが、その先が暗くて見えない。どうしようと思ったが、ものは試しだ、この階段を下りていけば天国に行けるのなら、こんなありがたいことはない、と思って山田は階段を下り始めた。 

階段を登るのは大変だが、下りるのは苦労はしなかった。十段ぐらい下りていくと壁にロウソクが灯っており、階段を照らしている。さらに十段ほど下りていくとまたロウソクが灯っている。神様がロウソクで足元を照らしていて下さるのだ、と思いながらどんどん下りていった。

二百段ぐらい下りたところからは階段の幅が広くなり、壁面に色とりどりの花が飾ってある。いい香りがする。うっとりするような音楽が聞こえる。素晴らしい。まさにこれは天国に通ずる階段だと思った。

しかし、さらに百段ぐらい下って行くと次第に暑くなってきた。息も苦しくなってきた。額から汗が流れだした。はて、本当にこれは天国に続く階段なのか、まさか地獄への階段ではないだろうなと思いつつも、「天国」という言葉につられてさらに百段ほど下って行った。ロウソクに照らされてできる岩影がゆらゆら揺れて妖怪のように見える。今頃、可愛い孫の明奈が幼稚園から帰り、おやつを食べながら、娘や婆さんと話をしてケラケラ笑っている頃だと思った。家族をほったらかしにして自分だけ天国に行くなんて、そんなことが許されるのか。それに、大体この「天国への階段」というのがおかしい。これはまるで「地獄への階段」だ。もういい、天国なんかどうでもいい。もうここらで帰ろうと思ってすぐ先を見ると、階段が行き止まりになっており、看板が立っている。看板には「折り返し点」と書いてある。なんだ人を馬鹿にして、始めっから天国なんかないんだ、畜生、騙されたと怒れてきたが、「天国への階段」などという甘い言葉に引っかかった自分の浅はかさが情けなくなった。自業自得だと思って階段を登りだした。

登り始めると、普段エレベーターや車漬けになっている身体だ。そう簡単に五百段もの階段を登れる訳がない。気がつくとロウソクが短くなっており、消えそうになっている。花もしおれかかっている。音楽は聞こえない。神様は折り返し点まで行く人を照らすための分だけロウソクを用意していて、引き返す人を照らす分までは考えていないのだ。何と言うケチくさい神様だと思った。

さらに百段ぐらい登ったところで、全てのロウソクが消えてしまった。真っ暗だ。まだ二百段ぐらいは登らなければならない。暗闇でも、とにかく一本の階段だから、黙々と登って行けばなんとか地上に出ることができると思い、手探り、足探りで一歩一歩慎重に登っていった。下りるときには気がつかなかったが、地下水で階段が濡れており、滑って階段を数段転がり落ちた。腰を強く打った。それから何回も何回も滑って転がり落ち、落ちては登った。身体中怪我だらけになった。足が引きつってきた。呼吸が困難になってきた。暗い。暑い。苦しい。閻魔大王が口を大きく開け喉仏を見せて笑っているようだ。早くこの地獄を脱出したい。早く、早くと焦れば焦るほど転倒した。意識が朦朧としてきて、仰向けに頭から落ち、後頭部を強く打ってしまった。もうだめだ、と思った。俺は天国へ行く階段で死ぬのか、何と言う皮肉だ、と思った時、「爺ちゃん、死んじゃダメ」と言う明奈の声が聞こえた。

こんなところで死ねないと思いながら上の方を見ると薄明るくなっている。救われた、出口が近いと思った。最後の力を振り絞って、四つん這いになりながら、あえぎ、あえぎ登って行った。次第に明るくなってくる。出口まであと二十段ぐらいという所で、なんとも言えないいい匂いがしてきた。新鮮な空気の匂いだ。若葉の香りもする。つつじの花が見える。青空が見える。もうすぐだ。もうひと頑張りだと思った。

とうとう最後の一段を登りきって外に出た。なんという素晴らしいところだ。陽がさんさんと輝き、若葉が萌え、子供達がきゃっきゃっと遊んでいる。鳥が鳴いている。

まるで天国だと思った。              

                                  了

 

 

 

 

その二 翔ちゃん、危ない!

 

 

先日、私は三歳の孫を連れて動物園に行きました。孫はどういうわけかシマウマが大好きです。孫は入園すると、「シマンマ、シマンマ」と叫んでシマウマ舎の方に駆けていきました。このところほぼ毎週動物園に来ていましたから、シマウマの場所を知っているのです。

「翔ちゃん、そんなに走ると危ないよ」と言って、孫を追いかけましたが、どんどん走っていってしまうのです。気がつくと園内アナウンスが流れていました。「……ご来園の皆様、ただ今の地震でシマウマ舎の柵が壊れ、シマウマが逃げました。人間に危害を加えませんから、慌てずに避難してください」

私は翔太を追いかけていて地震に気がつきませんでしたが、今のアナウンスで気になることがありました。「人間に危害を加えない」などと言っていましたが、それは入園者を慌てさせない口実で、シマウマの後ろに立とうものなら蹴られて死ぬかもしれないのです。翔太が危ないと思い、あたりを見回しました。シマウマの気配はありません。翔太は立ち止まってきょろきょろしていました。シマウマ舎の場所を間違えたらしいのです。よし、今のうちに園外に避難しようと思い、翔太に追いつき、「翔ちゃん、今日はシマウマがいないそうだよ。だからもう帰ろう」と言って手を取ろうとすると、目の前の茂みにシマウマがいるのです。

翔太は「あっ、シマンマだ」と言って近づいていきました。危ない! と思って手を取ると、翔太は思いっきり私の手を振り切り、茂みの方に走っていきました。追いかけましたが、このところ走ったことがなく、すぐ息切れがしてしまい、追いかけるどころではありません。

私は近くの男の人に「あそこにシマウマがいて、孫がシマウマの方に走っていきました。孫を助けてください」とお願いしたところ、「おーい、シマウマがいるぞ、こっちだ、こっちだ」と仲間を呼ぶのです。声を聞きつけて、近くの親子連れが大勢、殺到して来ました。どうしてみんな逃げないのだ。シマウマと思って馬鹿にしているのかと思いました。

翔太は茂みの中に消えてしまっていました。困った、どうしよう、どうしよう、と思っていると、銃を持った人が二人と、捕獲員が十人ぐらい駆けつけてきました。私は「孫がシマウマの方に走っていきました。どうか助けてください」と必死にお願いしました。

「わかりました。ゆっくり見物していてください。すぐ取り押さえますから」と言って、捕獲員は高さ二メートル、長さ十五メートルぐらいの網を広げました。この網でシマウマを囲んで捕獲するらしいのです。捕獲員の一人が「おい、シマウマ! 出てこい!」と叫ぶと、あれびっくり! ゴリラが茂みから立ち上がり、な、なんとその両手に翔太が抱えられているではありませんか。

「お願いします! 孫を、孫を助けてください」と捕獲員に頼みました。

「心配しなくてもいいです。ゴリラはお孫さんを食べるようなことはしません。安心して見ていて下さい」と笑って言うのです。何を呑気な、と怒れてきましたが、この老いぼれがどうすることもできません。

ゴリラは孫を抱いたまま、牙をむき、目を充血させて、こちらに向かって来ました。すぐ後ろからシマウマがついて来ます。ゴリラが振り向いてシマウマを威嚇すると、シマウマも負けていません。後ろ足で直立しました。次の瞬間、ゴリラは翔太をシマウマの方に投げました。孫はラクビーボールじゃない、何するんだ、と思い、私はゴリラの方に走ろうとしました。しかし、捕獲員が二人で私を左右からがんじがらめにしました。私は大声で叫びました。「翔太! 翔太!」

翔太はシマウマの前足二本で器用に抱きかかえられていました。翔太は「きゃっ、きゃっ」と歓声を上げているのです。

見ると、二人の男が銃を構えて、シマウマとゴリラの方に近づいているではありませんか。私は「止めてください! 孫がいます!」と叫びましたが、止めようとしません。銃を持った男が「これは麻酔銃ですから心配いりませんよ」と言って、シマウマとゴリラに狙いをつけました。

パン! パン! と銃声がして、ゴリラもシマウマもその場に倒れました。シマウマは、倒れるとき翔太をそっと地面に置いたのです。ああ、助かった、私は半分泣きながら翔太の方に駆け寄りました。

ぐるりと取り巻いていた入園者から拍手喝采が起こりました。私は良かった、良かったと胸をなでおろすと、マイクを持った人が、「皆様、ご協力ありがとうございました。これで猛獣脱出対策訓練を終わります」と言いました。 

                                  了

 

 

 

 

 

その三 幼児のロジック

 

        

私はパイロット歴十五年になりますが、飛行機に初めて乗ったのは三歳か四歳の頃です。その時のことをよく覚えていますが、心臓が飛び出るくらい緊張しました。

当時、私の家は名古屋空港(小牧市)の近くにありました。今でこそ名古屋への空からのアクセスは中部国際空港セントレアですが、セントレアができる前は名古屋空港だったのです。

休日になると父は私を空港に連れて行ってくれました。私は空港の屋上から飛行機が離着陸するのを見るのが大好きでした。

「さあ、もう帰ろう」と父が言っても、

「もっと、もっと、もうちょっと」

と強情をはって、私はなかなか空港を離れなかったようです。

誰が何と言っても、飛行機は格好いいのです。屋上から見ていると、乗客がタラップを登っていって飛行機の中に入っていきます。最後の一人が入ると扉が締まり、飛行機は滑走路にゆっくり進みます。ここで「用意、ドン!」です。轟音を響かせ、スピードを上げ、滑走路を驀進し、急に浮き上がるのです。浮き上がるとぐんぐん空高く飛んでいき、小さく、小さくなり、ついには消えてしまいます。

今度は、どこからともなく小さな、小さな飛行機が現れて、音が聞こえ、次第に大きくなり、轟音を響かせて着陸し、巨体となって停止するのです。見ていてこんな面白いことはありません。

日曜日になると「飛行機、飛行機!」と父にせがんで飛行機を見に連れて行ってもらいました。父が都合悪い時は母にお願いしました。

私の持ち物には全て飛行機のデザインがついていたようです。帽子、シャツ、靴下、靴、手袋、コップ、茶碗、箸に至るまで飛行機だらけでした。寝る時はいつも模型飛行機を枕元に置いて、眺めたり、さすったりして寝たものです。

こんなわけで、一度は飛行機に乗ってみたいと思っていました。飛行機の中はどうなっているのだろう。乗った人達はどうなるのだろう。飛び立つ時に苦しくならないのかなあ。窓からの眺めはどうなるのだろう。それに、何よりも,なぜ飛行機は落ちてこないのだろうと、いろいろ疑問に思っていました。

そんなある日、福岡のお爺ちゃんが亡くなって、飛行機で福岡に行くことになったのです。飛行機に乗ることができるのです!

前の晩は「明日になったら飛行機に乗るんだ」と思うと、嬉しさと不安が入り混じり、ドキドキ、ワクワクして、目がパッチリ開いてなかなか寝つかれませんでした。

翌日、飛行場に着き、小型のバスで飛行機の所に行きました。タラップを上がるとき巨大な飛行機を目の前にして、またドキドキワクワクしました。

「なんという大きな飛行機だ。屋上から見る飛行機の十倍はある」と思いました。

とうとう飛行機の中に入りました。

「中は、こうなっているのか。座席がいっぱい並んでいて、真ん中に通路があって、窓が一列に並び、天井の物置に荷物を置くのか」と感激しました。同時に、飛行機が飛ぶ時、椅子や窓や僕はどうなるのだろうと、不安と期待が入り混じりました。

私は母と父の間に座り、母が僕のシートベルトを締めてくれました。

「何これ? 何故こんなものつけるの?」

と、母に訊きました。

「飛行機が飛ぶとき怪我しないためよ」

「怪我することもあるの?」

「そうよ、さあ、しっかり締めましょうね」

僕は、そうか飛ぶ時に怪我する人もいるのか、そうかもしれないなと、妙に納得しました。しかし、すぐ僕自身は怪我しないで済むのだろうかと不安になりました。

いよいよ離陸です。エンジンの音が響き、飛行機は全速で突進し、窓の景色が飛ぶように後退し、ふわりと浮き上がりました。私は心臓が潰れるほどドキドキしました。今だ、今だ、今だ、今だ、今に身体に変化が起こるのだ、と思って目をつむりました。滅茶苦茶緊張しました。しかし身体は何も変わらないのです。

目を開けました。父や母の身体に変化はなく、落ち着いて何やら話しているのです。今か、今か、今か、今かと待っていたことが起こらないのです。飛行機の窓も、通路も、座席も、父も母も、他の乗客も前と同じなのです。

一体この飛行機、どうなってるんだ、本当に飛んだのかと思って母に訊きました。

「ねぇ、お母さん、何時になったら身体が小さくなるの」

                                 了

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿