2013年11月18日月曜日

山椒太夫の娘 (脚本)


 

 
      山椒太夫の娘

 
山椒太夫     六十歳  人買い分限者

小春        十五歳  山椒太夫の娘

安寿(垣衣(かきい))   十五歳  岩城正氏の娘

厨子王(萱草(わすれぐさ)) 十三歳  岩城正氏の息子

二郎        三十五歳 山椒太夫の次男

三郎        三十一歳 山椒太夫の三男

奴頭(やっこがしら)     四十五歳 

弥助      五十歳  牢番

小萩      三十三歳 山椒太夫の奴婢

刑の執行人   四十歳

 




○山椒太夫の屋敷・

   山椒太夫、二郎、三郎、小春、昼食を摂っている。

山椒太夫「今度の代物は二人とも頑固で名前も言わないとか」

二郎「それで、こちらで名前をつけました。姉を垣衣、弟を萱草と」

三郎「父上、垣衣は小春によく似ていますよ」

山椒太夫「そうか。明日にでもその垣衣とやらの顔を見てみようか。ところで、小春、お前、確か、十五だったな」

小春「はい、長月で十五になりました」

山椒「そうか、早いものだ。十五なら嫁に行ってもいい頃だ」

小春「いえ、わたしは、もっと父上のそばにいて、親孝行をしとうございます」

山椒太夫「それは、なかなか殊勝な」

小春「ありがとうございます。でも、まだまだ親孝行が足らないと思っております」

山椒太夫「泣かせることを言うじゃないか。二郎も三郎も小春を見習え」

 

○山の中腹

   大童(おおわらわ)の出で立ちをした安寿と、厨子王が柴を刈っている。

厨子王「姉さんは、最近、変わりましたね。無口になったし、何か考え事をしているような」

安寿「厨子王や、わたしは疲れてしまった。少し休まないかえ」

厨子王「ええ」

安寿「どうせ、休むのなら、もう少し登って、景色のいいところで休みましょう」

   安寿は先に登り出す。厨子王が後から付いて登っていく。

安寿が立ち止まる。そこからの眺望は

良く、麓の川が遠くまでよく見える。

安寿「ここらでいいでしょう。厨子王や、今まで黙っていたけれど、今から姉さんの言うことをしっかり聞きなさい」

厨子王「改まって、どうしたのですか」

安寿「大事な話があるのです。もう柴は刈らなくていいから、よくお聞きなさい。お前は今から逃げておくれ。逃げて筑紫のお父様に会い、佐渡のお母様をお迎えに行っておくれ。伊勢の小萩さんから聞いたのだけど、ここの地形は小萩さんが言ってた通りで、小萩さんによるとね……」

 

(回想)

   安寿と小萩が汐汲をしている。

小萩「それで、そこまで登ると、眼下に眺望が開けて、麓の川がよく見えるのさ。で、川沿いに下っていくと、国分寺があるんだよ。山から寺の五重の塔が見えるから、目印にするといいよ。寺に着いたら、伊勢の小萩と言っとくれ。住職はわたしの姻戚だから、きっと力になってくれるはず」

安寿「ありがとうございます」

小萩「でも、見つかると殺されるから、重々気を付けなさいよ」

安寿「ええ、それは勿論」

(回想おわり)

 

安寿「そら、あそこに川が見えるでしょ。川伝いに下っていくと、川の右手に寺の塔が見えますね、あの寺の住職は小萩さんの姻戚だそうです。うまく、あの寺まで逃げおおせれば、住職がかくまってくれるはず。寺から都に近いのだよ」

厨子王「でも、お姉さまは一緒に逃げないのですか」

安寿「二人一緒だと目立つし、私はなんとか生き延びるから、私のことは心配しなくてもいいのですよ」

厨子王「でも」

安寿「あそこにいたら二人とも家畜のようにこき使われて、殺されてしまいます。だから、お前だけでも逃げるのよ。姉さんだけでなく、お父様やお母様の願いと思って勇気を出して逃げておくれ。この通りだよ」

安寿、手を合わせ厨子王を拝む。

厨子王「そこまで姉さんが言うのなら、分かりました。別れるのは辛いけれど、うまく逃げてみせます。きっと、きっと迎えに来ますから、待ってて下さい」

安寿「聞き分けのいい子だね、さ、この守り本尊を持って行きなさい。困ったことがあったら、観音様が助けてくれますから」

厨子王「はい、では」

安寿「道中気をつけるんだよ」

厨子王「お姉さんも」

 

○山椒太夫の屋敷・日暮れ

   奴頭が山椒太夫に報告をしている。

奴頭「垣衣を牢にぶち込んでおきました」

山椒太夫「おう、ご苦労。明日になったら、見せしめの棒叩きだ。死ぬまで叩いてやれ。弟を逃がすなんて、ひでえ尼だ」

奴頭「承知しました。で、お頭、垣衣はこんなものを持ってました」

   奴頭は書き物を山椒太夫に渡す。

山椒太夫「何だ」

   と言って読み出す。途中から表情がひきつるが、奴頭は気がつかない。

山椒太夫「これは預かっておく。ご苦労だった」

   奴頭、去る。

   山椒太夫、書き付けを見ながら、

山椒太夫(独白)「なんということだ、垣衣が大恩ある主君、岩城正氏殿の娘御とは……。おい、誰かいるか。小春を呼んでくれ」

   小春、部屋に入る。

小春「何か御用ですか」

山椒太夫「うむ、小春、先ほどお前は、親孝行がしたいと言っておったな」

小春「はい」

山椒太夫「わしの一生の願いを聞いてくれぬか」

小春「はい、父上の願いならばどのようなことでも」

山椒太夫「では、はっきり言うが、お前の命をくれぬか」

小春「ええっ」

山椒太夫「驚くのは無理もないが、奴婢の垣衣のことを知っているだろう。実は、垣衣の実の名は安寿といって、大恩ある岩城正氏殿の娘御であることがこの書き付で分かった。岩城様は、今、筑紫に流されているが流されるまで、わしが仕えていた主君なのだ。今こうして不自由なく暮らせるのも岩城様のおかげじゃ。安寿様が今日山で弟君を逃がしたのじゃよ。それで、罰として明日棒叩きの刑があるのじゃ。深い恩のある岩城様の娘御を棒叩きに処するわけにはいかない。そこで」

小春「分かりました。私が代わりに刑を受けましょう。お父様に親孝行ができて、こんな嬉しいことはありません」

山椒太夫「うむ、よく言ってくれた」

 

○牢屋・入口

山椒太夫と小春が牢に近づく。小春は

影に隠れている。

山椒太夫「ご苦労、ご苦労、今日は娘の誕生日で家中の者、皆が祝っておる。弥助も今日は、牢番は免除してやろう。日頃のねぎらいに祝い酒を持ってきた。下がって存分に飲んでくれ」

弥助「へい、旦那様、これはありがたいことで。では、甘えまして。へい、鍵はここに」

   弥助が立ち去ると山椒太夫は小春を呼

び、錠を開けて安寿の牢に入る。

安寿「これは太夫様、何事ですか」

山椒太夫「安寿様、今までの失礼の段、お許しくだされ。驚くのも無理はないですが、実は、わたしはあなた様の父君、岩城正氏殿の家臣でした。岩城殿には大恩がある身なのです。今日はその御恩をお返しに来ました」

安寿「父が岩城と、また、私の名前を、どうして?」

山椒太夫「この書き付けを見て」

安寿「先ほど、奴頭に取られた」

山椒太夫「そうです。この書き付を読んで分かりました。これはお返しします。で、安寿様、明日、棒叩きの刑がありますが」

安寿「もとより覚悟の上」

   山椒太夫、小春を近くに呼ぶ。

山椒太夫「こちらは私の娘、小春にございます。小春があなたの身代わりになりますので、ここから逃げて下さい」

安寿「それでは、娘さんが……」

小春「覚悟はできております。さあ、急いで」

   山椒太夫は小春の髪を切り、安寿と小春の着物と履物を取り替える。小春を残し、牢の外に出て鍵をかける。

山椒太夫「さ、私のあとについて来て下さい。逃げ道は……」

 

○山椒太夫屋敷・中庭

   山椒太夫、二郎、三郎が正面にの段上に座る中、小春が連れてこら
   れ、処刑台に縛られる。周りで奴婢が二十名ほど見物している。
   山椒太夫の合図で棒叩きが始まる。叩かれている内に、小春は悲鳴を
   あげなくなり、ぐったりする。執行人が鼻に手をかざし、

執行人「死にやした」

山椒太夫「ご苦労……。どれ、どんな死に顔をしてるか」

   山椒太夫、段を下りて小春の死体を見る。

山椒太夫「やい、今一度物を言うてみよ。目を開けてみよ。わしの、わしの声が聞こえるか」

                おわり

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