2013年11月15日金曜日

かぐや姫のDNA


 

かぐや姫のDNA 

かぐや姫が月に帰ってから一千年以上経った二〇一五年八月のことである。隕石が月に衝突し、深さ五百メートル、直径九キロのクレーターができた。三ヶ月後、アメリカ航空宇宙局(NASA)は、クレーター中心部の岩石を採取するため、オリオン宇宙船を打ち上げた。月面着陸後、探索機が目的地点に到達すると、ドリルで岩盤を掘り岩石のサンプルを採取した。

地球に持ち帰った岩石をジョンソン宇宙センター地質研究室において分析したところ奇妙な発見があった。岩石の中から炭素化した竹が発見されたのである。勿論、月に竹が生育していたとは考えられない。月は数十億年前に形成されたが、その時に発生した熱によって、月の水分は全て蒸発しているからである。従って、竹の炭素質は地球から何らかの方法で月にもたらされたものと考えざるを得なかった。

 研究室スタッフは竹の炭素質の他に関連物質があるのではないかと考え、周りの岩石を分析した。その結果、さらに不思議なことが発見された。なんと、絹と漆の炭素質も発見されたのである。

絹の炭素質を分析すると、年代は平安時代初期と判明したが、どこの国の絹かは判定できなかった。恐らく中国、朝鮮、あるいは日本のものであろうと推測された。 

漆の炭素質は日本の漆のようであった。NASAは東京芸術大学古代美術研究所にサンプルデータを送り、さらに分析したところ、漆の素材も平安時代初期の牛車に使われていたものに似ていた。勿論、漆は中国、朝鮮を始め、東アジアで広く使われており、日本の漆だとは断定できなかった。

次に、竹に関してであるが、年代は西暦八五〇年前後と判明した。しかし、出所の解明は困難であった。なにしろ、竹は全世界に二千種以上もあったからである。

 日本の新聞でこのことが報道されると、たちまち全国から、竹の精であるかぐや姫が絹の十二単を着て牛車で月に帰り、それが炭素化したのではないかという反響があった。もしこれが事実ならば、かぐや姫は実際日本に存在していたことになる。歴史学者、民俗学者、地質学者、宇宙学者、生物学者、果ては遺伝子工学者までもが、「かぐや姫実存論」に関して喧々諤々と論議を戦わせたが、結論は出なかった。

 そんな折、二〇一六年十月、京都大学電子工学研究所所長、山中慎也博士はワシントンで開かれた国際エレクトロニクス学会に出席した。学会を終えてから、国立スミソニアン博物館を訪れた。この博物館の収集物は科学、産業、技術、芸術、自然史等、多岐にわたり、収集物は一憶四千二百万点にも及んでいる。中でも航空宇宙博物館部門にはアポロ計画で月面から持ち帰った月の石や、二〇一三年火星探査機キュリオシティが採取した岩石などが展示されていた。

山中博士は少年の頃からエジソンに興味があり、産業博物館部門を訪れ、エジソン関連の展示物を見て回った。特に注意を惹かれたのは「ヘアピン竹炭素フィラメント白熱電球」であった。

博士は白熱電球のフィラメントに京都の竹が使われていることを知っていた。エジソンはフィラメントとして六千種類の材料を実験したが、どれも連続点灯時間が四十五時間以下であった。ある日、扇子の竹をフィラメントに使ってみると二百時間も連続して点灯した。そこで、エジソンは世界中から千二百種の竹を取り寄せ、実験を重ねた。その結果、京都の八幡男山に生えていた真竹の点灯時間が二千四百五十時間もあることが分かり、真竹を使って「白熱電球一号」を製作した。山中博士が見た白熱電球はこの第一号であった。

博士は白熱電灯を見ている時に、日本で話題になっていたかぐや姫の竹の炭素質のことを思い出した。博士は考えた、「もし月から持ち帰った竹の炭素質と、白熱電球に使われている竹の炭素質が同一ならば、月から発見された竹は京都からのものとなり、竹から生まれたかぐや姫は京都から月に帰っていったことになる」  

博士は二つの竹の炭素質のDNAを比較したいと思った。スミソニアン博物館館長に白熱電球のフィラメントのDNA鑑定をしたいと申し出ても、断られることは目に見えていた。そこでハーバード大学時代の学友であったチャールズ・ボールデンNASA長官に事情を話した。長官はスミソニアン博物館館長に話を伝え、博士は白熱電球のフィラメントを鑑定する特別許可を得た。その結果、両者は九十九、九九九パーセントの確率で同じDNÅを保持していることが判明した。

信じられないことだが、もしかぐや姫が竹の精だとすると、かぐや姫は京都に住んでいて、京都から月に帰ったということになる。   

  了

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